六月十二日、月曜日、晴天。午前七時、馬車にて出立。同八時、アウスゼー(Aussee)に着す。
アウスゼー ウーソフ(Úsov)のドイツ名。以前ここの城館に行ったときは、オロモウツからの直通のバスがなく、モヘルニツェで乗り換えた。本数が少なく、帰りはちょうどいい時間のバスがなかったので、モヘルニツェまで歩いてしまったような気もする。こんな交通の便の悪いところまで足を運んだ日本人なんていないだろうと思ったのだが、とっくの昔にいたのである。
博物館を縦覧す。此の博物館は、古代の城を利用したる物にて、一時山林学校を設けられたるが、其の後博物館となし、リツヒテンスタイン侯爵家所有地にて得たる総の産物を此の館に陳列せり。故に森林動物標本、昆虫黴菌材鑑等多し。正午、料理店にて午餐を喫し、午後二時、馬車にて出立。途中しなのき、しで類の倭林を喬林に変更する場所に就て、主任の説明あり。しなのきの価格は一立方米突層積に付き二円なりと。又た苗圃を視察し、午後四時半、シユワルツバツハ(Schwarzbach)駅に着し、午後四時四十九分発の列車に乗込み、同午後五時二十分にオルミツツ駅に着し、リツヒテンスタイン侯爵家の森林官に分れ、同五時五十八分発の列車に乗込み、同六時三十分プレラウ駅に着し、同七時五分発の急行列車の一等室に乗込み、出発す。数日来の疲労の為め、一睡すれば列車は維納北停車場に着せり。時に午後九時五十五分。之れより市有鉄道に乗換、同十一時、帰宅す。
シユワルツバツハ チェルベンカ(?ervenka)のドイツ名。オロモウツとプラハを結ぶ幹線上にある。ここからリトベルに向かう路線が出ているところから、この辺りでは重要な駅の一つとなっている。ただし、街からは遠く離れていて便はあまりよくない。ウーソフからなら、モヘルニツェのほうが近いのだが、どうしてこちらに向かったのかは不明。鉄道の時間の関係であろうか。
以下、林学上の知見が述べられるのだが、こちらの興味から完全に外れるので省略させてもらう。
最後まで地名の解読をしながら驚いたのは、諸戸博士の時代と現在とで、鉄道の路線に愕くほど違いがないことである。文中に登場した森林鉄道の類は、チェコ全体でも殆ど残っておらず、諸戸博士が見学したものも既に廃止されているが、19世紀後半の鉄道網が急速に発達した時代に敷設された鉄道は、特に山間部を縫うように走る路線は、明らかな赤字であっても、国や地方公共団体の補助もあって営業が続いているのである。
それから、諸戸博士が留学していたウィーンのドイツ語は、とくに台所関係の言葉にチェコ語から入った言葉が多いという話だから、諸戸博士もそんなチェコ、もしくはモラビア起源のドイツ語を使っていたのだろうかなんて益体もない想像をしてしまう。また、ウィーンで知遇を得たオーストリア国籍の人の中には、場合によってはこの文章に登場している人のなかに、現在のチェコの領域出身の人、自らをチェコ人だと考えていた人もいるかもしれない。
とまれ、新型コロナウイルスの三回目のワクチン接種の後遺症で間が開いてしまったけれども、これで諸戸博士のモラビア・シレジア紀行はお仕舞いである。
2022年2月21日
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