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長野・中国『残留孤児』を支援する会が市議団へあいさつに来る。 原告の滝沢さんに、弁護団の冨森啓児弁護士、事務局の永峰さんが同行。 原告の滝沢さんは、たどたどしい日本語で支援のお願いと自らの当時の暮らしについて話された。 養父に育てられたが、苦しかった。 仕事に行っても、日本人と言うことだけで、炭鉱で同じ仕事をしていても、「日本の鬼」と言われ賃金はうんと安かった。 現地の人たちからは『日本の鬼』と言われ、寝る場所もなく、ゴミ箱の中で寝たり、雨降りのときは駅の構内の長いすの下で寝たこともあったと言う。 文化大革命のときは、猶大変だった。 日本に帰ってきたが言葉が通じず、就職しても仲間からは相手にされず、いじめられたことも再三。 この責任は、自分たちにあるのではない、政府の責任で救済してほしい。 めがねを取り、目頭を押さえながらの、切実な訴えに胸の詰まる思いであった。 心から応援しなければと痛感。
2006年10月31日
長野市は、新たに城東保育園を含む、4園を民営化したいと、スケジュールを発表した。 ところが、受け皿の体制も、受け入れ先も決まらないまま、はじめようとしている。 すでに、党市議団は議会や委員会、保健福祉部長や課長などと議論を重ねてきたが、改めて、民営化を強行しようとしている市長と懇談をすることにした。 団を代表して、懇談の趣旨を述べた。 「わが党市議団は、子どもたちの健やかな成長を考え、市立保育園の民営化には賛成できない。 市長の諮問機関である、『長野市の保育を考えるあり方懇談会』は、公的保育の責任を前提に、民営化するなら、社会福祉法人にすべき、サービスは後退させないこと、移行に当たっては、保護者など関係者との納得や合意が求められること。このような立場で対応すること」を求めた。 市長は、「民営化は、私の公約。基本的にはスケジュールどおり進める。合意は当然、これからさらに話し合っていく」と言った。 しかし、スケジュールを決めたやり方では、保護者の納得や合意は得られないではないか。 強く指摘した。 市長は、「選挙で民営化をいってきた。その結果、市長になった。民営化推進が支持された。」と言い切った。 しかし、「全有権者の4分の1しか支持はなかった。」と反論。 今後、あくまでも、保護者や市民の納得と合意は欠かすことはできない。パブリックコメントを言うなら、説明責任を果たせ。と厳しく指摘した。 それにしても、最初から最後まで、市長は、民間感覚の導入は自分の歴史的使命と、民営化路線をがむしゃらに推し進めると言い切った。 世論をどう思っているのか。 保護者や市民は、そう甘くはないこと、世論の声で市長に知らしめたい。
2006年10月30日
9月議会で報告を乗せた、東北部新聞を配りながら街頭宣伝。
2006年10月23日
今回も、新しい人が二人来てくれた。しかも,役員さんが生活相談者をつれてきた。最初に私が、10月を前後して係わった生活相談者のことを話した。一つは、ギャンブル(スロット)が高じてサラ金に手を出し、借金が約500万円にもなってしまった。利子返済で四苦八苦。挙句に、妻子にも愛想をつかれ、離婚という最悪事態。酒とギャンブルは止まらず、日々の生活もあれてきた。親や親戚も心配し、私への相談となった。自己破産か返済か、弁護士と相談することとし、弁護士事務所を紹介した。それにしても、本人の自覚の問題であり、きっぱり改め人生一からやり直そうと誓い合う。両親も傍らで、涙を拭いていたことを話した。もう一つは、すでにブログに書き込んだことのある、ホストのこと。などである。参加している、なかには「俺もそうだった。取立てが来ても、ない袖は触れない、毎月千円づつ返すからと約束、郵送料のほうが高くつくから、サラ金業者にとりに来い、郵送料を払え」と迫ったこともあるなど、サラ金被害のすさまじいことを話し合い、手は出さないことを確認。全員にひと言しゃべってもらう。会が終わった後、生活相談の時間をとった。相談は、飲み屋さんで働いているが、不景気でお客さんが入らず、やめなければならない。体も弱く、生活保護を取りたいとのことである。診断書を取り寄せ、一緒に厚生課へ行くことにした。最後に、中野さなえさんがあいさつに来た。●『県政・市政報告会』40人で盛大に開催。夜7時からは、地元の党支部と後援会主催で公民館を借りて『県政・市政報告会』を開く。地域の区の役員さんたちが、大勢参加してくれた。・党支部長が開会あいさつ・中野さなえさんが、格差社会と貧困の広がり、憲法と教育基本法など話す。・原田のぶゆき市議は、6人の党市議団の果たして来た役割、海外視察や政務調査費の使い方、ト イーゴやトイーゴパーキングに税金50億円も投入し、障害学習センター14億円で買い取る反 面、地域の康民間施設の整備・充実には金がないとそっぽを向く市政を批判。・石坂県議がパワーポイントで約40分間わかりやすく県政を報告。要望もたくさん出た。・小型除雪機の貸与。・雪運搬車の貸し出しはありがたいが、作業車や作業員も派遣してほしい。 浅川ダムとの関係で、活断層はあるのかどうか。・市は金がないないと言うが、50億円も中心市街地で使っておいて、公民館などには予算ないで は筋が通らないのでは。・住民自治協議会への予算をもっと配分してもいいのでは。 などそれぞれが応えた。・最後は、中野友貴後援会長が閉会のあいさつで閉めた。わかりやすく良かった。じかに聞いてみないとわからないものだ。共産党は庶民的だということがわかった。もっと、押し付けの党だと思っていた。共産党の議員さんたちの頑張りが直に聞けてよかった。など感想が寄せられた。
2006年10月21日
出がけの9時少し前、「相談したい、会ってほしい」と、電話の奥の真剣な声。いくつか仕事があって、午後の2時30分に相談に乗る。苦労して女で一つで、数千万円の家を建てた。ローンが残っていて、毎月6万円ほどの返済をしている。年金が少ないので、最近ちっかうに働き場所が見つかり、パートで働きだした。何とかローンを支払っても食べていけると計算して、日々を暮らしていた。ところが娘が、 離婚の後、二人の子どもを抱えて再婚し、県外で暮らすようになったが、突然に、娘のだんなから、「あんたの住んでいる家は、妻の権利となっている、権利書を渡せ。家を売れ。あんたは、公営住宅に住め」と、考えられないことを電話してきた。権利書は再婚した娘のものになっているが、自分が持っているという弁護士を立ててでも、権利書はいただくと言うから、普通ではない。その場から、弁護士事務所へ電話して、経過を伝え、どうしたらいいのか相談した。そもそも、実質的に家のお金を支払っているのは、母親であるなら、名義変更「名義回復」の手続きをとるべきだ。とアドバイスされた。ほうっておけば、相手のもになってしまうことに。しかし、弁護士料と保証料で数百万円と言う莫大なお金が必要と言う。何はともあれ、直接弁護士と相談し、安心して今のところで暮らせるように、なんとか助けてやりた。
2006年10月20日
県知事選で、250世帯の地区で25人が参加で報告会がやられた。春の県議選までに、7集落を順次回って県政・市政報告会を開く計画で今回で2回目。地元1200戸の上野地区の番。全戸に案内のチラシを完了。「赤旗」しんぶんにも2回折り込んだ。訪問や電話で呼びかけも急速に進めている。対話や電話で200人に直接呼びかけた。読者や地区の役員、市議が居住している20軒の隣組にも呼びかけた。役員からも、「参加するよ」との連絡も入る。夕方から、6人で電話がけ。土曜日には、朝から宣伝カーで地域をくまなく回ることになっている。県議選は、複数の若い新人の立候補が予想され、激戦は必死。市議選も、定数が大幅に削減され、さらに、合併後とあって選挙も様変わりである。これまでの5回の選挙戦とは様相が一変している。今から、本腰入れた取り組みが求められている。
2006年10月19日
出がけの9時半ごろ、「村井知事が浅川を調査するのでいかれないか」と、野々村議員からの電話。時間的には、飯綱山の大池や猫又池はじめ、檀田の遊水地など、調査中のようで、急いで稲田の他力橋で待った。10時25分がこの場所の調査時間。報道陣含む同行の車は、10数台。狭い空き地を利用して駐車。近所の人は、何事があったのかと思うほどのにぎやかさだ。小生も、記者とともに知事のそばにより、職員の説明と知事の発言に聞き耳立てた。なんせ、9時から10時少しの時間で県庁から、飯綱大池、檀田、稲田とわずか1時間ほどで走り回っているので、説明と知事の質問もわずかなもの。ろくに会話が聞こえずじまい。ここから、田子川の遊水地予定地へ飛んだ。田子川遊水地で 浅川沿線の狭い堤防道路を、農作業をしているりんご畑などを横目に、もうもうとほこりを立てての行動に、「大名旅行みたい」(思わず発した記者の言葉)。千曲川が上昇すれば、水門が閉められ、浅川の水はここまで上がってくる。昭和58年のときの洪水と内水災害を説明していた。ここに、21ヘクタール、48万トンの遊水地を予定していると職員。さらに、千曲川合流地点の排水機場で説明。現地での記者会見の内容の一部早い機会に方向性が出せればいいが。技術陣に、どこに問題があるか勉強会をしていくため、ひと通り見たかった。さまざまな経過のあることは承知している。千曲川の治水、天井川など浅川の歴史を知ることができた。現在の技術水準を適切に対応したものとし、先入観なくやって生きたい。また、新幹線の延伸問題もあることなので、これからどうするのか、の前に、専門家の話を聞きたい。地質問題・・・崩れると言うこともあるようだが、私は全国にそのようなことはあるのか知らない。いろいろ、反対論もあるが、現場を見て合意形成をどうするかコメントしたい。知事になってダム期待感の声もあるがダムなし、ダムありについては私のこれまで申し上げてきたとおり。ただ、ダムなしで国交省と調整してきたまま、今日に至っている。迷路、パズルは行き止まりがある。行き止まりを見分けながら、通り道を見つけていくことになるのでは。なぜ急遽現地調査となったのかどこかで時間をとって、と言っておいたが・・・。調査したいと思っていたが、忙しくてできなかった。昨日、午後決めた。黙っていく方法もあるが、今朝7時半に急遽連絡させてもらった。みんなの前で・・・深々と頭を下げていた・・・基本高水についてはどう考えるのか議論が拡散している。基本高水で何かあれば、私の責任。長の責任が問われる。基本高水協議会については、まだ、よくわからない。田中さんも450トンと言っているので、基本的には同じことになる。運動団体は10月に知事同行で調査することを申し込んでおいたが。また、この程度の時間ではアリバイ作りではないか。そんなつもりはない。このような立場で忙しかった。申し訳けない。私は経済問題では、多少のことは知っているつもりだが、この問題では、最高の科学的の知見がない。門外であり、十分勉強して対応したい。とコメントしていた。
2006年10月18日
来年春の県議選は、わが党の和田予定候補入れて、新人含む大激戦。 どのような風が吹こうと、2議席必勝は至上命題。 有権者30万のうち、長野市北部の約45%が石坂地域。 現在のマスコミ情報での立候補状況は、民主党系の新人2人、元職自民党系など下馬評にあがっている。 少数激戦となりそうだ。 そこで、わが地域でも、石坂勝利で大奮闘しなければならないのは当然。 地元の党支部は、順次、集落ごとの「県政・市政報告会」を企画。 すでに、250戸の集落で行い、集落の1割25人参加でがんばった。 次は、「市議の地元」、小生の地元となる上野で開催する。 1200戸ある。 区の役員や赤旗読者などへ、訪問と電話で勢力的にお誘いのお願いをしている。
2006年10月17日
来年秋は市議選となる。 あと約1年先。 定数が46議席から、7議席減の39議席。 当選ラインが上がり史上最高の難しい選挙となる。 わが党は、どんな事情のなかでも、現有6議席を確保するために全力を尽くす。 そのために、写真を撮った。 被写体は、親からもらった生身の体そのもの。 うまく取れるかどうかは、スタイリストと、カメラマンに任す以外ない。 バシャバシャと百回近くもシャッターを押したという。 芝居のように、百面相になるのは楽ではない。 いい写真がとれていればいいのだが。
2006年10月16日
石坂県議とともに、私の地元を訪問する。 党の県議団長は超多忙な人。 めったに行動はともにできない。 ようやく、取れた久しぶりの県議との訪問活動。 地域の自治会役員を中心に回る。 来年春の県議選、夏の参議選、秋の市議選など大きな選挙が続くが、「まっすぐがんばる日本共産党へご支援を」「21日には地元の公民館で県政・市政報告会がありますぜひご参加を」と呼びかけ支持をお願いしながらの訴え。 ある農家の家では、家族は稲刈りで留守、居たのは、すっかり腰の曲がったおばあちゃん。 石坂県議が腰を下ろし、おばあちゃんの目線で自己紹介したら、「テレビで知ってるよ、有名だもん。あんたらがんばれ、みっちりがんばれや」と『みっちり』などと言う昔言葉で激励された。 懐かしい言い方に、一同感激。『みっちり』がんばることを約束した。 このお宅を出ようとしたら、若い衆が稲刈りから帰ってきた。 早速、次期選挙と赤旗しんぶんをお願いしたら「いいよ」と快諾。 元気をもらった午前の活動であった。
2006年10月15日
「若槻住民自治協議会」主催で「元気なまちづくり協議会」が200人ほどの住民参加で開かれた。 市長はじめ部長や課長が出席した。 市長が、パワーポイントで市政の重点項目について説明。 財政は昨年の予算から約110億円少ない。 予算の組みようがない。あれもこれもとはいかない。 あれかこれかで、取捨選択だという。 防災、防犯、公民館建て替え、児童館拡幅・整備、図書館建設など要望が出された。 市長はじめ理事者の答弁は、「金がない」の一辺倒で終始。 自由討議の時間はすごかった。 ○若いお母さんからは「児童館・児童センターの閉館時間は現在6時。最低でも是非30分延長してほしい。 保護者の中には、通勤時間が1時間という人もいる。 とても間に合わない。時には、お迎えよりも早く子どもが帰っている。 さびしくて泣いていることもある。 ご近所の人たちが来て励ましてくれ涙が出るほどうれしかった。 子どもにさびしい思いをさせたくはない。また、6年生まで是非拡大してほしい」と切々たる訴え。○ザリガニクラブのお母さんは「子どもたちにさびしい思いをさせたくないとの一心で、安い民家を借り、自分たちで修理もし、手を尽くしてきた。児童センターは過密であり、クラブを稲田の子どもたちの受け皿としてやっていきたい。クラブの施設の確保と、子どもの命に関わる部分については、改修してほしい」とやはり切実な訴えだ。 ○児童館の指導員が手を上げ、本気になって発言した「子どもを預かる立場の者として、どうしても一言いいたい。」と一気にしゃべった。 「強盗事件が相次いでいる。まともな解決もしていない。児童館は重要である。いま、60人定員なのに100名を超えひしめき合っている。昨年も要望を出したが『増設困難』で終わった。 関係者が集まって要望を考え提出したのに。2倍以上だと、あいさつとおやつをやるのが精一杯。『ただいまぁ』と集まってくる子どもたちの顔色を見て、一声かけたいのにできない。児童館は『第二の家庭』なのに、死語となってしまった。ゆとりある受け入れをしたいと思っているのにできない。大型な施設もいいが、小さなほうがメリットがある。新しい施設はお金をかけなくてもいいから小さいものを・・・。また、午前中は子育てや老人の居場所として活用し、午後は学童保育で子どもたちの居場所とすればいいと思う。」と強烈な訴えに大きな拍手が出た。 わが党市議団が、これまでいってきたことがこの場所でも再現された感じだ。 「お金がない」がいつものこと。毎年前進がない。 市街地再開発の手法で建設した、「トイーゴ」や「トイーゴパーキング」には、長野市は、大手企業と共同で107億円の事業に、国・県・長野市は約50億円もの税金の投入である。 とりわけ、「トイーゴ」のフロアーを長野市が、生涯学習センターと称して14億円で買い取った。 中心市街地に公民館活動である「生涯学習センター」を14億円も出して買い取るなら、そのお金で、各地域の公民館の整備・充実をしたら、高齢者や障害者、女性団体など活躍する場が大きく拡大するのに。 児童クラブの保護者のOさんが言っていた。「そんなにお金あったら、児童クラブを支援してもらいたい」。そんな声がちらほら聞こえている。 「予算は市政の顔」市民の方に顔の向いた市政のため力を尽くしたい。 センター指導員のA先生に合い、「早速現場を見たい、さらに実情を聞きたい」とお願いしたら「是非来てほしい」懇願された。
2006年10月14日
ぐずついた天候に悩まされつつ、稲の脱穀が始まり、林檎もたわわに色づいています。 まさに、実りの秋たけなわです。 農家にとっては猫の手も借りたい瞬間、手塩にかけた作物がきびしい労働にふさわしい、対価を求めたいものです。 家族農業をつぶし、アメリカにたより、大規模農業中心の自民党農政の転換めざし市政の場でも頑張らないと・・・。これでいいのでしょうか。○再び書きます。『鷲澤市長の民営化路線』 市民の「命の水」6割を民間に委託することを決めました。市長は「長野市が責任を負うから心配ない」と言いました。全国には、プールの排水口のふたの点検が悪く、子どもが死亡。レジャー施設の天井が落ちる大事件などなど、利益優先の民営化や委託には安全が抜け落ちます。 あとの『後悔先に立たず』 市民とともに、安全・安心の長野市めざし全力で頑張ります。
2006年10月13日
今日は決算特別委員会のうち、平成17年度の「国民健康保険会計」の審議をした。 一番気になる、滞納と資格証明書、短期証明書の発行について質問をした。○滞納世帯・・・現在12800世帯で年々増え続けている。(平成17年度は12000世帯) ○資格証明書の発行数・・・現在1世帯(平成17年度は、合併で4町村から4人の資格証明書発 行者があり5世帯であった)○短期保険者証発行者・・・1110世帯(平成16年度は700世帯)○滞納世帯の多いのはなぜかとの質問に、「経済的な困難さが影響など社会的背景がある」と。○今後、この様な対応を継続すべきであるがとの提案に・・・安心して医療にかかれるようにする ことが必要であり継続したい。と答えた。□要望をした。・・・国保加入者が、保険料を支払い、安心して医者に行き、自分の命や健康を守 れるように、対応を求める。
2006年10月11日
世界の世論にそむき、北朝鮮は核実験を強行した。 日本共産党の志位委員長は、次のような談話を発表した。 志位委員長の談話。 北朝鮮政府は、9日、核実験を強行した。 これは、国連安保理決議、安保理議長声明などが、世界とアジアの平和と安定へ脅威として、一致して反対した国際社会の意思を無視したものである。 また、6カ国協議や日朝平壤宣言などの国際取り決めを蹂躙する暴挙である。 わが党は、これに厳しく抗議する。 わが党は、北朝鮮政府に対し、核兵器及び核兵器開発景気悪を放棄すること、即時・無条件で6カ国協議煮復帰することを強く求める。 国際社会がこの事態にさいして、一致協力して対応し、問題の平和的・外交的解決という立場を堅持して望むことが大切であること考える。(「赤旗」しんぶんの日刊紙と日曜版に掲載された。)
2006年10月10日
昨日までは、一日中雨降りで、震えるほどの寒い日であった。 しかし、今日は、打って変わって、汗ばむほどの好天気。 集金で、家々を訪ねるには絶好の日和。 昨日に引き続き、今日も訪ね歩いた。 わが生まれふるさとは、農家が多い。 道端のりんごは赤く色づいている。 まさに、実りの秋だ。 稲もハゼ架けされている。 昨日は、雨とあわせて、突風が吹き、ハゼ架けが倒され、総出でやり直したとか。 労力惜しまず、濡れた田に入り、倒れたハゼを立て直す作業は、小生も昔は経験済み。 楽ではなかった。 稲穂一本に、100を超える米粒が実る。 毎日いただく「ご飯」も、稲穂一本の一粒からのもの。 ミレーの「落穂拾い」は、今でも同じこと。 専業農家のほとんどいなくなったこの集落。 定年退職組みがほとんど。 でもがんばっている。 日本農業の担い手は、今この人たちの手にかかっている。 ご苦労に感謝である。 この集落には読者が大勢いる。 Oさん宅は地元の区の役員さん。 この4月から読者に。 奥さんが玄関に来て「いい新聞だね」「一通り読んでいますか」と聞いてみた。 「みんな読んでますよ」と。うれしい返事だ。 食事中だったので、「後で感想聞きに来ます、よろしく」と言って帰ってきた。 気分は上々。 それもそのはず、これまでは、私とはほとんど縁はなし。 どちらかと言うと、保守のがわに身を置いていた家柄だ。 「赤旗」しんぶんに好感をもってくれたのだ。 りんご作りで半世紀近い。 ひところは1500箱も裁いていたという。 本百姓。 日本農業に疑問を感じていると言う。 そして、共産党の農業政策に共感している。 がんばらなければ。
2006年10月09日
細かな雨に、陽が差して虹の橋が浮いている。 久しぶり、七色の光景に魅される。 車の速度を緩め、しばし、観賞に浸る。
2006年10月08日
冷たい雨のなか、来年の三つの選挙の勝利めざして地域を訪問した。 春には、いっせい地方選のうち、県議選挙が先ず最初。 長野市区は定数が一つ増え、10議席となった。 前回複数議席だったのに、600票差で自民党系の候補にしてやられた。 今回は、1議席増となり、なんとしても複数議席の復活をめざした。 現職4期目の石坂県議と新人和田あき子予定候補の女性の二人。 夏には、参議院選挙、比例は「井上さとし」さん。「日本共産党」と政党名を書くことになる。 全国では、5議席確保が至上命題。 秋が、いよいよ、市議選挙だ。 ちょうど1年後となる。 定数が合併の関係で現在46議席。 これが、先の9月議会で、39議席と7議席の大幅減となった。 有権者が増えた反面、定数が減ったので、得票数は一気に跳ね上がる。 4000票は最低線。 県議選、参議選、市議選の三選挙を一体でたたかうことが求められる。
2006年10月07日
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