全5件 (5件中 1-5件目)
1
44歳の時の自分は 34歳の時の自分は 24歳の時の自分は 14歳の時の自分は 4歳の時の自分は 振り返るのが辛くなってきて、 もう、たとえ足の爪先でも、 とりあえず前だけを見て生きようと、 そう思っている。 50年前の自分、 当時の兵庫県龍野市に住んでいた。 母の実家の経営する製材工場の二階に住んでいた。 この工場はおそらくはタバコのポイ捨てかなんかで 私が中学生1年生か小学6年生の夏の夕方に出火して全焼し、 母の実家は、火災保険にも入っていなくて倒産して、 莫大な借金を払うために残っていた農地のほとんどを失い、 母やその妹の婚家の支援で辛うじて家屋敷だけは残った。 人生は色々なことがあるのだ。 母の実家の屋敷は古い大きな建物で、かつての豊かさも偲ばれる造りだが、 苦労ばかりの人生を送った当主の母親は70代前半で胃癌で亡くなった。 出火当時の主人だった母の叔父は、今はすごい高齢で、 痴呆の症状もあり、耳も遠い。 当主は、その後立て直して市会議員になったりもしたが、 商才は無く、畳むしかないだろうに借金ばかり増やしている。 4人の子供達がそれぞれに幸福になっているようで、 それはそれで、ほっとする。 出たり戻ったりしていた当主の奥さんも、もうさすがに戻る実家も無い。 人生は、何があっても、前に進んでいくしかない。 布団をかぶっていたくてもそうは行かないものだ。 私が、小学校1年の終りに兵庫県宝塚市立小浜小学校から 山口県下関市立吉見小学校の2年生に転出してから、 怒涛の7年間があって、 いじめられ、阻害され、苦しんだ小学5年の終りまでの4年間。 充実した時間となった6年生から中学2年の3学期までの3年間。 私は、この間の7年間、両親と妹と私で過ごした時間を、 とてつもなく長く感じている。 一つの職場に15年も居る今の感覚で言えば、7年なんてあっと言う間だ。 でも、宝塚市の都会の小学校から、下関市のど田舎の小学校。 祖父母との同居から、4人だけの密度の暮し。 言葉も、風俗も習慣も違うところで、よく頑張ったと思う。 同居後の4年とちょっとも、14歳での転校や、 15歳での高校進学18歳での大学進学などで密度が濃かった。 左膝の半月板損傷もこの4年の間のことだ。 そして、今戻れるなら、14歳の自分に、40年前の自分に戻りたい。 次の10年間で定年退職や、再雇用や、実家への転居やら、 いろいろなことを経験するのだろうか。 さて、それでは、54歳の初眠り。。。 おやすみなさいである。klm
2013年03月26日
コメント(4)
手首は違和感があるが、使えるようになってきた。 しばらく忙しくて病院にも行っていなかったが、 来週には一度整形外科に行こう。 使えるものの、折り曲げの角度とかは元通りまでには至っていない。 一定の角度を過ぎると痛くて動かせない。 それに、筋の強張りが強く、外側の方は結構痛い。 1年半は頑張ってみよう。 左膝は、初期の頃のような血腫も当然無いし、 周辺組織の炎症も無くなっている。 不安定なまま安定していると言ったところか。 短い水平の移動なら、普通に見えると思う。 階段の昇降や、坂道には、固定用のベルトを膝の上下につけて動く。 不細工だが、初期の頃の白くて巨大な装具を思えば、 全然ましである。 整形外科の借り物の白くて巨大な装具を経て、 保険が利く自前の装具を作り、 自分でも一つ通信販売で軽めのものを購入した。 それらは、圧迫の度合いが強くて、私には苦痛だった。 装具のお陰で、動けるのだけど、筋肉が落ち続けるのがわかった。 それで、皮膚に直接装着する装具を外して、 衣類の上から容易に着脱できるベルトを購入した。 装着の強弱とか、自分で加減できるし、 座っての事務仕事のときは外しておける。 寝るときも装具を必要としていた4ヶ月前とは大違いで、 12月にベルトを買って大正解だった。 けど、実は、問題が・・・ 一月以上前から、右膝に違和感が続いているのだ。 これは、まぁ、当然と言えば当然の帰結だけど、 右膝の負担増が急激でしかも長期化したから、 右膝の半月板が磨耗したりして、 変形性膝関節症が再発している可能性が・・・ 仕方ないので、右膝の下にもベルトをしている。 21歳の時に内視鏡を入れて、整形外科の先生に言われた。 健常な方に負担がかかり・・・そう言うことだ。 以前、数年前に、右膝が曲げられないくらい痛かったことがあって、 しばらく除草にも出られなかった。 今年も同様だけど、もう多分今より良くなることは無いだろう。 だから、右膝も、だましだまし使うしかないと。 そんなわけで、今日もゆっくりゆっくり歩いた。 週末の神戸は人出だった。 人ごみは苦手で嫌いである。 しかし、チーズを買いに出ていた。 2軒で、カルボンチーノとバサヨとを買えた。 幸いにして、欲しかったパンも買えた。 胡桃と干しブドウと黒胡椒の入ったサ・マーシュのパン。 買い物が済んだら、さっさと帰るのみ。 行きも帰りも座れたので良かった。 それぞれのお店でイートインもしてきたので、 結構満腹だったから、晩御飯はさっき食べたところ。 最近編み出したインスタント・ラーメンを半分に割って、二回に分けて食べる方法。 丁寧に半分に割って、麺を減らす代わりにエノキダケとかモヤシとかを大量に。 倹約メニューではない。むしろスープ代がかかるダイエットメニュー。 でも、大好きな白湯スープで「うまかっちゃん」を心置きなく食べられるので、 幸福度が高い。 バサヨの1カット分の値段で、これだと2週間ぐらいラーメン食べられる。 もうすぐ54歳になろうと言うのに、 こんなインスタント・ラーメン半分の夜食でいいのか!? と、ちょっとは思うけど、これでも葱を投入したりすれば結構リッチ。 今日は、冷凍してあるシマラッキョウの葉の刻んだのを青みに散らしたけど。 シマラッキョウの葉を小さく刻んで、フリーズドライしたら、 鮮明な緑色で、スープや肉団子に使えると思っている。 今の課題のための備忘録 1、廃菌床の農業資源化 小野市の松籟きのこセンター? 2、廃棄チーズの肥料化 地力の源さん バイオマスソリューションズ 3、シマラッキョウの廃棄されている緑の部分の活用法。
2013年03月23日
コメント(8)
三月の中旬、期末の処理の真っ最中で、 10連勤だったから、今日はちょっとほっとした。 昨日は、午後遅くに職場に来客で、 2年前まで一緒に職場に居た若い男の子3人と、 6年前に一緒だった綺麗になったお姉ちゃん2人と、 全然変わっていない私を、一目で見つけたと言って。。。 2年前ならともかく、6年前は、もう少し若かったはずだけど もっとしわくちゃになっている想定だったようで、 「全然変わってない!!!」と連呼されて、 彼女たちの6年は長い期間だったんだと思った。 私にしたら、6年前なんて、つい最近のことだ。 見違えるほど綺麗なお姉さんになってる彼女たちの、 仕事じゃないプライベートとは言え、そのメイクにびっくりした。 男の子は一人は北海道・一人は岐阜・一人は多分広島に。 昨日は、休日前のゆとりで、韓国家庭料理を食べに。 いつものカウンターに座って。 つい先日、同僚に紹介したら、早速その日のうちに行ったそうで、 結構喜んでもらえたので、美味しい店なんだろう。 その同僚は、韓国大好きで、店の名前にもなってる「明洞」にも実際行ってる。 店が好きかどうかは、ともかく、紹介したその日に行ってみたってところが、 嬉しかった。。。 今日は、遅い時間にごそごそ起き出して、 久しぶりに稲美町の「道林」に蕎麦を食べに行ったら、 日曜が休みの近所の店は、祝日も休みだった。 子供の学校の休みにあわせて休みにするところが、 さすがだと感心する。。。 開けてる日だって、11時半から2時半までしか営業しないし、 準備した蕎麦が終われば終了だから、時には2時には暖簾を下げたりする。 奥さんのつわりがひどかった時は、てんぷらもメニューから消えて、 復活したのは、奥さんの子育てが一段落した数年後だった。 二八蕎麦だが、てんぷらも格別美味しい。 今日は仕方なく、小野市の蕎麦屋まで足を伸ばした。 行きつけだった三木市の鰻屋「ほし川」が畳んで以来、 加古川市から北向きに食事に行くことが減って、 久しぶりの小野市の蕎麦屋だったが、 行ってみると、なんと張り紙がしてある。 今日は営業しているのだが、3月末日で廃業するらしい。 十割の粗挽き蕎麦の美味しい店だったのに。。。 脱サラ親父の気力が折れたのか??? 小規模な食堂などの自営業の人は、年金制度もあって、老後が厳しい。 体調を崩せば、現役でも、即・終りだ。 詳しいことは聞けなかったけど、なんだかますます寂しい気がする。 同じ仕事をしても、社員であれば、夫婦で老後の年金制度があり、 自営業だと国民年金の制度があまりにも貧弱で頼りない。 長寿の国では、老後が長いから、もう一度サラリーマンに戻るのかなぁ。 狭い店内は6つしかないテーブルも一杯で待ちの客が出ていた。 誰かが、もうどこでもしないんですかと奥さんに聞いていた。 「そうなんです」と奥さんが言う。 折り合いがつかないんだろうか。 ふと、先に辞めて山梨に帰った鰻屋の親父さんの声が聞きたくなった。 元気だろうか。 被災地にボランティアに行って調理師の腕を活かしたいと言っていた。 なんだかなぁって、ため息が出てきた。。。 こないだチーズと生ハムを買いに行った神戸のお店の若い店員さんが、 帰り際にドアの外まで見送ってくれて、 今月で仕事を辞めるって、挨拶をしてくれた。 ご主人が脱サラで食品関係の輸入会社を始めるとかで、その手伝いにと。 会社辞めて夫婦で新しい会社を始めるのは、すごいエネルギーが必要だ。 始める時はまだそうでもないけど、維持するのが、本当に大変。 その会社なり店なりを廃業するのはもっとすごいエネルギーが要るだろう。 私とて、決してぬくぬくと32年サラリーマンをしてきたわけでもないが、 この後の人生を考える・・・ぼんやりと。。。 夕方、ふと思い立って、近所の友達の家にいつもの玄米を届けに行った。 幸い在宅で、出来ちゃった婚のお孫さんもすっかり大きくなっていた。 父親に似たらどんな空っぽの人間になるかと心配してたけど、 どうやら友人の孫教育が行き届いているようで良い子に育っている。 でも鼻の形が父親そっくりでおかしいくらい・・・ 4月から、小学生になるという。 娘を3人持ってるその友人でも、上の二人は結婚の意思無く、 末っ子のまさかの出来婚のお陰で孫を持つことができた。 上の二人はもう35歳過ぎたし、このまま独身のような気配だなぁ。。。 彼女が、まさかの出来婚にショックを受けてた時、 「祝福して受け入れてあげな!」って言っておいて、良かった。 婿はバカでもいつか切り捨てられるし、きょうび、孫は得がたいものだ。。。
2013年03月20日
コメント(2)
本来は園芸のブログだった。 しかしここに来て、わがままな巨人のせいで、 秘密の花園は巨人の飼い犬が踏み荒らす廃園となった。 そこでしばし、百人一首を中心にやっていこうと思っている。 来週は忙しいけど、再来週暇になったら、ぜひそうしようと、思った。。。
2013年03月10日
コメント(7)
10年を一昔とするなら、もう5昔を生きた。 25年が四半世紀。 50年が半世紀。 今月の誕生日で54歳になる。 半世紀はあっという間なのだと、痛感する。 96歳だった祖母は、この私の年からさらに40年以上。 人生を生き切るのは、なかなか大変だと思う。 先月、同僚のお父さんが脳内出血で緊急入院された。 なんか、言動が怪しいと思っていたら、 左右に広範な出血だったそうだ。 どちらかなら発見されやすいのだが、 危うく手遅れになるところ、すんでのところで助かったのは、 お母さんが自分の健康診断に行った病院で、結果を待つ間に、 先生に不安を漏らしたのがきっかけで、 即、入院と言われて、介護タクシーでかかりつけ医師のいる病院に。 バタバタと入院を決めて、はっとお母さんが我に返ったら、 検査の結果も、会計もほったらかしだったと・・・ 同じような年齢の独居のお母さんを81歳で見送った同僚も。 かなり前からアルツハイマー型の痴呆が進んで、 認識してくれないと言っていたが、 自分の両親と年が近いこともあり、他人事とは思えない。 「さらぬわかれのなくもがな」と、 業平も言っているが、そうは行かないのが摂理。 一昔 夢と過ぎけり すみれ花 すみれ咲き いつしか十年 過ぎにけり 諸行無常諸行無常と十年経ぬ 愛別離苦怨憎会苦の菫咲き 三月・四月は、まことに苦手である。 不安定な我が身の転勤の可能性などあって。余計に。 今日も、休日出勤して職場にいたら、 当然居るだろうという感じで会いに来る旧知。 彼は、4月から長野か岐阜か・・・北海道か? 行方定めぬ日々が続くのも、辛いものだしなぁ。 そうそう、別の旧知が、最近狩猟資格を取って、 害獣駆除に乗り出したら、 タヌキやアライグマに続いて、キツネがわなにかかっていたそうだ。 直後のようだったので、すぐに逃がしてやったと・・・ タヌキは毛皮になったし、アライグマも、同じ運命のはず。 最初のアライグマは、尻尾だけになったけど、 ちゃんと生きた証をとどめている。 生まれたくて害獣に生まれてくるわけではない。 南無阿弥陀仏だ。。。 どの写真も、結構可愛いので、駆除は難しいと思えた。 害は深刻なんだけどね。
2013年03月03日
コメント(3)
全5件 (5件中 1-5件目)
1
![]()

