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資本主義の終焉と歴史の危機 (集英社新書)[本/雑誌] / 水野和夫/著 私:16世紀末から17世紀初頭のジェノヴァをはじめとするイタリア資本は、「山のてっぺんまでブドウ畑」となるほど、資本が投下され、投下先に限界が来る。 「地中海経済圏」という空間のなかで成功してしまい、既存の空間内で利潤をこれ以上得ることがむずかしくなる。利子率も低下する。 そこでまずジェノヴァはスベインの国王に投資するようになり、「地中海経済圏」から「欧州大陸圏」に投資先が拡大し、同時にイタリア国内経済の凋落が始まる。 資本はイタリアからオランダに移り、オランダの生産拡大の局面を支える。 当時、スペイン帝国は中世の「中心」で無敵艦隊を持っていたが、これは陸軍兵士を輸送するのが主な目的で、実質的には「陸の帝国」だね。 A氏:1588年、スペインの無敵艦隊がイギリス艦隊に敗れ、スペイン帝国の凋落が始まり、イギリスの時代になるね。 私:新しい投資先の「海」を制したイギリスは「海の国」としてその市場を拡大し、1600年に「東インド会社」を作る。 オランダは「東インド会社」をはじめとして、イギリスに投資し、それが産業革命を筆頭に、イギリスの黄金時代となる。 このように、16世紀~17世紀の資本家たちは、スペイン、イタリアに投資しても超低金利のため、富を蓄積できなくなったので、投資先をオランダ、イギリスに変えて繁栄する。 「金融資本家の時代」といわれ、「長い16世紀」では中世のイデオロギーや価値観、システムが一新され、政治・経済システムも中世荘園制・封建社会から近代資本主義・主権国家へと一変した。 その後、世界の工場として、ドイツやアメリカが台頭してくるとイギリスは金融に活路を見出すが、それがイギリスの衰退をもたらし、今度はその資本がアメリカに貸し出されて、アメリカの覇権になる。 A氏:「歴史は繰り返す」でサイクルになっているね。 私:その広い歴史的な視点が水野氏が通常の近代経済学者と違う点だね。 ある国がある「空間」の覇権を確立する段階では、それ以前の覇権国の金利を下回り、世界でもっとも低い金利になることを歴史は示しているね。 明日は、資本主義の終焉を示す、最近の先進国の利子率低下にふれよう。
2014.04.30
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【楽天ブックスならいつでも送料無料】資本主義の終焉と歴史の危機 [ 水野和夫 ] 私:水野ファンである俺は、新聞広告でこの本を見て、アマゾンで買った。 最近、本は図書館利用がもっぱらだったから、久しぶりの購入だ。 新書版だし、読みやすいので、積読にならないで読了した。 要するに今、グローバル経済で、かつ、IT化で資本が「電子・金融空間」で瞬時にして世界を走り回っているのに、金利ゼロ、利潤率ゼロという現象は、すでに世界中に投資して儲けるチャンスがなくなったということだね。 行き着くところまで行ってしまったということだ。 A氏:それは資本を投じで、利潤を得るという資本主義の終わりということか。 ところで、君には08年からの水野和夫知的街道があるね。 「人々はなぜグローバル経済の本質を見誤るのか」、「ゼロ成長時代のモデル築け」、成長神話の崩壊、「超マクロ展望・世界経済の真実」、「世界経済の大潮流」 私:この「資本主義の終焉と歴史の危機」は新書版によって、これらの論議の簡略なまとめたものと言えるね。 上の知的街道の「人々はなぜグローバル経済の本質を見誤るのか」はリーマン・ショック発生以前のものだが、すでに米国の金融危機を予告していたね。 ところで、資本主義の崩壊というが、資本主義は歴史上、いつから始まったと思うかね。 A氏:18世紀半ばから19世紀にかけて起こった産業革命の頃かね。 私:12~13世紀説、15~16世紀説、18世紀説があるという。 水野氏は12~13世紀説に説得力を感じるという。 それは、その時期にキリスト教で禁止されていた「利子」が事実上、この時期に容認されたことで、資本を投じて利益を得るという資本主義の原点の公認だね。。 明日は、資本主義の利子率の歴史的変化に移ろう。
2014.04.29
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昨日(4月27日)は、朝から快晴であったのでいつもの自然公園ウオーキングをした。 一昨日も1日中、晴れて気温も高かったので連日の快晴である。 午後1時半頃 自宅を出る。 服装は野球帽、厚手の長袖シャッツ、半袖の肌着である。 公園入口の自販機で、ペットボトル500mlを買う。 消費税増税で値上がりして150円となっている。 家を出るとき、風が強かったが、森に入ると風は木に遮られるのかおだやかだ。 鶯の元気のいい声があちこちに聞こえる。 もう桜は完全に葉桜だ。 東北では、今が桜の満開の時期であろう。 日曜日なので子供連れが目につく。 例によって2時間、12000歩のウオーキング。 ペットボトル1本はきれいに飲み干す。 汗ばんだが肌着が濡れるほどではない。 帰宅して肌着だけ着替える。
2014.04.28
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国家神道と日本人 岩波新書 / 島薗進 【新書】 私:敗戦の1945年(昭和20)12月、GHQは「神道指令」すなわち、「国家神道」の解体指令を出す。目的は宗教を国家から分離することで、国家機関となった「神社神道」を廃止し、神道は民間の一つの宗教となった。 しかし、著者は「国家神道」は「皇室祭祀」を頂点としたもので、「神社神道」だけが「国家神道」ではないのに、「神道指令」では「皇室祭祀」と「神社神道」をはっきり分け、「皇室祭祀」は国民のための信教の自由の枠外としているので、完全な解体でないとしている。 A氏:こうした判断の背景にはマッカーサーの天皇擁護の政治的な背景もあったかもね。 私:GHQが「皇室祭祀」を完全に残したことで、「国家神道」は今も健在だと著者は指摘している。「皇室祭祀」のうちの大祭のいくつかには国政責任者が出席しているが、これは国家的な行事なのに、天皇家の私事として国民に報道されていない。 そして、「皇室祭祀」に合わせて全国の神社で行う年間行事が行われている。 また、天皇が伊勢神宮を参拝することはそれ自体、国家的行事として大きな意味を持つ。 A氏:国民の天皇崇拝の持続も、戦後、昭和天皇の全国巡幸、皇居への一般参賀などによって継続していたね。 私:戦後の「国家神道」は二つの明確な座を持つ。 一つは「皇室祭祀」であり、もう一つは「神社本庁」などの民間団体を担い手とする天皇崇拝運動である。 「皇室祭祀」は見えにくい形で隠れているが現存の法制度の中での「国家神道」の核であり、後者の「神社神道」はその核を見据えつつ「国家神道」的な制度を拡充していこうとする団体や運動体であるという。 ところで「皇室祭祀」の内容は、このブログの高谷朝子著「宮中賢所物語」に詳しくまとめてあるが、我々は案外この程度のことも知っていないようだね。
2014.04.27
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国家神道と日本人 岩波新書 / 島薗進 【新書】 私:日本の歴史教育は、神代を含めるかどうかの問題があった。 福沢諭吉や田口卯吉は神武天皇以降を日本の歴史として扱うとしていた。 しかし、1990年代以降、「天照大神」「天孫降臨」「三種の神器」が小学校教育と軍隊教育におりこまれるね。 「国家神道」も第3期:「浸透期」「明治40時代末(1910年頃)から昭和6年(1931年)」に入ると下からの神道の運動が強まり、政府も国家指導層も「国家神道」強化の方向で、より強固な天皇を中心とした国民統合を達成しようとする道を選ばざるを得なくなる。 A氏:俺たち世代は終戦まで、天皇のために喜んで死ぬのだと本当に思っていたからね。 授業中、先生の講義の中で「天皇」という単語が出ると、皆、さっと姿勢を正したね。 私:国民全体に対しては、無限の権威をもつ天皇を信奉させ、国民の国家への忠誠心を確保しようとした。これが「たてまえ」つまり「顕教」だ。 一方、国家と社会の運営には、近代西洋の民主主義制度にしたがって、経済や学問知識の発展、そのための人材登用が必要だ。これが支配階層間の「申しあわせ」で「密教」にあたる。 A氏:帝国憲法で言うと、「顕教」は天皇=絶対君主説となり、「密教」が立憲君主制の立場で天皇機関説だね。 私:小・中学及び軍隊では「たてまえ」の天皇が徹底的に教えられ、大学、高等文官試験では「申しあわせ」の天皇がはじめて明らかにされ、「たてまえ」で教育された国民大衆が「申しあわせ」に熟達した帝国大学卒業生たる官僚に指導されるシステムがあみだされたことになる。 伊藤博文や井上毅の意図では、この「密教」の立場が政治システムを統御し続けるはずだったが、軍部だけは第4期:「ファシズム期」「昭和6年(1931年)から昭和20年(1945年)」に「密教」の中で「顕教」を固守し続け、初等教育を担当する文部省を従え、やがて「顕教」による「密教」征伐、すなわち、国体明徴運動を開始し、伊藤博文の作った明治国家のシステムを最後にはメチャメチャにしてしまった。 明日は、敗戦後、GHQによって「国家神道」廃止がでるが、これにふれよう。
2014.04.26
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国家神道と日本人 岩波新書 / 島薗進 【新書】 私:著者は、「国家神道」の歴史過程を4段階に分けている。 第1期:形成期・明治維新(1868年)から明治20年代初頭(1880年代末) 第2期:確立期・明治20年代後半(1890年代)から明治40年代後半(1910年代) 第3期:浸透期・明治40年代末(1910年頃)から昭和6年(1931年) 第4期:ファシズム期・昭和6年(1931年)から昭和20年(1945年) 第2期で、皇室の崇敬に関わる儀礼システム、国体思想の教育・普及システム、神職の養成システムが確立していき、1891(明治24)年から小学校における祝日大祭日の天皇崇拝の儀式が発布され、紀元節、天長節、神嘗祭などの儀式があって、校長が「教育勅語」の「聖意」にそった講話をし、最後に唱歌を歌ったが、この頃始まっていたんだね。 私:このような儀礼を行うには御真影、教育勅語、君が代、唱歌がそろっていなくてはならないが、御真影は1990年代(明治20年代)にはほぼすべての小学校に下付された。君が代が「国歌」として歌われるのは1988年(明治21)からで第1期だね。 対外戦争が大きくなると靖国神社の存在が大きくなるが、私的な領域は諸宗教にまかせ、公的な秩序の領域は「国家神道」が司るという分業だね。 A氏:だから、靖国神社に遺骨は納めないね。靖国神社は、天皇のために戦った戦死者の国家による顕彰のためにあり、個々の死者の弔いは仏教などの役割だね。 私:明日は、小学校の歴史教育にふれよう。
2014.04.25
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国家神道と日本人 岩波新書 / 島薗進 【新書】 私:昨日は「日本型政教分離」に対して、「祭政一致」国家の構想が進むことをふれた。 「祭政一致」国家構想の中心は天照大神と皇室の祖神(皇祖皇宗)の祭祀だ。 東京奠都に伴い1969年(明治2)に新たに賢所を設営、1989年(明治12)には大規模な宮中三殿が設けられた。これと日本の神々の中心に位置づけられた伊勢神宮とは一対の施設と考えられていた。 この三殿と伊勢神宮を基盤として、神聖な「万世一系」の天皇の統治がおこなわれることになる。そして、三殿による「皇室祭祀」と「神社祭祀」が一体化していく。 A氏:それまで20万と言われる全国の神社は、それぞれ地方の伝統などでバラバラだったのが「皇室祭祀」によって一体化していくわけだ。 私:「国体」という言葉があるが、これは「万世一系の天皇統治をしている国家」を意味し、「国家神道」と関係している。 ところで神道は他の仏教や儒教のような個人の生き方や社会のあり方を示す「皇道」すなわち、「教」的な要素が弱い。 そこで「教育勅語」という名案が生まれる。「教育勅語」はどのような宗教をもとうと、また宗教をもつともたないとにかかわらず、国民が守るべき包括的な「教」として提示された。他の宗教を超えた包括性は「皇道」の理念の核心をなす。 A氏:「教育勅語」の強制は信教の自由と矛盾するのではないのかね。 私:「教育勅語」制定の段階では西洋先進国に伍することを重視する井上毅が頑強な抵抗者として登場する。伊藤や井上は政体に宗教的な一体性をもちこむことを限定しようとする。 A氏:現実主義的な政治家の意志との妥協のなかで、1890年(明治23)「教育勅語」は成立し発布されたんだね。 私:「教育勅語」の原案作った元田永孚の儒教色の濃いやや狭量な伝統主義に対して、より柔軟な方向に修正したことによって、宗教に超越的な皇道主義に近づいたといえる。 明日は、「国家神道」が広められていく過程に移ろう。
2014.04.24
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国家神道と日本人 (岩波新書) (新書) / 島薗進 私:このブログで「明治憲法の思想」を8日間にわたって、とりあげたが、明治憲法(帝国憲法)の作成の中心人物である伊藤博文が、国教を定めず、逆に信仰の自由を憲法にうたった点に興味を持った。 伊藤が教えを受けたシュタインが国教を憲法で定めるべきで、それは伝統的なものがいいといいとして、神道、仏教をあげたが、伊藤はそれをしなかった。 帝国憲法第28条では信教の自由を規定している。 A氏:ところが、日本は「国家神道」というのが明治維新政府の中心にあったね。 私:伊藤の憲法での考えと「国家神道」の問題とが矛盾するようなので、知的街道としてこの本が良さそうなので選んで図書館から借りた。 「国家神道」の考えは俺たち世代には小学校の教育にあったから、この新書版をその時代を思い出しながら、1日で読破したよ。 しかし、まとめようとすると、この本の内容が整然と時系列になっていないので、同じことが、繰り返し書かれていてまとめにくかった。 A氏:幕末の志士たちを団結させたスローガンは「尊皇攘夷」だが、「尊王」の具体化として神道による「祭政一致」を目指しただろうね。 私:そうだね、「祭政一致」で最初、神社優遇の神道国家樹立を目指す政策に具体化する。 1872年(明治5)に設置された教部省はすべての宗教団体を管轄する官庁だ。 そして、宗教活動を行うには、「3条の教則」を柱として説教を行うように命じられた。 第1条:敬神愛国の旨を体すべきこと 第2条:天理人道を明らかにすべきこと 第3条:皇上を奉戴し、朝旨を遵守せしむべきこと 第1条と第3条は「祭政一致」理念であったので、仏教側の不満が強く、1882年(明治15)神社を除く教派神道・仏教諸宗派の宗教集団は国家の統制から自由に宗教活動をできるようになった。 A氏:民間団体の諸「宗教」と国家の「祭祀」機関の神社が分離するんだね。 私:「日本型政教分離」だが、一方で、「神道」は「宗教でない国家機関」となっていく。 これは明日ふれよう。
2014.04.23
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A氏:昨日のブログで、バスの運転手不足をとりあげていたが、昨日の夕刊のトップ記事は偶然、同じ路線バスの問題を報じていたね。 私:路線バスの車内で転倒し、けがをする高齢者が後を絶たないという問題だね。 これに対して、京浜急行バスが社内に添乗員を乗せて、バスが完全に停止してから席を立つように高齢者の乗客に声をかけるようにしているという。 2011年からはじめている。 従来から、人の面は運転手指導で従来から添乗しているので、コスト面の心配はないという。 10年度に10件あった発進時の事故は、13年度は6件、7件あった停車時の事故も3件に減ったという。 A氏:京急の路線バスは横浜市内を走っているが、本数が少ないせいか俺はほとんど乗っていないね。 神奈中バスにはよく乗るが、車内の電子掲示で「バスが完全に止まってから席を立ってください」と注意を呼びかけているね。 私:全国統計によると乗合バスの車内事故による負傷者数は2011年で799人、65歳以上が446人で、うち男性が88人、女性は358人。 高齢女性が圧倒的に多いのは両手に荷物を持って乗ることが多いからだという。 しかし、高齢者のバス利用は長寿の女性人口のほうが圧倒的に多いことと、日用品の買い物で出かけるのが男性の高齢者より女性の高齢者のほうが多いせいではないのかね。 A氏:もし、骨折でもして足が不自由になると、あまり積極的に歩かなくなるから、足腰がはやく弱くなるね。 私:高齢者のバス利用は、これから増加するだろうが、年をとったら、バス内だけでなく、階段とか、道路の段差での転倒にも気をつけるべきだね。 同時に、体のバランスを常に保つ訓練も必要だね。 それには太ももの筋肉を老化させないようにウオーキングとか簡単なストレッチを毎日、欠かさないようにすべきだね。 俺は、指1本つかまりながらの片足立ちを1回1分、1日3回、毎日やっている。 たった1日6分だが継続がポイントだね。
2014.04.22
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私:今朝の新聞の横浜版で、県内の広い範囲でバス路線を持つ「かなちゅう」・神奈川中央交通の運転手不足を報じているね。 グループ会社も含め約3000人の運転手が働くが、ここ数年は慢性的に運転手不足が続くという。 若者の車離れのほか、運転手の不規則な勤務時間などの労働条件への不満もあるという。 運転手が不足すると、バスの本数を減らすとかの運行に支障が出るおそれがあるね。 A氏:俺の家の近所では老齢者は自家用車をやめている人が増えているし、高齢化社会がすすみつつある地域ではバスはますます、重要な「足」となっているのにね。 利用者にとっても深刻な問題だね。 私:そこでバスの運転に必要な大型二種免許保有者のみに頼っていた応募条件を、2002年から大型二種免許取得費用を会社が貸し付ける「養成制度」を始めたという。 この制度で運転手になろうとする人は、今や採用者のほぼ半数だという。 そこで必要になるのは社内の技術指導で、ベテラン運転手のOBが「教官」として指導している。 県内の同業者の「相鉄バス」も同様の採用条件をしているという。そして今年度から定年を60歳から65歳にひきあげた。 A氏:横浜のバス会社は、その他、京急グループ、市営バスなどがあるが、同じ問題を抱えているようだね。 私:国土交通省も危機感を持って、昨年12月に検討会をはじめた。 バス経営は厳しいし、一方、労働時間の長時間化、運転手の高齢化があり、事業者への調査をして、6月に対策案をとりまとめるという。 A氏:運転手の給与改善もしないといけないかもね。 私:そうすると経営が苦しくなるから、バス料金の値上げになるかもしれない。 高齢者は市の税金からバス料金の補助金が出ているが、その負担が増えるかもしれない。 こんなことに少子高齢化問題が忍び込んでいるとはね。
2014.04.21
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【中古】【書籍 ハードカバー】孫崎 享 戦後史の正体【中古】afb 私:著者は、戦後の首相を「対米自主的」の人と「対米追随的」の人を分けている。 (1)対米自主派(積極的に現状を変えようと米国に働きかけた人たち) 重光葵、石橋湛山、芦田均、岸信介、鳩山一郎、佐藤栄作、田中角栄、福田赳夫、宮沢喜一、細川護煕、鳩山由紀夫 (2)対米追随派(米国に従い、その信頼を得ることで国益を最大化しようとした人たち) 吉田茂、池田勇人、三木武夫、中曽根康弘、小泉純一郎 (3)一部抵抗派(特定の問題について米国からの圧力に抵抗した人たち) 鈴木善幸(防衛費増額拒否)、竹下登(自衛隊の協力要請に抵抗)、橋本龍太郎(「米国債を大幅に売りたい」発言)、福田康夫(アフガンへの陸上自衛隊大規模派遣要求を拒否) そして、占領期以降、日本社会の中に「対米自主派」の首相を引きずり下ろし、「対米追随派」にすげかえるシステムが埋め込まれているという。 A氏:検察、報道、官僚などだね。 私:そうしたシステムで対米自主派の政治家を追い落とすパターンを6つに分類している。 1.占領軍の指示により公職追放(鳩山一郎、石橋湛山) 2.検察が起訴し、マスコミが大々的に報道し、政治生命を絶つ(芦田均、田中角栄) 3.政権内の重要人物を切ることを求め、結果的に内閣を崩壊させる(片山哲、細川護煕) 4.米国が支持していないことを強調し、党内の反対勢力の勢いを強める(鳩山由紀夫、福田康夫) 5.選挙で敗北(宮沢喜一) 6.大衆を動員し、政権を崩壊させる(岸信介) この6つのパターンのいずれにも、大手マスコミが連動して、首相に反対する強力なキャンペーンを行っていた。 著者は、大国米国に毅然と対米自主性を主張した政治家として、カナダのピアソン首相をあげている。彼は米国内で北爆反対の演説をしてジョンソン米国大統領につるしあげられる。しかし、ピアソン退陣後も歴代首相がその姿勢を受け継ぎ、イラク戦争への参加も拒否した。今、カナダ外務省の建物は彼を記念してピアソン・ビルと言われているという。 日本のピアソンは誰か。
2014.04.20
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【送料無料選択可!】戦後史の正体 1945-2012 (「戦後再発見」双書) (単行本・ムック) / 孫崎享/著 私:1970年代末からソ連はオホーツク海に原子力潜水艦を配備していて、この海底の潜水艦からミサイルで米本土を攻撃できる。そこで米国はオホーツク海の潜水艦を探知する飛行機、P3Cを日本に買わせ、オホーツク海にひそむソ連の潜水艦を見つける役割を日本にやらせようとした。 この本音を言うと、日本は米ソの戦いにまきこまれたくないので尻込みすると思い、中東からの石油のシーレーンをソ連が攻撃する恐れがあるから、これを防ぐためにP3Cを買う必要があると説明した。 「不沈空母」の中曽根政権は、日米間の雰囲気を改善したが、すでに、100機以上のP3Cを購入していた。しかし、この巨額の出費は日本の防衛には直接関係ないものだ。ソ連が日本を攻撃するときは潜水艦でなく、陸上に配備された大陸弾道ミサイルだが、これに対して日本は無防備だ。 A氏:一方、P3Cが発見すべき潜水艦のミサイルは米国向けだから、日本は米国本土防衛のために巨額のお金を使っていたことになる。 私:この頃から、日米貿易摩擦が大きな問題となり、まず、繊維で日本の自主規制、次いで1981年、自動車の輸出規制、1986年、米国製半導体の強制購買要求となる。 1985年9月のプラザ合意で日本の通貨をわざと円高にして米国への輸出に歯止めをかける。 円高で、日本企業の海外進出が始まり、日本経済の空洞化が始まる。 こうして、1989年7月から「日米構造問題協議」の開始が決定。 A氏:1990年には、世界の金融機関のベストテンのうち、日本の銀行7行が占めていたから、1988年の銀行のBIS規制の要求で日本の銀行の弱点を反撃されたね。 明日はまとめに入ろう。
2014.04.19
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「戦後再発見」双書 1【2500円以上送料無料】戦後史の正体 1945-2012/孫崎享 私:佐藤首相は「繊維の輸出規制」の密約を守らなかったので、ニクソン大統領と密約を担当していたキッシンジャーは激怒する。 ニクソン大統領の佐藤首相への報復第1弾は、1971年7月のニクソンの突然の中国訪問で、事前連絡は日本になかった。第2弾として、ニクソンはわざわざ日本の敗戦日の8月15日を選んでドルと金との交換停止と10%の貿易課徴金を日本に課すと発表する。第3弾は、尖閣諸島について日本の主張に対する支持を修正してあいまいな態度をとるようになったことだ。 A氏:ついに、1972年7月佐藤首相は辞任し、後任の田中角栄首相でロッキード事件でやられるね。 私:中曽根康弘元首相は著書「天地有情」で後に「キッシンジャーは『ロッキード事件は間違いだった』とひそかに、中曽根氏に言った」とある。そして、田中首相が石油で独自の輸入先を開拓したことが米国のメジャーの琴線にふれたのではないかというが、著者はそれに疑問を持っていて、米国は田中首相の1972年9月の日中国交回復に怒ったと見ている。 米国はニクソンが1972年2月に緊急訪中しているが、中国との国交樹立は1979年までできず、日本が先に国交回復をしようとしていた。キッシンジャーは1972年8月の日米首脳談の直前にバンカー駐南ベトナム大使に「日本人野郎がケーキを横取りした」と怒りを爆発させていたという。 実は、彼はこの日米首脳会談直前に来日し、田中首相に「日中国交正常化を延期して欲しい」と頼んだが、田中首相は一蹴し、9月に日中国交正常化を実現した。 1982年、中曽根政権が誕生するが、米国との軍事協力に踏み込む。 明日はその話に移ろう。
2014.04.18
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「戦後再発見」双書 1【2500円以上送料無料】戦後史の正体 1945-2012/孫崎享 私:1957年2月に岸首相は、「安保条約」と「行政協定」を自主的なものにするため、その改定にのりだす。 A氏:岸信介はCIAから多額の資金援助を受けていたので、米国追随一辺倒だったというイメージがあるが、実は、対米自主路線を模索していたんだね。 しかし、安保反対・岸政権打倒運動のデモが予想外に拡大し、日本の歴史上かってない事態が発生したね。 この騒動を著者は、米国との関係でどうみているかね。 私:次の4段階が考えられるとしている。 1.岸首相の自主独立路線に危惧をもった米軍及びCIA関係者が、工作を行って岸政権を倒そうとした。 2.しかし、岸政権の基盤が強く、政権内部からの切り崩しは通常手段ではできなかった。 3.そこで経済同友会などから資金提供をして独裁国でよく用いられる反政府デモの手法を使うことになった。 4.ところが6月15日のデモで女子東大生が死亡して、安保闘争が爆発的に盛り上がったため、岸首相の退陣の見通しが立ったこともあり、翌16日からは、デモを押さこむ方向で動いた。 A氏:しかし、「新安保条約」は「旧安保条約」より、日本にとって改善されているね。 武力の行使に「国際連合の目的」という枠をはめ、米国の日本防衛義務が明記されたね。 私:岸政権後、池田政権となり、駐日米国大使には親日的なライシャワーを迎え、日米関係は黄金期を迎える。 ライシャワー大使は沖縄返還の契機を作る。 1964年、佐藤栄作政権となり、次に米国もニクソン大統領になって、沖縄返還が進むが、1969年、このとき、有名になった「核兵器持ち込みについての密約」があるね。 実は、このとき、密約は2つあって、「核持ち込み密約」以外に、1970年からの「繊維の輸出規制についての密約」もあった。 これが後に、佐藤首相とニクソン大統領関係悪化の原因となる。 これは明日ふれよう。
2014.04.17
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【送料無料選択可!】戦後史の正体 1945-2012 (「戦後再発見」双書) (単行本・ムック) / 孫崎享/著 私:冷戦後の米国の日本に対する政策は「米国が望むだけの軍隊を、望む場所に、望む期間だけ日本に駐留させる権利を確保すること」であった。しかし、「安保条約」にはこれは書き込めない。日本が独立する意味が無いことが誰の目にも明らかだからだ。 だから、「行政協定」という「協定」の方に入れた。 A氏:だから、「行政協定」が米国の政策上、もっとも重要だったわけか。 私:著者は、独立後は、このような条約は結ぶべきでなかったと、占領時と変わらない吉田首相の対米従属の姿勢を批判している。 1960年の新しい「安保条約」のときは、「行政協定」は「日米地位協定」として、その米国の政策はそのまま受け継がれた。 A氏:このブログでも「本当は憲法より大切な『日米地位協定入門』」で現在の「地位協定」の問題点をとりあげているね。 私:吉田首相の後、1955年2月、鳩山一郎内閣が誕生する。 鳩山政権はソ連との国交回復に邁進するが、北方4島の領土問題がある。 4島のうち、国後、択捉は第2次大戦末期に、米国がソ連の対日戦争参加の代償として与えたものだ。だから、1956年の日ソ交渉のとき、重光外相は国後、択捉の放棄はやむを得ないと考えていたが、これに対してダレス国務長官が重光外相に圧力をかけ「もし、日本が国後、択捉をソ連に渡したら、沖縄を米国の領土にする」と猛烈におどした。 A氏:日本とソ連の間に、解決不能な紛争のタネを埋め込むためで、これが未だに尾をひいているね。 私:1955年、「保守合同」で自民党が誕生し、左右に分かれていた社会党も再統一し、55年体制が始まる。「保守合同」の3ヶ月前にダレス国務長官が「もし、日本の保守政党が一致して共産主義者との米国の戦いを助けるなら『経済的』支援を期待してよい」と当時の岸信介日本民主党幹事長に明言する。 1960年代まで、CIAを通じて、自民党に政治資金が提供され続けたことは、米国側の公文書で明らかになっている。 こうして明日、岸政権に戦後史は移る。
2014.04.16
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「戦後再発見」双書 1【2500円以上送料無料】戦後史の正体 1945-2012/孫崎享 A氏:1950年6月25日、朝鮮戦争が始まるが、北朝鮮は韓国を攻めても、米国が見逃すと思っていたのだろうかね。 私:米国の国家安全保障会議は1949年12月、「南朝鮮から撤退する」ことを決めていた。 1950年1月にはアチソン国務長官が米国の「防衛ライン」を日本列島から、沖縄、フィリピンに設定し、朝鮮半島をその外側に置いていたので、北朝鮮は韓国を攻撃しても米軍は動かないとみていたようだ。 朝鮮戦争で米国の対日政策は決定的に変わるね。 それ以前は、マッカーサーは日本の占領を早く終わらせると考えていた。 ワシントンの意向に反してマッカーサーは日本の再軍備に積極的でなかったが、朝鮮戦争勃発で、急遽、7万5千人の国家警察予備隊と8千人の海上保安要員の設置を日本に要求する。 しかし、吉田首相は、再軍備については軍事費負担で日本の経済自立を不能にするとして反対し、マッカーサーの支援を得て経済重視に落ち着く。 A氏: 1951年9月8日、講和条約と日米安保条約が結ばれるね。 私:「平和条約」は華麗なオペラ・ハウスで48カ国が調印したが、なんと「日米安保条約」は、場所もサンフランシスコ郊外にある米陸軍第6軍の基地の中にある下士官クラブで、米側は4名が署名しているが日本は吉田首相一人。 著者は、条約の重要性の流れは、本当は「米軍駐留の行政協定」のための「安保条約」、そして「安保条約」のための「平和条約」というもので、時間の流れと逆であったという。 A氏:本能寺は「行政協定」にあったのか。 私:「安保条約」には米軍の日本駐留のあり方の取り決めが何も書かれておらず、「行政協定」に書かれているが、これは「協定」だから日本の国会や国民の判断には無関係で政府どうしの合意でよいことになる。 しかも、「安保条約」には1960年まで日本防衛の義務はなく、1960年に追加されたがこれは改訂でないので、それ以前の「安保条約」を「旧安保条約」としている。 明日はその「行政協定」が何故、重要かについてふれよう。
2014.04.15
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「戦後再発見」双書 1【2500円以上送料無料】戦後史の正体 1945-2012/孫崎享 私:昭和電工事件を摘発したのはGHQのG2で、昭和電工の収賄は、占領軍筋に及んでいて、GSが主な対象であった。 A氏:GHQ内には日本の民主化を進めるGS(民政局)と共産主義との対決を重視するG2(情報部門)の対立があったね。 私:昭電事件とは、「G2―吉田茂―読売新聞・朝日新聞」対「GS―芦田均―リベラル勢力」との戦いで、G2が勝利する。 1948年にGSのケーディがワシントに行って帰ってこなかった。 この一連の出来事の背景に冷戦の始まりという世界情勢の変化があり、米国は日本の民主化よりも、日本を共産主義勢力との戦いに活用するという方針に転換したことがある。 こうした流れのなか、憲法草案を作るなど、占領初期の日本の民主化の過程で大きな権力をふるったケーディス大佐の役割は終わり、日本社会の民主化の流れも終わった。 著者は、日本の特捜部はGHQの管理下でスタートした「隠匿退蔵物資事件捜査部」を前身としており、米国の情報部門が日本の検察を使ってけしかけ、これを利用して新聞が特定政治家を叩き、米国の気に入らない首相を失脚させるというパターンが昭電事件以降始まるという。昭電事件の芦田均は、全米軍は有事だけ駐留すればいいと主張して反感を持たれていた。 A氏:それ以降、米国に先駆け中国と国交回復をした田中角栄のロッキード事件、自衛隊の軍事協力について米側と路線対立をした竹下登のリクルート事件、金融政策などで独自政策・中国に接近した橋下龍太郎の日歯連事件、在日米軍は第7艦隊だけでよいと発言し、中国に接近した小沢一郎の西松建設事件・陸山会事件とあるね。 私:この章の最後で、著者は、1947年、天皇がマッカーサーに米国が沖縄その他の琉球諸島の軍事占領を半永久的に継続するように要望している覚書が1979年に米国の公文書公開で明らかになったとしているね。 しかし、この事実はマスコミは黙殺したという。 明日は、冷戦のはじまりと日米関係の変化にふれよう。
2014.04.14
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【新品】【書籍 ハードカバー】孫崎 享 戦後史の正体 私:日本国憲法がGHQ作成であったのは、今では常識だが、一般に知られるのは1949年にGHQが公表してからだ。。 1946年2月13日、GHQのホイットニー民政局長が日本政府の憲法草案を否定し、日本政府にGHQの憲法草案を受け入れるように要求する。 この草案を採用しなければ天皇が戦犯になるかもしれないとおどした。 後にライシャワー元駐日大使はその著書の中で「マッカーサーは米国の正式な占領政策を定めた『対日初期方針』になかった憲法起草をやってしまった」と批判しているという。 A氏:1947年4月25日、新憲法での初の総選挙が行われ、「片山哲・社会党内閣」が誕生するね。 私:マッカーサーが何故、社会党の片山政権を認めたのかという見方があるね。 現実に、1年前の総選挙で第1党になった自由党総裁の鳩山一郎を組閣前に公職追放しているからだ。 これについては、マッカーサーの書簡で「日本人の精神生活は戦争で空白になっているから、キリスト教を日本人に布教するのは今が絶好の機会である」として、片山氏がクリスチャンであることを高く評価していたという。 そして「これで東洋の3大国が中国では蒋介石、フィリピンではロパス、日本では片山哲というクリスチャンの指導者を持った」としているという。 A氏:しかし、GHQの介入はあったろうね。 私:片山内閣という革新内閣が誕生すると、日本の民主化を進めるGS(GHQ民政局)は大喜びだったが、1947年10月25日、左派すぎる平野農相については民政局のケーディスが解任を要求。その結果、片山内閣は総辞職する。 その次が芦田均内閣だが、昭和電工贈収賄事件に巻き込まれる。 著者はこの事件にGHQが関与しているとしている。 明日はそれにふれよう。
2014.04.13
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【中古】【書籍 ハードカバー】孫崎 享 戦後史の正体【中古】afb 私:憲法にゆく前に、重光葵が嘆いていた敗戦時の日本人の堕落ぶりにふれよう。 戦犯を逃れようと軍人、政治家、官僚、新聞が占領軍にへつらい出す。それは一般人の混乱も同様だね。 ジョン・ダワーはその著「敗北を抱きしめて」で、その堕落ぶりを描いているね。 敗戦直後の軍の規律は一挙に崩壊し、本土に駐屯していた兵隊は群れをなして部隊から離散してしまい、目撃した警察官によると脱走兵のようであった。 運べるかぎりの大量の軍の貯蔵品を略奪して、よろめきながら家に担いで帰った者も多かった。 生還を期待せず、崇高なる使命のために出撃を覚悟していた特攻隊の生き残りたちでさえ、戦争が終わったと聞くと、無秩序な物資の奪い合いに飛びついた。 ある特攻隊の飛行士は、降伏を知るとさっそく、自分の飛行機に軍需物資を満載し、自分の実家に近い飛行場まで飛んでいき、盗品を荷車に載せて家に運ぶと、飛行場まで引き返して飛行機に火をつけたという。 後に「特攻くずれ」という不良グループをさす言葉も生まれるね。 A氏:「武士道」は一夜にして日本から消滅するが、もともと無く幻影だったのかもね。 私:日本の政治経済の中枢にいた人たちは、8月15日以降、2週間の混沌のうちに、軍の倉庫から勝手に物資を持ち出していて、その後の調査によると、帝国陸海軍が保有していた全資産のおよそ70%がこの戦後直後の略奪狂乱の中で処分されたという。 A氏:これは君のブログにあるが、占領軍のための「特殊慰安施設」が作られ、「慰安婦募集」がされるね。 私:内務省の橋下警部局長が終戦の3日後の18日、各府県の長官(県知事)に占領軍のためのサービスガールの募集を指令する。 当時、大蔵官僚だった池田勇人はそのために1億円必要だというと「1億円で純潔が守られるのなら安い」と言ったという。 慰安施設は27日に開業し、1360名集まったという記録があるという。 内務省の警備局長といえば、治安分野の最高責任者なのに、その人が売春の先頭に立っている、しかも数日前までは敵であった占領軍のために。 著者は歴史上、敗戦国は多々あるが、そんな国が他にあったろうかと嘆いている。 明日は、憲法問題に移ろう。
2014.04.12
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「戦後再発見」双書 1【2500円以上送料無料】戦後史の正体 1945-2012/孫崎享 私:敗戦時に米国世論は天皇に対して厳しく、「単な飾りだったから無実だ」というのは3%にしか過ぎなかった。 しかし、米国政府は占領をスムースにするために、天皇を利用した。利用価値がないと天皇制を廃止しただろう。 そして、間接統治をしたが、これは、日本政府はGHQというお釈迦様の手のひらにいる孫悟空のようなものであった。 A氏:この状態は1951年のサンフランシスコ講和条約まで続く。 しかし、この講和条約で本当の主権を得たのかね。 「日本の指導者は主権獲得前と後で交代していない」 「日本の指導者は主権獲得前と後で政策(対米従属)を変えてない」 私:米国は対日政策で、「日本の生活水準は、日本が侵略した朝鮮人、インドネシア人、ベトナム人よりも上であっていいということはない」というものであった。 さらに日本は米軍駐留経費として、6年間に約5000億円、国家予算の2割から3割をあてている。 日本人が餓死者が出るという窮乏の時に、進駐軍のゴルフ場、特別列車の運転、はては花や金魚の注文書まで駐留費に含まれていた。 後の米国からの経済支援よりはるかに多い額だ。 1946年、この経費の増額要求に反対した石橋湛山大蔵大臣は、1947年5月16日、公職追放される。だから、こういう骨のある政治家はすくなかったという。 著者は、その点、吉田茂は対米従属型の代表として、評価は低いね。 A氏:ところで米国内でも対立があり、GHQ内にも対立があったというね。 私:2つの流れがあった。 1つは情報担当部局(G2)でこれは軍事志向が強いので早くから冷戦的態度であり、代表者はチャールズ・ウィロビー、もう1つは民政部門(GS)で関心は日本の戦後の民主改革で、代表者はチャールズ・ケーディスだね。ケーディスは日本の憲法作成の現場指揮をとる。 明日は憲法問題に移ろう。
2014.04.11
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【新品】【2500円以上購入で送料無料】【新品】【本】【2500円以上購入で送料無料】戦後史の正体 1945-2012 孫崎享/著 私:米国に開戦する時、日本が立てていた戦略は、1941年11月13日の大本営政府連絡会議の決定によると「ドイツとイタリアと提携して、まず英国を降伏させ、米国の戦争継続の意志を失わせるようにし、対米宣伝と謀略を強化して米国世論に厭戦気分を誘発する」というひとりよがりものだったという。 A氏:かって、日独伊三国同盟を結んだときの松岡洋右外相の外交を評して、作家の山田風太郎が「松岡の外交は、マージャンで相手三人(米独ソ)の手を全然見ず、自分の手ばかり見て勝負しているようなものであった。彼はヤクマンを志してヤクマンを打ち込んだ」と評していたが、大本営も同じで、「願望」だけで、米国開戦というヤクマンを打ち込んだ。 私:太平洋戦争が終わったのは正確には「降伏の日」の9月2日だが、「降伏」をさけて8月15日にして、しかも「敗戦の日」でなく「終戦の日」にしている。 1945年9月2日、戦艦ミズーリー号で降伏調印する。日本側の要人は降伏文書に署名するのを嫌がり、結局、当時の外務大臣重光葵氏と梅津参謀総長が全権代表で署名する。 降伏文書の中身は「日本政府は連合国最高司令官からの要求にすべてしたがうこと」だ。 これが、1951年9月9日のサンフランシスコ講和条約まで続く。 ところが、その9月2日の降伏文書署名後、すごい3布告が出る。 1・日本を米軍の管理下におき、公用語を英語とする。 2.米軍に対する違反は軍事裁判で処罰する。 3.米軍軍票を法定通貨とする。 A氏:直接統治で、しかも公用語は英語で、円はなくなり、米軍票だね。 すごい命令だね。 私:これを聞いた重光は9月3日早朝に直接、マッカーサーと会い、命がけで3布告の撤回を説得し、やっとマッカーサーは布告を撤回する。 明日は、その後の占領下の知られざる話題に移ろう。
2014.04.10
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私:今日、STAP論文の小保方晴子氏の記者会見があったね。 2時間半くらいの長い記者会見だったが、4チャンネルが大体カバーしていたようで、俺はちょこちょこ見ていたよ。 A氏:俺はテレビで見ていたが、こないだ発表された理研の調査委員会の報告書は問題だね。 科学者があんないい加減な報告書を書くとはね。 私:それ以前の記者会見で、理研の野依良治理事長が小保方氏を「未熟な研究者」と言っていたのには驚いたね。 普通の会社で社長が社員を「未熟な社員」と堂々と公の場で言うだろうか。 社員が未熟なら、自分から指導不行き届きで、頭を下げるべきだね。 経営感覚が皆無だね。 野依氏は研究者としてはノーベル賞をもらった権威だが、経営者としては「未熟」だね。 A氏:調査委員会の報告でも、「悪意」、「不正」、「捏造」、「改ざん」という何か、一般の犯罪の話のようで、科学的な話が中心でない。 それも、論文の書き方の話で、問題のSTAP細胞の真偽に関する科学的な追及がないね。 私:調査委員の報告では委員が雁首を並べていたが、言っていることがおかしいね。 そして、この論文の問題は小保方氏個人の問題だとしているね。 しかし、理研として外部に出す論文なんだから、誰かのチェックが必要なはずだ。 そのチェック体制や責任者の話は一切出てこない。 A氏:調査委員の人たちは科学者としては、それなりのレベルをもっているのだろうが、マネジメントへの関心とその理解能力は皆無だね。 私:敗戦後、日本の科学研究者が米国の研究所に行って驚いたのは、マネジメントがしっかりしていることだったという。 70年たって、日本はまだ、それができていないのかね。 若い科学者を育てるというマネジメントの最大の使命を理研は果たせるのか、現状では疑問だ。 小保方問題で理研の体質が浮かび上がったね。 それは日本の科学研究の体質的な問題かもしれない。
2014.04.09
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昨日は、晴天だったが風が冷たかった。 今日も晴天だが、さらに風がおだやか。 絶好の自然公園ウオーキング日和。 午後1時、長袖の肌着に上は厚手の長袖のシャッツで出発。 森に入ると、すぐに道が白くなっているところがところどころある。 桜の花びらが道に積もっているのだ。 上を見ると、もう花はあまりない。 別の丘に登ると、まだ、満開の桜の木が数本あり、その下で2、3のグループがビニールシートを敷いて花見を楽しんでいた。 久しぶりのウオーキングなので、ペースがやや遅くなる。 2時間、12000歩のウオーキング。 350mmlのペットボトル1本飲み干す。 汗はあまり出ず、肌着が少し汗ばむ程度。 帰宅して、着替えして少し休む。 明日も晴天は続きそうだ。
2014.04.08
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A氏:今日の夕刊に「歴試学のススメ」という新聞欄があったね。 新しくできたのだろうか。「歴試学」とは「歴史を大学入試問題で学ぶ」の略語だと解説にある。 私:今回の入試問題は今年の東大の日本史の問題だね。 問題の要旨は大筋次のようなものだね。 「大日本帝国憲法は上からの『欽定憲法』だが、当時の民権派が憲法の発布を祝ったのは何故か」 A氏:君の「立憲主義知的街道」で先週、明治憲法を集中的にとりあげたが、偶然、これにぶつかったね。 私:憲法によって国家権力が抑制されるという原理が立憲主義だね。 すでにブログでふれた通り、明治憲法の創案者の伊藤博文は天皇の統治権には制限があるとしていたね。 A氏:君のブログ「明治憲法の思想」・その4によると、伊藤博文は、「統治権を総覧するのは主権の『体』で、憲法の条規によりこれを行うのを『用』という」として、「体」と「用」を分けている。 「体」によって日本は共和制でなく、君主制であるが、「用」によって、君主に制約のある立憲政治であるとしているね。 私:1874(明治7)年、民権派の板垣退助らが民選議院設立建白書を提出している。 そして公選による議会の開設は憲法発布の翌1990(明治23)年に実現している。 憲法には立憲主義の原理が貫かれており、議会を通じて自らの意見を政治に反映できると考えたので、憲法制定ではカヤの外に置かれながら、民権派はこれを良しとして憲法発布を祝ったわけだ。 A氏:そうして、大正末期から昭和初期には2大政党が政権を争う「憲政の常道」が実現し、大正デモクラシーとなる。 私:非民主的とされる帝国憲法も本質的にデモクラシーが可能だったが、「運用」で軍部によって破壊される。 現在の民主的だという日本国憲法も「運用」によって破壊されるかもね。
2014.04.07
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A氏:毎年、ノーベル賞の時期が来ると、文学賞は村上春樹氏になるのではと騒がれるが、昨年も、期待に反して、「現代短篇小説の巨匠に」という理由でカナダのアリス・マンロー女史に決定したね 短篇小説がよく書かれ、よく読まれる日本の読者には、なんの不思議もないだろうが、英語圏では受けとられかたが少し違ったかもしれないというね。 私:英語圏では長篇小説にくらべ、短篇小説の位置づけが総じて低く、イギリスでは新人作家は長篇でデビューするし、アメリカでは短篇集でデビューしても、次には長篇に挑むのが暗黙の了解になっているという。 ノーベル文学賞の選考対象となる小説家は、長篇を書いていて当然、ということになるだろうという。 昨年末の新聞書評で彼女の短篇集「イサベラ」の紹介があったので、図書館に予約した。 もう予約が殺到していて、約4ヶ月間待って、ようやく順番が来て、3日前に入手した。 短編なら読むのに負荷がかからないと思ったが、9つの短篇からなり、単行本440頁とかなり厚い。 読みだしたが外国ものは人名が頭の中で整理がうまくいかず、ネックになるね。 A氏:長編だと、読者のために名前のリストが訳本の場合つくことがあるね。 私:最初の「恋占い」という短編は、ある家政婦の物語になっているが、心理描写が詳しいね。 珍しく、小説らしい小説に接することが出来たよ。 ただ、こういう深い心理描写を読むのはやはり負担だね。 それよりは、政治・経済・歴史問題のほうが興味が強いので「イラクサ」はさわりの短編3つほど読んで終わりたいと思う。
2014.04.06
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私:このブログで、一昨日まで「明治憲法の思想」をとりあげてきたので、この記者有論に興味を持った。 「神様」とは「憲政の神様」と言われる尾崎行雄氏のことだね。 A氏:1890(明治23)年の憲法による国会開設から連続25回当選し60年余り衆議院議員を務めた人だね。 戦後、94歳まで議員活動をしたという。 私:しかし、当時は政治は次第に軍部に乗っ取られ、戦時下の1942(昭和17)年の選挙で、東條内閣は戦争に非協力的な議員を除外しようとした。 これに対して4月12日、尾崎氏は東京での街頭演説で、東條内閣の独裁政治を攻撃する。 「翼賛選挙は重大な憲法違反であり、憲法を制定した明治天皇のご心労や、憲政を実現するために心血を注いだ先人たちの労苦を忘れた行いだ」と訴えた。 川柳の「売り物と唐様で書く3代目」を引用し「日本も憲政を始めてから明治、大正、昭和とちょうど3代目にあたる。よほど用心をしなければならない」と説いた。 A氏:「売り物と唐様で書く3代目」とは「3代目ともなると創業時の苦労など知るよしもなく、ぜいたくに慣れて商売をおろそかにし、やがて家業が傾き家屋敷まで売りに出さなければならなくなる」という意味だね。 私:これに対し東京地方検事局が不敬罪容疑で尾崎氏を起訴、1審有罪、上告した大審院では無罪となる。 この言論弾圧を当時の朝日新聞は「舌禍事件」として扱い尾崎氏と共闘せず、紙面は戦争関連の記事で埋められていた。 尾崎氏は、この5年前から新聞が当局に迎合的であると指摘してたという。 A氏:日本の憲政は、尾崎氏が指摘したように3代目で滅んだね。 私:日本の憲政の最盛期は大正デモクラシーの数年間で1932(昭和7)年の5.15事件で犬養内閣が崩壊し、これを最後に政党内閣は崩壊するね。 そして最後は敗戦という最悪の事態で終わる。 国会の憲政記念館に尾崎氏の銅像が立っているというが、今の政局やマスコミの行動をどう見ているだろうかね。
2014.04.05
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私:先日「謎の独立国家 ソマリランド」を読んで、この地方の人が盛んに「カート」を食べているのに興味をもったが、そのアンテナにこの新聞記事の「カート」がひっかかった。 最近のウクライナ問題で、世界地図音痴になっていたのか、最初、イエメンはどこの国かと迷った。なんと、ソマリアと対岸の国で紅海とアデン湾を両国が狭い水路を挟んで向かい合っているんだね。 A氏:海賊が出るはずだね。 私:新聞の見出しは「社会不安で消費量増加」とある。 イエメンは中東の最貧国だが、最近は内戦などの社会不安で、これから逃避するため、「カート」の過剰消費が人々と社会をむしばんでいるという。 興奮効果があり、多幸感を生むからでね。 A氏:マルクスは、「宗教は現実逃避の麻薬」だと言ったが、「『カート』は現実逃避の麻薬」かね。 私:それにイエメンでは「カート」は禁止薬物でないからね。仕事がなく、休んでいる時も、 「カート」を噛んでまぎらす。結婚式や葬式を始め、人の集まりは「カート」なしでは始まらないという。これを噛むと、元気が出て、幸福感が得られるからだ。 WHOの調査だと成人男性の9割、女性5割、12歳以下の兒童の2割が「カート」を毎日噛むという。 「カート」の消費急増は、イエメンの農業を弱体化しいている。 「カート」生産は収入がいいために、他の輸出農産物から転作するためだ。そして「カート」は大量の水を使うので、もともと、水資源が乏しいイエメンに水不足に拍車がかかっているという。 WFP(世界食糧計画)では人口の4割の1千万人以上が食糧不足に陥り、慢性的な栄養不良の兒童の割合は58%とアフガニスタンに次ぐ高さだという。 麻薬で餓死者が出るまでに麻薬中毒で国が狂ってしまうのだろうか。 日本の「カート」はなんだろうか。民放テレビの馬鹿騒ぎだろうか。
2014.04.04
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私:天皇は立憲君主だから、下の進言には「拒否権」はない。この点が大統領制と違うね。 昭和天皇が、このルールを破ったのは、3件ある。 1つ目は1928年の張作霖爆殺事件で、これが関東軍河本大作大佐の謀殺であることが分かる。 当時の田中首相は天皇に処分を行うことを上奏したが、陸軍が処分を甘くしたため、田中首相は別な責任者を処分したと上奏を変えた。 天皇は「それでは前と話が違うではないか」と田中首相を叱責し、ついに田中内閣は総辞職する。 A氏:天皇は後にこれは若気の至りと反省していたというね。 私:2つ目は2.26事件だが、これを反乱軍としたのは、このブログで書いたような経緯があるね。 反乱軍が失敗したのは、鈴木侍従長を撃ったことだ。彼は昭和のはじめから天皇のそばにいて、天皇の父親のような存在だった人だからだ。 3つ目はポッダム宣言受諾だね。 話は変わるが、敗戦後「天皇の人間宣言」が出るね。 A氏:天皇は「現人神」ではないという宣言だね。 私:しかし、この宣言の初めに5箇条の御誓文があるように、天皇の狙いは「天皇の人間宣言」は二の次で、天皇が言いたかったのは、日本は明治の最初から5箇条の御誓文という民主主義の精神で政治を進めてきたということだそうだ。 だから、今さら外国から新しく輸入される思想ではないと主張した意味だという。 A氏:5箇条の御誓文はよくできた理念だね。 私:帝国憲法もそれを基礎として出来た憲法だ。 しかし、今度の憲法改正創案者たちに明治の頃のように和魂洋才で鍛えられ人材がいるだろうか。
2014.04.03
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私:昭和5年(1930),浜口内閣が締結したロンドン軍縮条約に対する軍部の反発は強かった。 これに対して陸軍は自分たちに都合の良い憲法学説、すなわち、条約の締結は天皇大権であり、内閣の代行するものであるが、軍備の削減は直ちに作戦に関わることであるから、軍縮条約を内閣が結ぶのは統帥権の干犯だという説を利用した。 鳩山一郎政友会総務は統帥権干犯問題で政府を追求する演説をする。 こうしてにわかに「統帥権干犯」という耳慣れない言葉が世間に流行する。 A氏:この鳩山演説の半年後、浜口首相はロンドン条約の最高責任者とみなされ、東京駅で暴漢に襲われ死亡するね。 私:犯行の動機は屈辱的ロンドン条約によって神聖なる統帥権が干犯されたと信じてのものだったというね。 昭和7年(1932)、犬養毅首相は5.15事件で射殺される。 彼は、政党内閣の最後の首相であり、大正デモクラシーはここで終わったね。 こうして「統帥権干犯」問題は政党政治の息の根をとめた。 A氏:浜口内閣が倒れた5ヶ月後の昭和6年(1931)に満州事変が起こるね。 私:これは出先の部隊の関東軍が政府のいうことを聞かなくなったということに尽きる。 この辺りから再び軍部の意向が政治を左右し始め、帝国憲法の立憲政治は転げ落ちるように崩壊していく。 そして、昭和11年(1936)、2.26事件が起きて、事件後、広田弘毅が組閣するが、陸軍のいいなりの閣僚人事を行う。山本内閣以来の政府が軍部に優位というシステムは崩れ、その後は軍部の賛同が得られないと組閣が不可能になった。政治が軍部に乗っ取られることになった。 帝国憲法は「戦争責任」を負うべきでない。 問題とすべきは、帝国憲法の立憲主義の精神を歪曲した解釈や運用である。 帝国憲法起草の経緯や思想を忘れ、条文に書いてない「不文の憲法」を顧みなかったことが「昭和の悲劇」をもたらした。 帝国憲法は負わなくていい「罪」まで負っている。 その汚名はすすがなくてはならないと著者は最後に言っている。
2014.04.02
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私:帝国憲法の下では、天皇が「統治の総攬者」として広い大権を維持し、その下で内閣、帝国議会、裁判所、枢密院、軍部、内大臣府が横のつながりを持たないまま分立していた。 内閣も天皇に対する「国務各大臣」が単独で天皇を助ける責任があり、国務大臣の自立性が強かった。 総理大臣の統制力と内閣の一体性が弱く、閣内不統一がしばしば政権の命取りになった。 A氏:軍部も統帥権で天皇に直属したが、これも陸軍、海軍と独立していたね。 天皇を中心とした完全な縦割りで、横の調整が弱いね。 私:大正時代には、その横の調整は憲法に規定はないが「元老」がやっていた。 それが昭和に入り「元老」がいなくなり縦割りの問題が出てくるね。 もう一つの問題は、内閣の大臣の定員数は総理を含め10名で、この中に陸軍大臣と海軍大臣が含まれた。 明治31年(1898)に反軍的な色彩の濃い大隈内閣が成立する時、軍部は大臣を出さないで内閣を流産に追い込もうとしたことがあった。 明治33年(1900)に陸軍の「定員表」の備考に「大臣及び次官は現役将官とする」との 注記が入る。 A氏:たったこの「備考」が日本政治をおかしくする原因となるんだね。 私:明治45年(1912)、軍備について西園寺公望総理の方針に不満だった陸軍は陸軍大臣の単独辞職により、内閣総辞職させる。 大正元年(1912)にも陸軍の2個師団増設が閣議で否決されると上原勇作陸軍大臣は辞職する。 このため、内閣総辞職となった。 しかし、これではおかしいとして、大正2年(1913 )、議会が内閣に問い正し、内閣は現役という注記を削除させる。 A氏:大正デモクラシー全盛の頃だね。 私:だから、原敬内閣の時、ワシントン条約で海軍の軍縮があり、海軍の反対があったが、原首相が海軍大臣を兼任して海軍の意向を抑えた。シビリアン・コントロールだね。 明日はもう一つの統帥権の問題に移ろう。
2014.04.01
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