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キリ番といっても、このブログのアクセスカウンターのことではない。約1年3ヶ月前に「77777」のキリ番のことをアップしたが、それがついこの間のことのようだ。このペースでいけば、来年の夏あたりにはめでたくメーターが一回転することになるが、果たしてそれまでこのクルマが持つかどうか………。
2007年03月30日
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近所の方がお亡くなりになって、今しがたお通夜に行ってきた。お通夜が始まる時間ギリギリくらいに、お通夜の営まれる葬祭場に飛び込んだのだが、時間になっても始まる気配が無い。そうこうしているうちに、その葬祭場の係員の方から案内の放送があった。お坊さんがクルマでここへ向かう途中で、事故に遭って遅れるというのだ。結局定時から15分位の遅れでお坊さんは到着し、そのあとのお通夜はつつがなく営まれた。そしてそのお坊さんは法話の冒頭で、遅れた旨の説明とお詫びをされていた。正確には事故ではなく、クルマのタイヤが溝に嵌まって、しばらく動けなかったのだそうだ。時間に遅れそうだったからいつもと違う道で早回りをしようとしたが、慣れない道だったのでこんなことになってしまった、とご丁寧にみんなの前でここまで解説されていた。それを聞いていて、やっぱりお坊さんも人の子なんだなー、と妙に納得した反面、こういった場にそのような事情で遅れて来られた、ご遺族の方の気持ちはどんなものなんだろう、とも思った。なんだか故人の旅立ちの前にケチがついたみたいで、いやだろうなー。
2007年03月28日
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私にはサラリーマンの兄がいるが、現在金沢で単身赴任生活を送っている。だから昨日の「能登半島沖地震」には、一瞬ヒヤッとしてしまった。地震が起こってからすぐに、私の両親が電話を掛けたが、当然ながらまったく繋がらない。気を揉んでいるうちに夕方になって、留守宅の義姉から電話があり、無事が確認された。なんでも土曜日にこちらに帰ってきており、日曜日の朝に金沢に向けて発ったところで、地震には高速道路走行中に遭遇したのだが、本人は地震には全然気が付いてなかったそうだ。まあ何事も無くてよかったが、兄の担当の得意先が何軒か能登半島にあるので、金沢に到着後、すぐにそちらに向かって行ったそうだ。被災された方には、心よりお見舞い申し上げます。
2007年03月26日
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先日故障して手放したレコードプレーヤーの代わりを、今日買いに行った。安物ではあるが(というより、近所の店では安物しか売っていない)、私はオーディオマニアでもないので、レコードを聴くことが出来ればそれで十分だ。今日は天気もあまり良くなかったし、子供たちはみんな出掛けてしまっていたから、夕方店を開ける時間まで、ずっとレコードを聴いていた。前のプレーヤーが故障していた期間も含め、ざっと1年振りくらいだろうか?モノによっては、20数年ぶりくらいに針を落としたものもあって、ジャケットやライナーノーツにいっぱいシミが出来ている。でもやっぱりアナログレコードはええわぁ~(*^。^*)至福のひと時だった。
2007年03月25日
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今日は小学校と中学校の双方でそれぞれ修了式があった。ところで1学期と2学期は「終業式」と言うのに対し、3学期は学年度の終わりということで「修了式」と言うのだそうだ。恥ずかしながら私、今日までまったく知らずにいたのだが、皆さんはご存知だっただろうか?まあそのことはどうでもいいのだが、小・中学校とも今年から例年とちょっと違った修了式になったそうだ。新年度から転出される先生方の「離任式」を、今日一緒に執り行ったのだという。例年この「離任式」というのは、翌年度の始業式の翌日に執り行うのが通例だ。しかしそれでは、転任される先生の立場からすれば、始業式の日に新しい職場に出てその翌日、1日だけ前の職場に顔を出すということになり、新学期早々新しい職場を留守にすることになるわけだ。それはちょっと不自然だろう、ということで、旧年度内での「離任式」に移行することになったようだ。まあ確かに、言われてみればそうだ。このあたりでは毎年4月1日の新聞各紙に、県の教職員の異動の一覧が別刷りで掲載され、それが実質的な発表となっている。それが転出に限って、ひと足早く知らされることになったわけだ。たしかにこれなら、子供たちが転出される先生との別れを惜しむ時間を持つことも出来る。従来だと、恩師の転出を新聞で知ってから始業式を迎えても、(離任式には来るとはいえ)もうそこには居ない訳だからね。ただ離任式の場では、転出先は子供たちには教えてもらえないらしい。それはやはりあくまでも4月1日を待て、ということみたいだ。
2007年03月23日
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私が以前、このブログの中でも再三言ってきた(これとこれ)、プロ野球ドラフトの「希望枠撤廃」だが、アマ側の「今年からの撤廃」という要望は通らず、とりあえず「来年からの撤廃」ということになった。コトがここまで大事になっているにもかかわらず、今年だけでも希望枠を残そうとしたのは、紛糾する会議を見かねた根来コミッショナーのツルの一声だったそうだが、せっかく各球団が「撤廃止む無し」という点で一致しているのに、なんだかその流れに水を差してるようで、相変わらずこの職にある人のリーダーシップの無さには呆れてしまう。ただひょっとすると、とりあえず今年「希望枠」が残ることになって、ホッとしている球団もあるかもしれないな。お金をバラ撒いているのが西武だけだとは、到底思えないしね。しかし12球団でこれほど意見がバラバラに分かれた事項も、最近では珍しいんじゃないだろうか?それだけ各球団の抱える問題が、千差万別であるということだろう。私個人としては、「ドラフト完全ウェーバー」と「FA取得年限短縮」、このセットで良いと思っているのだが、球団の中には、こうすることによってFA移籍が多くなって、有望選手が特定球団に流出したり、その引き留めなどにより球団の財政を圧迫する、あるいは選手の海外流出が加速する、という否定的な考えのところもあるようだ。確かに今のFAのままだったら、そうかもしれない。現在FA権を初めて取得した段階で、バリバリに活躍しているような選手は、それほど豊富ではない。その数少ないパイに各球団が群がろうとすると、選手に対する評価は否が応でも必要以上に上がってしまうだろう。しかしFA取得年限が短縮され、FA市場が今以上に活気づくようになれば、一人当たりの相場は全体的に今よりも落ち着いてくるのではないだろうか?そしてFAに付随して発生する諸々の保証金や人的保証などのハードルを、思い切って下げてみて、金のあまり無い球団にもFA参戦しやすい環境を作る。そして、FA移籍をちらつかせながらの年俸吊り上げ交渉を防止する意味で、「FA宣言した選手は残留できない」というルールを作ってもいいかもしれない。こうやってFAの制度自体の手直しを推し進めていけば、現在のような「弱小球団 → 金持ち球団」という一方的なFAの図式から、あらゆる方向への移籍へと様相が変わってくると思われるから、現在のFAが抱える問題の多くはクリアされるんじゃないだろうか(あくまでも机上論に過ぎないが)?ただ選手の海外流出については、残念ながらこの流れは止めることが出来ないだろう。しかし別にそれならそれで構わないと思う。日本人がメジャーに行き始めた10年以上前から、「日本のプロ野球はつまらなくなる」などという懸念は囁かれていたが、実際本当にそうなっていると考えるのは、被害妄想に他ならないと思うからだ。ジャイアンツ戦のテレビ視聴率は落ちているが、プロ野球ファン自体が減っているとは思えないのだ。海外へ出て行く選手に代わって、いつも新たなスターは誕生してくるし、またメジャーから出戻ってくる選手もいる。今後もメジャー志向は強まるだろうが、その反面、メジャーでの定着率は落ちてくると思われる。つまり皆が皆、メジャーに骨を埋めることにはならないはずだから、元気なうちに日本に戻ってきてプレーしてくれれば、それは即ち「日米の更なる人的交流」という解釈にもなろう。それこそ新庄のように、アメリカから「見せるプレー」とか「ファンサービス」といったような手土産を持って凱旋する選手が今後も出てくれば、それは日本のプロ野球にとっても、必ずプラスになるはずだ。また、単に「メジャーで自分の力を試したい」というだけの欲望に応えるだけなら、サッカーでよく行われている「レンタル移籍」というのを検討してもいいだろう。なんだかドラフトの「希望枠」の話から随分かけ離れてしまったが、結局はすべてがリンクし合ってることだから、ドラフト改革を推し進める上でも、当事者の方には考えて欲しいと思うのだ。しかしながら、何かしらのとんでもない不祥事が起こらないことには改善されなかったであろう、このプロ野球機構の体質というものは、ほとほと自浄能力に欠けていると言わざるを得ないね。
2007年03月22日
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今年も花粉前線は、容赦なく私を襲っている。もう1ヶ月以上前から発作が始まっており、1日に何十回と鼻に当てるティッシュのおかげで、私の鼻の下は真っ赤になり、ヒリヒリすることこの上ない。そんなある日、とある調剤薬局で順番を待っていたときのこと、意に反して無常にも垂れてくる鼻水に悪戦苦闘している私を見かねたのか、薬局の店員さんが私に、ローションティッシュのポケットサイズのものを手渡してくれた。ローションティッシュとは、その存在は知ってはいたが、実際に手にするのは初めてだ。そのときは結局使わずに持って帰って、しばらく経ってから自宅で使ってみたのだが、その肌触りの優しさに、いたく感動してしまった。ただ私の、ローションティッシュに対するイメージというものは悲しいかな、「金持ちが使うモノ」というところに留まっていたから、私などが使うものではないと端から決め込んでいたフシがあった。そんなある日、たまたま用事で出かけたスーパーマーケットで、「ローションティッシュのボックスティッシュ3パック入り」というのを見かけた。値段を見ると、普通のティッシュよりも一回り大きな箱が3個パックになって、598円だった。すぐ横を見ると、普通のティッシュペーパーが5個パックで398円。1箱あたりの枚数が違うけれど、それも含めてざっと概算すると、ローションティッシュの1組あたりの単価は普通のティッシュに比べてほぼ2倍だ。これをどう見るかは人によって見解が分かれるところだと思うが、私は「許容範囲内」と見た。そして次の瞬間にはそのローションティッシュを抱えて、レジに並んでいた。それからしばらくこれを使っているが、さすがにもう鼻の下が痛くなることはついぞ無くなった。この快適さが得られるなら、この程度の出費など安いものだと思った。しかしこれからこれを買うときは、特売日にしようっと。
2007年03月21日
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以前にも書いたことがあるが、ウチの店は毎週日曜日が定休だが、日曜日は配達をしないというだけのことで、店は午後5時から開けているのだ(深夜0時まで)。どこかへ出かける用があっても午後5時までに帰ってくれば良いので、よほどのことが無い限りはこのパターンを崩すことは無い。しかし昨日の日曜日は、珍しく完全休業にした。理由は昨日の記事に書いた、今月で閉める得意先の店に食事に行ったからだが、それでもいつもだったら、開店時間を遅らせてでも店を開けていた。それが昨日はそうしなかった。理由は簡単で、店を開けるという前提があると「ゆっくり出来ない」し、「飲めない」からだ。私はアルコールにあまり強くないので、基本的に飲んだ後に店を開けて仕事をするということは出来ないし、出来たとしてもお客に失礼だ。いつもならアルコール抜きで食事だけして、その後店を開けるところだが、昨日はどうしても飲みたい気分だったし、かの店での最後の食事というときに、時間を気にしながらソワソワと落ち着かないで食べているのも、お店の方に悪いと思ったからだ。確かに1日分(半日分か?)の売り上げが減るのは厳しい。でもその分、何となく充実した気持ちになれたことも確かだ。もういつ以来か分からないくらい久し振りに、末娘と一緒に風呂に入ることも出来たし。たまにはこういう日があってもいいよね。
2007年03月19日
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ウチの得意先のとある飲食店がまた1軒、今月で店を閉めることになった。このところの売上不振、地権者とのトラブル、ご家族の病気などなど、さまざまな要因に抗し切れなくなって、ついに決断したという。実はこの店とは、共に先代同士のつながりから始まって、今日までおよそ50年の永きにわたってお取引させていただいていた。逆に私たちもお客として、何度と無くこの店で食事をさせていただいた思い出もある。だからウチとしても、他の店が閉めるのとはまったく違った感慨がある。それで今日はもう最後だということで、私たち家族+私の両親の計7人で、ねぎらいの意味も込めてこの店に食事に出かけた。この後この店のご主人は勤めに出られるそうで、住居を兼ねたこの店舗も引き払うので、当然ながら住まいも引越しを余儀なくされる。この一家には、ウチと大して歳も変わらないお子さんが2人みえるが、店を畳んで職も替わり住まいも替わる一連の出来事が、幼い彼らの目にはどのように映るのだろうか?縁起でもない話だが、もし私自身がそういう境遇に陥ったら、ということを考えると、いつものように食べている料理が、今日だけはなぜか切ない味に感じられた。
2007年03月18日
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昨日、話題の映画『ドリームガールズ』を観に行った。ところでいつも私のブログをお読みいただいている皆さんの中には、ここで「おやっ?」と思われた方もいらっしゃるかもしれない。昨日は金曜日だったが、いつも私が映画を観に行くのはきまって日曜日だからだ。実はこの映画、今日(土)からの上映が最終週となり、それに伴って私の都合のよい時間帯での上映がなくなるため、今日からは物理的に観ることが出来なくなる。どうしても観たかった私は店の遅番をちょっと交代してもらい、最後となる昨夜9時からのレイトショーにギリギリで滑り込んだのだ。しかし映画自体は予想以上に良かったので、無理をして観に行った甲斐はあった。ストーリーも結構練られていたし、俳優の演技も申し分ないと思った。ただ惜しむらくは、主役不在のまま進行していったため、一本筋の通った作品になってなかったというところだけだ。一応主役はプロデューサー役のジェイミー・フォックスということになっているが、どうしても話が3人組シンガー「ドリームス」を中心に廻っているだけに、そこに絡むジェイミーがどうしても客観的な描写になってしまい、彼の心の内側の様子が十分に描ききれていなかったように思う。そこへ持ってきて他の競演陣、特にアカデミー賞を受賞したジェニファー・ハドソンのインパクトがあまりに強かったために、主役であるはずのジェイミーが少々かすんでしまったことは否めなかった。しかしそういうマイナス部分を補って余りあったのが、ステージでのパフォーマンスシーンだ。私もこの映画のモデルになった、『ダイアナ・ロス&シュープリームス』は大好きで、今までに何度と無くレコードは聴いているものの、直の彼女らに触れる機会というものはもちろんあろうはずは無い。もっとも彼女らと、この映画でフィーチャーされている『ディーナ・ジョーンズ&ドリームス』を同一視するわけにはいかないが、それでも当時のブラックミュージック・ショーの現場の息遣いというものも含めて、『シュープリームス』の「疑似体験」くらいは出来たと言っては言い過ぎだろうか。またどちらかと言えば、脇役であるジェニファー・ハドソンの歌唱ばかりに注目が集まりがちだが、『ダイアナ』に相当する『ディーナ』役のビヨンセ・ノウルズの歌唱もなかなかのもので、かなりのレベルでダイアナ・ロスそっくりに歌い上げているのには感心した。エディー・マーフィーにしたって、この人こんなに歌が上手かったの?というくらい、聴かせてくれる。もちろんこういったサウンド面の迫力、ライブ感は、家庭のチマチマしたテレビでは体感できない。だからこの映画は、ビデオやDVDでなく、絶対に映画館で観るべきだ。私が今回、無理やり仕事の都合を付けてわざわざ劇場に足を運んだのも、こういった理由からなのだ。
2007年03月17日
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『ア・グッド・イヤー』という映画が近々日本でも公開されるようだ(→公式サイト)。原作は、ベストセラー『南仏プロヴァンスの12ヶ月』(昔読んだ!)でおなじみの、ピーター・メイル、監督は巨匠・リドリー・スコット(よく知らないが)、ワイン好きには大変興味深い作品だ。ひょっとしたら、プロヴァンスワインがブームになるかも!?
2007年03月15日
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もういい加減にして欲しい、と思っているのが、例の『おふくろさん』騒動。ワイドショーも他にネタが無いのか、というくらい、あのくだらない話題に掛かりっきりになってしまっている。ただ私が今ひとつ腑に落ちないのが、マスコミや世間の声が、どちらかといえば「川内氏擁護」、「森バッシング」に偏っているように感じられることだ。確かに森進一が、師匠である川内康範氏に対して不義理をはたらいたという、キッカケとなる出来事はあったのかもしれない。だからといって川内氏が一方的に、「自分の歌を歌わせない」などというのは、明らかに行き過ぎだと思う。それとこれとはまったく次元の違う問題だ。私は個人的には、音楽というものは作者が発表した段階で、あるいはオリジナルシンガーが歌った段階で、その手を離れるものだ、という見解を持っている。だから作者は著作権で保護されるにせよ、それ以上の権利は持ってなくて当然だと思うし、いわんやオリジナルシンガーはその楽曲に対して何の権利も持ち得ないだろう。しかし日本では、いや演歌の世界においては、それがまったく違うのだ。作者と歌手の間に、何かしら「師弟関係」のようなものが存在したり、また外国には見られない「持ち歌」なる概念も存在している。作者に対して「弟子」である歌手は、作者の意図通りに歌うことを要求されるし、誰かの「持ち歌」をカバーしようとすれば、いちいちそのオリジネーターにお伺いを立てないといけない、そういうことがまかり通っている。こういう風習を「当たり前」と思っていらっしゃる方も多いのかもしれないが、私としては非常に違和感を感じる。音楽って本来、そんなに窮屈なものでは無いだろう。一応、法的な「権利関係」は存在するだろうが、それさえクリアすれば良いと思うのに、未だにメンタルな部分で旧態依然とした部分を引きずっているように思えてならない。またそういった旧態依然としたところは、お客である「ファン」の事を考えているとは、到底思えないのだ。もしそうでないと言うのであれば、川内氏が『おふくろさん』を森進一に歌わせないなどという、ファンを無視した態度に出るはずは無いではないか。話はちょっと変わるが、いわゆる「スタンダードナンバー」というのが、日本にはほとんど無いんじゃないか、ということを私は常々思っている。ちなみに私の考える「スタンダードナンバー」というものは、「世代を超えて歌い継がれていく歌」というのが基本的な概念だ。アメリカあたりならば、枚挙に暇はないだろう。しかし日本では、この定義に適う歌が、あまり見当たらないのである。その理由としてまずひとつには、世代間における音楽の好みの差が大きすぎる、ということが挙げられるだろう。つまり簡単に言うと、「オジサン」と「若者」の好きな音楽はそうそう相容れない、ということだ。そしてもうひとつの理由としては、他人の歌をカヴァーするという文化に乏しい、ということがあるように思える。そしてそこに横たわるのが、先ほどから言っているいわゆる「オリジネーター絶対主義」とでも言うようなものだ。「この歌は誰それの持ち歌だから」という遠慮があったり、アレンジしすぎて原曲の雰囲気を損なうことを良しとしなかったり、そういう風潮が無くは無いだろうか。著作権さえ守られれば、そのあたりはもっと自由であってもいいはずだと思うが、どこかに足かせが付いて回っているような気がするのだ。話が変な方向に行ってしまったが、では今回の騒動は一体誰に非があるのか?そもそも森進一が、師匠である川内氏に不義理を働いたことが発端となってはいるが、そんな下世話な話は、真剣に歌を聴きたいファンや世間にとってはどうでもいいことなのだ。そんな内輪の揉め事を著作権上の問題にまで拡大解釈して、特定の歌手に自分の作品を歌わせないなどという川内氏の高慢ちきな態度が、そもそも問題なのではないか、と私は思っている。とにかくファンは、森進一の『おふくろさん』を聴きたいのだ。いくら作者だとはいえ、一音楽家のわがままによってファンの利益が損なわれるようなことは、決してあってはならないと思う。
2007年03月12日
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先日、あるラジオショッピングの番組を何気なく聴いていたところ、「世界名作映画」のDVDセットが、20巻セットで10,500円で売られていた。単純に割ると、1巻当たり500円程度だ。ただまあこういうのは、最近では大きな書店やCDショップの店頭などでも、専用ラックに入って売られていたりするのをよく見かけるので、それ自体には驚きは無かった。ただその続きを聴いていて驚いた。なんと「このDVDセットに、DVDプレーヤー(もちろん再生専用)をお付けします。」というのだ。確かにこれならプレーヤーを持っていない人にも、購入のチャンスがあるからいいことには違いないのだが、なんだかどうも違和感が拭えない。だいたい少し前までの感覚ならまったく逆で、「DVDプレーヤーに、DVDソフトを付ける」ところだろう。確かに今や、DVDレコーダーの方がかなり幅を利かせてきてるから、再生しかできないようなDVDプレーヤーなんてのは、二束三文でしか売れなくなってるのだろう。ひょっとしたらどこかに、売れ残ったDVDプレーヤーの不良在庫が山のようになっていて、それをさばくための企画なのかもしれない。しかしどちらにしても私の頭の中では、ソフトよりも精密機器の方が安価であるという事実は未だに受け容れ難く、まるで投げ売りのように処分されるDVDプレーヤーが、不憫に思えてならないのだ。さらに言えば、いくら著作権が切れたからといって、たかだか1枚500円程度で安売りされる名作映画のソフトも、同じように不憫に思えてならない。それなりの価値のあるものには、相当な対価を支払わないと、本当に得した気分にはならないものだ。単に安ければいいかというと、そうでもないような気がするのだ。
2007年03月11日
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昨日の日記で、私の趣味のことについて書いたが、よく考えてみれば最近はこのブログも、「趣味のひとつ」と言えるのかもしれないな、と気が付いた。また別の日の日記では、頂いたコメントに対するレスの中で、「生きた証」などという表現もした。あるいは、私の「歴史」とか......、いや、これなどはいささか大袈裟な表現かもしれないが、いずれにせよこのブログが最早私の生活の中で、無くてはならぬ存在になっていることだけは確かなようだ。始めた頃は、一体いつまで続くことやら、などと気楽に考えていたものが、今ではよほどのことが無い限り、止めようなどという気にならないほどになった。そして予告(?)どおり、本日で「3回目のバースデー」&「通算1000回」を同時に迎えることが出来た。ただ、この日を迎えるに当たって、特段の感情は無い。このブログは今後もまだまだ続くわけだし、そういう意味では単なる「通過点」に過ぎないからだ。だから今日もいつもと同じように淡々と書いている。ただいつもここを訪れて頂き、そしてコメントを残していって頂いている皆さん、そしてこのブログの源でもある、私の日常生活を支えていてくださる大勢の皆さん、それらのかたがた全員には、感謝の気持ちで一杯だ。本当にありがとうございました。これからもよろしくお願いします。
2007年03月09日
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「あなたの趣味って何ですか?」と訊かれることは結構多い。しかし私はそのたびに戸惑ってしまうのだ。「う~ん、そうですねー」なんてまごまごしていると、きっと相手の人は私のことを「無趣味な人間」と思ってしまうことだろう。ただ私自身、自分のことを「無趣味な人間」だと、ただの一度も思ったことが無い。 いい音楽を聴けば、人並みに心が晴れやかになるし、 いい映画を観れば、人並みに感動するし、 面白い本を読めば、人並みに心が豊かになるし、 スポーツのいい試合を観れば、人並みに興奮するし、 遠出をすれば、人並みにワクワクするし、 旨い酒を飲めば、人並みに満ち足りた気持ちになるし、.......、ただだからといって、これらはいずれも私の普段の生活のホンの一コマに過ぎず、肩肘張って「趣味です」と言うようなニュアンスのものとは思っていない。逆に言うと、これに仕事や子育てなんかも含めて、生活全体が「趣味」みたいなものだ。しかし私に趣味を尋ねてくる人にしてみれば、「コレ」という「カタチになったもの」、言い換えれば「個人のブランド」としての「趣味」を知りたいのだろうから、なかなか理解してもらえないかもしれない。しかしあえて言うと、いくら立派な趣味を持っていても、その趣味が無かったら他にやることが何も無い、と言うような人に比べれば、私は結構豊かな毎日を送っているという自信はある。
2007年03月08日
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今日の配達中のことだ。得意先での納入が終わり、クルマに戻ったところでケータイが鳴り、そのままクルマの中で話していた。すると私のクルマの少し後ろに、某宅配便のクルマが停まった。その宅配便が停まって1分ほど後だろうか、何の気なしにふっとルームミラーに目をやると、さっきよりもそのクルマが大きく見えたような気がした。いや、さらによく見ると、少しずつこちらに迫ってきている。「あれっ、あのクルマの運転手、何考えてんだ!? プレッシャー掛けてきやがって.....。」と思ったのも束の間、よく見ると運転席には誰も乗ってないのだ。わっ、と思ってクルマを飛び出すと、折からのものすごい風に押されて、宅配便のクルマが動いているではないか!思わずとっさに私がとった行動は、クルマの前に立ちはだかり、両手で押し戻そうとしていたことだった。まさかスーパーマンじゃあるまいし、そんなことでどうなるものではないのだが。次にやったことは、自分のクルマのエンジンをかけて、数メートル前へ動かしたことだった。しかし当然ながら、相手も前へ出てくるから、根本的にその差は縮まらない。その次にやったことは、宅配便のクルマのドアを開け、サイドブレーキを思いっきり引いたことだった。これでようやくクルマは停まった。何のことは無い、サイドブレーキの引き忘れだったわけだが、私がそれに気付くのにどれだけ時間が掛かったことか。しばらくして運転手が戻ってきたが、私の説明を聞いて平謝り......。別に実害はなかったわけだから、私も笑って済ませておいた。しかし肝を冷やしたなー。それほどまでに今日の風は強烈だった。だが私がもっとショックだったのは、とっさの出来事に直面した私が、サイドブレーキのことに気付かないまま、幾つもの無駄な努力に時間を使ってしまっていたことだ。気が動転していたといえばそれまでだが、もっと深刻な状況下でこんなにアタフタしてたら、ひょっとしたら命取りになりかねないことだってあるかもしれないからなー。
2007年03月06日
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先日来、ウチの倉庫の中で何となく嗅ぎ覚えのある動物臭がしていた。イヤな予感がしたが、それが見事に的中した。今日、ウチの倉庫の中で、野良猫が一匹駆け抜けていくのを目撃したのだ。実はウチの倉庫に野良猫が出入りするというのは、今に始まったことではない。というのもウチの倉庫は、長い年月の間に建て増しやら一部改築やらを繰り返し、全体として色んなところに隙間だらけの造りになっているからだ。過去にはなんと、倉庫の中で子供まで生んだという、つわものの猫もいるほどだ。とりあえず数年前に、考えられる限りの野良猫の進入路すべてを、バリケードで封鎖していた。バリケードというとなんだか物々しい感じだが、要はネットを張ったり、板などでふさいだり、水を満タンにしたペットボトルを積み上げたりして、猫をシャットアウトするというものだ。しかし今日改めて見たところ、バリケードの一部が崩されていて、そして、こんなところを本当に通れるのかよ、というくらい狭い隙間が開いていた。敵もさるもの、長い間かけて進入路を造ったとみえる。とりあえず敵が開けたその隙間を塞いだが、いずれまたどこかを突破してくることは想像できる。私と野良猫との果てしなき戦いは、これからもまだまだ続く。
2007年03月05日
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見終った後、とても重苦しさの残る映画だった。席を立っても、なんだか体が重かった。遠いアイルランドで、かつてあった話だ。アイルランドといっても、日本人にはさほど馴染みがない国かもしれない。私にしても、アイリッシュコーヒー、アイリッシュウイスキー、それにギネスビールとアイリッシュパブ、この程度の認識しかない。この国がかつて大英帝国の支配下に置かれていたことくらいは、おぼろげに知ってはいたが、そこからの独立闘争、その直後の内乱のことまでは、まったく知る所ではなかった。歴史の授業でも聞いたことはなかったと思う。舞台は1920年、英国からの独立を目指すアイルランド義勇軍が、各地でゲリラ戦を展開している、その渦中に主人公は居る。結果的に何とか英国がアイルランドとの停戦に応じ、条約を結ぼうとするが、その内容をめぐって今度はアイルランド国内が、「賛成派」と「反対派」に二分されてしまう。主人公の居る「反対派」に対し、かつての同士であった彼の兄は「賛成派」の立場を取り、兄弟が相対立し合うこととなる。アイルランドの台地の中で繰り広げられる数々の惨劇は、派手な演出も無しに淡々と描かれていて、アイルランドの曇った大空(天気はたいてい「曇り」だ)と相俟って、かえってリアリズムに溢れている。時には同胞に銃口を向けたり、最終的には兄弟で敵対したりと、民族の誇りが逆に悲劇を引き起こしたりもするが、そこで流される涙も、アイルランドの荒涼とした自然に包み込まれた中では、余計に切なさを醸し出している。またこの映画のタイトルは、同名のアイルランドの伝統歌から採られており、その歌はかつて英国支配に対する抵抗から生まれたものだ(公式サイトから聴ける)。その歌を老婆が淡々と歌うシーンがあるが、この物悲しさを誘う独特な旋律が、妙に耳にこびり付いて離れない。なんだかいろんな感情がないまぜになっている分、文章も支離滅裂になってしまってるようだが、心の中にいろんな宿題を背負ったような気になった。何のために闘うのか...........、人類史上、常に付きまとう課題だろうが、それが「誇り」だとか「大義」のためであっても、結果的にそれが真の「幸福」をもたらすものではないということを、今一度考えなければならないと思った。かといってこれがお定まりの「泣かせる映画」で終わっているわけではないということは、映像のリアリズムゆえではないか、とも思う。いろんな人に一度見てもらいたい映画だ。
2007年03月04日
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先日、ご近所の方から『晩白柚(ばんぺいゆ)』なる物を頂いた。柚子の「柚」の字が入っているから、柚子の仲間なのかな、とも思ったが、コレがとにかく大きい!目の前に置くと、結構な威圧感がある。詳しくは下の画像を見ていただきたいが、バレーボールより少々小さい程度―――――-そう、ハンドボールで使うボールくらいの大きさだ。ちなみにネットで調べてみたところ(→こちら)、「世界最大の柑橘類」なのだそうだ。一体どうやって食べればいいのかな、と上記サイトなどをいろいろ見たところ、結局は普通にタテに切って、メロンなんかを食べるのと同じようにすればいいか、ということになった。これは「ジャンボ・グレープフルーツ」という異名もあるそうだが、その名のとおり、口に入れたらまるでグレープフルーツそのものと言ってもいいくらいだ。ただちょっと違うのは、グレープフルーツ特有の苦味が無いことと、種が異常に多いことくらいだ。まだまだこの国には、私の知らない食べ物がたくさんあるんだなー。
2007年03月02日
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遠方に住む大学時代の友人から、「訃報」と題されたメールが届いた。何事かと開いてみたら、大学時代の同級生が、病気で亡くなったという知らせだった。彼はどちらかといえばアクが強く、ある意味「一匹狼」的なタイプだったので、嫌われることも多かったように記憶している。私自身も彼とは特別親しかったわけでもなかったので、通夜や告別式に出席することは辞退して、通知してくれたことに謝意を示す返信メールを送っておいた。亡くなったその同級生は、卒業後も大学院に進み、研究者の道を進んでいたと、以前に聞いていた。そこでインターネットで彼の名前を検索にかけたところ、現在は母校で非常勤講師をしていたことが分かった。また、彼が遺した論文の数々も続々と画面に出てきた。研究者として、まだまだこれからという矢先の死に、彼自身もきっと無念だっただろうが、彼自身が生きた証として、これらの研究成果があると思うと、そういったものを残せる立場に居た彼を羨ましくも思える。翻って、私自身の生きた証として何か有るだろうかと思うと、残念ながら特に思い当たるものが無い。ただ別に名誉が欲しいわけではない。せめては私の今のこの仕事を、何らかの私にしか出来ないような形で、顧客の皆さんに認識してもらえるような、そういう仕事にしたいものだ。ちょっと解かりづらい表現だったかもしれないが、要は私がこの世を去ったときにでも、「アイツは面白い酒屋だった」、「アイツが勧めてくれた酒は旨かった」などと、周りの人の心に引っ掛かる存在であればと思うのだ。
2007年03月01日
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