オンブズマンという言葉を始めて聞いたのは、1980年代、小学校の高学年か中学生のときのことである。当時は正直何をするものかはよくわからなかったし、日本では一時は何かと使われていたが、一時の流行に終わって忘れられた存在になった印象もある。そもそも日本に公的機関としてのオンブズマンが存在するのかどうかするよくわからない。まあ日本だとあったとしても、政治家たちによって骨抜きにされて形だけのものになっているだろうけど。
チェコでは市民の人権を守る国の役所として、2000年に設立された。行政の判断、決定によって不当な不利益を被ったと考える国民が、オンブズマンに提訴し、オンブズマンは提訴を却下したり、当該の官庁に改善や審査のやり直しなどの指示をを出すことになっているようだ。このオンブズマン制度の導入は、時期から考えてもEU加盟のための制度の整備の一環として行なわれたもののようにも思われる。
モテイル氏は、法学部卒業後の1950年代の半ばから弁護士として活躍したあと、当時のチェコスロバキアの法務省に入り、プラハの春の1968年からは最高裁判所の裁判官を2年ほど務めている。その後弁護士に戻り、共産党政権によって政治犯として弾圧された人々の弁護に当たっていた。買われてビロード革命の後には、最後のチェコスロバキア最高裁判所長官を務め、1993年からは初代チェコ最高裁判所長官に就任し98年まで務めている。98年からはミロシュ・ゼマン内閣で法務大臣を務めているけれども。社会民主党の党員ではなかったようだ。
このような経歴を買われて、2000年末に新たに設置された人権を守るための役所の長に就任したわけだ。そしてモテイル氏がオンブズマンの存在をいい意味で有名にするような活動をしたおかげで、オンブズマンの存在がよく知られたものになったと言っていい。正直モテイル氏以後のオンブズマンの名前は知らない。知らないけれどもオンブズマンというものが存在していて、ちゃんと機能しているということが知られているのが大切なのである。
だから、今回選出されたオンブズマンも、それが誰なのかというのはあまり重要ではない。モテイル氏に続くような仕事をしてくれればそれでいい。重要なのは、新しいオンブズマンがゼマン大統領の推薦によって候補者となったことである。先日過去に関する批判を受けて推薦を辞退したバールコバー氏の代理と言ってもいい。
他にも上院議員たちが推薦した候補者が二人いて、合わせて三人の候補者による選挙となったのだが、事前の予想では、今日3回の投票が行われても、誰一人所定の票数を獲得できずに、後日再選挙となる可能性が高いと見られていた。1回の投票ごとに選出の条件が変わるという、よくわからないルールがチェコの国会にはあるのだ。
それがフタをあけてみたら、1回目の投票では決まらなかったものの、2回目の投票で出席議員の過半数という選出の条件を満たした候補者が出た。ニュースではこの予想外の結果の原因について、昨年来、反バビシュ、反ゼマンのデモを繰り返し主宰してきた団体が、ゼマン大統領の推薦した候補がオンブズマンに選出されたら、抗議のデモを行うと発表したことだと言っていた。それに反発した一部の、ゼマン大統領の候補を今回の投票で支持すべきかどうか迷っていた議員たちが、軒並み支持に回ったために選出が確定したということのようだ。
本来なら、いわゆる政治的な駆け引きもあって、後任の確定が無駄に引き伸ばされるところだろうけど、そうならなかったのはデモの効用の一つと言っていいのかな。デモの主催者たちの意向ではなさそうだけどさ。
2020年2月19日20時。
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