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厚生労働省は国立病院を独立行政法人として位置付け、独立採算を求めている。 しかし、東長野病院の場合は、すでに全国でも有数の心臓血管外科として長い間その役割を果たしてきた。 わざわざ、病院の近くに居を構える患者さんもいる。北信一帯では心臓外科ではきわめて重要な存在である。 これを、国立長野病院に移してしまった。 市長や町長、村長を初め、地域の区長さんや老人会長さんまで立ち上がり反対運動が起こった。 患者さんはあとを立たず、いい病院として地域医療の役割を果たしていたのに。 この病院から中心科目の心臓血管外科を無くして以降は、患者さんは激減の一途をたどっている。 さらに整形外科の医師が辞職した。まします患者さんは減ってしまう。 病院側は、医師を確保するなど精一杯の努力をしている。 そこで、今日は心臓血管外科反対連絡会が開かれた。 地域ではなくてはならない病院は、なんとしても守らなくては。 そこで、役員会を開き、安心してこの病院に通うことのできるようにと方針を決めた。
2003年07月30日
議会活性化に付いて、各派代表者会議の申し合わせを受けて、今日、党市議団として議長に申し入書を渡す。 内容は、第一に、全国議長会の議会活性化の調査研究の報告書を生かす事。 第二は、代表質問はすべての会派に行わせること。 第三は、陳情書は請願と同じ扱いで、委員会で審議すること。また、請願者・陳情者に趣旨説明の機会を与えること。 第四に、当選回数による海外視察は中止すること。 第五は、政務調査費は領収書を添付を義務付け、市民に公開すること。 以上である。 議員の海外視察は党市議団は一貫して反対を主張してきました。 H13年度では○1期が中国で10日間。○3期はアメリカの7日間。○5期はヨーロッパの10日間。○6期はオーストラリヤの7日間。 しめて430万円の税金が使われました。 市民は倒産や廃業、リストラで失業したりと、大変な苦労をしています。 市民の目線からは相容れません。 引き続き、中止を目指して頑張る決意である。
2003年07月29日
林檎の木に囲まれた、140戸の集落の行く先々で話が弾む。 「田中県政はいいと思う。前の知事と比較して、県政が見えるし、いい事しているよ。この知事の足を引っ張るなんてとんでもない。こんな県議は自ら辞職すべきだ。」「多少好かないところはあるが、それよりも勇気をもって、県政を変えよう。良くしようとしている。」地元のI県議の応援者も大勢いるでしょう。そんな地域で聞く厳しい批判の声。 こういう考えの持ち主は幾人もいた。 長野市は北端の、かっては保守的といわれている地域だが、進歩的な人々のささやかな声が大きくなりつつある。 影ながらの、共産党応援団。・・・さしずめ共産党影応援団か・・・ 私が16年間、駅頭や幹線道路及び道路の辻々で行ってきた街頭宣伝を見ていて、「日常活動を良くやっている」とうれしい評価をしてくれた。 うれしいことだが、これで万事が上手くいくわけではない。 手抜きせず、すべての有権者にしっかり声をかけること。 わかりやすく、心打つ演説を多数の人々に聞いてもらうこと。 簡単にはできないが。 全力を尽くして頑張らなければ。
2003年07月27日
・・・昼の12時から、長野駅前で・・・ 解散総選挙は11月頃と予想され各党は急速な準備にかかった。 日本共産党長野県委員会も、候補者を決定し、今日が、そのお披露目だ。 比例の木島日出夫予定候補や、1区の中野早苗さんなどあいさつをした。 長野市議選に向けて、私も、市議団長ということで、6人の予定候補者を代表して一言あいさつをさせてもらった。 今日が、新人永井さんを初めとする6人の予定候補者の街頭からのはじめてのあいさつである。 3分という限られた時間内でのあいさつなので、緊張したが自分なりにやらせてもらった。 ・・・ 午前中は、若槻団地で街頭宣伝をしながらの訪問活動であった。 宣伝の終わったあと近所を訪問。 Hさんは、「話は聞いていました。おっしゃるとおりです。かげながら応援しています。」驚いた。面識ない人からの励ましだ。 夕方は長野市は北の外れ、吉を訪問。 街頭宣伝をしたあとの訪問である。 皆さんよく聞いていた。 「そのとおりです。応援しています。」「ポスター貼っていいよ。公明党のポスターは来たから貼らしました。原田さんのも貼っていいですよ。」快く返事してくれる。 「何作っても農業はだめですね。どうにかならないか」 林檎作りの奥さんは、「津軽」の人工着色の為に林檎を並べていたが、手を休めながら、「原田さんの行っているとおりだよ。政治が悪いね。このりんごも、丁寧に作っても、何時も安い。張り合いがないよね。みんな元気の出る農業にして欲しいものですね」と政治への辛口をひとこと言った。
2003年07月26日
途切れることのない、車の行き交う街道筋で、マイクを握り宣伝をはじめる。 クラクションを鳴らし手を振るドライバーも目立つ。 音を出し始めたころ、自転車の籠に子犬を乗せた女性が歩道で止まった。 子犬を抱いて私に向かって歩いてきた。「うるさい」などと、言われはしないか身構えたが、心配無用だった。 「応援していますよ。」と心からの励ましの言葉を戴いた。 まったく知らない人だが、うれしい本日の最初の出来事である。
2003年07月25日
早朝の宣伝 今朝の定置定点の宣伝場所は、若槻団地入り口ラーメン屋さん前。中野早苗さんと一緒にマイクを握る。 熊本県水俣市の土石流による災害で多数の犠牲者が出、被害も甚大であった。心からご冥福をお祈りし、お見舞いを申し上げた。 また、イラクへの自衛隊派遣について、平和憲法を踏みにじるもの。今でも戦場化しているイラクへの軍隊派遣は危険極まりない。 重武装していかないと出て行けないことを指摘。 自衛隊を派遣するな。アメリカはイラクから出て行け。国連とイラク国民に任すべき、と主張した。 市議選ついても話した。 任意合併協議会・・・戸隠で 午後は、鬼無里、大岡、戸隠との任意合併協議会である。 今日は具体的な福祉施策や教育問題などの調整案が示された。 福祉医療では、乳幼児医療費の取り扱いで私はかなり厳しく指摘した。 それは、戸隠や鬼無里では、乳幼児医療は就学前まで無料であるが、長野市は4歳未満児までが制限なしで無料。これについては、長野市に統一するというもの。 他村が中山間地という理由もあり、過疎化が激しく、人を増やし活気ある村にしていくには、少子化に歯止めをかけることが一番。 その最良の手段のひとつが、乳幼児の医療費の無料化である。これを辞めて、長野市に統一はとんでもないこと。 極端な過疎の村に人を呼び戻す最大の手段は、子どもを育てる施策の充実である。 これを後退させては、合併の意味がなくなる。 合併の最大の原理原則は、福祉の向上である。真っ向から反している。 障害児学童への介助者、学校給食、図書館問題など後退させてはならない問題が山積している。 こんな、合併での調整案が出されては、住民が怒る。 住民の声が反映しているのか。と厳しく指摘した。 合併の趣旨に反するではないかとも指摘。 関係の村理事者は、「提案している内容で村民に説明する」と答弁した。大幅な後退で理解が得られるのか。 他の委員からは、何の異論もなし。、議長(鷲沢長野市長)は「原案通り決定」したとする。 誰もひとこともしゃべらない。隣の席でヤジを入れるもの多しである。 傍聴者はどんな思いでいたのか聞いてみたい。 福祉の後退が極端な、乳幼児医療費については、関係村の住民の意見も聞いてみたかった。 こんな事実がわかれば、合併反対の声があがるのではないか。 私以外、まったく、一人も発言はなかった。 これでいいのか、もっと真剣に議論してもいいはずだが。 市田書記局長迎えての党演説会・・・熱気あふれる1000人越 9月の市議選に向けて、市田書記局長を迎えて、新人、永井さんを含めて6人勢ぞろいの党演説会。 6人はそれぞれに、持ち味生かして決意表明をした。 私はしんがりで次のようにあいさつ。 皆さん、こんばんは。原田誠之(のぶゆき)です。 9月の暑い戦いに向けて、ひとこと決意を申し上げます。 今毎日、街頭で訴えながら、ご近所を訪問し対話をしていますが、身につまされる、深刻な声がたくさん寄せられています。 先日は、心臓病と糖尿病を患い、さらに、人工関節と腰痛症という70歳のおばあちゃんが玄関先に座り込み、切々と話をしてくれました。 「90歳のおばあちゃんの介護をしているが、こんな体では、自分のほうが持たないので、特別養護老人ホームに入所をお願いしたが、いまだに連絡がありません。 私のほうは先にだめになりそうです。無理心中でもしたほうがいいね。と話しているんです。」何とかして欲しい。との訴えでありました。 お年寄りや具合の悪い人が寝たきりのお年よりの介護をしている問題など、深刻な話はあとを立ちません。 特養の入所待ち900人を超え、入所には時間がかかってしまうからです。 長野市は、この実態に目をつむり、お年寄りや介護者に大変冷たい態度であります。 私は、特養の建設や24時間ホームヘルプサービスの充実で、ご苦労されたお年寄りが、安心して老後を過ごすことのできるように、家族の皆さんが仕事や病気を治すことのできるように、粘り強く改善を求めていきたいと思います。 長野市は、先ほどお話がありましたように、国も県も終結する同和事業に、いまだに毎年2億円、この間195億円もの税金を使い、さらに、「そごう」あとの再開発にも貴重な税金の投入であります。 市は、財源が厳しいことを理由に、介護保険料を大幅に上げ、保育園の民営化など福祉や暮らし、教育を後退させながら、同和事業や開発には遠慮なく税金を投入していますが、まさに、市民不在のさかさまな市政であります。 こういう市政をチェックするのが議会であります。ところが、長野市議会はどうでしょうか。 毎年、当選回数によって中国、アメリカ、ヨーロッパ、オーストラリやなど観光旅行的海外視察に行っております。 一昨年は430万円使いました。 その一方で、30人学級拡大の請願は、日本共産党以外の議員で否決してしまいました。 あまりにも市民の願いとかけ離れているのではないでしょうか。 業者の皆さん、長く続く不況の下、倒産や廃業に追い込まれ、リストラで失業者があとを立ちません。 こんなとき、議員がのうのうと観光旅行的海外視察は、市民の気持ちとは相容れません。 このような、市政や市議会のオール与党勢力と対決し、市民の目線で、変わり始めた新しい政治、市民の暮らし優先の市政を作るために、なんとしても、かけがえのない日本共産党の6議席実現のため、全力を尽くす決意であります。 大きなご支援を心からお願いしてご挨拶とします。 ありがとうございました。 ・・・以上の趣旨で決意とお願いのあいさつをした。・・・
2003年07月23日
街頭宣伝をやりながら、その近所を訪問してきた。 圧倒的に医療費の値上げや介護保険の値上げ、そして、年金の削減に不満は自民、公明支える小泉内閣に。 様々な要望も数多く託される。○下水道を早く引いて欲しい。○街灯が少ないので設置欲しい。○うちの子どもは4年生で39に学級。是非30人にして欲しい。○テニスコートの使用をもっと長くして欲しい。○特養を増設して欲しい。○市の公共用地の空き地の草を刈って欲しい。などなど、きりがないほど。一つ一つ解決していく。
2003年07月22日
少数激戦の市議選は、日々激しい戦いが繰り広げられている。 公明党のI予定候補は、私の地元の団地や駅頭で県議と一緒に街頭宣伝をはじめた。 早々の攻勢をかけてきた。 医療費を上げて、介護保険を上げて、挙句の果てに年金を削った。 おまけに近い将来、消費税も二桁にという話も出てきた。 所管の大臣は公明党の出身。 こんな党に負けるわけには行かない。 気を引き締めて、頑張らなければと、決意をあらたにした。
2003年07月21日
午後の4時過ぎ、陽射しもちょうどいい時間滞、街頭宣伝に出かける。 あえて、公明党のポスターの貼ってある一帯を選んだ。 声を出し始めると、目前の家からおじさんが草取りで出てきた。 終わるまで草を取っていたが、とたんに、手を叩いてくれた。 ブロック塀に公明党の地元女性候補Kのポスターが貼ってある。 聞いてみた。「公明党をおしているんですか。」「イヤー全然違うよ。地元なので貼らして欲しいというので返事をしただけ」という。 早速、「このポスターを貼ってもいいですか」と聞いた。 「いいよ、どんどん貼っていけよ」自分のポスターをしっかりと2枚貼らしてもらう。 「ところで、是非共産党を応援して欲しい」とお願いする。 「当然だよ。何時も共産党だから、家中で・・・」 ポスターで勝手な判断はいけない。 もう一見のポスターのある家に行く。 奥さんが出てきた。「ポスターを貼らして」とお願いする。 「好きに貼っていって」と少しつっけんどんだ。 そこで、医療費が上がり、介護保険があがり、年金が下がり暮らしが大変ですねー。今の政治はおかしいですよね。と話した。 そうなんです。うちは4月から医療費がかかって本当に大変です。お父さんの年金のほとんどを医療費につぎ込んでしまう。寝たきりのお父さんの介護には家中で協力している。 気持ちは痛いほどわかる。このポスターの公明党が医療費を上げている。国民を苦しめているんです、という。 医療費問題と介護には心底、心痛な思いでいたのだ。 共産党が頑張らないと、前進しないと期待はずれだ。
2003年07月17日
街頭宣伝をはじめると、家からおばさんが飛び出してきた。 手を振っている。演説が終わり、訪ねるとご苦労さんといって出てきた。 どこかで見たことのある、女性である。 かっての市役所の職員であった。定年で辞めて今は悠悠自適の生活をしている。 2階から騒がしい声が聞こえてきた。 「お客さんですか。」「そう、友だちが一緒でね。今、原田さんのこと話していたところですよ。頑張ってください」という。 2階に向かって、「原田です。よろしく」と大きい声であいさつをした。「ご苦労さん、頑張って・・・」と返事が返ってきた。 厳しい闘いの中にも、こういうこともたまにはある。 身体中にエネルギーが充電される気分だ。 午後、Iさんと久しぶりに行動する。 結構大きな家を訪問。 賢そうなおばさんが出てきた。 「お年寄りなど福祉に力を入れてくれる、私はこういう党が好きですよ。原田さんを応援すますよ」といってくれた。 次に家では、きれいな花が咲き誇る家である。 医療費や介護保険が上がり、年金が削られて。自民・公明党の政治はどうしようもない。と怒っている。 早速、そのとおり。「ぜひ赤旗新聞を読んで」というと、お金が大変だがいいでしょうといってくれる。 ポスターもはらして欲しいというと、これもOK。どころか、ポスター用の掲示板まで作ってくれた。 しかも、「ちかじか演説会見たいのがあるんじゃないの、誘ってくれないの」といわれた。恐縮して行って欲しいというと、二つ返事で参加を約束。 すごいことである。うれしいことである。おまけに、公明党の人が来たが気にしないよ。頑張れと励まされた。 この人は、3年前に妻を亡くした。 寂しさを紛らすために、花作りや盆栽、ペンキで絵を書いている。妻がいないのは、さびしいこと、と言われた。 たびたび声かけに行かなければと思う。
2003年07月16日
市議選告示まであと60余日。前回とは打って変わっての少数激戦。 それぞれ必死の闘いに挑んでいる。 今日の事務所開きは、日本共産党6人の全員勝利で議案提出権を持って、引き続き市民の暮らしをしっかり守るための団結の場である。 狭い会場いっぱいの83人で盛大に開催。 若槻区長会長や地元区長、田中応援団も来てくれ激励のあいさつをしてくれた。 石坂県議と中野さなえさんも頑張れと駆けつけてくれた。 私も、市政報告と決意を語った。 23日の市田演説会の成功は最重要課題。 衆目を集めている。 午後7時より、県民文化会館にて。お誘いあってご参加を。 綱領改定問題や市政に付いて講演します。
2003年07月14日
長野市の北端、田子から吉への北国街道すじで宣伝行脚を行う。 田子池は今も菱の草で覆われている。 幼少の頃、6尺の「赤ふん」で、水泳をした懐かしきところ。 菱のみを歯で食いちぎり食べ、「みよちん」という水鳥をみんなで追っかけて遊んだ、ホームグランド、いや、ホームプールである。 半世紀も前のことを思い出しながら、街頭宣伝をはじめる。 音の聞こえる範囲で、訪問しあいさつをしてきた。 70歳をはるかに越えるおばあちゃんは「聞いていましたよ。原田さんらしいね。年寄り(としょり)のこといってたよね」 頑張ってと激励される。 この地域も、医療費の値上げや介護保険の値上げ、さらに年金の切り下げについては、あきれ返っている。「小泉さんはもう限界だね。」と行き詰まりの政治に愛想をつかしている。 この地域は、林檎の名産地。 宣伝カーの周りは、四方が林檎畑である。今は、最終の林檎の摘果の真っ最中。猫の手も借りたい忙しいとき。 優秀な林檎を作り、いい値段で出荷できればいいのだが、何時も生産費をつくなうだけの販売とはいかない。 我が子を育てるように、至れりつくせりの手入れをして、消費者に届けている。 それが、幾ばくにもならないから、百姓は間尺に会わないと、後継者がいなくなり、高齢化で農業が行き詰まってきた。 周りには、伐採した林檎畑が広がっている。 自公支える、小泉内閣はイラクへ自衛隊を派遣なんて考えないで、日本農業お越しにもっと本格的に力を入れるべきである。 40軒ほど訪ね歩いた。 どこの家でも歓迎してくれた。誰もが安心して暮らせる社会をと切に思う。 若槻上野後援会の障害持ちのTさんは、一人でハンドマイクでの街頭宣伝を22回もやった。 仲間はみんな驚いた。 しっかり学んで共産党の6議席は至上命題、に相応しい取り組みをしっかりとやる決意である。
2003年07月12日
「原田のぶゆき」の桃太郎旗を立てて、ドライバーにアピール。 街頭宣伝をはじめると、道路植栽の刈り込みに来ていた、市のシルバー人材センターの皆さん20人ほどで作業をはじめた。 幾人かの知人もいた。 街頭宣伝が終わると、「4期もやっているんかい。たいしたもんだない」と激励してくれた。 20人の小集会となった。
2003年07月11日
浅川のある地域をKさんと訪問した。 話が弾むと、浅川ダム問題が出てくる。 「ダムが中止されてよかったね」「田中知事は、多少いろいろあるが、いいことやっているよね」こんな会話ばかり。 この地域は、「多数がダムはいらない」である。 田中知事のやり方は、大いに結構、が女性の声。 「石坂さんもすごかったね」と、知事への支持表明とあわせて、石坂県議への評価も高い。 ところが、鷲沢市長への批判派はこれもまた結構多い。 公約とはいいながら、「行政は最大のサービス産業」「経営感覚を導入」で、「市政を我が物顔で運営していないィ。」「田中知事の足を引っ張っていない」など、この地域の女性の皆さんは、市長に対して手厳しい。 民営化や民間委託なども女性にとっては納得できないことらしい。 少子化で子どもが激減しているとき、もっともっと、子育て支援で力をいれてもいい。 財源が厳しいからと、子育てから撤退はやってはいけない。 少しくらいお金がかかっても、公的責任は果たして欲しい。 このような声が強い。 「知事応援で頑張ってきた共産党さん頑張って」と励まされる。
2003年07月10日
平坦部から上り詰めた、集落が坂中地籍。 一見20数戸の小さな集落の、辺り一面林檎畑である。 昼時で、農家の人たちが、軽トラックで帰ってくる。 運転者も助手席の女性も高齢者である。 私がマイクを握って宣伝していると、車の速度を落として、みんな、手を振り、丁寧に頭を下げて通り過ぎる。 ありがたいことである。 宣伝終了後、ご近所にチラシ入れを行う。 途中で尼さんが車で通っていく。しかも、手を振り、にこやかな顔で励ましてくれた。 生産費をつくなうことの出きる値段で農産物が売れればいいのに。 農家は何時も厳しさを強いられている。 危機的農業破壊は国の責任だ。 国政選挙も近い。すじとおし、国民の暮らし第一で頑張っている、日本共産党の前進が求められている。 団地のお婆さん、一合の晩酌で英気養う。 腰の曲がった90歳に近い、団地の一人暮らしのお婆さんを訪ねる。 相撲を見ながら、コップに注いである晩酌の一合の酒を「ちびり」とやっていた。 「毎晩コップいっぱいをやっているんですよ。私の元気の元です。」といって笑顔で迎えてくれた。 このお婆さんを通じて長男の生活相談をしたことがある。 若くして長男を亡くし、当時は落胆をしていた。 このお婆さんは、ずーと前から「赤旗日曜版読者」である。 23日の党の市田演説会を誘うと、「いきますよ」といってくれた。 おまけに、戸棚にある一升ビンを出して、「これを飲んで元気出してください」と差し出された。 「自分で飲んで」といったが、お年よりの勢いに負けて手を出してしまった。 事務所としていただくことにする。 この付近は、高齢者が圧倒的に多い。 しかも一人暮らしのお年寄りがである。 元気で安心して老後を過ごせるように、『お年よりは社会の宝』だから。 そんな世の中、作らないと。市議選はそのための大事な機会。
2003年07月09日
運送の職にありつき2年と少し。働けど 働けどなお 我が暮らし楽にならざり じっと手を見る 啄木の歌ではないが、この歌が実感できる生活相談である。 会社に入って約2年。 運送会社である。トラックで荷物を運ぶ仕事。トラックが痛めば修理費は自分が負担で給料から差し引き。 荷物が痛めば、給料から差し引く。 こんな調子で事故金引かれて、手取りは半減。 まったくやっていられない。 弁護士に相談したり、私のところへも相談に来た。 不況の影響で売上落ちて、給与が5万円近くも下がりやっていられない。 会社を辞めたが、今日食べる食費代がない。何とかしてと飛び込んできた。 この人にあった融資制度がなく困った。
2003年07月08日
今朝の定置定点は、1時間に1500台という、界隈きっての交通量の多い、若槻大通り。 衆議員1区予定候補の中野早苗さんと一緒である。 土砂降りの雨と風をついてのマイク宣伝は「やりがいあるもの」 『中野さなえ』『原田のぶゆき』の桃太郎旗は雨ですっかり濡れている。 二人はそれぞれ、イラク問題、小泉内閣の国民負担押し付け問題、9月の市議選など訴えた。 車の濡れた窓越しから、手を振ったり、頭を下げたり「頑張れ」の気持ちが伝わってくる。励まされ、元気の出る一瞬だ。 午後は豊野町との任意合併協議会である。 福祉や教育、建設など膨大な調整案が提案された。 福祉や教育のの後退にならないように一つひとつ神経を集中する。 豊野の町長や助役、収入役など特別職の待遇について、提案があった。 別途協議するというものである。 私は、別途でなくここで協議すべきであるとして、意見を述べた。「財政が厳しい折、特別職が倍になるような、特別扱いは市民の目線から妥当ではない。充分に検討すべきだ」と指摘。 福祉の問題では、豊野町での高齢者の福祉タクシーは廃止して長野にあわせるとしている。お出かけパスポートがあるので補完できるというもの。 「それは、問題ではないか、豊野町にはそれなりきの経過があってタクシー利用制度を設けたはず。路線バスがなければお出かけパスポートも使えない。廃止には無理がある。」と指摘し見直しを求める。 また、学校の給食については、当面は現行どおりとしているが今後は検討していくと説明がある。 そこで、豊野町の給食は全県でも大変上手いと好評である。当面はいいが、やがて検討はどういうことか。と質問。 豊野など合併する学校のエリヤに対応して第4給食センターを作る計画である説明。 豊野もやがては数千食の大給食センターにしていくのか。これは検討すべきだと指摘。関係する町民の合意が問題となる。 学校図書館も豊野では各学校に司書補は配置されている。これをやがて長野市にあわせると説明ある。 長野市は各校に司書補は置いていない。せっかく司書を置き子ども達に読書を通して、のびのびと成長してもらいたいとの立派な制度が後退しては問題である。と指摘。 改善を求めたが、検討課題で終わる。 この問題は妥協のできないところ。 同和対策、人権同和教育問題なども提案された。これは国も廃止した。県も速やかな廃止を言っている。これを機会にきっぱりと止めるべきだと厳しく指摘。 問題点は山ほどある。できるだけ主な点を取りだして質問や意見を述べた。 長野市側の議員さんの質問や意見はなく、豊野町からの福祉タクシーや公民館問題での意見が出た程度。 もっと活発な議論が求められる。
2003年07月07日
4年に1度のような親戚後援会が開かれた。 党を代表して石坂県議、中野早苗さん。地元の後援会から中野友貴会長が来てくれた。 それぞれにあいさつを戴く。 私も「4期16年間親戚の皆さんのお力で議会で働くことができた。6議席となって市政を動かし、市民要望を数多く実現してきたことを報告。 来る市議選は少数激戦だが、勝ち抜くために先頭にたって頑張ると決意。 特に新人が出るので、地盤を新人予定候補に17%移動した。 今回は厳しい選挙となるが全力を尽くしたい。ご支援をとお願いする。 市田演説会にマイクロバス一台を出すことに決める。
2003年07月06日
共産党の上野後援会と原田のぶゆき事務所が共催で恒例の「ほたるを見る会」を行った。 中央公園にはかなりの人が来ていた。 中野後援会長のあいさつと私、中野早苗さんが一言あいさつする。 私は「この『ほたるを見る会』は、15年ほど続いている。大雨で災害のときの復旧工事では、建設事務所に、ほたるがいるので配慮して改修工事をして欲しい、と陳情したり、上田のほたるを保護する会の事務局長さんにも来ていただき、工事前にほたるの幼虫を移動して保護に努めてきた。 上田の事務局長さんは、木が生い茂り、川もコンクリートでなくほたるの生息には絶好の場所、と太鼓判を押してくれた。 ただ、川の水がきれいでないので問題はあるが、と指摘していた。 これからも、土京川の環境を守り川をきれいにしながら、ほたるが生きていけるようにしていきたい。」とあいさつ。 原田のぶゆきの桃太郎旗を先頭に現地まで歩く。 午後8時というのに、まだ、生い茂る木や川の水がわかるほどでちょっと、ほたるの出るには早いかな。と心配であったが・・・。 しかし、1匹、2匹と飛んでいるではないか。悠々とやわらかい光を放っている。 みんな、大歓声である。 ほたるは、だんだんと人の気配のする方に飛んできた。 子ども達も大人も、しばし見とれている。 確認できたのは、4~5匹ほどで、「群舞」とはとてもいかないが、確実に棲息している。これからも大丈夫と確信した。 私は「ほたるがこれっからも生息できるように、この川を素晴らしい、環境にしたい。みんなできれいにしましょう」と訴えた。 親子で80人ほどの参加者は、来てよかったと感想を述べていた。 来年につなげていくためにも、『ほたるの棲息できるように、土京川の環境を守りたい。』
2003年07月05日
毎日のように、介護問題で深刻な話を聞かされる。 吉田のMさんと、ご近所を訪ねた。 普段仲良く近所付き合いをしているので、話がしやすい。 今日もまた、介護で苦労してきた人のつらい、切ない思いを聞いた。 自分よりも体の大きい夫の両親を同時に介護してきた。 精一杯、尽くして尽くしての介護は62歳から続く。 最初は腰が痛くなったが、それほど気にもせず、重いお年寄りを抱きかかえて、起こしたり、寝返りさせたりで、体を拭いたり着替えなどを毎日、しかも二人である。 しかし、少しづつ、体は蝕んでいった。 背骨が曲がり始め、脊髄も損傷し、腰や足まで痛んでいった。 「見てください。この腰の曲がり方を・・・」と腰を見た。 くの字に腰が曲がっている。 こんな苦労は、子ども達にはさせたくない。 「親が寝たきりになったら、気兼ねせず、特養に入れてね。私の年金と足りなかったら、少し出してもらえばいい」といっているという。 「こんな苦労は自分ひとりでいい」と涙ぐんだ・・・。こちらももらい泣きしそうになった。 私も、「大変な苦労をしてきたんですね。頭が下がります。長野市は特養に入れない人が900人以上もいるんですよ」と話した。 毎日、介護者の苦労話を聞いているが、放置できない事態を痛感した。 このままだと、何か介護問題で事が起きるのではないか。 介護者が病気や、高齢などで社会的に介護できない人が、かなり無理をして介護している。 緊急に改善することが求められている。
2003年07月04日
我が家のご近所を、宣伝をしながら訪問。 Aさん宅を訪ねる。 寝たきりの妻の介護をしているという。 夕べは5回も起こされた。体がもたない。老・老介護の大変さを訴えられた。 ショートステイも市内では1~2ヶ月待ち。他の町村でなければすぐには使えない。 特別養護老人ホームは入れない。介護者の苦労は並ではない。 チラシのとおりで、900人待ちの解消は早急に求められている。は、この人の実感である。 長野市の主催で介護者の慰労の場である集いがあった。 3日間のうち、1日目はカラオケ、2日目は歯のチェック、3日目は血圧チェック。いけないとはいえないが、介護者の苦労などを交流できる場所や時間があってもいいのでは、と苦言を呈していた。 長野市の高齢者福祉の施設整備は計画の前倒しというが、現状をよく調査し、特養を含めて早急な充実が求められている。 特養910人待ちはひどい。
2003年07月03日
共産党の上野後援会と原田事務所が共同で行う恒例の「ほたる見る会」は、2日後の5日。もうすぐだ。 連夜、地元の党支部の皆さんが観察を行っている。 10日ほど前は3匹、今、5匹となった。 もっといるかもしれない。 昨年は1匹で「見る会」ができなかったが、今年は何とか開催できる。 方々から、問い合わせがきている。 何時もほたるよりも、見る人のほうが多い。 子ども達が観察日を待っている。 「ほたるを見る会」の案内のチラシには、・・・ほたるには、お知りに近い部分に発光器があります。この発光器の中には、ルシフェリンと呼ばれる発光物質つ、発光器を誘うルシフェラーゼという酵素(こうそ)があります。 ほたるが空気中から酸素を取りいれると、このルシフェリンとルシェフェラーゼが反応し、発光します。 ほたる発光の謎 成虫のオスは、午後8時前後には飛翔し、メスに光によるコミニケーションで求愛します。 しかし、とても体力を消耗するため、約20分持続するのが限界でで、午前1時頃に再びチャレンジです。 メス1匹に対して、オスが5匹という厳しい状況だそうです。 オス「ほたる」のけなげさに感動、ですね。 さあー5日の夜に実体験をしましょう。お待ちしています。
2003年07月02日
この雨で、すっかり生き生きしてきたナス、トマト、キュウリ、ピーマンは葉っぱも鮮やかだ。 すでに、何個も賞味した。 太陽の味がした。 水分たっぷりの大地から、新鮮な野菜が採れること期待は大なりだ。
2003年07月01日
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