全30件 (30件中 1-30件目)
1

「思考と直覚」人間存在を思考/ソクラテス-2(百七十二) 奇人の人ソクラテスを解き明かすのに19世紀での文献として信が置くことが出来得るものといえば、凡そ紀元前440-385年頃に生存していたアリストパネスの著作「雲」、ソクラテスを戯画化した喜劇ではあるが反面教師として、ソクラテスの一面を垣間見ることは出来ます。紀元前427-347年のソクラテスの弟子プラトンは、丁度、龍樹が釈尊の口を借りて自らの哲学を開示したように、プラトンは自身の著作に登場する師ソクラテス、偽経として最高の哲学「大乗」開祖ぼ龍樹と同様で、ソクラテスの思想を自らの弁に換えて哲学思考の経路を示しています。龍樹に対する正覚者としてのシッダールタの扱いとに違いはありません。云わば、自らの思想を語らんがために創造、乃至、仮象化され理想化された偽物であり借り物です。此れに比して、釈尊に対しては提婆達多(Devadatt)は教団の本質・本願の乱れの危惧を記し、ソクラテスにおいては数ある弟子の中のクセポノン、職業軍人であり現実主意者としてのソクラテス観、自らの哲学を左程持たなかったゆえに、彼こそがソクラテスの実在像を捉えていると多くの人は評価しています。
2015年06月30日
コメント(0)

「思考と直覚」人間存在を思考/ソクラテス-1(百七十一) 釈迦・孔子・基督と並び「世界の四聖」の一に数えられる古代ギリシャの哲学者.祖国のために生涯に三度従軍したほか,カレイポンによって齎されたアポロンの神託に基づいて、市井に人々と問答し吟味しつづけた、其れを彼は母の職業をもじって産婆術とも称していあたソクラテス(Sokrates/紀元前470或いは469-399年)ですが、他の英聖が共に宗教味を帯びているのに対して、ソクラテスのみが奇特にも宗教人扱いされない人物となっています。ところが、西欧においてもソクラテスだけが外の諸々の哲人とは別扱いを受けていることも否定出来ません。何故なら、プラトンの国家論の記述通り、彼の素業は奇行に満ちており、哲人としては他の三聖「釈迦・孔子・基督」同様に一つの著物も残さなかったからです。彼は「対話の人」であり、何よりもなお、同国人の冤罪、「国家の信奉する神々を信奉せず、別の新奇な神霊を信奉し,かつ青年たちを腐敗させる」かどで告発され、告発を逃げる機会があったにも拘らず、死刑の判決を「悪法も法なり」と自らの信念を貫き潔く刑に伏す意志の人間であったことが「世界の四聖」の一に数えられることになります。彼の伝記には真偽混混ですが、現代21世紀では其の様相も比較的明晰に分析される事となりました。
2015年06月29日
コメント(0)

「思考と直覚」人間存在を思考/序文(百七十) 現代の哲学は内精神の哲学思考を持たず、人間関係における社会学的な面及び物質と人間関係における客観的側面を考察する外観覚及び外感覚更には外物質環境が資本主義経済並びに共産主義政体が現れることにより哲学の主要課題となり、人間本来の内精神の探求と其の本質と本源、生と死の意味合いは疎かにされ、哲学は科学化され全ての思考の頂点から引きずり降ろされ、もはや本元的に要請される哲学は死んだと言っても過言ではない時代に我々は生を得ています。現代哲学は人間の霊性は無視すること並びに宗教を別問題とすることにより、人間が如何に生きるべきか、如何に死すべきか、亦、其のことの苦衷ありとすれば、其の源を明解に示す答えはギリシァ哲学の唯物論ではなく形而上哲学に行き着きます。何故なら釈迦やソクラテスには宗教を別問題としていても人間の持つ霊魂の覚醒を期待しているからです。釈迦は「佛」かといえば当然に印度六仏の一人であることは事実ですが、其の全ては生存していた人間で在り現代に云う瞑想家の中で覚りを得た物を言います。即ち、現代的な意味での「神・仏」の意味合いを「佛」の字句からみても人間存在から離れたものでは有りません。釈迦やソクラテスは人間の存在の意味合いや其の根元を探求する求道者であったわけなのです。其れ故に現代人で宗教に慮りのある人間は偉大な先達を学ぶべきなのです。
2015年06月28日
コメント(0)

「思考と直覚」日本の哲学思考(百六十九) 日本の哲学は西田哲学の名のもとに登場し、哲学という独自の思想体系を日本に齎したのも束の間、第一次世界大戦は兎も角も第二次世界大戦(太平洋戦争)では神性社会の名のもとに哲学はもとより宗教並びにマルクス主義を根底とする政治思想は国体反逆として皇統保持、天皇が国を統治することを主旨とした思想弾圧のなかで、西田幾多郎の門下生マルクス的形態を模索していた三木が、続いて戸坂が共に獄中で病死します。但し、其処には政治屋による日本の政体革命思想の根元があり、世界的圧力から窮地に陥っていた日本としては無理なきしもの非ずの感もあります。マルクス主観が政治色を帯びて以来、講談哲学が要注意されることは、安保闘争の指導的役割を自ら任じた思想家を観想すれば危険なこと累卵の危うきであることは想像にかたくありません。然し乍ら、日本の哲学は思想弾圧を経て、三つの学派が生き残ります。第一はドイツ観念論に属する学派、第二は第二次世界大戦に流入するアメリカのプラグマティズム、第三は極めて政治化し易い唯物論、中でもマルクス主義思想でしょう。結果、マルクス主義が日本の土壌に外観覚及び物質主義だけに捕らわせた一面は、唯物論の立場に立つ講談哲学の思考そのものが影響しているのかもしれません。哲学は本来的にはニンゲンの内心の尊さ及び高遠な精神の根拠を明らかにし、其の保持する霊性を顕にするのを本源と確信するからです。宗教的神秘主義であれ唯物的精神論であれ人間が創造若しくは想像するものでは無く本体的「有」としての存在を顕しめることが哲学の主題である筈です。思考的には西洋からは虚無主義と罵倒される「偽経」大乗仏教の創始者「ナーガールジュナ」は其の具現者でしょう。
2015年06月27日
コメント(0)

「思考と直覚」西田幾多郎の門下生(百六十八) 第一高等学校は、現在の東京大学教養学部及び千葉大学医学部や其の薬学部の前身となった旧制高等学校である旧制一高とも呼ばれる一高在籍時に、西田幾多郎の「善の研究」に強い感銘を受け、京大で哲学を学ぶことを決心する人間が輩出します。当時は一高を出れば東京帝国大学のコースを敢えて京大に進むことは極めて異例でした。ところが、三木清を始めとして、其の後には、戸坂潤や西谷啓治、梯明秀など多くの俊英がこの同じコースを辿ることとなります。三木清はマルクス主義思想を単に社会観として受け入れられていたのを哲学として理解するという三木の思考は当時の日本の思想界に大きな反響を呼びます。彼は西田幾多郎の「行為的直観」を「心の技術」にとどまるものとして観想的立場に陥る危険性を有していることを指摘しています。このことから三木がこの『構想力の論理』において西田哲学の唯物論化、乗り越えを試みていたと推測できるかもしれません。人間学としてののマルクス的形態を模索していたとも言えます。その三木の後輩に当たる戸坂潤は三木によって唯物論への目を開かれた後に、「京都学派」という呼称を最初に与え、「無の論理」は論理であるか等の西田への批判論文をも著述し、唯物論の原理的な解明に努めその普及に努めています。しかし、幸いかな幾太郎は、和20年の8月にに三木が、続いて9月に戸坂が共に獄中で病死、知らずに昭和20年の6月に天寿を全うしています。此の状況が、当時には哲学は死んだと嘆かせ義思想を哲学として至上とする人間には、ニーチェではないけれど「マルクス主義哲学、ニーチェでは神」は死んだと嘆かせます。然し乍ら、偉大な禅導師である道元の修道法を敢えて実践し、其の結果を思索すれば哲学は死んだと嘆くことはなかった筈です。
2015年06月26日
コメント(0)

「思考と直覚」西田幾多郎の親友(百六十七) 臨済宗国泰寺派の大本山雪門禅師に鈴木大拙に次いでの参禅したといわれる鈴木大拙は日本を代表する宗教思想家です。西田幾多郎と同じ年(1870年:明治3年)に郷里も同じ石川県で生を得、金沢の第四高等中学校予科では同級生として学門を通りぬけ、二人は奇しくも哲学と宗教の違いはあれども其の後の人生を共有します。加賀百万石は蓮如上人の一向宗をみても歴史的に宗教性の高い精神風土を持ちます。越前永平寺があって、禅も盛んです。このような精神風土の中で西田も鈴木も若い頃から、自然によく参禅したのも当然かもしれません。まして明治初期、第四高等中学ができたばかりの頃に若き西田と鈴木が編入学し机を並べて切磋琢磨する。二人は共に若き頃より肉親の死に立ち会います。近親者の死を体験した人は大きな喪失感があらかた3年は悲しみの中に陥いりまる。暫くは誰もがうつ状態の中になり、時には江藤淳のように、立ち直る事ができずに自死する者も現れるのは特異ではありません。喪失体験から立ち直るには、悲しみを、例えば言語化する事によって、身体から切り離し「思い出」化していくような作業が必要になります。である。天才であればそれが優れた芸術作品にもなり、人生を飛躍化させることもあります。深淵なる悲しみから人生の無常を悟り、詩人、求道者、哲学者、宗教家になっていく天才人もいます。道元は8歳の時に母を亡くし、世の無常を感じ14歳で出家し、偉大な禅導師となりました。西田幾多郎の最初の肉親との死別体験は1883年の次姉である尚のチフスによる病死でした。当時13歳だった幾多郎は4歳年上の聡明な姉の死に大きな衝撃を受け。「余が初めて骨肉の死を実験したのは、余が十三四歳の頃、余が姉の病死せし時であった。余はこの時初めて人間の死がいかに悲しきものなるかを知り、人なき所に至りて独り涙を垂れ幼き心にも、もし余が姉に代わりて死し得るものならばと心から思ったこともあった。今度余の弟の死は余をして、また当時の感を新たにせしめたのである。」と言わしめます。片や、鈴木大拙も6歳の折に父良準が54歳で亡くなる。その2年後に次兄・利太郎が11歳で早世、大拙の母の増はこの二人の死に強い精神的衝撃を受け深い悲嘆の中に陥ります。その癒しを求めて鈴木大拙は、様々な宗教的行動を取るようになり、自然大拙も母の行動に感化されていったことは当然です。「深く己の無力なるを知り、己を棄てて絶大の力に帰依する時、後悔の念は転じて懺悔の念となり心は重荷を卸した如く、自ら救い、また死者に詫びることができる」「人生の悲哀という事実を見つめて行く時、我々に宗教の問題が起こってくる。」その悲嘆体験が西田幾多郎の「善の研究」の完成に繋がっているとみます。要するに金沢の歴史的宗教風土の中で西田と鈴木は共に肉親の死による深い悲しみの中で、幾多郎は哲学を大拙は禅を究めていくことで、超克していったといえます。世の「無常」を感じ其れを哲学思考として極めていくかは、宗教的神秘主義を抱くかはここのないの奥底に眠る霊魂の覚醒の仕様で決まります。
2015年06月25日
コメント(0)

「至極の女性」世紀末のヴィーナス 史上最も有名な理想の美女と聞けば、選り好みの強い異性である男性を除けば、其のスタイリングとフェイスではミロのヴィーナスを女性は理想像としているのは粗方疑いを得ません。其の欠けた部分、両腕を失いながらも欠けた部分が神秘性を増し、さまざまな芸術家や科学者が欠けた部分を補った姿を復元しようと試みているが、現在のところ、定説と呼べるほど成功してはいませんが、トロイア戦争の際のアテーナーとヘーラーを出し抜いてパリスから得た黄金の林檎を左手にしていると言われています。ミロのヴィーナス像を同性が理想像として思い浮かべるのは、男性が青春の像ピエタと並ぶミケランジェロの代表作であるばかりでなく、ルネサンス期を通じて最も卓越した作品ダビデ像に相似しているとは言えないまでも、此方は両性共の理想像かもしれません。ところが、二十世紀にミロのヴィーナスのスタイルの長身及頭身更には人間並みの縮小型されるにしても其の知的風貌を共に携えた女性、「エンターテインメント史上、もっとも国際的なスター、5カ国語をあやつって舞台、映画、テレビで活躍し、3つのアカデミー賞など数多くの賞に輝いたイングリッド・バーグマン(Ingrid Bergman/1915-1982)が、ヨーロッパとアメリカで活躍し、67歳の誕生日に当たる1982年8月29日まで、長きにわたる乳がんとの闘病生活までも演技を続け其の風貌の翳りが正に知的であり美貌に深みを加えています。映画評論家ジェームズ・エイジーはバーグマンが「およそ人が想像しえる理想的な女性というだけでなく、彼女は演技というものを根本から理解していた。詩的な優雅さと徹底的な現実主義とを両立させた女優である」と語らせ、知的女性の美の象徴(Symbol)として歴史に名を残しています。人気ブログランキングへ
2015年06月24日
コメント(0)

「思考と直覚」西田幾多郎の人物像(百六十六) 廃藩置県後の現在の石川県宇ノ気町に生を得、初中校を経て、のちに金沢の第四高等学校となる高等中学を経て目を病み中途退学する破目に、その後、東京帝国大学文科大学哲学選科にて学ぶも、生家の没落及び家庭的な事情の不幸,自らの素志の挫折等々が西田幾多郎の青春を弄びます。目を病み中途退学した金沢の第四高等学校に職を得て再起し,西洋哲学の研究に努めるとともに臨済宗国泰寺派の大本山雪門禅師に鈴木大拙に次いでの参禅、座禅に専念し号「寸心」を得ます。学習院教授等を経て1910年(明治43)に京都帝国大学に招聘されて京都帝国大学文科大学助教授となります。1913年(明治45)には教授となり退官した後に近代日本の最初の独創的哲学としてあたためていた「善の研究」を刊行します。西欧的思惟と自身の禅体験を「純粋経験」によって融合させた本書、幾多郎の言う主客未分の状態における直接的な経験としての「純粋経験」、西洋的にはこの純粋意識としての体験を基礎に置く哲学には、マッハおよびアベナリウスの経験批判論、ジェームズの根本的経験論、ベルクソンの純粋持続の哲学など実証主義から形而上学までその立場に違いはあるものの「哲学の思考方法」は共通する基本的立場です。此の立ち位置は新カント派などにみられる主知主義的傾向およびデカルト以来の物心二元論に対する根本的な批判の姿勢を有すること、純粋経験をもっとも基本的な実在としてとらえ、唯物主観とは一線を画し合い入れません。世界理法と自己の内精神の深層に眠る霊的実体とが一体化し合一した意識状態を西田幾多郎は「偽我を殺し尽して一たび此世の慾より死して後蘇る」と表現しています。西洋の論理を追求しながら,根底に東洋の思考,日本人の心性を踏まえた思考方法であり禅道とはいえ宗教的な盲信を排除していることに特段の価値を持ちます。
2015年06月23日
コメント(0)

「思考と直覚」日本哲学の創始者(百六十五) 帝政日本の西田哲学の名のもとに西田幾多郎が登場するまでは、日本には哲学という独自の思想体系をは育たず、学問は言うに及ばず中国および朝鮮半島を経由した思想も文化形式として諸外国に語られることはあっても、所謂、思想体系として紹介されることは稀でした。其れも当然に然りです。人文及び自然理法を追求する科学としての「哲学」は、西洋中心の学問分野であり、西洋的にはギリシャ、ローマの哲学を基本とし、キリスト教文化の中で培われた「哲学」は西洋中心の価値観を正当化し、他の文化圏の価値観を評価しませんでした。此の西洋中心の価値観に対し、「日本にも哲学がある」ことを示したのが西田幾多郎です。西田幾多郎の思想の根底に見い出されるのが「禅道」だからです。幾多郎が禅の根幹にカントの認識構造は感性、悟性、理性からなる三大批判書「純粋理性批判」「実践理性批判」「判断力批判」を熟読し、あらゆる価値判断を排した直接的な経験、西田が主著の「善の研究」で繰り返し用いている「純粋経験」を唱えます。此のことが世界に「禅道」の思考方法と其の思想経験及び目的の価値を知らしめることになります。
2015年06月22日
コメント(0)

「思考と直覚」西田哲学とマルクス主観(百六十四) 第二次大戦前の帝政日本では西田哲学の名のもとに西田幾多郎博士[にしだ きたろう/1870年5月19日(明治3年4月19日- 1945年(昭和20年)6月7日)]の思想がインテリゲーンツィア(ntelligentsia)、元々ロシア語から派生した言葉で、大衆(民衆)の対比語でありマルクス主観からは否定的表現ですが、其の知識階級の立場にある個人や知識人に大きな影響力を与えます。英語のインテリジェンス(intelligence)の略語でもインテリの場合は、知識階層としての意味は持たず、個もしくはシステムが知的であることを指すので知識階層の意味を持ってはおらず、同じ略語のインテリが屡々誤用されていますが、其のインテリジェンスに、彼の「時間と自由」の著で有名なベルグソンとドイツ観念論の哲学者フィヒテの影響のもとに、東洋の宗教的神秘主義と西欧の哲学思想を結びつけ、「絶対矛盾的自己同一」一部で呼称される「絶対無の自己同一」を言語表現通りに抜き出して捉えると大きな誤謬に陥ります。西田哲学の云わんとする処は、過去は未来を限定するが、その限定は絶対無の場所の自己限定である。同様にこの様な未来は過去を限定するが、その限定は絶対無の場所の自己限定である。かくて過去と未来の相互限定とは絶対無の場所の働きであり、絶対無の場所の自己限定といいうるに尽くされています。西田の哲学においては対立は解消せず、その対立が実は一体であることを実感することによって人は悟りの境地に至ります。たとえば天と人とは対立物ですが、ヘーゲルの弁証法のようにいくら人間が天に近づこうと思っても道は遠ざかるばかりです。ところが「我はすなわち天なり。天すなわち我なり。」と悟った瞬間、世界観が一転するわけです。この境地が日本人が禅において自得した「我は即ち宇宙なり」の心境に至ったのでしょう。西田はヘーゲルを読みはしましたが、専門研究家ではありません。彼が生涯、誰かの研究者であったことはなく、だからこそ彼は日本で唯一「自分で一から考え抜いた」直覚の人として世界に名を残さしめたのです。其処には存在の有無、大宇宙の制約即ち「理法」を取り込む或いは一体化するために「禅道三昧」に明け暮れたり、京都帝国大学文科大学教授時代には自宅から通学する、1972年(昭和47年)に地元住民が保存運動を進めるに際し相談した結果「哲学の道」と決まりその名前で親しまれるようになり。日本の道100選にも選ばれている散歩道である時間の思索に尽くされています。彼の思考方法には「無の境地」を哲学論理化した純粋経験論があり「霊魂の不滅」を考察するには一度は学ぶべき思考方法といえます。
2015年06月21日
コメント(0)

「思考と直覚」マルクス主義の政体化と仏教(百六十三) 中国では支那事変、1937年(昭和12年)から始まった日本と中華民国の間で行われた長期間かつ大規模な戦闘で、日中両国とも宣戦布告を行わなかったため事変と当時の日本政府が定めた公称です。当然に、日本においてもマルクス主義者は日中戦争とさえ呼ばず「中日戦争」と呼称します。其の初期、毛沢東が農本主義にマルクス体制を導入しています。其の後も共産主義や社会主義が世界に拡散し、仏教国さえ共産国家の圧力には抗うことができない影響を受けて、一見矛盾さえ感ぜられますがその真相は反共政策としての意味合いを持っています。仏教の原則に基づく社会主義を提唱する政治思想、仏教社会主義、其の主張するところは、階級制の廃止または改良、仏教の伝統に基づく道徳運動、資産に対する執着を克服する労働者と農民の為に、食物・保護・衣類・医療などといった生活必需品の公的な供給を要求することを柱に王制を敷く殿下シハヌーク政権下の1950年代から1960年代のカンボジア、それ故に王制社会主義とも呼ばれます。もう一つは敬虔な国教を仏教とする1960年代から1980年代のミャンマー(ビルマ)です。いずれの政権もカンボジアの場合にはクメール・ルージュに代表される共産主義勢力、ビルマの場合はビルマ共産党及びシャン族、カレン族といった少数民族の民兵組織には極めて厳しく対処しています。但し、当時は仏教社会主義という概念そのものが一般的でなかった事から、両国の政権に対する諸外国の外交判断は政体其のものが掴めず混乱をきたしたことも事実です。その仏教社会主義者として有名なのが若い頃にはチベットの経典やナショナルジオグラフィックなどの歴史や天文学の本の他にマルクスとレーニンの本も読み、共産党への入党を希望していた時期もあったことを明かしているダライ・ラマ14世がいます。マルクス主義の「平等な分配」の考え其のものには同意をするが、マルクス主義の極端な唯物思想、極めて物質主義的な観点から人の生存をとらえるという部分は唯一の欠点であるとし、その点については同意していない、自分を「半・マルクス主義者」と呼んでも構わないと語っており、仏教と純粋なマルクス主義が融合した場合には、それが有効な施政方法となると述べている偏袒右肩(へんだんうけん)ダライ・ラマ14世の立ち位置です。此のことはマルクス主義が必ずしも人間の内精神の要請である霊魂を滅却させるものではなく「存在のそこに有り」を否定する根拠になりえないことを示します。
2015年06月20日
コメント(0)

「思考と直覚」マルクス主義の政体化と基督教(百六十二) 唯物論を基調とした哲学体系としてのマルクス思想は体制化され、もはや、哲学体系の枠組みではなく政治学一辺倒になり、マルコス主義イコール、共産主義・社会主義の代名詞となります。其処にはもはや、人間の内精神の心底に潜む苦哀は問題とされず、霊魂に関しては伝統的宗教も社会的情勢の要請もあり共産主義及び社会主義を取り込みます。 19世紀の資本主義の広がりに対して、キリスト教の多くはブルジョアジーと妥協しがちであったが、早くから資本主義の矛盾に気づき、特に産業革命以後の工場における労働者への非人間的待遇に目をむけた英国の筋肉的キリスト教の保健衛生思想を持ち「我々は安逸と贅沢が得られなければ人生の幸福はあり得ないと考えているが、実際に人を真に幸福にするものは、何か我を忘れて取り組める事柄を持つことである。」の名言で知られるチャールズ・キングズリなどがキリスト者の社会的責任を強調、革命ではなく、愛と奉仕の精神による協同組合を通じて労働者の教育と社会環境を改善、生活向上などの社会改良を説いています。 キリスト教共産主義も、キリスト教を中心にした宗教的共産主義の形態の1つで、その理論的および政治的な理論は、イエス・キリストがキリスト教徒に理想的な社会体制としての共産主義を論じたという視点を基底としています。キリスト教共産主義はキリスト教社会主義の急進的な形態とも見ることができます。多くのキリスト教共産主義者は、過去に独立した、国家の無い共同体を形成したため、キリスト教共産主義とキリスト教無政府主義の間には関連性が多々見受けられます。キリスト教共産主義者には、当然にマルクス主義の色々な潮流に、賛成する賛成しないがいますが、キリスト教共産主義者はまた、資本主義を社会主義に置換え、更に将来には共産主義に移行する点では、マルクス主義者と政治的な目標を共有します。但し、キリスト教共産主義では、社会主義者または共産主義者の社会が組織されなければならないとするマルクス主義や特にレーニン主義に対しては屡々意見を異にします。キリスト教共産主義は、根本的にマルクス主義とは相容れない。これは社会主義、または共産主義社会が組職される方法に関する事であるが、マルクス共産主義者達の結論を共有するが、その前提には同意しない事が見られるからです。
2015年06月19日
コメント(0)

「思考と直覚」マルクス主義の拡散(百六十一) ウラジーミル・イリイチ・レーニン(1870–1924)は、ロシアの革命家、政治家。優れた演説家として帝政ロシア内の革命勢力をまとめ上げ、世界で最初に成功した社会主義革命であるロシア革命において主導的な役割を果たした。史上初の社会主義国家であるソビエト連邦およびソ連共産党(ボリシェヴィキ)の初代指導者を務めた人物です。マルクスを哲学としてよりは権力闘争としての共産主義理論の研究と普及にも尽力し、後日、マルクス・レーニン主義という体系にまとめられた。日本での名前の漢字表記は「冷忍」であることは神代の国倭国のレーニンの捉えかたを象徴しています。共産主義の源流とされる思想の歴史は古く、プラトンの国家論、キリスト教共産主義などの宗教における財産の共有、空想的社会主義と呼ばれる潮流における財産の共有、フランス革命でのジャコバン派、一部のアナキズムによる無政府共産主義などがある。19世紀後半にカール・マルクスとフリードリヒ・エンゲルスが共産主義思想を体系化し、市民革命で確立した私有財産制を制限し、共有化する財産の種類を資本に限定した、資本家による搾取のない平等な社会をめざす「マルクス主義(科学的社会主義)」が共産主義思想の有力な潮流となります。また十月革命の成功によるソビエト連邦の成立により、ウラジーミル・レーニンによる革命的な党の組織論などをマルクス主義に総合した「レーニン主義」が影響力を高め、後に「マルクス・レーニン主義」として定式化され、更にはレフ・トロツキーによるマルクス主義の概念である「トロツキズム」、毛沢東による当時の中国の状況に適合させたマルクス主義の解釈である「毛沢東主義」など、マルクス主義は革命の起こった国の指導者の考えや国情により多数の思想や理論、運動、体制となり世界へ広まっていった反面、プラトン以来の人間の内面即ち精神の移ろいや苦悩を解決する内面の深層に眠る問題は無視され、其の矛盾が現代に至って顕著となります。
2015年06月18日
コメント(0)

「思考と直覚」市民思想の敵対者(百六十) 帝国主義時代の所謂ブルジョア哲学は其の見解こそ多様ではあるが、一つの共通点弁証法的唯物論と史的唯物論を背景にしたマルクス主義のブルジョアジーへの危険性を見出していることです。マルクス主義者から史的に観相すれば、ブルジョア哲学は将に此のことをして生まれ、其の有効性を見出だせぬまま、多様なバリエーションを創りだしたと批判します。しかし、私見から観れば当社共に、あまりにも現世的で外観覚及び物質界に囚われ過ぎで、ブルジョアジーでは世の中財力の集中に励むだけの人間を生み出し、果ては実親ではないにしても親の愛情は金で買える風潮を助成させ、マルクス主義といえばマルクスの原則を離れて権力を手中にすればあらゆる事が出来る風潮を産みます。此処で忘れて欲しくないのがインド大陸釈迦族の王子シッダールタです。彼は何も宗教を創始することを求めて沙弥に成ったのではなく、世の矛盾である不平等を追求するために全てを捨てたのです。其の真相には、人間の全ての生命に宿る内精神は平等だということです。人間の精神史は進化してるのでしょうか、退化しているのでしょうか、大宇宙の背後の意と理を信ずるばかりです。
2015年06月17日
コメント(0)

「思考と直覚」論理実証主義(百五十九) 英米では現在でもプラグマティズム及び新実在論と共に栄えている思潮は、エルンスト・ヴァルトフリート・ヨーゼフ・ヴェンツェル・マッハ(Ernst Waldfried Josef Wenzel Mach/1838-1916)の科学哲学から影響を受けて、数学者のハンス・ハーン、科学哲学者のシュリックを中心とした研究サークルが形成され、1929年に組織を整えてウィーン学団を名乗り、活動を広げていったマッハの思想を受け継ぐ論理実証主義です。ナチスの弾圧から逃れるために、残された参加者の多くがアメリカに亡命し、学団自体は立ち消えになりますが、その考えが米英両国における流行の哲学思潮として広まることになります。今や人間が人間たるに値いするかは内面生活即ち精神、なかでも取り分け内心面の生活での思考は哲学の任務ではなく、哲学の任務は言語の分析、言語の規則・仕様の確立にあるとし、自らの哲学を「分析化学」と呼称しています。其の流れには、記号論理学を重視して、論理的に厳密な記号によって合成された人工言語の確立を目指す記号言語学派と、日常言語の分析をより重視する日常言語学派の二つの潮流がみられます。論理実証主義(Logical positivism)とは、20世紀前半の哲学史の中で、特に科学哲学、言語哲学において重要な役割を果たした思想ないし運論理経験主義(英: Logical Empiricism)、科学経験主義とも言います。論理実証主義の一つの問題は、存在肯定命題「少なくとも一人の人間がいる」は自己を認識することにより判断できますが、全称否定命題「全てのカラスが黒いわけではない」は明確な方法、人間あるいは白いカラスを見つけることによって正しいと検証できるが、全称肯定命題を検証することは明らかに不可能である。過去から未来までの全てのカラスを捕まえてみてみないことにはどうして「全てのカラスは黒い」などと言えようか。等の全称肯定命題は世界の時間の次元制約を超えての科学判断が要求されます。時限を超える科学技術の到達点なしには「神」と呼ばれる創造主、或いは絶対存在、其の様態としてある限りにおいての人間の内精神にある霊魂は完全否定することは不可能です。論理実証主義は科学技術の進展に附随する宿命を背負わされているのです。プラグマティズム及び新実在論もと共に形而上哲学、なにゆえに人間が存在するのかの問には、全て「進化論」で済ませるようで、人間の深層で叫ぶ苦哀に関しては答えは与えてくれません。哲学では神が死に、似非宗教をも含めて人々は宗教に魂の救いを求めています。
2015年06月16日
コメント(0)

「思考と直覚」デューイとラッセル(百五十八) 新実在論を主張する巨匠に、アメリカの哲学、教育哲学、社会思想家で、チャールズ・サンダース・パースやウィリアム・ジェームズとならんでプラグマティズムを代表するジョン・デューイ(John Dewey/1859-1952)、イギリスでは第3代ラッセル伯爵ことバートランド・アーサー・ウィリアム・ラッセル(Bertrand Arthur William Russell/1872-1970年)、哲学、論理学、数学、加えて貴族でもあり、イギリスの首相を2度務めた初代ラッセル伯ジョン・ラッセルを祖父に持ちます。名付け親は哲学者のジョン・スチュアート・ミル。ミルはラッセル誕生の翌年に死去しましたが、その著作はラッセルの生涯に大きな影響を与えています。生涯に4度結婚し、最後の結婚は何と80歳のときです。デューイは宗教的な制度や実践が人間生活において果たす役割を賞賛する代わりに、たとえば有神論における神のような、なんらかの静的な観念への信仰を拒絶します。彼は科学的方法・実践のみが人間の善をもたらすと考えています。「神とは、我々を欲望や行為に駆り立てる観念的な目的の統一である」即ち此の言で行くと人間が神の創造主であることになります。片やラッセルはプラクティカリズム(実際主義)としての新実在の同じ土俵に立ちますが、デューイの「神とは、我々を欲望や行為に駆り立てる観念的な目的の統一である」の言に対して、ラッセルについて、西田幾太郎が雑誌「改造」に掲載、要約すると、ラッセル氏はデューイ氏とは正反対の立場に立っている。新実在論と言えば、実用論者が知識を生活の手段と見做し、真理はすべて主観的で相対的であり、唯、生活に有用なものが真理であると主張するに反し、真理は知るという心理作用を超越し、我々が知ると否とに関せず、真理は真理であり、従って真理は客観的で普遍的であると主張するのである。これの如き新実在論は実用主義や人本主義に反対して起こったものと思われ、英米に於いてかなり行われていると思う。ラッセル氏は英国に於ける新実在論者の中で有力な人ではあると思う。それでは新実在論というものは認識論として如何程の価値を有するものか。これは無論、人々の考えにて異なるであろうが、私は実用主義論にも一種の意義を認めると共に、認識論としては、新実在論の方が正しく真理そのものの性質を明らかにしていると思う。併し私をしてありていにいうことを許されるならば、私はラッセル氏の新実在論には左程期待するものではない。新実在論の如き考えは19世紀の前半に於いて既にボルツァーノがその大著「知識学」に於いて明らかに論じており、近くはマイノングの対象論やフッサールの現象学の中にも含まれている。又、現今我国に於いて多少知られてきた新カント派西南学派の哲学の如き目的論的批評主義として、実用論を深くしたようなところがあると共に、一方に新実在論の如き考えをも含んでいる。近来、独逸哲学と言えば悪くいうのが流行のようであるが、 私はこれ等の哲学はその基礎に於いて、又その範囲に於いて一層深く大きなものがあるのではないかと思う。と述べています。ラッセルはムーアの影響で観念論から実在主義へと転じ、師ホワイトヘッドと数学を記号理論に還元する共同研究で名著「数学原理」(1910年)を著し、社会問題にも関心が深く、第一次大戦の反戦運動で大学を追われ、第二次大戦後も平和運動を推進、1950年にノーベル文学賞受賞、1955年アインシュタインと共に原水爆禁止宣言に参加、1963年バートランド・ラッセル平和財団を創設するといった活躍を見せますが、其の思考方法は同一にしても思想論は七変化します。しかし、イギリス新実在論はアメリカに多大な影響を及ぼし「批判的実在論」の思考を促します。内精神における霊魂存在や絶対存在を両者ともアインシュタインとは相容れず、其の実在を認容していません。即ち直観知なるものを否定しているのです。
2015年06月15日
コメント(0)

「思考と直覚」米英の実在思考の新展開(百五十七) 20世紀になると其の初頭以来、イギリスやアメリカではあらたに新実在の思潮が浮かび上がります。イギリスではケンブリッジ分析学派ケンブリッジ大学教授として、イギリス哲学界における主導的役割を果たしたジョージ・エドワード・ムーア(George Edward Moore/1873-1958)は、ロンドン生まれ。ケンブリッジ大学で哲学の教授を務めた。ラッセル、ウィトゲンシュタイン、フレーゲらと共に今日の英語圏の哲学界で主流を占める分析哲学の礎を築いたとされる哲学者の一人、一方のアメリカではバーモント州のポールトニーに生まれ,プリンストン大学とハーバード大学で学び,1902年から46年までハーバード大学で教えたアメリカ思想史の研究者でもあり,特にウィリアム・ジェームズ研究の権威ラルフ・バートン・ベニー(Ralph Barton Perry/1876-1957)、ウィリアム・ジェームズの思想と性格第二巻は1935・1936年度のピュリッツァー賞受賞の著者としてもよく知られています。ペリーの哲学的立場はみずから「新実在論」と称しているもので,論理学,数学および自然諸科学において究明される実体は心的なものではなく,認識する精神とは独立に存在し,それらの実在性と認識のされ方にはまったく依存しないと説きます。ペリーは自身の哲学的立場をみずから論理学及び数学乃至自然諸科学において究明される実体は心的なものではなく、認識する精神とは独立に存在し、それらの実在性は認識のされ方にはまったく依存しないと説きます。ヘーゲル主義・カント主義的な観念論を批判したもので,新実在論と呼ばれる哲学の真骨頂です。霊魂や宗教に関してはプラグマティズム・新実在論に全く否定しているのかというと両者の立場では宗教を否定することはしません。宗教についてのジェイムズの見解は過剰な、信仰を欠いた人々にとっては人間生活は表面的で面白くないものだろうとしたうえで、どの宗旨宗派に属するかはともかくとして、我々は有神論、無神論、一元論などのいずれかをわたる賭けを行っているのだとします。信じることで人間が心の安寧を得られるならばの条件を持つ限りにおいて意味があるとします。ひとたびその或る。宗教を安寧のために自分の信念体系に取り込んでしまうのならば、途端にその宗教は自分の中にある。但し、自らの信念体系が宗教によってことごとく破壊されてしまうような場合は、他の手段を持って自己を正当化せねばならない。宗教は人間の内精神や霊魂にとって両刃の剣と成り得るのです。
2015年06月14日
コメント(0)

「思考と直覚」米国の新たなる実証思考(百五十六) プラクティカリズム(実際主義)をの語を避ける程のプラグマティズムの前提には、 世界の現象やその知識をもっぱら経験的事実に限定し,感覚的経験によって積極的に確認することのできない神・イデアなどの形而上学的な存在についての思弁を排する立場の実証主義があり、唯物論をも物質の客観的実在を認容する「形而上学」であると斥けます。従って、観念とその対象との不一致は問題とはならず、只其の観念の有効性のみを取り上げます。但し、人間の認識及び行動が、世界自然への適応にあるとして、人間を一般の生物学的な水準にまで卑小化する傾向が見られ、自然に働きかけて、環境を改善或いは改悪する能動性は問題視されていません。西田幾多郎の「純粋経験論」に示唆を与えるなど、日本の近代哲学の発展にも少なからぬ影響を及ぼしたウィリアム・ジェームズ(William James/1842-1910)は「生理学、心理学および哲学におけるまたその間の最初の思想家」であると言われます。彼はプラグマティズムをサンダース・パースと共に新しい哲学思考法に徹底して精緻化する姿勢を具体化するものと主張しています。ジェームズは真理の対応理論を拒否し、真理には信念、世界についての事実、その他背景的信念およびこれら信念の将来的結果を含む多元論を説きます。また、超常現象に対しても興味を持ち、「それを信じたい人には信じるに足る材料を与えてくれるけれど、疑う人にまで信じるに足る証拠はない。超常現象の解明というのは本質的にそういう限界を持っている」と発言。コリン・ウィルソンによってこれを「ウィリアム・ジェームズの法則」と名づけられ、神の観念もまた、人間に満足を与えうる限りにおいて真理だとします。更には、存在するものを存在しないといい,存在しないものを存在するというのが虚偽であるのにたいして,存在するものを存在するといい,存在しないものを存在しないという真理が真理の対応理論、仏教哲学から喩えれば、有を無の存在だと言い、無から有は生じないし、無は永久に無であり続け、「無}と「有」の因果関係を否定しています。究極の実在は或る種のものであり、精神的でも肉体的でもないという見解である中立一元論(Neutral monism)何らかの中立的実体があり、物や心というのはこの知られざる実体の持つ二つの側面、性質だとします。此の解釈を心の表層には表れない深層にある霊魂、「有」としては「常」ではあり得ない「モノ」の実相は、究極の実在若しくは「有:無」を問えない或る種のものであり、「有無を問えない或る種のもの」大乗哲学の祖「龍樹」的に捉えれば「空」が此れにに対応することになります。また、神的に捉えれば「神」は無から世界を創造したのではなく本体的な絶対存在の様態意思をもって世界を創造したのであり、神そのものの「無」を問えなくなります。私見的には此の「究極の実在は或る種のもの」の語は意味深長で実在的人格的または神格的性格を賦与された神の否定を意味し「神の定義」そのものを問うているとも解されます。
2015年06月13日
コメント(0)

「思考と直覚」米国の思考プラグマティズム(百五十五) プラグマティズム(pragmatism)は実用主義や道具主義或いは実際主義とも訳されていますが、実際主義はプラクティカリズムと誤用されるので避けるべきでしょう。1870年代のマサチューセッツ州のケンブリッジで二週間ごとに開かれた学徒たちの集いを出発としますが、その歴史は前期と後期に大別され、後期のプラグマティズムはシカゴ大学を中心に発展したため、シカゴ学派とも呼ばれ、其のシカゴ学派の代表的な人物にジョン・デューイ、心理学者のジョージ・ハーバート・ミード等がいます。元々の由来は、カントの著作に登場す pragmatisch というドイツ語に由来し、また其のpragmatisch の原意はギリシャ語での行為・実行・実験・活動を表すプラグマ(πράγμα)を語源とします。思想が行為と密接に関係する意が強調されたといえる語意を持ちます。経験不可能な事柄の真理を考えるなどは出来得ないというイギリス経験論を引き継ぎ、アメリカらしい合理的思考をもって物事の真理や実経験の結果を判断し、其の結果、効果のあるものは真理であるとするもので、神学や哲学上の諸問題を非哲学的な手法、即ちで探求する思想です。その後、代表的なメンバーとしてチャールズ・サンダース・パース、ウィリアム・ジェームズがいます。なかでもジェームズによって広く知られるようになり、20世紀初頭のアメリカ思潮の主流と思想的に広汎になります。思想が行為と密接に関係する意が強調されたこの言葉をパースの友人は、プラクティカリズム(実際主義)という語に改めるのを勧めましたが、カント哲学に通じていたパースにとって、 praktisch という言葉は、「実践理性」の領域、つまり神・道徳・霊魂に関わるので、実験科学者にとって相応しくないと判断され破棄されました。なお、名前自体はドイツ哲学から取り入れられていますが、「プラグマティズム」の合作者たちはジョン・ロックやジョージ・バークリなどのイギリス哲学に影響されている。そして、さらに遡れば、バールーフ・デ・スピノザ、アリストテレス、プラトンに行き着くことは疑いを入れません。それ故に、プラグマティズムは実証論と進化論の影響下、人間の認識及び行動を世界、即ち外環境である物質世界への適応への行動と見做し、観念は行動の結果産み出されるもので、其れが思考され予見された効果を生むときにのみ「真理」と認証されると説きます。ウィリアム・ジェームズはその後半生には、究極の実在はある種の「もの」であり、精神的でも肉体的でもない「何か」という見解である中立一元論を採用するようになリますが、此の言は亜細亜の古代哲学、宗教化しない仏教哲学の基本原理を私見的に蘇らせてくれます。根本的には、見えない・確認出来ない「実相」はある種の「もの」であり、其の有効性が確認された時に「真理」が現出することになります。「思考と直覚」は其の真理をシッダールタの「?」≒「覚り」と捉えています。
2015年06月12日
コメント(0)

「思考と直覚」米国の思考の流れ(百五十四) イギリスとの独立戦争をフランスの援助を受けて戦う前夜及び其の直後の時代にかけて、アメリカでは、凧を用いた実験で、雷が電荷の移動や相互作用によって発生する物理現象(electricity)であることを明らかにしたことでも知られている政治家、外交官、著述家、物理学者、気象学者。印刷業で成功を収め啓蒙思想家として政界入りしたベンジャミン・フランクリン(Benjamin Franklin/1705-1790)、トマス・ペイン(Thomas Paine/1737-1809)は英国出身ではあるが、1774年に当時ロンドンにきていたアメリカの科学者として知られていたフランクリンを訪ね、フランクリンから紹介状をもらい新天地アメリカで1776年「コモンセンス(常識)」を発表、その小さなパンフレットは、前線の独立派民兵に広く読まれ、ワシントンやジェファソンらの大陸会議の指導者にも読まれて鼓舞されます。彼等は何れも思想家ではあっても、良く言えば如何にもアメリカ的な合理主義と現実主義を実行した人間、逆に言えば哲学的思考は名ばかりで唯物主義の現世的・物質・外感覚に覆われており、人間の内精神、ギリシァ以来の人間の本源を追求するための古来の唯物論は、宗教に丸投げさせており、アメリカでは形而上学的哲学は御座なりに、若しくは等閑にすることになります。19世紀の前半にはドイツ観念論がアメリカに流れ込みますが、其の影響はRalph Waldo Emerson(ラルフ ウォルドー エマソン/1803年-1882年)の存在のうちに神的なものの内在を認め,神秘的汎神論に傾くが,倫理的には理想主義である宗教家たちのロマン主義思想である神学から超越主義への道をたどるが、如何にもアメリカ的な宗教哲学、文人哲学と呼べるものであり、哲学は米国では低迷します。
2015年06月11日
コメント(0)

「思考と直覚」唯物主義から実存論を観想(百五十三) ドイツ実存主義の二人の巨匠ハイデッガーとヤスパースの培った思想が、第二次大戦後のフランスで花開きます。其の名は強度の斜視があり、1973年には右目を失明したジャン・ポール・シャルル・エマール・サルトル((Jean-Paul Charles Aymard Sartre/1905年-1980年) フランスの哲学者であることは勿論のこと、小説家、劇作家、評論家と多才な人物です。行動する知識人として著名であり、1927年には、1917年、名門アンリ四世校でサルトルと出会った、後にはコミュニストとして勇名なニザンと共にヤスパースの「精神病理学総論」仏訳の校正を行っています。彼の残した「実存は本質に先立つ」の言意は、仮に人間の創造主がいたとすれば、これから創造する人間の本質を先ず以て考えなければならない。その本質に合うような姿形をした人間(実存)を造り出すのである。(此処で休題:サルトルは創造の絶対意思を人格的、例えばのキリスト教の神存在として捉え、神格性を与えています。其れ故、次の言葉に創る者は、これから作ろうとする人の本質を考えなければならない。その本質に合うような姿形をした人間(実存)を造り出すのである。彼がいう神は本質上存在しないとすれば、以上の仮定は成立しなくなる。即ちニーチェの「神は死んだ」を連想させ、神による無からの創造を否定するのです。)サルトルの実存主義は、其れが実存論にある限りにおいて、ニーチェ同様のニヒリズムに覆われており、人間存在を究極的には無意味な存在とする彼以前の実存論と似通った部分がありますが、彼自身の第二次大戦でのレジスタンス運動が新たな要素を付加しています。それは、人間個々の自由が他者の自由に繋がっている。自由の連帯性の確信です。現世への人間の登場は、まったく偶然であるのに、これが必然であることを示そうとする人々を私は見下げ果てた奴と呼ぶ。ところが、パスカルは、偶然性という意識から神への信仰に入っていきます。また、ハイデガーの場合も、現存在の在り方を彼の言う存在に結び付けています。サルトルは、そうではない、パスカルもハイデガーも、人間を、人間以外のもので支えようとしていると批判し無神論を説きます。
2015年06月10日
コメント(0)

「思考と直覚」唯物主義から見たから実存論(百五十二) 唯物主義からドイツ実存主義者ハイデッガーもヤスパースも観想すればも共にドイツ市民層(インテリジェント)の気分を理論づけしたものに過ぎず、社会構造に遡って追求せず、単に人間の精神的状況のみをみて、其の考察は自己の内面的自覚に求め、其の思考方法の転換だけを求めようとする、人間個々の思考に転換をすれば、其れが延長拡大して人間の不安の根源をなくすことになり、社会全体が変換するとしたとする極めて楽観的思考であり、ドイツ実存主義者ハイデッガーもヤスパースも突き詰めれば、個人的な生き方の拡張だけで社会が良くなるとした、古代ギリシァ末期の思考の範囲は超えたことにはならないと結論付けます。但し、歴史が示す通り社会哲学の名のもとに個人の自由、更には其の内心的自由さえも、たとえマルクス・エンゲルスの本意ではなかったにしても、マルクス主義のもとに世界内でどれ程の人民が犠牲になったのかを見れば、「直覚霊知」が追求してやまない「超越的存在」言い替えれば「常」として有るものの真相を追求ことの方が、真相に近い筈です。増して、無の存在を理論的に確認される程に科学が進んでいる現在21世紀では「唯物としての無」はどのように解釈するのでしょうか。「無」は即ち「夢」として捉えるのか「虚」として捉えるのか「思考と直覚」からは興味尽きないものがあります。
2015年06月09日
コメント(0)

「思考と直覚」ドイツ実存主義ヤスパース(百五十一) ハイデッガーと並んでドイツ実存哲学で当時を代表するのは、ドイツの精神科医であり、哲学者である。実存主義哲学の巨匠カール・ヤスパース(karl theodor jaspers/1883年−1969年)がいます。彼は精神病理学から始まりニーチェの思想を研究し、実存主義を展開します。ヤスパースは其のために限界状況(英:limit situation、独:Grenzsituation)なる言葉を造語しています。此れがヤスパース哲学の起点となる基本概念であり、世界内存在に現生する人間が人間の内的潜在力や科学の知識及び技術進歩をもってしても克服できない人間を限界づけている普遍的な状況、具体的には、自分はいずれ死ななければならないとか、思い悩むことから逃れられない苦悩、闘わなければならない闘争、或いは意識・無意識を問わず罪を犯すことから免れない罪責や原罪ということであるのを限界状況と呼称しています。これらの状況は普通の状況と異なり、環境で変化することがなく、意志や努力によって変えることの出来得ない、人間存在にとっては巨大な壁となって立ち塞がる状況であり、人はただそれに衝突し、挫折するほかない。それは時代や民族、あるいはどのような個人にとっても免れることのない点で普遍的なのです。其の典型例が「自己の死」との対面です。人は死に直面し突き当たることによって、各人がそれまで意識していた自己自身の存在に対する確実性の挫折を自覚させられると云います。。ヤスパースによれば、人は普段は気晴らしなどに耽ることによって、実は既に前提として限界状況のうちにあるのだということを忘れてしまっているとしています。そして、壁に突き当たって挫折する経験は、人をして依るべきもののない孤独と絶望とに突き落としてしまう。しかし、このように限界状況に直面したときにこそ「実存的交わり」自分の中に閉じこもらず心を開いて他者と語り合い理解しあうことによって、自己の実存を深めることや「超越者との出会い」、超越者とは「絶対的意識」であり自己自身の存在確信にして、超越的な存在に面している意識だと言います。其の状況は「限界状況」により自己存在の有限性は意識させられたが、それはまだ消極的な有限性の意識であり、「無制的なもの」という超越的存在に面することにより自らの有限的な存在が反省させられ、そのような超越的存在に面している自己自身という存在確信が得られるとします。限界状況により自己存在の有限性は意識させられたが、それはまだ消極的な有限性の意識であり、無制約的なもの言い替えれば「有」の存在という超越的存在に面することにより自らの有限的な存在が反省させられ、そのような超越的存在に面している自己自身という存在確信が得られるとします。其の観点から其れを体験すれば人間は「超越的なもの」へと向かって自己存在の確信を得るとともに人は実存に目覚める。即ち「死」を克服する勇気を得るとします。
2015年06月08日
コメント(0)

「思考と直覚」ドイツ実存主義ハイデッガー(百五十) 西洋列強の帝国化の最中、ドイツではもとよりフランスでも実存論が新しい展開を見せます。先ず取り上げなければならないのは、現象学から始めて其処に生の哲学の創始者ディルタイ(Dilthey/1833年―1911年)の精神科学を方法論的に基礎づける解釈学的方法を取り入れて、人間存在の独自の考察を展開するドイツの哲学者マルティン・ハイデッガー(Martin Heidegger/1889年-1976年)です。20世紀最高の哲学書と言われ、確かにその内容は他の追随を許さないほど卓越した思考に満ちており、何故に「有」なる存在と呼称されるものがあって、無ではないのか、此処に、「思考と直覚」の言を挟めば、「無」なる存在と呼称されるものがあっての「有」ではないのかと換言します。何れにしても、彼は人間存在、個々としても種としても有限なものと捉え、人間の不安の根源を捕らまえます。彼はこの人間の不安からの脱出には、人間存在の有限性、取りも直さず「死」を自覚すること、人間存在が人間の「死に態」である「無」に付き纏われていること、「思考と直覚」の言を挟めば、「死」は生ある人間と伴にある「夢なす有」或いは「夢実」だとも言えます。死を友にして生きることを自覚することにハイデッガーは「超越」が行われると主張します。ハイデガーの思考を辿ると、スピノザ流に神を引き合いに出して考えると、死の問題について言えば、肉体は有限だが、魂は永遠であるということ、肉体は死んでも魂は永遠であるから、人間は一見すると死んだようで、実は死んでいないなどということは、神「思考と直覚」の存在では絶対意識の様態を完全否定していることは疑いを得ません。哲学は「無」の発見を確証する科学の発展を待つ運命にあるのかもしれません。
2015年06月07日
コメント(0)

「思考と直覚」ブルジョアジー哲学ベルクソン(百四十九) 19世紀の後半から20世紀の初めにかけて文化的・経済的先進国である列強が資本主義のもと次々に帝国主義段階に入るのはフランスも例外ではありませんでした。其のパリにポーランド系ユダヤ人を父、イギリス人を母としてアンリ=ルイ・ベルクソン(Henri-Louis Bergson /1859年-1941年)が生誕します。彼は学派的には大陸哲学唯心論、形而上学的には認識論のなかに言語と数学の哲学を導入します。特出すべきは彼が科学批判から出発して独自の「生(せい)の哲学」を構築したことにあります。然し乍ら、アインシュタインが相対性理論を発表するとその論文を読み、それに反対する意図で「持続と同時性」という論文を発表したこともあるように、実際のベルクソンは、当時の自然科学にも広く目を配りそれを自分の哲学研究にも大きく生かそうとするなど、決して実証主義の精神を軽視していたわけではありません。一方で、ベルクソンは新プラトン主義のプロティノス、人間は「一者」への愛(エロース)によって「一者」に回帰することができる。一者と合一し、忘我の状態に達することをエクスタシスという。エネアデスVIの第11節] ただし、エクスタシスに至るのは、ごく稀に、少数の人間ができることである。プロティノス自身は生涯に4度ばかり体験したという人物から大きな影響を受け、「善なるもの」「魂の不死について」などの遺稿があります。其の影響からもベルクソンの晩年はカトリシズムへ帰依しようとするなど、神秘主義的な側面もあって、その思想は独特のものがあり、独自性が際立ちます。また、ベルクソンは霊やテレパシーなどを論じた論文も残してもおり、1913年には英国心霊現象研究協会の会長に就任しています。ベルクソンは実在を持続の流動とする立場から、心(記憶)と身体(物質)を双方が持続の律動を通じて相互にかかわりあうことを立証しています。彼は外感覚的世界・物質世界・悟性に対して、内的精神世界・内的意識・「直観」を重視し意識は空間的な認識である分割が不可能な意識の流れであり、此の持続を自ら其の流れの中に投じて直感することが、物質科学にとっては捉えきれない真の哲学的認識(理法の共有・覚り)が成立すると唄います。此の思考方法こそ「思考と直覚」が見習うべきものである一です。
2015年06月06日
コメント(0)

「思考と直覚]ブルジョアジー哲学フッサール(百四十八) 唯物主義の観点から眺めれば、19世紀の後半から20世紀の初めにかけては文化的・経済的先進国である列強が資本主義のもと次々に帝国主義段階に入るのは苦々しかったでしょう。其れ故、此の時期の哲学を唯物主観は、反動化した分裂したままの「認識論」と「生(せい)の哲学」の続行と捉えます。然し乍ら、体制批判的な唯物主義とは違い帝国主義時代には多様な哲学論が生まれます。其の認識論の新カント主義と並んで新たに、初めは数学基礎論の研究者であったが、ブレンターノの影響を受け、哲学の側からの諸学問の基礎付けへと関心を移し、全く新しい対象へのアプローチの方法として「現象学」を提唱するオーストリアの哲学者、数学者であるエトムント・グスタフ・アルブレヒト・フッサール「Edmund Gustav Albrecht Husserl / 1859年-1938年)によって代表する「現象学派」が生み出されます。欧米各国ではアカデミー名誉会員に推されたりもしていたが、ドイツ国内ではユダヤ人であったため活動を極度に制限されるものの教鞭活動を通じ多くの思想家、特に大英百科事典の依頼を受けて新項目「現象学」を執筆することになり、彼に助手として自分の後継者とも目していたハイデッガー指名するものの「存在と時間」を読み、自説の「現象学」相容れないものが明らかになり、一人で仕上げることとなりますが、この新項目のための原稿は「ブリタニカ草稿」と呼ばれ評価されています。フッサールは、近代科学と古い形而上学を厳しく批判して、生活世界を取り戻すことを主張しますが、彼の真骨頂は教鞭に立つ者として得越の英才を教訓したことにありますした。ウィーン大学で約2年間フランツ・ブレンターノに師事し、ドイツのハレ大学、ゲッティンゲン大学、フライブルク大学で教鞭をとった間に彼の思想には同感出来なかったにしても、彼の思考方法には同意・共感得たものは偉大な思想家として名を成し得ています。フッサールは、既に『論理学研究』において、感覚的直感を超える直感があることを論じています。本質的直感とは、知覚された個別の対象をモデルとして、それを超えて諸対象に共通の普遍的な本質を取り出して、「原本的に与える」直感とされると云います。象学的還元によって得られた志向的諸体験の構造の本質を直感するところにより記述すると、現象学的還元によっていったんは遮断された自然的世界及びすべての理念的諸世界の対象を純粋意識が自分の中で「世界意味」として構成することになり、このような純粋意識は、すべてを超え出た「超越論的に純粋な意識」ないし「超越論的意識」と呼ばれ、以上のような反省を得た「超越論的現象学」は、デカルト以来の二元論の持つ問題、主観的な認識主体が自己を超え出た客観的世界をどのように認識し得るのかという難問、世界理法の基底にある根本を解決した上で、正しく認識論的に基礎づけることによってあらゆる諸学の基礎付けを可能とします。「超越論的経験」とも呼ばれる。これは、近代科学の客観性に先立つ限りで、主観的なものではあるのですが、同時に基盤的なものであるとも言えます。そして、その最下層には、最も基礎的な「原事実」がある。この原事実は、世界・私・他者の存在であり、これらが絡み合って大きな歴史的存在を形作っている。これを研究・解明するのが、新しい形而上学であるとしたことには「思考と直覚]から鑑み考慮すべきものではあります。
2015年06月05日
コメント(0)

「思考と直覚]西洋哲学の日本での転化(百四十七) 明治の日本では、広範な西洋哲学の伝統の内、専ら政治的思想の基底とし西洋哲学移入を図ります。それ故に、西洋哲学は政治的思想の基底としか捉られず、自由主義的資本主義社会の「イデオロギー」フランスの哲学者アントワーヌ・ルイ・クロード・デステュット・ド・トラシー(Antoine Louis Claude Destutt de Tracy)が、自らが探究する、観念(idea)の起源や本質を研究する学問領域を「イデオロジー(idéologie)」と呼んだのが最初とされ、革命後のフランス社会の哲学的基礎づけを試みようとロック、コンディヤックらの影響を受けながら、感覚論の立場から観念の発生、展開を研究し、感覚から一般観念にいたる意識の発生過程の分析を問う思想を観念学(イデオロジーidéologie)と名づけ、後に、ドイツで「イデオロギー(Ideologie)」という名付けられマルクスとエンゲルスが多用します。更には、適者生存(survival of the fittest)の造語者であるハーバート・スペンサーの人間生まれながらの霊魂を無視して血統を重んじた宗教的神秘主義に対して社会的進歩のために戦う、所謂、進歩主義者と言われる思想家の旗印とされる思想を板垣退助などが書簡を送る程に没頭し、こともあろうに、当時の英国の社会風潮に適用させるために主張する、最も秀でた人種が将来においても保存されるソーシャル・ダーウィニズムを唱え、社会的有機体の発展の段階は資本主義を頂点にし、其れ以外の異相の社会の進歩的概念は無意味だとする説まで受け入れて、広範な西洋哲学の伝統は日本では広まりませんでした。加藤弘之や井上哲次郎により独逸観念論哲学の移入は進捗されますが、其の深底に流れる人間の霊性に関しては取り上げることは稀であり、日本の哲学は専ら政治化し、哲学本来の目的、人間存在其のものを探求することは「象牙の塔」に閉じ籠もる学者としての思想家の「深遠なもの」として人民からは遠ざけられることになります。なかでも、人間が生来天然に感じ追求するところの「霊性」に関しては、此の傾向があった故に、当時の日本での人民の精神的な救いが専ら新興宗教に向かったのは理の当然でした。此れが、日本人を哲学とは難解な学問と想わせ、霊魂に関しては宗教任せとする傾向に働きます。
2015年06月04日
コメント(0)

「思考と直覚]西洋哲学の日本への新しい流れ(百四十六) 古代ギリシァ以来イスラム圏の西アジアのみなら北アフリカ地域から中央アジア及びインド大陸にまで影響を及ぼした西洋哲学は東亜細亜を経由して文化や宗教の形姿を纏って飛鳥時代にもその影響は見られますが、当時の日本ではその片鱗さえ伺えなかったでしょう。幕末までは中国大陸独自の思想である「儒教」は朝鮮を経て日本に伝搬し、西洋哲学の影響なしとはいえない「大乗哲学」の哲学的伝統はありましたが、直接的に日本に西洋哲学を齎したのは西周(1829年-1897年)の英国の功利主義と実証主義です。然し乍ら、当時の日本環境からして霊的存在や内精神の深層は無視され、専ら日本的な啓蒙運動に利用されます。それ故に、本来的な西洋哲学は、自由民権運動の高まりに対して、政治的には明治憲法が発布され、上からの立憲改良が施され、思想的には教育勅語の下令により体制的に妨害となる西洋哲学は排除されます。其の事ゆえに、体制的に危険な唯物主観は忌避され、日本では体制的にも穏健なドイツ観念論が明治20年以来講談哲学の中心に据えられることになります。此の一件が未だに「大乗哲学」と同等の「西洋哲学」を象牙の塔に篭もらせることになります。何れにしても此のことが素因となり、日本での哲学は思想家の専門分野にあり、個々の個人の内精神の安らぎとか安寧とは関しない学府の学問と捉えられています。此の考えが、日本の哲学を古来宗教の内精神の救済に及び付けない才の振る舞いと見做され、日本では哲学、とりわけ、政治学的に意味を持つマルクス主義以外は一般化しません。逆読みすれば日本古来の宗教的色彩を持つ教えの中にしか霊性を見出だせないのは象牙の塔に篭もる識者に一片の責任はあることは疑いを得ません。日本唯一とも呼べる「善の研究」で西洋に知られる哲学者西田幾太郎博士のみが思想として人間の霊魂と「神」を思考しているのは稀な例でしょう。 src="http://image.with2.net/img/banner/m02/br_banner_amesho.gif" width="89" height="41" border="0" />人気ブログランキングへ
2015年06月03日
コメント(0)

「思考と直覚]観念哲学の新しい流れ(百四十五) 19世紀も後半のドイツでは、プロイセン東部の地主貴族ユンカーの出身で、1862年にプロイセン国王ヴィルヘルム1世からプロイセン首相に任命され、更には、軍制改革を断行してドイツ統一戦争に乗り出し、1867年の普墺戦争の勝利で北ドイツ連邦を樹立。次いで、1871年の普仏戦争の勝利で南ドイツ諸国も取り込んだドイツ帝国を樹立したオットー・エドゥアルト・レオポルト・フュルスト(侯爵)・フォン・ビスマルク=シェーンハウゼン(独: Otto Eduard Leopold Fürst von Bismarck-Schönhausen/ 1815年-1898年)は、当然言わずもがな、文化闘争や社会主義者鎮圧法などで反体制分子を厳しく取り締まります。また世界に先駆けて全国民強制加入の社会保険制度を創出する社会政策を施行したことは特筆に値します。此の時期に俗流唯物論の反動から、再び観念論哲学が新しい流れとして賦活します。先ずは、唯物論に対する激しい敵意をもった新カント主義、第二は自然科学の当代の成果、例えばエネルギー説や熱力学を実証主義の立場から「思考経済の法則」という主観的原理を放棄してまで、唯物主観が自説の客観性を押し出すところの科学法則なるものを否定します。第三の「生の哲学(せいのてつがく)」は人間的生(人間が生を負う時)の超理性的な面と其の非合理性を追及し、信頼が置けるのは精神的体験であり、其れこそが実存であると説きます。最後に、後にはヒットラー主義にも継ると共にキルケゴールと並んで実存主義哲学の源流と見做される非合理主義者であったニーチェは、人間の権力への意志を最も基本的な事実であると説き、強者の支配を正当化していると現代に至っても科学性と世界観を統一していると自負するマルクス論者からは批判され、相互に分裂していたブルジョア哲学、ブルジョア的認識論、即ち、自然科学の当代の成果、例えばエネルギー説や熱力学を実証主義の立場から思考に「経済」の法則を持ち込むというマルクス主義の主観的原理を排除する認識論哲学と超理性的な面と其の非合理性を強調する「生の哲学」は評価すべき対象にもなりません。現代のマルクス主義哲学が抱えている問題は他者の思考を鑑みないところに弱点があり、人間の内精神の真相を疎かにするために「人間人生」の平安は軽んじられています。
2015年06月02日
コメント(0)

「思考と直覚]19世紀独逸哲学の思想傾向(百四十四) 如何に亡命中のマルクスとエンゲルスが文筆活動をもって、労働運動と政治家で共産主義者のカール・リープクネヒト(Karl Liebknecht/ 1871年-1919年)やアウグスト・ベーベル( August Bebel/ 1840-1913) は旋盤工労働者として労働運動に入り、マルクスとエンゲルスの影響を強く受けの、社会主義運動の活動家及びフランツ・メーリング(Franz Mehring/ 1846年-1919年)を後援したにしても、其れをもってドイツ国家は共産国家とはなりません。此の現在世を帯びる世界には内在する「盲目的意思」、言い替えれば大世界には物質的世界観測することや人間の外感覚的なものからは捉えきれない意思があり、物質的世界に基底しているものは、全てが「盲目的意思」の発現であり、全てのものが基底としては意思そのものではあるけれども、人間精神を操舵する筈もなく其々の出来事は偶発的とする首位説哲学とも呼称されたショーペン・ハウアーがいます。更にはブルジョア社会文化、ブルジョア・インテリゲンツィアを構成するいわゆる俗流唯物論者と見做されている精神を中心とする従来の哲学傾向に反発、生の過程を機械論的化学的に説明し、また全現実を物質的素材に還元して、世界内のすべてのできごとを物質的素材の運動から説明した人物モレスコットのこの機械論的唯物論は、ビュヒナーやフォークトの自然科学的唯物論とともに、当時のドイツの知識層に歓迎されたものの、モレショット(モレスコットとも表記、Jacob Moleschott/1822―1893) やカール・ゲオルク・ビューヒナー(Karl Georg Büchner/1813年-1837年)は、名こそ唯物観に基底を置くものの、意識と存在の真相関係は結果的には証明できず、致し方なく全ての社会現象を「進化論」に付与せしめた唯物論的自然科学者であり、「思考と直覚]から鑑みて参考及び内考する程には興味は湧き上がりません。
2015年06月01日
コメント(0)
全30件 (30件中 1-30件目)
1