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過去にアップした写真は、 このパソコンを処分する時に一緒に消えちゃうんだろうか? そうならないためには、このパソコンから、画像を救出しなきゃなの? 私の処理能力は日に日に低下していくのに、 果たしてそんなことが出来るんだろうか? 半月板の損傷によるロッキングを再発して以来、 去年の11月21日の前十字靭帯断裂の時に輪をかけて、 いろんなことが、できなくなってきている。 意欲が出てこないんだもの。 仕事だけは、続けなきゃ、収入が断たれるから、 なんとか表面上はこなしているけど、 本当に毎日毎日、杖をつきつき階段の昇降やら廊下の移動やらをしていて、 自分自身にうんざりする。 花が終わったら伐ろうと思っていたモッコウバラを、 びっしりと蕾がついて、咲くばかりになっていたときに、 元夫君が、根元から切った。 しかも、そのままにしてある。 干からびて、茶色くなった葉っぱや蕾が、枝ごと、リビングから見える。 二階のベッドの際の窓からも、下を見ればそれが見えるから、 ベッドの高さよりも下を見ないようにしている。 こんな状態でも、家に帰らなきゃ。 鉢物の紫陽花の潅水がある。 煮詰って焦げ付きそうなシチューの鍋のような、 今の私の日常だ。。。。。 でも、明日も、明後日も、午後から仕事を入れている。 今、休みをつぶしてでも入れておかないと、 夏にも困るし、来春1月、2月に、きっと困る。 そんな仕事を見越してできるうちは、まだ、続けようと思う。 仲良しの同僚の白血病が4度目の再発で、 切ない。。。 切ないけど、彼の分も私が働かなきゃ、 回らなくなってくるだろう。 一緒にずっとやって来た、サービス業としてのプラスαを、 一人でも守っていかなきゃいけない。 目に見えて成果の上がる時ばかりじゃないけど、 しないと辛いのは自分だから、結局してしまうだろう。 先々週、木曜日に、すごく辛い事があって、 その処理に忙殺されていた感があるが、 善後策も次々に奏功しつつあり、 5月1日を期限として、次の段階を目指している。 今日は、神戸にチーズと生ハムとワインとパンと、 無理を押して買いに行った。 水曜日、泣き出しそうなくらい忙しい中、 中国人の友達が料理を作ったから取りに来てってメールをくれた。 残業仕事をほったらかして、取りにいった。 私の杖をついて歩く姿をみて、涙を浮かべて心配してくれた。 急ぎの用があったので、そのまま帰ったけど、 メールで一杯心配されたから、 翌日、今度は松の実を持って、もう一度元気に会いに行った。 私が、元気で頑張っていることを、心の支えにしてくれている人が居る。 そう思うと、もうちょっと頑張ってみようと、ギアが入る。 人は、支えている線と支えられている線とからなっているように見えるが、 実は、支えている線だって、支えられている線が無くなれば、倒れる。 色んな人と支えあって、生きているのだなぁ。 さて、その時の餃子を焼いて、今から夜食。。。 元夫君に伐られてしまった初霜の元の姿。 今は、1本だけ、辛うじて茎が残っている。 先日、職場で増やしておいた株を里子に出した。 この調子だと、全部伐られる日も遠くなさそうだから。。。 加古川では、親族7人を殺した藤城さんという人がいる。 思うに、その人も、元夫君と同じような生まれつきの障害を持っていて、 人生の局面毎に、悪い方に行って、 二次的障害が悪化して、憎悪が肥大し、あんな大事件を起こしたのだと思う。 元夫君の、彼の実家の親族への感情をこじらせないことはすごく大切だ。。。 正常な思考の人とは、全く違う回路で判断が行われるから、 自分の快不快・嫌悪が、善悪・是非・正邪の基準になる。 嫌いなだけでなく、怖い人だとつくづく感じるこの頃だ。 御免ね、守れなかった初霜・・・
2013年04月27日
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金曜日の夕方から時間を無理して帰省していた。 お寺さんの都合で、20日のお参りが早朝になったので、 職場の歓送迎会をキャンセルして、帰省することになった。 とは言え、靭帯断裂後、初の半月板のロッキング中、 細心の注意を払い、犠牲も払って、 姫路駅まで元夫君に25分で送ってもらい、 新下関の駅では妹に迎えに来てもらった。 こちらは有料で、帰路も合わせて1諭吉。 所要時間は同じくらいの25分ほど。 妹は教員を辞めてから独学で外貨取引を勉強して、 自分の少なかった退職金をやりくりしている。 始めたころは月額11万円の利益だったが、 今は買い増した分の利益もあって、 税引き後でも月額25万は利益を上げている。 本当に良く勉強する、偉い妹だと感心する。 昔から浪費家の私と、しっかり者の妹の好対照だった。 今の年収は、かろうじて私の方が多いけど、 妹は年下のご主人の3号被保険者で扶養家族だから、 年金も・国保もただで、その上、扶養手当の対象で、 なおかつ夫の累進課税率を下げている。 頼まれて社会福祉協議会の雑務をしてあげていて、 スズメの涙ほどの謝礼をもらい、真剣に働いている。 その上、アルバイトでたくさんの言語の翻訳もしていて、 特に今は、身内の父のラテン語の翻訳の校正を有償で引き受けてくれている。 ずーっと頭が下がるわ・・・ なのに、娘たちは、伯母である私に似て、不出来。 しかも私の言うことしか、忠告も聞かない・・・ 人生はままならないものだ。 妹のアルバイト先の同僚に対する批判を聞いていると、 能力の異なりすぎる人と仕事をするのは大変だと思える。 さて、昨日のお天気はあいにくの雨だったが、 5人で食べる焼肉の準備の買い物に、母と出かけた。 父の取り寄せのマトン・葉つき玉葱にプラスして 彩の綺麗な3色カラーピーマン・・・一度私が使って以来、母のお気に入り。 若い子が一人も居なくなった高齢者と中年3人の焼肉パーティー まあ、それなりの時間が楽しめる。 子供が居るに越したことはないけどね。 今朝は父を誘って、父の行きたいところに買い物に行かせて上げた。 2時に、お願いしておいた妹の主人が送りに行ってくれて。 乗り換え無しのこだま号3時間半の旅を・・・・ 2箇所だけ、すてきを見つけた。 一面に芝桜が植えてある一つの村があった。 それと、岡山駅から相生駅までの山沿いの所を走っていたとき。 三つ葉ツツジが咲き誇り、まだまだ山桜が満開のところがあったの。 備前かなぁ? わからないけど、冷涼で咲き始めがおそいのだろうなぁ。 桜は、山桜・・・一等好きである。
2013年04月21日
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普段の忙しさから出来ない買い物をしたりして、 それから滅多に食べない昼食を食べた。 仕事があるときは、午後の能率が落ちるから 昼食は固形物を食べない。 ジョアとか、ミルミルとかの類を三種類計3本、 立ったままでとか、パソコン見ながらとか、チュチュっと吸って終り。 でも今日は、4時過ぎに、遅いお昼ご飯を食べた。 どうしても〆鯖の巻き込んであるのが食べたくなったから。 時々、どうしようもなく、美味しい〆鯖が食べたくなる。 さて、その後は、やっぱり効率が落ちました。。。 ま、仕方無いですね。 最近、膝の説明をするときに、 去年の怪我は、元サッカー選手の「城彰二」さんの故障と同じ。 高校時代からの半月板の損傷の方はインテルの「長友選手」と同じ。 そういう風に説明すれば早い・・・ プロスポーツの選手とか、やりたいスポーツがある人なら、 手術が第一選択だけど、 私は違う。 でも、もう少し時間が経って、仕事を辞めることになったら、 老後の為に手術も有りかなとも、思うようになった。 半月板の方は、3日程度から長くて1週間の入院のようだし、 前十字靭帯の再建手術も、 どんどん術式が改善されて入院が短くなっている。 それなら、有りかもって思えるところまでなったら、 するかも・・・ それにしても、サッカーの選手とか、 怪我がつきものだとは思うけど、 人生の長さを考えると、膝の故障は大変だと思う。 華やかな活躍は短く、その後の人生の方がずっと長い。 みんなちゃんと生きていくんだから、すごいなぁ。。。 私のは、16歳直前の膝の故障から、 半月板損傷の内視鏡下での診断まで5年かかった。 21歳になっていた。 その頃は、初めて膝に内視鏡が入れられるようになったばかり。 勤め始めた22歳からも何度も膝が動かなくなった。 半月板損傷によるロッキングという現象だと、 看護婦さんの口から聞いたのは、 子宮と卵巣の摘出手術の直前だった。 麻酔のかかった状態でのベッドからの移乗で、 膝を不用意に触られると危険だと前もって説明していたら、 同じ症状を持つ看護婦さんが居て、 「ロッキング」という言葉と共に、すごくわかってくれて、 故障発生から初めて、同じ症状の人を知った。 それだけで、すごく心が軽くなった。 今は、たくさんのスポーツ選手の故障で半月板損傷が有名に・・・ そして、手術の実際もどんどん改善されてきている。 私は、正座したいとか、スポーツをしたいとか、 そんな大それたことは思わない。 ただ、不安無く、日常を過ごし、 痛み無く歩いたり立ったりしたいだけなんだ。 いつも、半月板のロッキングが起きるたびに、 すごく落ち込む・・・ 軽微な時でも、長引くことがあるし、 意外と早く治る時もある気まぐれな症状に心が振り回される。 気がついて見ると、3月末から4月にかけての発症が多い。 新しいことに取組んだり、環境が変わったり、 すごく忙しかったりすると、起きている。 なんのことはない、 注意力が散漫になったり、別のことに集中しすぎていたり、 左膝を拗ねさせているのだ。。。 金曜日の朝に比べたら、うんと角度も良くなってきているけど、 金曜日の午後で20度くらいだった。。。 まだ水平は出来ない。真っ直ぐには膝が伸びない。 痛いのと、怖いのと、どこかに半月板の引っ掛かりがあるのと・・・ 最長記録は40日で、40歳の春だった。 あの頃は、私は受験生の母親だったので、 家族にも内緒にしていた。 その上、ホームヘルパー2級の講座を申し込んでいて、 杖をつきながら、三宮とか大阪とか授業を受けに行っていたし、 実習の時は、リアル身体の不自由な人の役をやっていた。 思い出すわ・・・良く頑張った私!!! 今は、ほどほどでいい。 もうあのときからでも、14年も年を重ねたんだし。 96歳で大往生したおばあちゃんの形見の杖を使っている。 おばあちゃんの杖を自分用に伸ばして使っているんだけど、 昨日、ふと、その伸ばした部分の色が違うことに気付いた。 今まで、そんなことにも気付かなかった。 おばあちゃんの杖は、紫外線で変色するほど長い間、 おばあちゃんの華奢な小さな体を支えていたんだ。 大事にしなきゃいけないって思った。 おばあちゃん、ありがとう。。。ずっと一緒だよ。。。
2013年04月15日
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次々に色々なことが出来なくなってきてるんだけど、 たとえば、自分のブログは読めても、 日記の書き込みまでは出来ないことが多い。 今夜も何回かやってみて、やっと書き込める状態になった。 音は出ないし、機能的にも限界を超えているけど、 決定的にならないのは、私が究極の不精者だから。。。 設定をあれこれしなおすのが、億劫だから。 ハードディスクに入ってる画像とかの情報を、 吸い出す方法がわからないから。。。 ・・・ 面倒だし、どうしようもなくなるまで、 来年のXPの運命まで、このままかもって、思う。 実際には、携帯用のパソコンとか、 目の前の2005年秋モデル以外に4台もパソコンを使ってるから、 どうでもいいのかもしれないんだけど、 なんだか、吹っ切れない自分がいや。。。 今日のコンディションは、去年のあの怪我の日以来最悪で、 フィジカルも、メンタルもヘロヘロ。 昨日、この数年来最悪の出来事が職場で出来(しゅったい)して、 心が疲れて、トゲトゲしていた。 遅く帰ってからも、あれこれ調べ物をクライアントの為にしていた。 心痛と、心労と、肉体的疲労が重なって、 ずっと吐き気がしていた・・・ 寝る前に、いつもの量の2倍の導眠剤を飲んで寝たら、 今朝、相当ぼんやりしていて、 何も考えないで、左膝に重心を置いて体の向きを変えた。 「ボクッ」って鈍い音がして、久しぶりに半月板がロッキングした。 泣きっ面に蜂である。 なんて不注意なんだ。 仕事のストレスだけでも、MAXだったのに、 今朝は針が振り切れるほどすごいショックだった。 しばらく、整形外科に行ってなくて、月曜日くらいに行こうと そう思っていた矢先のロッキングだ。 後悔先に立たずで、自分の不注意に腹が立った。 靭帯を切ってから、ずっと、あれほど慎重にしていたのに、 全く、無意識に、普通の動作をしてしまった。 この数ヶ月間の苦労はなんだったんだ???って、 自分が普通の人のように動いてはいけない状態だと、 16歳から思い知らされてきたのに、 54歳にもなって、朝の一瞬で、最悪な状態に。 お陰で、今日は一日メンタル最悪だった。 左膝は勿論痛いし、ロッキングがあるから、使えない。 マイ・松葉杖を使って、屋内でも使って、 やっと移動しているのに・・・ なんで、私は仕事も休まずに普通に勤務してるんだろうって。。。 根源的な疑問がふつふつとわいてくる。 しがないサラリーマンだから、一度やめたら後が無い。 それが私の仕事を休まない理由なんだろう。 仕事に未練がある。 働き口を失いたくない。 でも、メンタルもフィジカルも最悪なのに、 普通に仕事をしてしまう私がそこに居る。 今日は父の誕生日で、迎えて81歳になった。 今夜の電話でも、明るい声でおめでとうを言えた。 膝の痛みも、病院でもらった湿布くらいでは良くなりもしない。 ただ、病院に行けたのは、良かった。 もう一つ、救いようの無い、でもわずかな救い。 明日の予定が、ジュリーのコンサートじゃなくて、 お芝居だったって言うことかなぁ。。。 どこまでも、おばかな私。 今夜9時過ぎて、実家からの電話も済んで、 二階に上がると、元夫君が彼の居室から出てきて、 この4ヶ月ほど、ずっと胃の調子が悪いんだと訴えてくる。 そういえば、あれほど嫌いなお粥を自分で作って食べてたこともあった。 夜中に痛いと言うなら十二指腸潰瘍かもしれない。 彼の24時間には、思いあたる原因が多すぎて、何がなんだか。。。 どうせ、言っても聞かないくせに、 心配ならもう少し日常を変えたらどうだ??? 自分の部屋で長い毛の大型犬を飼うのをやめて、 花粉症やアレルギーの原因を減らして、 ステロイド剤をやめて、 それから、色々な相談に乗るよ。。。と思った。 今の私は、自分の人生で手一杯だから。
2013年04月12日
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誕生日と前後して、 メル友が北海道に出来た。 72歳のおじ様・・・ 心身ともに元気で、溌剌。 メールの内容は、下の句カルタ。 新島八重が好んでしていたと言われる下の句カルタが、 今も北海道の木札のカルタとして彼の地に残っている。 会津藩からの朴の木でできた下の句カルタが、 北海道で、樺太で、大人の男性の遊びとして続けられ、 名誉だけでなく、賞品や賞金を目指しての本気の戦いを 150年近く継承してきているのだ。 子供も遊びから加われるルールだが、 文字は、見慣れた活字の平仮名ではない。 印刷してあるとは言え、変体仮名と漢字で書かれている。 普通の日本人にはなかなか読めない。 紙ではない、5~6ミリはある分厚い木のカルタだ。 文字は慣れれば読めるし、 印象的な書きかたのお陰で むしろ、絵画のように脳内で瞬時に処理される。 なんと言っても、北海道のカルタは、下の句を読んで下の句を取る。 誰にとっても、勝負は一瞬だ。 その一時代を築いた名人とお友達・・・になれた。 その方の紹介で、カルタ研究の第一人者の方ともお目にかかることができた。 私の、貴重なコレクションが、お役に立つときが、来たかも。。。 おんぼろアパートのカルタ置き場に、 わざわざ京都からと大阪からと3人で見に来られた。 北海道のメル友さんとは、秋に会いましょうといっている。 色々なカルタを数多く見てこられた先生は目利きで、 私の雑多な玉石混淆の紙カルタのコレクションもしっかりご覧下さって、 貴重なコメントもいただいたし、 何より長く疑問に覆っていた用字や用語、衣裳などの変化について、 いともたやすく親切に教えてくださった。 何歳になっても、人に物を教えてもらえるのは嬉しい。 2時間弱、写真を撮影などされて、帰京された。 昨日になって、メールが届いて、 私の「1押し・2押し・3押し」の3点を、手元に借りて見たいとの言葉、 どれも木札にしては薄い(現行の半分)手書きの 上句下句共に木札でできた2百枚近い大きな木箱入りと、 その4分の1サイズの雛カルタらしいもの。 さらには、木箱に漆で「下の句」と書かれたものなど、 この1点は、取り札のみのもの、を送った。 骨とうや品々の商品には欠けもある。イタミもある。 それは使われ続けた歴史を明かすものだ。 「死馬すら且之を買ふ 況や生ける馬をや。」 今までは、手当たり次第買って、 古品を勉強する時期だったとわかった。 最近やっと、「これだけは!」って思い切って買うようになった。 古い手垢のついた木切れや紙切れの百人一首に20万も30万も、 より古いものにはさらにその2倍近い金額を・・・ 色んなカルタで、職場での喜び、、ちょっと続けたい。 「逝き逝きて倒れ臥すともカルタ三昧」な心境。 職場は、人事の大嵐が吹き続けている。 一言で言うと、独断と専横の破滅的な人事で、 場当たり的過ぎて、しかもトップの思い込みで決まっているので、 最初から破綻している。 破綻しているのに、そのまま発表してそのまま行っている。 去年の始業時間の突然の変更もトップの独断だった。 一年やって、反省点を洗い出して、旧に復するのかと思ったら、 これが、変えない。。。 矛盾や無理が噴出してるのに、変えない。 矛盾も無理も、職場に居ることの少ない管理職には見えていないからである。 そしてそれを伝えるべき中間管理職がヒラメになっているからだ。 さらには、下部からの苦情を吸い上げるべきチーフが育っていない。 大局観が無い。 地球のこと、世界のこと、人類の未来のこと、 そんなことを微塵も考えていない人と仕事をしていると、 男って、つまらない哀しい生き物だと思う。 子供を生み育てる性ではないから、 本能的に子供の将来を守らなければと思えないのかもしれない。 女性の子殺しや虐待が言われるけど、 背景には妻子を捨てる無責任男がいることをもっと問題視して欲しい。 女は、子供を兵士にするために生むのではない。 女は、子供を飢え死にさせるために生むのではない。 女は、子供や孫が戦乱や大災害に死んでいくのを見たくない。 綻びが出て崩れる時は一気である。 1年、息を潜めて仕事をしておこう。。。 どうやら、あと1年限りの職場になりそうだから。 最大の努力で最小限度の仕事をしっかりやって1年を送ろう。
2013年04月03日
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