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「思考と直覚」人間の霊魂を思考/アリストテレス-11(二百十五) アリストテレス研究分野としては、大きく分けても論理学・自然学・生物学・動物学・形而上学・倫理学・政治学・修辞学・詩・演劇と多肢に亘っており、此処では人間の霊魂を思考するうえでアリストテレスの思考法の基礎をなす論理学を第一に取り上げます。アリストテレスは「形而上学」の著述の中で「各々の問題あお其々如何ように論ずべきは人は先ず以て学習していなければならない。知識を探求すると同時に此れを獲得する方法を探求するということは出来ない相談だから」と説きます。其の中の知識を獲得する方法を予めあきらかにするものがアリストテレスの論理学の定義であって、アリストテレスにあっては論理学は学問そのものではなく、諸学を認識するための道具としての思考方法のマニュアルであって、其れ故に、紀元後6世紀には論理学は知識の構造や論証法を論じるものであって哲学ではなく、学問研究のための道具であるという見方からのオルガノン(Organon)、即ち、実体を表す語と他の語との別分け、したがって、アリストテレス存在論の基本前提である存在者の成り立ちにおける実体の基本性を明らかにすることに、その主要な関心が向けられていたということが出来ますが、後に学問分野として重要分野を占めます。また、学問研究のための道具であるという見方から派生し、ノートル・ダム楽派の荘重なオルガンの出現を現出します。
2015年08月31日
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「思考と直覚」人間の霊魂を思考/アリストテレス-10(二百十四) アリストテレスの著作は、市民読者層向けに書かれ公刊されたもの及び自己の研究資料として書き留めたもの、即ち覚書の類はあらかた現代までに失われましたが、彼のリュケイオン等の学術的な論文や講義ノートは幸運にも完全とは言えないにしても、今日現代にまで残され保存された故に、現代の我々がアリストテレスの思考方法や思想及び其の学説を知ることが出来ます。しかし、その文献の運命も消失の可能性のある数奇な運命に出会います。アリストテレスの草稿は彼の死後も暫くはリュケイオンに在りましたが、後世に一般人には価値がない、しかし、代々の学頭に受け継がれるべきものであるこの草稿ノートが、トロイの近くにスケプシスに持ち去られ其処の穴倉の中に150年間も隠されます。何故か、其れは想像の域を超えません。ところが、紀元前100年頃に、アベリコンという人物がこれを買い取ってアテネに持ち帰ります。その後すぐに、将軍スラに率いられたローマ軍がアテナイを占領。アリストテレス草稿は戦利品としてローマに運ばれます。ローマでは、テラニオンという文法家がこれを編集し公判をしようとしますが成せず、結局はロードス島(Rhodes Island)出身のリュケイオンの最後の学頭アンドロニコスの手により草稿を整理して出版されます。現存する「アリストテレス全集」は、これを基にしています。 ここから、道具・機関の意。論理学を学問研究の道具とみての称「オルガノン」の思考方法が浮かび上がってきます。
2015年08月30日
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「思考と直覚」人間の霊魂を思考/アリストテレス-9(二百十三) アリストテレスの著作は大きく分けて3つの要素・種類に分類されますが、二つ目は著作とは言えないまでも、自己の研究資料として書き留めたもの、即ち覚書の類ですが、今日現代でも現物を見られるのは、19世紀にエジプトで発見された「アテナイ人の国家制度」のみですが、元来のリュケイオンの書庫はアリストテレス自身が収集したもの又は書き置いた文献や他の研究者の携え来たものもあり、其の分野は単なる書庫ではなく、紀元前3世紀に建立されたアレクサンドリアの大博物館が此のリュケイオンの書庫を模倣し建設されたとも云われる程の規模であり、其の所蔵も研究室・図書館・博物館を統合したものであって将に現代の学園都市を想起させます。異民族の風俗・習慣に始まり、オリンピアの競技記録とその優勝者の目録、アテナイ芸術舞台の出演役者の名簿にも及び、仮に現存するならば、人類史における限りなき世界遺産となっていたでしょう。アリストテレスはフィロソポスの人物だけではなく、師プラトンのアカデメイア教育研究施設にも飽きたらず、文化施設の概容をリュケイオンに築きます。此のことがなければ史上確認された最大規模のアレクサンドリアの大博物館が生まれることはなかったと断言できます。人間の精神の深層に眠る霊魂を単に人間の感性上の「直感」或いは、ソクラテス・プラトンと続くアテナイの風土的な信仰の影響を受けない彼は、人間の生誕以前に霊魂の存在をフィロソフィストとして、思考の先に在りきではなく、深遠なる知識と人間の体験を絶ゆまず求めています。人間霊魂を活性化させる研究者としてのアリストテレスの真骨頂が此処に見出されます。
2015年08月28日
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「思考と直覚」人間の霊魂を思考/アリストテレス-8(二百十二) アリストテレスの著作は大きく分けて3つの要素・種類に分類されます。市民読者層向けに書かれ公刊されたものである、師のプラトンのアカデメイア在学中にプラトンの著作に倣った祖師ソクラテスの問答法による対話篇の形式、此の形式は一大でもあり一代にて終わる稀代の英傑アレクサンドロスの家庭教師時代に、「君主政治について」や「植民に関して」等も含有します。しかし、今日までに伝搬するのは史上確認された記録、紀元前200年頃の記載では19種類の名前が挙げられ、最もアリストテレスの思考と思想を代表するとされていますが、残念ながら、本編は消失し本編が僅かながらに「霊魂について」哲学について」プロテブティコス(哲学のすすめ)」の3編、其れも断片しかしか知ることが出来ず、後世のアリストテレスへの傾倒及び批判から推測することにしか確かめることは推測であることを前提としてしか成し得ません。然るに、アレクサンドロスの征服地における宗教への寛容さ等をアリクとテレスの教育を受けたと鑑みれば、霊魂の存在と不死を宗教的見地を超えたソクラテス以来確信するアリストテレスの世界観・人間観はフィロソフィスト其のものであり、他から与えらる信じさる信仰ではなく、自己の思考を突き詰め遡及し確信したした思想を表顕していることからも頷けます。「霊魂」という言葉と其の語彙はアリストテレス以上に相応しいものはあり得ないでしょう。
2015年08月27日
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「思考と直覚」人間の霊魂を思考/アリストテレス-7(二百十一) アテナイ西方の師のプラトンの学院アカデメイアと並立する形でアリストテレスは自己が創立したリュケイオンで教育指導すること12年、その間も休まず研究に没頭しています。此の時期が或る意味、最も彼が恵まれ輝いていたとも言えます。但し、マケドニアの総督のアンティパトロスの物質的な援助をもとに学院経営をしていた彼はアテナイ市民からは、親マケドニアと看做されるのは致し方ありません。紀元前323年にマケドニアの英傑、其れまでの世界史上に空前の支配領域を誇った愛弟子アレクサンドロスの夭折が東方からアテナイに伝わると、アテナイでは反マケドニアの気運が高まり、アリストテレスは師プラトンの著作「ソクラテスの弁明」での罪状「国家の神々に対する不敬の罪」で告訴がされようと知ります。アテナイ市民でありアテナイを故国とし愛するソクラテスとは違い、スタゲイロス生まれのアリストテレスはアテナイ市民の反感も一際強く、捕らえられると刑死することは免れえません。アテナイに左程の執着を持たない彼は、エウボイアのカルキスに逃亡することになりますが胃の患いで62歳で亡くなります。尚、彼が創立したリュケイオンは彼の学友でもあり高弟とも目される古代ギリシアのレスボス島生まれの哲学者(Theophrastus/紀元前371年)がテオフラストゥスが其のあとを守ります。テオフラストゥスの語り口は流麗であり、其の持つ批評眼が透徹さ、心優しい人柄は、アテナイ市民だけでなく、マケドニアのピリッポス2世やカッサンドロス王、エジプトのプトレマイオス1世らの尊敬を集め、植物研究における先駆的な功績から「植物学の祖」と呼ばれる人物ですが、哲学的には世俗的に映ります。更には人間は「人生に立つ」頃には死に場所を選択したがる傾向です。若者は死地を選びませんが、一角の程のもを建てる人物であれば、自己の魂が安らぎを得られる場所を選びます。ソクラテスの死が高潔でアリストテレスの其れが卑劣だというものではありません。
2015年08月26日
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「思考と直覚」人間の霊魂を思考/アリストテレス-6(二百十) アリストテレスこそが哲学における形而上学の大成を成し得た人物と言えようが、彼の初期に観られる思考は多分に師のプラトンよりもソクラテスの影響下にあります。但し、後々のアリストテレスの思考形態は師のプラトンへと傾いていきます。また、其の頃のアリストテレスの政治思想は都市国家群で成り立ったギリシァ圏での思想に縛られており、旧来の此のポリス形態を、思考方法や倫理・論理学では家庭教師として影響を与えたのは間違いないでしょうが、その都市国家制度を徹底的に破壊・崩壊させるアレクサンドロスには政治学は煙たがれていたことが推論されます。その都市国家同盟がマケドニアのフィリッポス王に紀元前338年に、カイロネイアの戦いで敗れ、更に其の2年後の紀元前336年にマケドニアのフィリッポス王が暗殺されるに及び、若干二十歳の青年のアレクサンドロスが後継となるに、忽ちのうちにギリシァ本土を平定、其後、軍を東方へと進軍させます。その其の若き英傑を幼き頃より教育した良き師アリストテレスは、当時のアテナイは、当然に、マケドニアの総督の支配下に敷かれており其の援助のもとに、アテナイ西方の郊外、プラトンの学院アカデメイアとは反対の、アテナイ東方の郊外、アポロン・リュケイオス(Apollon Lykeios)の神殿があった神域に、自己の学院リュケイオンを創立、リュケイオンの名は、現在もフランスの国立高等学校の名称リセ(Lycée)という言葉にも名残りを残し、現代用語で屡々出てくる「レクチャー」もリュケイオンが語源です。何れにしても以後にはアリストテレスの力によりアカデメイアを凌ぐ興隆を極め発展していく時期を迎えます。
2015年08月25日
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「直覚霊知」317追録四プラトン9(秘学論理) プラトンは生命の、取り分け特別な「理性」のようなものを裡に抱く高度な精神は人間の誕生以前から「(霊)魂」が存在していることの証だと結論づけています。彼は「バイドン」において、ソクラテスに、霊魂が肉体を必要とせず先天的にそなわった知識があるということを語らせ展開させます。其の根拠となる先天的にそなわった知識とは、何等かの人間の外感覚的な感性を介さずとも、其のもの本体として直接「魂」の考察の対象となりうる数学及び論理学を例にあげ、其の考察は魂の回想によって齎されるものであり、故に魂は誕生の以前から存在していたのは当然だという意を述べるのです。ソクラテスの言「生命が死を生ずるのと同じように、死は生命を生ずる」は、霊魂の不滅と同時に再生のための新しい肉体への帰属を意味し、俗に言う「誰それの生まれ変わり」という説にも信憑性を与えます。此のことより、ソクラテスの言なのかプラトン的解釈は別にして、「何々・である」としたものの根本的「ある(イデア)」とと同様に、純粋で分解することは出来得ない。純粋なものには「始まりも終わりも変化もありえない(Also started the end also is not)、したがって魂は変わることなく永遠なものとしてある」のだと結論します。魂の不死は揺るぎのないことであり、したがって改めてその実在を論証する必要は豪もないという確信、魂が肉体から離れて独立の存在を保ち続けるという、ギリシャ的霊魂観を自明の前提として語っており、敢えて其の実在の証明を簡略化していますが、形而上学として或いは観念論として厳密に追求されていたならば、後々の「宗教解釈」も変化せざるを得なかったでしょう。
2015年08月24日
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「直覚霊知」316追録四プラトン8(秘学論理) プラトンの表現に現出する「善」の存在を、単純に現代の小本辞書の善、即ち人間の持つ善性と捉えると大きな誤謬に陥ります。此の「善」はソクラテスの説く「真・善・美」、言い換えれば世界の根幹にある理法が「真」であり、其処から導き出されるものが、人間から観相すれば都合の悪いこともあるだろうが、其れは人間の感性上の問題であり、純世界的には「善」其のものであり、其の纏う形姿が「美」であるのに対応しています。プラトンの本意にあるのは、世界はたんなる事物の集合体ではなく、第一に意味と価値の秩序として存在するのであって、世界内存在の事物としての側面はその秩序「理法」に従う。それゆえ哲学が特に考えなければならないのは、意味と価値の秩序のもつ本質である「理法」の根源である其のものです。日本の哲学ヒーロー、世界に日本哲学を紹介した西田幾多郎の「理法」との共通性が浮かび上がります。其処に必要なのは善や美の諸価値から編まれた世界像を観想するには「直感或いは直覚」が要であって、人間の生存の目的に指針を与えています。
2015年08月23日
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「直覚霊知」315追録四プラトン7(秘学論理) プラトンの造語の中でひときわ奇異に響くのは「魂の配慮(世話)」の一言です。其の語意を彼は魂は不死であり、其のこと故に、魂は、人間の現世に在った其の人生が過ぎ去ったとしても、再び來世に生まれ変わる。仮にも其れを真実だと捉えるならば、人間は自己の精神を絶えず自己の内精神に沈潜している魂に配慮しなければならない。何故なら、人間の総てを支配するのは魂であり、魂をより最善へと磨き上げていくことが各々の人間にとって大事だからだと述べています。更には、仮にしろ魂が不死であると考察するならば、我々人間が人生と呼称するのは外感覚的で物質世界である此の環境にある「現実在」期間だけでなく、全時間にわたっても、魂の世話・魂への善的方向への努力をしなければならぬということになると説きます。 人間が現世に生を受けて人生を送る真相は、成すべき魂への配慮、現代風に言い換えると自己精神の全き魂を目標とした自己配慮であると言うことが出来ます。
2015年08月22日
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「直覚霊知」314追録四プラトン6(秘学論理) プラトンは魂の不死をクラテスの口を通じて語ります。かつて私は、アナクサゴラスが「万物を秩序づけている原因は知性(ヌース)である」と論じているのを読んだことに関して、そのとき私はこの「原因」の考えに共鳴した。知性とは世界を善に従う秩序として統合しているものに違いなく、若しそうであれば、考えるべきは何が最高の善である何かになるからだとしています。言い換えれば、人間自身の存在及び他の如何なる存在、何が最善であり何が最上であるかということ以外には、人間にとって探究するに値するものは何一つないことになり、其の不合理を、知性を世界を秩序づける原因と見做すかわりに、水やエーテルなど物質的なものに原因としている唯物観を批判します。其の訳を「いま私がこのように牢獄のうちにいることを、アナクサゴラスであれば次のように論じるだろう。私の身体は骨と筋肉からできている。腱と筋肉は骨同士を関節部で結合し、骨がばらばらにならないようにまとめている。腱を縮めたり伸ばしたりすることによって、私は足を曲げることができる。これらが原因となって私はここにいるのだ」とソクラテスに語らせます。続けて、「しかし、それは本当の原因ではなく、原因を原因たらしめる条件でしかない。私がここにいる本当の原因は、アテネ人が私に刑罰を与えるのを善いと思ったからであり、私が裁決を受け入れ、それにしたがって刑罰を受けることを善いと思ったからだ。善が本当の原因である。さもなければ、腱や骨が私の意志に関係なく、とっくに脱獄してこの土地を離れていたに違いない。それらは原因を原因たらしめている条件であり、それら自体を原因と見なすのはまったく馬鹿げたことだ。」と人間の単なる外感覚的世界や物質世界との交渉から感覚的な性状の精神ではなく、普段には人間身体の思考からは隠された内精神に備わった「(霊)魂」の善性を説きます。
2015年08月21日
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「直覚霊知」313追録四プラトン5(秘学論理) プラトンの言に従えば、。人間の身体の滅びに伴う外感覚的な「精神と肉体」との別離である死後、人間に備わっていた「(霊)魂」現実世界であった物質世界から離れて彼の別世界へ行くとの概要ですが説きます。生まれ・変わるとは、自己が死を経て彼の世にあるべき「(霊)魂」の形姿を纏うこと、其れが死んで又生まれ変わることだと言い、それ故に、魂の不死は必然的であり証明できるとします。其処から導かされるのは、イデア解釈的には理法は魂が肉体から解き放たれたとき、外感覚的世界や物質世界の束縛を排除した時点で、なお、形姿を変容しても生き続ける事実があるからだとも言い、「(霊)魂」は不死であるからこそ在世中に外感覚的世界や物質世界の汚穢を取捨して純粋になり観相することが出来得る。神秘論的傾向はあるにせよ、精神史を忘却した現代人には貴重な助言であるとも言えます。後世には、此の論がネオプラトニズムの創始者といわれるプロティノスによってキリスト教哲学に取り込まれることになり、キリスト教を宗教哲学までに高めます。インド大陸のシッダールタの思考と思想をナーガールジュナが独自解釈し大乗哲学を構築したようにです。然し乍ら、輪廻転生を哲学的に説明しようとするのは至難の業ではあります。
2015年08月20日
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「直覚霊知」312追録四プラトン4(秘学論理) 世界内存在を「其れ」たらしめている本質である真実在「イデア」を捉えるには、プラトンは魂を肉体との関係を絶縁させろと言います。此れを一般的に捉えて魂を精神と解釈する向きもありますが、通常、精神は外感覚的で物質的なものに伴って変化するものであり、恒常性がなく遷ろい易いものであり、プラトンの「魂」の解釈を精神と解釈すると誤謬に陥りかねません。此処は自己の肉体に同居するものの頭脳の働きを沈めていくことによって見出し得る精神の内層其のまた深層に眠る「霊魂」と捉えれば、肉体を離脱しても、魂そのものによって人間が求めこがれている知恵が、我々のものに成り得るということが解釈できます。但し、インド大陸のシッダールタとは異なり生存中に「もの」の真実、言い換えれば「世界を基礎づける理法」は不可視だというわけです。「もの」の真実、言い換えれば「世界を基礎づける理法」を純粋に見ようとするなら、肉体から離れて、魂そのものによって、「もの」そのものを見なければならぬということは、本当のソクラテスが自己を「無知の知」を知るものとした目的の知恵がを獲得する可能性を述べます。しかし、其れは死後であって生前には不可、言い換えれば、死後の魂の存在を宣言しています。
2015年08月19日
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「直覚霊知」311追録四プラトン3(秘学論理) ソクラテス亡き後、ソクラテスの弟子のひとりだったパイドンが、哲学者エケクラテスにソクラテスの最期の様子を語る、という様式で記されているプラトンの著作「パイドン」は、「メノン」や「国家」論に並ぶプラトン中期の代表作ですが、其の終盤において人間の死後の霊魂の行方・運命に触れています。生存期間において肉体からの隷従を解放し「永遠のイデア」得たものは、死後には「神々」と「交わる」祝福のうちに暮らすであろう。此の解釈は、神を大光霊と捉えれば其れとの一体化と換言できますが、「永遠のイデア」を「絶対意識」である世界理法ととらえた場合は「神々」ではなく「一神」または「有」と捉えるべきでしょうが、此処は鷹揚に「其のようなものだと」表現したものと解釈します。インド大陸のシッダールタの覚りに近似しています。但し、シッダールタとは異なり「輪廻思想」を持ち込んでいます。生前に永遠のイデアを手中にした者は死後には祝福を勝ち得、存命中に自己の精神を外感覚的肉体即ち、その欲する儘に行動し、自己の精神の深層に存在する筈の「霊的存在」を陵辱した者の魂は墳墓をさまよう幽霊となるか、馬や狼といった動物の身体に宿ることになろう。知恵を愛することには劣っても徳のあった人々は、蜜蜂や蟻といった社会的な生き物に生まれ変わるだろう。また、善人であったものの魂は天国に行き、悪人の魂は地獄に行き、中間の人々の魂は煉獄に行くのだともいう。此処までは流石に他の著作から観てプラトンの思考とは想われませんが、此処で其のことを記しているのは、当時のギリシァ人の宗教的心性を、美しい言辞を纏わせて其の支配するオルフェウス教を中核とした宗教的心性を批判しているようにも取れます。然し乍ら、古今東西、の「輪廻思想」が共通していることには驚かされます。人間の精神に内蔵する「?」は「世界理法」の恩恵なのか重圧なのかは自己の存在を実有と考察するか、束の間の世界内存在に現出した限定的精神を帯びつつも「絶対意識」に繋がるのかは高位の霊の助成が必要なのかもしれません。
2015年08月18日
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「直覚霊知」310追録四プラトン2(秘学論理) プラトンは、著作「パイドン」で肉体を否定し、魂を「善有」と捉える態度プラトニズム、哲学者の本義は、あるもの(世界内存在)を「其れ」たらしめている本質である真実在「イデア」を捉えることにあり、其のイデアを捉えるためには、哲学者は自らの身体から離脱しなければならない。肉体は真理(世界理法)を認識するには邪魔者でしかないと述べます。例えれば、世界には無数の机がある。それらは形も大きさも様々にも関わらず、其れが机だと認識出来るのは、私が個々の机のうちに机其のものを見て取っているからだと言い、此の「其のもの」こそがプラトンはイデアと呼んでいます。「それでは、真実がすこしでも魂に明らかになることがありうるとすれば、それは思惟することにおいてではないか」、「ところが、思惟が最もみごとに働くのは、魂が、聴覚、視覚、苦痛、快楽といった肉体的なものに煩わされることなく、肉体を離れて、できるだけ魂だけになって、肉体との協力も接触もできるだけ拒み、ものの真実を追究するときなのだ」、「だから、この点でもまた、哲学者の魂は、できるだけ肉体を蔑視し、それから逃れて、魂だけになろうとするのではないか」、哲学者は、肉体からみずからを解放するように努力しなければならない。肉体に捕らわれていては何が真のイデアであるかを理解することはできない。真のイデアは、肉体を離れて純粋な魂となったときに、即ち、死に至ったときに初めて見ることが出来得るのだと説きます。此の文言「真のイデは、死に至ったときに初めて見ることができる」を除き、インド大陸のシッダールタを連想させます。瞑想と哲学と思考方法に違いはあれども世界理法を覚ることへの思考段階の手順は古今東西を問わないなのでしょう。
2015年08月17日
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「直覚霊知」309追録四プラトン1(秘学論理) プラトンがソクラテスの発言や行動生活環境のみならず思考経過と其の方法及び思想に熟知していたのは、面前に師ソクラテスを迎え会話したことの現実からも、彼のソクラテスの発言や行動、生活環境のみならず思考経過と其の方法及び思想には現実味があります。此の対比にあるのがシッダルダの思想を解釈し上掲した龍樹でしょう。彼は釈尊を正覚者とは敬来しながらも全く新しい大乗哲学、所謂、「偽経」自己の哲学を正覚者「シッダルダー」の言葉を借りて屡を述べていますが、龍樹が描く「釈尊」は彼独自の哲学を反映した「シッダルダーとしての釈迦」其のものであり、釈尊を信仰的には捉えていないことには注意すべきでしょう。其れはさて置き、プラトンは死後に肉体から離脱した魂の実在、魂が肉体から離れて独立の存在を保ち続けるという、ギリシャ的霊魂観を自明の前提としており、敢えてくどくど、其の実在の証明に没頭する必要を感じない程ギリシァでは思想としては一般化していました。彼にとって魂の不死は揺るぎのないことであり、したがって改めてその実在を論証する必要は豪もないという確信、魂が肉体から離れて独立の存在を保ち続けるという、ギリシャ的霊魂観を自明の前提として語っているからこそ実在の証明に没頭する必要性もないという訳です。
2015年08月16日
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「直覚霊知」308追録三ソクラテスの1(秘学論理) ピタゴラスの思考に最も影響を受けたとされるプラトンは、師のソクラテスに其の著作を以って、問答法を借りて「魂」がその人間の誕生以前から存在していることの証拠として、魂には肉体を必要とせず先天的にそなわった知識があるという議論を展開させます。例えば数学と論理学、此れ等の知識は何ら感性的なもの所謂、外感覚的世界の影響を介さず、それ自身として直接、自己の内精神の魂の考察の対象となりうる。このような知識は、魂の回想によって齎されるものであり、其れゆえに魂は誕生の以前から存在していた筈だとソクラテスは言う。他方、人間の生命が内精神の深層にある「魂」が誕生を生ずるのと同じように、人間肉体の滅びは死もを生ずる、人間生命の内精神の深層にある「魂」が死を生ずるのであれば、死は形姿を変えた新たな生命を生ずるという。加えて、「魂」をイデアのように単純で、分解できるものではないとし、単純なものには、始まりも終わりも変化もありえない、其のことゆえに魂は変わることなく永遠なものとしてあるのだと語らせています。ソクラテスは涜神の罪に問われて毒杯を呷りますが、此の著作はソクラテスの冤罪を愛弟子プラトンがソクラテスの弁明に付加したものと捉えれば、理解は容易でしょう。此の「霊魂の不滅」と「輪廻転生」此方は所謂インド大陸の伝統的思想の「輪廻」、人間が生存中の行為により対応する罪業により、例えれば、人間であったものがゴキブリとして生命を得る、或いは、奴隷は生まれ変わるにしても永遠に奴隷としてしか生命を得られないとする趣とは隔たりがあります。どちらかと言えば、、人間は生死を繰り返して、一般生物の進化とは異なって人間生命の内精神の深層にある「魂」を成長させていく特異な存在を理法的に獲得していることです。此の理法をピタゴラスの唱える数の「絶対存在」或いは「人格神」と捉えることにより「フィロソファー(philosopher)}と{宗教家(religionist)や信教者(Religion 's)}との別れ道です。「直覚霊知」的には理法を問うフィロソファーの思考方法を優先していますが信仰も完全否定してるわけではありません。
2015年08月15日
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「直覚霊知」307追録二ピタゴラスの2(秘学論理) 宝石細工師であった両親が、生まれたその子についての神託を受けた通りに、バチカン宮殿のVatikan M?zeler)にある4つの部屋の総称の壁画とは随分と印象が異なり、180cmを超える背丈と威厳に満ちた容姿、神託通り万人の知恵を超え、発する言葉が簡潔にして含蓄あり、アジアの釈迦や聖徳太子を連想させる人物です。ピタゴラスは若い頃から各地を遍歴し、クレタ島の秘密教団に入信し、エジプトの学者達から秘儀を学び、ユダヤ教の宇宙論を学ぶために割礼すら受けたといわれます。更には学問だけではなく、文武両道であり、オリンピックでの拳闘技で優勝したことすらあったといいます。そのピタゴラスはB.C.550年頃に「万物の根源(アルケー)は数である」と宣言、自然現象が一定の法則に支配されていること、その法則が数式により表せることをカリスマ的な説得力を持って説明します。当時のピタゴラスの魅力は絶大で、万物の根源としては初めて数学という「観念的な存在」を導入、音楽の和音から、惑星の軌道に至るまで、其の事柄の背後に「数の秩序」が潜んでいることに気付いたピタゴラスは、アインシュタインの宇宙法則が如く「数」の美しさに陶酔「数」を崇める宗教としてピタゴラス教団を設立、此のピタゴラス学派と呼ばれる独自の哲学集団は、後世のアカデメイアとは異なり、数を神乃至は理法として崇めていることにあります。それ故に、教団に入るためには、全財産を寄付し、俗世を断つ必要があっても、大勢の弟子たちが、「数を知ることが真理に近づくこと」だと信じ、日夜、数学の証明を勉学します。その中で生まれた「ピタゴラスの定理」こと「三平方の定理」直角三角形の斜辺の2乗は、他の2辺の2乗の和と等しいはピタゴラス自身が発見したとすることには疑義があれども、其の精神は正にピタゴラスです。ところが、ピタゴラスは、線は極小の点の有限個の集合であると考え無理数の存在を否定し、シンボルマークの五芒星に現れる黄金比も無理数であったのに無理数についての正論を吐く仲間を溺死させたことさえあるとされます。また、彼は輪廻思想をオルフェウスを伝説上の創始者とする古代ギリシアの密儀宗教であり、密儀に入信し,肉食の禁止などの戒律を守る信徒に,死後の世界における幸福を約束し、その思想の中で輪廻を説いていたとも伝えられます。彼乃至信徒の最後が悲惨であることに拘わらずピタゴラスが動物と話が出来る、極めて高度の魔術師とは呼ばれることはあっても、自らを神格化していないところに信仰集団としては非常にユニークな印象を受けます。
2015年08月14日
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「直覚霊知」306追録二ピタゴラスの1(秘学論理) ピタゴラスに始まりソクラテスにプラトン、其の愛弟子アリストテレスにしても北東ギリシアのスタゲイラに生まれ、共にギリシァの血脈です。其の古代ギリシァ哲学の本流の中で特異なのはピタゴラスでしょう。恐らく現代人が「ピタゴラスの定理」の言葉を一度は聞いた筈です。ピタゴラス(Pythagoras/紀元前582年 - 紀元前496年)は、宝石細工師であった両親からフェニキアのシドンで誕生、其の両親が生まれたその子についての神託を受けたところ、「美と知恵にかけて万人に抜きんでた存在となり、人類に多大な貢献をするだろう」と予言されたとの逸話が伝わっています。「ピタゴラスの定理」という言葉、その定理は実際はピタゴラス創設の教団内部で発見されたとされる学説もありますが、このことから、現代人であれば誰もがピタゴラスを現実主義で合理主義者であり至極の数学者と想像しますが、豈はからんや、ピタゴラスの実際の姿を、現在の意味で言う数学者として捉えると彼の人物を誤解して実相を掴めません。何故なら、当時の数学の範疇は、哲学にも、宗教にも、魔術でもあったからです。事実、彼の伝記を調べたな方なら、そこにいるのは、宗教家、神秘主義者、オカルティストの数学魔術の祖であったことに気付かされます。加えて、彼の風貌は180cmを超える長身と、活力に満ちた完璧な肉体、其の容姿は威厳に溢れ、常に穏やかで落ち着いた気質を保ち、喜怒哀楽の感情を露骨に表すことはなく、彼の発する言葉は簡潔にして含蓄があり、まるで神託のようであったと伝えられています。更にピタゴラスは、若い頃から各地を旅し、ゾロアスター教に触れ、エジプトで密儀参入して宇宙の真理を体得したとされています。彼の骨頂とも言えるのが、宇宙は数に支配されていると唱え、なかでも数の神秘を説いたことにあります。現代にはアインシュタインに代表される思想が此の流れを汲みます。
2015年08月13日
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「直覚霊知」305追録一(秘学論理) 私が想い付くまま綴った「思考と直覚」でも述べていることですが、有史以来のギリシァの哲学はタレスに始まる出発点こそ唯物的傾向が表層には流れていますが、其の本分は現代調の唯物主観とはたいそう趣を異にした霊魂観が深層には基底として位置づけられています。即ち、ギリシァ哲学の本流は人間の霊魂観の真相を実相することにあり、ピタゴラスに始まりソクラテスにプラトン、其の愛弟子アリストテレスに至るまで人間の霊魂と肉体の関連性の実相及び世界理法との関連と其の実相、其の深淵にある創造の根拠となるものの根源を追求することにあり、数学系のピタゴラス、真・善・美の根拠を説くソクラテス、ソクラテスの思想を著述し、自らの政体思想を説くプラトン、其の最高のアカデメイアで学んだ学生アリストテレスには、現代の我々には当時のギリシァ人はエイリアン(alien)と考えなければ現代では認識出来ないほどの頭脳を携えています。此の四者に共通するところは「霊魂」を唯物的には捉えず、現象的な世界には見得ず、現象的な世界に隠されたとされる深層世界を直覚すれば「観・得る」ことを示唆していると云えます。
2015年08月12日
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「思考と直覚」人間の霊魂を思考/アリストテレス-5(二百九) プラトンが亡くなり、アリストテレスは学園を辞してアテナイを去ることとなっても、入学直後のプラトンの事情がどうあったにせよ、其の後の20年間、プラトンの死までアカデメイアに止まったことは、現代でいう准教授から教授を経て名誉教授にまで昇り詰めたことを意味し、其のことがアリストテレスのプラトンへの敬愛の証となっています。アカデメイアの学風は誰にも納得し得る数学的要素を重視し、外感覚的世界を離れた超感覚的、即ち、外感覚とは切り離された隠された真実、人間の内精神の深層に眠る霊魂に主要な関心を向けている学風でしたが、此の事は、生来の経験を重視する傾向とは相容れなかったとも想像されますが、其の後の経緯からアリストテレスの思考方法には変化を見い出せます。何れにせよ、師のプラトンは此の類い稀なアリストテレスの優駿の才能を認め、アカデメイア在学中のアリストテレスの代々の家業が医師であった事もあろうと想われますが、生物学の研究に向かう様に期待を持って指導、アリストテレスも自己の思考方法にプラトンの生物学的見地を深く刻み込みます。其の師のプラトンが死んで、アカデミアを其の甥に当たるスペウシッポスが学頭に選ばれた後、彼は小アジアのアッソスに移り住み3年間を研究と著述に励みます。其の後、師のプラトンが生物学の研究に向かう様に慈しみを持って指導した生物学にレスポス島の海岸にあるミティレスに移った後も研究に没頭しています。其の後間も無く、紀元前342年に彼の人生を転換する事件、マケドニア王フィリッポスに招かれ、史上最も有名ともいえる英雄になる若干13歳の王子アレクザンダーの家庭教師に赴くことになります。世界は教育が作るのか才能が作るのか将又、事前に予定されているのかは、思想及び思考と直覚への適性の問題となります。
2015年08月11日
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「思考と直覚」人間の霊魂を思考/アリストテレス-4(二百八) プラトンの創設したアカデメイアに入門して修業時期のアリストテレスについては真偽の定まらぬ多くの伝記や伝聞が残されていますが、家代々の財を食い潰した挙句、食い扶持のために軍隊に入るも挫折、除隊後に医師として身を立てようとしたのも失敗、それ故プラトンの門を叩いたのだと言う者までいます。其れは兎も角、アリストテレスはアカデメイア第一の読書家と謳われたというから、シケリア滞在で不在のプラトンの書簡は読み耽っていたことは間違いないでしょう。プラトン主催の学園アカデメイアに入門当初は、彼の思想傾向は、アリストテレスが30歳の頃の著作とされる「エウデモス」が、実質的に「バイドン」に拠るところが多々見られることから推定されます。然しながら、其の後の20年間を師プラトンの死、それもアリストテレスよりも遥かに財産に乏しく貧しいものであったことが知られています。また、アリストテレスは師プラトンから「学校の精神」と評されたとも伝えられる程、時には教師として後進を指導することもあったと伝聞にあります。紀元前347年にプラトンが亡くなると、その甥に当たるスペウシッポスが学頭に選ばれますが、この時期、アリストテレスは学園を辞してアテナイを去ることとなりますが、学園を去った理由には諸説あり、有力な説はデモステネスらの反マケドニア派が勢いづいてきた当時のアテナイでは、マケドニアとの縁の深い在留外国人アリストテレス等にとって安寧ではなっかたことも理由のひとつと言われています。その後、アカデメイアは紀元529年に東ローマ帝国ユスティニアヌス王朝の第二代皇帝ユスティニアヌス1世によって閉鎖されるまでの永きに亘って継続しています。本来のアカデミーとは世界に於ける人間と世界の関係、其の実相をしることにあり、地位・権威・名誉、ましてや生活手段を得る目的の施設ではなかったことは理解すべきでしょう。
2015年08月10日
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「思考と直覚」人間の霊魂を思考/アリストテレス-3(二百七) 紀元前367年、プラトンがシチリアでの窮地に立っていた頃ですが、、アリストテレスは若干17歳にして、ギリシアの名門取り分けペリクレスの謳ったアテナイに上り、そこでプラトン主催の学園アカデメイアに入門します。其の時期紀元前367年、プラトンはシケリア事件、僭主ディオニュシオス1世が死に(紀元前367年)、ディオニュシオス2世が即位する。当時42歳頃のディオンは、かつての自分のように、ディオニュシオス2世も哲学によって馴致されれば善政が行われるようになるのではないかと期待し、ディオニュシオス2世を説得して自身を招請させます。ディオンも自分の勢力や、親類としてのディオニュシオス2世との関係、彼自身の哲学への意欲を含め、此の時がまさに千載一遇のチャンスだと考えていました。但し、プラトンは紀元前388年-紀元前387年頃の第一回目のイタリアのシケリア旅行では常に性的パートナーと共に寝る暮らしぶり、それを乗り越えるプラトンはディオンに自分の思想・哲学を教え、実行せよと勧めた。それが図らずも、一連のシュラクサイにおける事件の発端となります。しかし、いざ着いてみると、ディオニュシオス2世の周囲は、派閥争いやディオンへの中傷で満たされており。プラトンもディオン必死に弁護したが、4ヶ月後にはディオンは追放されてしまった。プラトンも共謀者として風評を流され、ディオニュシオス2世は、体裁を繕うためにプラトンに残留を求める意志表示は見せますが、実質は城壁内で軟禁状態に置いた事件です。また、紀元前361年にはプラトンは再度のシケリアに赴くため、其れ故、アリストテレスは初期の青年期には直接的な教鞭は無かった筈です。
2015年08月07日
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「思考と直覚」人間の霊魂を思考/アリストテレス-2幼少期(二百六) 紀元前三百年にも入ると哲学や科学史だけではなく、ギリシァにあっては伝記も盛んに書かれるようになり、アリストテレスの生い立ちも正確に記されています。彼はカルキディケ半島のトラキア地方の小さなポリスとは呼べないギリシア人の植民の町スタゲイロス、当時の此の町はマケドニアに隣接しており、アリストテレスの家系は代々医者を生業とし彼の父はニコマコスといい、後のアレクザンダー3世の祖父にあたるのマケドニア王アミュンタス3世の待医であり良き友であったといわれます。幼少にして両親を亡くし、義兄プロクセノスを後見人として少年期を過ごす。このため、マケドニアの首都ペルラから後見人の居住地である小アジアのアタルネウスに移住したとも推測されているが、此処のところは正確な記述は伝わっていません。アリストテレスが説く思考の出発点に、経験を重視する学風があり、特に経験を実証主義的に捉える実在論者であるのは家業の影響も見逃せません。ソクラテス・プラトン・アリストテレスに共通するのは比較的に修学には恵まれた環境下、旧約聖書当時における世界最高峰の教育環境下にあったナザレのイエスとは対照的なモーセには届かないにしてもフィロソポスに基礎を築くのには充分でした。
2015年08月06日
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「思考と直覚」人間の霊魂を思考/アリストテレス-1(二百五) 人間を取り巻く世界観にソクラテス・プラトン・アリストテレスの思想には随分の差異が見かけられますが、其の思考方法にには其れ其れに表立つほどの相違はありません。唯物主観から見れば軽視される人間の内精神の出自の根源としての真実・真相を究明せんとしているからです。相違があり歯に批判的な原則論を主張するのはフィロソポスの基礎であり、信教にはあり得ざることであり、異論を述べれば異端として排斥されることは史的事実からも明瞭でしょう。その当の人物アリストテレス(前384‐前322/万学の祖)はアカデメイアで教育されたプラトンの最大の弟子であり、当時におけるプラトンへの最大の批判を指摘する最大の批判者でもありました。中国儒教の孔子の弟子顔淵では在り得なかったのです。観念論的な師プラトンに比して、アリストテレスが説く思考の出発点には、経験を重視する学風があり、経験を実証主義的に捉える実在論者でした。とはいえ、彼は、所謂、唯物主観の立場に立つことはなく、人間精神の実相の追求を試みます。ソクラテスもプラトンも書斎タイプの学者ではなかったが、アリストテレスは若くして読書三昧、老いては研究と教授に没頭する学者哲学を絵に描いたような人物でした。其のことは彼の残されている編・章・説に分かたれている講義ノートが学術書の体裁を持っていることからも明瞭でしょう。言い換えれば哲学が今日に至るまで面白みに欠けるとした素因になっていることも歪みえません。
2015年08月05日
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「思考と直覚」人間の霊魂を思考/プラトン-11(二百四) バーネット=テイラー説にも取り上げられる新約聖書のヨハネ伝の冒頭にある初めに言葉ありきのロゴスですが、プラトンによれば世界の始原に在り、其の根源としてはロゴスがあるという思想それが「イデア」論、言葉としての世界の統一としての「一」なるものとしての「イデア」なる思想は絶対意識の存在を仄めかせさせます。現実世界に存する人間の内精神の有する能力である「真・善・美」には世界の統一としての「一」なるもの「有」としての「イデア」もあるとされます。言葉としての世界の統一としてのロゴスが代表する「一」なるもの、即ち、「二」なるものが存在しない仏教哲学いうところの「有」の実在概念、全ての世界、あらゆるものがロゴスから造られたとあるような、世界の始原・根源としてのロゴスがあるという思想の根拠、それが「イデア」です。ソクラテスの説くところの人間の感性が捉えるところの真・善・美の其れ其れにも対応するイデアはあるが、究極にあるのはそれを統一しているただ一つの真理「イデア」が存在していると述べます。詰まるところ、何が善であるかにはいろいろあるけれど、総ての善を統一している唯一の善、善の「イデア」があり、美にもいろいろあるけれど、総ての美を統一している唯一の普遍的な美があるとします。真に関しては、プラトンによれば、「イデア」こそが真の世界であり、現実の世界は仮想の世界であるとします。これに異論を唱えたのがアカデメイアで教育されたアリストテレス、彼は真の世界は個物の地上の世界にあって、天に有るとする永遠の「イデア」の世界は単なる抽象的な世界に過ぎない。プラトンは「イデア」が外在し、また、超越しているとはいうけれど、具体的なもの、質料とイデアとは密接不離であって、決して超越しておらず、むしろ相互に内在すると批判します。後の西欧の歴史経過はプラトンの「イデア」論は新プラトン主義のプロチノス・聖アウグスティヌスによって「イデア」は神に言い換えられ、中世キリスト教世界を作る源となり、アリストテレスの批判は、その後にキリスト教に都合の悪い思想として西欧からは追放され、イスラム圏に伝わることとなりアリストテレスの思想は西欧から忘れ去られ其の後の一千年間は西欧には問題視されませんでした。人間の霊魂観が西欧では神秘学となり、イスラム圏では霊的哲学として変容します。人間の精神がイデアの様態としてある限りにおいては精神の内層に培った或る種の意思はイデアに取り込まれる事も考えられますが、不足充の絶対的存在から見ては笑志でしょう。イデアは人間の思考の産物ではなく人間の培った霊魂が一体化することはあればこそ、影響を受けることなど不道理です。但し、人間の霊魂が理法に適ったものであれば人間の肉体の生滅に拘わらず再生の余地があることは、哲学なかでも神秘学や宗教哲学及び信教に数多く説かれています。
2015年08月04日
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「思考と直覚」人間の霊魂を思考/プラトン-10(二百三) プラトン(Platon)は紀元前427年に年誕してから紀元前347年に死没する生涯の晩年にもアカデメイアの教育と学究そして活溌な執筆活動は衰えてはいません。晩年の著作としては「パルメニデス・ソビステス・ポリチコス・ピレポス・チマイオス・クリチアス・法律の語の対話集、更には未完ではありましたが、エピノミス・法律後編」と実に其の意気込みは若人にも引けを取りませんでした。其処に新たにプラトンの活動に対しての異論が主張されます。少なくとも『パルメニデス』 以前の著作においてソクラテスが語っていることはイデア論も含めて実際には歴史上のソクラテスの思想であり,プラトンはむしろ「作家」としてそれを再現しているだけであるとするバーネット=テイラー説という極端な説があるにはありますが、その後の史的流れからも現代では疑問視されています。然し乍ら、哲学用語の厳密性を求めていることは認められますが、ロゴスにしてもイデアにしても言語概念の定義が非常に難解・定義は困難であリバーネット=テイラー説も自己の思考方法を持って判断しており「信」はおきかねます。但し、ソクラテス・プラトン・アリストテレスと続くフィロソポスの基礎を知るには有用な資料でしょう。
2015年08月03日
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「思考と直覚」人間の霊魂を思考/プラトン-9(二百二) プラトンの人生は何を聞いても素直に受け入れることが出来るようになった、六十にして耳順がう「耳順」(じじゅん)になり、再び彼の人生は激しく動き出します。奴隷の身に落とされるところを辛うじて支持者アンニケリスに買い戻されるという不名誉を味わった古代ギリシャの植民都市シュラクサイに起源を持つ都市シラクサ、映画「ゴットファーザー」有名なシチリアの一部を支配していたディオニュシオス一世の死を期として、若い息子二世が後を継ぐことになったのです。20年来の知己であるディオンがディオニュシオス二世の後見役となり、其の彼が「プラトンの理想とする国家」を建設したいのでシラクサに来て欲しいと要望、プラトン自身は非常に悩んだことは書簡からも憶測されます。何故なら、ディオニュシオス二世は若いし更には若者というものはは熱しやすく冷めやすい。其の事をプラトンはアカデメイアで若者と一緒に生活する中で身にしみていたからです。それにシラクサはディオニュシオス一世によって完全な専制君主国家にされていて市民は脆弱に流れているのをプラトンは20年前に目の辺りにしていた筈です。何故に、小さな小国とはいえ専制国家でありプラトンに身の危険を及ぼした国家に危険を犯してまでシケリア行きを断行したのでしょう。其の真相はかなり複雑です。老身に鞭打ってアカデメイアの「教育と学究、執筆」を中断してまで危険な賭けともいえるシケリア行きを断行するのは一つの理由は机上の理論ではなく実際の現実政治です。あるべき姿の国家を思考する者がそれを実らせようとするなら此の機会を逃してはならない。老いてなお若き時の理想に燃える若い情熱を持ち続けているプラトンが見られます。もう一つの理由はディオンに対する信義と友情でしょう。仮に自分が行かないことでディオンの目論見が破れ、彼がアテナイに亡命するようなことになれば、顔を上げてディオンに向き合えるか、自己の苦労や命を優先して志を同じくする友の信義を裏切るのは、師のソクラテスの精神を無に帰すことになる。プラトンは其の行為がフィロソポス、即ち、良く生きることについての知の愛し求める者の面目を失なわずにすむのだと述べています。彼の脳裏には、悪法も法なりを実践して命を捨てていったソクラテスの面影が彼の脳裏に強く浮かび上がっていたことは想像に難くありません。
2015年08月02日
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「思考と直覚」人間の霊魂を思考/プラトン-8(二百一) 不惑の年齢40歳を超えてからもプラトンはアカデメイアで教鞭を執リながらも、其の後の20年間を活溌に著作に打ち込みます。即ち、「メネクセネス・饗宴・バイドン・国家論の第2から10巻・バイドロス・テアイテトス」と、其のどれもが重厚さに溢れています。当然に此れ等の著述はアカデメイアで教えていたでしょうが、取り分け、国家論には国を背負う青年の指針としての政治及び思想体系が述べられており、プラトンのアカデミーの教育目標であることは容易に推察されます。特に哲学と政治及び科学の統合は、アカデメイア筆頭の弟子アリストテレスに継承され、現実世界への応用は家庭教師の弟子マケドニアの青年アレグザンダーによって実現されることになります。然しながら、此の20年間はアテナイはじめポリス諸都市にとっては平穏無事とは正反対に、スパルタとテバイの衝突(Battle of Leuctra)は一段と激しくなり、ギリシァの北方にはマケドニアが興隆し、東方古代よりの文明圏ペルシァの脅威は相変わらす強大で其の圧力は国政を揺るがす存在として依然として変化はありません。その情勢のなかでプラトンは再び60歳となったプラトンの人生は激しく動き出します。其の意志力は師のソクラテス譲りであり自己の思考する信念に源泉する霊魂を信じてのことでした。
2015年08月01日
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