全28件 (28件中 1-28件目)
1
若いころは、ぼそぼそと、なんだかなぁ、とか思っていた柳家小さん師匠だったが、今や、そこが最大の魅力。師匠の演じる、あんな、おかみさんが、いかにも長屋にいそうだ。あくまでも私の感覚なのだが、当時の名人といえば、誰にきいても三遊亭円生だったのだが、それに追いついて追い越してしまったのが、小さん師匠だったと思う。噺の芸術性というか、切れ味では、誰もが円生が上だと認めるし、円生に憧れ弟子入りしたがった高名な噺家も後を絶たない。しかし、円生が残したのは、「迷子になった円楽一門」でしかなく、今でこそ、その孫弟子に兼好、萬橘という有望株がいるものの、小さんの弟子の豪華さには足元にも及ばない。小三治と、その弟子の三三、さん喬とその弟子の喬太郎、立川談志とその弟子の志の輔、談春、志らく、談笑、と、これでもかの豪華メンバーなのだから、こと後継者については、小さんの完全勝利。私的な意見なのだが、狐の円生より、狸の小さんがあったかい、これがすべてだと思う。
2019.02.28
コメント(0)
今やチケットの入手困難な講談界の超新星、神田松之亟が、席亭というかプロモーターを代えて、秋田市文化会館小ホールで400人を満席にしてみせた。演目は次のとおり。一席目 雷電の初土俵二席目 鼓ヶ滝三席目 扇の的日帰りするとのことで、中入り無しの3演目だったが、どれも、さすがの完成度。地方にいると、まず講談を聞ける機会がない。講談師の絶対数が少ないということも大きいのだが、こういう天才が、また講談の素晴らしさを世の中に広めてくれることだろう。誰もが認める天才は、晴れて真打昇進が決まったそうな。気持ちはわかるが、そんなに落語を意識しなくても、天才なんだから大丈夫。余計なお世話だと思うが、今日みたいな、地方の小会場を大事にして、また、ふらっと来ていただきたい。大会場でしか、演らないとかになると、私たち地方在住では松之亟はおろか、講談も聴けないことになってしまうので、そこのところ、よろしく。
2019.02.27
コメント(0)
電話については、本当に夢のようだ。家に、いわゆる「黒電話」が設置されたのは、大学に入ったころだったと思う。炭鉱の内線電話しかなかったのだが、昭和の終わりごろは、電話はまだまだ贅沢品で、普及していなかった。ましてや、家賃、燃料費、水道代、電気までほとんど無料だった炭鉱では、電話料金を支払うなんてのは、とんでもない贅沢だったのだろう。それでも、息子が家を出てしまって、何かと連絡を取らなければならないというので、家族会議の結果、大英断で決まったのだ。家に電話の無かった高校生のころ、公衆電話から10円玉で、彼女の家に電話し、彼女の父親が出てしまい、思わず受話器をおろし、じゃらじゃらと10円玉がもどってきたことがあった。そのご、緑の100円電話ボックスやテレホンカードにも、思い出があるが、すべては、携帯電話の出現で過去のものになってしまった。若い奴らに、この辺を教えてやりたいのだが、相手にしてくれないだろう。
2019.02.26
コメント(0)
今日は母の米寿、88歳りの誕生日だ。アルツハイマーの認知症ではあるが、まだ、私や孫たちのことは、どうにかわかっているようだ。何より、自分で、そこそこ歩けるのが、一番ありがたい。誕生日祝いには、秋田県内で一番うまいと評判の鹿角市の「青の木」のスイートポテトを買って行ったのだが、県内で猛威をふるうインフルエンザ騒ぎで、面会はできなかった。最近は、食べ物に対する記憶もあやふやなようで、夕張メロンを持って行っても、何をもっていっても、どうも食べたことを忘れてしまうようで、あまり覚えてはいないようだ。それでも、北海道の妹からのケーキと花が、ちゃんと届いていることを確認できた。米寿といえでも、今では平均寿命より、ちょいと過ぎただけなのだから、どうやら長生きな家系いらしい ので、まだまだこれから。私が着いていけるかが心配になってくる。
2019.02.25
コメント(0)
私の義理の伯父、菅原貞敬は、当時としては大きい177cmだったが、それもそのはず、伯父の伯父は大相撲の小結 光風(てるかぜ)という力士だったという。しかも、貞敬の父の兄にあたる、この光風は、仙台の獣医学校在学中に、相撲巡業に飛び込み、小結までに出世したらしい。血はつながっていなくとも、親戚に大相撲の小結がいるとは、思わなかったし、ちょっと、うれしい。話は横道に外れるのだが、私の父方の祖父、中田平六も、村相撲では、そこそこ強かったらしい。その祖父は、苗字が同じことをいいことに、自分の3男に、当時の横綱栃木山の本名、中田守也を、そのまま名付けたのではないかと、私はにらんでいる。その3男が私の父で、父は、なぜか、自分の父親から「平」の字を私に隔世で名付けたらしいのだ。ともあれ、大相撲が最大の娯楽だった時代のはなしである。私がいまだに、相撲が大好きなのも、なにか、こんな縁があるからかもしれない。
2019.02.24
コメント(0)
「東洋の魔女」が金メダルを取った1964年の東京オリンピックで、男子が銅メダルだったことを、私を含めほとんどの国民が知らないだろう。女房の叔父、つまりは私の義理の叔父は、そのメンバーだった。著書「バレーボールに明け暮れて」の中で、自分とバレーボールのかかわりについて語っている。叔父がバレーボールを始めたきっかけには、仲の良かった、すぐ上の姉がバレーボール部だったこともあったようだ。この姉というのが、女房の母、つまりは私の義母である。義母はその当時の女性としては、背が高かった。当然のように、その娘の女房も、その二人の子供もバレーボールをやることになったが、背は私の側のためか、高くはなかった。それでも、女房はともかく、二人の子供、つまり私の長男長女なのだが、親バカながら、なかなかいい選手だった。娘が、どうしても勝てなかった聖霊中学・高校のエース、一学年下の江畑幸子選手が叔父が総監督だった日立リヴァーレの所属だったのも、なんだか縁を感じてしまう。ちなみに、娘は、今も長男(私の孫)を連れでバレーボールを頑張っている。
2019.02.23
コメント(1)
女房の叔父、菅原貞敬が著した、秋田魁新報社「さきがけ新書」「バレーボールに明け暮れて」を読んでみて、「不思議な縁」を改めて確認することになった。この本の発行は2017年9月19日だったので、ずいぶん今更な話だと、我ながら思うのだが、まず、女房の叔父の父親、つまりは、女房の祖父が獣医師で、私と同じ大学の出身だったということだ。私は無論、女房も結婚してからしばらくは、この事実を知らなかった。女房の祖母と話しているうちに、その事実を知らされ、年代物の母校の写真などを、母校の史料作成のためにお借りしたことがあった。2男6女の次男だった叔父によれば、その父は「馬の医者」と呼ばれていたそうだ。女房は、その初孫だったと思われるのだが、それが、まさか、自分の学校の後輩獣医と結婚するとは、義理の祖父も思ってもみなかっただろう。
2019.02.22
コメント(0)
AKT秋田テレビのローカル番組に「きんよう420」というのがある。タイトルどおり、毎週金曜日の午後4時20分からの30分番組なのだが、退職して以来、前身の「げつきん420」から見ており、お気に入りはMCのフリーアナウンサー相場詩織ちゃん。毎週、メールを欠かさず出し続けていて、何回かプレゼントに当選していた。金曜日に、その「きんよう420」から、映画のペアチケットが郵送されてきた。その日の放送前のことで、当選発表前に賞品が届いたのかと思って放送を見ると、やはり、そのとおりだった。さて、この映画なのだが、届いた日から一週間未満、大仙市のイオンのシネマコンプレックスで上映しているらしい。大仙市までは、どう頑張っても、ここから片道3時間、そしてペアチケット。今から、いっしょに行ってくれるペアを見つけることは不可能で、私には、このチケットを使える術がなく、急遽、大仙市在住の友人Mくん夫妻に転送した。当選させてもらって、なんだが、「ペア」ってのは迷惑だとひがんでしまう。
2019.02.21
コメント(0)
「秋田魁新報」は、県内唯一の全権的な地方紙であり、秋田県民は、この「さきがけ」を読まなければ暮らしていけない。この秋田魁新報社で出版している「さきがけ新書」の「シリーズ時代を語る」という中に「バレーボールに明け暮れて」という1冊を、今日、行きつけの書店で発見した。ひょっとしたらと、著者を見ると、やはり「菅原貞敬」という女房の叔父だった。この方は、私の女房の母の弟で、1964年の東京オリンピックの男子バレーボールで銅メダルを獲得したメンバーだった方だ。さっそく購入した、この本を読んで、いろいろ、奇遇な事実を知ったので、後から書きたい。もう一つ、数日前の「さきがけ」に、「ふじさと写真コンクール」で私たちの結婚式の司会をしていただいた先輩「Yさん」の作品が満場一致で最優秀賞に輝いていた。なんなんですが、この場を借りて、ますますのご活躍をお祝いしたい。
2019.02.20
コメント(1)
№105洋画「ロストボーイ」:ドラキュラものの、ホラーコメディ。なんで録画していたのか、不思議なくらいに面白くないB級だった。邦画「迷走地図」:松本清張原作の政界ドラマ。勝新太郎、岩下志麻、など、当時の一線級が登場していたが、終わり方が、なんとも残念。洋画「ポリスアカデミー」:シリーズ第1作目。今見ると、たわいもないが、このシリーズは好きだった。懐かしく楽しめた。№106邦画「黒いドレスの女」:原田知世主演ののカドカワ映画。北方謙三の原作で、菅原文太も出ているのだが、ハードボイルドには、ほど遠い。邦画「バカヤロー!」:4話の短編のオムニバス。「ダイエット」、「遠距離通勤」、「タクシー運転手」、「英語学習」と、30年前から「バカヤロー」は、あまり変わっていない。洋画「ムーンウォーカー」:マイケル・ジャクソン主演で、たしか、ディズニーランドで上映していたのではなかったか。なんか、楽しめなかった。
2019.02.19
コメント(0)
パソコンも、通算すると5台ほど買い替えているのだが、今やパソコンのない生活など考えられない。もちろん、このブログもそうなのだが、インターネットの普及による情報の拡散はハンパではない。初期のころは、ネットにつなぐのが大変だったが、Wi-Fiが普及した今は、コンビニでもホテルでもという、「どこでもインターネット」という夢が実現した。ネットの検索により、辞書がいらなくなった。メールにより、電報が形式的なものになり、手紙もはがきも書かなくなった。最近は、ほんとに字が書けないのではと思うほどだ。さらに、趣味の懸賞応募も、ほとんどがネット応募可能になり、買うはがきの枚数は激減した。これに、携帯やスマホが絡んできているのだから、もう、ついていくのがやっとで、実際のところ、もう、取り残され気味の私ではある。
2019.02.18
コメント(0)
昔の炭鉱住宅のことを書いたら、いろいろ昔のことを思い出し、今と比べて書いてみたくなった。そういう年齢になったということだろう。なんといっても一番大きな変化は、私が生まれた昭和30年(1955)には、その名前さえ知られていなかった「コンピュータ」の登場だろう。子供のころ、私の知識源の最先端だった「鉄腕アトム」でさえ、「電子頭脳」だった。私が「コンピュータ」という言葉を知ったのは、おそらく、SF映画「2001年宇宙の旅」からではなかったか。しかし、その概念は、あくまでも部屋を占領するような大型機械であり、それがパーソナルコンピュータとして、ここまで普及するとは、誰も想像できなかったのではないだろうか。実際、職場に初めてディスクトップコンピュータが1台入ったのは昭和の終わりで、5年後ぐらいには、職員全員にパソコンが貸与されていたのだから、驚くべきスピードではないか。かくして、私たちは「マルチプラン」、「ロータス123」を知る、本当に貴重な世代となったのだ。
2019.02.17
コメント(0)
ここまで、全25巻の内、まだ、3巻だけなので、感想を述べるのは早いのだが、古今亭志ん生、三遊亭円生、柳家小さんと聴いてみて、やっぱり、柳家小さんが一番好みだった。志ん生は、ビートたけしいわく、最強の落語家であることは間違いないのだろうが、いかんせん、リアルタイムで聴いていない。むしろ、馬生と志ん朝の実父としての存在が大きい。円生は、「三十石」、「紀州」という、収録演目のせいでもあるが、あまりにも上手すぎて、感心してしまい、笑っていいものかどうか、困ってしまうほど。名人中の名人である「円生」を襲名できる噺家は、今の三遊亭には見当たらない。今となっては、迷子の「円楽一門」だけが残ったということか。そこへ行くと、小さんはすごい。そのすごさについては、次回に続けたい。
2019.02.16
コメント(0)
№103テレビバラェティ「笑っていいとも特大号」:定番だった年末の特番。1年間のゲストを全部みせるのだが、さすが30年前、おおげさでなく三分の一ぐらいが物故者だった。本田美奈子、堀江しのぶは残念。ミュージック「夜のヒットスタジオ総集編」:番組が終わりに近づいてきた時の総集編。テレビバラェティ「たけしのここだけの話」:ビートたけしがMCのトーク番組があったとは、録画していながら忘れていた。ゲストは吉田拓郎だが、ほとんど、たけしがしゃべっていた。№104洋画「ライムライト」:やっぱり名作。音楽もチャップリンだったとは知らなかった。「チャップリンの秘密」:淀川長治、萩本欽一出演のNHK番組。洋画「チャップリン短編集」:当時は画期的だったのはわかるが、今見ると、やっぱり、ちょっと違和感がある。ともあれ、今や、ワンコインでチャップリンの名作DVDが買えるのだから、このVHSも価値はないのか。
2019.02.15
コメント(0)
2月から3月にかけては、健康診断を受けて、新年度に備えるのが恒例になっている。昨年まで、総合病院にいらしたB型肝炎に詳しい先生が、独立開業したというので、平日の休みに受診してみた。なるほど、新しい病院なので、施設的には申し分ない。また、予約制なので、思ったより混雑は無く、無駄な待ち時間はない。急遽、胃カメラをやることになったのだが、これが驚きだった。今までに10回ほど胃カメラを飲んでいるのだが、点滴による一時的麻酔とかの今回は、痛さどころか、何の違和感さえかんいなかった。マウスピースをくわえたところまでは覚えているのだが、「終わりました」と知らされるまで寝ていたようで、記憶が無い。もちろん、検査終了後も、気分爽快で、どこにも違和感は残っていない。最初に胃カメラを飲んだ時に比べると、夢のようだ。いやはや、医学の進歩は、こんなところでもすごい。
2019.02.14
コメント(0)
小学館が年頭から隔週で「落語 昭和の名人極めつき 72席」というCD付き分冊百科本が発売された。例のごとく、1冊目は700円だが、2冊目からは1200円だ。古今亭志ん生、三遊亭円生、柳家小さん、立川談志、等々全25巻をほぼ1年で完結する。さて、買おうかどうか、ちょっと迷った。好きな噺家のだけを買おうかとも思ったのだが、そこは私の収集癖が許さなかった。毎回、書店で購入するのは面倒なので、自宅に郵送されるタイプをネットで一括、大人買いをしたところ、なんと翌々日に、まだ書店に並んでいない第3回配本、柳家小さんまで届いた。私がリアルタイムで、といってもラジオやテレビでなのだが、聴くことができたのは、円生、小さんあたりからだったので、この辺は懐かしい。まぁ、昭和の名人をここでおさらいするのもいいのかもしれない。
2019.02.13
コメント(0)
落語会の会場の「スペースアストロ」は、中三弘前店8階で、それなりだった。中三は青森県の百貨店で、今は青森市と、この弘前市の2店が営業している。全国でデパートがどんどん減っている中、これは貴重な存在だ。実際、秋田県にはデパートは西武だけになってしまって久しい。開場までの時間に、店内を見て回ったのだが、いや、本当に懐かしかった。これで、最上階に食堂があり、屋上に遊園地があれば、もう、昭和の私たちが夢中だったデパートそのものだ。残念ながら食堂は、フードコートになってデパ地下に移動していたが、そこの「中みそ」と呼ばれる味噌ラーメンが大人気で行列ができていた。なんでも、弘前のソウルフードらしく、「2食入り生めんタイプ」を販売していたので、思わず購入して、おいしくいただいた。6階には「ジュンク堂書店」があり、その他の各階も昭和のデパートディスト満載で、地元のお客さんに愛されていると感じた。いや、青森はまだまだ深い。
2019.02.12
コメント(0)
昨日の落語会は、弘前市の中三デパートが会場で、開演は15時からだった。青森市のシネマディクトや、弘前市のヒロロの場合とは時間も違うので、行きたかったところに寄ってみた。まずは、大鰐町の名物、「温泉もやしラーメン」を食べに大鰐駅前の「山崎食堂」へ。大鰐の温泉もやしは、テレビで紹介され大ブレイクしたが、生産量が追い付かず、青森県内でも入手困難。その温泉もやしをつかったラーメンも大人気で食べてみたかったのだが、元祖ともいわれる「山崎食堂」はさすがで、大満足。開店直後だったので、すぐに食べられたが、帰るころには行列ができていた。腹を満たすと、次は、すぐ近くの「鰐come鰐の湯」へ。入浴料金は500円と日帰り温泉としては、お高めだが、道の駅的な物産販売施設や飲食施設も完備しており、お客さんも入っていた。もちろん、風呂も、サウナも合格点。どちらも、ナビに登録して、機会があれば、また、寄ろうと思う。
2019.02.11
コメント(0)
「ヒロロ寄席」を開催している「弘前落語ふぁん倶楽部」が会場をいつもの「ヒロロ」から、中三デパート8階の催事場に代えての開催。お客さんは、100人越えの満席。演目は次のとおり。一席目 やかん二席目 蜘蛛駕籠三席目 紺屋高尾青森県内での別の仕事の後の高座だったが、いつものように声と言うかノドが心配になるほどの熱演。やっぱり、へたな真打以上で実力は十分。とくに三席目は、お客さんも大喜びでウケていた。日帰りの宮治さんには、ちょっと気の毒ではあるが、日曜のこの時間帯は、早めに家に帰れて、案外いいかもしれない。落語以外でも、ちょっと楽しかったので、それは明日。
2019.02.10
コメント(0)
「ハズキルーペ」というのをご存じだろうか。ぶっちゃけ、メガネ型の拡大鏡なのだが、このテレビCMが、なんともすごい。武井咲が「黒皮の手帳」風のクラブのママで、小泉孝太郎と舘ひろしが客で出演し、店の女の子4人がソファーの上に置いた「ハズキルーペ」に座って、「キャッ」とか言うやつだ。まぁ、内容は、笑えるほどクサイのだが、少なくとも、顔に装着するメガネを尻でふんずけるというのは、いかがなものか、像が踏んでも壊れない筆箱じゃないんだから、と思ってのだが、やはりネットでも炎上しているらしい。それでも、放映され続けているところをみると、どうやら、それも計算に入れてのことのようだ。だから、こうしてブログに書くのも、相手を喜ばせるだけなのかもしれないけど、やっぱり、あざとすぎる。公共広告機構あたりで、叱ってもらえないものか。
2019.02.09
コメント(0)
北海道は観測史上最大級の寒波に襲われたらしい。秋田も寒かったが、まぁ、そこまでではない。それでも、ベトナム娘たちには、「生まれてイチバン寒い」らしい。夕張に暮らした時には、そこそこの寒さに耐えていた。今から考えると、よくも、まぁ、あんな環境で、あんな暮らしをしていたものだと我ながら感じる。銭湯タイプの風呂に行き、帰りには濡れた髪がパリパリに凍り付き、カッパのような髪型になった。もちろん、タオルを振り回せば、そのまま凍り付て、それをチャンバラの刀にして遊んだ。寒い朝に深呼吸すると、パチパチと鼻毛が凍る音がした。それどころか、肺の中が痛くなるような感覚さえあった。それなのに、中学生の頃は、ズボン下というか「ももひき」をはかないで我慢していた。もし、今、この年齢で夕張にいたのなら、これはもう、命の危険がある。ますます、寒い冬が苦手なこの頃である。
2019.02.08
コメント(0)
スポーツ新聞で、今日、初めて知ったのだが、鈴木直道夕張市長が、自民党推薦で北海道知事に立候補するらしい。東京都の職員から夕張市へ派遣され、その後市長になった37歳が北海道知事に立候補するという。夕張にというか北海道に住んでいないと、なかなか情報を知るのが遅くなる。日本一貧乏な市長として、どうだったのか、私には知る由もないのだが、もし、知事になったとしたら、夕張市にとっても、いいことなのかもしれない。なにせ、夕張に対する思いはあるものの、投票権はないので、ちょっとはがゆい。明日からは、北海道新聞のサイトで、チェックしなくては。
2019.02.07
コメント(0)
伝わらないのはしょうがないが、とにかく、そのころの夕張には「ペチカ」のある炭鉱住宅があって、私は15年ほど、3か所のそのブロック住宅で育ったのだ。ストーブを右に、背中に「ペチカ」というのが、最高の場所で、どこの家でも、そこは家長の父親の場所だった。ウチの親父の場合も、そこで晩酌し、あまりのここちよさに居眠りしてしまうのが、いつもだった。温暖化のカケラもなかったその頃は、とにかく寒かったのだが、このブロックだけは、セントラルヒーティングなので暖かかった。ここを出て、木造の住宅に移ったとたん、玄関においていたビール瓶が凍って破裂したのだった。今でも、このブロック炭鉱住宅はわずかながら残っていると思われる。今度、夕張に行ったなら、出来ることなら見学してみたいと思っているのだが。
2019.02.06
コメント(0)
最近、昔のことを思い出しがちで、たとえば、-10℃ほどの寒い日には、北海道は夕張の極寒を思い出す。もう、完全に回顧老人である。その寒さで思い出すのが、「ペチカ」のあった「炭住(炭鉱住宅)」だ。炭住にも、いろいろなものがあったが、このタイプは「ブロック」と呼ばれていて、冬至では珍しいコンクリート造りで、一棟2階建てで4世帯が入居できた。部屋は6畳間2部屋と4畳半一部屋、玄関、トイレ、台所はあったが、風呂はなしで、けっして広くは無かった。最大の特徴は、なんといっても、「ペチカ」があること。炭鉱なので石炭は売るほどあるので、燃料費は無料。家の真ん中には、大きめの石炭ストーブが直結した畳2畳ほどのペチカが居間と寝室の堺になっており、リバーシブルで、ぽかぽかだった。ここまで書いてみて思うのだが、知らない人にはなかなか伝わらない気がする。
2019.02.05
コメント(0)
クリスマスの「ケーキ」、バレンタインデーの「チョコレート」、この二つについては、南蛮渡来の行事と食べ物ではあるが、ここまで浸透してきているので、これは許そう。ハロウィンの「かぼちゃ」については、冬至まで我慢しろと思うのだが、「パンプキン」だと言い張るのなら、これも、まぁ、しょうがないか。だが、節分の「恵方巻」、これについては、どーにも納得が出来ない。これは、節分前後になると、恵方巻がメインとなり、いつもの大好きなアジの寿司が買えなくなるから、とかだけではなく、なんだか、うさんくさいのだ。関西方面では昔からあったというのだが、本当だろうか。北海道や相模原や秋田では、聞いたこともなかった。なんだか、コンビニやスーパーによって作られたように思えて、ホイホイと喜んで買う気にはならない。案の定、作りすぎとかで、指導が入ったとのこと。やっぱり、急に宗教っぽい食べ物が売り出されてようで、どうにも、うさんくさい。まぁ、とにかく終わってくれてほっとした。
2019.02.04
コメント(0)
昨日に続き、場所を秋田市に代えて、萬橘師匠の独演会。さすが、秋田市だけあって、100人以上のお客さんで、しかも大館よりは若干若い。長谷川席亭が、「連日来てくださる方のために、演目は代えてもらいます」とおっしゃっていたのだが、せいぜい、一,二席だけだろうと思っていたが、なんと、三席とも代えてくれた。演目は次のとおり。一席目 洒落番頭二席目 猫と金魚三席目 藪入り昨日も書いたのだが、この師匠の実力は、私の立場から言わせてもらえば、ただならぬものだと思う。今日の枕も、昨日とは全く違うもので、面白かったし、ウケけていた。三席目の「ネズミ捕り懸賞金」のくだりの表現方法は初めてだった。本当のところはわからないが、これも萬橘師匠の工夫なのかと思っている。願わくば、どうか、足まめに秋田方面に出向いていただきたいものだ。
2019.02.03
コメント(0)
1月には行ける落語会がなく、今日が今年に入って初めての落語ライブ。大舘にいて、たった1,000円で、落語が聞ける、うれしい企画も、もう、5回になるのか。明日の秋田市アルヴェで行われる落語会の前のりサービス企画。ホールではなく展示室での開催だったが、そんな悪条件でも、ほぼ100人ほどのお客さんは立派なものだ。演目は次のとおり。一席目 真田小僧二席目 時そば三席目 井戸の茶碗萬橘師匠は、40歳とたしかに若手ではあるが、いい意味で、客に安易に迎合しない頑固さがあるように思う。この演目の選び方でもわかるように、初お目見えとしては、ベストではないだろうか。また、実力もたしかで、しかも、どの噺にもひと工夫あったようにも思えた。たとえ明日も同じ演目だとしても、十分に楽しめそうだ。
2019.02.02
コメント(0)
1月の最終週は、ちょっと珍しいドカ雪が降った。家を出る6時ごろは降ってなかったのに、帰ってみると、家に入るまで、30分以上かかって雪かきをしなければならなかった。さらに、この、雪が濡れ雪で重いのなんの。とりあえず、一人が通れる道を雪かいて、1階の玄関に通じる道は封鎖してしまった。そんなに降ったというのに、翌日は暖かく、雨模様になり、あっという間にアスファルトが露出、あれだけ汗をかいたのがウソのようだ。私の感触では、なんとなく、このまま1か月早く春に向かっているような気がする。さて、冬至を過ぎたので当然なのだが、めっきり、夜明けが早くなってきている。まだ、家を出る朝6時は暗く、月や星が見えるのだが、最近は薄明るくなり、現場に着く頃には、オートにしているライトが消えるぐらいになった。まだ、真冬なのだが、確実に春は近い。
2019.02.01
コメント(0)
全28件 (28件中 1-28件目)
1

![]()
