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歩世亜さんComments
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図書館で『 プラナカン 』という本を、手にしたのです。
聞き慣れない『 プラナカン 』ということばが気になるので
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<table border="1"><tbody><tr><td width="550" height="50">
【 プラナカン 】
webp 画像につき開示できず
< 商品説明 >より
プラナカンと呼ばれる異色の民が、東南アジアの国々にいる。 ある者は貿易で巨万の富をつかむ夢を抱いて。またある者は凶作と貧困から逃げ出すために。福建や広東の華人たちは、生死をかけてマラッカ海峡の新天地を目指した。男たちはマレー半島やスマトラ島、ジャワ島の妻と所帯を持った。熱帯の日差しを浴びて生まれ育った子孫が、やがて中国でもマレーでもない、万華鏡のように色鮮やかな独自の文化を開花させていった。彼らは、華僑とも異なる存在で、アジア経済界で隠然とした勢力を誇ち、その気高い美意識を誇る氏族の素顔は、いまなお謎に包まれている。 19 世紀には英国の東インド会社と手を組み、香辛料貿易、スズ鉱山、ゴム栽培で商才を奮った。あるいはアヘン取引、奴隷貿易によって無尽蔵の財をなした。富を現代に継ぐ末裔は、自らの歴史を封印したまま多くを語らない。
<読む前の大使寸評>
追って記入
rakuten<a href="
https://books.rakuten.co.jp/rk/b431baa55f2f3583b40e8bc44fdf020b/?variantId=b431baa55f2f3583b40e8bc44fdf020b
">
プラナカン
</a></td></tr></tbody></table>
「プロローグ 謎に包まれた民 」に謎の解明が出ているので見てみましょう。
</a><TABLE border="1"><TR><TD width="550" height="50">P10 ~ 14
<font color="brown"> < 東南アジアへの入り口のカギ > </font>
プラナカンと呼ばれる異色の民が、東南アジアの国々にいる。
マレーシア、シンガポール、インドネシア・・・。マラッカ海峡を囲む一帯に中国大陸から渡来し、古くからこの地に住むマレー民族と混ざり合いながら個性的で豪華絢爛な文化をつくり上げた人々である。
いまはそれぞれの国の中でひっそりと暮らしているけれど、そのきらびやかで神秘的な伝統と文化は異色の存在感を放ち、東南アジア諸国の社会に彩りを添えている。
東南アジアは、地図の上では一つの濃厚な「かたまり」に見える。だが、その内側では多くの民族や宗教が複雑に絡み合っている。東南アジアの政治や社会の成り立ちを、もっと深く理解しようとして、それぞれの国の中に足を踏み入れると、まるで熱帯雨林のジャングルに迷い込んだように実像が見えなくなる。誰が経済を動かしているのか。誰が支配し、誰が支配されているのか・・・。
十ヵ国から成る東南アジア諸国連合 (ASEAN) は、 20 世紀後半からの経済発展で人々の所得が増え、いまや巨大な消費市場へと変貌を遂げつつある。 6 億 4000 万人にのぼる人口は、米国を含む北米や欧州連合( EU )の規模を上回る。
日、米、欧、中国、韓国の企業は東南アジアへの直接投資と貿易を伸ばし、経済的な繋がりを深めようとしている。海路でアジアの国々を結び、東南アジアの交通の要所である南シナ海は、米国と中国が軍事的な覇権を激しく競い合う舞台となっている。世界を見回すと、シリア情勢で揺れる中東と並んで、いま東南アジアは世界で最も熱い地域である。
入り口がないジャングルのようなこの地域一帯を、同じアジア人としてより身近に感じ、より深く理解するために、私たちはどこからアプローチすればいいだろう。その隠された入り口の鍵は、謎の民、プラナカンが握っているかもしれない。
<font color="brown"> < 埋もれた古層 > </font>
19 世紀末から 20 世紀初めを頂点とするプラナカンの興亡の歴史。そして歴史の節目に政治、経済の舞台で活躍した多彩なプラナカンたちの人間像を追うと、埋もれている東南アジア社会の古層が、少しずつ見えてくる。
( 中略 )
もともとプラナカン (Peranakan) とは、地元マレーの言葉で「その土地で生れた子」という意味である。プラナカンの男性をババ (Baba) 、女性をニョニャ (Nyonya) と呼ぶ。
私はマラッカ海峡に点在するコミュニティーを訪ね、現代を生き抜く多くのババとニョニャに出会った。 マレー半島にある古都マラッカ、シンガポール、ペナン島、プーケット島、バンコク、ヤンゴン、ジャカルタ、そして遠く離れたオーストラリア・・・・。彼らは横のつながりを保ちながら、アジア太平洋の各地に散らばり、さまざまな」社会的な地位や職業に就いて暮らしている。
華人とマレー人が縁を結んだといっても、何世代も前の話である。顔つきや容姿だけで見れば、いまのプラナカンは、一般の華人とほとんど変わりはない。ひとくくりに「華僑」と見なされることが多い。
それでも実際に間近でプラナカンに会うと、独特の雰囲気をまとった人々であることに気づくだろう。
たたづまいが普通の華人とは違い、東洋人でありながら西洋風である。凛とした雰囲気を漂わせている。高いプライドが感じられる。それでいて、どこか影があるというか、普段でも寂しげな表情をしているように見えることがある。
プラナカンは華人の末裔ではあるが、私たちがイメージする「中国人」とは明らかに異なっている。あるプラナカンは自分のことを「進化した中国人」と呼んでいた。
<font color="brown"> < 源流は明朝・中国南部 > </font>
プラナカンとは何物なのか。その源流をたどると、時代が明王朝から清王朝に移りゆく 15 ~ 16 世紀の中国南部、福建省や広東省にたどり着く。彼らの祖先は漢民族である。
ある者は貿易で巨万の富をつかむ夢を抱いて。またある者は凶作と貧困から逃げ出すために。中国南部の人々は生死をかけてマラッカ海峡の新天地を目指した。
日本の冬にあたる時期には北から南へ、夏には南から北へと、南シナ海に吹く季節風は、半年ごとに向きを変える。人や商品を運ぶ帆船は、南向きの風をとらえて東南アジアにやってきた。そして北向きの風に乗って中国大陸に戻るには、少なくとも半年は待たなければならなかった。
女性が中国から出国することが禁じられていた時代である。多くの男たちがマレー半島やスマトラ島、ジャワ島の地元の女性を妻として所帯を持った。本国にもう一つの家族を残したまま、二重の暮らしをする者も多かった。
子供が生まれ、熱帯の日差しを浴びて育った。ハーフの子孫が増え、コミュニティーができた。そのコミュニティーの中でさらに婚姻関係を重ね、次第にプラナカンの人口は増えていった。そして、中国でもマレーでもない独自のハイブリッド文化が開花する。色鮮やかなプラナカン文化の誕生である。
</td></tr></tbody></table>
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