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人影も疎らな地下鉄を降りた時、駅員さんが帰宅に向かう乗客達に人知れず「お疲れ様でした」と頭を下げています。また、食堂に入ればホールを見渡しながらきびきびとご案内されたり料理を運んでいる皆様がいます。彼等だって、悲しい事も寂しい事も不満に思う事もあるでしょう。でもだからと言って、他人に八つ当たりしたりまして嫌がらせをしようとは思われません。何故なら、その様な闇の衝動をそれよりも強い“正義の心”“愛の心”が抑えるから。azareaは、痛感します。理性で暴力性をコントロール出来る彼等は、全員が不動明と同じ“デビルマン”なんだと。“♪誰も知らない 知られちゃいけない デビルマンが誰なのか何も言えない 話しちゃいけない デビルマンが誰なのか人の世に愛がある 人の世に夢がある この美しいものを守りたいだけ”(アニメ・「デビルマン」よりエンディングテーマ)きっと、街の彼方此方に“デビルマン”がいて社会を支えているのだと思います。
2007年05月28日
azareaは、思います。街角で可愛らしい女子高生と出会い親しくなったとしても、手を出さないオトコ達だっていっぱいいます。「好きだな。だが、俺には家に帰ったら今日もショート・カットで子供3人を叱り付けている女房がいる」そう、溜息を吐いて諦めます。万が一、そんな娘から告白されても「大人の一人として、相談相手にはなるよ。だけど、俺とホテルに行きたいだって?馬鹿言うなよ」と涙を呑んで(爆)お断りします。それが、“純愛”なのではないでしょうか。azarea自身、そんなお父さん達を沢山見てきました。最近は、10代のお嬢様が何をしようと「人生経験だから」と放って置く親御さんさえいます。私は、お嬢様を説得してこの男性を“淫行罪”で訴えた母親を評価しています。17歳で、大人並みの判断力を要求する方が残酷です。「300日問題」にも通じますが、最近はazareaのお客様方も“乱脈恋愛”と"普通の恋愛"の格差がどうしようもなく開いています。“乱脈恋愛”は、親子(特に、母娘)揃っている事が多い模様です。19歳で父親が違う子供を2人出産した娘の横で43歳の母親がやはり父親の違う子供を出産したり22歳の後妻とウマく行かず16歳の娘が同棲して身篭って出戻ったり。彼等は、貧しいのに“干渉されたくない”とお互いに生活を区分けし二重三重に費用がかかります。そして、生活費にも事欠く状況の中でも携帯電話での通信費だけは必死で捻出します。「新しい彼(彼女)さえ出来れば」相手が変われば、急に自分達が薔薇色の環境に移れるとお考えの様子です。azareaも、これまでは「息子が、16歳の女の子を部屋に連れて来ました!!」と相談されれば「淫行罪や誘拐で逮捕される可能性がありますよ」と警告して説得して何とかお宅に帰って頂ける様に努力して来ました。それが“純愛”と言われたら、いったい誰が止められるのでしょう。ある事例を、思い出しました。無職の19歳の息子さんが、他の彼氏さんとの間に子供を3人産んだ女性(さらに、他の男性の子供を妊娠中)を自宅に引き入れて親御さんのカードで家出しアパートまで借りてしまったのです。この女性は、それでもこの家を訪れては勝手に食料やお金を漁りました。彼の親御さんは、60代で働き過ぎで倒れました。父親が入院さえ出来ずお母さんが「お前に、血も繋がらない子供4人を扶養する力は無い。結婚するなら、せめて働いて欲しい」と訴えた時彼も泣きながら「何で、皆は僕の“純愛”が判らないんだ!!」と怒鳴ったそうです。そして、僅かな貯金も根こそぎ持ってこの女性と使っていました。azareaは、占い師ですが「恋愛だけが全て」とは思いません。
2007年05月27日
※07・5・23の日記もお読み下さい。azareaがこのブログを書き始めた時、最も強く願ったのは「大声でがなりたてる声だけが、“民意”では無い」との思いです。一部の議員達は、今回行われた離婚後妊娠者に対する“特別措置”に乗じて「離婚後300日以内に生まれた子供のうち、離婚後の妊娠は1割に過ぎない。離婚前の妊娠の子も、現夫の子として認めるべきだ。理想論では、無戸籍の子を救えない」等と主張されています。ところで、この“無戸籍”の子供達は親御さんが願ったのに無理にそうさせられた訳ではありません。1 前夫と重複しない妊娠の選択。2 離婚に向けた冷静な話し合いが出来る関係。3 (これ等の全てが実行出来無かったとしても)一旦前夫の戸籍に入れ、現夫の“養子”とする。4前夫に嫡出性否認や親子関係不存在確認の訴えを起こして貰う道もあります。(前夫だって、実子でも無いのに戸籍に入れたり扶養する義理はありません)この様な幾通りもの“選択肢”を「私は、やりたくないの!!法律を、変えなさいよ!!」と運動する姿勢に、底知れ無い問題点をばら撒く可能性があるのです。不倫・W不倫を重ねる男女の中にはあたかもご自分達が不当に虐げられているかの様に「自分達が“ワルモノ”にされるのは法律や社会的な良識の所為だ!!」等と、世の中全体を恨むヒトビトがいます。しかし、実際にはその彼等自身が法律や社会の常識にも何等束縛される事無くしたい様に恋愛をなさっています。一方、不倫・W不倫カップルから憎まれている“法律”は婚外恋愛によって放置されている彼等の家族を“無言の防波堤として守って来た”側面があるのです。最近、“不倫”を“純愛”だと認める判決さえ出されました。不倫・W不倫カップルの皆様は、喜ばれた事でしょう。でも、azareaは痛感しています。万が一、「法律・良識」が脆弱となり抑止力を失った時真っ先に最も追い詰められるのは他でも無い不倫・W不倫カップルの皆様なのです。ここで、最近急増している事例を挙げてみます。1ある女性は、W不倫男性の子供を身篭りました。彼の言葉を信じて、離婚届を突き付け別居した旨をメールした途端その男性は“雲隠れ”しました。現在は、夫との復縁を希望されています。2結婚したものの、前彼のアパートに出入りした結果妊娠。どちらの子供か判らない。3ある女性は、新しい彼に夢中になり夫に離婚を申し出て受理もされました。ところが、“暮らしてみたら、思ったより理想の彼じゃない!!”と不満に思い前夫に相談している最中妊娠が発覚しました。現在のところ、このどのケースも元のご主人(前夫)のお子様として一つの戸籍に収まっています。それは、それまでの法律が“そう言うもの”だったからなのです。本来、男性側は妻子に関していちいち法律に訴える様な面倒臭い事はしたがりません。「現在の夫は大嫌い・新しい彼が好き=でも、現在の夫の子供を妊娠したの」そんな女性達すら、大勢います。ただ、女性側が「離婚前の妊娠を認めろ」と詰め寄ればその重い腰を上げるかも知れないのです。そうなった時は、上記の事例女性は全員路頭に迷う事になるでしょう。あなたに“心”がある様に、ご主人にも“心”があるのです。「あんたがぼやぼやしている間に、実は私は浮気していたの。そっちの子供を妊娠したから、さっさとそれを認めて戸籍と親権を寄越しなさいよ!!」と要求するのはその“心”を踏み躙る行動なのです。“それ”を国家が認めれば、国家がオトコ達の“婚姻の約束”を全否定する事になるのです。azareaは、これまで浮気相手側が子供の認知や扶養を積極的に行ったケースを見た事がありません。声高に簡単に、「DNA鑑定を!!」と叫ぶヒトビトもいます。まず、DNA鑑定は現在精度が高いのは確かですが万能ではありません。ところが、まだ人妻の戸籍も抜けないうちからSEXを迫り避妊もしないような男性がDNA鑑定に応じたりましてその後の子供達の面倒を見る可能性自体がもの凄く低いのです。彼等自身も、妻子がいる事が多く不貞が科学的に実証されれば相手側の妻だって黙ってはいられません。何でもかんでも、国家に“証明”させりゃ良いってもんじゃないのです。
2007年05月26日
azareaは、思います。「山口母子殺人事件」で犯人の罪状が“傷害致死”だと主張し始めた21人の弁護士達一人一人の肩を揺さぶって「本当に、本心からそう思いますか!!ここで(心で)そう思いますか!!」と尋ねてみたいのです。azareaは、法律関係志望者達が書かれている幾つかのHPやブログを見て回った事があります。すると「自分は、内心では“死刑賛成”だがそう答えると成績に響く」等と書かれた方々を、お見受けしました。結局、現在の弁護士会の主流が“人権派”でありそこから逆らえないのでは無いでしょうか。また、こうも思います。講演や著述等の啓蒙活動の一環としてなら、“一つの意見”として「死刑廃止論」に耳を傾ける気持ちがあったヒトビトは大勢いたでしょう。ところが、実際の法廷で偶然犯罪に巻き込まれ愛する家族を失ったり財産を盗られたり大怪我を負った“犯罪被害者”を相手にして豊富な“犯罪テクニック”を弄して次々に闇雲に一律に“凶悪犯罪者”を“無罪化”させる姿を目の当たりにして応援する気持ちになる人間がどれだけいるでしょうか。azareaもそうですが、もう“人権派弁護士”=“悪の味方”の区別が付きません。これでは、逆に日本人全員を“死刑大賛成”にするつもりだったとしか思えません。
2007年05月25日
17歳の女子高生と知っていながら性交渉を持ったとして、愛知県青少年保護育成条例(淫行の禁止)違反の罪に問われていた会社員の男性(32)に対し、名古屋簡裁が無罪判決を言い渡した。現在では殆どの自治体で導入されている青少年保護育成条例。青少年保護の為に18歳未満との「淫行」を禁じるものだが、今回の裁判では「女子高生とのセックス」が「淫行」なのか「純愛」だったのかが争われた。2007年5月23日に下された判決によると、男性は副店長を務めていた飲食店で、アルバイトをしていた女子高生(当時17歳)と知り合い、06年4月ごろからデートを重ねるなど交際。同6月以降には、名古屋市内のホテルで計7回にわたり少女とホテルで性的行為をした。男性は当時、妻と子1人と3人で暮らしており、女子高生とは「不倫関係」にあった。女子高校生の母親が、2人の関係を知り、(弁護側によれば「女子高生の意に反して」)女子高生を連れて被害届を出し、男性は逮捕、起訴された。山本正名裁判長は判決文のなかで「不倫」「結婚を前提にしない」と言うだけでは刑事罰との対象とはならず「加害者と青少年との関係性、行為の手段方法、状況等の外形的なものを捉え青少年の保護育成上危険があるか加害者に法的秩序から実質的に不当性・違法性があるか等これ等を時代に応じて『社会通念』を基準にして判断すべき」と述べた上で、一定期間に映画を見に行くなどのデートを重ねた事、女子高生も男性に対して好意を抱いており合意や心的交流があったうえでのセックスだった事から「淫行」に相当するには疑問が残るとして男性を無罪にしている。判決では以下の場合は、合意があっても青少年保護の観点から社会通念上非難に値する「淫行」としている。(1)職務上支配関係下で行われる性行為(2)家出中の青少年を誘った性行為(3)一面識も無いのに性交渉だけを目的に短時間のうちに青少年に会って性行為する事(4)代償として金品などの利益提供やその約束の下に行われる性行為「青少年保護育成条例」は「淫行」とについて、「青少年を誘惑し、威迫し、欺罔し又は困惑させる等その心身の未成熟に乗じた不当な手段により行う性交又は性交類似行為のほか、青少年を単に自己の性的欲望を満足させるための対象として扱つているとしか認められない様な性交又は性交類似行為」と規定している。弁護士は「最高裁判例を明確化したという点で意義がある」と今回の判決について評価している。「愛し合っている事を『淫行』として処罰するのであれば、恋愛を処罰するに等しいと主張して来ました。通常の恋愛と同じように、ドライブに行ったり、映画に行ったり、食事をしていたのであり、それが認定された。私としてみれば当然の判決です」と語った。「不倫であろうとも、18歳未満でも、恋愛関係にあれば、『淫行』じゃないとされた新しい判断だと思います」(07・5・24報道より)これは、何故か我が国にのみ増え続けている「オンナは、若い程価値がある」男性達にとって大変な朗報となるでしょう。年端も行かない少女達を数回デートしてメール等で何でも聞き役になっていれば「心が通い合い」=「淫行では無い」そうです。この裁判長や弁護士は、どうして恋愛で自殺や殺人まで起こるかまるで理解していません。15~19歳程度で、妻子ある男性から甘くアプローチされれば中には「彼が、世界の全て」になってしまう女の子もいるでしょう。親御さんが反対しようが親友が忠告しようが「何を言ってるの!!私だけが、彼を世界で一番理解しているのよ!!」そう心から信じ切って叫ぶばかりです。それが、いつも100%正解なら良いですね。でも、実際には常々「“妻とは、離婚を考えているよ。俺は、お前だけだ。お前と、結婚したい”」等と語っていた男性が妊娠中の妻と楽しい海外旅行に出かけていたなんて有り触れた展開なのです。そして、自分が妊娠した際には「俺が、結婚してたのは知っていたよな」と取り合っても貰えません。その時、いったい何人の女性が「私は、若いうちに素晴らしい経験をした」と心から笑い飛ばせるでしょう。結婚適齢期を迎えた友人達がそれぞれ独身のBFと婚約するのを、涙ぐまないで眺めていられるのでしょう。万が一その不倫男性達がこぞって少女との「純愛」を認められた場合、“家庭崩壊”の危機に曝される可能性が倍増します。誰しも、恋愛の時はお互い相手に対して“良い部分”しか見せ合いません。少女と交際を始めた夫達の中には、ご家庭で髪を振り乱しながら家事・育児・介護・仕事に奮闘している妻達の“素顔”よりそちらに惑わされる男性もいるかも知れません。そして、また少女が母となり髪を振り乱すと新しい少女との“純愛”が始まるのでしょう。こうして、男性の経済力が繰り返される結婚・離婚で引き裂かれればその被害は一番に乳幼児に襲い掛かります。それが、オトコ達に「家庭の維持より、“純愛”が素晴らしいのだよ」と囁いた結末です。「300日問題」もそうですが、近視眼的な“似非フェミニズム”(オトコのオンナ化・オンナのオトコ化)がとうとう法律にまで及んでいます。彼等は、真の意味で生涯に渡って女性(母親)を守る気等持ちを合わせておりません。
2007年05月24日
※(“Meイズム”については、07・4・20の日記をご参照下さい)“少年法”が“改正”された途端、少年達による凶悪犯罪が激増してもはや堰き止められなくなりました。当初、“少年法”を熱心に“改正”した弁護士さん達は「見込み捜査や、冤罪を無くす」等と叫んでいました。しかし、その“手段”として法(ルール自体)を動かしたのは間違いだったのです。何故なら、人間にとって“法律”は強固な盾であり拠り所だからです。その効力を理解せずふにゃふにゃにしてしまい、「“少年法”は、改正されたんだ」と野放図になりどんな少年事件も一律甘く取り扱った結果がこの悲惨な状況を生んでいます。これは、“法律”は個人の状況を満足させる為にあるのでは無く万人を安定させる大きな器の役割を担っている事実を示しております。やはり、(改正以前の)“法律”を厳守しながら一つ一つの「ケース・バイ・ケース」として向き合う姿勢こそが重要だったのです。 「離婚後300日以内に生まれた子は一律「前夫の子」とする民法規定に阻まれ、現在の夫を 父親とする男児の出生届が受理されなかった東京都の女性が21日 同区役所に出生届を提出した」(07・5・22報道より)この母親は、「離婚後妊娠」「規定に数日足らなかった早産の為の特別措置」です。azareaは、今回の件も同様に本来なら法律まで変えるべきでは無いと考えております。この事例同様、ケース毎に深く思慮しながら慎重に「特別措置」を行うのが順当でしょう。普通、この様な事態に陥る前に二重三重の“手を打って置く”女性達の方が多いと思います。まず、元夫と重複しない妊娠の機会や方法もあります。また、元夫に協力して貰い現夫の養子にする道もあります。結婚・離婚・元夫以外の子供の妊娠・出産。(何等かのご事情で、300日に満たなかった理由)これ等のご自身の選択に愛と自信と誇りがあるならお子様にも「あなたは、こう言う理由で(現在の)“お父様の養子”になったのですよ」と、はっきりご説明が出来るはずです。今後もこの様な母子達を“客寄せ看板”に押し立てて「離婚前妊娠・離婚後妊娠による300日に満たない出産=現夫の子・新しい彼の戸籍に入れる」道を推し進めた場合、世の中は女性はどうなるのでしょう。現在の法律は、“似非フェミニズム”が吊るし上げている「300日間は、女性側の妊娠を認めていない=オトコは得だ」等とド単純なものではありません。元々は、婚姻関係にある(あった)夫側の“扶養責任”を明言している側面もあるのです。男性が離婚後すぐ再婚した妻に子供を生ませても その子供が元妻の子供である可能性はありません。 ところが、女性が妊娠した場合は、元夫の子の可能性を否定出来ません。 曖昧な状況で子供達が生まれない様に阻止しながらも、保護しているのです。彼等は「DV夫の子だったら、離婚交渉が長引くから」等と主張しています。DVには、DV被害者専用の保護を考えるべきです。では、その様な“特殊例”を一般化して夫の責任逃れを助長しより多くの一般的な妻達を経済的な困難に陥れる権利があるのでしょうか。実際、前述した通り“不倫・W不倫”中にご主人の子供を妊娠する例も多いのです。彼等の運動が成功すれば、現行の夫側と言う明確な受け入れ先を失いより多くの(経済的に)“宙ぶらりんな母子”が発生するでしょう。“離婚前妊娠”“離婚後妊娠”を行った母親達に対して、殊更に法律が差別的な虐げで全員が“無戸籍”にさせられるかの様な短絡的な報道にも問題を感じます。晩ご飯を用意していたazareaの家にも、このニュースは映りました。この母親の顔が不特定多数の視聴者から判別されない様に映像上の加工がなされているのは、理解出来ます。ところが、赤ちゃんの顔はクローズアップされていました。この“母親”の背後には、大勢の支援者が動き回っていました。彼女の周囲には、分厚い支持層が形成されている様子が見て取れます。この中の誰一人、「赤ちゃんの顔を、全国に曝すのは止めましょう」とは考えなかった模様です。私には、この姿勢が“運動”の本意を象徴している様な印象を受けました。有名な“大岡裁き”にもある通り、本ものの母心は“何よりも、子供を優先”させるものだと思います。女性として母としての感受性をお持ちなら、自らの行動がメディアに公開されると知った瞬間に「子供だけは、映さないで下さい」と反射的に強く要望されたと思います。
2007年05月23日
インターネットでの競売サイトに出品して、落札者約70人に 商品を発送せずその代金分である計約600万円をだまし取ったとして詐欺罪に問われた 女性(37)を無罪(求刑では懲役5年)とした神戸地裁判決に対し、 神戸地検は19日までに控訴を断念、遂に無罪が確定したそうです。 女性の弁護側は「破産して神戸地裁から 債務免責を許可されており、今後も被害弁償の予定は無い」と話しています。 この判決のポイントは、二つあります。商品を、ただ遅れなくなっただけ=詐欺を行う“故意”は無かった=詐欺の故意が無い(立証出来ない)=すると、後は債務の問題だけが残されます。 そこで、この女性は先に破産申請を行っているのです。 ところで、この決定自体も裁判所が担当しています。つまり、裁判所(国家)が彼女の罪を先に「破産者」として免除を決定した以上はそれを再び後から詐欺と認定する道理はありません。 いつも、思います。事件に偶然巻き込まれてただ動揺するのみの被害者側に比べて、加害者側には“弁護士=法廷のプロ”が着いています。ほんの少し前までの「弁護士」達は、法廷に於いて公平であるとの誓いを示す“天秤”を象ったバッヂを誇りに思っていました。ところが、最近の弁護士達は「法廷テクニックを駆使して、犯罪者を無罪にする」事だけ考えています。彼等の“主人”はもはや「正義=法廷」ではなくなりました。犯罪者も被害者も、“平等”としてその同一線上で加害者側を無闇に“無罪化”させる(死刑廃止論)人権派思想”が主となったのです。ってか、何で犯罪者と被害者が同じなのよ。 元々、「犯罪者とは、(皆のルールを破る行為を行って)自分の意志と行動でその平等な人権から外れた」のです。だからこそ、法廷があり罰則があります。それ等を全て否定するのなら、人権自体も否定されるしか無いはずです。そのうちには、「犯罪者を逮捕・拘束するのは、人権に反する」との“正論”に行き着くのでしょう。
2007年05月20日
その1歳の乳児は、4月23日午後5時頃大阪府内の国道の山林の脇道に仰向けで倒れていました。 この坊やの遺体が発見されたのは、この子自身の2歳の誕生日でした。また、 母親が新しい夫と入籍した日でもあったそうです。母親は、2006年2月に前夫と離婚→2007年1月まではご実家で乳児と共に扶養を受けていた様に推察されます。その後、親子で家出し「育てられない」と児童相談所に申し出ています。担当した人々は、乳児に虐待の兆候を発見しました。その為、2月には「施設で育てる」との提案までなされております。ところが、母親はこれ等の様々な保護を蹴りました。その挙句、4月中旬には新しい彼から子供が殺害された疑いがあるのです。そして、その直後の再婚なのです。 この新婚夫婦は「パチンコを楽しみたい為(我が子を)バイクのヘルメット入れに入れたら、死んだ」と供述しています。死亡した我が子を、「近くの量販店で買ったポリ袋に入れて乗用車で遺棄場所まで運んで捨てた」 と話しています。他人の赤ちゃんでさえ、様子が変われば本能的に病院に運び最期まで付き添ってお葬式をするでしょう。それなのに、人間の自らが産んだ我が子のご遺体に対してゴミ以下の投棄を行い“処分”を済ませてその後喜々として入籍しています。私は、この事件の背景にどうしても“赤ちゃんポスト”を連想してしまいます。azareaも、常々実感しています。それは、“心の闇”なんて複雑なものではありません。コンドームを装着するのさえ面倒臭がる様な男性とそれを容認する女性のカップルは、育児に耐えうる当然の“生活力”や“思慮”が欠けている事実を表わしているのです。彼等は、施設に預け入れるだけの手続きさえも出来ず遺棄の流れになると懸念しています。こんなカップル達の果てしない尻拭いを、今後永続的に国民の税金で行うべきでしょうか。azareaは、思います。“赤ちゃんポスト”に投入される乳児を増やす方向では無く、逆にこうしたカップルを一刻も早く一つでも“減らす”努力をすべきなのです。我が国は、ごく最近になって破滅的に“嬰児殺し”または“親殺し”が増加しました。これは、根本は同じです。1つは、“小泉政治”により“格差社会”が低所得者・再就職者を追い詰めている現実です。そしてさらには、彼等の様な“(考える)脳が無い”ヒトビトが「避妊をしたり堕胎をしたりまたは生まれた乳児を施設に預けるより・または看護や介護をするより=殺害して“人権派弁護士”さんに自分達の“代行”として言い訳して貰い罪が許されて人生がリセットされる=“お手軽殺人免除パック”の方が魅力的である事実を示唆しています。もしかしたら、これは一部“エリート層からの呪い”なのだろうかとさえ慄然とします。愛には、責任が伴いそれを支えるのは信頼だと明言しなければならない時です。
2007年05月18日
アメリカは、技術で自分達を追い抜きバブル期には自国の歴史ある土地まで買い漁った日本を決して許さなかった気がしています。彼等は、自分達が辿った自滅の過程を踏まえながらじわじわと我が国を追い込んで来たのだと思います。1日本と仲良くなって貰っては“力が付き過ぎる”アジア諸国や後進国と、敵対させる。“平和憲法”はいかにもアメリカ側が敗戦国だった日本に“押し付けた”格好を取り、それを棄てさせて自分達の“パシリ”として便利に使う選択に立ったのです。2企業戦士を支えて来た妻達を、“婚外恋愛(不倫・W不倫)と自立”をえさに堕落させて家庭を崩壊させる。3子供達から“躾”を奪って勤勉さを失わせ、気まぐれで気分屋の駄目人間に成長させる。これ等に加担して来たのが、“改憲派”“似非フェミニズム”“個人主義・悪平等主義”者達だったのでしょう。今朝、ある若もの達の“非情は、カッコイイ・戦争は、クール”との文章を読みました。彼等は「(老人や低所得者を)保護したり、護憲なんて甘っちょろい」と、語っています。彼等は、自分自身が老いて病に倒れ路上に置き去りにされても不安を感じないのでしょうか。azareaは、その時誰かから助けられありがたくて涙が出たとしてもそんな自分を甘っちょろいとは思いません。azareaには、政治家達がエゴイズムや欲得を肥大させて戦争を起こす姿もそんな煽りに先導される姿も賢いとは思えないのです。一国民として、不戦を願うのは深い叡智を必要とする道です。アメリカから武器を買わされ自衛隊まで派遣させられる事態は、その分我が国の国力を衰えさせられる事でもあるのです。「日本が、自衛隊で“自分の国だけを守る”のは“国際貢献に反する”」等と主張されているご意見があります。では、本当に「アメリカ(その時期の大統領の意見)=絶対正義=アメリカに協力=世界の光」とお信じになっているのでしょうか。一歩譲ってアメリカが絶対正義だったとしても、戦争に協力するのは世界を繁栄させる“国際貢献”となるのでしょうか。それは、アメリカの歴史を見れば歴然です。アメリカが当時の大国だったソビエト連邦に対抗して競って首を突っ込んだ結果、泥沼の戦争状態が終らせられなくなった国がどれだけあるでしょう。今回、我が国は“小泉式外交”の一環としてアメリカに協力して本来なら我が国の為の自衛隊をイラクに派遣しています。現在、イラクでの戦死者(犠牲者)はアメリカ軍人は3000人を越え民間人の犠牲者に至っては60000人を越えています。自らの人生と本来なら何の関係も無かったその国の指導者の主張を“正しい”と証明する為に家族や恋人と別れさせられ派遣され死体になって帰って来る姿がそんなにも格好良くてクールでしょうか。アメリカ軍人が、泣く泣く銃を向けた先にも家族はいたのです。その数字が増えれば増える程、ブッシュ氏は安全で優雅な高みからその“数字”を“勝利”のデータとして読み上げるのでしょう。このまま、犠牲者をさらに増やすのが“国際貢献”でしょうか。
2007年05月17日
“死刑廃止論・人権派弁護士”の皆さんがその最も有効な“法廷戦略”として“精神科の通院暦”を免罪符にして以来、犯罪を犯す際に“事前に精神科を受診して置く”凶悪犯罪者達が急増いたしました。今回も、惨殺された母親は息子が受診した医師から「学校へ行け等と、子供を“刺激”しない様に」と命令されていたそうです。私は、TVで見たイギリスのプロの養育者達(“お母さんのプロフェッショナル”)が放任主義のアメリカの親達に向かってこう叫んだ光景を思い出しました。このアメリカの親達は「自分達が子供を叱る=子供達の心が“傷付く”=親だからって、子供を叱る“資格”は無い」と、子供達が度を過ぎた悪戯に耽る中で苦悩してただ泣いているだけでした。そこへ、叱責が飛びました。「あなたは、何故子供を叱らないの!!子供達は、叱られる“権利”があるの!!子供達は、悲しんじゃいけないの?悩む権利は、無いって言うの?あなたの子供達にだって、叱られて悩んだり悲しんだりしながらそこから“社会性を学ぶ権利"があるはずよ!!」母親として、生身の子供達を育ててきたからこそ言える自信に満ちた言葉でした。子供達にとって、親(周辺の保護者達)は“神”と同じ存在です。その親が子供達に躾や善悪を教える際に、重石にして“要”として来たのは“法律”でした。子供達を教育する過程に於いて、どんなご家庭でも必ずお子様を諌める言葉として「そんな事をしたら、警察に捕まるよ」と諭されたでしょう。ところが、我が国では本来なら最も公正であるべき“法律”の内部に自分達の権力を拡大する為なら手段を選ばず無罪化する死刑廃止論推進を目的とした自称“人権派弁護士”さん達が現れたのです。そして、“相互協力体制”を組んだのが彼等の論理の摩り替えにまんまと嵌まった医療関係者でした。しかし、実際には彼等のうちいったい何人が自分自身の家の子供達や母親(妻)と直に向き合っているのでしょう。地道に講演や啓蒙活動等で死刑廃止を訴える道を棄て去った彼等にとって、必要な“駒”はたった一つだけとなりました。それは(世間の耳目を集める)“凶悪な犯罪を犯した挙句、自分達の威力で救われたと世間に印象付けられる”被告人達です。こうして、我が国では青少年を取り巻く環境が一変しました。子供達は、“未熟で未発達”な状態です。その目の前で、「正しい道を歩かないと、警察に逮捕されて法律で裁かれその本来自由だったお前の人生が絶たれてしまうんだよ」と叱る親(教師や先輩・友人)達と全く正反対の「いやいや。君は、どんな犯罪を犯したって無罪になるんだよ」と囁く法律関係者が並ぶ様になったのです。「心の闇」と聞けば何やら奥深そうですが実際の動悸の大半は「むしゃくしゃした」「叱られた」「学校に行きたくない(働きたくない)」です。これは、犯罪者達にとって自分の人生と向き合う喜びを棄て去り手っ取り早く殺人を犯して当座刑務所に逃げ込みたかっただけと言う明確な事象を指し示しています。凶悪な犯罪を犯しては、自白や自首を重ねるヒトビトを目にする度azareaには彼等が忠実な奴隷に見えます。「“人権派弁護士”さん!!この、母親の生首を見て下さい!!僕は、こんなにも素晴らしい犯罪を犯したんです!!どうか、僕を使ってまた殺人を許して下さい!!」彼等は、二度と元には戻らない自分自身の人生と引き換えに“親”(神)以上の存在である“人権派弁護士”達から“無罪を勝ち取って貰える(かも知れない)”との陶酔感を得るのでしょう。ほんの少し前まで、それは誰からも“破滅”と呼ばれていました。犯罪者達が、犯行前に“精神科”に通っていた場合その患者達に責任が無いなら治療者である医師側の責任が問われるのが妥当ではないでしょうか。その療法が失敗した結果として、無関係な尊い生命が無残に奪われているのです。せめて、カウンセリングや投薬の検証が行われてこそ“通院暦があれば無罪(減刑)”とされる根拠になるはずです。それさえ無いなんて、法律は何時から“イメージ戦略”に左右される様な脆いものに貶められたのでしょう。
2007年05月16日
azareaは、あの老人達を見る度に思います。過去の勝ち負けのコダワリを棄て切れなかったハゲジジイどもの為に今現在結婚を考えている彼氏さん達が“徴兵”にかけられその腕に掴まって甘えている女の子達が別れさせられ街角で親御さんに抱かれている赤ちゃん達が火の粉を被る様な事は絶対にあってはならないのです。「戦争?難しそうだし俺(私)には、関係ない。勝手にしたら」彼等は、大多数の国民が賛成したかの様に手っ取り早く見せかける為にそう思わせようとするでしょう。でも、もし平和憲法を破棄して“改正”したら戦地に行かされるのはあのハゲジジイどもではありません。先の戦争で生命と引き換えに平和を誓った人々の子孫である、あなた(或いは、あなたの彼氏さんやお子様達)なのです。平和を守る最も確かな道は、「戦争をしない(政治家同士にさせない)事」です。azareaには、まだまだ世の中を見ていて判らない不条理な現象が多くあります。一つは、我が国から平和憲法を棄てさせようとあらゆる手段を講じている人々が揃って先の戦争で“指揮官層”にいて多くの将兵を死なせた人々ばかりなのは何故なのでしょう。第二次世界大戦時代、飢える市井の子等をぴかぴかの真っ白な軍服を着て這い蹲らせ嘲笑っていた上官が現在では政治家に姿を変えて“国民を導く”と主張されています。さらに、彼等の“悲願”が達成された暁には他でもないその将兵達が生命と人生を賭して守り抜いて行った“戦争を知らない世代”をかつての敵国の“パシリ”として真っ先に戦地に立たせる事になるのです。戦争や殺人は、通常誰も積極的に「やりたい」とは考えません。そこで、彼等は様々に“論理”をすり替えまさに“牛歩”のスピードで歩んで来ました。その足が、遂に「国民投票法」にまで進んだのです。彼等の“愛国心”は、今後もずっとぴかぴかの冷暖房が整った室内で美食の合間の優雅な“議論”として終始するのでしょう。各国の国民が科学爆弾で細菌爆弾で死に果てても、彼等にとってはそれはTVの映像にしか過ぎません。「我々の戦争は、“正しかった”」ただ、そう自分達が“納得”したいだけ。それが、彼等の“プライド”なのです。
2007年05月14日
暫く前から、“ウマく行く恋愛術”を休載してしまい申し訳無く存じます。実は06’11月から07’4月まで熱が上がらず、異常に長引いた風邪を患いました。それは、今まで体験した事が無かった複合的な症状を起こす不思議な感冒でした。それに加えて、重く長引いているのが“女の子の悩み”です。元々、鉄分が不足がちなのですがこれでは際限無く流れて行ってしまいそうで不気味です。後は、不定期に急な腹痛が起こります。時には、頭痛まであります。一度は、いきなり嘔吐を伴ったりして驚きました。未だに、喘息も残っています。ある相談コーナーでは、「原因はストレス」とありました。早朝に起床して、食事は取らないまま14:00~15:00近くになって空腹から大量に掻込む様な食事をします。夜は、ダイエットの為に蒟蒻が中心です。休日は、やはり昨年から殆どありません。あっても、お客様から呼び出されるので余程遠出の時以外は心から休んではいないかも。azareaは、文章を“書く事”が何よりも大好きみたいです。最近は、簡単に無料でHPやブログが開設出来ます。しかも、割と読者の皆様に付いて頂けると大感激して張り切ってしまいます。その結果、いつしか複数のブログで幾つか抱えてしまい“更新”を焦る部分も出て来ます。意外な事に、視床下部の不調も原因の一つらしいです。azareaも、自分自身の“暮らし”を少しだけ考え直そうかとも考えております。近いうちに、ゆったりペースで“新装開店”する可能性があります。その際には、よろしくお願いいたします。
2007年05月12日
私が幼い頃、市街地の中心で転んでしまうとその辺りに母の罵声が響き渡りました。「何て言う、とろい子なの!!さっさと歩かんと、置いてくでね!!」私が思春期の頃も、母はずんずん進んでいました。「あんたみたいなみっともない子と歩いとったら、こっちが恥掻くでね!!」正直、街角やデパートで涙ぐむ時もありました。それは、つい最近までそうでした。母は、炊飯ジャーとかオーブントースターとか“重たいお買いもの”をしても宅配して貰うサービスを断ってそれを抱えながらずんずん進んでいました。「一緒に、旅行を」と計画しても、中々母娘で歩幅が合わず「わしは、こっち行くでな!!」と先を行ってしまう母なのです。いつだったか、私も腹を立ててばらばらに帰って来てしまった事さえありました。ここ数年、ふと気付くとそんな母が私よりも後ろを歩いています。それに、何となく気が付いてからはかなりゆっくり歩いて歩幅を合わせるのでした。 この頃は、母にはいつまでも「ちゃっちゃと、歩きゃあ!!」と怒鳴られながら歩きたいとも思うのです。
2007年05月10日
ほんの少し前までの、日本の映画やドラマを見て下さい。どんな卑劣漢でも、電車の中で女性をレイプしよう等とは発想さえ沸かなかったでしょう。また、女性が暴行されていたらどんな男性でも「止めろよ!!」と制止したでしょう。それを支えていた枠組みが日本人を支えて来た“男らしさ”でした。この事件を扱ったブログを散見する中で(匿名ではありますが)法律の知識を披露して「この場合、暴漢を(“レイプ”が“完成される”以前の段階の)痴漢行為程度で(“レイプ”を未然に防ぐ為に)注意すれば食って掛かられて暴言を吐かれるだけじゃすみませんよ。暴漢が、あなたを“名誉毀損”で訴えたら暴漢が勝ちます。それと、“痴漢行為”位の拘留だと注意したあなたを覚えていて復讐されますからね」と書かれた文章がありました。まさに、豊富な知識さえ駆使すればどんな犯罪でも“弁護”出来ると言う見本でした。ほんの少し前の我が国では、この様な屁理屈だけの男性は“卑怯者!!”と別の男性から一喝されていたでしょう。我が国は、戦後技術的にも経済的にも“戦勝国”だった欧米を驚嘆させるスピードで発展しました。そのパワーの源は「男達を、心置きなく働かせ自らは家庭をきっちり守り抜く」日本独特の男女関係だったのです。そして、その中心には“母親が、世代を超えて男の子を男らしく女の子を女らしく育てる”躾がありました。その後、出現した“似非フェミニズム”は、「オトコは得だ=オンナは損だ」のスローガンの下必死になって我が国のこの“男らしさ・女らしさ”を攻撃して来ました。男性が女性を助けるドラマやアニメのシナリオを“こうやって幼少時から、オンナは弱い存在だと洗脳しているんだ”と糾弾していた“似非フェミニスト”もいました。彼女は、会場に向かって“どうして、オンナは助けられなきゃいけないんですか。後、男性に言います。あなた方は、どうしてオンナを助けるんですか”と叫んでいました。先日、最近売れっ子になったらしい“お笑い芸人”さんが先輩達から「お前も、売れっ子だな。毎晩、モテモテで金が要るだろう」と水を向けられました。すると、彼は真顔で「はぁ!!何で、金があるからって俺が払わなきゃいけないんですか!!恋愛は、“対等”でしょ!!俺は、オンナにこう言っています。“お前が、自分の意志で俺とデートしたいんだから自分の分はお前が払えよ”って」彼は、食事代やホテル代その送迎費用もすべて“割り勘”だと力説しました。azareaは、個人的には彼の様な男性には“一生を預ける”気持ちになれません。また、世の中がこんな考えに染まった時“似非フェミニズム”が女性たちの地位向上に貢献したとは到底思えないでしょう。別の番組では、この様な場面もありました。2 ある番組で、美人女優さんに司会者が「あなた位お美しいと、男性達からプレゼント攻めに遭うでしょう」と言いました。すると、彼女は「オトコから、プレゼントされるなんて“気持ち悪い”じゃないですか!!」と悪寒に耐える様なしぐさをしました。そして、「美人だからってものを贈ろうとする様な男性達は、遊び慣れていて私を馬鹿にしているんです。むしろ、私は自分が好きな男性になら自分からプレゼントをあげます。私が好きなんだから、それで良いでしょ」と答えていました。azareaは、「あれ。それじゃ、この場合彼女自身は相手の男性を“馬鹿にした”事にはならないのかしら」と呟いてしまいました。さらには、少し番組が進むと彼女は嬉しそうに意中の男性から豪華な贈りものをされたエピソードを披露していました。思わず、司会者が「あれ。その男性からのプレゼントは、良いんですか」と質問されて「はい。彼からのは、“私を、よく理解してくれている”から良いんです」と答えていました。これは、一つの“真実”を現しているのです。“似非フェミニズム”は、女性が男性から“養われる”事を“女性の能力を低く見て貶めている”と攻撃し続けました。私は、そうは思いません。人間は、プレゼントの上に乗せられている相手の心も受け取るからです。だから、男性から“養われる”生活の中から“男性を、無条件に信じる”心も手渡されるのだと考えています。それが“無償の愛”の土台となり次の世代である赤ちゃんを将来の保証なんか無くても落ち着いたお気持ちで“養える”のでは無いでしょうか。
2007年05月09日
時間が経過した報道ですが、私の心から去り難いものがあるので取り上げます。(各氏報道より抜粋)苫小牧市の民家の物置から幼児の腐乱遺体が見つかった事件で、母親が死体遺棄と殺人の罪で起訴された。 21歳の彼女は、当時3歳の長男と(次男は、食物を喉に詰まらせて窒息死)1歳の三男を育てていた。06’10月末、この母親は2人の幼児だけを置き去りに家を出た。その前夜には、冷蔵庫の残りもので作ったチャーハンを「最後の晩餐(ばんさん)」 として食べさせている。 彼女が自宅に戻ったのは、1ヵ月余り後の同年12月4日だった。2人を放置した状態で交際相手の家で暮らしていたが、1歳の三男の遺体の腐乱化が進み近所から悪臭の苦情が寄せられ家の明け渡しを迫られていた為通告された退去日になって仕方なく入室した。 札幌地検の調べに対して、この母親は「夜の仕事が楽しく、交際相手と一緒に住みたかったので子どもを殺してしまおうと思った」等と供述している。ドアを開けると、死んでいるはずの長男が飛び出して来て抱き付いた。冷蔵庫の中にあった残飯やマヨネーズ・米・水さらに生ゴミを食べて、生き延びていたのだ。真冬だったが、昼間は暖房が自動的 に始まるアパートだった事で凍死は免れた。3歳の長男は、自らの命を繋いだが弟の世話までは出来なかった。おむつも取れていないハイハイ歩きの赤ん坊の三男は、およそ1週間程で死亡したと観られている。「死刑廃止制度」を掲げる“人権派弁護士”さん達は、日本人の健全だった“犯罪意識”を根底から破壊したのだと思います。“犯罪者に、人権がある”の“人権”とは、本来は「人間として生きる権利」でした。それを、“犯罪者は、何をやっても許される”と見当違いな拡大解釈を起こさせたのは一部の“人権派弁護士”さん達による“法廷で自分達が勝つためなら、手段を選ばない”法廷戦略でした。しかも、彼等はそのテクニックを喜々としてマス・メディアに公開しています。「死刑廃止」を唱える一部“人権派弁護士”さん達は、本当に公正な眼差しで“法廷”を見つめていたのでしょうか。彼等にとって法廷は、犯罪者という駒を動かしては自分達の思想を勝ち進めて引いては自らの権力を拡大させたかっただけなのでは無いでしょうか。彼等が勝ち続ける為には、犯罪者という便利な“消耗品”が必要です。しかも、その道具は愚かであればあるほど操りやすいのです。この母親には、本来多くの選択肢がありました。1避妊。2子育てを、第三者に委託する。彼女は、そのどれも棄てて2人もの人間を1ヶ月もかけて餓死させるという最も困難で自らの人生にも取り返しが付かないダメージを及ぼす道を選択しました。何故だと、思いますか。それが、当座の彼女に“いかにも簡単に思えた”からです。ところが、この場合もし彼女の思い付きを自分自身か外部が塞き止めていたらその方が“自由”だったのです。誰しも、50年或いは100年近くも自分だけの裁量によって推し量れる時間を持っています。それは、大きく捉えるに従って知識や情報を判断する器が広めその分自由にもなれるのだと思います。
2007年05月07日
azareaが幼かった頃のマス・メディアは、自分達が取り扱うものは報道や放送によって“営利”が発生するとの真実を“自覚”していました。たとえ、それが大衆から“聖職”と呼ばれる医師界や宗教・教育者法曹界果ては政界や自衛隊であれその図式は同じだったのです。※その名残りは、NHKの名作「クライマーズ・ハイ」の一場面にも凝縮されながら描かれていました。だから、“取り上げる”までに散々ぱら議論を戦わせしかも否定的でした。最近、整形番組を見ていると手術を受ける前に必ず「私(俺)は、この顔の所為でイジメられた」と泣き崩れる場面が悲惨な“再現VTR”付きで挿入されます。彼等は、“整形医師”の手で素晴らしい容姿を提供され薔薇色の人生に生まれ変わられます。私が気になるのは、番組の中では親御さんから彼等が受け継いだ“顔”が諸悪の原因・不幸の原点との位置付けで悪ものになっている事です。本来なら、顔が悪いのでは無く“イジメ”(加害者側の行為)が悪いはずでしょう。正直、azareaも含めて“イジメ”られる側は必ず容姿を全否定されます。それは、本人に変えようが無い事を“イジメ”る側が知って逆手に取っているからです。かと言って、先手を打って整形で美しくなったとしたら今度はその整形を理由にイジメる事でしょう。何故なら、顔が否定されたのであってイジメは肯定されているからです。世の中からイジメを無くさなければならない時に、“イジメ”側の言いなりとなり「皆さん、顔が悪いからイジメられるんですよ。皆で、整形を受けましょう」と煽る姿勢はいつしか「顔が悪い人間は、イジメたって良い」=「整形を受けない方が、悪い」と進められる可能性が高いのです。それでは、莫大な利益を受ける側が(元々権力者である)整形医側に偏るのです。つまり、強者である“イジメ”加害者と整形医がより強い立場となり顔が悪いからとイジメられた被害者側をいっそう選択肢の無い不自由感に追い込む“報道・放送”姿勢なのです。昔のマス・メディアはこの過程を、不公平と見抜いて警戒していたのです。
2007年05月06日
私は、今回の「中日新聞」の連載“いじめと生きる”を通じて改めて教えられた部分がありました。まず、“イジメ加害者側”は“イジメ被害者側”を大きく下回るレベルでしか何も感じていないし考えてさえいないのが実情なのだと判りました。「登校拒否」「自殺」「引き籠り」時に“イジメ被害者側”は、社会で話題となりその対策も講じられて来ました。しかし、それは”イジメ加害者側”を置き去りにしたものだったのです。その結果、“イジメ加害者”達は自らが他者の人生そのものを左右する悲劇の原因でありながら“忘れた”り“ロマンティックな感傷に浸った”り遂には「私も、相手をイジメた記憶の所為で悩まされている」等の“被害者意識”さえも持つに至ったのでしょう。中日新聞の記者達も、その“実態”に驚いたのでしょう。今後は、“イジメ加害者側”ももう少し範疇に入るべきだと思いました。かつて、ご自分の息子さんがイジメで自殺したこの父親は自宅を解放されて現在の“イジメ被害者達”と向き合われました。それなのに、その目の前で“イジメ加害者側”に向かって「「殺してやりたい。あいつは、ぼくのつらさを今も全然わかっていないんだ」と呟いたまま死を選ぶ若者が続いています。その横では、かつて息子さんを死に追い遣った加害者達が「いじめ、いつまでもなくならんね」と他人事の様な距離感で感想を話しているのです。とても、象徴的な構図を感じました。
2007年05月03日
この特集を読むまで、azareaは“イジメ被害者”達のその後を考える事はあっても“イジメ加害者”達に付いて思い巡らせる機会はありませんでした。それは、私自身が過酷な“イジメ被害者”として過去を思い出したくなかったからです。初めて“イジメ加害者”側の心理に触れてみましたが、その実態は私の空想とは全く違っておりました。事例1の女性は、ご自身が紛れも無く“イジメ加害の当事者”でありながらお子様が生まれた途端「我が子が、“イジメ被害者”になったらどうしよう」と焦りました。これは、私にはとても不可思議な心理でした。通常なら、むしろ「我が子も、“イジメ加害者”になったらとうしよう」と発想されるはずではないでしょうか。彼女は、かつて自分がイジメた女性を新聞社に探させました。その結果、「結婚している」との情報を得て「(ご自分自身が、悲惨なイジメ被害に陥れた)元同級生が、普通の人生を歩いていた」と知り安心されています。それは、「結婚=自分と同じ状況=自らが、彼女に及ぼした“イジメ加害”は消え去っている=(そう、思い込める材料が得られた)=ほっとした」のだと思います。事例2の女性は、さらにこの“発展形”と言えるでしょう。彼女は、ご自分がイジメ続けた男性が別れに際してクラス全員に向けて発した高潔な挨拶を「私を、許した」と考えました。この男性は、彼女からお国訛りを嘲笑されました。私には、その耐え難い屈辱を無理に堪えての気品ある態度だったかと推察されます。ところが、その言葉を「(自分だけに向けられたメッセージ)=彼は、イジメた自分に対して“お礼”を述べた(妄想)=自分のイジメは、許されている」とお考えになっています。そして、その場面を自ら演出した語りと周囲からの慰めで飾って補強し「良い思い出」に転化されております。でも、今回(07’5・1付け分)の記事の女性は、その様な“自己欺瞞”には逃避されませんでした。きちんと、ご自分の過去の“過ち”と過酷に向き合い続けておられます。何故なら、彼女自身も“イジメ被害者”だからでしょう。azareaの2日間の文章にお目を通して下さった皆様は、これ等の考え方や生き方をどの様にお感じになられるのでしょうか。「差別意識や優越感を満足させるまま、成長期に友人をイジメ都合が悪くなれば甘い言い訳に酔って自己を正当化させる」そんな人生も、あるみたいです。その一方では、武田鉄矢さんがおっしゃっていた様に「人は、傷付いた分大人になる」模様です。その深い意味を、改めて噛み締めました。
2007年05月02日
azareaの地元紙「中日新聞」http://www.chunichi.co.jp/は、毎回丁寧な取材と検証を土台に読者に対してかなり誠実な記事が作成されていると感じます。“イジメ問題”に関しても、昨秋以来の長期連載中です。他の新聞社が、揃って「学校が悪い=教師は、全員土下座しろ=教育委員会による学校関係者の処罰を望む=解決」と看做す中で“イジメ加害者・被害者”双方から家庭問題や科学・医学による脳の断面図にまで至る検証、またその後の段階毎の“調査”まで多岐に渡って記事になっております。先日、ある“イジメ加害者女性”の手記が掲載されました。彼女は、学校ではトップ・クラスの成績であり美貌や家柄を誇るグループのリーダーになりました。ある日、ふと彼女に同級生が“笑いかけた”そうです。親御さんのご都合で家庭が崩壊し養護施設から学校に来ているこの少女が、自分達に関心を持ったら“グループのクオリティや、グレードが下がる”彼女は、危機感を感じたそうです。翌日から、この少女に暴言を吐きトイレで何度も土下座をさせ水をかけ汚物を投げつけ汚しては“ばい菌”と噂し他の同級生にも強く勧めそうさせて遂には妹さんまでも嗾けてイジメさせました。被害に遭った少女は、卒業まで耐え抜いて引っ越して行かれました。いじめ問題が大きく報じられて「嫌な記憶を思い出し、辛かった」彼女は、「せめて、投書が新聞に載ればこの苦しさから逃れられるかも」と新聞社にファクス番号をダイヤルしました。「誰かに打ち明けたかった。出来る事なら、会って謝りたい」私自身、この少女と類似した“イジメ”を受けました。小学校5年生から、中学卒業まで6年間。その歳月が、どんなに長く苦しかったか。正直、あの“イジメ”が無ければ、自殺を図る事もせず高校生にもなれていたでしょう。その体験を踏まえた上で、この記事を読み終えた私から口を突いて出た言葉は、こうでした。「あ、謝ってそれでこの女性は“気が楽になる”の!!そんなの酷いよ」新聞記者さん達の必死の捜査により、彼女が気にしていた“イジメ被害者女性”は発見されました。彼女の意志を伝えると、この女性は「謝って欲しくない」とお答えになられました。「(加害者側の)謝罪の気持ちは、理解しました。でも、あの頃の事は思い出したくない」と語ったそうです。“そんな(イジメ加害者)女性にも、二人の娘がいる。四年前、帝王切開で長女を産んだ五日後わが子をその手に抱き乳房に吸い付くのを見て感じたのは、「人生最大の幸せ」だった。思えば、自分がいじめた少女の泣き顔を思い出すようになったのはそのころから。もし、この子たちがいじめられたら…。本当に大事な存在ができてようやく、自分が彼女にした事の重さに気が付いた。激しい自責の念を綴った本紙へのファクスをきっかけに、相手に伝わった謝罪したいという気持ち。身勝手な事は分かっているが、「気にしていないよ」と言ってほしい…。それは、しかし、受け入れられなかった”この記事の中では、彼女の夢は“イジメ被害者女性”から「気にしてないよ」と言われて笑って握手する事だそうです。この連載を目にしながら、私自身も改めて思うところがありました。「イジメ加害者には、会いたくない」イジメを受けた側が、“もう一度、他者を信じる”までには膨大な時間がかかります。私も、そうでした。変な言い方ですが、「現在は、中学時代じゃないんだ。この場所には、もう(自分をイジメた)○君達はいないんだから」と何度も何度も言い聞かせ続けてようやく自分自身を“納得”させました。もし、その○君達が目の前に現れたら。そう想像しようとしても、頭の中が空白なのです。何も、思い浮かびません。それに比べて、加害者側にはご自分が許される場面が思い浮かぶとしたら。その差こそが、“イジメの重さ”なのかも知れません。気持ちを整理しながら、07’4・30の記事を読みました。目にされた方々は、何通りにでも様々な感想をお持ちになられると思います。でも、私は個人的に再び頭を抱えてしまいました。毎朝、読めば読む程“イジメ加害者”と“イジメ被害者”の意識の違いにただただ驚愕し全身が冷たくなります。“からかっても黙りこくるだけ。この子だったら…と思ったそうだ。何をしても、先生や親に言いつけたりしない”azareaのイジメ加害者達も、学校随一の優等生グループでした。何故、平凡で成績も悪い私なんかをと思って来ました。今回は、ご自分がイジメた少年が発した(本来、クラスメート全員に向けられた「ありがとう」の言葉を)加害者の女性は「私に言ってくれた」とお考えのご様子です。ご自分の“イジメ”を、彼が最後に「許してくれたんだ」と・・・。そして、それは自分だけのメッセージだと捉えた結果周囲から(その程度のイジメ体験は)「気にする事は無いんだよ」と慰められ二重に癒される日々をお過ごしになられています。恐らく、彼女のお店のお客様達は彼女にとって日常の何時に変わらない方々でしょう。店主でもある彼女から、何度も同じお話を聞いては何度も「気にしないで」と囁かれるのでしょう。彼女は、それを聞く度にまた「彼は、私を許してくれたんだわ」と呟くのだと思われます。それは、甘美な「自分の人生には、何の“過ちも無かった”」と言う自己讃美の呟きなのでしょう。
2007年05月01日
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