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2019年05月21日

EU議会選挙?A(五月十九日)




 チェコでも、チェコが議長国を務めたこと自体は非情に重要視されていたが、議長国という制度自体はそれほどでもなかった。チェコが議長国になることが決まるまではほとんど話題に上がらず、存在を知っている人は希だっただろうし、議長国の人気が終わった後も、スロバキアが議長国になったときにニュースに取り上げられたぐらいで、どこの国が議長国を務めているか関心を持っている人など皆無と言ってもいいぐらいである。

 それはともかく、チェコは議長国を務めている間に、ヨーロッパ中に恥をさらした。多額の予算をつぎ込んで、チェコが議長国を務めていることをアピールするためのキャンペーンを行なったのだが、その一つが原因で非難の嵐にさらされることになる。問題は議長国就任を記念して「芸術家」に依頼して作成した「作品」だった。EU加盟各国に特徴的なものをそれぞれ一つずつ選び、それをプラモデルの部品のようにつなげて一つにまとめたという作品は、ドイツを象徴する高速道路がナチスのカギ十字に見えるなど、各国を揶揄するものばかりだったのである。議長国就任に舞い上がったチェコ政府が暴走した結果であろうか。
 もう一つの恥は、議長国の任期中の5月初めに下院で内閣不信任案が可決され、内閣が倒れてしまったことだ。選挙を行なうと任期が終わるまでに間に合わないということで、暫定内閣が任命された。当初の予定では、任期が終わった後に下院を解散して、10月に総選挙が行なわれ、新たな内閣が誕生するはずだったのだが、法律の不備から下院が解散できるのかどうかでもめ、最終的には解散はしないことになり、暫定内閣が、下院の任期の切れる2010年5月まで存続したという落ちがつく。このときの解散できるできないの議論も、最終的な結論も正直意味不明で、チェコの政治ってのは不思議なものだと思ったのを覚えている。

 とまれ2009年のEU議会の選挙には、全部で33の団体が候補者を立て、議席を獲得したのは以下の四党のみである。投票率は前回と同じ28パーセントほど、議席数は二つ減らされて22になっている。

  市民民主党      9(31)
  社会民主党      7(22)
  共産党        4(14)
  キリスト教民主同盟  2(7.5)

 この結果を簡単に言えば、社会民主党の復活と市民民主党の勝利であろうか。
 市民民主党は、2006年に行なわれた下院の総選挙で、大きく議席を増やし第一党となり、キリスト教民主同盟と、初めて議席を獲得した緑の党の二党と連立を組んでトポラーネク内閣を成立させていた。その内閣が不安定で最終的には不信任案を可決されて倒れてしまうのだが、市民民主党が前回の議席を守ったということは、支持者たちは倒閣に至った原因を市民民主党には見なかったと考えていいのだろうか。トポラーネク氏の失敗はどう考えても緑の党を連立の相手に選んだことだったからなあ。

 その緑の党は、2006年の下院の選挙に続いて議席を獲得することを期待していたようだが、得票率2パーセントという結果で議席を獲得することなく終わっている。この党は小さな党でありながら内部の対立が激しく、悪い意味で既存の大政党に近い政党だった。与党になってからは、明らかに、議長国になったときのチェコ政府以上に調子に乗って有頂天になっていたから、この結果も当然だったと言っていい。

 社会民主党は、2003年の大統領選挙、2004年のEU議会選挙と、重要な選挙で連続して惨敗した後、首相となったグロス氏もスキャンダルで退任を余儀なくされ、このまま退潮に入るかと思っていたら、新たに党首となったパロウベク氏の下で、意外なことに復活を遂げた。2006年の下院の選挙でも、市民民主党に負けたとはいえ、2002年よりも得票率も議席数もわずかながら増やしていた。その流れの中で行われたEU議会選挙でも、市民民主党に次ぐ第二党の座を獲得したのである。
 パロウベク氏は、ある意味ゼマン大統領以上にあくが強く、評価の分かれる人物だが、この時点で社会民主党の党首であったことは、党にとっては幸いだったのだろう。後に党を出て、自らの政党を組織してからは、迷走続きで、社会民主党への復党も拒否されたから、政治の世界に戻ってくるとすれば、次の大統領選挙だろうか。

 独立系の既存の政党に所属しないことを売り物にしたグループが議席を失ったのは、同じような名前の団体が乱立して、有権者を混乱させたことも原因ではないかと考えられる。
2019年5月20日9時。






欧州議会と欧州統合—EUにおける議会制民主主義の形成と展開 (久留米大学法政叢書 (13))








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