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(.......前回からの続き)大きな駅で待ち時間があったりすると、アテもなく町をブラブラするのも好きだった。そしてここでもやはり地図が重宝するのだ。使える空き時間から換算して、どの辺りまで行けるかという当てをつけて、その中から例えばお城とかタワーのような、「高い」場所を探す。そういうところから町を一望すれば、その町のだいたいの様子がわかるし、そこから良さそうな場所を見つけられれば、改めて足を運ぶということも出来る。しかし当時はまだどの町に行っても、それぞれに町ごとの表情が違っていて興味深かったが、おそらく今同じようにどこかの町をブラブラしても、面白さは半減だろうな、と思う。というのも、いわゆる小売業・飲食業の大手資本チェーン化がかなり地方まで浸透してきているからで、その結果日本中どこに行っても、同じような看板が溢れるような没個性的な光景になってしまったからだ。コンビニなども旅先では便利に感じることも少なくないが、その一方で旅人のセンチメンタリズムにとっては、邪魔になるものでしかないのだ。そういったことも含めて、また前に書いた「開けっ広げ」の客車に今はもうお目にかかれなくなったという例を持ち出すまでも無く、かつて私がしていた「旅」を今この時代に再現するというのは、最早不可能なことだ。そういうこともあってか、自分のクルマを所有するような歳になると、もっぱらどこへ行くのもクルマで、ということになり、鉄道からはすっかり遠ざかってしまった。それ以前の問題として、家族で出かけるということになると、当然ながら私がしてきたような「気ままな」旅などというのは、最早望むべくもない。そうこうしている間に「国鉄」は「JR」になり、私がかつてその素晴らしい景観を堪能した路線は、少なからず廃線になってしまった。また車両も全体的にリニューアルされて、妙にこざっぱりとなってしまった。ぼろぼろだったローカル線の駅名票も、JRのお揃いのシンボルカラーのラインをまとって、“無機質”なほどにキレイになった。昔のぼろぼろの車両や駅名票に、言いようのない旅人のノスタルジーを抱いていた私としては、たまにJRに乗る機会があったりすると、そういった車両や駅名表のキレイさにちょっと違和感を覚えて、最早私の旅は、遥か昔のものになってしまったのか、と感傷的になったりもしたものだ。まあ車両や駅の施設が良くなるということは、いつもそれを利用しておられる地元の方にしてみれば、むしろ喜ばしいことであって、私などがそれに反発するなどというのは、行きずりの旅人の身勝手さでしかないのは重々承知しているのだが、ここはひとつ「旅人のたわごと」として聞き流していただけないだろうか。こういう状況になっても、今あえて「旅に出たい」と思うようになったのは、ひとつには昨今の「鉄ちゃんブーム」の再燃という現象があるからかもしれない。今本屋に行くと、中高年向けの鉄道旅行の指南書の類が、やたら目に付く。中には鮮やかなカラー写真で、絶景のローカル線の風景をその表紙に飾っているものもあるが、こういうのが目に入るとさすがに私も心がときめく。確かに昔の車両はもう無いが、昔と同じ風景が今も残っているところは多いはずだ。もしちょっとでも時間が出来たら、そういった風景に再び会うために、足を伸ばしてみようかな、などと、半ば本気で考えている今日この頃だ。いや、今の私なら、「全国酒蔵めぐり」などという旅がお似合いだろうか?
2007年08月31日
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(.......前回からの続き)乗車する列車にはこだわった。私が旅するようになった頃には、SLはとうに営業運転を終えていたが、SLではなくとも、電気であれディーゼルであれ、いわゆる「機関車」に引っ張られる列車が、最もお気に入りだった。「電車」でも「ディーゼルカー」でもない、それ自体に動力を持たず、ただ引っ張られているだけのヤツで、私は便宜上、こういうのを「客車」と呼んでいた。なのでここでも「客車」と言う呼び方で、呼ばせていただこうと思う。で、私が乗るのは、決まって最後尾だ。というのも、今の客車はさすがに違うが、当時の客車というのはまだ古い車両が多く残っていて、その最後尾というのは扉も何も無く、ただガラ~ンと開けっ放しになっているのだ。そして左右の乗車口も、もちろん自動ドアなどではないので、走行中に自由に開けたりすることができるのだ。私は列車が走っているときにそういった最後尾のデッキに立ち、爽やかな風を頬いっぱいに受けながら、後方に過ぎ行く景色を眺めているのだった。時折現れる車掌さんにも、たまに「危ないからデッキに出ないでください」と注意されることもあったが、たいていは「気を付けて下さいね~」というだけで、黙認状態。とにかくこれが私にとっては至福の時間で、何時間乗っていようが、まったく飽きることはなかった。かといって単に「乗っている」だけでもない。時にはわざとひとつ手前の駅で降りて、1駅分歩いてみたりもした。また列車に乗って見た景色があまりにも素晴らしかったので、思わず発作的に降りてしまった、ということも多い。日本海沿いのある駅では、あまりにそこの海がきれいだったので急遽降りることにして、たまたま見つけた駅前のボロボロの「食料品店兼雑貨屋」で海パンを買い求め、岩場の陰で着替えながら、ひとり悠々と泳いだこともあった。そういうこともあるから、「地図」は必需品だった。ただ「地図」の効用はそればかりではなかった。ここでちょっと話はそれるが、こうやって全国旅しているとよく「それじゃ、全国のいろんな名物を食べたんでしょうね」ということを言われるが、どっこい現実は「NO」なのだ。前にも書いたように、若い頃の私にはとにかく「カネが無い」。ところがどこへ行ってもいわゆる「名物」なるものの価格設定は、私の基準値に比べてはるかに高い。まあ当時は、その土地の「名物」などにはあまり関心が無かったということもあり、とにかく「安く上げる」ことに腐心していた。駅の「立ち食いソバ」などにも結構お世話になったが、それでもいつもいつもソバばかりではさすがに飽きが来る。そこで登場するのが「ホカ弁」、しかも一番安い「ノリ弁」だったりする。当時はまだコンビニがほとんど普及していなかったので、食事を安く上げようと思ったらこれしかなかった。そこで、到着した駅の公衆電話にある電話帳で弁当屋を探し、その中から最も駅に近い弁当屋を抽出する、その作業に地図が欠かせなかったのだ。そうして調達した「ホカ弁」を、駅の待合室で食べる。多少周囲の目が気にはなったが、慣れてくれば何ともないものだ。さすがにそういう話を他人にすると、何が悲しくて旅先でそんなもの食わなきゃいけないのか、などということも言われたが、当時はまったく意に介さなかった。もっとも今同じことをやれと言われると、ちょっと抵抗があるけど........。(またまた明日以降に続く.......)
2007年08月30日
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「旅に出たい!」平凡に暮らす毎日の中で日々の仕事に忙殺されていると、フトそんな気持ちがムクムクと湧き上がってくることがある。しかしそもそも、「旅」って何だろう?「旅」と「旅行」は、どう違うんだろう?これは「旅」好きの人間の間では、結構昔から議論の的であった。ちなみにこれは私の見解だが........(1)目的地があるのが「旅行」、「旅」はその途上そのものが目的。(2)「旅」は原則的に「一人」、百歩譲っても「二人」、それ以上は「旅行」。(3)観光地めぐりは「旅行」、それにこだわらないのが「旅」。ま、こういうのは人によって様々に見解が分かれるところだろうが、とにかく私は高校・大学時代、長期休みになる度に一貫してこういう「旅」をしてきた。そして全国のほとんどを廻ってきた。クルマもバイクも持っていない私にとっては、移動手段はもっぱら鉄道だ。しかもカネがあまり無くて時間は有り余っている身分にとっては、ほとんどが各駅停車での旅だ。ちょうど「青春18切符」が発売される少し前くらいだったかと思う(余談だが発売当初は「青春18のびのび切符」という名称だった)。こう言うと世間の人からはいわゆる「鉄ちゃん」というように見られるかもしれないが、私としてはいわゆる「鉄ちゃん」とはちょっと違ったスタンスにいたと思っている。たとえば私は、鉄道写真や鉄道模型、そして各種コレクションなどには興味は無かったし、鉄道に関する知識もそんなに豊富な方ではない。ただ列車に揺られて外の風景を眺めることが、とにかく好きだったのだ。今はクルマを所有しているので、もっぱらクルマのフロントガラスを通した景色を楽しむことの方が多くなったが、クルマに乗って臨む景色と、列車に乗って臨む景色とは、まるで違う。道路というのは基本的に人々の生活の中心であるから、その沿線に見えるものはだいたいが「世俗的」なものが多くなる。だが鉄道は時として人間がめったに通らないようなところを走るので、そこから臨む景色は生活感からうんと離れている、そこがいいのだ。よくこんな辺鄙なところにトンネルを掘り、橋を架け、レールを引いたものだなー、と感心してしまうようなところを列車は走っていく。そして私は幾多の旅の中で、いわゆる有名な観光地というところにはあまり足を向けなかった。観光地が「目的地」になると、「旅」ではなくなってしまう、という私流のこだわりでもあったのだが、観光地・名所・旧跡の類というのはある意味行政によって保存されるものだから、そんなに慌てなくてもまた訪れるチャンスはある。しかしこの日本の「普通の」風景というものは、刻一刻と変わっていく。だから私はその当時の日本のありのままの素朴な姿を眺めていたかったのだ。(長くなりそうなので、明日以降に続く........)
2007年08月29日
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今日参加した、とある研修で聞いた話。「病は自然からの躾」東洋医学の考え方によれば、もとより人間はその気候風土に根ざした食生活を永年続けており、それを間違うと病気になりやすい。近年増加している生活習慣病なんて、まさにそれだ。ただその病気は、正しい日々の食生活を取り戻すことで治癒するチャンスもあり、病の苦痛はそれを知らしめるためのサインだということだ。この100年ほどのあいだに激変した日本人の食生活。最早もとの時代もそれに戻すことは不可能だけども、今の我々の食生活を見ても改善する余地はかなりある。病気にならないうちに考えないとね。
2007年08月28日
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先月の末に家族で海へ泳ぎに行く予定だったところ、私の腰痛のために中止を余儀なくされてしまったので、その罪滅ぼしというわけでもないが、今日は皆をプールに連れて行ってやった。今日行ったのは、名古屋市にある『サンビーチ日光川』というところだ。ここは私のお気に入りのところで、人口の砂浜もあって雰囲気はいいし、ウォータースライダーなどもあって子供たちにも人気だ。早くから行くと結構混むだろうと思い、少し遅めに家を出て、朝一のお客が帰り出す1時すぎ位に着くタイミングで出かけたのだが、さすがは夏休み最後の日曜日、意に反して駐車場に入るのに1時間半も待たされてしまった。さすがに皆でクルマに缶詰になっていても仕方がないので、途中で妻と子供たちを降ろして先に歩いて行かせることにして、結果的に家族から遅れること45分後に、私は到着した。それでは私の泳ぐ時間が無くなってしまったんじゃないか、と思われるかもしれないが、もとより今日は私は泳ぐつもりはなかったのだ。以前から患っている「陥入爪」がまだ完治しておらず、長時間プールに足をつけていることに不安があったので、プールに入って泳ぐことは諦め、荷物番に徹するつもりにしていたから、ひとり入場待ちのクルマで待たされていても、さほど苦にはならなかった。クルマを無事駐車場に入れた後は、プールサイドに陣取りひたすら水着ギャルウォッチングのんびりとくつろいだ時間を過ごしたのだった(笑)。
2007年08月26日
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先日の「日経流通新聞」に、『ミニマムライフ~巣ごもる20代』という特集記事があった。首都圏に住む20代の若者の生活意識や消費行動など、アンケート調査を行ったところ、実に興味深い結果が浮き彫りになったという。彼らはそのひとつ上の世代との比較で見ても、 「モノはあまり買わない、欲しいと思わない」 「休日は家にいることが多く、掃除洗濯などはマメにする」 「貯蓄には熱心」などというような傾向が、はっきり見られるようだ。特に消費行動について言えば、例えば昔から常に20代世代の興味の中心にあった「クルマ」、これにすら興味がなくなりつつある、というのが象徴的だ。確かに維持費はかかるし、端から休日などに遠出をしない者たちにとってみれば、クルマなど「無用の長物」なのかもしれない。ただクルマに関しては、首都圏と地方とで交通環境に大きな差があるから、全国一律に見た場合には、まだこの記事と同じ傾向が見られるとは思えないが、私にとってもっと深刻なのは、「酒を飲まなくなってきている」というアンケート結果だ。私も以前から何となく肌で感じていたことだが、いざこうやって具体的数字を目の当たりにすると、自身の不安感が裏打ちされたようで、なんとも暗澹たる気持ちになってしまう。今以上に小さくなるパイの中で、我々は商売を続けていかなくてはいけなくなるのだから、よっぽど考えてかからねばなるまい。ところで、なぜ酒を飲まなくなってきたのか?記事ではアンケート結果を受けて、「酒が弱いから」、「お金がもったいないから」、「飲みたいと思う酒が無いから」というところで結論付けている。もちろんそれも大きな要因には違いない。ただ私が思うこととは、若干ずれている。私などは最初酒を飲み始めた当時は、あまり酒を美味いと思って飲んではなかった。昔から酒に弱かったせいもあり、特に酒宴の場になると、内心戦々恐々とすることもあったりして、酒の味を心底楽しむという気分には程遠かったように思う。まあ私のような例は極端かもしれないが、それでも酒の飲み始めの二十歳前後の頃に、心底美味いと思って飲んでたヤツというのも、実際あまり多くはなかったんじゃないかと思う。カッコつけで飲む量を競ったり、酔った上での「武勇伝」を鼻高々にしゃべったり、とにかく酒というものは、皆で集まって騒ぐためのツールであって、しみじみと味わって飲むものではなかったように思う。しかし人は誰でも、必ずどこかで酒の「真の魅力」を知るキッカケに出会うときがある、これは私の持論でもある。そしてその転機というのは、概ね社会人になってからのことだ。例えば上司に連れられて飲みに行く機会があったりすると、普段仲間内で飲んでるような店とはちょっとグレードの違う店に連れて行ってもらえたりして、そういうところでは、普段口にできないようなお酒を飲ませてもらえたりもする。私などは実家が酒屋ということで、自分があまり飲めなくてもそれなりにお酒のことは分かってはいたが、そうでない者にとっては、こういった機会に初めて、酒の「真の魅力」に触れることになる(実際に私の友人には、そういった経験をした者が多い)。ところがこのごろでは、上司が若い者と一緒に飲みに行くといった機会が減ってきている。若い社員たちも、同世代との付き合いを優先する。その結果として、よっぽどグルメな嗜好を持った人は別として、なかなか良いモノに触れる機会というのが無くなってくる。いい加減な造りをして添加物をどっさり入れた酒を「日本酒」だと思い込み、「発泡酒」や「第3のビール」を「ビール」だと信じる。「ふぅ~ん、酒ってこんなものか」という認識のまま、歳を重ねていってしまう。あるいは今、居酒屋で定番の筆頭となっている「チューハイ」。チューハイが悪いということではないが、私に言わせればある意味“刹那的”な飲み物だ。どこの店でもバリエーションこそ多いが、例えば日本酒や焼酎、あるいはワインやシングルモルトウィスキーのように、その魅力に嵌まって、あらゆる銘柄を試してみたくなるような「深み」のある飲み物ではないのだ。というわけで、確かに酒の「真の魅力」を知ることの無いままに成長すると、「嫌いじゃないけど、別に金払ってまで飲まなくても........」という気になっても不思議ではない。我々の商売も、多くの人たちにお酒の魅力を伝えることが大きな使命ではあるが、まずは店に呼び込むということが、最初の関門なのである。しかし冒頭にも書いたように、最近の20代が「モノはあまり買わない、欲しいと思わない」という意識を持っているとすると、それはとりもなおさず、彼らの親たちが彼らの小さい頃から、欲しがるものを何でもかんでも買い与えていたという証拠に他ならないと思う。そしてこのことは我々も自戒すべきことだろう。
2007年08月25日
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二日連続で恐縮だが、またまた高校野球ネタだ。夏の高校野球決勝戦から一夜明けた、今朝の各メディアで紹介されていた佐賀北高校の横顔などを見聞きしていて、いろいろと考えさせられるところがあった。ご承知のようにこの学校は甲子園出場が2回目、しかも前回は初戦敗退だから、甲子園未勝利ということになる。そればかりではなく、聞くところによると昨夏の県予選では、初戦敗退していたというではないか。もちろん特待生制度などにはまったく縁の無い、“普通の”県立高校だ。18人のベンチ入りメンバーも、その全員が“普通の”県内中学校の「軟式」野球部出身だ。中学野球については、私の長男がちょうどその当事者なので事情はよく分かるのだが、いまどきは中学入学時に野球の上手い子は、中学の野球部には入らずに、地域の「硬式」野球のクラブチームに入団するパターンが多いのだ(地域によって差はあるかもしれないが)。つまり上手い子はことごとく硬式クラブチームに取られて、中学野球部にはそのおこぼれしか残らないという、いわば中学校野球部の“空洞化”とでもいうような状況が起こりつつあるのだ。そして中学校の軟式野球部と地域の硬式のクラブチーム、それぞれの環境で中学校の3年間を過ごした後、高校に入学して硬式野球部に入団する頃には、その両者のレベルには、どうにも埋めようのない大きな差が出来ているのである。特に甲子園にちょくちょく出るような学校にもなると、軟式上がりの子がそのチームでレギュラーを勝ち取るということは、至難のワザだ。そういう状況を考えると、いわゆる“軟式上がり”の集団が県予選を勝ちあがって甲子園に出場するということは、どこの都道府県を見てもかなり難しいことであり、尚且つその甲子園で優勝するなどということは、今までの感覚からすればほとんど「有り得ない」も同然のことなのだ。それを見事にやってのけた佐賀北高校、本当に賞賛に値するチームだと思う。このチームのやる野球の中身について、これからも様々なメディアでいろいろと検証が行なわれていくことと思うが、いわゆる“普通の”県立高校でもここまで出来る、ということを数多の学校はこれからも励みとすることが出来るだろう。またこの佐賀北高校の優勝が、特待生問題で揺れたこの年の出来事だったということも、何だか因縁めいていて面白い。もちろんこの事実だけを取り出して、特待生問題について云々するのも筋違いかとは思うが、ともすれば一部の「ズバ抜けた」選手がいないと上には勝ち上がれない、という高校球界のこれまでの常識を覆したことの意味は小さくは無いと思う。
2007年08月23日
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今年の甲子園の高校野球大会は、佐賀北高校の優勝で幕を閉じた。延長再試合を制した宇治山田商業戦や、逆転満塁ホームランの飛び出した決勝戦もさることながら、延長13回サヨナラ勝ちの準々決勝の帝京戦などは、高校野球の歴史に残る名勝負だと思った。ただしこの試合では、別のところで私の目は釘付けになった。それは相手チームである帝京高校の、鉄壁の二遊間の守備だ。とにかく2人とも非常に良い動きをしている上に、ピッタリと呼吸が合っているのだ。序盤から目を見張るような美技を連発していたが、極めつけは8回裏にやってきた。2死無走者から佐賀北バッターの打った打球は、センター前に抜けようかという当たり。その打球に必至に追いすがった帝京の二塁手・上原は、バックハンドでボールを掴むやいなや、タイミング良くそこに走り込んできた遊撃手・杉谷に絶妙のグラブトス。そしてボールを受け取った杉谷がすかさず一塁に送球して、間一髪アウト!甲子園中がどよめいた瞬間だったが、私も一瞬言葉を失ってしまった。最近は親切なことに、インターネットで各回の模様を動画で見ることが出来るようになっているのだが、参考までにそのプレーの出た試合の模様をリンクに貼っておいた(→こちら)。8回裏の佐賀北の「0」をクリックすると、最後の方でそのプレイを見ることが出来るので、見て無い方はぜひ見られたし。(しかもこの回のあと2つのアウトもセカンドゴロだが、いずれも二塁手・上原が非常に良い動きでこれを捌いているのだ)しかしこのプレイを見て、どこかで見たことがある、と咄嗟に思ったのだが、以前ドラゴンズの二遊間コンビである荒木・井端が、これとまったく同じようなプレイをやっていたのを思い出した。荒木・井端(中京地区では『アライバコンビ』と呼ぶ)といえば、プロ野球12球団随一の二遊間コンビとしてその名をとどろかせているが、彼らと同じプレイをこともなげにやってのける、この帝京の二遊間コンビ、恐るべしである。帝京は惜しくもこの試合でサヨナラ負けを喫するのだが、そこには帝京に負けず劣らずの好プレイを見せた、佐賀北ナインの執念があったことも付け加えておきたい。特に2度のスクイズバントをいずれも本塁で封殺した、佐賀北の久保投手のフィールディングも素晴らしいプレイだった。快投や豪打も印象に残るが、私としては好守備がやっぱり深く印象に刻み込まれるようだ。ともあれ、おめでとう!佐賀北ナイン諸君!
2007年08月22日
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先日の日記で、何の気なしにプランターに蒔いた種から出来てきた「豆スイカ」のことを紹介したが、いよいよそれを切ってみた。中はまあ、何ということは無い、スイカだ。一応匂いもスイカのような匂いがするが、ちょっと違うような気もする。もちろん、食べようという気にさせるものではないが。まあ、話のタネに、ということで.......。
2007年08月21日
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昨日の夕方くらいから、自宅の冷蔵庫が急におかしくなった。はじめ、飲み物が何だか生ぬるいな、と思って気がついたのだが、冷凍庫を見てみると何もかもが「解凍」されているではないか!まあこの冷蔵庫ももう買ってから8~9年経っているので、壊れたときは買い替えどき、と思っていた。それで今朝一番で近所の家電量販店へ出かけ、さっそく購入した。すぐにでも欲しかったが、持って帰るわけにも行かず、配送サービスだと早くても明日の午前中になるということだが、致し方あるまい。そういうわけで今日一日は冷蔵庫の無い暮らしだ。幸い店の倉庫が隣接しているので、どうしても冷やしておきたい物は箱にまとめて、倉庫の冷蔵庫に入れた。ただこれとて、欲しいときにいちいち取りに行かねばならないので、不便には違いないのだが。しかし冷凍モノはもうどうしようもない。ダメになったものは処分して、明日冷蔵庫が届いてから新しいものを調達するしかない。さらに悪いことに、昨日から長男が夏風邪をひいてぶっ倒れているのだ。もちろん冷凍庫に入っていた「アイスノン」は、ぶよぶよになってて使い物にならない。仕方なく実家の冷凍庫に入っているものを借りて、なおかつウチのぶよぶよのをそこで凍らせてもらった。それにしてもこのクソ暑いさなかに、冷蔵庫無しの生活というのは、非常にこたえる。いかに普段冷蔵庫に依存しきっているか、ということが、改めてよく分かる。まあ冷蔵庫が壊れるのは得てして「突然」のことだが、何もこんな記録的猛暑の中で壊れなくても、と恨めしく思った。ちなみに私も昨日は早番だったので、ビールでも飲みながら夕食を、と思っていたのが、ビールどころか氷もダメになってるしで、焼酎のお湯割りになってしまった。
2007年08月19日
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昨日、「サイレン」のことについて少し触れたが、ついでにサイレンネタをもうひとつ。「サイレン」ときいて私が真っ先にイメージするのは、やはりこれも昨日触れた「光化学スモッグ注意報」と、そして夏休みの「おやすみサイレン」だ。「おやすみサイレン」とは何かというと、やはりこれも私が小学生くらいのときあったもので、夏休みの間中、夜10時になるとどこからともなく、「ウゥ~~~~~ッ」とサイレンが鳴り響くのだ。要は、これが聞こえたらよい子は寝ましょうね、という合図だったようだ。確かにこのサイレンの音を気味悪がって、これを聞かないがために早寝をしたという小さい子もいたようだから、それなりに夜更かしに対する抑止効果はあったのかもしれない。しかしあまり長続きしなかったところを見ると、全体的には不評だったんだろう。そりゃそうだ、何も無い平時にいきなりサイレンの音を聞かされると、「おやすみサイレン」だと解かっていても何事かと思ってしまう。特にこの時代のオトナたちのほとんどは戦前・戦中派であり、彼らにしてみれば「サイレン」=「空襲警報」という発想になってしまっているから、無理もないだろう。そういうわけで「おやすみサイレン」も、「光化学スモッグ注意報」も無くなった今、我々が耳にするサイレンというのも、甲子園の高校野球のそれくらいしか無くなってしまった。つまり今の子供たちにとっては、それだけ「サイレン」を耳にする機会が少なくなったということに他ならない。実は今日、これだけサイレンのことに関してつらつらと書いてきたのも、ムスメのあるひと言がキッカケだったのだ。ムスメが私と高校野球を見ていたとき、試合終了時のサイレンの音を聴いて、(おそらく)大真面目にこう問いかけてきた。「ねえ、これ、誰の声?」「....???....」何とサイレンとは、誰かがマイクの前で鼻でもつまんで、声を出していると思っていたようなのだ(驚)。世代間で「サイレン」についてのイメージに大きな差があるとはいえ、さすがに父娘のあいだにここまで大きなギャップがあるとは思ってなかった。
2007年08月18日
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私の住んでいるこのあたりでは、私が小学生くらいの頃には、真夏のよく晴れた日になると、『光化学スモッグ注意報』というのがしばしば発令されたものだ。今でこそまったく無くなったが、何せ石油コンビナートによる公害で一躍有名になった町である、当時は結構頻繁にそういうことがあった。光化学スモッグが起こると目がチカチカしてくることから、この『光化学スモッグ注意報』を知らせるサイレンが鳴ると、市営プールや小学校のプールで泳いでいたら、直ちに出なければいけないことになっていた。そういう意味で、私は「サイレン」というものに対して、「遊泳禁止令」とでも言うような短絡的な連想をしてしまうのだ。話は変わるが、このところの日本列島は記録的な猛暑で、気温も観測史上最高記録を更新しているほどだ。いろんな見解はあるだろうが、私はこのようなとんでもない状況は、とても人間が屋外で活動する範疇を超えていると思っている。まあこれが仕事ならそんなことも言っていられないが、例えばスポーツなど、必ずしも必要に迫られないことであれば、柔軟に対応すべきだと思う。例えば気温が38℃を超えたら、すべての屋外スポーツを取りやめなければいけない、そんな条例があってもいいんじゃないだろうか。「異常高温警戒注意報」というサイレンを鳴らして、警戒を呼びかけるのだ。余談になるが、地球温暖化について警鐘を鳴らして大いに話題になった、ドキュメンタリー映画『不都合な真実』、この映画は今のこの時期にこそ、公開するべきだったのではないだろうか、と今更ながらに思う。
2007年08月17日
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小3のわが末娘の今年の夏休みの自由研究は、「野菜屑からの芽生え観察日記」(仮題)だ。私にも意外だったのだが、ジャガイモやにんじんなどの野菜屑を水に浸しておくと、どんどん芽を出して成長を続けるのだ。それを毎日デジカメで写真に収め、コメントを添えて貼り付ける。大人が見てもなかなか興味深いものだ。
2007年08月16日
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仕事が夜までかかる私の場合、野球のナイター中継というのは、どうしてもテレビではなく、配達途中に聴くラジオ中継がメインになる。このあたりの地域だと圧倒的にドラゴンズファンが多いので、ラジオ中継もほとんどがドラゴンズ戦だ。で、これがナゴヤドームでの試合の場合だと、当然ながら地元・名古屋の放送局が製作する中継となるから問題はないのだが、ドラゴンズがよそのチームの本拠地に遠征した場合はどうするのか?その場合、おおよそ3つのパターンに分かれる。例えば甲子園球場の阪神戦を例にとると......(1)名古屋の局のアナウンサーと解説者が甲子園に乗り込んで、実況をする。(2)在阪の系列局の中継に相乗りさせてもらう。(3)在阪の系列局のアナウンサーと解説者が、わざわざ名古屋の局向けの放送をする。こういう3つのパターンに分かれてるようだ。ただ(1)に関しては、やはりそれなりに費用も掛かることだとみえ、よほど重要な試合でなければそういう機会は無い。で、あとの(2)と(3)がだいたい半々位と思われるが、これをもっと分かりやすく言うと、在阪の系列局のアナウンサーと解説者がしゃべっている放送が、(2)の場合は関西地区と東海地区に同じように流れ、(3)の場合は東海地方だけにしか流れないという寸法だ。そこでこの(3)パターンのことだ。ここでしゃべるアナウンサーと解説者は、基本的に在阪局の人だから、おそらくいつもはコテコテのタイガースびいきのしゃべりをしているだろうということは容易に想像できる。しかし局の方針か何かよく解からないが、この(3)パターンの場合、どうも意識的に“ドラゴンズびいき的”なしゃべりになってしまうのだ。それがどうも聴いてて心地良くない。何だか聴いてて不自然なのだ。無理にドラゴンズをヨイショしようという姿勢がミエミエで、何だかとても「あざとい」感じがしてたまらないのだ。もっと「中立的な」放送に徹すればいいと思うのだが、そういうのってかえって難しかったりするものなんだろうか?
2007年08月15日
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今日は「全休」ではないが、配達だけ休みにしていたので、夕方店を開けるまではフリーだ。今年の盆休みは日程の都合上、妻と子供たちだけで妻の実家に帰省しているので、私は一人取り残された格好だ。こんな日に日がな一日家でボーッとしているのもつまらないと、クルマを駆ってどこかに行くことにした。行く当ては決まってないが、とにかく西に向かってどんどん走り出した。ただ西の方の山々には重そうな雲がどーんと乗っかっている。案の定、鈴鹿山脈を越えるあたりでは、せっかくの絶景ポイントでも一面の霧で視界はゼロ。おまけに雨までポツポツと当たってきた。しかし滋賀県側に抜けると雨も止み、次第に太陽が顔を出し始めた。快適なドライブコンディションになってきた。滋賀県内をしばらく走っていると、「信楽」の文字がちらちら目に付いてきて、「よし、タヌキを見に行こう!」と、わけもなく信楽へ行くことにした。ご存知の方も多いと思うが、タヌキの置物で有名な、陶芸の街である。確かに信楽の町に入ると、そこいらじゅうタヌキだらけ!店の中もタヌキだらけ!さすがに私はタヌキは買わなかったが、陶製のビアタンブラーと焼酎タンブラーを買った。そのタンブラーを手に持ってふっと横に目をやると、なにやら珍しいものが目に入った。『ビア・クリーミィー』という名の付いたこの商品は、缶ビールの缶上部にポンとくっつける形状になっており、そこから突き出たノズルの内側が、陶器でコーティングされている。つまりこれをくっつけたままビールを注げば、ノズルを通ったビールが泡立ち豊かにグラスに注がれるという寸法らしい。早速あとで試してみよう。
2007年08月14日
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「出張」などというと大げさだが、別に仕事で来ていたわけではない。昨日、昼頃大阪に着いた私はまず梅田に向かい、『ジャパン・ビア・フェスティバル・2007』というイベントに参加した。これは日本各地のマイクロブリュワリー、=いわゆる「地ビール」のメーカーが一堂に集う試飲会のようなもので、今回もざっと100種類近い銘柄が集まっていただろうか?参加者には受付で50ml入りのグラスが手渡され、これを持って各メーカーのブースを廻りながら、1杯ずつ注いでもらう。受付で入場料(4,000円、ただし前売りは3,500円)を払っているから、あとは何倍飲もうと自由だ。何杯でも飲める人にとってはそれこそ天国のようなところだろうが、私のように酒に弱いと10数杯でもう限界に達するので、コストパフォーマンスは限りなく低い。まあしかしもとより、「しっかりモトを取ろう」などという浅ましい考えは持っておらず、あくまでも「勉強の一環」としての参加だから、まあいいか。 ↑生ハムを頼むと、目の前で削って出してくれる!すっかり酔っ払ったアタマを覚ますべく、会場となった『梅田スカイビル』の最上階の展望台に登って、しばし大阪の街を眺めながらボーっとしていた。考えてみれば大阪に来るのももう10数年ぶりだろうか。おそらくはその間の変わり様というのも凄まじいものがあると思われるが、何せ以前の記憶が乏しいだけに、どこがどう変わったのかがよく分からないほどなのだ。その後見学と称して、ネット販売などで有名な酒屋さんなどを訪れたり、ちょっとマニアックな品揃えで有名なCDショップなどを覗いたりしたが、行く先々であれやこれや購入してしまうものだから、帰りはカバンが異常に重たくなってしまった。そして夕食を摂ったあと最後に、このブログにもよくコメントを寄せていただいている『穣美さん』のお店にお邪魔した。事前に「お邪魔するかも」と連絡を入れておいたら、なんとハウスピアニストのMさんがわざわざ予定を合わせて来て下さったとのことで(感激!)、Mさんのピアノと穣美さんのヴォーカルを十分に堪能させていただくことができた。こじんまりとしたお店だが、お客さんも和気藹々としているし、常に音楽に包まれているような、なかなか良い雰囲気だ。ただどうしてもその日のうちに帰らなければいけなかったので、あまりゆっくりとは出来なかったのが残念だ。穣美さん、Mさん、Kちゃん、素晴らしい時間をどうもありがとうございました。
2007年08月13日
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3ケ月くらい前だっただろうか、ご近所の方にスイカを頂いた。ずいぶんと季節外れではあったものの、とりあえず美味しく頂戴したのだが、そのときにどうも子供たちがプランターにスイカの種を埋めていたようだ。それがいつの間にか芽を出し、ついでにこんなちっちゃい実までつけたのだ。これが7月19日の段階である。それが昨日(8月10日)になると、もうここまで大きくなってきている。中身がどうなっているか、今はまったく知る由も無いが、少なくとも家族全員、いずれこれを食べようなどということは思ってはいないのだ。
2007年08月11日
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最近のニュースの中で私を最も苛立たせるもののひとつに、例の朝青龍についての報道がある。彼がケガを理由に巡業を回避し、その間モンゴルに帰って平気でサッカーに興じていたというのが発端らしいが、まあそれそのものについては確かに弁解の余地は無いだろう。その代償として課された「2場所連続休業」というペナルティも、まあ議論の余地はあるかもしれないが、ある意味しょうがないことなのかもしれない。ただ問題はその先で、『急性ストレス障害』というれっきとした病気持ちの朝青龍に対して、相撲協会はモンゴル帰国を認めないという。そして私の見る限り、世論もほぼこれに同調しているように見える。しかしどうせ2場所も出られないのなら、別にモンゴルに帰って療養しようがどうしようが構わないじゃないか、というのが私の見解だ。彼は病気なんだから、興行に支障を来たさない以上、本人が最も望むやり方で治療をすることのどこがいけないのだろう?他のスポーツだったら、そんなことを言う協会のおエライ方など、まずいないだろう。相撲協会が彼を日本に縛りつける意図が、どうも私には分からない。「横綱だからこそ、他の者に示しがつかない」ということか。確かに横綱には、それにふさわしい技量と品格が必要になる、それは私にも分かる。しかしいまどき品格のカケラも無くなった現代日本人が、横綱にだけ「品格」を求めるもの筋違いじゃないだろうか?自分たちが失ったものを相撲取りに求めることで、何とか日本人としてのアイデンティティーを保とうとしているんじゃないだろうか?ましてや朝青龍や、新横綱の白鵬は異国の人だ。この話を聞いたモンゴルの人は、きっと日本人は皆高い品格を備えた人ばかりなんだろうな、と誤解することだろう(笑)。彼らは自ら望んでこの世界に入って来た、だから一から十まで日本のしきたりに合わせてもらう、お前たちが何を考えているかなど、日本人の知ったこっちゃ無い、そりゃ言われてみればそうかもしれない。しかしここまで外国人力士が増えてきた昨今の現状を考えると、そういう理屈がどこまで通用するのか、ちょっと気になる。遠い異国からやってきて、通訳もいない異文化の中で、食事も格好も日本流にさせられ、時には同門のイジメなどにも遭ったであろう。いやなら辞めていけばいいだけのことなのだが、それでも歯を食いしばって耐えに耐えて闘い続ける、そんな彼らに対し、日本人はすべからく敬意を払うべきではないかと思う。そして同時に彼らのメンタリティを少しでも理解してあげられるような、そういう気持ちを持ちたいものだと思う。スポーツ全体が国際的にボーダーレスになってきている以上、相撲だけが特別でいられる道理は無いと思う。もしここまで私が書いてきたことに対して、相撲協会あたりが、「伝統」やら「品格」などという言葉を持ち出して「トンデモナイ!」などと反論するのであれば、むしろ即刻大相撲から外国人を締め出すようにするべきではないだろうか。
2007年08月10日
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私はどうも、深爪を切ってしまうクセがあり、それがために時々痛い目に遭うことがある。手の指はそうでも無いが、足の指を切るときに思いのほか深爪を切ってしまい、そこからバイキンが入って膿んでくるのだ。でもたいていは2~3日位で治まってくるので、私もさほど気にはしないのだが、今回のは4~5日くらい続いてるだろうか?しかも傷面の様子がいつもとちょっと違う。さすがにちょっとおかしいと思い、今日皮膚科に行って診てもらった。傷面を見た先生は開口一番、「あ~、こりゃ『さし爪』だな~」。初めて聞く言葉にポカンとしている私に、先生は解説してくれた。『さし爪』とは正しくは『陥入爪(かんにゅうそう)』といい、簡単に言えば爪の切断面が足先に力を入れたときなどに皮膚に食い込んで、そこが炎症を起こしたり化膿したりする、というものらしい。ただ痛いといっても、仕事にならないようなひどい痛みではなく、日常生活にもほとんど差し支えが無いようなものだからまだいいが、とりあえず軟膏と、化膿止めの飲み薬をもらって帰ってきた。本格的な治療はもっと爪を伸ばさないと出来ないらしいので、ともかくしばらくは様子見ということになった。しかし診察するまでは普通に歩行していたものが、診察後は痛みもあまり無いのに何となく無意識のうちに、右足が親指をかばうような歩き方になってしまう。そうなるとかえって他の部位を痛めてしまいそうでイヤなのだが、どうしても人間の深層心理がそうさせてしまうものらしい。
2007年08月07日
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昨日はムスメの「水泳記録会」の後、実家で昼食会。その後子供たちは祭り見物に出て行ってしまったので、私は久し振りに映画に出かけた。腰の具合も少々不安ではあったが、しかし2時間ちょっとの観賞ならまずまったく問題ないくらいにまで回復してきた。それよりも以前の記事にも書いた、ウチの近所の「単館映画館」が、この9月を持って閉めることになってしまい、私としては少なからずショックを受けている。なのでそれまでの間、せいぜい通わせてもらおうと思ったということもあるのだ。今回見たのは、『ボルベール<帰郷>』というスペイン映画だ。とにかく徹底して、男性の出てこない映画だ。まあ「女性賛歌」を謳っているのだから仕方はないが。とにかくここに登場する女性たちの、たくましさ、したたかさに、男性としては気後れするばかりだし、男性の感性では理解し難いような部分も無いわけではない。かといって彼女らに対して、「負」のイメージは無く、特に主人公のライムンダの、さばさばしたキップの良さには、清々しささえ感じる。それはスペインというお国柄とも関係しているのかもしれない。とにかくこの映画の中で起こることは、我々のメンタリティでは「有り得ないこと」ばかりなのだ。同じ所業を日本映画の題材として作成したなら、とてもまともに観るに値しないかもしれない。しかしそんな「非現実的」な出来事を、あくまでも淡々と描いていけるのも、ある意味、彼の国の国民性なのかもしれない。細かいストーリーや演技などはともかくとして、そういったこの映画の世界観を堪能できただけでも、私としては満足できたし、それがハリウッドとは違った、ヨーロッパ映画の魅力なんだとも思える。
2007年08月06日
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二人のムスメが出場する「学童水泳記録会」を見に来ている。 ムスメ達もずいぶん前からスイミングを習っているのに、今まで彼女らの泳ぎを実際に見たことがなかった。 まあ泳ぎそのものは良いんだか悪いんだか、素人の私にはよく判らないが、記録としては大したものではなかったようだ。 二人とも二種目ずつ、合計4回の出番があるのだが、それにしてもその合間の時間の退屈なことといったら…。
2007年08月05日
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先日来の私の腰痛も、接骨院での治療の甲斐あって、徐々に快方に向かっているようではあるが、まだまだ完調とは言えない。特に厄介なのは、腰痛そのものよりむしろ、それに付随する筋肉痛の方かもしれない。腰が痛むとどうしても腰をかばうような動作になり、その結果普段とは違う筋肉を使ってしまうようだ。またこのところ、腰の負担を減らすためにコルセットを着用することが多いのだが、それで体を締め付けることによって腰周り全体が圧迫されて、どうしても痛みを覚えてしまうのだ。そういうわけで本来の腰痛以外に、下腹部や腰骨の出っ張る辺りに何とも言えない違和感、時に鈍い痛みを感じることしばしばなのである。そんな中でも当然仕事はしなければいけない。ただ荷物を持って運ぶこと自体には、さほど苦痛は感じない。むしろ最も辛いのは、荷物を「持ち上げる時」と、荷物を「降ろす時」だ。ただこの他にも、意外なところに苦痛のタネは転がっている。一般的に飲食店への配達の場合、相手先によって事情は大きく異なるが、荷物を所定の場所にキチンと収めるまでがわれわれの仕事だ。例えばビールなら冷蔵庫に補充したりとか、そういうこともやらなければいけない。で、これが広々としたところであれば問題ないのだが、得てして市街地の飲み屋さんというのは、店舗面積の狭いところが多く、冷蔵庫やその他の収納場所というのが、結構余裕の無い造りの中に押し込められていたりもする。そういうところで商品の収納作業をしようとすると、どうしてもアクロバティックに体をよじっての作業となってしまうのだが、腰痛の身の今の私にとって、これが何よりもキツイのだ。あまりに辛くて呻き声を出してしまいそうになることもあるが、ここはお店の方に聞こえてはいけないので、何とかガマンしている。しかしお店の方が不在のときに、預かった合鍵で入って納品する場合、こういうときは周りに誰もいないので、遠慮なく呻き声を高らかに上げたりして、バランスを取って(?)いるのだ。
2007年08月03日
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最近このあたりで、駐車中のクルマのガソリンが抜き取られるという事件が頻発している。単に抜かれただけではちょっと判りづらいが、給油口のキャップが無くなっているということで、発覚するようだ。数日前、私のプライベートカーの方で“未遂”があった。同じ駐車場に停めてあった他所のクルマはしっかり抜き取られていたが、私のは給油口をこじ開けようとした形跡があっただけだった。それでもボディーのその近辺の部分に、少々傷をつけられてしまったが。そうしたら今度は夕べ、ウチの配達車のガソリンが被害に遭っていることに気がついた。今度はしっかりと抜かれていた(涙)。あとで聞いた話では、同じ駐車場の別のクルマは、なんとカーナビを盗まれたというから、まだガソリンでよかったというべきか.......。まったく、どこのバカの仕業か分からないが、かといってこれ以上用心のしようもないしなー。
2007年08月01日
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