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このブログを立ち上げた9年前、私の長い夏休みがあった。 立ち上げたと思ったら、悪性腺腫で、入院手術だった。 あれは、8月の終わりの手術で、 私は入院先のガンの専門病院で、すごい大嵐の晩に、 ちょうど2面がガラス張りという部屋にいて、 手術の日の夜は最悪の環境だった。 もうすぐ9年になるなぁ・・・ その時は、まとめて休んで、いろいろな方面に迷惑をかけたが、40日間。。。 間に土曜も日曜もはさむから、正味は、30日。。。 今度は、休みを取るのは毎週木曜の夕方からで、 木曜日に2時間ほど、金曜と月曜は丸々休み、 火曜日は朝2時間休む。 実際のところ、木曜日の夕方から実家で過ごして、 木・金・土・日・月、実家に泊まる。 火曜の早朝に実家を出て、新幹線で戻って、すぐに出勤。 火曜・水曜・木曜と仕事。。。 私が、前回の自分の入院手術でわかったことは、 職場には、私の代わりなどいくらでも居るということで、 これは、すごく大事なことだ。 実家では、母の病院付添は妹に頼んで、 私は父の身の回りのことをするのだが、 娘が二人いても、なかなか両親の緊急時に対応することは難しい。 一人だったら、余計に大変だろう。 自分の時のことを考えると、憂鬱だ。 父は噴門部、母は幽門部、立派な胃がん家族だ。 今までは、毎年仕方なく受けていた胃部検診だけど、 これからは、心を入れ替えて、おいしくバリウムでも胃カメラでも飲もう。 とは言え、母の入院期間は、2週間から3週間ときわめて大雑把。 6月1・2・3と、帰省して、母の入院の準備をし、 実際に母が入院する4・5・6は、仕事で兵庫県。 6日の手術の晩には、実家に着くから、そのまま病院にも顔を出そうか。。。 あれこれ考えているうちに、もう、6月が目と鼻の先に来た。 6日の手術で、2週間なら20日、 3週間なら27日が退院の予定だ。 私の休みの予定は、25日火曜日の朝の2時間ほどで終わる。 それより延びたら、次はもう金曜日を休めないので、 行くのが28日金曜日の夜になる。 大したことがなく、順調に進みますように。 6月1日、私はいったん帰省するのだが、 その日は、母のお出かけの日で、入れ違い。 ガンが見つかっていなかったら、当面は健康だったのだから、 ガンというのは、変な病気だ。 暴れ始める前に手を打つことが、大事なのだと思った。
2013年05月30日
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この3月の終わりに、私は54歳の誕生日を迎えた。 でも、年度で言えば、55歳の年度なんだそうで、 それこそ、職場の検診とか、国の制度上とかは、 勝手に55歳扱いされている。 1週間違いだったら、学年も違ったので、 小さいころは、3月の末に生まれた悲哀をうんざりするくらい感じていた。 5月生まれの妹はそんなことは一切無かった。 さて、55歳というのは、私の死んだおじいちゃんが定年退職した年齢で、 年金制度が作られたころの日本人の男性の平均年齢くらいだった。 年金制度は、実は巧妙な徴税制度だったなぁと、 当時の支給開始年齢と平均年齢をみてみるとわかる。 そもそもの制度設計が、国民の老後のためでなく、 新しい税金制度だったんじゃないか??? そんな疑問も湧くほど、 当時の平均年齢は低かった。 だから、国民年金がOKだったんだと思う。 少ない掛け金だけど、そこそこもらえて、 しかも平均年齢から考えたら、死ぬまで働ける。 ところが、55歳で退職した私のおじいちゃんは、 その後、数えで米寿の年87歳まで生きたし、 その3号被保険者だった、おばあちゃんは96歳まで生きた。 もちろんおばあちゃんは払わずにもらったわけだから、 絶対制度は成り立たないわけだ。 父や母は、各自で払って、各自で受け取っている。 自分の努力で払っているから、受け取ることになんのためらいもない。 逆に言えば、自分では払っていない3号被保険者の分も、 制度上は分担していたことになっている。 逃げ水年金は、支給開始が55から60、そして65になった。 おじいちゃんが悠々自適で暮らした32年間は、 私の場合、スタートから出遅れだ。 63歳まで1円も出ない。 それまでに死んだら、自分にとっては無駄な費用負担。 まあ、私は、実家の両親への仕送りと思うことにしている。 税金2種類と、介護保険・健康保険と年金とで、 毎月給料から25%引かれている。 でも、一度もらったお金を払いに行くのと違って、 初任給からそのシステムの中で生きてきたから、 天引きには慣れている。 昨日の晩の電話で、父と、 死んだおじいちゃんが退職した年齢になることを話した。 母は22から59まで働き、 父は64歳まで働いた。 4月生まれの国家公務員だった父は、誕生日から翌年の3月末まで、 1年間分給料をもらって普通に働いていた。 何歳で辞めよう。 何歳まで続けよう。 それを考えると、もう本当に短い気がしてきた。 トルストイの「民話」の中に、 「人はどれくらいの土地が必要か」というのがあって、 「結局は、死んで埋められる土地だけが必要なのだ」と、 子供のころには、よくわからなかったけど、 今は痛切にわかる。 お金がいくらあっても、持っては死ねない。 大切なのは、今を一生懸命に良く生きることで、 それ以上でもそれ以下でもない。 どんな辛く苦しい人生も、 どんな豊かな楽しい人生も、 人としてのゴールは同じだ。 ならば、無駄・・・なのではなく、 だからこそ、今を切実に誠実にコツコツと生きることだろう。 そんな毎日の中で、胸痛む出来事や、物理的な痛みや苦しみ、 逃げ出したくなるような重い課題、 そういったものが無い一日は、嬉しい一日だ。 あるいは、そう言った課題をなんとか無事にこなし切れた日は、 とても嬉しい一日なんだ。 自分も、年をとったせいか、武者小路実篤みたいな心境になってきたぞ・・・
2013年05月24日
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胃がんって、言われたのは、 5月の9か10あたりだったかな。 胃カメラ飲んで見たら、3センチに育った腫瘍があって、 カメラの絵をみてる人が、まあ、癌だろうと思ったわけで。 たくさん見てる人だから、母もその時点でそうかなと。 生体検査もその場で一部とってやって、すぐに検査に回して、 その後は、次々に検査が入った。 その割には、13日の月曜日は、地域の老人会の集まりに出て、 一緒に食事とか温泉とかを楽しんでいる。 運よく、その日は、なんの検査もなかったのだ。 14・15は大腸への転移を調べる腸カメラ。 16は、バリウムを飲んでの局所的な胃の関節撮影。 もう、15にはかなり観念してたし、 16・17は程度の問題を調べていたようだ。 今日の外科の執刀医の説明を妹と母とが聞いて、 妹が、写メを送ってくれた。 癌の位置や、切り方つなぎ方など。 胃の下部の3分の2を切除して、リンパ節も取る。 幽門部は癌の場所が厳しくて取ることになった。 まあ、食道下部から全摘した父のことを思えば、 余裕。。。 父は本人が全く知らないうちに食道と小腸がつながって、 脾臓も膵臓も無い人になっていた。 最初の本人への説明が「噴門部の胃潰瘍が血管に近い場所にあって。」で、 まさか、胃が全部無くなっているとか、思わないよね。 父が手術後ものすごく体調を崩していたのは、ある意味当然だけど、 気力で持ち直して、パソコンを使えるようになり、 なんと52歳にして運転免許まで取得した。 父は、努力の人なのだ。 母は、父の胃がんからの生還を知っているから、 胃がんが致命的とは全く思っていない。 父は大手術の後、癌とは知らないままに、丸山ワクチンを打ち続けた。 母と我々が貧血の治療と偽って取り寄せたものだった。 同じ時期に胃の摘出手術をした父の同僚は、ガンと知っていての手術だった。 この人は闘病意欲も高い人だったが、 その後何年もせずに亡くなった。 父は、今でもその同僚のことを気の毒がって、 自分は運が良かったと言う・・・ 丸山ワクチンが効いたのだろうか。 父の癌は進行ガンで、拡大手術を要し、長時間の手術だった。 当初聞いたのよりも何時間も余分にかかっていた。 丸山ワクチンは10年ほど?いや、もう少し長く? とにかく母は、手術した病院にもらいに行き、 打ってくれる地元の病院に届けるのを続けていた。 私は、胃がんを切る母の気持ちを尊重するが、 切らない方が良いかもしれないが・・・とも思っている。 80歳になろうとする母にとって、 丸山ワクチンとか、温熱療法とか、無意味なんだろうか。 母は、健康に自信があるから、切ることを何とも思わないし、 病弱だったのに96歳まで生きた祖母のことを考えると、 母の寿命はまだまだ100歳超えなんて当たり前って感じだ。 取り敢えず、私は、仕事を調整することと、 京都大学から始まり、近畿大学に引き継がれているタヒボを 母に送ることにした。 ビタミンCと一緒に摂ると抗腫瘍効果が高まるとの研究がある。 できることは、なんでもやってみようとおもうのである。。。 手術は6月6日で、入院は4日。 でもって、6月1日は、母の大学の同窓会だそうで、 執刀医に、説明の後の質問で行ってもいいかと母は聞いたらしい。 当然、「全然問題ありません」の答え。 切るまでは、今までと変わらない健康体なんだから。 早く見つかって良かったってもんだわ。
2013年05月20日
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人間、いろいろなことが度胸をつけるものだと感心するが、 今日、話を聞いていると、母は、手術のことをまあ心配していない。 そりゃ、2年前には3か月も入院してたんだし。 あの時は大腿骨骨折で、 折れたところを取り出して、人工骨頭入れる大きな手術。 術後も、ずっとリハビリがあって入院していた。 遡ること20年、59歳の母は、最後の夏休みだったかに、 子宮筋腫と卵巣嚢腫とを取る手術をしている。 この時は、まだ、両祖父母も健在だった。 もっと若いころに、盲腸を取る手術をしているから、 メスを入れるのは今度で4回目。 全身麻酔に対する恐怖心もないし、 まだ体力的にも大丈夫だろう。 なんといっても、自分の歯が21本残っているから、 しっかり噛んで食べられているし。。。 心配なのは、むしろ、母の入院中の父のケアの方だ。 こちらの方を私が担当することになるように思う。 多忙な私の日常だが、木曜日の夜に仕事の後で帰省して、 金・土・日・月を過ごして、火曜日の朝に新幹線で出勤することになるだろう。 2週間くらいなら、できる話だ。 妹には母の方の病院を頼んで、自分は実家で父と過ごす。 明日の外科医の説明で、入院の日程も決まるだろう。 日頃休まない私だから、たまにはいいんじゃないか??? 私が休んだのは、思えば自分の入院手術のとき。 それ以外は、東京からだって夜行列車で帰って来て出勤するから。 明日の話次第だが、まあ、なんとかするだろう。 昨日はちょっと弱気だった母だが、 今日はだいぶ冷静だった。 昨夜の電話は36分にもおよび、 私は自分の脳に腫瘍ができるんじゃあないかと心配だったが、 今夜は16分で済んだ。。。 いくら家族間通話が無料でも、携帯電話での長電話は、脳に悪い。 私は本気で心配している・・・
2013年05月19日
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小さいパソコンで打つと、字はめちゃくちゃ小さい。 でも、「w」「h」「k」「z」などが反応しない機械で打つのは、 効率が悪くて・・・ ついつい、壊れた大きい機械でyumiさんとかのブログを見ていて、 そのままコメントを書こうとして、えらい苦労した。 どこまでも、おバカな私・・・ 「を」と「は」が打てないのは、本当に悲惨。。。 持って帰った別のパソコンを設定できないまま、 二晩ほど置きっぱなしだ。 実家の母が、胃カメラでガンが見つかって、 先週は、途中からてんてこ舞い・・・ 明日、治療の方針を聞くらしい。 検査漬けで、大変だったけど、最初に胃カメラ飲んで良かった。 間接撮影だと、一手間も二手間も、余分にかかるところだった。 胃カメラ飲んで、そのまま発見された組織を一部、生体検査。 もう、昨日、大腸のカメラも済み、腸などへの転移は無かったと聞いた。 心臓の方のお医者さんの勧めで受けた胃部検診だった。 明日の結果が待たれるが、父が、心配だ。。。 52歳で胃を切った父は、進行性の胃癌で、一気に3期まで進行していて、 脾臓もすい臓も無い。 リンパ節も取れるところは全部取ったと聞いている。 毎年、バリウム飲んでいたのにだ。 父の時は、食道の下部から全部摘出だった。 部位は、食道に近い胃の入り口で、逆流があり、術後が大変だった。 80歳になろうとしている母の部位は、今度は胃の出口付近。 私は、二人の先達をもったので、かなり、やばいかも。 かといって、乳腺のように予防的に切ることもできない場所だしな・・・ おいしくない胃カメラを、毎年飲むことにしようかなぁ・・・ 近くに住んでいる妹が、無職で、本当に良かった。。。 その上、姪が、教育実習で帰省しているところだったので、 人手がある。。。 とりあえず、明日の結果を聞いてから、どうするかを決めよう。
2013年05月16日
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もう一昨日になるが、名古屋に芝居ば観に行っとった。 ジュリーの「探偵・雨だれの挽歌」千秋楽。 土曜日なのに朝から仕事して、途中から休みとって、 名古屋に・・・・ タイトルに丁度の雨だった。 傘さして、会場さがしてたどり着いた。 前回の大阪で、地震の為に遅れたので、 最初の十分間観られていなかった。 ちゃんと間に合って、観られて、すごく嬉しい。 予想外に、D列なのに、前から2列目。 16番なのに、センター。。。 生声、生音、そこでの目の動く様子も分かる程。 この日に行くように、すごい無理して仕事した甲斐が十分あった。 夢のような、最高に恵まれたシートだった。 千秋楽ということで、カーテンコールも長く、 中央に立つジュリー、何度も何度も楽しめた。 で、帰って、ここに書こうとしたら、 壊(壊滅)れていた。。。 変換しないどころか、反応(一反・応)しないのだああああ!!! 画面もおかしくなって、最悪の状態になった。 今日ここまで打てるようになったのも、 すごい努力の結晶。(むすぶ・しょう) そもそも、バックスベースが使用でしない。 いくつかの子音がでない。 カ行ば、「かしくせこ」ちなると。 Cば使うて打ちよる。 あかさたなあまやらあがあだばあ いししちにいみいりいぎじぢびい うくすつぬうむゆるうぐうづぶう えせせてねえめえれえげえでべえ おこそとのおもよろおごおどぼお 取りあえず、こぴーして使うしかない。 yumiさんにアドヴァイスされて、外付HARDDISKとやらに データばうつしとったつがせめてもの幸い。 2005年秋冬モデルのダイナブック yumiさんのブログ、サクサク読みたくて買った。 このままだと、今日(こんにち)が、最後のこの愛用品での書込み。。。 A-B-C-D-E-F-G--I-J-K-L-M-N-O-P-Q-R-S-T-U-V-W-X-Y-Z ABCDE「F」G「H」IJ「K」「L」MN O「P」QRSTUV「W」XY「Z」 「」内の字が出ない。 助詞が出ないから、困る。 あa かka さsa たta なna はha まma やya らra わwa いi きki しshi ちchi にni ひhi みmi りri うu くku すsu つtsu ぬnu ふfu むmu ゆyu るru んn えe けke せse てte ねne へhe めme れre おo こko そso とto のno ほho もmo よyo ろro をo がga ざza だda ばba ぱpa ぎgi じji ぢji びbi ぴpi ぐgu ずzu づzu ぶbu ぷpu げge ぜze でde べbe ぺpe ごgo ぞzo どdo ぼbo ぽpo
2013年05月12日
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冷凍庫が、生ワカメの貯蔵庫になってしまうのは、 避けられないところであるが・・・ 毎日誠実に大量に、あたかも、ホウレン草を食べるかのように 生ワカメを消費する方法をここにメモしておこう。 生ワカメ自体は、健康的で、カロリーを気にしなくて良い食材だ。 でも、お汁に入れたり、酢の物にしたりでは、 主菜にならないので、毎日&大量にって言うのを実現できない。 そこで、まあ、一回分ずつそのまま小分けして冷凍してあるのだが、 もったいないことだ。 ここに私の、今回開発した食べ方を2つメモして、 同じ思いに苦しむ人を救おうと思う。 実は私は子供の頃、ワカメが嫌いだった。 母のせいだ。 母の作りたまひしワカメのお汁は、いつも、変色した茶色いワカメが、 恨めしそうに残っていたものだった。 食べる時に別にしておいて入れるという一手間が無かったからね。 その上、季節になって、大量に採ってくるワカメを、 母も、明らかにもてあましていた。 母の大量消費の定番は、ワカメの酢油炒め。 茶色く汚くなったワカメが、酸っぱい味付けって、 およそ子供が好きで食べるものではないだろう。 大量のワカメを美味しく食べるには、 1、大量のすりゴマの魔法の力を借りる。 2、胡麻油で炒めて香ばしくする。 3、脂身の少ないブタのひき肉と大量の小口葱を伴う。 などの豪華メインディッシュへの道筋がある。 1の大量のすりゴマは、加熱調理しないでもおいしく食べられるので、 一度加熱した大量のワカメを刻んでおいて、 そこに気前良く安いすりゴマ(国産)をまぶす勢いで投入し、 味付けにAめんつゆ Bゴマダレなどをそれぞれ選び、 仕上げにちょっとだけ、胡麻油を垂らす。 2の、加熱調理は上記の胡麻油を過熱に使うので、 ほかは変わらない。生ワカメで出来る。 3のブタひき肉は、先にこちらを炒めて余分な油を取ってしまい、 そこに生ワカメ・大量の葱、大量のすりゴマを入れて、 一気に混ぜちゃう。 味付けは、ゴマダレでも、めんつゆでもいいけど。 ころっと変わるので、入れすぎに注意だ。 豚ひき肉が入ると、幸福感が跳ね上がる。 普通の炒め物って感じになる。 ゴマとの相性が抜群だから、豚肉がおすすめ。 すりゴマと、鰹節とは、いろんな食材を普通っぽく食べるのに 欠かせない救世主で、使うときは、和え物のように大量。 まさにゴマカス・・・ですよ。
2013年05月09日
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私が子供の頃、四月はつくし摘み、 五月はワカメ採り、そして両月ともツワブキ採り。 ツクシは一両日中に漬けておいた水から出して、ハカマを取って、 だいたい採りに行くのが土曜日の放課後だったから、 そのまま土曜のお昼はツクシご飯で・・・。 ハカマをとった土筆を砂糖醤油で炒め、 フライパンに冷ご飯を入れて一緒にして味をつけ、 (当時は電子レンジは無かったから。) 土筆ご飯を食べたものである。 日曜日の晩御飯にも登場した土筆の炒めのは、 ハカマをせっせと取った私の努力の結晶であり、 妹は、なんとなくついてきている存在だった。 ツワブキの新芽採りも同様であった。 樺太帰りの祖父は、ツワブキの採取にも処理にも調理にも熱心だった。 しかし、私の母は、豊かな播州の自作農の出であったから、 土筆摘み、ツワブキ採りなど経験したことが無かった。 結果的に、取ってきたツワブキの処理は私の仕事だった。 私はこの時期、ずっと指先をアクで黒く染めながら、 自分で採取してきたものを自分で調理して食べる喜びに浸っていた。 (ツワブキをゆでて皮をむくのは、結構面倒だった。) さて、ワカメ採りはちょっと事情が違った。 ワカメは父が採ってくるもので、 私たちは拾ってくるものだった。 響きの海の玉藻刈り食む・・・の刈るという動作は 生えてるワカメを筒先に鎌をつけた竹の棒で刈るのであり、 我々の仕事は、大風の翌朝などに海にワカメを拾いに行くものだった。 自分で拾ってくるときに、これはワカメ、それはアラメ、 そのプチプチはホンダワラ、あっちのは、海松(ミル)で・・・ 地元の子供たちから教わって覚えていくのだった。 春の嵐の翌朝、海には色々なものが打ち上げられていた。 色んな魚介類の死骸やら、時には犬や海鳥の死骸もあった。 東シナ海を隔てていても、大陸や半島の生活ゴミはキリがなかったし、 国内のタンカーの垂れ流す廃油ボールは、コールタールとなって、 身の回りの海辺を汚していた。 今の日本が垂れ流す有形無形のごみもひどいが、 今から50年位前のひどさは比じゃなかった。 何も知らないで、中韓笑ってるのは、バカである。
2013年05月05日
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仕事の上のトラブルとしては、 最悪の不快感を覚えながらも善後策に奔走し、 トラブル初日を乗り切った。 上の判断の甘さもあって、苛立ちも感じたが、 自分の経験と、すでに2ヶ月以上も前からの根回しが生きて、 迷い無く、ぶれずに、ベストの対応ができた。 4月11日木曜日のことだった。 翌12日朝、薬のせいでぼんやりした不注意から、 左膝の半月板のロッキングが再発して、 4月12日以来、心身ともに絶不調で、 マイナス思考の塊に。。。 しかし、ジュリーのお芝居は13日だから、 淡路島の地震の影響の中、遅れてでも杖をついて行ったし。 こんな非常時は普段やらないことをやって、自分を起こそうと思って、 仕事も新企画を始めて、休日も返上で、頑張った。 11日からの懸案の進捗状況を気にしながら気が気でなかったが、 5月1日の日限を前に、 4月30日、クライアントから最終手続き完了の知らせをもらい、 その後5月1日に書類の不備の連絡があったものの、 2日、事後手続きは完了して、事態は収拾した。 職場の若い人に「座右の銘」ってなんですかって聞かれる。 私の「座右の銘」を聞いてくるのではなくて、 座右の銘ってどういうものですか? そんな締まらない質問に直面する日常だが、 私の座右の銘は、「攻撃は最大の防御」である。 と、言って、煙に巻くことにしている。 本当は何が座右の銘なのかというと、 「情けは人の為ならず」とか「死のうは一定」とか そんな感じかなぁ・・・ 若い人は、同じ質問でも、相手・状況によっては 答えを変えなきゃいけないことを理解していないことも多い。 みんなおバカで、甘ちゃんだから、答えを教えると、 考えずに覚えようとする。 攻撃は最大の防御 困難を前にしては正面突破あるのみ 情けは人の為ならず 誠心誠意できることをやっておこう。 一度生を受けて滅せぬ者の在るべきか 死のうは一定 さればより良く生きようぞ 私が32年間の社会人としての経験から得た言葉を、 10代の若者には、わかるはずも無いだろう。。。 膝は小康状態に入った。 今日は、ローテローゼにシュパーゲルを食べに行った。 行きも帰りも、杖をついて歩く私に、席を譲ってくれる人が居た。 ちょっと哀しく、そして嬉しかった。。。
2013年05月03日
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