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今日でいよいよ夏休みも終わり。行く夏を惜しむかのように、夜になって子供たちは花火に興じた。しかし夏休み最終日になると、とうに夏休みなどというものから縁の切れている私でさえ、何となくセンチメンタルな気持ちになってしまう。単なるノスタルジーなのか、それともいまだに頭の中が進化してないのか、そのあたりは定かではないが......。話はそれるが、「いつまでも少年の心を持ち続ける男」と言えば何となくカッコイイが、「精神年齢が子供並みに低い男」と言えば侮辱されているも同然だ。言い方が違うだけで、どちらもさほど変わらないような気もするのだが......。閑話休題。とにもかくにも明日からは2学期だ。家中が夏休みが終わるという倦怠感に包まれている中で、妻だけが嬉しそうにしている。そりゃそうだろう、明日からは昼間っからガミガミ言うことも無くなるからね。
2006年08月31日
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昨日のこと、夕方自転車でバッティングセンターに出かけた長男がなかなか帰ってこない。そうこうしているうちに彼から電話が掛かってきた。なんでも自転車が壊れたということだったので、とりあえず私がクルマで現場へ向かった。ざっと見たところチェーンが外れているのは分かったものの、いざチェーンをはめようとすると、車体自体がちょっとひん曲がっていて、チェーンも容易にはめられる状況でないことがすぐに分かった。自転車はいつの間にか倒れていたというムスコの話だったが、ただ倒れただけではここまでの力は掛かるはずは無い。おそらくどこかの自動車がバックする際にムスコの自転車を押し倒して行ったのではないか、そう思えるような壊れ方だが、今となってはその当事者を特定することなどまず不可能だ。とりあえず翌日自転車屋へ持ち込むこととして、その日は私のクルマに載せて帰った。そして今朝になって早速購入した自転車屋へ持ち込んで診てもらった所、状態は思ったよりひどく、修理してできないことはないものの、結局新品を購入するのと同じくらいかかるということを言われた。仕方が無い、彼も部活などでもよく使用するから、自転車無しというわけにはいかない。今年の2月に買ったばかりのまだ新しい自転車だったが、泣く泣く廃車にして新しいものを買い直すことにした。しかし考えてみれば、購入時に1年間のメーカー保障は付いているものの、メーカーサイドの原因による破損ではないのでメーカー保障なんて何の役にも立たないし、盗難保険にも入っているものの、盗まれたわけではないのでこれも使うことはできない。自転車を破損した者が誰かも分からないから、当然賠償請求のしようも無い。つまり自転車のトラブルにおいては最悪のパターンなわけだ(まあ人身のトラブルでないだけマシだが)。しかしそれならいっそのこと盗まれたほうがまだマシだったな、とは帰宅してからいみじくも妻と同時に発した台詞だった。
2006年08月30日
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先日福岡市の「海の中道大橋」で起きた自動車追突転落事故は、何とも目を覆うばかりの悲惨な事故だった。3人の幼児を一度に失ったご両親の心中、本当に察するに余りある。リカーマンとしては飲酒運転は絶対に許されるべきものではないと思う。しかし一向にこれが無くならないのは、社会全体にまだまだ飲酒運転を許容してしまう土壌があるのではないかと思わざるを得ない。確かに何年か前に道路交通法が改正され、飲酒・酒気帯び運転に対する罰則が強化されたとき、飲食業やそれに関係する業界(つまりわれわれ酒販業界も含まれる)では、一斉にこれに対して異議を唱えた(声には出さなかったけど)。つまりこの法改正が業界にとって、死活問題になりかねないからだ。ただそこには、「ちょっとぐらいなら飲んだっていいじゃないか」という、一種の「甘え」が有ったことも否定できない。しかし今回の事件では、正にその「甘え」が災いを生んだと言ってもいいだろう。本人はもとより、同乗者も居たそうだが、本来ならその同乗者が運転を辞めるように促すべきだった。同乗者にも運転者と同じぐらい重い罰則があって然るべきだろう。もはや飲酒運転は、本人の自覚は当然としても、それにプラスして周りの人間の戒めがきちんと機能しないと、歯止めが効かない状態になっていると心得るべきだろう。とにかくリカーマンとしては、これ以上「酒」を悪者にするようなことはして欲しくないと思う。
2006年08月29日
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昨日『養老天命反転地』に行った後、大垣市まで足を伸ばして、これも以前からぜひ食べてみたいと思っていた大垣名物「水まんじゅう」を求めて、『金蝶園総本家』を訪れた。「水まんじゅう」とはいわゆる「くずまんじゅう」と同じようなものだが、その売り方がまたなかなか面白い。出来上がった水まんじゅうはお酒を飲むときに使うぐい呑み大の大きさの猪口に入っており、それが水に浸かったまま店頭に置かれている。それが売られるときは猪口から取り出してパックに詰められるのだが、そのままではなかなか猪口から取り出すのは難しく、まんじゅうと猪口の間にわずかな隙間を開け、そこに流水を当ててその力でプリッと取り出すのだ。その様が実に手際よく、なおかつなかなか涼しげで、なるほどこの土地の夏の名物としてその名が知られているのにも納得がいく。帰宅して夕食後に早速食べてみたが、個人的にはくずの舌触りがもう少しツルンとしていた方が好みだが、中の餡も上品な甘さでなかなか美味しくつくられている。大垣まで行った甲斐があった。
2006年08月28日
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今日はムスメふたりを伴って、以前から一度行ってみたいと思っていた『養老天命反転地』に行ってきた。これは岐阜県の養老公園の中にある施設で、一応「テーマパーク」というふれこみではあるが、まあそれほどたいそうなものではない。ひとことで言えば現代芸術風のオブジェ(と言っていいかどうか分からないが)の数々を養老山地の懐の緑豊かなひとつの空間の中に配置し、その中をくぐったり登ったりしながら、体を使ってそれらを体感していくというものだ。とにかくこの空間の中には、平らな場所というものが無い。だから小さい子供などはちょっと連れて行けないところだ。事実私も以前から行きたいと思っていたが、末娘が小さいうちはダメだろうと思って先延ばししていたのだ。とにかくアップダウンも激しく、運動量はフィールドアスレチック並みだ。ただそれぞれのオブジェ(=造形物)自体は思ったよりもショボく、その製作者の芸術性というものが理解できないと今ひとつ面白くないかもしれない。入場料も意外と高く(大人1人・子供2人で1,310円)、残念ながら期待していたほどの所ではなかったと言わざるを得ない。
2006年08月27日
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今日から「ボージョレ・ヌーヴォー」の受注活動を始めた。他にも仕入れ筋からは、清酒の「ひやおろし」や焼酎の「新酒」などの秋の商材の案内が集まり始めている。そういえばキリン『秋味』も発売されたし、まだまだ暑いと思っていても、季節は確実に秋に向かっていることを実感させる。早いもんだなー。
2006年08月26日
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とうとうと言うかやっぱりと言うか、セ・リーグでも来期からPSG(ポスト・シーズン・ゲーム)を開催することが決まってしまった。PSGの目先の収入に目がくらんで、シーズンゲームの勝敗の価値を著しく下落させる愚行だ。こんな小手先の手段で野球人気が復活するのなら、何も苦労はいらない。私も今までさんざんこのブログ上で反対してきたが、こういった主張がリーグのおエラがたの耳に届かないことが何とももどかしい。(参考:05年9月26日、05年10月17日、05年10月26日、06年3月10日)話はちょっと関係ない方向にそれるが、ある都市の中心部に古くから続く商店街がある。以前は相当な賑わいを見せていたその商店街も、中心市街地の空洞化に伴って買い物客が郊外のショッピングセンターにどんどんと流れ出し、商店街は次第に活気を失っていった。危機感を抱いた商店街組合では対策を協議した。まずなぜお客が来ないのか、その原因について話し合った。その結果、「ここはクルマで来れないから」だという結論に達した。ということは、駐車場を完備すればショッピングセンターに流れたお客を呼び戻すことが出来る、そう思った商店街では、商店街に添って走る道路の地下に大規模な駐車場を造った。その結果は.........、商店街の目論見は見事に外れた。大金を投じて造った地下駐車場は閑古鳥が鳴き、商店街では新たに閉店する店も増え、いわゆる「シャッター通り」となりつつある。要は商店街にお客が離れていったことについては様々な理由があったにもかかわらず、それをすべて「駐車場が無いから」という短絡的な理由にすり替えたために、結果的に本来各商店がやらなければならないこと(例えば顧客サービスとか品揃えの工夫とか)から目をそむけてしまったのだ。ちょっと例えが変だったかもしれない。ただプロ野球界が「シャッター通り」にならないことを切に願うばかりである。
2006年08月25日
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子供たちはただ今、夏休みの宿題の追い込みの真っ最中だ。中1の長男は現在、読書感想文に頭を抱えている。本はスラスラと読んだのだが、さあ何から書いていいか分からないようだ。思えば確かに私もそうだったかもしれない。今だったら時折このブログにも書いてるように、読後の感想や、あるいは映画やCDの感想まで何でも思いつくままいくらでも書ける気がするのだが、自分が子供だった頃は確かに、大人になってこんなに感想文が書けるようになってるということ自体、思いもよらなかった。ところで長男が感想文に取り掛かっているところをちょっと覗いてみると、「指南本」のようなものに沿ってやっている。どうも何かの教材本の付録か何かのようだ。巧く説明はできないけれど、読書感想文を書くためのノウハウが手取り足取り解説されていて、それに自分の思ったことを単純に当てはめるだけで文章が作れる、というシロモノのようだ。なるほどこれなら私たちの頃に比べれば、確かにラクに書けるかもしれない。しかし私としてはちょっと不満、というか、危ういものを感じた。まずひとつには、こういうノウハウ本に沿って書いていくと、題材こそ違えど結局みんな同じような、紋切り型の文章になってしまわないか、ということがある。そしてもうひとつ肝心なことは、文章を書く上で「考える」力が付かないのではないか、ということだ。根本的には、「文章力」というのは数多くの文章を書くことでしか付かない、というのが私の持論だ。ところが妻に聞いたところによると、今の小学校では、文章を書かせる機会が極めて少ないというのだ。私たちが小学生の頃は、読書感想文のほかにも、何か行事があるとそのたびに作文を書かされたものだ。これもひとえに「ゆとり教育」の弊害なんだろうか?片や小学校のうちから英語を必修にさせようという動きもあるようだが、とんでもない。まともな日本語の文章を書けるようにさせるほうがずっと重要だ。
2006年08月24日
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テレビやラジオで野球の実況中継を聞いていると、ちょっと気になることがある。足の速い選手のことを指して、よく「足がある」という言い回しをすることだ。「このバッターは足がありますから、フォアボールで出塁すれば二塁打と同じことですね」とか、「2塁ランナーは足がありますから、シングルヒットが出れば間違いなく1点入ります」という具合だ。アナウンサーだけでなく、私たちもごく普通に使っている。普段何の気なしに使う表現だが、考えてみれば「足がある」という言い方は、その反対として「足が無い」という状態も連想されるわけだ。まあ鈍足の選手を指して「足が無い」などとは言わないだろうから、直接的には影響は無いのかもしれないが、下肢の不自由な方が「足がある」という言葉を聞いて、不快な思いをしたりすることは無いだろうか。なにも「足が速い」とストレートに言えば済むことだから、「足がある」と言わなきゃならない必然性はまったく無い。それならちょっと想像力を働かせてみた方が良くはないだろうか?それとも私の考え過ぎ.....?
2006年08月23日
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最近、一番下のムスメ(小2)が机に向かって何やら一生懸命に書いていた。てっきり夏休みの宿題に没頭しているのかと思ったのも束の間、そうではなかった。「ハイ、お父さん、数独の問題作ったからやってみてね!」なんとムスメは数独の問題を作っていたのだ。他の兄弟はそうでもないのだが、こいつは私が時々数独をやるときに一緒になってやらせていたこともあって、何となく興味を持っているみたいだ。ごくごく初歩的な問題なら、ある程度まではひとりで解くこともできるくらいだ。ただだからといって、こんな小娘がまともに数独の問題など作れるはずが無い。大人でも作れるかどうか疑問だ。おおかたマスを作って、そこに何も考えずに適当に数字を散りばめただけだというのがミエミエだ。「どれどれ、やってみようか」と、一応取り組む振りをしてざっと眺めてみた。案の定、ざっと眺めただけで問題になってないのが分かる。早々に、つじつまが合わないところがいくつか見つかったからだ。しかしだからと言って、「これ全然問題になってないぞー」と突っ返すのも、一生懸命作っていた彼女の後ろ姿を思い出すと、ちょっと忍びない。そこで数分間、一生懸命考える振りをした後、「いやー、よくこんな難しい問題作れたねー」と持ち上げておいて、「うーん、この問題難しすぎてお父さんには全然分からないわ(^_^;) また後で答え教えてくれる?」と逃げた。まあしかし、自分で問題を作ってみようという前向きな姿勢だけは買った。数独の問題を作る、か........。私も一度やってみようと思わないでもなかったが、とても難しそうに思えて、ついぞ今までチャレンジしたことはなかった。大人でもなかなか思いつかないことをやろうとするのだから、そういう意味ではムスメのチャレンジ精神には頭が下がる(でもとりあえずは「宿題を先にやれ!」と言っておいたが)。どれ、一度やってみようかな、ということで、私もEXCELを開いてあれやこれややり始めてみた。とりあえず各列の9つのマスの数字の和が45になるように計算式を置いて、いろいろと中の数字をいじくってみたら、答えとなるべき9×9の表は結構単純にできることが判明。あとは問題としての体裁を整えるべく、適当に数字を抜いていけば完成だ。本物の数独の問題がこのように作られているとは思えないが、このパターンでやれば問題はいくらでもできるなー。などといい気になって、自分の作った問題を一度解いてみようと思ってやり始めたところ.............あれっ!?こりゃだめだ!ある2つのマスで2種類の数字が確定できない、という現象が起こっている。数字を抜くのが「適当」ではまずかったようだ。おそらく数字を抜くのにも「コツ」のようなものが有るのだろう。とりあえずは一度作った問題を自分で試してみて、不都合があればちょっと手直しをする、ということにしないといけない。まだまだ問題作成者のレベルにはほど遠そうだ。
2006年08月22日
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昨日の風呂上りのこと、風呂から上がったら飲みたいと思っていたワインがあった。ところが風呂から上がった私は、その足で冷蔵庫へ直行し、その中で冷えていた缶チューハイに反射的に手を出し、一気に飲み干してしまったのだった。風呂に入る前に、飲もうと思っていたワインのことなど、すっかり頭から離れていたのだ。この缶チューハイはたまたま店で長いこと売れ残っていた商品を引き上げて、何の気無しに自宅の冷蔵庫に入れておいたもので、私自身は普段、缶チューハイなど滅多に飲まない方だ。そんな私が、せっかく飲もうと思っていたワインを差し置いて、缶チューハイを手にしてしまうくらいだから、風呂上り直後の人間の嗜好というものは、かなり平常からかけ離れたものとなるのだろう。そういえば私の好みではないビールの筆頭である、ア●ヒのスーパー●ライなんかを飲みたくなるのも、こういうシチュエーションだ。あとは例えば、炎天下で長時間居るときとか、スポーツした後とか、そういうときにも当てはまるかな。逆に食事と一緒に味わいたいとき、あるいは寝しなにまったりと味わいたいときなどは、もっとコクのあるビールのほうがいい。要するに同じビールを飲むのでも、その状況や環境の違いで味わいも変わってくるだろうし、逆に言えばTPOに応じて違ったタイプのビールを使い分けることがあってもいいと思う。ところが今の日本では、そうするだけの柔軟性を持ち合わせている人は少ないような気がする。よく人が何人か集まれば、「あれのほうが旨い!」「イヤこっちの方だ!」といったビール談義に花が咲くのを耳にすることがあるが、自分の好きなブランドをとことん愛するのも大いに結構、だけどせっかくこれだけさまざまな味が巷に溢れているのだから、ひとつのブランドに凝り固まるのじゃなく、TPOに応じて使い分ける楽しみもあっていいんじゃないかな。
2006年08月21日
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早稲田実業のエース・斉藤君は、端正な顔立ちに加えピンチにも決して表情を変えない、クールさが魅力の選手だ。顔の汗を、高校球児にしては珍しくハンカチで拭うその仕草も、今やトレードマークのようになっている。ちょっといかつい雰囲気の駒大苫小牧のエース・田中君とは好対照だ。これはまだまだこれからも人気が上昇しそうだな。学年は違うが、なんだか同じ早稲田実業の先輩・荒木大輔氏とイメージがダブってくる。荒木氏は決勝戦で力尽き、敗戦投手になったことで、その「悲運ぶり」がかえって人気に拍車をかけた。じゃあ斉藤君も同じように今日負ける運命だったか、というと、それはまた全然別の話。結果的に今日の決勝戦は延長15回引き分けで、明日再試合ということになった。となるとこれは荒木大輔氏というよりは、もっと遡って三沢高校の「悲運の」エース・太田幸司投手にイメージが近くなる。駒大苫小牧がここまで田中君以外の投手を結構投げさせているのに対し、早稲田実業はほとんど斉藤君が投げているという点でも、太田氏と共通するところがある。やっぱりああいう顔立ちは何だか「悲運」という言葉がイメージ的にピッタリはまってしまうのかなー。しかしこんなこと書いていると、何だか明日の再試合は太田氏さながらに斉藤君が打ち込まれてしまいそうで縁起が悪いから、これ以上はやめておこう。いずれにせよ見ごたえのある、いい試合を期待したいと思う。しかしついでながら言わせてもらうと、もうこの回を抑えれば少なくとも今日の段階での負けは無くなる、という15回の表、2アウトから斉藤君が相手チームの4番バッターに投げた渾身のストレート、いずれも140キロ代後半をマークしていたがあれは圧巻だった。ただそれでも彼は全然表情が変わらないんだよな。
2006年08月20日
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夏の高校野球もいよいよ佳境に入ってきて、とうとう明日が決勝戦。駒大苫小牧の3連覇の可能性が濃厚になってきた。ただ私の家族たちは早稲田実業に勝ってほしいと思っている。いわゆる「判官びいき」なのだろう、駒大苫小牧の関係者の方には申し訳ないのだが、圧倒的に強いところが順当に勝ち上がっていくのを好まない。事実私自身もプロ野球で言えば巨人はあまり好きではないし(今年は.......だが)、大相撲でも横綱が優勝するのはあまり面白いと思わない。そういうわけでどうしても心情的には早稲田実業を応援したくなるのだが、でも考え方を変えれば、ここまで圧倒的に強いのなら行ける所まで行っちゃえ、というふうにも思ったりする。永い高校野球の歴史の中でも、3連覇はおろか、2連覇だってそう滅多にあるものじゃない。私もここ何年か、少年野球の様子をつぶさに見てきて思ったのだが、毎年選手が入れ替わる学生野球においては、たとえいい選手を集められたとしても、毎年強いチームを作るということは並大抵のことではないのだ。だから今後、このように3連覇などできるチームが出てくるとはとても思えないのだ。事実この70数年のあいだ、全く無かったわけだからね。そうするとここで私たちが駒大苫小牧の3連覇を見ることができれば、私たちはある意味「歴史の生き証人」となることができる。少々大げさな言い方ではあるが、それはそれで貴重な体験になるのではないかと思うのだ。
2006年08月19日
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「腹ふくれれば、眼の皮たるむ」とは、まったくよく言ったものだ。現在勤務シフトの関係上、私の夕食タイムは午後9時台だ。もちろん妻や子供たちはそれよりももっと前に夕食を済ませているので、必然的に私の夕食は彼らが食べた後になるのだが、“心優しい”妻は自分や子供たちの残りも全部私の食卓に出してくるので、私の食卓に出てくる量は時としてハンパではないことが多い。逆に残り物が少なくて私の適量に満たないようなときには、またしても“心優しい”妻はプラスアルファのおかず(たいてい手抜きでパパッとできるものだ)を用意してくれるので、どちらにしても量的には結構多くなってしまうのだ。そういうわけで午後10時以降は、私はいつも満腹に膨れたお腹をさすりながらの店番となってしまう。ところが最近、これが非常に辛い。体中の力が食べた物の消化に回るので、その分頭の方は手薄になり、仕事をしようと思っていてもこの上ない眠気が襲ってくるのだ。そういうわけでこの2時間は時として、全く仕事にならないことが往々にしてある。かといって店番のシフトはそう簡単にいじれないし、私が今より早く夕食を摂ることも不可能だ。とりあえずは私の食い分を「腹八分目」にしておいてもらうこととしよう。
2006年08月18日
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今我が家では『百人一首』がちょっとしたブームになっている。実は以前妻が書店で見かけた、こんな本を購入してきたのがキッカケだ。私も書店で平積みになっているのを見かけたことがある。『百人一首』だけでも複数の出版社から刊行されているし、他には『徒然草』や『奥の細道』のものもある。どうやらもともとターゲットはもっと上の年齢層を想定されていたと思われるが、私の妻はまんまとそれに乗ってしまったということだ。しかしそれだけではない。妻が家でこの本を開いて何やらもごもごやっていると、夏休みでヒマを持て余している2人のムスメが早速興味を示してきた。もともと彼女らも「坊主めくり」という手段ではあるが、一応『百人一首』にはそれなりに触れてきているから(以前の日記を参照されたし)、違和感無くスンナリと受け入れることができたようで、この夏休みを利用して何首か憶えようという気になっているようだ。もちろん歌の意味などはまったくと言っていいほどチンプンカンプンなのだが、それでも声に出して読んでいるだけで、いくらかはスラスラ頭に入って行っているようだから、子供の記憶力には本当に恐れ入る。そういえばNHK教育テレビでも、いにしえの日本語の名作を子供に聴かせる番組があったなー。あれなんかでも意味など二の次だっただろうから、情操教育として同じような効果があるのかもしれないな。ところでもうひとりの長男はといえば、彼はこういうのにはあまり興味は無いらしく、真面目に声に出して読んでいるムスメたちの脇で、ひたすら茶々を入れて遊んでいる。天智天皇の「秋の田の かりほの庵の 苫をあらみ .....」という歌をパロディ化して、「秋の田の カリフォルニアの 米はマズい .....」などとふざけている。ところでこの日記をアップしようと思っていたところで、たまたまYAHOOニュースにこのようなタイムリーな記事を見つけた。そうか、やっぱり若い人にもブームは波及していたんだ。文字をキーボードで打ってばかりの世代でも、このように文字を「書く」ことに対する渇望感があるというのは、日本人としてのDNAの成せる業なのかも知れないな。
2006年08月17日
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私自身、決してパソコンや周辺機器に関しては詳しい方ではないが、だからといって素人同然というわけでもないと思っている。しかし私が2年ほど前に購入したデジカメにまつわる大きな勘違いは、全く以って恥ずかしいものだ。今回お盆休みにデジカメを持っていくに当って、メモリーカード1枚ではとても容量が足りないと思った私は、休み前にとある家電量販店に買いに走った。私のデジカメは、最も高画質のモードにした場合、撮影できる枚数が10数枚ぐらいしかなく、かねがねこれでは少なすぎるなー、と思っていたものだ。とりあえずどうせ買うならもうちょっと容量の多いものの方がいいなー、でも値段がどれ位するのか見当もつかないから、あまり容量の多いものはちょっと買えないかも、などといろいろ考えながら、メモリーカードのコーナーの前に立った。現在私のデジカメに入っているカードが「16メガ」だが、その程度の容量でどうだろう、3,000円位はするのかな、と思いながら並んでいるカードを眺めていると.......、あれ「16メガ」なんてどこにも置いていない、一番少ないのでも「128メガ」だ。しかも3,000円も出せば、「256メガ」のものまで買うことができるのだ。事ここに至って私は初めて、デジカメを購入した際に中に入っていた「16メガ」のメモリーカードが、単なる付属品のごくごく容量の小さいものだったということを知った。しかも始末の悪いことに、それがそのデジカメの基本スペックだと勘違いをしていたのだ。というのも、少々言い訳がましくなるが、わたしはパソコンショップや家電量販店などに行っても、こういった記憶媒体などのコーナーなど全く足を向けたことが無かったし、興味も全く持っていなかったため、現在使われている記憶媒体の容量や価格の相場など、そういった諸々の事について全く無知だったからなのだ。そういったこともあって、今まで私は、ちょっとデジカメで画像を多く撮りたい時など、既にメモリーカードの中に入っている画像をいちいちこまめにパソコンに移し、カメラの中の容量スペースを空けてから撮影に臨む、という面倒くさいことをやっていたのだ。何だかそういう行為が今となっては非常にアホらしく感じてきた。正に「無知は罪」だ。結局今までのカードの16倍の容量の「256メガ」のものを購入したのだが、そのカードをカメラに装填し、その後表示される「撮影可能枚数」の表示を目の当たりにして、その枚数の多さに腰を抜かさんばかりに驚いたのは言うまでも無い。
2006年08月16日
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日曜日から妻の実家に帰省していて、今帰ってきたばかりだ。にもかかわらず早速閉店まで店番をしている私は、つくづく貧乏性だなー、と思う。まあでもこの3日間、滅多に取れない連休を満喫させてもらったからいいだろう。13日は未明からクルマを走らせ(12日の日記を参照)、昼過ぎに妻の実家に到着。しばらく休んだあと長男にせがまれて、横浜スタジアムに野球観戦に出掛けた(長女も付いてきた)。別にベイスターズファンというわけではなく(ちなみに私は中日、長男は千葉ロッテだ)、いずれ12球団のフランチャイズすべてで観戦するのが目標という、長男のたっての希望で、実家から1時間半ほどかかる横浜スタジアムまでわざわざ足を運んだ次第だ。カードはヤクルト戦だったが、特に見るべきものの無い、あまり面白くない試合だった。しかし内野席にもかかわらず、私たちが陣取ったポジションのすぐ後ろでも、太鼓とトランペットを持ち込んで、クソやかましい応援をしている輩が居たのには閉口した。あまりうるさいので文句を言ってやりたかったのだが、まわり(もちろんベイスターズファン)もみんな一緒になって手を叩いたりしているので、さすがに小心者の私は何も言えなかった。14日は九十九里浜へ海水浴に出掛けた。実はウチの子供たちにとって、海で泳ぐのは初めてのことなのだ。厳密に言えば長男がまだ小さい頃、一度だけ近くの海へ連れて行ったことがあるのだが、本人の記憶に全く残っていないので実質初めてだ。末娘などは最初怖がるかな、とも思ったが何のことは無い、8月も半ばになってちょっと高くなってきている波に向かって、物怖じもせず突進していくのには恐れ入った。しかしここは外洋で波も荒かったから、「泳ぐ」などという行為とは程遠く、専ら「波と戯れる」という程度でしかなかったが、内海でもっと波が穏やかなところだったら、もうちょっとじっくり泳げたかもしれないな。そして今日15日は、四谷にある亡き義父の墓参りを済ませて、クルマで帰ってきた。さあ、明日からは子供たちも私もサッサと日常モードに戻らなければ。
2006年08月15日
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明日からいよいよ私の夏休みだ。すでに関東にある妻の実家に帰省中の家族に合流するべく、今晩(正確には明日未明)ここを発って、東名高速を東に向けてクルマを走らせることになっている。午前0時まで店を開けているので、閉店後なんだかんだと用意をしたりしたあと、だいたい午前2時ごろに出発するのがこのところのパターンだ。何だそれならそんなに無理をしなくても、一晩寝てから朝早めに出ればいいじゃないか、と思われそうだが、朝の早起きは私の最も苦手とするところだし、あまり出発するのが遅くなると、東名上りの渋滞(もうUターンラッシュが始まる頃なのだ)に引っかかってしまうのだ。ただし夜通し走りっ放しでは、さすがに私もキツイ。しかしそんなときに頼りになる味方があるのだ。東名高速上りの「足柄SA」には仮眠室があって、ここでは朝の10時までは眠ることができるのである。ウチを2時に出て順調に走れば、足柄SAに到着するのはだいたい5時半から6時くらいだから、そこで4時間ちょっとは眠れる計算だ。足柄を朝10時に出れば、それから先渋滞に引っかかるようなことはまず無く、妻の実家には昼過ぎに着くことができる。このような芸当ができるのも、ひとえに「足柄SA」のおかげなのだ。
2006年08月12日
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以前の日記で、うちのムスメたちがこの4月に金魚すくいで2匹の金魚をゲットしたことを書いた。名前は『サン』と『カネコ』、2匹合わせて『金子さん』と呼ばれている。その日記の文末で私は、その『金子さん』の兄弟にするべく夏祭りで新しい金魚をゲットするまで、この2匹が生きているだろうか、というようなことを書いている。ところがどっこい、私の心配などどこ吹く風、とでもいうように、4ヶ月経った現在でも2匹ともピンピンしている。そして先日の夏祭り、ようやく『金子さん』の兄弟を増やすことができる、と兄弟3人勢い込んで金魚すくいに出掛けた。そしてその成果は、長男2匹、長女2匹、そして末娘は3匹、合計7匹で、金魚の水槽の中は一気に9匹の大所帯となった。ただこういうところにも自然の摂理というか、自然淘汰の論理でも働いているのだろうか、あるいは先住者である『金子さん』にビビったのか、その日のうちに4匹が死んでしまった。特に末娘の取ってきた3匹は、末娘がそれぞれの名前をあーでもないこーでもないとあれこれ考えて、ようやく決まったときには全部死んでいたのだから、ちょっとかわいそうだった。「どうして私のばっかり死んじゃったのかなー」と落ち込む末娘に、「そりゃ、あんたごときに捕まるような金魚だったんだから、もともと相当弱っていたんじゃない」と妻が冗談半分で突っ込むと、「あ、そうか、なるほどね」と妙に納得していた(?)。そしてその後も新参者たちは次々とぶっ倒れ、今日まで残ったのはたったの1匹となってしまった。しかし「ボビー」と名付けられた(由来は知らないが)この最後の1匹も、今朝とうとう息絶えてしまった。しかし『金子さん』が今日まで元気にスクスクと成長していることを考えると、この落差は一体何なんだろうと思えてならない。ひとつの仮説として、金魚の仕入れ業者により質がかなり異なるのではないか、ということがいえるかもしれない。このあたりで金魚すくいをするといえば、ほとんどの人が金魚を調達しに行くのは、愛知県の弥冨市という所だ。ここは古くから金魚の町として知られているが、そこに存在する数多の業者の中には、おそらくいい加減な業者もあるのかもしれない。そういうところから買うと金魚も弱々しいのしかなかったりするのかもしれないが、そういうのを判別する「目利き」のような人が居なければ素人では何ともしようがないし、われわれ消費者(?)もどこですくうかなどという選択などできやしないから、結局これはもう運を天に任せるしかないってことだ。
2006年08月11日
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昨日からウチの店で、ラムネを売り始めた。それだけなら別にどうってことの無い話なのだが、ただ売るのではなく、ここで飲んでいってもらうための販売だ。だから冷蔵庫に陳列するのではなく、以前閉店した飲食店から引き上げてきた水冷ストッカーを引っ張り出してきて、それを使って店頭で冷やして売るのだ。この方がずっと雰囲気が出るからね。ただ80円という設定だから、大して商売にはならないが。私も経験あるが、この時期はちょっと外を歩いただけでもスグに参ってしまう。1日の間に何度も冷たいものを飲みたくなるが、缶飲料では毎回120円ずつの出費はちょっときついし、かといってペットボトルを買って持ち歩いていると、飲み切らないうちにぬるくなってしまう。こういうときに安価でちょこっと口にできるものがあればいいな、と私自身思ったものだ。そういうときのオアシスのような存在になれれば、という気持ちがある。それと同時に、集客と店内滞留の促進という目的もあるが、まあそれは二の次としよう。まずはお客に楽しんでもらうこと、ここから始めないと。
2006年08月10日
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昨日は中小企業家同友会の例会で、愛知県のとある食品スーパーの専務さんのお話を聞かせていただいた。いろいろと得るものの多いお話だったが、中でも「 『売り場』とは、お客にとっての『買い場』 」という言葉が最も印象に残った。要は「お客の目線で売り場をチェックせよ」、「店側の都合をお客の都合に優先させるな」などというのと同じことで、そしてそれらは今までに読んだ本や聴いた講演の中で何度も耳にしてきたことのはずだ。しかし『買い場』という初めて聴くたった3文字の言葉には、それらをかる~く飛び越えてズシンと響くインパクトがあった。目からウロコが落ちる思いだった。はたしてウチの店は、お客の『買い場』として魅力ある場所になっているのだろうか?今一度その視点でチェックしなくては。
2006年08月09日
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先日の夏祭りで生ビールを販売していて、ちょっと気が付いたことがあった。そうたくさんというわけではないが何人かのお客が、「生中ください!」、「生中2つね!」などと言ってくるのだ。「生中??」無論われわれは単一の大きさの紙コップで売っていたので、「大」も「中」も「小」もない。まあ普段居酒屋などで言っているのが口癖になって、思わず飛び出したのだろう。ただここでふっと思ったことは、『生中』という言葉に象徴されるように、いまどきの生ビールは「中ジョッキ」がメインになっているということだ。まあ私も業界の人間の端くれとして気付いてはいたが、昔私が個人的によく飲みに行っていた時期は(今は仕事が遅いのであまり飲みに行けない)、「大ジョッキ」が主流だったような気がしていたので、どうしても私自身そのときの感覚が残っているようだ。もうひとつ思ったことは、「生ビール」とは言わずに「生中」と言ってしまうことだ。つまりそれだけ業務用でも「発泡酒の“生”」が広まってきているということに他ならないだろう。「発泡酒の“生”」を扱っていても良心的な店なら、メニューにちゃんとその銘柄を載せているが、中には銘柄を載せずに『生中 ○○○円』としか書かず、あたかも「生ビール」を売ってるような振りをしてちゃっかり「発泡酒」を出している店も有るやに聞く。(瓶で出すわけじゃないから)どこにも書いてないし、どうせ分かりっこないだろう、という魂胆がミエミエで、とても良心的とはいえない。そもそもは「発泡酒」や「第3のビール」に『生』の文字を乱用しすぎたことに原因があると思っている(このことは去年書いた日記を参照されたし)。そしてこの傾向はどんどん加速しており、今や『生』の字の入っていない「発泡酒」や「第3のビール」を探す方が難しいくらいだ。特に今年に入ってからは某メーカーから、『ジョッキ生』などというとんでもないネーミングの商品が発売された。缶に入っているくせに、何が『ジョッキ生』だ!たぶん「生ビールをジョッキでぐびぐびあおる様な感覚で飲んでください」というコンセプトなのだろうが、私に言わせりゃ「不当表示」も甚だしい。缶にもジョッキの絵が描かれてるし、外国人が聞いたら笑われるぞ。ちょっと話はそれてしまったが、『生中』という言葉からいろいろと思い巡らせてしまうのだった。
2006年08月08日
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夏祭りも天気に恵まれ、盛況のうちに終わった。私が勤しんでいた生ビールの販売も、おかげさまで何とか昨年以上の売り上げを上げることができた。さて、祭りの終わったあとの公園はゴミが散乱して、それはそれは大変な状況だったようだが、ここのところ祭りの終わった翌日の午前中には、地元の中学生がボランティアとして清掃に当たることになっているのだという。なかなか良いアイディアではあるまいか。自分たちで清掃することによって、公共の場所でのモラルやゴミ分別のルールなど、さまざまなことを学ぶことができるし、ひいては彼ら個人個人のモラルの向上にもつながるからだ。私が10時半ごろにそばを通りかかったときには、もう中学生の姿は無く、公園も元通りに綺麗になっていたから、結構早くからやってくれていたのだろう。しかしまてよ、「地元中学生」ということは、ウチの長男もそうじゃないか?そういえば今朝は彼の姿を見ていないし......。そう思って妻に訊いてみると、実はちょうど時を同じくして、中学生野球の東海大会がこの地で開催されていて、野球部員はその運営の手伝い要員として行くことになっていたので、公園の清掃は「免除」されたのだそうだ。聞けばムスコは、公園の清掃をせずに済むと知って大いに喜んでいたそうだが、野球大会の手伝いもともかくとして、どちらかと言えば公園の清掃を通して知ることの尊さを味わって欲しかったと、私個人としては思うのであった。
2006年08月07日
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この週末は地元の夏祭りが開催され、私も一昨年・昨年同様、生ビール販売に勤しむことになっている。今日ウチの店に、ビールメーカーからは生ビールサーバーや水冷ストッカー、問屋からは山のような商品が送り込まれて、もうすでに臨戦態勢。あとは気温がグンと上昇してくれることを祈るだけだ。明日・明後日は更新はちょっと無理かな?
2006年08月04日
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このところ暑いのには変わりないが、それでも例年に比べて風が多少はさわやかな感じがする。だから私は配達でクルマに乗るときも、ほとんどエアコンをかけていない。窓から入ってくる風でなんとかしのげるからだ。まあいずれ窓から入ってくる風も「熱風」になり、どうしても耐え切れなくなってエアコンのスイッチを入れるときが来るかもしれない。でもそれまではせいぜい自然の風に頼ろうと思っている。ガソリン代が高騰している昨今、自分たちにできる省エネ策というのにも限りがあるしね。
2006年08月03日
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もちろん、配達中のこと。あ~あ、1万5千円がー.........(ToT)/~~~
2006年08月02日
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今朝起きると、部活のある中1のムスコはとっくに起きているのだが、下の2人のムスメの姿が無い。おかしいなと思って妻に訊いたところ、まだ寝ているとのこと。あれ、ラジオ体操に行ってから二度寝でもしてるのかなと思ったら、ラジオ体操は昨日で終わったのだという。ああそうか、昔と違って最近ではラジオ体操は夏休み中やってるわけじゃないんだったな。私たちの頃は確かお盆の一時期を除いて、ウイークデイは毎日やっていたような記憶があるから、それと比較すると格段に少ない。だいたいラジオ体操に出席したときに貰えるスタンプ、あれを集めるのが早起きが苦手だった私にとっては、早起きのモチベーションを維持するのには非常に効果的だったが、1週間かそこらだけのラジオ体操では集める張り合いも出やしないだろう。まあ管理者=保護者の方の負担も考えると、もっとやってくれ、などと無責任な注文を付けるわけにもいかない。ひょっとすると近い将来、地域で集まってのラジオ体操自体が無くなってしまうかもしれないな。同じような例として、小学校のプール開放が挙げられるが、こちらも夏休みが始まってからほんの5回程度で終わりである。ただこちらの方はラジオ体操と違って、場合によっては命に関わる事故になる可能性も持ち合わせているから、保護者への負担はより重くなる。何でも最近プール当番には、事故があったときの対処の仕方についての講習が、義務付けられているところも有るやに聞いているから、なおさらだろう。いずれにしても仕方の無いことではあるが、子供たちの夏休みの過ごし方も変わって来ざるを得なくなる。しかし考えてみれば、こうした行事の縮小という要因よりは、塾や習い事など子供の側の要因ですでに変わりつつあるのだろうが。
2006年08月01日
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