全5件 (5件中 1-5件目)
1
![]()
西洋中世学会『西洋中世研究』2 ~知泉書館、2010年~ 西洋中世学会が毎年刊行する雑誌です。 少しずつバックナンバーの紹介をしていきます。 第2号の構成は次の通りです。 ――― 【特集】メディアと社会 <趣旨説明> 大黒俊二「西洋中世のメディアとインメディア」 <報告> 赤江雄一「中世後期の説教としるしの概念―14世紀の一説教集から―」 木俣元一「メディアとしての「聖顔」:13世紀イギリスの写本挿絵を中心に」 青谷秀紀「プロセッションと市民的信仰の世界―南ネーデルラントを中心に―」 伊藤亜紀「青を着る「わたし」―「作家」クリスティーヌ・ド・ピザンの服飾による自己表現―」 土肥由美「受難劇vs.聖体祭劇―「イエス・キリストの受難」を巡る表現と受容に関する一考察―」 【論文】 一條麻美子「「愛の洞窟」の3つの窓―ゴットフリート・フォン・シュトラースブルク『トリスタン』における名誉の問題―」 向井伸哉「ルイ9世期南仏ビテロワ地方における国王統治」 白幡俊輔「15世紀イタリア傭兵隊長の戦術と戦略」 鴨野洋一郎「1500年前後のフィレンツェ絹織物工業と国際市場―セッリストーリ金箔会社の経営記録から―」 【研究動向】 古川誠之「中世ドイツ都市印章研究と「都市の表象」」 【新刊紹介】 「西洋中世学会若手セミナー報告記」 神崎忠昭「「第7回日韓西洋中世史研究会」に参加して」 ――― 特集趣旨説明は、「メディアとインメディア」をキーワードに、メディア(中間にあって媒介するもの)とインメディア(直接性)の弁証法に西洋中世の特徴があることを指摘し、各報告の概要、そして学会で行われた主要な質疑応答を紹介します。 赤江報告はイングランドの托鉢修道士ジョン・ウォールドビーの説教集を取り上げ、「しるし」の理論と「記憶術」がいかに組み合わされ、また聴衆にも共有されていたかを示します。 木俣報告は写本挿絵の聖顔について論じます。大きなスケールで描かれた聖顔が、超越的な領域を示すためとの指摘を興味深く読みました。 青谷報告は後期中世の行列(プロセッション)を取り上げます。行列と処刑との関係、先行する説教がプロセッションを解説した事例、プロセッションへの君主権力の介入と聖血の取り扱いの変化の平行関係など、興味深い指摘がなされます。 伊藤報告は「執筆によって生計を立てた初の女性」であるクリスティーヌ・ド・ピザンが、挿絵において青い服を着た姿で描かれていることに着目し、その意義を論じる、こちらも興味深い論考。青を着ていない場合にはその理由があることまで指摘するとともに、クリスティーヌの身分論、紋章論など、個人的に関心のあるテーマも論じられています。 土肥報告は青谷報告に関連し行列などの場で演じられた受難劇と聖体祭劇を取り上げ、それらの関連と相違を論じます。稿末(81-82頁)の、両者の比較表が有用です。 一條論文は騎士道系の『トリスタン』のうち、ゴットフリートの作品を取り上げ、トリスタンとイゾルデが過ごす「愛の洞窟」の3つの窓に着目し、先行研究が見逃していた点を指摘するとともに、その意義と二人が宮廷に戻るに至る理由をめぐって二つの「名誉」の概念があったことを示します。 向井論文は、国王による村落の具体的な統治の実態を明らかにする論考。村落のレベルに応じて強制徴収の有無があり、一定の村落には寛容が示されることを示します。 白幡論文は軍事史の観点から、従来軽視されてきたイタリア傭兵隊の戦術を見直し、技術者が登用されていたことなどを示します。一点、ある戦争について、史料により異なる数字(戦闘数)が現れることが指摘されます(122-123頁)が、その理由が本論中では特に言及がなく、気になりました。 鴨野論文は、日本ではほとんど研究が進んでいないルネサンス期の絹織物工業について、製造、販売など具体的な諸側面を論じます。 古川論文は、先行研究を丁寧に整理し、都市印章の意義を論じます。法的に認可された都市の成立以前に教会などが用いていた印章が、都市に引き継がれ、その性格を変えていったという指摘がなされます。 本号から新刊紹介のコーナーも始まり、本号では47冊が紹介されます。池上俊一先生が紹介しているジャン=クロード・シュミット『誕生日の発明』(邦訳なし)が気になりますが、まだ入手していません。 以上、どの論考も興味深く再読しました。(2022.01.31再読)・西洋史関連(邦語文献)一覧へ
2022.04.30
コメント(0)
![]()
大黒俊二/林佳世子(責任編集)『岩波講座 世界歴史03 ローマ帝国と西アジア 前3~7世紀』 ~岩波書店、2021年~ 岩波講座 世界歴史シリーズの第3期の第3巻。表題通り、古代ローマ帝国と西アジアの状況について、通史的・共時的に様々な観点から概観されます。 本書の構成は次のとおりです。 ――― <展望> 南川高志「ローマ帝国と西アジア―帝国ローマの盛衰と西アジア大国家の躍動」 コラム 冨井眞「考古学の存在感とリアリティ」 <問題群> 藤井崇「ローマ帝国の支配とギリシア人の世界」 コラム 中川亜希「史料としてのラテン語碑文」 三津間康幸「ローマ帝国と対峙した西アジア国家―アルシャク朝パルティアとサーサーン朝」 コラム 桑山由文「ナバテア王国の興亡とローマ帝国」 池口守「古代世界の経済とローマ帝国の役割」 <焦点> 春田晴郎「西アジアの古代都市」 髙橋亮介「ローマ帝国社会における女性と性差」 田中創「ローマ帝国時代の文化交流」 コラム 佐々木建「ローマ法の後世への影響」 南雲泰輔「「古代末期」の世界観」 大谷哲「内なる他者としてのキリスト教徒」 井上文則「三世紀の危機とシルクロード交易の盛衰」 コラム 井上文則「忘れられた西部ユーラシアの歴史像―鈴木成高と宮崎定市」 ――― 岩波講座世界歴史第1期、第2期で見られたように、ヨーロッパ古代史は「ギリシア・ローマ」とまとめられがちですが、今回のシリーズでは、古代ギリシアを扱う巻と古代ローマ時代を分けて、さらに「地中海世界」として地中海沿岸部の歴史に重点を置くのではなく、「ローマ帝国」として帝国の広い版図と西アジアとの関係にも目配りをすることを特徴とします。 展望論文は、そうした本シリーズの意図(もちろん、こうした意図には、「地中海世界」の歴史を強調していた研究史に対する批判の流れを踏まえています)を掲げた後、ローマの歴史のはじまりから西ローマ帝国の滅亡、そして「古代末期」の時代までを概観したうえで、近現代の歴史叙述などにおける「ローマ帝国の記憶と表象」を論じます。ケルト人、ゲルマン人という集団のとらえ方(近現代史で政治的に扱われた反省など)や、 <問題群>の部では、藤井論文はローマ帝国におけるギリシア人のアイデンティティを探り、三津間論文は西アジア国家の観点からローマ帝国との関連性を見て、池口論文はローマ帝国期の経済活動の在り方を論じます。 <焦点>の部では、春田論文は「都市」を表現する語の観点を中心に西アジア都市について論じ、髙橋論文はローマ帝国における女性の活動の様相を主に碑文史料とパピルス文書から描きます。田中論文はギリシア文化、ラテン文化、キリスト教の3つの観点から、ローマ帝国期のそれぞれの文化交流について論じます。南雲論文は、表題に「世界観」とありますが、哲学的な観点ではなく、世界図などを史料として地理的な認識について論じており、興味深く読みました。大谷論文は「迫害された」キリスト教徒というステレオタイプを批判し、「キリスト教徒が、ローマ帝国において『内なる他者』として生きた状況を」描写する、こちらも興味深い論考。最後の井上論文は「3世紀の危機」と言われる時代について、シルクロード交易の観点から、「危機」の因果関係まで踏み込んだ考察を行っています。 以上、簡単なメモになりましたが、コラムも含めて勉強になる一冊でした。(2022.04.14読了)・西洋史関連(邦語文献)一覧へ
2022.04.23
コメント(0)
筒井康隆『馬の首風雲録』 ~文春文庫、1980年~ 戦争をテーマにした長編小説。 舞台は、オリオンの3つ星近くにある、馬の首と呼ばれる暗黒星雲です。ビシュバリク(首都シハード)とブシュバリク(主な都市トンビナイ)という星に住む、地球でいう犬に似た人間、サチャ・ビ族が主人公。地球人(コウン・ビ)はブシュバリクと交易を盛んにし、ビシュバリクの国家軍、ブシュバリクに設立した共和国軍、ブシュバリク独立運動の中心となりやがて暴徒化するアカパン党員などの争いがはじまっていきます。 サチャ・ビ族で、戦時中に商業で生計をたてる戦争ばあさんには、4人の息子たちがいました。長男ヤムは酒飲みですが、やがて大成する何かを持っています。次男のマケラは兵隊になり、こちらもやがて手柄を立てることになります。三男トポタンは詩作好きで、空想しがちの青年。そして四男のユタンタンはしゃべることができず周りからは知能も低いと思われていますが、自分なりの思いをもって行動します。この4人の活躍が主になります。 国家軍によるブシュバリク壊滅作戦が進行する中、食い止めようとするヤムや、作戦の本拠地でのマケラたち一隊の活躍と惨劇、そして暴徒化した農民たちが富裕層を虐殺するシーンなど、印象的なシーンが数多くあります。 久々に筒井さんの作品を読んだので、筒井さん流のどたばたな描写(泣きわめいたり「おれは死ぬ。死んだ。もう死んだ。おれは死んだ」という言い回しだったり)も懐かしく読みました。 「どたばた」は筒井さんあとがきにもある本作のテーマの一つですが、やはり根底には戦争のあり方への疑問や、戦争がかっこいいと言われた時代もあった中で、でも実態はどうか、というメッセージが感じられました。 もともとSFマガジン1966年9月号から1967年2月号に連載され、単行本は1977年に刊行された本作ですが、全く古臭さを感じません。(2022.01.21読了)・た行の作家一覧へ
2022.04.16
コメント(0)
![]()
西洋中世学会『西洋中世研究』1 ~知泉書館、2009年~ 2009年4月1日に設立された西洋中世学会の、記念すべき雑誌第1号です。 ――― 佐藤彰一「巻頭言」 【特集】21世紀の西洋中世学 <基調講演> 樺山紘一「中世はいかにして発明されたか」 <報告> 甚野尚志「十二世紀ルネサンスの精神―「十二世紀ルネサンス」を真に再考するために―」 久木田直江「中世末の霊性と病の治療―ランカスター公ヘンリーの『聖なる治癒の書』―」 那須輝彦「中世音楽研究―その足跡と現状―」 鼓みどり「21世紀の西洋中世美術史研究」 山内志朗「中世哲学と情念論の系譜」 【論文】 足立孝「9-11世紀ウルジェイ司教座聖堂教会文書の生成論―司教座文書からイエ文書へ、イエ文書から司教座文書へ―」 平井真希子「カリクストゥス写本の楽譜史料―ポリフォニー写譜者と緑の線―」 今井澄子「15世紀フランドル絵画における祈禱者とヴィジョン―中世末期のキリスト教社会におけるイメージの役割をめぐる一考察―」 徳永聡子「修道女と書物―サイオン修道院の書き込み本について―」 山本芳久「西洋中世哲学の研究動向―多元化の現状と今後の課題―」 梶原洋一「若手による「西洋中世学会若手セミナー」報告記」 金沢百枝「生命の泉に集う鳥たち―学会ロゴについて―」 ――― 特集は同年6月に開催された学会での報告をもとにしています。どの報告も大変興味深く拝聴したのを覚えています。 さて、冒頭の樺山基調講演は、「中世」とは相対的で「発明」された概念であり、その形成史を念頭に置いておく必要性を説きます。 甚野報告は12世紀ルネサンスという概念を、古代への距離感の欠如が本質であり、いわゆる15世紀の「ルネサンス」とは異なり「刷新」と呼ぶべきと説きます。 久木田報告はランカスター公ヘンリー『聖なる治癒の書』を取り上げ、文学、宗教、医学の接点を探ります。同書に、中世における解剖や、精神病治療法など、医学的な知見と宗教的な記述がないまぜになっていることが示されます。 那須報告は中世音楽の復元の困難性を説きます。様々な中世の楽譜が示されているのも興味深いです。(学会で実際に音楽を流してくださったのが印象的でした。) 鼓報告は中世美術史の研究史を簡明に提示します。様々な展覧会やそのカタログ、近年の日本での研究業績の提示など、貴重な文献目録となっています。 山内報告は哲学の観点からの報告。トマス・アクィナスを中心に情念論について分析します。 論文は5本。足立論文はオリジナル文書が多く伝来しているという特徴のあるウルジェイ司教座聖堂教会文書を取り上げ、贈与、売却、交換、遺言状といった文書がどのように作成され伝来してきたかを論じます。 平井論文はモノフォニーとポリフォニーの2つの楽譜が記された写本を取り上げ、両者が別の写譜生が異なるものの、前者に後者の写譜生が書き加えたと思われる一本の線に着目し、ポリフォニー筆写の際にモノフォニーが参照されていた可能性を指摘します。 今井論文は初期フランドル絵画に特徴的な祈禱者(寄進者)と聖人が同一の空間に描かれるという絵画に着目し、聖人がヴィジョンであることを示すため、両者の視線が交わらないような工夫がなされていることを示す興味深い論考。 徳永論文は修道女図書室に所蔵されていた書物を取り上げ、修道女による書き込みや書物の種類(言語、写本か印刷本かなど)などに着目し、修道女と書物の関係を論じます。 山本論文は近年の「西洋中世哲学」研究が、イスラーム哲学やユダヤ哲学などと不可分であるという点で「西洋」を越え、古代や近代の哲学との連続性や影響関係の重要性から「中世」を越え、神学や論理学との関係性から「哲学」を越え、多元化しているという状況を示す研究動向を論じます。 久々に読み返しましたが、学会発足当時の感動を思い出します。(2022.01.21読了)・西洋史関連(邦語文献)一覧へ
2022.04.09
コメント(0)
G. R. Owst, Literature and Pulpit in Medieval England. A Neglected Chapter in the History of English Literature & of the English People, Oxford, Basil Blackwell, 19612 以前紹介したG. R. Owst, Preaching in Medieval England. An Introduction to Sermon Manuscripts of the Period c.1350-1450, Cambridge, 1926に並び、今なお参照される後期イングランド説教活動と文学の関係を論じた研究書です。第1版は1933年に刊行されています。 本書は600頁を超える大著で、今回はほとんど流し読みですが(どのあたりにどんなことが書かれているか、目次の小見出しを参照に構成を確認した程度)、簡単にメモしておきます。 本書の構成は次のとおりです(拙訳)。 ――― 第1章 導入的影響、言語、小説的、現実主義 第2章 聖書と寓意 第3章 「天の大軍」 第4章 説教「例話」における虚構と教育 第5章 風刺と批判の説教活動(1) 第6章 風刺と批判の説教活動(2) 第7章 風刺と批判の説教活動(3) 第8章 説教と演劇 第9章 社会的福音の文学的反響 ――― 大要、説教活動と文学(チョーサーやシェイクスピアなど)との関連が論じられます。 第1章では日常生活の描写として動物の鳴き声への言及やことわざに関する議論が興味深かったです。 第2章では、たとえば船や城といった寓意が紹介されます。 第3章は聖書の登場人物や聖人崇敬に関する議論です。 第4章は私が関心を寄せる例話に関する議論です(例話についてはたとえばアローン・Ya・グレーヴィチ(中沢敦夫訳)『同時代人の見た中世ヨーロッパ―13世紀の例話―』(平凡社、1995年)を参照。グレーヴィチも本書から引用しています)。異国の情景や習慣に関する個人的観察に由来する例話についての言及が興味深いです。その他、歴史書、古代の神話などからの例話採用などが紹介されます。 第5章から第7章までが本書の山場といえるでしょう(3章合計で約260頁と、本書の3分の1以上の分量を占めます)。第5章は前段として、英語の俗語風刺文学の起源として、ジョングルールなどについて論じた後、聖職者に対する批判について、高位聖職者、修道士など様々な立場からの批判を紹介します。第6章は富裕者や騎士、商人など、様々な社会階層への批判について。第7章はより一般的な風刺として女性への批判や、虚栄、飲酒、大食などの悪徳への批判について論じます。 第8章は説教と演劇の関係について。このテーマについては、邦語ではたとえば石野美樹子「中世の説教と『織物業者組合の劇』―否定と確認の儀式―」『静岡大学教養部研究報告(人文・社会科学篇)』18-2、1982年、149-162頁があります。 第9章は社会の様々な身分とそれぞれの職務についてなど、関心のあるテーマが論じられており、読み直す必要を感じています。 以上、簡単なメモになりましたが、このあたりで。(2022.01.21読了)・西洋史関連(洋書)一覧へ
2022.04.02
コメント(0)
全5件 (5件中 1-5件目)
1
![]()
![]()
