全31件 (31件中 1-31件目)
1

「思考と直覚]仏教哲学のショーペン・ハウアーへの浸透(百四十三) ショーペンハウアーによれば、この現象世界はひとつのマーヤー(幻影)であり、超越されるべきものである。現象世界は終わりなき永遠の苦しみであり、そこには永続する幸福は存在しない。はかない快楽があるだけで、それは繰り返す無限の苦悩に挟まれた束の間の休息でしかない。幸福が満たされたと思ったときには、退屈という苦しみが襲ってくる。「生きんとする意志」そのものがこの悲惨の根本原因なのである。本当の苦悩からの解放は、一切の意欲を超越すること、すなわち自己の意志を否定することである。意志を否定し、「純粋な認識(仏教でいう覚り)」に化することによって、人はこの現象世界にとって「無」となり、現象世界は人を束縛する力を持たなくなる。此の思考方法は仏教哲学の精神そのものを反映しています。彼ほどインド哲学の精髄を明晰に語り尽くした思想家は西洋では稀でしょう。しかし、自己の意識の深層にある内精神を思考する態度は、「アカデミズム」にはまったく無視され、冷遇されたことで有名ですが、其れも当然、当時文化的に遅れているとされる印度大陸の思想を西洋哲学が受け入れることは困難だったでしょう。然し乍ら、彼の思考は実存主義の先駆と見られ、フリードリヒ・ニーチェへの影響は当然として有名ですが、その他にもリヒャルト・ワーグナー、ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン、エルヴィン・シュレーディンガー、アルベルト・アインシュタイン、ジークムント・フロイト、オットー・ランク、カール・グスタフ・ユング、ジョーゼフ・キャンベル、レフ・トルストイ、トーマス・マン、ホルヘ・ルイス・ボルヘスなど多才な学者、思想家、文筆家に影響を与え、その哲学は現代思想においても受け継がれています。特に言いたいのは仏教哲学とりわけ仏教を哲学化した偽経とされる「大乗研究家」は其の思考過程に興味が惹かれるはずです。
2015年05月31日
コメント(0)

「思考と直覚]独逸ショーペン・ハウアーの現象論(百四十二) ショーペンハウアーは1819年に公刊された「意志と表象としての世界」で本書の序論とみなしている博士論文「根拠律の四つの根について」においては4類に分けて考察します。先天的な時間空間、乃至は「存在 (essendi) の根拠(充足理由律)」。 原因と結果の法則、あるいは「生成 (fiendi) の根拠」。概念論理的判断、ないしは「認識 (cognoscendi) の根拠」行為の動機づけの法則、ないしは「行為 (agendi) の根拠」、此れ等を、いかなる客観であっても主観による制約を受けていることを主張しています。第二巻の第24節では「力学、物理学、化学は、不可入性、重力、剛性、流動性、凝集力、弾性、熱、光、親和力、磁気、電気、等などの諸力が作用する規則や法則を教えてくれる科学である。すなわちこれらの諸力が時間、空間の中にそのつど出現することに関してこれらの諸力が守る法則や規則である。しかし諸力そのものは、人間がどう振舞おうと、そのさい隠れた特性(Qualitates occultae)であり続ける。なぜならこれこそ物自体だからである。物自体は現象することによって諸々の現象とはなるが、現象そのものとは別ものである。なるほど物自体は現象と成っているときには、表象の形式としての根拠の原理に完全に支配されているが、物自体そのものは、表象の形式にけっして還元されることはない。したがって物自体は原因論的に、究極にまで遡って説明されることも、いつか完全に究明し尽くされるというようなこともあり得ない。もとより物自体が、表象という形式をとっているかぎりでは、すなわちそれが現象であるかぎりでは、理解は完全に行き届くといえるだろう。しかし物自体の本質からいえば、そのような理解の行き届き方によってはいささかも説明されるものではない。」また、ピョートル・デミアノヴィッチ・ウスペンスキー(Peter D. Ouspensky/1878年-1947年)は、ロシアの神秘思想家。モスクワでジャーナリストとして活躍する傍ら、神秘学、数学、哲学などの研究を行い著作を著す。神秘思想家グルジエフとの出会いは彼に多大な影響を与えた人物ですが、そのウスペンスキーの観点とショーペン・ハウアーの共通点の中でも「現象の背後には未知なる隠された特質があり、自然科学によってはどうしてもそれを知ることはできないという観点」は従来の西洋哲学には稀な思考です。特に際立つのが、ウスペンスキー思想の重要な部分を構成する「時間論」について、ショーペンハウアーは極めて示唆的な記述を多く行っていることです。とりわけ「永遠の今」という思想、印度のウパニシャッドの中心は、ブラフマン(宇宙我)とアートマン(個人我)の本質的一致(梵我一如)の思想。ただし、宇宙の「我」は個人我の総和ではなく、自ら常恒不変に厳存しつつ、しかも無数の個人我として現れるものと考えられたとされるウパニシャッドに由来いますが、スコラ哲学にも同様の考え方があるのを繰り返し力説している点は特筆に値します。行き着くところの「時間」は人間の内感覚に於ける表象に過ぎず、その現象の背後には未知なる隠された特質「有」が浮かびあがります。
2015年05月30日
コメント(0)

「思考と直覚]独逸ショーペン・ハウアーの世界観(百四十一) ショーペンハウアーは、カントの「物自体と現象」という思考過程に取り入れ「世界は表象である」とします。また、世界は我々自身の知覚器官が生み出した表象としてのみ存在する。我々が現象として経験する一切のものは我々自身の生んだ表象であり、我々の知覚に内在する感覚的には太陽が地球を回っているように「感じられる」としても、実際にはそうではないという比喩をカント自身も援用していることから、ある新しい「構成」のために、それらは純粋直観にあたえられるのである。この空間は、物理空間に先立つア・プリオリなカテゴリーに従って生起する。その知覚のカテゴリーとは、時間・空間および因果性である。これらをショーペンハウアーはひとまとめにして「根拠の原理」と呼ぶ。現象界の一切のものはこの「根拠の原理」に束縛されていると。しかし、「物自体」は根拠の原理を超越しており、あらゆる現象界の背後にあって自存している。ショーペンハウアーはこの「物自体」を「意志」、スピノザ風に言えば「絶対意識の様態としての変化の現れと呼称しました。「世界は意志の自己認識である」。現象とは、「意志」の世界における客観化である。この場合の「意志」とは、人間の恣意的な努力とはまったく関わりがない。それはあらゆるものの中に等しく遍在しており、人間のみならず動物の中にも植物の中にも無機物の中にも等しく存在するものである。この「生きんとする意志」が現象世界全体を形成する動因であると述べています。此のショーペンハウアーは言葉の中には、仏教精神そのものといえる思想と、インド哲学の精髄を明晰に語り尽くした思想家の一面が見えています。「苦悩からの解放は、一切の意欲を超越すること、すなわち「意志」を否定することである。意志を否定し、「純粋な認識」に化することによって、人はこの現象世界にとって「無」となり、現象世界は人を束縛する力を持たなくなる。」を「苦悩からの解放は、一切の「我」を超越すること、すなわち「意志」を否定することである。意志を否定し、「無我の我」に化することによって、人はこの現象世界にとって「無」即ち「空」となり、現象世界は人を束縛する力を持たなくなると読み替えれば大乗の祖、龍樹が見事に甦ります。一部の識者からは「異端」とか「論理的に矛盾している」とかいう評価が少なくないショーペンハウアーなのですが、「直覚知」から言えは他の西洋哲学者は仏教哲学を経験しない思想の弱点が此処に現れているとも言えましょう。
2015年05月29日
コメント(0)

「思考と直覚]独逸ショーペン・ハウアーの直感知(百四十) ショーペンハウアーは名前こそよく耳にしますが、その思想の中容は名の程は知られていません。其の大半は「ペシミスト(悲観主義者)」「厭世主義者」の一言で片付けられ、その哲学も「悲観主義」「生への嫌悪」などのネガティブなイメージで捉えられています。其の出版物の評価においても「人生とは裏切られた希望、挫折させられた目論見、それと気づいたときにはもう遅すぎる過ちの連続にほかならない、など透徹した洞察が易しく味わい深く描かれている」等と記されては、オプティミストは腰が引けます。日本の哲学・倫理学及び思想史研究者の遠山義孝著の「人と思想」には「彼の哲学の骨格は若者の直観で成り立っている。ショーペンハウアーの哲学は、また一方に明快な論理性を持ちながら、他方では意外なほどの自己矛盾とか飛躍というような非論理的性格を示している。」とまで書かれています。また「ヘーゲルにいたるまでの理性主義の哲学が、ひとつひとつの論理の積み重ねによってその体系を完成したのに対し、ショーペンハウアーの思想の核心はむしろ直観により、瞬間的に打ちたてられた感がある。ショーペンハウアーの哲学はこうした直観によってできあがったということで哲学史上独特な位置を占めているのである。」と述べられています。
2015年05月28日
コメント(0)

「思考と直覚]独逸ショーペン・ハウアーの思想傾向(百三十九) 19世紀のドイツではイギリスに亡命中のマルクスとエンゲルスの文筆活動と相まってマルクス思想が支配的思想となります。反して登場したのがショーペンハウアー(Arthur Schopenhauer、ショーペン・ハウエルとも呼称/1788-1860)です。実のところ、ショーペンハウアーほど誤解を受け、不当な扱いを得ている思想家は、マルクス思想がドイツに蔓延してる中では致し方ないとも想えます。但し、ロシアの思想家ピョートル・デミアノヴィッチ・ウスペンスキー(Peter D. Ouspensky /1878年-1947年)ロシアの神秘思想家でモスクワでジャーナリストとして活躍する傍ら、神秘学、数学、哲学などの研究を行った彼とショーペンハウアーは、著作及び思考にいくつか注目すべき共通点があることに気付かされます。先ず第一に掲げられるのは、現象の背後には未知なる隠された特質があり、自然科学によってはどうしてもそれを知ることはできないという観点。第二は、ショーペンハウアーの哲学の特徴の一つ、現象の本質を認識するための手段として芸術を極めて高く評価していること。第三に特筆すべ個人と全体への思考過程に基づいている思想。ウスペンスキーはそれを「部分は全体と等しい」というターシャム・オルガヌム公理として基礎づけていることです。最後に性愛の見解、ショーペンハウアーは「性愛の形而上学」を初めて打ち立てた哲学者であって哲学上の思考としてウスペンスキーもそれを認証しています。
2015年05月27日
コメント(0)

「思考と直覚」孤独の哲人キルケゴール(百三十八) 社会主義の土壌に立つベリンスキーと同じ時代に、孤高で同次第の思想家としては特異な哲人がデンマークに出現します。彼の名はキルケゴール(Søren Aabye Kierkegaard/1813-1855)、彼の思想は同時期の思想家からも殆んど理解も支持もされなかったが、20世紀に入ってからは研究者も増え、人間実存の真理は「あれかこれか」の選択、融和しがたい対立にあると説き、現代では実存哲学の先駆者と共に実存主義思想の祖と見做されています。キェルケゴールはヘーゲル風の汎(はん)論理主義に抗して、不安と絶望のうちに個人の主体的真理を求めた彼の思想は、20世紀に入るまでデンマーク国外ではほとんど知られなかったが、1909年からドイツでシュレンプによる翻訳全集が出て、当時新進のバルトやハイデッガー、ヤスパースらの弁証法神学者や実存哲学者に大きな影響を与え、そこからキルケゴールの名は現代キリスト教思想や実存思想の先駆者として、ヨーロッパのみならず世界的に知られるようになります。キルケゴールの宗教観は「死に至る病」で自己と絶望に関する考察をしています。彼は信仰を徹底的に自己の問題として捉え、「主体性のなさ」や「群集心理」を自己の喪失を意味すると断言します。それでは、キルケゴールは「自己」をどのように思考しているのか。彼は近代理性主義の「精神」が基礎づける人間存在とはあくまでも概念的な人間でしかなく決してデカルトのコギト的なものをさすのではない。キルケゴールにとっての自己はあくまでも有神論的実存主義的な自己である。「信じるが故に我在り」なのであり、キルケゴールにおいては人間存在に信仰という具体的行為によってこそ人の生は可能になる、有神論的実存主義的な自己を強調します。「神の観念が増すにつれて、それだけ自己も増し、自己が増すにつれて、神の観念も増す」といわれるように、神への関係は自己への関係に相即する。神を尺度とする人間的な自己となるならば、自己はなんという無限な実在性を獲得するであろうかといわれるように、自己への徹底的な考察、キリスト教的にはそれが罪とさえ問われる自己を見出すこととも言い換えることもできます。とはいえ、彼は「神」を神格或いは人格性を与えてはいません。ニヒリズムの到来による精神の危機をかれは憂えたのです。ヒトゲノムの解析によるクローン人間の可能性等を含めて、今まさに、人間の存在基板としての「肉体と精神」の解釈が問われているのです。実存主義思想の祖キルケゴールが神の観念が増すにつれて、それだけ自己も増し、自己が増すにつれて、神の観念も増すと説く時には、十七世紀のオランダに生を受けたスピノザの、無と有を含めて、世界ただ一つの実体を「神即ち自然」と呼称し主張した「エチカ」を思い起こさせます。
2015年05月26日
コメント(0)

「思考と直覚」ロシアの革命的民主主義思想の背景(百三十七) 19世紀も半ば頃のロシアは西ヨーロパからは立ち遅れていたとはいえ、未だ農奴制的経済体制に機械技術の導入が増大し体制自体に複雑な危機が訪れています。農奴制の労働の立ち遅れた生産性に頼った地主経営の一部は崩壊しますが、其れは逆に大規模地主の強化を齎し、農民奴隷状態にあった生活状態を増々悪化させます。当然に此のような社会的条件のもとでは旧来の非抑圧農民の利益と願望を思想として表現するところの革命的民衆主義思想が生まれますが、其れは市民ブルジョアジーにより資本主義経済体制の未発達の中で、人間の内面性よりも極端に唯物主観に立つのも致し方なかった実情があります。彼等はロシアの18世紀の文化的遺産とも呼べる唯物論的自然科学者、水銀を凝固させた初の人物でもあるミハイル・ワシリエヴィチ・ロモノーソフ (1711年11月19日–1765年4月15日)の思考の伝統を受け継いてはいましたが、市民ブルジョアジーの過程を経ていないため、、農奴制を攻撃し、志の高さと其の音調が1860年代のロシア左翼の著述家たちに長く続く影響を残した戯曲「ドミトリー・カリーニン1831年」を書いたヴィッサリオン・グリゴーリエヴィッチ・ベリンスキー1811年-184)は、ヘーゲル哲学を学び、しばらくヘーゲル右派の圧倒的な知的影響の下にあって、当初は反動的ロシアの皇帝(1796-1855/在位1825-1855年)、目的を実務的かつ厳格に追求する強固な意志をもち,専制を革命から守るために警察国家体制を確立した典型的な専制君主ニコライ一世(Nikolai Pavlovich I )の専制政治と農奴制をも「理性的な現実」として承認し「現実との和解」を説いていますが、後の彼は生ける人間人格の擁護の名において激烈なヘーゲル批判を行い、現実との和解から闘争の方向へと大転換を宣言。ベリンスキーは生ける個人を抑圧する社会的に受け入れられてる人間を理性、精神、神にたいする反逆から社会主義の土壌にたち、先ず人間の倫理的な諸問題に解決を与え、個人の自由と人格的尊厳を高揚するものを優先しています。此れは同じ階級制という土俵に立ちながらインド大陸の民族とスラブ系民族の思考の違いをきわ出せます。歴史は民族の霊魂観を物語るのです。
2015年05月25日
コメント(0)

「思考と直覚」英国19世紀の思想スペンサー(百三十六) 偉大な進化論者ダーウィンの思想を受け入れながら、現物的で感覚的ともいえる実証主義の哲学体系を組み上げたのが、ハーバート・スペンサー(Herbert Spencer/1820年-1903年)です。彼は帝国主義を今まさに迎えんとする英国の、歴史的概念として封建社会を打倒し封建的土地所有を廃棄して、資本制生産様式に基づく近代社会、基本的人権と市民的国家の確立により市民的自由を追求したブルジョアジーのある階級や党派の立場を思想的に代弁する人々を意味するイデオローグでした。スペンサーは自然科学の発展に積極的に大きな意義を認めるとともに科学と宗教の打開する和解点を見つけることに努めます。其の手段としてスペンサーは、ダーウィンの自然選択説(自然淘汰)を、こともあろうに、当時の英国の社会風潮に適用させる、最も秀でた人種が将来においても保存されるソーシャル・ダーウィニズムを唱えます。彼スペンサーの考察では、社会的有機体の発展の段階は資本主義を頂点にし、其れ以外の異相の社会の進歩的概念は無意味だと説きます。此のスペンサーの資本主義を頂点にする考え方は、当時に英国に比べて比較的文化・経済面で遅れていた日本や中国、ロシアやポーランド及びラテンアメリカの社会思想に衝撃を与えます。宗教的神秘主義に対して社会的進歩のために戦ういわゆる、進歩主義者と言われる思想家の旗印となり一定の成果をあげています。他面、唯物論者からは唯物主観の発展を妨げたものとして評価は卑小化されます。何れにしろ、スペンサーの思想は日本や中国、ロシアやポーランド及びラテンアメリカに対して資本主義を建設するのに温和な漸次的改革を主張する自由主義的ブルジョアジーのイデオローグになります。彼の宗教的立場は神の存在は知り得ないとする不可知論者で、其の思考及び思想は唯物論者からみれば温和な漸次的改革によって資本主義を擁護してるとしか顧みられず、批判的に見られていましたが、自由主義的資本主義社会のイデオロギーとしては認知されています。然し乍ら、適者生存(survival of the fittest)の造語者であるように人間生まれながらの霊魂を無視して血統を重んじたことはアドルフ・ヒトラーの出現さえ予感させてくれます。
2015年05月24日
コメント(0)

「思考と直覚」英国19世紀の思想ダーウィンの2(百三十五) チャールズ・ダーウィンの玄孫(孫の孫)1948年英国はケンブリッジ生まれ、経済学者のジョン・メイナード・ケインズは大叔父(祖父の兄)にもつランドル・ケインズ(Randal Keynes)が、彼の思考であった生物の「死」が「神や罪」とは何の関係もなく,自然の過程のひとつにすぎないのだというチャールズの秘めたる信念を決定づけたと指摘しています。1851年のアニーの死が「最後の一押し」「悪魔に仕える牧師」(Devil's chaplain)を現出させたと「種の起源」に代表される著作や書簡を傍証として挙げながら指摘するのですが、成程、1851年のアニーの死は失われつつあったキリスト教信仰への終わりを意味したでしょうが、その後も彼は地元の教会の人々とともに教区の仕事を手伝い続け、家族が日曜日に教会に通う間は会堂に入るのを避けて散歩に出かけています。そのころには痛みや苦しみを神の直接的な干渉と考えるよりも、一般的な自然法則の結果と考える傾向が強まっていたようです。1870年代に親族に向けて書かれた「自伝」では宗教と信仰を痛烈に批判していますが、妻エマと息子のフランシスによって削除され、1958年に孫娘ノラ・バーロウによって出版された新しい版で削除された全てのセクションが元通り復刻されます。彼の1879年に書かれた書簡では、自分はもっとも極端な考えに触れた時であっても神の存在を否定すると言う意味においての無神論ではなく、不可知論が私の心をもっともよく表すと述べています。即ち、神が実相としての意味合いで観想出来得ないということです。晩年のダーウィンは、自然選択説、自然淘汰とも呼称される後には自然淘汰とも呼称される進化論を唯物論的に捉えようとする一部の自身の支持者の動きについて、非常に嫌悪感を示すようになっています。「ダーウィンと家族の絆」では長女アニーとその早すぎる死が進化論を生んだとしています。死病とされるアニーの病気は何だったのか、其れは十九世紀半ばの当時の子供の肺病は死刑判決に等しかった肺病、加えて、チャールズ・ダーウィン生前には3人の子供を亡くしています。当時の医学的資料に「ダウン症」の記載はありませんが、ダーウィンの研究者の間では彼の息子がダウン症であったことは共通の見解となっている享年1歳6ヵ月で猩紅熱が原因で亡くなり、かわいそうな小さな赤ちゃん知能が少なく生まれたにしても。 父と母は彼に対し無限の愛で接していた此のことが、無神論ではなく、「不可知論が私の心をもっともよく表す」よいう言葉に言い尽くされています。その当時のダーウィンは、進化論という名称が含む意味合いの一人歩きや、自然選択説を唯物論的に捉えようとする一部の自身の支持者或いは自己の唯物主観に利用する動きについては、非常に嫌悪感を示すようになっていました。彼は霊魂其のものを否定した訳でもなく、まして絶対意思を拒否したのでもなく、彼が育成された教会権威の神格性どころか人格姓をも賦与された「神」の配剤に幻滅したのであって、世界理法の根元たる存在を否定していることは考慮の外です。自然淘汰論こそが「理法」の絶対性を保証するものであって、其れを支える背景が「不可視の実体です。
2015年05月23日
コメント(0)

「思考と直覚」英国19世紀の思想ダーウィンの1(百三十四) 19世紀のイギリス古典派経済学の時代には、彼の偉大な英国の自然科学者であり、卓越した地質学者・生物学者でもあった種の形成理論を構築したチャールズ・ロバート・ダーウィン(Charles Robert Darwin/1809年- 1882年)が、哲学とは一線をおいたかたちで登場します。彼の全ての生物種が共通の祖先から長い時間をかけて、彼が「自然選択」と呼んだプロセスを通して進化したことを明らかにし、修正を施されながら生物多様性に一貫した理論的説明を与え、現代生物学の基盤となっていることは承知の事実です。「自然淘汰」とも呼ばれるとも呼ばれるように、その内容は進化の要因が主に自然による淘汰にあるとする。当時までに、G・L・L・de ビュフォン、ノッテンガム付近のエルストン・ホールに誕生ケンブリッジ大学とエディンバラ大学で学び、内科医の資格を取得し一般にはチャールズ・ダーウィンが「進化」論を唱えたとされていますが、実際にはその祖父であるエラズマスが「進化(evolution)」という概念を生物学に持ち込んだのが事実です。其の当事者E.ダーウィン、J・ラマルクらによって進化思想が述べられてはいましたが、明確な要因については想定されてませんでした。C.ダーウィンは「種の起原」において,現存する生物種の多様性は進化の産物であるという考えを提唱し、自然観察を通して、種内にも個体差があり、種の違いにも連続性があることに気づきます。其れ等は同時代の、哲学体系に影響を及ぼしますが、ダーウィンの宗教観は、旧約聖書が述べる歴史には批判的で宗教を民族の生き残り戦略であるとまで書きますが、神をいまだに究極的な法則の決定者であるとも思っていました。ところが、最愛の愛嬢、長女アニーの死が失われつつあった時にキリスト教信仰への終わりを宣言します。即ち、生物の「死」は「神」や「罪」とは何の関係もなく、自然の過程のひとつに過ぎない。「悪魔に仕える牧師」(Devil's chaplain)はこうして出現します。1870年代に親族に向けて書かれた「自伝」では宗教と信仰を痛烈に批判しています。続いて1879年に書かれた書簡では、自分はもっとも極端な考えに触れた時であっても神の存在を否定すると言う意味における無神論ではなく、「不可知論が私の心をもっともよく表す」と述べている。晩年のダーウィンの友は、敵対者からの批判に疲れ、信仰と科学の間で揺れるダーウィンの遅疑逡巡を回想しています。また,その当時のダーウィンは、進化論という名称が含む意味合いの一人歩きや、自然選択説を唯物論的に捉えようとする一部の自身の支持者の動きについて、非常に嫌悪感を示すようになっていたと伝えられています。
2015年05月22日
コメント(0)

「思考と直覚」英国19世紀の思想傾向(百三十三) 19世紀を前にしてのイギリスでは専ら社会を自由競争の場とする思考を展開します。もはや、哲学は人間存在の有為から遠ざかって社会的動物としての人間の生き方を指し示す道標としての思考が優先されます。特に古典派経済学の雄アダム・スミス(Adam Sumith/1723-1790)は社会を専ら個人的利益の場、其れを求める個々の人間の集団との立場から自由競争を擁護し、労働価値説の礎を築きます。其の思想傾向を哲学で応じたのが「快楽や幸福をもたらす行為が善である」、即ち、「正しい行い」とは、「効用」を最大化するあらゆるものだと言う理論「功利主義」を唱えるジェレミ・ベンサム(Jeremy Bentham/1748年-1832年)です。ベンサムによれば、正しい行為や政策とは「最大多数個人の最大幸福」(the greatest happiness of the greatest number)をもたらすものであると論じ、もはや人間存在の内精神の深層どころか人間の他生物との格別の理性をも卑小化して、当時の英国ブルジョアジーを標準的人間と看做し、外感覚的で物質世界の虜に在る其のブルジョア的秩序を理想的社会秩序と捉えています。1832年に他界したベンサムはイギリスだけでなく、世界各国で自身の社会的・政治的功績を認められた哲学者。フランスでは名誉市民として表彰されたり、ヨーロッパから遠く離れた中米にあるグアテマラの指導者ホセ・デル・バレが「ベンサムは世界の立法者である」と評したように、人間の有為を説くところの哲学者ではなく、後継の帰納的倫理学では功績をあげるも観念論を形而上学からますます遠ざけた実証主義者ジョン・スチュアート・ミル(John Stuart Mill/1806年-1873年)はイギリスの哲学者で、社会思想家、経済思想家でもあり、社会民主主義・自由主義思想に多大な影響を与えた。ベンサムの唱えた功利主義の擁護者を見るように、思想は外感覚的で物質世界の様相をみせます。哲学が人間の内面生活を顧みなくなったのです。ニーチェの「神は死んだ」を予感させています。
2015年05月21日
コメント(0)

「思考と直覚」形而上学からの離脱(百三十二) デステュット・ド・トラシー等のフランス観念論と同時代に同じフランスのパリで、哲学の主体が、もはや形而上学から離脱する様相を見せます。其の名は市民社会の危機を克服する政治を含む実証する社会動学(Dynamique social)と、現在の社会を解析し予知するための社会静学(Statique social)との双方からのアプローチを実証哲学(Philosophie positive)としとするオーギュスト・コント(Isidore Auguste Marie François Xavier Comte/1798年日-1857年)です。彼が主張するには、人間の知性の発展には諸々の現象を超常的な神の力によって証明しようとする神学的状態、観察される諸々の現象が世界自然の基礎に在るとする形而上学的本質によって説明する形而上学的状態、諸現象を其のもの中に法則を求める実証的状態があり、人間の思考が其々の方向に向かって進むとします。此の中で、特筆すべきことは客観的実在即ち物質的世界を認める唯物論さえ、形而上学的状態に属させ排撃していることです。其の理由は、諸科学における実証的知識が物質世界の認証という形式に成り立っているものであり、反して実証主義は科学を擁護容認しているかのように装いながら、物質的世界の承認をも形而上学として拒否しています。コントは社会学で社会学で完結しPhilosophie Positive(実証哲学)の全体系を集約する学的領域と位置づけ市民社会の危機を克服する政治を含む実証する社会動学(Dynamique social)と、現在の社会を解析し予知するための社会静学(Statique social)との双方からのアプローチを実証哲学(Philosophie positive)とします。其処にはもはや人間の霊性及び霊魂の入る余地はありません。コントは哲学者というよりは社会学の創始者としての社会学者として捉えるのが正解でしょう。フランス革命後の市民社会の危機の克服を目途とし、現代社会の分析と実証により、再組織の原理の確立につとめ、知的要素に重点をおいた姿勢は21世紀に於ける現代の外感覚的快感と物欲至上主義を助長せしめた責任の一端はあります。コントの唱える「社会学」とは人間の内精神の救済には役立つ筈もなく、却って魂の救済を信仰に向かわせる一辺があることは「思考と直覚」からの観相です。
2015年05月20日
コメント(0)

「思考と直覚」フランス観念論(百三十一) フランス革命以前には領主の多くは貴族身分に属していたから,貴族と平民との対立とは領主と領民との対立にをも意味していました。ところが、其れに伴って第三身分即ち平民階級の中から,富裕な商工業者や大借地経営農民など,新しい資本主義的生産様式を担う市民階級と呼ばれるブルジョアジーが興隆し、重税をかけてくる絶対王政や,身分的特権をもって自分たちを差別している貴族の支配や,自由な経済活動を阻害する領主制など,旧体制のいっさいに対して強い不満を抱き,その不合理を批判する啓蒙思想の影響を受けてフランス観念論が起動します。所謂、イデオロギーという言語は本来はフランス観念論が呼称した言語なのですが、唯物論的弁証法を掲げるマルクス主義に非難されることになる多用され、ブルジョアジーは対するプロレタリアートの敵対勢力とされます。イデオロギーという言語は、彼等の観念学1789年のフランス大革命以降、怪しげなものとして見られていたアンシャン・レジーム時代の思想のなかで啓蒙主義的な自由主義を復興させようとし、革命期から帝政にかけてフランスリベラル学派の創始者として指導的立場となったなったデステュット・ド・トラシー(Destutt de Tracy)のイデオロジー原論(1804-1815)に由来しますが、此れは、彼が哲学元来の目的及び課題は観念の解析にあるとして自ら命名したものです。フランス観念論の出発点は、フランスの哲学者であり聖職者でもある、先行世代のジョン・ロックに影響を受けて主に認識論における研究を行い、経験論的認識論、世俗的には感覚論を発展させたエティエンヌ・ボノ・ドゥ・コンディヤックにあったのですがド・トラシーは此れを自らの思考に取り込み主観主義的に解釈し観念として昇華させます。フランスはデステュット・ド・トラシーをして観念論に転回します。其の代表的な思考は、霊魂の能動性と物質の受動性を説いたメース・ドゥ・ビラン(François Pierre Gontier Maine de Biran、1766年-1824年)であり、知覚の真の原因は神の霊魂であると説いた、フランス革命中の 1790年にパリのコミューン書記に選ばれたのをはじめ,97年マルヌ党から五百人議会に出て下院議員をつとめた。穏健な革命派で自由主義的正統王朝派に属し,ルイ 18世の信任を得た のロアイエコラールでしょう。然し乍ら、人間の霊魂の能動性と物質の受動性を至上とすれば人間の霊魂が神なみの意思力を得れば世界内存在全てを変えることも不可能とは言えなくなります。其れをロアイエコラールは人間の内精神の深層に眠る知覚を「神の知覚」としての様態の延長として捉えているのでしょう。此処にはスピノザの「エチカ」が頭を擡げます。
2015年05月19日
コメント(0)

「思考と直覚」フランスの反動哲学(百三十) 反動とは進歩的変革ないしそれを支える進歩的勢力に反対し,既存の状態を保守しようとしたり,旧態の復活をもくろんだりする保守型勢力の行動をいいます。反動は単なる保守よりもより積極的行動的な形態でしょう。 政治の世界で反動の概念が生まれたのは,フランス革命をもって嚆矢(こうし)とします。自由・平等・博愛という普遍的価値を前面に出して遂行されたこのイデオロギー革命、イデオロギーとは元来は哲学的にはフランスの唯物論者アントアーヌ・ルイ・クロード・デステュット・ド・トラシー(Antoine Louis Claude Destutt, Comte de Tracy/1754-1836)が「観念学原理」(1801-1815)で用いたフランス語 のidéologieに由来する概念およびことばであり,文字どおりには「イデーの学」すなわち「観念学」であったのですが、今日ではカルル・ハインリヒ・マルクスによって定義された「虚偽意識」としての「観念諸形態」「意識諸形態」を指すとして用いられます。但し、20世紀に最も影響力を振るったマルクス主義イデオロギーを奉じる人々の中に政治や社会のあるべき姿についての理念の体系をイデオロギーと呼び、イデオロギーに帰依した人間は純粋でかたくなな行動をとることから、イデオロギーは宗教に喩えられる程です。其のフランス革命後のイデオローグ、ナポレオンが 18世紀末の急進的フランス唯物論者たちを,観念をもてあそび民衆に迎合する者といった意味を込めて呼んだ蔑称ですが、その進展とともに革命に反対する運動を呼び込,これが反動派(仏:réactionnaires)を形成することになります。フランス革命の恐怖政治に対する反動化の真っただなかに生きた小説家、H.B.コンスタンは「政治的反動論(仏:Des réactions politiques(1797)」の中で,反動概念の定式化を図ります。それはナポレオンの敗退後の王政復古とともに現れた極端な中世カトリシズムを予見させるものでした。権力の王統を権威付ける王統神権説や教会権威はフランスを思考の金縛り状態にします。「思考と直覚」は権威からの教育或いは強制ではなく自らの内精神の深層に耳を傾けて其の実相を問う「瞑想」を尊びます。
2015年05月18日
コメント(0)

「思考と直覚」マルクス主義の源泉3(百二十九) 英国では18世紀-19世紀にかけての産業革命が齎した一部の特権階級への富の蓄積と人民大衆の貧困の問題が顕在化していました。其の産業革命が引き起こした社会的問題と正面か取り組み、教育を通じて労働者階級を救済し、新しい社会を建設しようとしたロバート・オウエン(Robert Owen,/1771年-1858年)が、当時スコットランドの実業家で、最も優れた指導者と言われ、銀行家、商人、紡績製造者で博愛主義者であったデイビット・デイルから片田舎のニュー・ラナークから紡績工場の経営を任され、当時数多くいた無知、怠惰、不道徳の中にいる年少労働者に直面、自分の工場では、少年の酷使をやめる。 9歳以下の子供は使わない。 救貧院や孤児院や貧民保護司のところから少年労働者の受け入れをやめる。 労働者の労働条件や生活条件を改善する。を社則とします。 しかし最も注目すべきなのは1816年1月に工場に併設された「性格形成学院」のことである。この学院は、労働者の4歳以下の子供たちのための初等学校からなっている教育機関であり、オウエンはここを足場にして、輝かしい教育活動を展開します。 彼は理想社会を作り出すためには、人類の無知を追放、人間の性格は例外なく環境の被造物であるとして、意のままにし、支配している人間を非難します。教育は人間が幼少のときに最も効率的であると主張し、学校教育が貧困労働者階級の子供たちに当然教えなければならない事柄以外のことを教えているのを批判するととも教員養成所の設立による公教育制度の必要性を主張しています。世界を全面的に改革し全人類に永遠の幸福をもたらそうととてつもない野心と理想は唯物論的弁証法を掲げるカール・マルクスによって思想化され社会体制化の方向に向かいます。ロバート・オウエンを特徴づけるのは「私的所有」と「宗教」及び「ブルジョア階級」の撲滅を思考したことにあります。ヒューマニズムに貫かれた彼の教育思想は、やがて社会主義の教育思想家に受け継がれていくのです。「思考と直覚」的には彼の内精神の深層に眠る霊魂にはインド大陸の仏教哲学の「観音」を連想させてくれます。独自の「コロニー思想」も仏教哲学に通じるものがあります。
2015年05月17日
コメント(0)

「思考と直覚」マルクス主義の源泉2(百二十八) フランソワ・マリー・シャルル・フーリエ(Francois Marie Charles Fourier/1772年-1837年)、ブザンソンで裕福な商人の家に生まれながら、革命時に1793年のリヨン包囲の混乱に巻き込まれ、投獄されたあげくに相続財産の多くを失うことになる。このときの悲惨な体験が後の思想につながっていると言われ、彼は以来、政治革命に対し根強い不信感を抱き、その後は雇われ店員や行商人を続けながら、1808年には代表的な著作である「四運動の理論を執筆・刊行。この中でフーリエは、宇宙には物質的・有機的・動物的・社会的運動の4つの運動があるとし、彼は社会的運動において物質的世界におけるニュートンの万有引力の法則に匹敵する「情念引力の理論」を発見したと宣言します。此の四運動の理論「1:社会的運動。その理論の解明すべきものは、神がそれらに則って、住民をもつすべての天体における諸々の社会機構の配置と継承とを規制した諸法則である。2:動物的運動。その理論の解明すべきものは、神がそれらに則って、諸々の天体における過去または未来のあらゆる創造物に、情念と本能とを配分する諸法則である。3:有機的運動。その理論の解明すべきものは、神がそれらに則って、諸々の天体において創造された、または創造さるべきあらゆる物質に、特性、形、色、味、等々を配分する諸法則である。4:物質的運動。この理論はすでに近代幾何学によって解明されたところだが、その結果知られたものは、神がそれらに則って、諸々の天体に対し物質の重量を規制した諸法則である。」を掲げ、理性の企てるべき唯一の研究であると考え、更には「情念引力」或いは「愛の重力理論」と呼ばれることもある概念を述べます。人間の情念には12の基礎の情念があり、その相互関係に情念引力があるという。このコンセプトは四運動の理論、そしてフーリエ社会思想において極めて重要な「愛の新世界」など、初期から晩年の著作まで貫いており、後に空想的社会主義(者)と呼ばれることになります。「情念引力の諸法則」はあらゆる点で、ニュートンとライプニッツによって解明された物質引力の諸法則に合致するとして、云わば唯物主観の体裁をとり、物質界と精神界とに通ずる運動体系の統一というものが存すると主張していますが、此れは愛を現実的実体と捉えるもので、逆読みすれば「神の愛」が現存すると説いているようにも想えます。情(内精神)を現実化することは「霊魂」の存在を認めることになり観念論型と唯物論的を併せ持つ社会主義であるとも言えるでしょう。また、彼の提唱したもので興味深いのは「アソシアシオン」(協同体)の創造(フーリエの用語「ファランジュ」)でしょう。。その協同体は国家の支配を受けず、土地や生産手段は共有とした上で、1800人程度を単位として数百家族がひとつの協同体で共同生活をする。基本的に生活に必要なものは自給自足とする。また、労働活動を集約することで労働時間を短縮するといった提案で現代に其の実装が垣間見られます。
2015年05月16日
コメント(0)

「思考と直覚」マルクス主義の源泉1(百二十七) 唯物論的弁証法を掲げるカール・マルクスにドイツの古典哲学やイギリス古典派家在学と並んで彼の思想及び其の思考に影響を与えたものがあるとしたら、其れは空想的社会思想と呼称されるものです。かってはフランス革命が起こる直前まで、古典に帰るを旗印に啓蒙思想の理想に燃え「理性の王国」を目指していた思想家及び知識人が、革命で眼にしたのはブルジョア的社会体制でした。その実現された体制を、かっての封建体制と同様、非理性的かつ不公正なものと看做して、ブルジョア的社会体制も、また、資本主義に取り変わる新しい社会体制を考案しなければいけない、将に自らの脳で考えださなければいけない、空想の体制であるがゆえに空想的社会思想と呼ばれることになるのです。先ずは、フランスでも高位の貴族の末裔としてパリに生まれ、16歳でラファイエットの義勇軍の士官としてアメリカ独立戦争に参加し、合衆国の産業階級の勃興に感銘を受け、既にその当時パナマ運河の建設計画をまで考案しているサン・シモン伯爵クロード・アンリ・ド・ルヴロワ(Claude Henri de Rouvroy/Comte de Saint-Simon/ 1760年- 1825年)です。其の行動は彼の関心が主として産業と商業の諸問題に向けられていることがわかります。その主張するところは専ら科学と産業の結合に関心が向けられ生産の計画的組織の必要性を語っていましたが、1819年以降はキリスト教の道徳を産業社会に適用する方策を夢想します。すなわち、新しいキリスト教は礼拝や形式から脱却して、人間は互いに兄弟として行動し、富者は貧者を救済すべきであるとする人道主義へと傾いたのです。サン・シモンの諸説は後代の社会主義学説の発想を凡そ含んでおり、生前は認められなかったが、弟子のアンファンタンとバザールなどによって、サン・シモン主義と称する半ば宗教的な教説として世界の社会思想に影響を与えます。その思想と思考方法が後年コントに受け継がれ、実証主義社会学として結実します。然し乍ら、唯物主観の宿命ともいえる内精神に脅かされ、晩年は貧困に苦しみ、1823年に自殺を企てるほどになります。唯物論的弁証法を金科玉条にすれば人間精神の強靭さと「人間の死の現実」を所謂「動物の仕留め」と同等の思考となり人間に隠された深奥にある絶対意識の様態の延長としての意思は読めなく、人間精神の静止の不安からは解放されないことに「思考と直覚」は訴えます。
2015年05月15日
コメント(0)

「思考と直覚」青年ヘーゲル派からの脱皮(百二十六) ヘーゲルの「弁証法」とフォイエルバッハの「唯物論」を青年ヘーゲル派の仲間から、プチブルの観念性を否定して、観念と物質は、どちらが本来的な存在なのかという議論を、精神とは弁証法的に運動する物質の機能であると考え、物質が本来的かつ根源的な存在であり、人間の意識は身体器官の大脳、小脳、延髄などの活動から生まれる。現在は分離していると考えられている精神と物質は、自然科学や医学などの物質や身体への研究が進めば弁証法的に統一されるとする大脳生理学や神経学の発達で、人間の精神や意識はすべて説明、分析、操作できると考える従来の静的で定常的な宇宙観や人間機械論に弁証法的な運動と発展性という概念で対応しています。なかでもフリードリヒ・エンゲルスとともに、包括的な世界観および革命思想として科学的社会主義、1845年にプロイセン国籍を離脱して、以降は無国籍者であったいわゆるマルクス主義を打ちたてたカール・ハインリヒ・マルクス(独: Karl Heinrich Marx, 1818年- 1883年)は弁証法を正しく理解したとして自然ばかりでなく社会や人間の思考までをも唯物論的に解釈,当然の如く人間の創造主など荒唐無稽、人間意識も内精神も総ては物質との外感覚反応であり観念が入る余地がないとします。結果、此等の自然科学や医学などの物質や身体への研究が進めば弁証法的に物質運動に統一される筈と述べているのです。「思考と直覚」的には寂しいかな同様に人民の生来身分を物質能力しか持たない人間を平等意識として捉え、其れを科学的世界観としているところに。人間が本性的に感じる不安を与えるのも事実です。青年ヘーゲル派の仲間から離脱してプチブル観念論を打破する唯物論的弁証法は、自らの精神の自立までをも危機に貶めています。人間内精神とりわけ理性その深奥のおおもとの霊魂の存在を物質外感覚反応であり虚構とする唯物論的弁証法は、如何にマルクス主義に被れているにしても内精神を道具としているところに「思考と直覚」は異をとなえます。
2015年05月14日
コメント(0)

「思考と直覚」青年ヘーゲル派フォイエルバッハの二(百二十五) ヘーゲルの哲学から出発し、のちにはヘーゲルの観念論を捨てて決別、唯物論的な立場から、特に当時のキリスト教に対して激しい批判を行ったフォイエルバッハは「神学の秘密は人間学であり、神学の本質の秘密は人間の本質である」とまで断言します。但し、此の主張には唯物論者からはフォイエルバッハは、人間の本質を自然主義化して、社会の歴史発展の枠外で固定するするきらいがあり、神学の批判を政治への批判にまで及ぼすことが出来なかったと非難いています。人間社会の歴史を唯物論的に理解することが徹底されなかったとまで言わしめます。其のわけはフォイエルバッハの理論的根拠がヘーゲルの観念論のみならず弁証法まで投げ捨てて、社会的現実を世界として受け止めると同時に、其の環境に働きがけて能動的に変化させる主体革命実践の行為主体とは成り得ることが出来ず、人間は環境の産物であるというエルヴェシウス(Claude-Adrien Helvetius/1715年-1771年)フランスの徴税請負人を務めヴォルテールなどの手ほどきを得たこともあるが、関心は哲学に移り、1758年には「精神論 De l'esprit」を公刊、魂は肉体の一部であるとして、肉体の死による霊魂の消滅を主張、高等法院によって焚書に指定された人物の影響下にとどまり、人間の本質を魂の不滅を否定し個人的欲望と公共福祉の調和させる道徳論を主張している範囲にあって、唯物論者からは実践的に観念論に陥っているとして批判されます。此処に唯物主観を風潮とした現代21世紀の外感覚中心主義、物理的世界観を基底にした人間の精神を卑小化する傾向が生じます。狂信主義も極端になれば人間を危うくしますが、極端な物質至上主義も人間精神其のものを卑小化してしまいます。現代人は東亜細亜大陸の「中庸思想」を再発見することも自己の認識論理に加味することが必要でしょう。
2015年05月13日
コメント(0)

「思考と直覚」青年ヘーゲル派フォイエルバッハの一(百二十四) 青年ヘーゲル派の基督教批判は、ヘーゲル批判の先鋒ダーフィト・フリードリヒ・シュトラウスが1835年出版の著書「イエスの生涯」で述べ、其れを要略すると、キリストは「イエスという個人」によってではなく、人類全体が神の子であり救世主になることを実現することによって、真のキリスト教のあり方であり、其の真意を理解できると説いたのに始まり、その基督教批判の完成は青年ヘーゲル派の代表的な存在であるルートヴィヒ・アンドレアス・フォイエルバッハ(Ludwig Andreas Feuerbach/1804年-1872年)の1841年の著書「キリスト教の本質」で完成されます。彼はヘーゲルの哲学から出発し、のちにはヘーゲルの観念論を捨てて決別、唯物論的な立場から、特に当時のキリスト教に対して激しい批判を行います。唯物観を抱く後世の論者からは甚く支持される其の説くところは、人間を理性の持ち主としてばかりでなく、「感性」大別して,即ち認知的と情動的感受性の二つです。感性知覚に基づくものと,情動的感受性、色彩,形や音の特性、匂いや香りについての感覚を豊かにしてくれる感覚性で、より全体的なものであり,快楽や苦痛の感情を受けいれる能力あるいは状態のことでこの場合には感情性とも呼ばれるものを人間に捉えることを要求します。其処には神の観念は入り込める筈もなく、神の観念は地上の人間の惨めさの鏡面であり其れを天上に反映させたものに他ならず、人間の創造乃至は想像の幻影だとします。
2015年05月12日
コメント(0)

「思考と直覚」青年ヘーゲル派シュトラウス(百二十三) 青年ヘーゲル派のヘーゲル批判の先鋒はダーフィト・フリードリヒ・シュトラウス(David Friedrich Strauß/1807年-1874年)の。汎神論的な見地からの聖書批判を試みた主著「イエスの生涯」は、当時の神学者を震撼させたほか、ヘーゲル学派の分裂や現代の神学のあり方等多方面に影響を及ぼします。幼少時から神学に親しみフリードリッヒ・シュライエルマッハーの哲学に惹かれ、1830年には聖職者のアシスタントになり、ついでマウルブロンの中等教育機関でヘブライ語とラテン語・歴史の教職の資格を得、更には翌年には、師ともいえるシュライエルマッハーとヘーゲル哲学を聞くためにベルリンへ到着した時には、ヘーゲル本人が死去したため。1811年にベルリン大学教授、初代神学部長に就任したシュライエルマッハーの哲学を聴講することとなります。そして若干とは言えないにしても27歳にして、センセーションを起こした大著「イエスの生涯」を著します。神学者はいわばユダの裏切りのような、我々にとって一番有害な本だという酷評するように、シュトラウスはこの著でキリスト教的な歴史主義を批判し、ヘーゲルの歴史哲学を発展させ、更には福音書の中における奇跡を否定し、これを「神話」として捉えて虚妄であるとしてその史実性を否定します。またキリストは「イエスという個人」によってではなく、人類全体によって実現することによって、真のキリスト教のあり方を理解できると説いています。その後、この著に対する批判を応えるためにいくつかの答弁書を出し、神学者たちの不満を一応は抑えたかに見えたのですが、2年後の「キリスト教の教説」を記した後、20年間の神学の論壇からは離れる憂き目に合います。「イエスの生涯」に対する批判のため、生涯において大学の教職に就くことはできず、著述家として過ごすに留まったのは教会権威が未だ劣らずということでしょう。後年は無神論者とまでは至らないまでも、進化論に立脚した汎神論的な思想を展開し、実存主義の哲学にも間接的に影響を与えニーチェやシュヴァイツァーの思想に其の影響が見られます。自由主義神学のリベラル派の祖とされ、「近代神学の父」とも評されが、またロマン主義の神学者としても著名です。自著「宗教論」においての宗教の本質は知識や行為ではなく、「直観と感情」であるとした。感情を中核にした信仰概念の把握をとくとともに、近代聖書解釈学を代表する人物です。「思考と直覚」的には参考にはなるものの「感情」を宗教の本質とするのはいただけません。根本的に宗教は人間感情とは一線を置く思考だと捉えるからです。「理法は神から始まり、宗教は人間から始まる」のが真理であり真相だということです。
2015年05月11日
コメント(0)

「思考と直覚」ヘーゲル学派の其々(百二十二) ドイツ観念論の大成者が弁証法を駆使して哲学的体系を構築したのは疑い得ないのですが、其の因は生前でのベルリン大学(近代の大学のモデルとされ、第二次大戦後、ドイツ民主共和国(東ドイツ)政府の管理下にフンボルト大学と改称)の講義が勇名を馳せたことにより、欧州に大きなヘーゲル学派が形成されたことによります。然し乍ら、此の大きな学派はヘーゲル没後には、彼の宗教哲学の解釈をめぐって右派と中間派と左派に分裂します。ヘーゲル学派右派とされた学派は一つには教会の伝統的信仰を擁護し、位階制を基礎とする封建的秩序を守ることを主旨とする些か反動的な哲学思考をもち正統的後継者としての思弁的・保守的立場をとり老ヘーゲル学派とも称されます。中間派と目されたのは、ヘーゲルの説く哲学を一語一句を道を外さないとする、仏教でいう上座部に当たるヘーゲル信仰集団ともいうべき存在です。更には左派と呼称される学派は青年ヘーゲル派と呼称されブルジョア急進主義の立場からドイツのブルジョアジーの思想のみならず構造改革を目指しヘーゲルを批判的に継承する唯物論的で急進的な立場から自らの思考を展開します。人間が「類」としては不死であるというヘーゲルの〈自然哲学〉の概念を通して妥協的であろうがなかろうか、ヘーゲルはまさに哲学の教育者的存在であり今なを影響を与えています。其の人間が「類」としては不死であるという思考は、ある意味で霊魂の再生を連想させ「直覚霊知」的にも興味惹かれるものがあります。
2015年05月10日
コメント(0)

「思考と直覚」ヘーゲルの理法世界観(百二十一) ヘーゲルは弁証法と科学的原理として成り立った運動法則を駆使して、この宇宙には始まりがあって、爆発のように膨張して現在のようになったとする説、ビッグバン (Big Bang)は当時には、ビッグバン理論或いはビッグバン仮説に基づいた科学的理論の基礎は無かったにせよ、宇宙は時間と空間の区別がつかない一種の「無」の状態から忽然と誕生したことを予感せしめます。この弁証法と科学的原理として成り立った運動法則に則って、この宇宙には始まりがあって、爆発のように膨張して現在のようになったとする説が考えられていなかったにせよ、宇宙開闢以前の計画から、此の一或いは複数の大宇宙・大自然の生成、人間精神の歴史をすべて思考で概ね捉えきっています。ヘーゲルの体系の中に、形而上及び形而下世界の全てが位置づけられているとまで言えます。シェリングやヘーゲルの青年期の燃える立志には、教会の神概念が失落しつつある時期に哲学的思考によって捉える神の創世記を書かねばならないという人間によっての「志向」があります。しかしカント、フィヒテ、シェリングは、思考によって捉えられ得た神は、神そのものではなく、すでに「考えられた神」であるという立場をとっています。そして知の限界の後、最後に神と結び合うために信仰や芸術が立ちあらわれて来て、これが彼らの哲学の主たる関心であったのですが、陳腐な解釈によっては、神は理解できないから考えなくてもいいような無神論が起こってもいたのです。然し乍ら、存在を唯物論或いは観念論的に捉えるとするならば、神は大乗の説くところの「有」其のものであるのですが、誰にとってでもない単なる「有」という存在有は、実は誰にとっても「無」に等しいとも言えます。此の「有」と「無」という矛盾によって、両者は消滅するのではなく、互いが互いを否定しあって全体は「成」即ちになり「一なる有」として「合・変化」に至るとするのがヘーゲルの弁証法です。此の「一なる有」を考察する思考方法は「大乗の空観」の思考過程に相似します。但し龍樹の理論によれば其れは「空」であり「中」では在るにしても、「有」と「無」の対立を包含した「一有」とは呼称されてはいません。
2015年05月09日
コメント(0)

「思考と直覚」観念論の完成者ヘーゲル(百二十) ドイツ観念論の完成者といえば弁証法の体系的叙述をなしとげやたゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル(Georg Wilhelm Friedrich Hegel/1770年-1831年)を、何はともあれ挙げねばならないでしょう。。優れ秀でた論理性が現代においての哲学研究をも含め、後世に多大な影響を与えています。観念論哲学及び弁証法的論理学における業績のみならず、近代国家の理論的基礎付けをした政治哲学における業績もあります。認識論、自然哲学、歴史哲学、美学、宗教哲学、哲学史研究に至るまで、哲学のあらゆる分野を網羅的に論じた其のことが、彼のベルリン大学の講義に全欧州の思想家が聴講に訪れるさせます。それ故に彼は近代哲学と現代哲学の分水嶺として位置づけられています。当初、彼は大衆哲学(popular philosophy)、学問的修練を積んでいない大衆にも理解されるように著述する動きを見せていましたが、其の真意は大衆哲学のやり方でカントの批判哲学を完成させたいと思っていたことによります。ヘーゲルはヘルダーリンやシェリングが関わった高度に神学的な議論には懐疑的な立場をとり、カント哲学の実践の試みよりもむしろ、その問題点の解決が重要であるとの認識に立ちます。ヘーゲルはこの弁証法という手近な方法を理法に適用し、弁証法を構成するものは、ある命題と、それと矛盾するもしくはそれを否定する反対の命題、そして、それらを本質的に統合した命題の3つであると定義します。その哲学体系を大きく分ければ「論理学」「自然哲学」「精神哲学」であり、論理学は遡及すれば当然に行き着く世界理法の創造、時空間創造以前の問題に向き合い其の体系創造存在に論理的解明を与えなければなりません。「自然哲学」とは宇宙開闢以来から人間精神に至るまでの三次元言い替えれば空間が複雑化する過程の体系であり、カント哲学では物自体して不完全で五里霧中であった世界の学問的思考化にあたるでしょう。精神哲学はヘーゲルの精神現象学にも取り上げられている通り、人間の素朴な精神からはじめて絶対知にいたる過程は、人間精神の鏡に映った先行する体系、即ち「絶対知(絶対精神)」の様体である範囲に於いての様態を構想します。個人の精神(エゴ)を離れ、人類を司る理法へと精神が登り詰め、直覚霊知的には神へと至る道が描かれています。
2015年05月08日
コメント(0)

「思考と直覚」カント後の思想・シェリング(百十九) ドイツ観念論のフィヒテに次いでフリードリヒ・ヴィルヘルム・ヨーゼフ・フォン・シェリング(Friedrich Wilhelm Joseph von Schelling/1775年-1854年)がプラトン、カント、フィヒテ、スピノザ、ゴットフリート・ライプニッツの影響、其のなかでもフィヒテの自我から出発する主観的観念論に注目し、其れに自然哲学を対置します。それは当時の西洋の高揚期を迎えつつあった電磁気学や化学及び生物学等の自然科学の成果と相俟って観念論的に解釈、無生の物質から有機的生命に、現代の科学判断であるエントロピー思考が無い時代にいたこともあり、全自然界を上昇的発展として捉えると解釈しています。また、シェリング哲学の新たな時期、無差別同一性 (Identität) を原理とし、絶対者の自己展開の叙述の学として遂行される哲学、いわゆる「同一哲学」をもってフィヒテの自我から出発する主観的観念論と自己の思考する存在と思考、物質と精神を絶対的同一だとし、自我哲学と自分の自然哲学の対立を統一する所存でした。ところが、シェリング哲学の同一哲学の端緒に分類される「超越論的観念論の体系」が、ます。フィヒテとシェリングの間に、重大な亀裂を生じせしめ、元来からフィヒテはシェリングの自然哲学への関心を好意的には受け止めていなかったので、此の自然哲学と超越論的哲学を併置する、自然を他我とみなし従って哲学の対象とは原理的にみなさないフィヒテは、シェリングの哲学理解に危惧を度々にわたって表明しています。晩年にはシェリングは神秘学的傾向を強め、「啓示の哲学」即ち、彼なりの「直覚霊知」を得たんかもしれません。「思考と直覚」の観念からは始めに物ありき的な哲学を標榜するフィヒテよりも主観的観念論を自然科学の発達に伴う自然哲学の展開を同調させる努力を試みるシェリングに惹かれます。元来的に哲学思考というものはありとあらゆる存在の根元を追求すべきだと考えるからです。そうした思考法でないと生命における人間の理性或いは其の深層に眠る霊魂を存在せしめる源が見えてこないからです。
2015年05月07日
コメント(0)

「思考と直覚」カント後の思想・フィヒテ(百十八) ドイツ哲学の境目の輝きカントに次いで、そのドイツの寒村ランメナウの農家の息子として生まれ、貧困のために修学さえ不可能事で、近くの教会で行われた説教や親族に聞かされたゲルマン神話などを糧に少年時代をすごす。教会で聞いた説教は、すべてほぼ完璧に覚えていたため、たまたま教会で説教を聴きそこなった、貴族ミリティツ侯にそれを聞かしたところ、侯から学資の援助をしてもらえることになったという逸話を持つヨハン・ゴットリープ・フィヒテ(Johann Gottlieb Fichte/1762年-1814年)が先行のイマヌエル・カントの哲学に大きく影響を受け、フリードリヒ・シェリングや後のゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲルに影響を与えるが、後にニーチェやランケも通うことになるイツの名門校プフォルタ学院に進学するもののミリティツ侯が死亡し学資がストップ、自殺を決心するほど貧困に苦しんだが友人の紹介でスイスにおいて家庭教師の職を得、そこで、カント哲学を教材として扱い、カントの哲学に興味を覚え、1791年に70歳近くになったカントのいるケーニヒスベルク訪ね、そこでの体験を引き金に、カントの実践理性批判を元に宗教概念を論じた処女作「あらゆる啓示批判の試み(Versuch einer Kritik aller Offenbarung)」 をカントの仲介で出版。一躍著名に名を連ねます。ところが、フィヒテはカントの其の哲学を、自らの信念である観念論を徹底化するという立場から、カントの哲学に要素として含有する唯物的な「物自体」即ち、感官を触発して表象を生じさせることによって、われわれに現れた限りでの対象(現象)の認識を得させる起源とはなるが、それ自体は不可知である現象の背後にある真実在、現象の背後に仮定せざるをえない思惟の要請であるとした客観性の承認を観念論的には不十分なものと見做し、現象の背後に仮定せざるをえない思惟(しい・しゆい)の要請、思考を含みつつ感情なども包括した心の働きを自我の所産であるとする主観的観念論を「知識学」と名付け、理性の目的、理想の実現をもって一切の現実的なものを目的論的に倫理的観念論を展開します。然し乍ら、余りにも観念の主体を人間精神に負わすために、始めに外物ありきの観に違和感を持ちます。人間の精神の在処と其の根元を明確にはしていません。唯物論者に区分される傾向があるスピノザに、より観念的な倫理性を感ぜざるをえません。スピノザは人間の思考では届き得ない根源的存在を唯物論的に「神」と呼称しています。即ち、存在其のものを在らしめているのがスピノザの言わんとする「絶体有」です。当然に相対としての「絶体無」をも考えられますが、其処にはもはや言葉自体が存在しません。「有」は「有」であり、「無」は「無」であり続けるのは観念的には当然ですが、21世紀の科学は「無」からの物質存在の誕生を仄めかしています。其処で問題化するのは今までに通俗的に考えられていた「無」の再定義です。
2015年05月06日
コメント(0)

「思考と直覚」革命啓蒙後の思想とその概要(百十七) 「大陸合理論」理性の絶対性を主張し,理想によって得られた明晰判明な観念のみが真理とされ、経験論が重視する感覚的経験は人間の正しい認識を阻害する要因にすぎないとみなし、理性によって論理的に展開される数学を学問の模範としたフランスのデカルトにはじまり,マールブランシュからスピノザを経てライプニッツに継る系統、大陸合理論が理性の働きを重視し,その絶対性を重んじたのに対し,感覚的経験の意義を強調するフランシス・ベーコンによってはじめられ,ホップズそしてロックからバークレーを経てヒュームヘと受け継がれたイギリス経験論が近世前期の西洋哲学の流れ、其の後継に思想史上の境い目として現れたのが、一般には哲学史家が両者を統合した立ち位置を賦与されるイマヌエル・カント(Immanuel Kant/1724年-1804年)です。カントが特異なのは、ソクラテス以来の真善美の問題を原理から全て立て直し、カントなりの深い洞察による解答を示したところにあります。興味を惹かれるのはカント曰くの3つの要請「自由:欲求に流されずに何がよいかを判断し、行うための条件。魂の不死:肉体の死によって完全な道徳へと進むことが妨げられてはならない。神:道徳世界を作り上げている原因です。ただし、カントはこれらはあくまで要請であり、現実世界に実在するとするのは人間の誤謬と捉えています。此処に彼の哲学が道徳的には観念論、魂の不死及び神については物質的で外感覚的な現実優先の唯物主観が表れています。カントは観念論と唯物論を「統合」したのではなく「総合」したのだとも言えます、歴史にもしもはないにしても、其の人生に実践した理性生活をもって「瞑想三昧」を実践したとするならば、彼なら「直覚知」を得たことを確信します。
2015年05月04日
コメント(0)

「思考と直覚」革命啓蒙の結果(百十六) 近世前期の西洋哲学と云えば、思想史上の統合化をなした人物カント、「大陸合理論」おもに大陸諸国で発達した哲学で、理性の絶対性を主張し,理想によって得られた明晰判明な観念のみが真理とされる。経験論が重視する感覚的経験は人間の正しい認識を阻害する要因にすぎないとみなす点に特徴があり,理性によって論理的に展開される数学を学問の模範としたフランスのデカルトにはじまり,マールブランシュからスピノザを経てライプニッツに継る系統と、大陸合理論が理性の働きを重視し,その絶対性を重んじたのに対し,感覚的経験の意義を強調するフランシス・ベーコンによってはじめられ,ホップズそしてロックからバークレーを経てヒュームヘと受け継がれたイギリス経験論が近世前期の西洋哲学の流れの総合化です。しかし何といっても18世紀のドイツ哲学で其の伝統を形成していたのは、近代合理思想の持ち主でありながら神学世界観を持つライプニッツであり、アカデミックな思想の中心はライプニッツに学ぶことにありました。因果関係は見かけにすぎない。宇宙において一切は生命的な働きによって充たされており,物質のどのような微細な部分にも「生命」があるとするのは、インド大陸の仏祖シッダールタの哲学を連想させますが、此のことは人間が世界理法の真髄を求めるのは形而上学を突き詰めていく思考方法と、瞑想による人間本性からの覚りに何らかの共通点があるやもしれません。ライプニッツ云うところの理法としての「生命」を空観の「空」と置き換えれば「思考と直覚」が自己の内精神の働き「直覚霊知」に従って捉えんとする「無明の光」が見えてくることを説いているように「思考と直覚」は囁きます。
2015年05月04日
コメント(0)

「思考と直覚」革命余波の下からの啓蒙(百十四) フランス革命の余波を受けて、ドイツでは啓蒙時代の初期のような一部の特権知識階級だけではなく一介の小さな町の聖職者の息子に過ぎない下からの啓蒙思想家、詩人であり劇作家、思想家や批評家としても名を成したドイツ啓蒙思想の代表的な人物、フランス古典主義からの解放を目指し、ドイツ文学のその後のあり方を決めた人物とされるゴットホルト・エフライム・レッシング(Gotthold Ephraim Lessing, 1729年-1781年)が現れます。彼は「賢者ナータン」や「人類の教育」において、個々の宗教の教義を超越し、普遍の地平に到達すべきであるというスピノザの思想に賛同し、其の影響はゲーテやシラー、カント、ヤコービ、ハーマン、ヘルダー、メンデルスゾーン(哲学家)など当時のドイツ文学・思想の骨格としての存在感を見せます。其のことを起因として晩年の「自分はスピノザ主義者かもしれない」と述べたことに端を発する。厳密に言えば、ゲーテの「プロメテウス」の詩をヤコービとの対談の中で、「これは私の立場と同じです」と述べたことを起点として彼の死後「神即自然」(deus sive natura)という思想を支持するか否かの所謂「スピノザ論争」が起こります。当時のキリスト教から無神論のレッテルを貼られ、主著「エチカ(Ethica)」は発表どころか出版することさえ、命の危険を伴い長い間人々の目に触れることはなかった背景があります。そして、長らく「スピノザ的」という表現をした場合、それは無神論であり、一種の教会権威からはタブーとされていたのです。これら事情により、永らくスピノザの哲学は西洋では忘れられていたというより触れることが禁忌でした。したがって、当時のドイツにおいてのスピノザ研究の水準はかなり低く、ほとんど知られていなかったのです。また、研究するにしても無神論と危険視されていたため、権威に対する果敢な勇気を必要とされました。其のなかでも、ゲーテやカントは「果敢」に挑もうとした人物であるといえます。何れにしてもスピノザの思考方法の骨格である「エチカ」に象徴的な「定義から始まり公理から定理」に進む数学的な考察方法は現代にも生きています。「直覚霊知」を得んがためにも、只、漠然と瞑想に入るのと「定義から始まり公理から定理」に進む思考を辿ったのちに、我執を離れた境地を目指すことは有意義な筈です。
2015年05月03日
コメント(0)

「思考と直覚」革命以降のドイツの啓蒙家(百十三) 西洋とりわけ欧州の哲学思想は、フランス革命(仏: Révolution française, 英: French Revolution)を一つの時代区分として、顕著な差異が見られ思考的にも違いが現れます。一部の特権的な啓蒙思想が革命後は一般化し、絶対専制主義との対決を多国化していきます。なかでも三十年戦争による荒廃を克服しようとしたフリードリッヒ大王を頭に置くプロシアでは経済的後進性を克服せんがため啓蒙思想を富国強兵の手段として積極的に取り入れドイツを導こうとします。特異なのはドイツは仏蘭西とは違い、啓蒙思想が神権や王権の権威に対しての鋭い批判的精神、革命的な要素は含んでいないということです。後世マルクスを生むドイツは18世紀から19世紀にかけては、観念論が主流であり其の思考には政治的革命とは無縁な思想革命を展開します。其れはギリシャ以来の形而上学の霊魂観を一段踏み越える思想であり、信教上の思考方法とは場を別にした立ち位置にあります。スピノザは当時のドイツでは高い評価を受けてはいますが、観念論というより唯物論として仕分けする向きもありますが、「エチカ」の神の定義から読み取れば観念論と読み取ったほうが理解し易いでしょう。何れにしても革命以降の西洋思想の主流は信教上の思想には批判的ででしたが独逸にあっては比較的寛容に捉えられています。ただし、存在の理法に人格性を付与したり神格を否定していることには疑いをさしはさめないところです。唯物論者からみればスピノザを唯物主観と決めつけ、観念論者からみれば神秘学論を哲学に高めた人物、教会からは信教を冒涜する異端者として扱われますが、何れの立場に立つにせよスピノザの「存在」其のものを追求する姿勢は狂信或いは盲信者を除いて結論にに異論はあろうとも思考方法には肯んずべきものがある筈です。かく言う「直覚霊知」は瞑想の基本としてスピノザの此の思考を尊重しています。
2015年05月02日
コメント(0)

「思考と直覚」啓蒙期に見る理神論(百十二) 啓蒙期に見る唯物論者エルバンシスとドルバックとの同時代では後世に誉高き啓蒙思想家ジャン=ジャック・ルソー(Jean-Jacques Rousseau/1712年-1778年)をここで取り上げないにはいきません。彼の名声を高めた彼は唯物論者からみれば、、絶対主義的な封建体制を攻撃し、私有財産制度を不平等の源泉であるとするもプチブロジョアジーの代表と見做されています。現代にいういわゆるプチブロとはマルクス主観からみて支配階級にも肉体的労働者階級にも属さない、僅かな生産手段を私有する者を指し、自作農や商店主の他、知識を切り売りする弁護士や医師などの専門家、才能を切り売りする芸術家や俳優等を「小市民」と呼称したものです。其の思想傾向もマルクス主観からみれば「日和見主義」と見做され侮蔑の意をもたされた差別用語ですから私有財産制度を不平等の源泉であるとするルソーの其の洞察は受け入れても其の深い思考を全面的には賛同していませんでした。さて「思考と直覚」的に注視したいのが彼のアリストテレス以来の「霊魂観」ですが、彼の著「エミール」のなかで「サヴォワ助任司祭の告白」の発言を借りて、人格神を否定し、理神論を説いています。理神論とは神が物理法則のみを作って、この自然は神の手が加わっていない状態で、ルソーは「万物に秩序を与えてくれる存在者云々を神と呼ぶ」としています。此れにはジョン・ロックの影響及び交遊があったヴォルテールのあり、キリスト教の布教に懐疑的な見方をしています。其れ故ルソーは観念を一般化して、最初の原因にさかのぼることかできるようになり、存在するものの体系ぜんたいを唯一の観念にまとめて、結局のところもっと大きな抽象である「存在」という言葉に「神」の語を用います。此の存在は一種の「ルール」でありアニミズム(animism)生物・無機物を問わず全てのものの中に霊魂、もしくは霊が宿っているという考え方から始まり、しだいに観念を一般化して、最初の原因に遡及すれば、大きな抽象である「存在」即ち世界の設計図を描く以前のルール即ちエキスに辿る、それ故に「神」とは「源流」であっても世界創造には意思的には関与しないものとします。例えば人間の愛は人間が存在のなかから育んできたものであり「存在」から人間に愛を注ぐなどはありえないこと、ただ人間が神の様態の延長としての其の喜びに包まれると考察していると解釈します。ルソーの霊魂観はアリストテレスのみならずシッダルタの霊魂観にも一脈通じます。
2015年05月01日
コメント(0)
全31件 (31件中 1-31件目)
1