そのうち、第五十八号に掲載された「欧羅巴とボヘミヤ」という記事を引用する。引用に際しては、読みやすいように表記の手直しをしてある。
青年チエツク党の首領として墺国議会の立物たるクラマルツ氏、英国のナシヨナルレヴェウに於いて、欧羅巴とボヘミヤの関係を論ぜり。氏は夙にパンゼルマニスムに反対し、之を以て欧洲の平和に害あるものとし、パンゼルマニスムをして跋扈せざらしむるには、ボヘミヤに自治を許すを良策なりとなす。曰く、ボヘミヤ問題は最も重大なる欧洲問題なり。大陸の中心に於てパンゼルマニスムの跋扈に対して、唯一の城壁となりて、その害悪の横溢を防ぐものはボヘミヤのみ。墺太利はボヘミヤに自治を許して、その自由なる発達を遂げしめざる可からず。然らざれば、墺は終に独に呑噬せらるるに至る可し、云々と。
ここに登場するクラマルツ氏は、チェコスロバキア独立後に初代首相となったカレル・クラマーシュのことであろう。1891年以降、つまりはこの記事の当時もオーストリア帝国議会の議員として活動していた。その後、第一次世界大戦中は対敵協力の容疑で逮捕されたが釈放され、大戦終結後のパリ講和会議では、独立前のチェコスロバキアの代表を務め、独立後初代首相に就任した。
ちなみに、現在のチェコの首相官邸は「クラマーシュ邸(Kramá?ova vila)」と呼ばれているが、それはこの邸宅にクラマーシュが住んでいたからである。フラッチャニにあるこの邸宅が首相官邸として使われるようになったのは1998年のことだという。ビロード革命直後でないのは、改修工事に時間がかかったせいだろうか。
「外交時報」掲載の記事で今回手に入れたものの一つは、第六十二号(1903)に掲載された「ボヘミヤの国語問題」で、雑報としても非常に短く、ボヘミアにおける公用語をめぐる議会の対立を解消するために、当時の首相エルネスト・フォン・ケルバーが招集したドイツ系とチェコ系議員の協議会が不調に終わったというだけのもの。
もう一つの第二百三十六号(1914)に掲載された「ボヘミアの民族闘争」には、実は一番期待していたのだが、ウィーンの新聞からの情報で、これも非常に短かった。内容は、ドイツ大使が、ボヘミアにおける、チェコ人、ポーランド人によるドイツ人迫害について注意を促したというもので、実際にどのような情勢だったのかはまったく書かれていなかった。
日本語版のウィキペディアに依れば、「外交時報」は、日本最初の外交専門誌として埴原正直によって創刊されたものだという。ただし、埴原はその後直に外務省に入り外交官として活動を始めているようだから、実際の編集にどこまで携わったのかは不明。現在のところは、期待はずれ雑誌だけど、次に複写依頼したものの中には署名原稿もあるので、この三つよりは詳しいことが書かれているのではないかと期待している。問題は国会図書館から発送済みの連絡があって一ヶ月以上たつのに、チェコの税関で引っかかってまだ手元に届かないことである。全く以て、ふざけんなチェコ政府と言うしかない。許すまじは、カロウセクだけでなく、バビシュもである。この件については、いずれ憤懣をぶちまけよう。
2022年1月5日
タグ: ボヘミア
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