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キリギリスと呼ばれていた幼いころ。 私はキュウリが大好きだった。らしい・・・ 本当のところは、スイカが大好きだったけど、 キュウリみたいに成っているのをちぎってその場でって、 スイカはできなかったから、 多分、キュウリが大好きだったのは、本意ではないだろう。 しかし、確かに、私は、母が仕事の間、 預かってもらっていた親戚のおばちゃん(母の母方の親戚)家の、 裏手に植えてあったキュウリを良く食べていた。 隣の家の別の親戚(母の父方の)の子が、まさのりちゃんと言って、 もう50年近く会ったことがないけど、 幼いころは兄弟のように一緒にいた。 まさのりちゃんのお父さんは、仕立て屋さんだった。 だから、まさのりちゃんちは、仕立て屋さんで、 家にいつも家族全員がいたと思う。 そのまさのりちゃんのお父さんと私の母親は確かいとこだったと思う。 私は、まさのりちゃんの家のキュウリをもらって、 みずみずしいキュウリを折って 塩だけ振って食べていたらしい。 私がまさのりちゃんと遊んで覚えていることは、 二人でイボガエルを見つけては、つぶして遊んでいて、 大虐殺を展開していたことだ・・・ 親戚のおばちゃんちには、せいこねーちゃんという6歳年上のお姉ちゃんがいて 「Kちゃんやめとき、イボができるでぇ」と言っていた。 罰があたって、私の子供時代、左ひざに大きなイボができて、 怪我をするたびにその左ひざのイボは巨大化し他にもうつって、 大小たくさんのイボが、左ひざを中心に増え続けた。 まさのりちゃんは大丈夫だったのかなぁ・・・ 私のイボは、小学校の中学年くらいまで増え続けたが、 あるとき、祖父母の住んでいた宝塚の病院で治療法があると聞いて、 その病院に、夏休みに行ってみた。 そしたら、めちゃくちゃ痛い注射を肩に打たれた。 これを、週に一度打つのを続けなきゃいけないらしく、 イボはウイルス性のもので、感染することも知った。 道理で、怪我をして出血するたびに小さいのが増えたし、 右足にもできたし、私から妹にも感染していた。 その医者が教えてくれたもう一つの治療法が、 今の私のハーブや薬草・漢方薬の原点なんだけど、 「注射が嫌なら、ハトムギを煎じて飲みなさい」 漢方薬のハトムギを煎じて飲み続け、まず妹のイボが半年で消滅。 それで勇気を得てさらに1年。 私のイボは、きれいに無くなっていた。。。 後でわかったことなんだけど、本当は、もっと早く無くなるものだった。 母の煎じてくれるハトムギが、全然「煎じる」になってなかったのだった。 母は、麦茶を作るくらいの感じでハトムギを煎じていた。 漢方薬を煎じるのは、ゆっくり弱火で、水が半量になるまで・・・ なんてことは、母には知らないことだったのだ。 妹のイボが先に無くなるという事実を見ていなかったら、 あんなまずいものを1年半も続けられなかっただろう。 論より証拠なのだ。 で、今でも私は、若採りのキュウリが大好きで、 一度に2本くらいは軽く食べる。 ただ、塩だけでは食べなくなった。 ブンセンの「花も」と出会ったからね・・・ 地獄のオーロラソースでも良く食べる・・・ 最近はもっと簡単な食べ方も開発して、キュウリ三昧・・・
2013年07月27日
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インターネットエクスプローラーがどうこうとか、 悪意のあるアドオンがどうとかという画面が出て、 あとは公開を押すばかりになっていた画面が、 消されてしまいました。 このパソコンになってから2度目のことです。 内容は、他愛もないことだったけど、 復元できないから、面倒になります。 取り敢えず、今度神戸であるジュリーのトークショーのお席が取れて、 元職場の同僚のジュリ友さんと一緒に行けることになった。 そのために週末なのに早起きして、 頑張って、10時から電話を掛けたことや、 奇跡的に10時10分にはつながって2席取れたことなどを うだうだと書いてあったの。。。 ジュリーは神戸には、お芝居とかでも来てくれるし、 本当に震災復興を考えてくれていることが、 「探偵」や「探偵2」からもわかる。 だから、10月の終わりのトークショー頑張って行ってきます! って、感じで、短くまとめて、もう一度挑戦しよう。
2013年07月20日
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三連休を実家で過ごすことができるのは、 天気予報が、雨を予想してくれたから。 実家には、知らせておかなかったのは、 はずれそうだったら、帰省できなくなるから。 ずっと天気予報を見ていて、有料のサイトも契約していて、 雨が降る予報なら帰省しておこうと思っていた。 そして、以前から再訪したかった淡路島のハマボウの観察も、 昨日を置いては無理!!だったので、行ってきた。 土曜日なのに珍しく早起きして、 少しでも涼しいうちに観察しようと思い、 淡路島の小島、「成ヶ島」のハマボウなどの観察に行った。 感動の花の多さで、島の先端まで歩いて観察し、 塩沼の中にまさに根を伸ばして咲いているのも確認し、 ついでにその塩水もなめてみて・・・ それだけでも感動だったけど、 ハマゴウがまた、美しくて。 薄紫のラベンダー色のから、濃い紫、 ひときわ目を引く純白のものまで・・・ もともとハマゴウが好きだけど、一層好きになった。 ハマゴウは、ハマボウと違って太い幹の木にはなりにくいようだが、 かなりの年月がないと大きく育たない植物なので、 とりどりの色のものにすっかり感動した。。。 ハマサジは、まだ2株くらいしか花が無かった。 イソマツ科の名に恥じない、塩水を吸って生えている姿だった。 帰る間際に、多分島内でも最古だろうと思われるハマボウの大木を見た。 感動的な花数で、南に枝を大きく伸ばしていて、 幹は、直径軽く50センチは超える、相当な太さだった。 最初は、何本もの木があるのかと思って近づいたら、 1本の樹の幹から堂々とした枝を何本も広げて咲いているのだった。 シンガポールで見たオオハマボウを思い出した。 耐塩性も、耐暑性も、耐乾性も強いハマゴウとハマボウとを、 その花の美しさもあって、もっと国内に広めたいと思っている。 日本人は、美しい野生植物に慣れていて、その価値に無感動すぎないか? ハマゴウは、塩地でないところで育てると、 這わないで、株立ちに成ると思われる。 小潅木として、美しい。 花色もバリエーションがあって、楽しい。 香りも素晴らしく、薬理効果もわかっている。 葉も、種も漢方薬になるし、 葉の香りは、バジルに似ている。 濃い紫と、純白を見ると、 普通種のラベンナー色と3色セットで、 売れるのではないかと思われる。。。 ハマボウは、樹形も美しく、実際淡路島の中でも植えてあったりする。 もっと兵庫県全体に広げたいと思っている。 その後、新幹線で帰省し、昨日の夕方から実家。 明日の夜に帰宅の予定だ。 今日の夕方、元夫君から、ありがたいメールが来て、 大雨で、落雷停電もあった由、 親孝行に、恵みの雨だった。。。
2013年07月14日
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7月4日木曜日は、ジュリーのコンサートで、 フェスティバルホールへ行ってきた。 ジュリーの話は面白いんだけど、 トッポを知らない私には、 たぶんその面白さのわかりきれていない部分もあると思う。 コンサートの始めの方は、声の伸びが心配だったし、 歌詞も、おいおい??って感じだったけど、 こなれてくると、いつものジュリーらしい声になってくる。 それにしても、あれも歌ったこれも歌ったって思うくらい、 懐かしの名曲を歌っているのに、 あれぇ、今回はパス??なの??みたいに、 本当に聞きたい歌が多くて、 本人も曲を決めるのから大変だと思う。 そんな中、新作のミニアルバムからの4曲も良かったし、 Green-Boy とかも良かった。 還暦ツアーの前年、あるいはそのさらに前の年あたりのは、 なかなか聞けないし、生で聞けるのはうれしい。 ロックンロール・マーチとか、あの年の感激が甦る。 それと、「若者よ」?だっけ? パーワー破裂、パーワー破裂、パワーレス・パワーって 連呼するとき、(これって、和さんの曲だっけ?) 本当に、若い世代の人に期待してるんだって、思う。 もっとも、政治の中心にいる人たちの年齢からしたら、 全然、ジュリーだって若者なのかもしれないけど。 引退した自民党の大物政治家で、 第二次世界大戦を知っている人たちからしたら、 今の、苦労も知らない二世や三世の議員たちが、 ろくに知りもしないで知らないで平気で口にしている非常識なことを 当時の真実を知っている自分たちが死んだあと、 どうやって軌道修正していくのかとハラハラしてるだろう。 白いものは白いし、黒いものは黒い。 白いものを黒いと言い、黒いものを白いという人がいたら、 きちんと「違うよ」って言って訂正しておかないと、 そのうちに事実が捻じ曲げられてしまう。 意図的で危険な歪曲はもうかなり奏功してきている。 日本が第二次大戦に突入して行ったころの拡大的な地図を見ると、 そのわずか100年前の江戸時代の日本の固有の国土に比べて 富国強兵の明治から、いかに無理をしていたかがわかるというものだ。 北海道の人が今でも「内地」という言葉を使うのも、 沖縄の人が「ヤマトンチュ」という言葉を使うのも、 中国や韓国・台湾に日本語を話せる高齢者が実はいることも、 もっとその理由をちゃんと知るべきだろう。 その反省からの憲法9条なんじゃないか。 ジュリーは、ちゃんというべきと信じたことを言っている。 あまりにも軽々しい政治家の発言に比べて、 覚悟して言ってる歌ってるジュリーの方が、 ずっとすごいと思う。 キラキラしたたくさんの曲の中に、 ちゃんと餡子のように収められていたジュリーの言葉たち。。。 今日一日、ずっと反芻していた・・・
2013年07月05日
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記憶が欠落しているの。 去年の秋に大けがをして、 その直前までの、去年の夏のことが思い出せない。 去年の夏に着てた服とか、使ってたものとか、 どこにどうしまったのか、 どこに置いたものなのか、思い出せない。 ほとんど身動きできないくらい、 自分の書斎の周りに、 足が動かなくても、左手が使えなくても大丈夫なように、 いろいろなものを置いてあって、 動けるようになったら整理しようと思ったものが、 4月にもう一つ古傷をやったりして、 結局何もできないまま・・・ 5月に母の胃がんが発覚し、6月は、半分以上実家に居て・・・ はっと気が付いたら、もう7月・・・ 私の夏支度が、できていない。 それどころか、この冬のものを片付けることもできていない。。。 先送りできないことを職場でも必死でこなしていたら、 ジュリ友さんから、チケット渡すよってメールが来て、 受け取りに行ってから、はっとした。 まだまだ先って思っていたら、なんと、この木曜日だった。 8月や9月のことじゃなかった。 お母さんのこと、お父さんのこと、 あれこれありすぎて、自分の体のことさえメンテナンスできてないのに。 私の中で、去年の11月から、時間が変!!! 記憶が怪しい!!! だれか、変な、怪しい私を、管理して!!! 取り敢えず、水鳥の水かきみたいに、 水面下でジタバタしてることが目立たないうちに、 立て直さなきゃである。 しかし、相変わらず、膝は緩い状態のままだし、 辛うじて杖無く歩けるようになっているものの、 膝を締めるベルトは欠かせない状態だ。 汗疹が・・・この先怖い・・・けど・・・手放せない。。。 このブログを開設したころ、私は、老後の楽しみに紫陽花を考えていた。 しかし、今、自分のメンテナンスや、 老いた親の看護や介護が現実として降りかかってきて 灌水ができないことを考える必要に迫られている。 足の問題だけなら、灌水はできる。 しかし夏場に親に何かあったら、完全にお手上げだ。 今は、自分の怪我が冬に向かう11月の21日だったことを、 心から「不幸中の幸い」だったと思える。 神様、ありがとうございました。。。 来週には、母の80歳の誕生日がやってくる。。。 無事に、自宅で、迎えられることを感謝しよう。
2013年07月01日
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