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派手なハロウィーンの演出、でも仕掛け人は大人しいドキさん。パリピと全く真逆にいるドキさんが、どうして仕掛け人になっていったのだろうか?それはドキさんが「チッタ エンタテイメント」という会社に、入社したことから始まる。そもそも、そこはどういう会社かというと、映画館やライブホールなどのエンタメを集めた、複合施設の運営をする会社だった。彼がその会社に入社したのは、音楽好きと映画好きからである。今から21年前の1997年に、チッタグループの映画館が10周年を迎えることとなった。そこで、社運をかけた10周年記念イベントをやることになったのだ。ある日、その時の社長で今の会長である、カリスマ的存在であるコウコさん(創業者の孫娘)から、彼の運命が変わる呼び出しを受けた。呼び出された先は、麻布十番のフグ料理店である。社長に勧められるままフグを食べていると、社長は彼に、「会社の総力を上げて10周年のイベントをやろうと思うのだけど‥」と言われる。「あなたが舵を取るのよ!」と言われ、しかも追い打ちをかけるように、「これは絶対に失敗は出来ないのよ」と釘を押されてしまう。何事も頼み事は全く断れないドキさんが、社長へ言った言葉が面白かった。「‥なるほどですね!」(笑)ドキさんは、そういわざるを得なかったのだ。高級料理店のフグを食べちゃっているし‥断れない性格だし‥。イベントなんて、全くやったことがないのに‥。いきなり10周年を背負えと言われてしまうし‥。本心は「無理です」と言いたかったようなんだが‥。というわけで、10周年イベントの隊長に任命されてしまった。どうするドキさん!社長のコウコさんの要求は、映画館が忙しい時期を避けて秋に開催すること。それから、当時の川崎は工業のイメージで若者がいなかった為、若者が楽しめるイベントにすることであった。ドキさんの苦悩といったら‥もう大変!4月に言われて秋まで後半年しかない中で、さてどうする?そこでハーフのパリピの人からこんな提案が‥。「大人のハロウィーンとか、どうすか?」‥チャライ(汗っ)ドキさんは「ハロウィーンって、子供が飴貰う日じゃないか」と乗り気でなかったから、会長に却下してもらおうと言いにいったら、会長が意に反して、超ノリノリ~。結果、ドキさんの願いは撃沈して、大人のハロウィーンを開催することになったという。試行錯誤しあちこち奔走して開催に間に合わせた日本のハロウィーン。こんな経緯で始まっただなんて、驚きだった。今月末で22回目を迎える日本のハロウィーンは、今年12万人の観客が参加予定だという。元をたどれば、一つの会社の一つの行事。単なる10周年のイベントのはずだったというのに、‥どう化けるか、分からないものである。
2018年10月30日
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「激レアさんを連れてきた」という番組を知っているだろうか?夜中の番組なのだが、ついついテレビを付けたまま寝てしまった日の事だ。テレビの音がうるさくて目を覚まして起きた時に、目にした番組だったのだが、これが中々面白い。私は初めて見たので、いつもどういうふうにやっているのか分からないのだが、その時は素人さんを呼んで、その素人さんから始まった話しをしていた。「自分は凄くおとなしい性格なのに、パリピに無理矢理押し付けられてしまい、日本最大級のハロウィーンパレードを作った結果、街にパリピを増殖させちゃった人」という紹介で登場した男性。それが、日本でハロウィーンを広めた男性の話しだった。その男性の名前は「ドキさん」。その人はどう見ても、ただ単に大人しいオジサンで、日本にお祭り騒ぎのハロウィーンを作ったとは思えない人だった。MCのオードリー若林さんを筆頭に、ゲストの皆さんも口々に言った言葉というのが、「全然想像出来ない~、パリピ感無し~」だった。パリピって聞いたことあるけどどういう意味?と思っている私に、アナウンサーが「パリピ=パーティーピーポー」だと説明。若林さんが「オジサンでも、流石にそこは知っている」と言っていたが、私のように説明されないと分からない人間も居る。なので説明を聞いて納得した。映像では渋谷に居る、凄いメイクをして、凄い恰好をした若者たちを映し出していたのだが、実際は20年前から大騒ぎのようで、発祥は「カワサキ ハロウィーン」だと言う。その火付け役というのが、大人しい普通のオジサン‥ドキさんだった。そんな中プロジェクトの仲間は、自分以外全員パリピの人ばかり。ドキさんが、もっとも苦手とする人たちの集団である。ハロウィーンの全てを押し付けられた、随分と大人しい男の悲劇は、ここから始まった。そして日本のハロウィーンをチャラくした張本人でもある。何故ドキさんは、ハロウィーンのイベントをやることになったのだろうか?人前に出るのが大の苦手な人間で、少年時代から家で一人、音楽と映画を鑑賞する少年だったというのに‥。三味線をやる少年でもあり、学生時代のあだ名が、そのまんま「三味線」というから笑える。そんなドキさんが、いったい何故こんな派手なイベントを、開催することになったのだろうか? ‥続く
2018年10月28日
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築地から豊洲へ‥色々な問題が有って、中々実現化しなかったが、この度年月を経て、ようやく今月実現化した。なので、色々な番組がこの件を取り上げていた。その中「未来世紀ジパング」では、チョッと違う観点で、この問題を取り上げていた。それは市場そのものの存在についてであった。築地の主役は仲卸業者である。仲卸業者とは、業務用の魚屋さんのことだ。各地から市場に集まった魚を選んで買い付け、それを飲食店や街の魚屋さんに売る仕事をしている。その仲卸業者がこの30年位の間に、激減しているのである。1989年に1080軒有った業者が、2017年には538軒にまで減ってしまっている。水産物の取扱量も、ここ10年で3割減っている有り様である。これも時代の流れ、ということになる。その理由は大きく分けて二つ。まず、スーパーなどが産地直送の買い付けをしているということ。もう一つはネット通販などになり、市場を通さない取引が増加しているからだ。そこで立ち上がったのが、50年続く仲卸業者‥いわば老舗が、目利き能力を最大限に発揮すれば、絶対生き残れるということで、海外に進出することを決める。海外って、何処に?選ばれたのがタイ‥タイのバンコクへ運ぶことになった。何故なら、バンコクは日本レストランの密集地だからである。1700店以上の日本レストランが、ひしめきあっている場所だ。ということで、タイのバンコクにミニ築地市場が、今年の6月上旬にオープンしたのだった。出資したのは、日本航空グループと仲卸業者3社である。仲卸業者の3社とは、生鮮、青果、和牛だった。バンコクでは、会員にならないと買い付けられないようにしている。そこには和食レストランや日本食店が買い付けにきている。そして午後には一般の人も解放し、刺身等にさばかれた魚を買えるようにして、ロスが無いようにしている。今後は、築地を見学に来る外国人が、ここバンコクでも、沢山見かけられるようになるだろうと思う。
2018年10月26日
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地域で楽しもうと、結構色々な催し物をやっている。やっていることは素人なので、チャンとした音楽を聞こうとする人には、お勧めできない。単にご近所さんが集まって、ワイワイ楽しもうというもので、素人ギターに素人アコーディオン、そしてオカリナの会長も出るはずだった。はずだった‥というのは、欠席されたからである。オカリナの会長のお誘いで参加したのに私‥あれっ?どうやら会長のお母様が亡くなったようで、通夜を終えたばかりだったようだ。会長も結構なお歳ということを考えると、お幾つなのかしら?と言う質問に、100歳だったという回答があり、それは凄い!と思った。しかも亡くなる前までしっかりとされていたらしく、健康寿命を迎えたようなので、見習いたいと思った。会場は大治町西条防災コミュニティセンターだというのだが、私はこの場所を知らない。木曜日に行っている公民館でのヨガも、11月1日だけは公民館を取れなかったらしく、その日だけ防災センターだというから、どちらにせよ私は、個人的にも場所を知っておく必要がある。オカリナの前会長が月曜にやっているバレトンにも行っていて、私はそこで毎週前会長にお会いすることが出来る。なのでこの人と私は1ヶ月の間に、結構な頻度でお会いできる人となった。出会いも不思議だったが、会社を辞めて大治町に根付こうとする私にとって、本当に大切な人になった。彼女に、防災センターの場所が分からないと言うと、当日車で送ってくれるということだった。なので会長の欠席は、車の中で聞いたことになる。大治町は公共施設が沢山ある。だから「ポツンと一軒家」ならぬ「ポツンと海部郡」であっても、合併しなくてもやっていけている町なのかもしれない。平成の市町村合併から外されても、何故だかよく分からないが(笑)、頑張っている町だ。私は大治町内の公共施設を、まだ全部把握していない。まぁ、追い追い覚えていこうと思っている。歌声サークルという名前で、今回開催されたのだが、お菓子付きで音楽に併せて昔の歌を歌おうというものだった。200円(会場費とお菓子とお茶コーヒー代)だけで、たっぷり音楽を聞き、たっぷり歌わせてもらった。楽しい午後のひとときになった。
2018年10月23日
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10月1日から、名古屋市の名古屋駅、栄、金山地区の繁華街で、「客引き」が禁止されることとなった。新聞によると、これまでは風営法や、愛知県条例で風俗店や執拗な客引きが規制の対象だったが、今後は市条例により飲食店なども違反を繰り返せば、過料を科される場合があると言う。飲食店はアルバイトが自分のお店へ誘導するパターンが多いのだが、これらも違反の対象になることになる。どうやら入る店が決まっているかどうかを尋ねることも、原則禁止となるようだ。昨年5月に市が調査したところでは、名古屋駅周辺で63人、栄周辺で52人、金山周辺で13人が立っていたという。私は昔飲食店でアルバイトをしていた時、ビラまきをしていたが、これも客引き?になるのだろうか‥。いや、どうやらチラシの配布は問題ないらしい。他にもティッシュ配りや、不特定の通行人に「いらっしゃい」などと呼びかけるだけの行為、看板を持っての宣伝は規制対象にならないらしい。何にでも線引きが必要なわけで、全てを禁止事項にしてしまっては、飲食関連事業が立ちいかなくなる。なので何でもかんでも禁止というわけではない。市の指導員が巡回するという。載っていた写真には、黄色いベストを着た人たちが、「客引き行為等対策推進中」という旗を持って、巡回していた。指導員は、違反者に指導、勧告、命令を行ない、更に命令に違反した場合は5万円の過料や氏名、住所などを、公表する場合があると、新聞には書いてあった。同様の規制は、大阪市、京都市、川崎市にも有るようだが、徹底してクリーンになったわけではない。それでも半減したという実績はあるようだ。さて、名古屋市はこの市の条例を、どこまで浸透させて徹底することができるだろうか?
2018年10月21日
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さて、先週から始めたことが二つある。その内の一つが建築関係なのだが、先週初めて出席したのだが、受け取った教材関連の荷物の多さに、驚かされた。「これは罰ゲーム?」と思うほど荷物が多く、運ぶだけでかなりの労力を奪われてしまう。実はもう一つ同時に始めたものが、この建築関係の勉強をするところから歩いて30分のところに有る。私は教室と教室の移動時間が、1時間有ることから、歩いていけば丁度良い時間になると思っていたのだが、これだけの荷物を持って歩くのは、絶対不可能だと分かった。なので、バスを使うことにした。これだけの荷物も、次に持ってくるときは3分の2位になるが、それでも歩くことは無理だと思った。実は荷物の大半は製図関係‥なので、重いに決まってる。製図は8回続くので、10月11月の毎週水曜日は、最低限でもこの重い荷物を持って学びに行くことになる。だからといって、12月に軽くなるとは全く思えない。12月には「パース」の授業が始まり、来年には「住宅のインテリアプラン」へと入っていくことになる。さて、仲間なのだが、これがみんな若い女の子ばかりである。やっぱり男性ともなると、きちんと学校へ行き就職を目指すだろうから、こういう週一で2時間、年間50回の勉強には来ないのだろう。と思ったのだが、どうやら男性は日曜に学びに来るようだ。そりゃぁそうだ。大半の人は仕事しながらだろうからなぁ‥。私は1年間日曜の午前中を取られてしまうのは、絶対無理だと思い、学ぶのは、定年後と決めていた。家事等有るから男性のようにはいかないし、副業も有るので‥。私は一番前に座ったのだが、どうもみんな知り合いっぽい。全員ではないだろうが、知っているように話している。この学校の入校月は、4月と10月なので、4月に入った人たちが殆どなのだろうと思った。私も普通に会社を定年退職出来ていれば、4月に入っていたと思うのだが、後任とのバトンタッチが上手くいなかなったので、2ヶ月定年の月が延び、結果10月から行くことになった。というわけで、いきなり製図からとなってしまったので、結構気合を入れて授業に臨まなければならない。しかも受講者は4月から学んでいる人たちが大半で、一番の問題が若い人たちばかりだということ‥。まぁ、最初から分かっていたことなのだが、おばさんの頭でついていけるだろうか?‥頑張るけどね。まだ始まったばかりで、1年間学ぶわけだから、意気込みだけでも負けないようにしないとネ!(今のところ笑いは、私が一番取ってるゾ)←なんの意味もないか。
2018年10月18日
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月に2回土曜日、名古屋駅にある毎日文化センターまで、オカリナを吹きにいく。認知症の父を預かってくれている「愛の家」の秋祭りの日が、その土曜日に当たってしまった。なので愛の家のほうは遅刻という形になってしまうが、両方参加することにした。まぁ、忙しい一日だこと。朝の9時にはバスに乗っていたのだが、途中愛の家からメールが来た。駐車場の場所が変更になったというメールだった。今、言われても‥。私は用事が有って、もう名古屋に向かっているから、弟や妹がそちらに着いたら、そちらで対処して欲しいとメール。最初に途中からの参加になるとは伝えてあったのだけど、先方も大きなイベントだから、細かいことまで覚えていないのだろう。オカリナが終わるとみんなで食事に行くのだが、今回私は失礼して、すぐにバスに乗り愛の家へと行く。午前中のイベントには参加出来なかったが、午後のイベントには間に合うことが出来た。午後のイベントの一つに、大治太鼓の演奏が有る。踊りの参加もあり、着物姿の人たちがイベントを華やかにしてくれる。そして、今回初めてだったのだが、小さなお子さん二人による大治太鼓のお披露目が有った。小学生の3,4年生だろうか‥。男の子と女の子の二人による太鼓の披露だった。どうやら大治太鼓の会長さんのお孫さんのようだ。いやぁ~、男の子の力強い太鼓の音といったら‥素晴らしかった!やっぱり男の子だ~、大人の女性よりも力強い。まぁ、大人の女性というのが、かなりの高齢だからなのだが‥。思わず前列まで行き、しっかりと聞き入ってしまった。大治太鼓は結構有名なので、絶えることなく次世代に繋がっていってくれるのは、とても嬉しいことである。音楽が好きな父は、とても嬉しそうだった。定期的にイベントを開いてくれるスタッフに、心から感謝である。
2018年10月16日
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ある日の朝刊に載っていたテーマが、「人生100年時代」だった。「人生100年時代という言葉を知っていますか?」という問いかけから始まる文章。最近耳にする機会が増えた言葉だという。占い師としては人生120年時代だと思っているから、いつかテーマ内容が「人生120年時代」に、替わるだろうとは思っている。今の日本人の平均寿命は、男性81.09歳、女性87.26歳である。人生を80年と考えて人生設計をしているから、もし人生100年だとすると、20年設計図が不足していることになる。実際これは平均的な数字なので、60歳で終わる人もいれば、100歳まで生きている人も居ることになる。と考えれば、ある程度の人たちは、設計図不足で生きていくことになる。さて人生100年だとすると、何が必要になってくるだろうか?心の持ち方、体のケア、そして現実的なところで生活費が関係してくる。するとまず、働き方を見直す必要が出てくるだろう。生活する最低限のお金を貯蓄しておかなければならない。心の問題で、面白いことが書いてあった。「昔の人は七転び八起きと言いましたが、これからは十四転び十五起きになると思います。」‥と。成るほど‥今以上に何度も何度も起き上がるだけの、心の強さが必要になるわけか‥。人生長くなるとチャンスも増えれば、当然ながら失敗も増えることになる。だから失敗しても諦めない、心の強さを持つ必要が出てくる。でも体が衰えていくと、七転び八起き過ぎての転んで起きる回数は、ショックが大きくて、起き上がるにも時間がかかってきてしまう。心も体もダメージが大きくて、萎えてしまうからだ。若い頃とは同じようにはいかないのが現実である。だからこそ必要になってくるものは‥。私は周りの人たちと、より支え合って生きていくことが、より重要になるのではないかと思えるのだった。
2018年10月14日
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前回述べた番組を見ていて、もう一つ面白いと思ったのが‥、いや、面白いというのは適切ではない。私が知らなかった、平成15年に施行された法律のことである。それが‥「健康増進法」というものであった。その内容は、次のようなものである。「国民は健康な生活習慣の重要性に対する関心と理解を深め、生涯にわたって、自らの健康状態を自覚するとともに、健康の増進に努めなければならない。」これは、私たちが健康について、あーだこーだと話しているだけの話しではない。法律である‥法律そのものだということだ。つまりは、健康は国民の義務になる、法律なので健康を害したら義務違反ということになる。結局政府としては、過去30年間で65歳以上の高齢者が2倍以上になり、国民医療費が大問題になるということに、不安を感じたのだろう。医療費が、平成2年から平成12年の10年間に1.5倍になった為、平成15年に法律にしたわけである。 いやぁ~知らんかったしー。知ったからといって、どうよ!とも感じる法律だ。罰則も無いことだし‥。医療費が膨れ上がると、国は困るよねぇ‥。どうやら薬が手軽に買えるようになったのも、国の政策ということになる。医者で健康保険を使わなければ、国が補助する必要が無いというわけだ。だから一部のコンビニで、薬が取り扱えるようになったわけだ。メッチャ便利になった~と思っている国民に、裏でほくそ笑んでいる人たちが居るわけ‥だな。まぁ、薬に頼り過ぎている私たちにも問題が有るわけだが、色々なところに色々な人たちの思惑が潜んでいるということだ。‥考えさせられるねぇ~。
2018年10月12日
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「池上彰と振り返る平成30年」サブタイトルが、「実はこんなに変わっていた日本」を見ていて、面白かった題材が二つあった。一つは、平成で減った職業と増えた職業だったのだが、出てくる職業を見れば、頷けるものばかりだった。平成で減った職業は、一番多い職業が、速記者やタイピスト関係で、89%の減り方だった。これは当然だろう。ワープロやパソコンが普及してきたのは、昭和の後半だからだ。現に私も英文タイピストを辞めて、事務職へ変わった。ワープロが出る前だったから、まぁ勘が良かったんだと思う。次に家事手伝いや家政婦で、80%の減り具合。芸者やダンサーが73%減、魚労船の船長や船員が67%減。続いて飲食店店主が67%減、左官が63%減で集金人が63%減。私の会社も入社した当初は、集金の人を置いていたのだが、途中集金専属の人達は、自然消滅していった。 続いて畳職人が58%減で、音楽家や舞台芸術家が57%減と続いた。それに対して増えた職業というのが、全体的に爆発的な増え方だった。電話応接事務員が327%増だという。これは携帯等の通信販売が激増したことで、異常な増え方となった。次が介護職員で252%増、高齢者が増えたことが大きな要因である。続いてソフトウエア作成者で248%だが、これも頷ける話しである。次が歯科衛生士で140%増。一時期、滅茶苦茶歯医者が増えたと感じた時があった。歯医者は儲かる‥と皆が噂していた時期が確実あったのだが、今では酷い乱立から、多少減少気味ではないかと感じる。歯医者の需要は食べ物が豊かになった我が国にとっては、随分と身近で必要なお医者さんだと思う。続いて薬剤師が114%増、保育士が113%増だ。保育士の必要性は、女性の社会進出が増えたからだろう。次に訪問介護従事者で110%増、個人教師(スポーツ)⇒85%増、栄養士が75%増と続いていった。昭和から平成に替わり、色々変化する中で、職業の変化も当然のことだと、感じるのだった。
2018年10月09日
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群馬県中之条町で、5千人の高齢者を対象に、15年以上調べた結果を発表したのは、「この差って何ですか?」という番組の中であった。うつ病が一日4千歩の有酸素運動で改善がみられるというのだが、単に歩けばいいというものではない。大事なのは外に出ること、太陽にあたることでもある。それによって、心のバランスを保つセロトニンが分泌されるからである。次に認知症予防に期待できる歩数というのが、一日5千歩だという。運動不足で血管が細くなり、全身の血流が悪くなってしまい、脳に血液が送られずに、脳細胞が損傷を受けてしまうからのようだ。加えて別の番組だったのだが、咀嚼をしっかりすることが大切という事だ。咀嚼をしっかりしない人は、食後うとうとして30分~1時間寝てしまう。これは脳に血液がきちんと送られない現象である。 実は家に居た時の私の父親がこれだった。特に昼食後はテレビを付けたまま、椅子にもたれてうとうととしていた。結局父親は認知症になってしまい、今グループホームに入っている。でもこれは私にも当てはまること‥私は咀嚼をしっかりしない人間なのだ。なんか‥面倒臭いと思ってしまっていた。でも認知症にはなりたくないから、これは努力課題だと思った。そして骨粗鬆症の改善には、一日7千歩歩くことが必要だという。骨は歩いて刺激が加わることで強くなる。歩く衝撃が骨を強くしてくれるのである。骨粗鬆症には、カルシウムを取っていれば良いわけでない。カルシウムだけ取っても、骨芽細胞は作られないからである。この町では、5年以上7千歩毎日歩いている人に、骨粗鬆症の人は居なかったということだった。そして高血圧の人には一日8千歩歩くことで、予防になるという。原因は運動不足などで血液が悪くなり、指先の毛細血管に血液が流れなくなるからである。結局抹消の血管にまで血液を送ろうとして、心臓に負担がかかっている状態なのが、高血圧なのである。確か今まで「一日1万歩歩こう~」というのがスローガンだったよね?でもここでは8千歩以上歩いても、病気の予防効果は変わらないと言っていた。なんとなく私がその情報に頷けるのは、私自身8千歩歩いた日が、一番体の調子がいいからである。1万歩歩いた日は、何となくだるい。これは私がこの番組を見る以前に感じた、私の主観である。どちらにせよ、全く家から出ない日は、恐ろしいほどに歩数が伸びない。なのでまずは家から出ること自体が、一番健康に繋がる事だと思っている。
2018年10月07日
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ふと時計を見て目が真ん丸になった、何!これってマジ今の時間なの?もう2,3分で出かけなければならない時間に、いつの間にかなっていてびっくりしている。 こういう時は、どういうわけか体が固まってしまって動かなくなる。一番動かなければならない時なのに‥。火曜日がハローワークの認定日だったのだが、時間が9時からだったので、結構早く家を出た。勿論問題無く間に合ったのだが、そこで次の日が就職フェアであることを教えられる。就職活動の一つとして認められるので、行ったらどうか?と言われた。水曜日には何の予定も入っていなかったので、2日間続けてではあるが、行くことにした。しかも10時からなので、火曜日より1時間余裕が有る。そう、余裕が有るはずだったのだ‥なのに‥。1時間余裕が有るという安心感からか、その都度時間の把握をしていなかった。これは乗りたいバスに乗れないかも‥。乗れなくても、早めに時間設定しているので、遅刻にはならないだろうから大丈夫なのだが‥。バス停まで走っていくと、前から丁度バスが来てバス停で止まっている。バスの前に出て乗りますアピールをガンガンして乗せてもらった。良かった!乗ってしまえばこちらのものである。後は終点まで乗っていけば良い。場所も一度行ったことがあるので、迷うことなく現地に着くことが出来た。着いた時間も余裕だった。「海部・津島合同就職フェア≪企業説明会≫」だったのだが、エントリーした会社は19社‥なので、1社6分の持ち時間だった。前の会社の絡みで4分の1の会社は知っていたが、私の住む尾張西部方面に本社が有る会社が、結構有ることを始めて知る。自動車関連の部品を扱う会社が多いのは、愛知県に豊田市(車のトヨタ)があるからだろうか?各社、パワーポイントを使って、自社のアピールをしていた。人材を確保するために、おのおのの会社が色々工夫をしていた。6分という持ち時間を使ってしまい、ベルを鳴らされてしまう会社が、半数以上有ったので、時間通りには終わらなかった。就職活動する人もさることながら、会社側も大変なんだなぁ‥という印象だった。
2018年10月04日
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凄い音、早く過ぎ去って欲しいなぁ‥。台風は今年21号と24号に影響が大きかったが、21号を経験した後なので、24号は準備をしっかりしたのだが、それでも不安は大きかった。雨風の音は9月30日の18時前後から大きくなっていき、21時には凄い音になっていた。港が近くて海抜ゼロメートル地帯である私の家としては、20時33分の高潮が怖かった。万が一を考えて早めに2階へ上がっていき、水害で命を落とすことのないように準備する。伊勢湾台風が一つの目安になることを考えると、私の家は大丈夫だとは思うのだが‥。当時3歳だった私は、伊勢湾台風自体の記憶は無いので、怖いと思う記憶は東海豪雨である。東海豪雨は道路に水が溢れていて、ふくらはぎまで有った。私の家は大丈夫だったが、前の家は床上浸水だったと思う。音が怖くて眠れないはずだったのだが‥。何故かぐっすり寝てしまった私である。音には誰よりも敏感なはずの私なのに、ぐっすりって‥。私の神経はどうなってるの!?これは多分、会社へ行かないということで、ストレスの無さが影響しているのではないだろうか?びっくりするぐらい、体が緩んでいる。仕事柄、台風とか雪とかの自然による被害は、次の日の仕事に影響を与えていた。なのでそのことも同時に考えていたから、眠れなかったのだと思う。でも今は次の日に影響が無いので、単に家の心配をするだけで良かった‥この違いは大きい。もう次の台風25号が発生しているという。10月過ぎたよね?いつまで台風の心配をすることになるのだろうか?
2018年10月02日
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