とまれ、戦前に日本語に翻訳された作家については、国会図書館のオンライン目録で確認できるものはほぼすべて紹介した。チャペク兄弟、ハシェクは予想通りにしても、オルブラフトなんて作家が翻訳されているのは意外だった。残るは調査し残しているコメンスキーなのだけど、この人の場合、ラテン語での著作も多いし、文学と呼ぶべきなのか悩むところもあるので、機会があればコメンスキー紹介の歴史についても、先学の著作を参考に紹介しよう。
第二次世界大戦直後は、出版活動自体も下火で、東側に入ったチェコスロバキアの作家を紹介する余裕などなかったのか、新たなチェコの作家の作品が翻訳されるのは、1950年代に入ってからのことだった。それが、チェコスロバキア共産党員の作家であるヤン・ドルダの作品で、共産党員の訳で、1952年の刊行というのは、前年にサンフランシスコ講和条約でアメリカ軍による日本占領が終結したのと関係があるだろうか。いや、こじつけに過ぎるか。
映画関係の仕事もしていたようで、原作、もしくは脚本に関わった映画のリストを見ていたら、見たことのある映画が二つ。一つは1956年制作の「Hrátky s ?ertem(悪魔との喧嘩)」で、もう一つは、没後かなりたった1984年の「O princezn? Jasn?nce a létajícím ševci(ヤスニェンカ姫と空飛ぶ靴屋)」である。どちらも子供向けの童話映画。特に後者は、内容はともかく、オロモウツの近くのボウゾフ城が舞台になっていることもあって、お気に入りの童話映画の一つ。
ヤン・ドルダ/栗栖継訳『声なきバリケード』(青銅社、1952)
チェコ語の原題は『N?má barikáda』で終戦直後の1946年に刊行された短編集である。第二次世界大戦中の抵抗運動をテーマにした11篇の短編が納められている。時機から考えるとエスペラント訳からの重訳だろうか。後に三篇が抽出されて『ダイナマイトの番人・高遠なる徳義・蜜蜂を飼う人』(1958)という題で麦書房から文庫版で刊行される。この麦書房版は1984年にも新版として刊行されているようだ。二つの出版社の関係は不明。
単行本としては、この『声なきバリケード』が最初だが、前年の1951年に栗栖継訳の「われわれの希望の星」という文章が「新日本文学」の11月号に掲載されている。原典も不明で、短編小説なのか、エッセイなのかも判然としない。この号では「文学にあられた十月革命」という特集でロシア革命の記事が並んでいるから、特集には含まれていないがドルダの文章もロシア革命に関係するのかもしれない。となるとスターリンの少年時代を描いたという伝記かなあ。当時はソ連だけでなく、日本の共産党にとっても「希望の星」だったのだろうし。いや憶測に憶測を重ねるのはやめておこう。
ところで、訳者の栗栖継は同号に「チエコ訳された 「蟹工船」」という文章も寄せている。これは、浦井康男氏の「日本でのチェコ文学翻訳の歴史」(入手は こちら から)に紹介されていた『蟹工船』のチェコ語訳とスロバキア語訳の違いについてのエピソードのネタ元の文章だろうか。
今、確認のために「日本でのチェコ文学翻訳の歴史」をチェックしたら、すでに1949年にフチークの翻訳が出ているという。再度確認しても、国会図書館の目録には存在しないから、どこかよその図書館に入っていないか確認してみよう。ということで、次回はいろいろと問題のある作家フチークについてである。
2020年9月17日16時。
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