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「思考と直覚」啓蒙期に見る唯物論(百十一) コンディヤックは唯物論的観点から経験論的認識論を発展させた人物ですが、但し、神の存在を否定せず「霊魂」其のものを物質とは断定することはなく唯物論者とは呼称すべきではありません。其の彼の唯物論的思考を更に推し進める哲学者達がフランスに現出します。但し、仏蘭西の唯物論の思想的系統は二流あり、一つは唯物史観と観念論に揺れ動いたデカルトの自然学の系統に属するものであり、片やジョン・ロックに影響を受けての唯物論です。前者のルネ・デカルト二元論の一要素である機会論的な考察を唯物的に更なる厳格化する思想を展開するのがラ・メトリーとディドリ、後者のジョン・ロックに影響を受けての唯物的思想を受けて展開するのがエルバンシスとドルバックといった具合です。既にオランダのデカルトの弟子であり、医学者であったル・ロシアは、彼の自然論を人間の思考にまで及ぼし、人間の心理動向も物質の持つ性質のうち独自の能力であるとしていて、もはや人間の精神は物質能力以外の何物でもないとしていましたが、デカルト系のエルバンシスはジョン・ロックの影響下においてコンディヤックによって感覚論化された思想を展開し、ドルバックにいたっては主観的観念論をも神学的見解をも断乎拒否して、「神や精神並びに理性などという言葉は、自然を人間が観察探求する上の障害であり、無知を増大させる」とまで言わしめます。此処で想定される「神」は「教会の神」神格及び人格性を付与された神を指すものでしょうが、一見、合理性を纏ってはいるものの科学の進ちょくと共に矛盾が露呈します。しかし、此の流れが「神は死んだ」のニーチェの予言的発言になるとは予想だにし得ないのが時の流れであり理法なのです。ドルバックにいう神や精神並びに理性は理論物理学から実証物理学にまでに及んだ宇宙科学においては探求されればされる程、科学の無知を増大させる結果を招いていることも事実です。然し乍ら、神や精神並びに理性を抽象化された存在であるとする思考法方法にも一理あることは「思考と直覚」からも一言すべき思想であるとはいえます。
2015年04月30日
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「思考と直覚」啓蒙思想家に学ぶの三(百十) 啓蒙時代において、唯物論的観点から哲学史上でフランスの代表的啓蒙思想家に、エティエンヌ・ボノ・ドゥ・コンディヤック(Étienne Bonnot de Condillac/1715-1780)を重要視するむきもあります。コンディヤックは先行世代の英国のジョン・ロックに影響を受けて主に認識論における研究を行い、経験論的認識論を発展させた人物です。興味深いのは彼は視力が弱く点字のない時代背景から書物から遠ざけられ、12歳まで文字を読めなかったことでしょう。但し、文字が判別出来ないことと才智は別物です。やがて彼はリヨンで司法長官の役職にあった長兄のもとに引き取られ、1733年までイエズス会のコレージュで哲学、神学、ラテン語などを学び、1733年はにパリに出てサン・シュルピス神学校とソルボンヌ大学に通い、その後1741年には司祭に叙階され教会学者としては順風満帆のところが、彼は神学より哲学や数学や自然学の研究に熱中、同好の士と交わりミサは一度しか行わなかったと言われます。其れでも彼はフランス文化人としては最高の名声を獲得しています。コンディヤックはジョン・ロックから決定的な影響を受け、感覚に重点を置いた感覚論、経験論哲学を展開します。彼は「分析」という数学的手法を重要視し、観念を分析し、それを再構成することによって観念をきちんと理解し、明確化することによって誤りや無用の論争を解消できるとします。細部の違いはあれどこのような観念を明確化することによって誤りや論争を解消できるという発想もまたロックから受け継いだものなのでしょう。また、記号論的分析哲学は空気は2種類の気体から成ると考えた化学革命のアントワーヌ・ラヴォアジエ(Antoine-Laurent de Lavoisier)の化学記号の整理に応用されます。此の記号論的分析哲学は「零(ゼロ・0)」の発見のインド大陸の仏教哲学を想起させます。時間線を例に挙げれば、過去はマイナス線と記号化し、未来をプラス線と描けば、現在の時点の瞬間は「零(ゼロ・0)」です。しかしそれは常に在ります。時間線で時の流れを観想すれば、「零」こそがあり、過去と未来はありません。此の記号論的分析哲学は人間に新たなる思考法を付与したとも言えます。
2015年04月29日
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「思考と直覚」啓蒙思想家に学ぶの二(百九) 仏蘭西の啓蒙思想家の典型として先ず挙げねばならない人物はジョン・ロックの思想をフランス本土に紹介した、フランソワ・マリー・アルエFrançois-Marie Arouet(Voltaire)、フランスの政治や政府を痛烈に中傷する詩を書き、また、流布し続けたあげく、バスティーユ牢獄に投獄され、11ヶ月間を過ごした頃から「ヴォルテール(Voltaire)」という筆名を用いた特筆すべき多彩な文筆家とも呼べます。彼は名門貴族のロアン家の手回しにより再びバスティーユに投獄されますが、其れと知った世論はヴォルテールを味方するようになり、大勢の面会者が彼の下を訪問したことが因となり、すぐにヴォルテールは釈放されたのを機に、自らの意志でイギリスへ渡ります。彼にとっての最初のイギリス渡航がイギリスの自由な風潮から感銘を受け、イギリスで大きな影響力を持っていたジョン・ロックやアイザック・ニュートンらの哲学を深く知ったことでイギリスの哲学研究に惹かれます。このことが「哲学書簡」の発表に繋がることになります。その人間の理性を信頼し、自由を信奉し、腐敗していた教会、キリスト教の悪弊を弾劾する姿勢は啓蒙思想の典型でありました。彼はその人生において多くの時間と精力を注ぎ、神は世界を超越する創造主であるが,神の活動性は世界の創造に限定されているのであって,創造意思は創造されたあとの世界では,ねじを巻かれたものが徐々に紐解かれていくがごとく,定められた自然法則即ち神の理法に従い,その働きを続けるとする 「理神論」の立場から教会を批判をしています。この立場は十七世紀のオランダに生を受けたスピノザのただ一つの実体を「神、即ち自然」と呼称し主張した「エチカ」を思い起こさせます。何れにせよ、父と子(キリスト)と聖霊が一体として唯一の神であるとする教えである三位一体を唱える教会、更には、創造存在に神格はおろか人格性を付与していることに反対するのは自然哲学を奉じる啓蒙思想家として当然であり得たのでしょう。「思考と直覚」が重要視する「直覚霊知」はまさに創造に絶対有はあっても人格的なものを付与する存在を認めないので当意を得た思考として参考になります。
2015年04月28日
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「思考と直覚」啓蒙思想家に学ぶの一(百八) 国土は荒廃し疲弊に喘ぐ独逸の西に接するフランスはというと、ブルボン王朝全盛期の太陽王と呼ばれた国王ルイ14世の死(1715年没)とともに絶対王政の栄光の繁栄は陰り始めます。資本主義的市場経済は都会のみならず農村部にも其の諸関係を浸透させ、農民にも階級分化を強制します。其の環境下においても旧体制からの封建貴族及び教会権力は、自国の主要な土地収益は自己の手中からは頑強に手放さないというより強化拡張させる傾向にありました。資本主義に見る都会中心型経済と旧権力型地主の簒奪により、窮乏化する労働者及び農民は新しい、英国では社会的現実の理論的現実を裏書するジョン・ロックの思想を革命を準備する思想家の登場を待ちわびます。社会契約論を旗印とするジョン・ロックの思想が革命を準備する、所謂、啓蒙思想家がジョン・ロックの思想を革命の基底とする程に変更再構成を試みます。其処には生存することにすら余裕のない人間の叫び、今現在を如何にして永らえるかの叫びがあります。社会的現実が唯物論への傾向を高めます。しかし。、霊魂の物質性を説く唯物論にしても霊魂存在其のものを否定していないことには「直覚霊知」を志ざす人間には、反面から参照すべきものが見て取れ参考にすべきものがあります。
2015年04月27日
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「思考と直覚」神学的世界観の二(百七) 近代合理思想の持ち主でありながら神学世界観を持つライプニッツはジョン・ロックの思想に影響されながらも、ジョン・ロックの命題である「以前の感覚のうちに無かったようなものは、何ひとつとして悟性のうちにはない」に、但し、「悟性其のものを除いては云々」と手酷い反撃を加えます。とりわけ、「生得観念」の起源は悟性そのものにあるが、しかしそれは常に自覚的であるとは限らない、即ち、生得観念は可能性として悟性のうちにあると説きます。此のことは条件付きではあるがルネ・デカルトの説に賛成し、ジョン・ロックの生得観念論を否定します。また、彼は非物体的でありながら、不可分で在り、だが多数の精神的存在である実体で存在するものをモナド(単子)と呼称し、モナドは其れ自体のみで自足完了した一の世界であり他のモナドの作用は受けないが、相互のモナドは調和のとれた全体言い替えれば「神の予定調和」を根底としたものによって運動するという思考を展開しています。即ち、因果関係は見かけにすぎない。ライプニッツによれば宇宙において一切は生命的な働きによってみたされており,物質のどのような微細な部分にも「生命」があるとします。此のことはまさにライプニッツ云うところの理法としての「生命」を空観の「空」と置き換えれば「思考と直覚」が自己の内精神の働き「直覚霊知」に従って捉えんとする「無明の光」が見えてくることを説いているようにさえ思います。
2015年04月26日
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「思考と直覚」神学的世界観の一(百六) 英国におけるジョン・ロックの思想は、同意し迎合信奉するものだけではなく批判される多くの哲学者を生み出したのは彼の並々ならぬ思想の賜物でしょう。其のロックの影響を受け止め観念論の立場から反論をくわえたのが、17世紀に農民戦争の挫折化による封建勢力の最強化と1618年から48年の30年間に,ドイツを中心に欧州各国が参戦した宗教戦争である「三十年戦争」によって国土は荒廃し、それ故に欧州の後進国と看做されるようになった頃に現れたのが、ルネ・デカルトやバールーフ・デ・スピノザなどとともに近世の大陸合理主義を代表する哲学者であると称される程才能に恵まれた、数学及び自然科学の大家でもあったゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(Gottfried Wilhelm Leibniz/ 1646年-1716年)です。本来的には近代合理主義者である筈の彼が、現存の秩序を最良の世界として美化する反動思想、中世的神学世界観へたどり着いたのは其の自国を取り巻く境涯と其の環境にあったように想われます。
2015年04月25日
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「思考と直覚」経験概念の理解(百五) 英国におけるジョン・ロックの思想の唯物論的思考の側面を取り払い、「経験」における観念論を取り上げて。保守的傾向が強かった同国でジョージ・バークリーとディヴィット・ヒュームが経験における観念論を説いていますが、そもそも「経験」を我々は彼等と同様に理解しているのかが問題になります。通常一般には、経験とは人間の意識が人間身体の各感覚器官を通して外界と接することによって生じると理解しています。この時の「理解」は意識から独立した存在と見做され、意識から、独立した外界の存在を承認し、経験とは人間意識と外界を結び付けるものであり、外界が意識内に反映したのだと捉えます。ところが、主観的観念論の立場で「経験」を理解しようとすると、人間は意識内の事実として想起する経験から出発して意識の外に何ものかが存在するかどうか、ルネ・デカルトの「コギト・エルゴ・スム」的懐疑心が起こります。此の観点の経験を基底に置く限り経験は人間の意識内の或る事実と他の意識内の事実関係が経験として理解され、意識の外界への接続が断ち切られます。しかし、此の視点に立てば直覚知を志ざす修行の思考方法への利点もが「思考と直覚」を正しく認識し「直覚霊知」の瞑想に入るにしても物質的外世界況んや内的経験の継起を断ち切れず挫折する可能性があり、其れには「主観的観念論」の思考方法が参考になります。英国には経験論の伝統があると言われますが、ベーコンやホッブスは経験とは人間の意識が人間身体の各感覚器官を通して外界と接することによって生じるとしたものであり、幾分、唯物論に傾いていますが、ジョージ・バークリーとディヴィット・ヒュームはジョン・ロックの思想の不徹底さを利用して主観的観念論を唄います。
2015年04月24日
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「思考と直覚」外来・外覚観念の主張(百四) 世紀も進み貨幣経済を基本とする資本主義の高まりとともに、ブルジョアジー、所謂、第三身分の中から,富裕な商工業者や大借地経営農民など,新しい資本主義的な生産様式を担う市民階級が今や支配的地位を成さんとするときに、プロレタリアート即ち生産手段をもたず,自分の労働力を売る以外に暮しの道がない賃金労働者階級であり、古代ローマの下層貧民を意味したproletariusに由来する資本主義社会を構成する二大階級のに恐れをなした、当時保守的傾向であった英国内において、ジョン・ロックの思想の唯物論的思考の側面を唾棄し、哲学分野的には同じく経験論という性格は用いながら、情熱的であり敬虔な宗教家であるジョージ・バークリーはジョン・ロックの唯物論的思考の危険性を鑑み信教を守るために論壇をはります。ジョージ・バークリーの思惑は唯物思想に対して、物体とは「観念」の集まり以外の何程でもなく、其のみなもととしての素因は神を起因とし、人間における観念は神の精神に基づくと説きます。此の観念論を更に進めたのがディヴィット・ヒュームであり、彼はジョージ・バークリーの観念論を更に押し進めて主観的観念論を展開しています。、一切即ち世界存在にあっての人間の精神は印象と観念に結束しているに他ならず、人間の諸観念は継起・共在するに過ぎないとまで決めつけます。彼の主張を解釈すれば因果律其のものが観念連合として「自我」の虚構性まで感ぜしめます。此の思考を反面から見て肯んぜるのはインド大陸に始まる仏教哲学の「無我の境地」を想起させることにあります。時系列の束縛を離れた「空観」が頭をかすめます。
2015年04月23日
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「思考と直覚」外来・外覚観念の主張(百三) ルネ・デカルトは人間の思考内容を意味するイデアを、持って生まれた「生得観念」と外界に由来する「外来観念」及び自己の精神が創りあげた観念「自己観念」の三つに分類していますが、其の中の「生得観念」に対して其のような観念は人間には存在すること能わずとした哲学者というよりは社会学者というような人物が現れます。ユーラシア大陸の辺境に位置した後進的な存在にすぎず、大陸諸国の圧力のもとで国民国家としての自立の道を模索していた17世紀のイギリスがピューリタン革命と名誉革命を契機にして、それまでの大陸諸国に学ぶ立場から、学ばれる立場に変わろうとする場面で、17世紀中葉の国力,経済,文化は絶頂に達したオランダから、1688年妻のメアリー・スチュアートとともにイギリスに迎えられて共同統治者として国王ウィリアム3世となり、一部では阿蘭陀に英国が征服された無血の名誉革命、実際的にはイギリス・ブルジョアジーの不徹底な妥協の産物をに終わった其の環境に、哲学者という肩書よりは社会学者というに相応しいジョン・ロック(John Locke/ 1632-1704)がルネ・デカルトの「生得観念」なるものは存在しないと否定します。人間は生得観念(innate ideas)を有していないし、全てにおいて人間の思考に見い出される観念なるものは、解釈すれば、人間が生命として存在することになる母体の子宮に着床段階からの外来観念でありとしてルネ・デカルトを批判しますが、古代ギリシアのイデアは事物の超感性的な原形であることは認容し,神の心のなかにあるイデアを原形として万物が創造されたとすることは否定するという観念論と唯物論の最中(さなか)で思考が揺れ動きます。此のジョン・ロックの二面性が認められる思想は後世にも其々英・独・仏三国の哲学者に違った思考として受け止められる素因となります。彼の物体の性質は外物に由来する客観的な「第一性質」と、主観的な「第二性質」の区分において知られるのは主観的な後者のみであるとします。しかし、彼はそれですら完全には知りえないとした。即ち、我々はあくまで経験的、実験的に外的事物の観念を得る以上、既知の性質はそれによって判明したもののみであって、本来的にどれだけの性質がそのものに属しているかは分からず、全ての性質を遺漏なく知ることはできない。其処にはジョン・ロックの観念論か唯物論かの思考法の不徹底さが見られます。ジョン・ロックは社会学者と捉えるべきではないかとの疑問は此の視点からです。「思考と直覚」の観点からはジョン・ロックは人間の観念を宗教に結びつけることを嫌ったのかもしれないと捉えます。この思考方法は21世紀の現代にも通じており物質的世界に於ける外感覚的な世界のみを信奉する、所謂、現実主義者と世界の理法に深層を求める理念を尊重する人間に影響を与えています。
2015年04月22日
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「思考と直覚」二元論の一体化(百二) 人間のみが精神と物体を別々の実体として振り分けて共に持つ二元論を、それをただ一つの実体の「思考」と「延長」という二つの属性であって、徹底した「一元論」体系を展開する哲学及び神学に堪能な人物が十七世紀のオランダに生を受けます。彼の名はバールーフ・デ・スピノザ(Baruch De Spinoza/1632- 1677)と言い、此のただ一つの実体を彼は「神、即ち自然」と呼称し説いています。スピノザの此の主張を、神に重きを置くか、自然に重きを置くかによって哲学史家に論争があります。一方は彼の出自や職柄から考えても汎神論的観念論者と解釈し、片や自然を神と同等に置き、神格性を冒涜する唯物論者と解釈し教会からも批判されます。スピノザは職柄や時代の制約から汎神論的言語を多用していますが、思考的には自然哲学者と観想出来得るし、また、プラトン以来の観念論的実在論者とも解釈出来ますが、其れとは真っ向反対に本質的には唯物論者だと決めつけることも可能と考察する哲学史家も見受けられます。唯物思想からスピノザの説く体系を眺めれば、神に関しては異論はあるにしても、人間の心(思考)と人間の身体(延長)は一つの実体(*此処でいう実体は「有」という意味合いではありません。)の二つの属性から成り立っているのだから、心と身体に対応一致があるのが当然だということになります。此のことは今どきの高次神経活動の観点からは心身関係が同一だとするのは裏付けされたと捉える向きも無きにしも非ずですが、スピノザの神の定義に関してみれば「絶対存在」即ち形而上の観念が浮上します。特に彼の主著「エチカ(Ethica)」の思考方法は「思考と直覚」が捉えようとする「直覚霊知」には其の手法は大いに参考になります。
2015年04月21日
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「思考と直覚」二元論を観念論として定義(百一) ルネ・デカルトの母国フランス以外に、デカルトの同時代に生きるデカルトの二元論を批判するピエール・ガッサンディとは異なる見地からなる思考がデカルトの母国フランスはもとよりオランダで神学的観点から検討を試み、二元論を観念論的乃至神学的方向に向けて捉えんとします。其の一人仏蘭西ではニコラスマール・ブランシュ、かたや欧州北方域の商人建設と呼称される自由国オランダにはアルノルト・ゲーリンクスが相競うようにデカルトの二元論を観念論的、更には神学的な思考方法に徹底させることに努めます。此の意図するところは、人間の感覚的体験は神を出発点とした原因から出ており、神が意思存在として人間存在の中に感覚的体験を呼び起こさせる人間の身体と外的物体の相関を利用しているのだと主張します。此の思考はの論法によれば、人間の外環境である物体は、人間の精神に対してアリストテレスの説いた四原因の一つである現実に作用し、事物の生成・変化・運動がそれによって引き起こされるもの始動原因「動力因」としての有り様ではなく心身間に直接の相互作用を否定し、唯一真なる原因である神が精神あるいは身体の一方を機会原因として他方に働きかけるとする精神にも物体にも独自の作用因を認めず、それを神だけに帰する説をルネ・デカルトの二元論を利用して神学哲学を披露します。其れ故この思考方法は「機会原因論(Occasionalism)」と呼称されていますが、此の思考方法論に立てば人間は神の「木偶」であり「善悪」全てが神に帰すこととなり多少の戸惑いを覚えることも事実です。其の根底には神の人格化が見え隠れしています。
2015年04月20日
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「思考と直覚」二元論批判に見る思考(百) ルネ・デカルトの主張「人間のみが精神と物体を共に持つ二元論」に対しては、愛玩動物と共に暮らす現代の御仁のみならず、デカルトの同時代に生きる思想家からも二元論を唯物論若しくは観念論を一元的に徹底して捉える事こそが哲学の王道であるのに、ルネ・デカルトの主張の二元論では結局のところどっちつかずの不徹底な中間的立場を説いている。「理法」を極めるなら唯物論若しくは観念論の何方か一方に思考を徹底すべきだとする批判が、同じフランス人である思想家のピエール・ガッサンディから指摘されます。一般的には21世紀の現代では、あまりにも著名なマルクス主義のために唯物主義が近代思想とされてはいますが、実は古代哲学こそが唯物論に立脚するものであり、其の唯物思想を継承し発展さしたピエール・ガッサンディに、動物と人間の間、其の相関関係に量的な差異しかなく身体と精神を単に数学上で精査すれば、仮に動物が機械ならば人間も高等の機械だとルネ・デカルトの主張を非難します。此れを印度とりわけシッダルタの仏教哲学から睥睨すれば共に無為に成すことと諌められることになります。神学校に学んだルネ・デカルトは自己の数学的概念を尊重したからこその思考方法を非難されたことになります。但し、デカルトの思考の出発点は唯物観点に始まり観念論に終わるとした此の思考方法は、大宇宙の終末に於ける人間の意思が、絶対存在の意思の様態の延長である限りに於いての「永遠」を仄めかしていることも歪めません。
2015年04月19日
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「思考と直覚」デカルトにみる思考(九十九) 社会契約論を著したトマス・ホッブズと同時代の中フランスにプラトンに遡る「イデア」という理論を思考するルネ・デカルト(仏: René Descartes, 1596年-1650年)が10歳のときにイエズス会のエリートが集められたラ・フレーシュ学院に入学、スコラ哲学をカリキュラムに取り入れられたなかで論理学・形而上学・自然学のみならず神秘学の書物まで読んでいます。しかし、殊らに彼が好んだのは同僚達を困惑させた数学的な手法を用いた哲学です。其の彼が好んだ数学的な手法を厳密さを持って取り入れた思考法に対して、ラ・フレーシュ学院に導入された神学及びスコラ哲学学の非厳密性は、彼の骨頂ともなる「懐疑」精神を浮上させます。彼は神の代わりに人間を置く近世の意味での「イデア」、即ち人間の思考内容を意味するイデアを、持って生まれた「生得観念」と外界に由来する「外来観念」及び自己の精神が創りあげた観念「自己観念」の三つに分類します。外界から付与された印象から創造された「外来観念」、自分自身が生成した想像の産物(例えば一角獣や人魚)ともいえる「自己観念」には懐疑は持たず、自己である「我」其のものの深層にあって人間の本性そのものとされる永遠不変なる観念についてはルネ・デカルトは懐疑心を起こします。そこで彼は精神と物体とを厳正に区別することに努めますが、犬や猫を物体として認めることには何ら懐疑心は怒らない、其処には内精神が宿っていないから、一種の機械だとしても可能だと説きます。日本の犬型癒し系精密機械が同様だというのです。其れと際立って異なるのが「身体」と「精神」の二元を持つ人間、人間のみが精神と物体を共に持つ「二元論」を説きます。彼は人間の持つ「自然の光(理性)」を用いて真理を探求していこうとする近代哲学の出発点を簡潔に表現し、合理的解決を心懸けたことが「近代哲学の父」と称される所以であるのですが、此の「二元論」に対してはデカルト以降の思想家が多くの問題を提起します。現代的には生命そのものを科学が誕生させていないため生命其のものを物体と定義することには難儀が伴います。此処に唯物史観と観念論に揺れ動いたデカルトの思考の危うさが垣間見え隠れしています。しかし、「思考と直覚」からの観点からは人間精神の特別性を唱えたことには共感を覚えます。
2015年04月18日
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「思考と直覚」イデアにみる思考(九十八) 元来、イデアという概念はプラトンに遡るが、其の「イデア」という理論を思考したのはプラトンであっても、其の語を哲学用語・専門用語として意味が固定させたのは、弟子のアリストテレスが用いて以降であり、プラトン自身が其の語を専門用語として用いていたわけではない。そもそも「イデア」という語は、古代ギリシャ語の動詞「idein」(見る)に由来します。プラトンの思考はイデアをソクラテスが説き且つ実践した愛知(philosopy)を想定したものであり、人間の生得概念として、人間の内的要因、非物体的、「自然世界を含有する全世界」上の存在を意味し、人間の単なる意識上に浮かび上がるだけの思考を意味しませんでした。其れがネオプラトニズムの創始者といわれる哲学者プロティノスに及んでは、イデア論はプラトンのイデア論を受け継ぎながら、その二元論を克服しようとし、神の思考の所産、其の思考内容を意味するようになります。此の語は今日の「idea」の意味合いを持ちます。しかし、プラトンによれば愛知(philosophy)というのは、まさに「死の練習」なのであって、真の愛知者というのは、できるかぎり自分の転じて生きること、その生命である霊魂(プシュケー)をその身体から分離解放し、プシュケーが純粋にそれ自体においてあるように努める者だとする愛知者のプシュケーが知る対象として提示されるのがイデアであるとしています。此の思考は私見である「直覚霊知」には参考になり瞑想実践の前提としても有意義な思想であるとはいえます。
2015年04月17日
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「思考と直覚」思想に於ける数学論理(九十七) もはやイギリスの16世紀から17世紀にわたっての哲学では人間の経験主義から導き出される思考法が優先され、古典哲学と称される形而上学の問題は軽視される傾向にあって、人間の内精神の深層にある理性や霊魂は無視されることになり、「信教と哲学」は分断され互いに敵視する段階にまで進みます。科学的知識にの進展により思考の基礎には唯物史観がおかれ、17世紀後半ともなると、イギリスでは1642年の内戦による混乱化、1649年のチャールズ1世の処刑に始まりるクロムエルによる政権確立があり、思考にも外感覚的で物質的な世界に重きを置く風潮が高まります。此の時期に現れた哲学者トマス・ホッブズ(Thomas Hobbes, 1588年4月5日誕生 - 1679年12月4日没)は、所謂概念論としての形而学のとは異質の哲学というよりは政治学者でした。そこには、自然の認識は全て物体の運動の因果関係にあり、世界を空間にあって動くものと指摘します。そこには自然理法の根本的な帰属の誤りがあるようにも見えますが、トマス・ホッブズにとっては世界はまさに力学及び幾何学でのみ捉えきれると思考します。彼の見地からは大宇宙そのものも機械論的自然科学で捉えることに偏向し過ぎて、彼の主著「社会契約論」では国家の成立の神性な起原を否定します。此の数学的論法を人間精神の内層と其の成り立ちにまで応用させるのには後世のベネディクトゥス・デ・スピノザの登場を待つことになります。「思考と直覚」が重きを置く「イデア」を問題にした哲学者はトマス・ホッブズと同時代のフランスに現れます。
2015年04月16日
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「思考と直覚」市民社会の主人公と思考(九十六) 17世紀のイギリスに始まった社会の「主人公」を市民階級とする思考は、人間の内精神の深層を探求するよりも、其の哲学はルネサンス、即ち復古主義を専ら社会の基底の思考とする思想を生産力の増大への欲求や、科学的知識にの進展による産業発展への期待が、「知は力なり」(Ipsa scientia potestas est)という理論を展開するウィリアム・シェイクスピアと同時代人であり、シェイクスピアはベーコンのペンネームだという説もあるフランシス・ベーコン(Francis Bacon, Baron Verulam and Viscount St. Albans、1561年1月22日 - 1626年4月9日)が登場させます。彼の思考は、社会の「主人公」を市民階級とする新時代に、古い時代を引き摺り新たなる知識の獲得を妨げる偶像的な崇拝を排除して、現在では遡って古代ギリシア以来の西洋哲学の傾向・系譜を大別する人間が体験を積み重ねた「経験」を出発点とした帰納的な思考方法「帰納法」の確立を目指しています。但し、此の論理的組み立てには、後の哲学の論理組み立てに見られる数学的帰納法は用いられておらず現代の自然哲学から見ては物足りなさを感じるかもしれません。其れをもってしても哲学思想に帰納的な思考方法を組み入れたことは、後には神秘主義的な哲学思想の思考方法として取り入られ、其の影響は見逃せません。其れ故、単にフランシス・ベーコンを現実主義と決め付ける訳にもいきません。彼は「偶像(イドラ)」を排すること、「無知の四原因」を発展させ、四つのイドラを示し、イドラを取り除くことが正しい知識に必要だと考え、従来のスコラ哲学で重視されてきた演繹と対比して、感覚的観察を無条件で信頼せず、実験という方法を駆使して少しずつ肯定的な法則命題へと上っていく帰納法を明示したのですが、其の思考法も後世には霊的要素を取り入れた神学系哲学にも取り入れられることとなります。哲学が記号的に説かれる始まりになるのです。人間の内精神の深層の働きを数学的に論理を進めていくことは「思考と直覚」に於いての思考方法としても極めて興味深く、「直覚知」を獲得する手段として正統的であれば万人が「覚り」を開ける可能性を秘めています。
2015年04月15日
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「思考と直覚」市民社会の訪れと思考(九十五) 現代に継る真の意味での思考の基礎に影響を及ぼす思想は近世の始まりを待たなければならなかった。其れは西洋の北の島国17世紀のイギリスに始まります。ユートピアで知られるトマス・モアにより「あのおとなしい羊がにんげんをくう」とまで表現される社相の変遷を経て、農業経営から牧畜へ、更には毛織物工業へと進出し産業資本主義が確立された、それ迄の封建的階級を打ち壊すべく進出した「新地主階級」によって成されます。即ち現代に続く貨幣経済、現物でなく象徴の時代が訪れます。此のことは当然にフランチェスコ会系の神学者でありながら、人間の論理的思考を神学や形而上学から切り離し、科学的な分析の対象とした。そうした方法的な態度が後世に影響を与え、中世と近世とを思想的に橋渡しした有名な「オッカムの剃刀」Occam’s Razor といわれる格率、これは、「ある事柄を説明するためには、必要以上に実体を増やしてはならない」「少数の論理で説明できる場合には、多数の論理を持ち出す必要はない」とする思考方法を引き継ぐ思想家を生み出します。其のことは人間の本性を霊魂から社会生活への適応」を問題としたものであり、経験論即ち宗教や形而上学とは一線を画したものであり人間の個々の内精神には携わりません。此処に物理世界優先の外感覚的世界が始まり人間の内精神への探求は外感覚的社会生活を思考の第一に基礎付けられることになります。其れでも或る意味宗教権威からの解放、自由な思考を人間が獲得する可能性を与えてくれたことは市民社会の恩恵でしょう。
2015年04月14日
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「思考と直覚」ルネッサンスの末期の思想(九十四) ルネサンスは和訳では文芸復興、仏語で Renaissanceはギリシア、ローマ古典古代の文化を復興しようとする文化運動ではあったが、一部のエリートが牽引したものであり庶民はあまり恩恵に携わっていません。何しろ、此の時期の西欧は明るい時代ではなく、ペストの流行やマキャヴェッリが「君主論」を著したことで知られるように政争、戦乱の続く波乱の時代であった。文化を享受していたのも宮廷や教皇庁など一部の人々に過ぎず、魔術や迷信もまだ強く信じられていたのです。但し、マキャヴェッリ若しくはマキアベリ自身は、現実政治を冷静に分析し、人民の幸福の道を現実に探求した人物であり、一部で云われるマキアヴェリズムという悪名で呼ばれる思想は誤解で思想的には人民の立場に立っていました。哲学其れも思考分野に於いても専らルネサンスでは教会宗教と自然科学者への圧力が目立ちますが、宗教改革への道が開かれます。思想的には「思考と直覚」からみてルネサンス期後半は霊性や神性を離れる傾向が強まり人間の社会生活を思考の基礎に置く社会学、マキャヴェッリの政治学はもとより、ユートピアで知られるトマス・モア(1478年 - 1535年)などの代表的な人文主義、即ち、教会を中心とした世界観から解き放たれた新しい普遍的人間像、ギリシャ・ローマの古典研究によって普遍的教養を身につけるとともに、教会の権威や神中心の中世的世界観のような非人間的重圧から人間を解放し、人間性の再興をめざした精神運動 (ヒューマニズム)が勃興します。其処にはもはや教会の神権独占を許さない姿勢が見られます。「思考と直覚」的には、人間の意志作用に影響されることなどあり得ないし、神の愛「アガペー」にしても人間の意志作用によって齎されるものであって、絶対愛を意識し享受するのは人間の本性上に備わった霊魂に秘められた内精神に隠された核に気付いた或いは覚ったときです。
2015年04月13日
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「思考と直覚」ルネッサンスの自然哲学者ブルーノ(九十三) テレジオと並びルネッサンスの自然哲学者を代表するのは、ナポリ大学で学び17歳でドミニコ会に入会、ジョルダーノを名乗ったジョルダーノ・ブルーノ(Giordano Bruno,/1548年 - 1600年2月17日)1572年に司祭に叙階され、1575年にはトマス・アクィナスおよびペトルス・ロンバルドゥスについての論文によって神学博士となった彼は、アリストテレスとプラトンが、宇宙は完全な球体であり、さまざまな球体が入れ子構造になっていて回転していると考え、その回転力を与えているのは超越的な神であり、神は宇宙とは別次元に存在しているとするのを「地球自体が回転しており、それによって地球上からは見かけ上天球が回転しているように見える」また「宇宙が有限であること」あるいは「恒星は宇宙の中心から等距離に存在している」と考える理由はないとし、宇宙の無限性及び永遠性を唱え、コペルニクスのモデルにはまだまだ欠陥が多く、天動説の方が明快に説明できることが多かったため、コペルニクスの説に賛同した天文学者はほとんどいなかった当時にコペルニクスを擁護しています。彼は司祭であり神学博士でありながら、汎神論の衣を纏いながらも正統派教会公認の宗教とスコラ哲学を批判しています。其れ故か、コペルニクスより酷い仕打ち、基本的には無神論であり唯物史観に立脚するブルーノはローマで火刑に処せられます。ブルーノの宇宙論の特徴は宇宙の無限性と同質性の提示、さらに宇宙には多くの惑星が存在していると考えたこと特徴があります。ブルーノにとって宇宙とは数学的計算によって分析できるものでなく、星達の意志によって運行しているものとし、アニミズム的宇宙観を描いています。「思考と直覚」は星達の意志、即ち、人間が慮らない人間観からは観えない惑星等其々に「意思の存在」を認識していたことには驚かされ、且つ、共感するものがあります。
2015年04月12日
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「思考と直覚」ルネッサンスの自然哲学者テレジオ(九十二) ルネサンス文化も全盛期が過ぎ、16世紀ルネサンス中心地イタリアがイスパニア(Spain/ローマ時代のヒスパニア(Hispania)を語源とするエスパーニャ(España)が王国の総称として用いられる)の圧政下に苦しむ中、南イタリアのコゼンツァに特色ある自然哲学者テレジオが現れます。テレジオ(Bernardino Telesio/1509―1588)は、南イタリアのコゼンツァに生まれパドバで自然学・哲学:医学を学んだ後、汎神論に傾き「その固有な原理からみた事物の本性について」出稿します。其の主張するところは「自分以前に自然を研究したものは、その理論と自然所与との矛盾、理論相互間の対立からもわかるように、むだな時間と苦労を費やしたとみる。それは、哲学者たちが世界の原理を理性で求めている」とし、「幻想で仕事をし、神の作品を変形している」と断定します。彼はアリストテレス主義を「感覚に基づいて自然をありのままに追うだけで、人間の知はその任務の頂点に達することができると考える。感覚によれば、太陽その他の天体は熱をもち、土は冷を生むことから、「熱」と「冷」を第一の原理とし、土すなわち物質に内在するこの「熱」と「冷」という二つの原理によって、人間の認識や倫理を含めたあらゆる事柄を説明しようとした。」と唯物観と捉えた批判をします。其れ故、テレジオは経験的な認識「感覚的認識論」を唱え、キリスト教信仰に矛盾を感じることなく、精神的実体としての人間の魂や神の存在を認めます。此の根幹には決して視えない創造主である絶対意識を感覚的に捉えることが出来るとしていることにキリスト教信仰に矛盾を感じることなく、精神的実体としての人間の魂や神の存在を認めた「信仰」の力強さが読み込めます。此処には自然哲学より始めに「神有りき」が読み取れます。「思考と直覚」的には「神」を人格神として捉えるべきではないと説いているならば同意すべき面もあります。
2015年04月11日
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「思考と直覚」ルネッサンスの汎神論(九十一) ルネッサンス初期前後の時代の思想家としてニコラウス・クザーヌス(Nicolaus Cusanus/1401-1464)モーゼル河畔の富裕な船主の家庭に生れ、10代半ばでハイデルベルク大学、更にはパドヴァ大学で神学、法学を学び活動しますが、当時は、もはや教皇権の衰退期にあたり、教会大分裂即ち仏王と独帝とがそれぞれに教皇を擁立したり、異端の続出で指導力を失っており、教会の再建を図ります。1448年にはローマ教会の枢機卿に任ぜられます。彼はルネッサンスを前に死んだとされるがルネサンスを代表する汎神論(はんしんろん)の思想家としても許されるでしょう。彼は神秘的直感を重視し、有限なもののあらゆる対立を自己の内に統一している絶対である神の属性。したがって、神は、可能であるとともに存在であり、最大であるとともに最小である。また、神は万物の包含であり、逆に、万物は神の展開である。と「反対の一致」説を唱えます。また、人間は、感覚 ・悟性 ・知性 の3段階を経て認識を高める。悟性は、感覚に形象を与え、知識に区別と連関を与える数学的認識能力であり、その原理は矛盾律(あることがらが A でありかつ A でないと言うことはない)である。しかし、絶対的統一である神を認識するには、この矛盾律を越えた反対の一致を認める知性が必要である。つまり、我々は、悟性認識の極限において、自己の無知を自覚することによって、はじめて、より高い認識に達することができる。クザーヌスは「知ある無知」や「反対の一致」などという独創的な思想を唱えた。クザーヌスによれば神の本質は、あらゆる対立の統一の一致にある。無限の中では極大と極小、つまり、神と被造物が一致する。すべての被造物は「神の映し」であり、それぞれの独自な個性を持ちながらも、相互に調和している。取り分け其の中でも人間は自覚的に神を映し出す優れた存在であり、認識の最終段階においては神との合一が可能であると説きます。其の真意は対立したものに調和をもたらそうとする思想、東西教会、キリスト教とイスラム教やユダヤ教、公会議派と法王派などの調和が唱われています。宗教の相違だけではなく宗派の基底的には同様にあっても殺戮を繰り返す現代には人間の「悟性」に期待するニコラウス・クザーヌスの思考は「思考と直覚」が求める「覚り」には霊魂の存続性を考慮する上で参考になります。
2015年04月10日
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「思考と直覚」ルネッサンスの怪物(九十) ルネッサンス(ルネサンスとも呼べばれる。)初期時代には思想家としても第一段に掲げなければならないのは後世への影響度からみても、画家であり自然科学・医学・発明・技術全般にわたって秀でた怪物、 イタリアはフィレンツェ共和国のヴィンチ生まれのレオナルド・ダ・ビンチ(Leonardo da Vinci:1452年4月15日 - 1519年5月2日 )をルネサンスを代表する思想家としても省くわけにはいけません。史上最高の画家、そして人類史上最も多才な人物といわれる彼は多くの宗教画を手掛けていますが、思想的には神学と迷信を批判する「唯物論者」です。しかし、其の作品群には多寡の大小を問わず宗教画が見られます。基本的には神とも呼称される絶対存在の意思をを何かしらを悟り表現しているとは言えましょう。勿論、彼の考察する絶対的存在は教会における人格を付与した「創造者」などではあり得ません。唯物的認識論によっても捉えきれない認識不可能な存在、其処に形象どころか創造の自意識なども毛頭なく、其れ故に完全、呼称はどうあれ「全て」なのです。レオナルド・ダ・ビンチの生涯手放さかったモナリザの微笑が其のことの証だと捉えるのは全く破廉恥なことだとも決め付ける訳にもいかないでしょう。「唯物論者」である筈の彼の絵画深層に秘められた謎は外感覚的な知覚に慣らされた人間には観想すること能わずなのです。其の表現が信仰でもなく、況んや虚無主義者でもない彼の非凡さを象徴します。
2015年04月09日
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「思考と直覚」ルネッサンスの二重真理説(八十九) 新プラトン学派からの解釈の適用を極力少なくしたイブン・ルシェドの思想、即ち、哲学と宗教の関係を明確に分断し、哲学が拒否する霊魂の不滅は、神学にとっては真である「二重真理説」は真意はアリストテレスの霊魂観を基督教会の監視から解放させることにありましたが、そのイブン・ルシェドの思考はルネッサンス( Renaissance )という語は「再生」を意味するフランス語)期(14-16世紀)に入った西洋に猶も少なからずの影響を齎らされています。此のルネッサンス期は、屡々、近世の始まりと見做されていますが、其の背景は商業資本の段階にあり、産業資本は確立されておらず社会体制そのものは旧来前としており「資本主義」は未だ形成されない旧態然としたものであり、其の啓蒙も一部の知的エリートの文化であり一般化は後世に待たれます。古いものが壊れ新しいものが現れるまでの文化であり云わば文化の混乱期でした。其の混乱のまっただ中、かってのローマ帝国の中心地イタリア花開きます。一部の知的エリートとはいえ芸術・医学・科学・哲学を包含する天才、後世に影響少なからずの英傑或いは怪物とも呼べる人間を輩出します。然し乍ら、彼等の正統派教会に対する態度は敵対的なものではなく、哲学上も二重真理説を基底にしたものであることは歪めません。「思考と直覚」の直覚霊知の思考原理によれば、信仰上の「神」と形而上学の存在論を区別することは望ましくないのですが、其の思考過程には興味が尽きません。
2015年04月08日
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「閑話休題」ダイエットにスポーツは厳禁 通常は皮下脂肪を減らすにはカロリー消費の高い運動がお薦めですが、此れも状況によっては逆効果。体脂肪30%を超えた方なら真ですが、20%程度でカロリー消費の高いメカアニカルマシーンを使用したトレーニングや過度のジョギングというよりはマラソンに準ずるものは貴方・貴女に脂肪減の効果はあるとはいえ、体重減少・痩身には役立たない。但し、スタイル的には健康的な体型が望めます。例えばマラソン選手、他の誰より痩身なのは事実其の儘なのですが、それには、筋肉細胞其のものの肥大化による「キン肉マン」化は厳禁で、筋肉組織の細胞を増加させる遅筋で身体を築き上げることに努めます。それでも、彼らマラソン選手の多くが体重増加に苦しみ常日頃から減食に努めていることは注目に価します。此処で注目して頂きたいのは専門的にスポーツを志す人間は夫々の運動種目により目的体型に適った遅筋・速筋を育成していることです。相撲道では相撲人としての適正な体型、シンクロナイズド・スイミングでは浮力を維持するための適正な脂肪の摂取、彼等は皆適正体系を目指し栄養コントロールをしています。其れ故、運動が痩身に結びつくと考えるのは大いなる誤謬であると言えます。元々は痩身だった相撲取りの引退後の体型の変化は其れを象徴します。詰まるところ、ダイエットに必要なものは運動選手なみの精神的な剛性の食欲コントロールと有名モデル、其れも年に1000万ドル(36億円)を稼ぎ出す売れっ子ファッションモデルで「ミニスカートの女王」として日本では若い女性から羨望の的とされ、ツイッギーをイメージしたコンテストが催されるほどの加熱ぶりであったツィーギーなみの体型を望むならば、運動は百害あって一利なしとも断言します。要は健康上を別にすれば「食べず動かない」ことが最短の痩身への近道です。此のことは、宗教画で見る釈尊や禅道修験者を掲げるまでもなく、健康上の問題を除けば正解です。それも最高のファーモニーを絶賛された4人兄弟姉妹の姉のように痩身意欲が内精神にまで及び拒食症を起こすことがあってはならないとの条件が付きますが。人気ブログランキングへ
2015年04月07日
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「思考と直覚」スコラ哲学の解体(八十八) トマス・アクィナスの没後のスコラ哲学の正統後継者ドゥンスに対して普遍論争を終結させたと言われるウィリアム・オッカム(William of Ockham, 1285年 - 1349年)は、フランシスコ会会士、後期スコラ学を代表する神学者・哲学者でありイングランドのオッカム村出身で屡々オッカムとのみ言及される人物ですが、彼はドゥンスの個性原理を更に昇華させて「唯名論」を復活させます。即ち、現実在であるのは個物のみで、普遍は概念であり「人間の霊魂のうちと言葉のうち」に見い出されるだけの「記号」に過ぎないと断定します。人間のすべての認識の基礎には人間それぞれの感性によって引き出される直覚的認識があり、直覚的認識のもとから人間の理性の抽象作用が働く。然るに「神」については「直覚的認識」が無いから、「神学」は学問ではなく「信仰」其のものであり教会の正統的権威によって信じられるだけである。此処に終には、哲学と神学及び理性と信仰は完全に分裂してスコラ哲学は解体します。さすがに信仰の教会権威説には正統派教会からは禁止の憂き目に合います。但し、後世には此の説の信奉者も14世紀以降のパリ大学を中心に大きな学派が形成されます。然し乍ら、彼等はもはや神学と関わりのない哲学者や科学者でした。「思考と直覚」の直覚霊知の思考原理から此れを紐解くならば、人間それぞれの感性によって引き出される直覚的認識が「神」については「直覚的認識」が無いにしろ、インド大陸の世祖シッダルタによる瞑想実践による「覚り」への道は否定されはしません。
2015年04月06日
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「思考と直覚」スコラ哲学の個性原理(八十七) トマス・アクィナスの没後はスコラ哲学を、その思想の徹底的な緻密さから「精妙博士」といわれたフランシスコ会士ヨハネス・ドゥンス・スコトゥス(Johannes Duns Scotus )がトマス・アクィナスの正統な後継者と目されながら、その神を認識することに対するトマス・アクィナスの考え方、人間の認識は経験を通して得られる材料にもとづいており、神を認識することも経験にもとづくとされるが、人間の認識は有限であるため、それでは完全な存在である神を認識することはできない思考論に異議を唱えます。トマス・アクィナスが統合化した筈の哲学と信仰に再び「二重真理説」を持ち込みます。但し、イブン・ルシェドとは逆の立場、信仰を哲学の干渉から守ろうとする意図がありましたが、其の意図とは反対に信仰の束縛から解放された哲学と科学の発展に貢献することになろうとは予想だにしなかったでしょう。彼の説く同一の種に属する二つの個別的事物に関して、それを個別化させるものは、形相であるのかあるいは質であるのか、この問題についてトマスは、物質的なものにおいては個別化させるものは質であり、精神的なものにおいては形相であると考えていたのですが、これに対してドゥンス・スコトゥスは、物的、精神的を問わず、何物かが相互に区別されるのは、何らかの質的な差異によるのであり、そこに形相の差異があると主張、神の様態の変状にある限りにおいてとしての個物化或いは個体性を主張しているかに見受けられます。そもそもが、創造者或いは絶対者認識する観点からみれば「直覚霊知」的には個物化或いは個体性も朦朧曖昧なものであり全ては「根元」に由来していると云えます。
2015年04月05日
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「思考と直覚」スコラ哲学の衰退(八十六) スコラ学の代表的神学者トマス・アクィナスを最後として、スコラ哲学は唯名哲学論者として神学的な三神論を唱え名声を得たロスケリヌスやオッカムの主張、「赤」い「薔薇」と言っても赤という普遍概念は多くの赤いもののもつ「赤」という共通の性質に対して与えられる言葉であり若しくは記号に過ぎず、類の概念は実在しない。 唯名論の立場は、類の概念(普遍概念)は、ただ名辞として存在するのであり、実在するのは類の概念の形相(フォルマ)ではなく、具体的な個物(レース)のみであると説く唯名論(ゆいめいろん、Nominalism)と哲学と宗教の関係を明晰を持って分断し、哲学が拒否する霊魂の不滅は、神学にとっては真であるとする「二重真理説」を唱えたイブン・ルシェド(アヴェロエス)の思想によって衰微するより解体の憂き目に直面します。トマス・アクィナスのアリストテレス的な霊魂観を信仰とは区別しながらも其の両者を対立させず相互に補完的であるとして融合を意図した学説が否定されることになります。 唯名論に云う「赤」は常識的に受け止めれば色彩感覚を持たない生物には無意味で存在しないので普遍的では無いということもあり得ましょう。但し、実再論的には「赤いものが在る」とした思考法も浮かび上がります。然し乍ら、直覚霊知は「在る」もの全てが絶対存在からの様態の変状である以上、「個体としての有る」はあり得ません。
2015年04月04日
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「思考と直覚」スコラ哲学の最盛期(八十五) フランク王国カール大帝(Charlemagne/在位:紀元768年 - 814年)によりの文明復興いわゆる「カロリンガ・ルネッサンス」と呼称される文明復興運動から「スコラ哲学」が芽生えますが、哲学はもはや「神学」の箍が嵌められた状態であるものの、新プラトン派の神秘説には基づくものの自然哲学の体系は未だ残存していました。其の代表格がパウロやアウグスティヌスと並び立つ人物といわれ、神の使いのような博士と呼ばれ、キリスト教思想とアリストテレスを中心とした哲学を統合した総合的な体系を構築した中世ヨーロッパのイタリアの神学者、スコラ学の代表的神学者トマス・アクィナス(Thomas Aquinas)は、十一世紀末からの十字軍の遠征以降、ヨーロッパに衝撃を与えたアラビア哲学、なかでも、イブン・ルシェド(アヴェロエス)の思想「二重真理説」に対する反撃として、当時の正統派教会からは忌避された運命に在ったアリストテレスの哲学を神学の体系づけに積極的に取り入れます。トマス・アクィナスは理性或いは内精神が捉える理法、アリストテレス的には物質的には隠された霊魂を信仰とは区別しながらも其の両者を対立させず相互に補完的であるとして融合を図ります。其れ故、「二重真理説」は解消されます。然し乍ら、其れは階層的統合とも呼べるものであって後世に問題を残します。此の問題はインド大陸の世祖シッダルタの例を見ればよく判ります。彼は言致としては神を認めますが、其の実、神を寿命或いは滅びあるものとして「有」とは認めず排斥しています。其のシッダルタを「大乗(偽経)」がシッダルタに神性を与えていることは別問題になります。かく云う程、史上では信仰と哲学は別離融合を繰り返しています。その要因は人間の脳自体が喜怒哀楽を化学反応として稼働していることから来ることに起因するのかもしれません。「直覚霊知」の瞑想は其れを離脱した境地を目指しれいます。
2015年04月03日
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「思考と直覚」統合文明イスラム(八十四) イスラム圏とりわけ其の文化の中心であったバクダッドでは、「千夜一夜物語(One Thousand and On Nights)日本では英語式にアラビアン・ナイト(Arabian Nights)ともいわれる。」を見るように西洋的には魔法と言っても理解できない科学水準とお伽の地域と言っても東亜細亜大陸の宗教や哲学及び北アフリカとの文化の融合による統合思考国でしたが、其の内実も現代のIT技術では可能とされるものが網羅されています。「開けゴマ」(音声認識開閉ドア)に始まり、は空飛ぶ絨毯は自動ジャイロ飛行位置感知グライダーであろうし、何でも夢を聞き凡その夢を叶えてくれるジニーの指輪は現代ではある程度は可能とない、其の実現も100%不可能事ではないでしょうに此等は総てがイスラムの科学技術が想定されていたものです。九世紀にもなるとイスラムは大帝国化されイスパニア(スペイン)をも支配下に置きますが、其処のコルドバを中心とする地域にやはりギリシァのアリストテレスを畏敬し、新プラトン学派からの解釈の適用を極力少なくしたイブン・ルシェド(アヴェロエス)の思想、即ち、哲学と宗教の関係を明晰を持って分断し、哲学が拒否する霊魂の不滅は、神学にとっては真である「二重真理説」を唱えます。彼の真意はアリストテレスの霊魂観を基督教会の監視から解放させることにあります。此の時期の基督教は思想的には柔軟性を失っており極めて権威的であり保守的な傾向にありますからイブン・ルシェドの思考は以降の西洋にとっては少なからずの衝撃を齎します。同様に霊魂の不滅を説く哲学説も信仰も相反する要素を持つことは歪めませんが、存在論から眺めれば「二重真理説」も成立するのでしょう。但し、「思考と直覚」からみれば真理は別つことは認められません。思考と直覚が求める直覚知とは一つの真理、理法の創造者を自己の絶対意識の様態にある限りに於いて通常生活からは隠された「内覚」に求めるのですから根元の「有」しか認識しようとするものであり他の志向はあり得ません。
2015年04月02日
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「思考と直覚」統合文明イスラム(八十三) 七乃至八世紀に勃興するイスラム諸地域は2世紀に満たない間に、世界屈指の豊かな文明を誇るまでに成長します。当時の西洋に比して科学技術は甚だ高水準にあり西洋の発明・発見とされる多くのものがイスラム圏が元祖であり、技術的文化にもにも世界的にみても最先端にあり、東アジア大陸とりわけ中国にまで其の文明は影響を及ぼします。学術的にも基底にあったのはギリシァ文化を多面的に吸収した哲学でありみるべきもの多々です。思想論的には欧亜の文化を豊富に吸収した統合文化とも呼ばれる程の多彩な文明を作り上げます。其のなかでも、バクダッドを中心とした思想家のなかに、古代ギリシャの魂や精神を重視した哲学としての霊魂観「二元論」を引き継ぎ、身体を第二義的に扱い、人間が死ぬと身体は崩壊するが魂は「神々」の下に帰る、霊魂こそが人間の生命の元と考えています。この哲学的霊魂観が、霊肉二元の宗教思想と結びついて西洋の思想的な中核が形成されてきたのと同様ではあるのですが、アリストテレスから「二元論」を引き出し更には其れに「唯物論」的要素をもたせ、物質的世界は永遠であると説いたイブン・スィーナー(Ibn Sina)を後世の人々は「第二のアリストテレス」と呼称します。彼は華佗(かだ)に比肩すべき医学者でもあり哲学者なのです。イブン・スィーナーはアリストテレス哲学の唯物的要素を取り入れ更に高め展開しますが、其処には当然のように物質世界の永遠を説きます。しかし「神」の存在非物質的な霊魂を認めスコラ哲学の普遍論争の「類」については、普遍は神の精神においては個物に優り先立ち、自然的な事物にあっては人間の抽象的概念では個物の後に定義されるという一元・二元論の調停的理論を説きますが、日本の落語の蒟蒻問答風で難解かも知れないが単純かもしれないジレンマに陥ります。此処は「思考と直覚」的には物質的な個物全ては神(此処では存在有を神と呼称します。)を起因とし、終末は個物を起因とすると述べるに止め置きます。
2015年04月01日
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