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「思考と直覚」人間の霊魂を思考/アリストテレス-41(二百四十五) アリストテレスの目的論的自然主観は、自然物の質料と形相を更に推し進めて、其れ其れの自然物が、受動的な質料とその質料に働き掛ける能動的原因から成るとする自説を根拠にして、生命体で人間だけが保有する「理性」を、受動的で質量的なる理性と、原因としての「その本質に置いて現実であるので、離れて存するものであり、受動しないもので純粋なものである」能動的理性とに区分しています。此の後者の能動的理性に述べられている文言「離れて存する」が、特に中世のアリストテレスの解釈に夫々の立ち位置から争点が生じます。「離れて存する」とは何ものから離れているのか、受動的で質量的なる理性とも読み取れるし、人間の肉体から独立して離れているとも解釈できます。仮に、栄養能力・欲求能力・感覚能力・場所的運動能力・思考能力の五つの能力を悉く有する人間に理性が生ずるだけであれば身体が滅すれば滅びが来る筈であり、人間に特有の能動的理性が人間の肉体から独立して離れている霊魂の中の霊魂存在であるならば、在る権威により与えられた先天的で能動的な霊魂があり、人間の死後も滅する筈もなく不死性が浮かび上がります。
2015年09月30日
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「思考と直覚」人間の霊魂を思考/アリストテレス-40(二百四十四) アリストテレス目的論的自然主観から人間の霊魂を観相すれば人間身体は道具であって、霊魂は目的だということになります。更に人間の肉体の各部分は、夫々に霊魂の働きのための道具であり、其の一つとして、小腸は栄養吸収のための霊魂の為へ働く道具になります。アリストテレスは人間の肉体の夫々に霊魂の働きのための道具の能力として、栄養能力・欲求能力・感覚能力・場所的運動能力・思考能力の五つを掲げ、人間だけが此れ等の五つの能力を悉く有し、其ノ他の高等といわれる生命体にはそのうちの幾つかが存在し、下等生物には唯一つだけが存在すると「霊魂論」で述べています。其の能力それぞれの能力を紐解くと、先ず人間の適正価値観の重要能力として感覚能力があげられます。感覚能力とは、感覚されるものの形相を質料なしに受け入れること、仏像を見るに材料を吟味して観るとかモナリザの微笑を見るのに油絵の具材を其の専門研究的職業でもなければ受け入れる能力のことです。次に極めて人間として重要なる思考能力「霊魂が集って以って認識し思慮するところの霊魂の中でもひときわ人間を際立てさせる霊魂」人間の人間たる核心ともいえる「理性(Nous)」です。
2015年09月29日
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「思考と直覚」人間の霊魂を思考/アリストテレス-39(二百四十三) アリストテレスを目的論的自然主義者だとすれば、世界内自然物が全て自己の目的を持つとの思考から、生命を持つ自然物である生命体、人間に始まり動物全般及び植物更には行きつくところ半生命体のウィルスまでも含まし得る現実在に、理法としての生命原理が働く以上は、育て生かす原理、彼は此れを「霊魂」と呼び、それらを「生物体の形相」とします。即ち霊魂は人間特有のものではなく、目的性を帯びる生命全般が有する理屈になります。此のことは、仏教哲学と共通することでもあり、興味ある課題です。此処で問題視され重要な論点は、アリストテレスが定義する著作「動物部分論」における「身体もまた何らかの仕方で霊魂のために創られた」の文言でしょう。アリストテレスの霊魂観によれば霊魂存在は人間特有のものではなく世界理法の存在が意思したものであり、其の存在を否定しない以上霊魂そのものは不滅となります。
2015年09月28日
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「思考と直覚」人間の霊魂を思考/アリストテレス-38(二百四十二) アリストテレスを目的論的自然主義者だといわれるのには、彼の主張、自然物が運動原理と静止原理を相共に持つということに尽くされます。其の主張するところの意味は、自然物は其れ其れに、おのれ自身の目的を持っており、他のものの干渉がない限りにおいて、おのれ自身の目的に向かって生成の四つの原因を、(1)或るものが其れから生成し、更には生成した其の或るものの中で存続する質料。(2)質料を有るものへと型付け、更に生成した或るものの中でも質料と結合している形態。(3)変遷、即ち移り変わりを起動し、静止させるものである動力。(4)ものの変化の生成を其のために行う目的因の四種類を含む運動を説きます。此処に注意すべきは「第一原因(unmoved mover)」でしょう。自然物が運動出来るのはビリヤード台には見えないキューを突く存在のハスラー、マイナスイメージになって仕舞いがちの「ハスラー」ではありますが、活動家や敏腕家、やり手といった意味もありますので、良いイメージで受け止めることもできる意味での起動者としての「神」を前提にしたのは其れを除けば自然そのものの理法が見えて来ず因果・運動は起こりえないこと、唯物的感覚だけにとらわれていると自然物にしろ人間精神の働きまでもが因なき現象となり不可解となります。此のことを引用したのが世界全体が第一形相を最高目的として運動するという思想を基礎とし、創造主たる神の意志を前面に出すキリスト教神学です。
2015年09月27日
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「思考と直覚」人間の霊魂を思考/アリストテレス-37(二百四十一) アリストテレス目的論的自然観ですが、一つの或ものがは形相と質料の二つの意味合いを持ち、質料が作動因あるいは自然物の中の運動原理である「動力因」を持つことはないが、其の質料も形相の特性を持たざるを得ず、形相と質料は一体化し、形相が質料から観ずれば目的であり、質料を形相から観ずれば原因となり、形相には同時に質料を含有するのが自然であるから、質料一体の形相は目的であり原因となります。此処にアリストテレスが掲げる「動かすが動かされない不動の動者を「第一原因(unmoved mover)」とされ、彼が「神」と呼称する存在が自然物でないことの根拠が浮上します。アリストテレスが「第一原因(unmoved mover)」を自然における背景にある理法そのものと捉え、現代的な宗教の人格神ではなく、我々人間に、取り分け物質界に捕らわれ外感覚的には隠されたものが世界の理法を成さしめることを前提に質料一体の形相は目的であり原因であらねばならぬ目的論的自然観を展開しているのです。経験主義傾向の強いアリストテレスは霊魂観に付いては神秘学的であり後世の神秘学者にも影響を齎しています。即ち、個物は自然界ではまたより上位の形相を目的として運動し、究極的には、世界全体が第一形相を最高目的として運動するという、中世最盛期以降のキリスト教神学は、アリストテレスの思想を基礎として、創造主たる神の意志を前面に出すことによって、一際明確化した目的論を展開する根拠を与える原理として。
2015年09月26日
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「思考と直覚」人間の霊魂を思考/アリストテレス-36(二百四十) 他の一切の欲求または憧れの目的とするアリストテレスの思想は目的論的自然観です。其の中に自然物をアリストテレスは、其れ自身の中に運動及び静止の原理を持つものと定義しています。此の定義は「動かすが動かされない不動の動者を「第一原因(unmoved mover)」とは一見矛盾しているように想えますが、アリストテレスの自然とは、単に個々の自然物の集合体ではなく、自然物に内在する運動原理「動力因」を指しています。「動かすが動かされない不動の動者「第一原因」を持ちだしたのは、自然そのものにも隠された、不動である「有」としての作動因、大自然の根源的存在、何事も欠けることがない完全体の存在、例えばビリヤード台には見えないキューを突く存在の自然とは離れた「神」を解き明かしています。それ故、神的存在ではない大自然は、神の理法のもとに其れ其れの自然物の中に運動原理である「動力因」を持つことは矛盾しません。其のように解せられた自然は形相と質料の二つの意味合いを持ち、形相としての自然は同時に目的であり、目的としての原因足りえると解き明かします。
2015年09月25日
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「思考と直覚」人間の霊魂を思考/アリストテレス-35(二百三十九) アリストテレスの説く動かすが動かされない不動の動者を「第一原因(unmoved mover)」と名付けたものは、仮に其れ自身が動くものであれば、更に其れを動かしたものに遡及するから「第一原因」とは名付けられない。それ故に世界の汎ゆるもの、凡そ在るとされるものを、自らは動くことなく他のものを動かすことが出来得るもの、アリストテレスは、此れを家系的に医師であって生物学に秀でた彼は、他の一切の欲求または憧れの目的となることによって可能だと述べます。然し乍ら、他の一切の欲求または憧れの目的とは生物学的概念です。しかし、生物学者としての彼は自然全体を「一」の生物と看做し目的論的に捉えています。更には経験論を思想の中で重要視する傾向にあるアリストテレスは「第一原因」を一切の感覚的なものを超越した、不動の動者の存在を認め「絶対意思と絶対意識」としての作動因を「神」と呼称しているのは後世の「エチカ」におけるスピノザを想起させますが、推測するに多分にアリストテレスの思考法を見倣ったことが伺え、アリストテレスはと云えば師プラトンのイデア論の影響を引き摺っていることは歪めません。
2015年09月24日
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「思考と直覚」人間の霊魂を思考/アリストテレス-34(二百三十八) 運動の第一原因は、其れ自身が運動体であれば更に其れを遡及することが可能となり、「第一原因」には成り得ない。アリストテレスの解決の思考は、遡及することが出来ない究極の第一原因を著書「自然学」に「動かすが動かされない不動の動者」と定義します。他者の働きがけは無く自らも動くことなく、他のものを動かすことの出来る存在、アリストテレスは其の説明を「他の一切の欲求又は憧れの目的となることによって成し得ることである」と述べます。此処に生物学を哲学に導入したの特徴が際立ちます。欲求または憧れの目的に向かって引き付けられるということは、生物学的思考のみの現象学であり、此処に哲学者の背景に生物学者のアリストテレスの顔が擡げられます。彼は存在然とした世界自然全体を目的論的に理解します。其のことから導き出されるのは、一切の物質的・感覚的なものを超越した不動の動者を想定したところに、経験論者である筈のアリストテレスに、プラトンのイデア論の影響が見られます。何れにしても、ソクラテ・プラト・アリストテレスと続く思考の基底には絶対存在としての神が在ることは否定することは難しいでしょう。星の世界で成り立っているこの全宇宙は一つであり、それは同じき実質で造られ、同じき力で動かされ、同じ物理的法則で支配をせられている唯一つの体系です。此の唯一つの法則が「理法」即ち「神」と呼称される「唯一つの常有」なのです。
2015年09月23日
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「思考と直覚」人間の霊魂を思考/アリストテレス-33(二百三十七) 哲学においての「概念」とは、 形式論理学にあっては,個々の事物の抽象によって把握される一般的性質を指し,内包(意味内容)と外延(事物の集合)から構成されるとされます。片や、経験論・心理学では,経験されたさまざまな観念内容を抽象化して概括する表象であり、合理論・観念論では,人間の経験から独立した概念(先天的概念・イデアなど)の存在を認め,これによって初めて個別的経験も成り立つとする思考を意味します。アリストテレスはそれらの思考論理を第一哲学と称しています。中でも重要な要素にアリストテレスは「運動理論」があります。其れ其れ一般に運動には、其の起因と成る直接の原因「動力因」があり、更には其の起因と成る直接の原因もまた一つの運動であるからには、其の起因とする運動を原因としている。此のように原因の原因更なる原因に次々に遡及するなば、「運動」全般乃至全ての原因の存在「運動の第一原因」に到達する筈だと述べます。この事は、吾々の住む世界の事物が個々別々の存在ではなく、凡てのものが本質的には一体であることを示すものとして重要です。
2015年09月22日
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「思考と直覚」人間の霊魂を思考/アリストテレス-32(二百三十六) アリストテレスは自己の定義とする規範に度々四種の因を掲げますが、「可能態と現実態」同様「生成についても四つの原因を数え上げます。一番目には既にあるもの、但し、此処で問題と成るのが「あるもの」の文言です。「あるもの」を「述語としての定態・常体として在る、或いはものとして状態的に有る、将又、仮想的にものを指し示す或る」等々ありますが、哲学的には此れ等を峻別する必要が求められます。此処では仮想的にものを指し示す「或る」を使い生成についても四つの原因を、(1)或るものが其れから生成し、更には生成した其の或るものの中で存続する質料。(2)質料を有るものへと型付け、更に生成した或るものの中でも質料と結合している形態。(3)変遷、即ち移り変わりを起動し、静止させるものである動力。(4)ものの変化の生成を其のために行う目的因と四種類に区分けしています。而して、アリストテレスの生成についても四つの原因を運動と捉えると其れ其れの運動には、其の起因と成る動力因がある筈です。此の動力因もまた一つの動力因と捉えて遡及するなば、あらゆることを運動に変遷せしめる「第一原因」、全ての事柄の第一起動者の形態が現れて来そうです。
2015年09月21日
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「思考と直覚」人間の霊魂を思考/アリストテレス-31(二百三十五) アリストテレスは種々に四種の因を掲げますが、「可能態と現実態」「生成についての原因」にもその傾向が見られます。其の可能態と現実態ですが、アリストテレスは、「可能態」としてあったものが「現実態」に変遷していく経過の成り立ちを「運動」と捉え、其の経過には「1.生成と消滅・2.性質の変化・3.量の増減・4.場所の移動」の四種類をあげています。それは質料が種々の形態と結縁可能な様態だということです。例えば材木は柱の形相と結縁すれば柱と成り得、空也上人の一刀彫にかかれば仏像に成り得る「可能態」だということです。そして其々の形相に実際に「一に成る」ことを得れば現実態としての柱であり仏像である実体が生成されるとときます。それでは、柱を生成する職人及び空也上人はどのような位置づけをされているのかというと、プラトンは「イデア」を意味付けさせ、アリストテレスは「運動乃至移り変わり」に過ぎないと思考します。両者の創造変化する世界観の相違が如実に表れている思考の基底が見出されます。アリストテレスは人間の魂を「可能的に生命をもつ自然物体(肉体)の形相であらねばならぬ」と説きます。肉体は質料にあたり、魂は形相にあたる。なにものかでありうる質料は、形相による制約を受けてそのものとなる。いかなる存在も形相のほかに質料をもつ点、存在は半面においては生成でもある「変遷」、即ち運動と思考しています。
2015年09月20日
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「思考と直覚」人間の霊魂を思考/アリストテレス-30(二百三十四) アリストテレスの説くところの質料とは、事物を生成するための素材となるものですが、プラトンのイデア論ではイデアは生成消滅するフュシス即ちヘラクレイトス云うところの宇宙,地球,天然資源,植物,動物(人間自身を含む)等々の「自然」を超越して,永遠に同一でありつづける超自然的・超時間的存在者です。プラトンの思考では,すべてを統べる「一」の存在者は「形相(エイドス/eidos)」と「質料即ち素材(ヒュレー/hylē)」の結合体なのですが,その存在者の「何であるか」を規定するのは,其のイデアを分有している被造物、いわばその模像である形相である。したがって,存在者の「何であるか(本質)」はそれ自体では変化を免れており,生成消滅するのはその質料的部分だということになります。其れまでの神々も人間もその文化もすべてを含む 存在者の全体(万物)のことをフュシスといっていたことに対して、存在者の全体を生きて生成するものと見ていたのと語意を異にしています。プラトンの思考の基底には形相と質料の二元論が読み取れ、形相とは「もののかたち」にみられる理念であり,霊的要因を示すとします。対してアリストテレスは、魂は肉体を形相だと考えます。魂は人間の肉体をして、一つの有機体としての人間たらしめるための本質を付与するもの、だがその魂も、理性に対しては質料となる。アリストテレスにとって、存在全体としての世界は、形相を含まぬ第一質料を最下層とし、質料を含まぬ純粋形相を頂点とする、ピラミッド型の階層秩序をなしている其の頂点に位置するのを「神」存在と解釈するのです。
2015年09月19日
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「思考と直覚」人間の霊魂を思考/アリストテレス-29(二百三十三) プラトンとアリストテレスも形相(eidos)を同義語として使用していますが、其の意味するところには隔たりがあります。プラトンのイデア論では、形相は個物から離れて其の背景に在るとするのに対し、アリストテレスは形相は個物から離れざるもので、形相は常に質料に相伴というよりは結束したものであり、質料から離れた形相なるものは在り得ないと断言します。イデア論の形相の基底にある思考には数学であり、アリストテレスの形相の基底にある思考には数学的論理を離れた現実の感覚や経験が重視されています。人間の経験の中に統一的原理を求めていく、アリストテレスの得意分野の生物学が形相の基底にある思考です。其のことへ彼を導いたのは、動物取り分け人間の精子を形相と捉え、当時は卵子が発見されておらず、月経の血をの胎内にあるのを質料と判断し、双方が結合して新たなる子供が形成されるとの土台にをもとに彼の哲学は成り立ちます。アリストテレスの研究書である動物発生論が範型にあるのでしょう。
2015年09月18日
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「思考と直覚」人間の霊魂を思考/アリストテレス-28(二百三十二) アリストテレスは第一義的に基体としてあるもの在る個物を第一実体、個物を傘下に含むところの「種」や「類(たぐい)」を第二実体としますが、基体としての第一実体を更に質料(hyle)と形相(eidos)との結合から成り立つとした質料形相論(hylemorphism)を説きます。例えれば、日本で江戸時代前期の木食僧、仏師・歌人であって全国に「円空仏」と呼ばれる独特の作風を持った一刀彫の木彫りの仏像を創るときの木材が質料(hyle/ヒュレー)であり、其の材木に働きがけ、形を与えることによって「円空仏」が現象化される。此処に、プラトンとアリストテレスの基底の相違が現れます。プラトン的なイデア観においては、イデアは現実の外にあってエロース(愛)の対象となったように、イデアを「円空」である創作者に重きを置き、アリストテレスにおいては、「イデアは個物に内在する」と捉えます。即ち、プラトンは思考としては「円空」を理法的なイデア「実体」とし、アリストテレスは質料としての材木と、掘られた仏像を「実体」とします。其処には指定の思考の基礎である思考法にも相違が現れています。前者は数学的見地からの思考であり、後者は生物学的見地からの思考であると言えます。
2015年09月17日
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「思考と直覚」人間の霊魂を思考/アリストテレス-27(二百三十一) 哲学史上「在る」という言葉の語彙は、一般的に生活で使用される「在る乃至有る」とは次元を異にしています。哲学上に現れる「在る」という言葉の語彙は、物事の本質を意味する「何であるか」に対応するもので、ソクラテス・プラトンの説く「在る」という言葉の語彙は、アリストテレスの説く「在る」という言葉と定義上において意味持つところが異なっています。「存在」に関しては19世紀の20世紀大陸哲学の潮流における最も重要な哲学者の一人とされるドイツの哲学者マルティン・ハイデッガー(Martin Heidegger/1889年-1976年)が「存在者」(Seiende)と「存在一般」(Sein)を区別し定義したことは広く知れ亘っていますが、アリストテレスは形而上学的見地から「何であるか」の問に物の本質、実体性を指意していると其の本質を付与します。アリストテレスは「何であるか」の問には、大きく在るとか小さく在るとかは「在る」という見地からは除外して、彫像であるとか人間であるとかが第一義的に「在る」ものであって「実体」だと主張します。だが此処に問題が生じます。彫像であるとか人間であるとかといっても、指し示される個物としての対象と個物における類、言い換えれば個物に共通の本質が浮かび上がります。然し乍ら、アリストテレスは個物としての対象と個物における類よりも指し示される個物としての対象を重視して、其れについて他のものごとは述語されるが、其れ自らは他の何もの術語にもならないそのもの自身」を実体と成さしめ、個物を傘下にする「類」を第二実体として区別しています。此処から導き出されるのは、イエス・キリストは実体ですが、「神」一般は普遍的であり「類」としての対象と捉えられることに成り得ることにも注視すべき課題が残ります。
2015年09月16日
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「思考と直覚」人間の霊魂を思考/アリストテレス-26(二百三十) アリストテレスのプラトンの説く個々の背後に通常では隠されている普遍的概念「イデア」も思考の基底は、存在を存在たらしめる究極の根本原理を究めんとするものであり、其の思考方法は同一であるとも云えたのですが、其の形而上学の範疇に入る「イデア」論を、個々の背後に通常では隠されている普遍的概念に実体としての存在性を付与し、現象界を仮象とし、仮象とした現象界に対立する真の存在を設けることによって実体と成さしめた。即ちプラトンは「多の上に立つ一」と説いたが故に誤謬に陥いっているとの批判です。此のことを例えれば、人類と呼称される多くの外感覚的で物質的な個々のものがあり、「イデア」論は存在を存在たらしめる実体を認めず、多々あるホモ属の上に、究極の根本原理、人間を人間たらしめる原理の「多の上に立つ一」とする存在を置く、絶対的本質である人間の型をあらしめることに疑問を呈しているのです。此処にプラトンの「在る」とアリストテレスの「在る」の相違が浮かび上がってきます。
2015年09月15日
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「思考と直覚」人間の霊魂を思考/アリストテレス-25(二百二十九) アリストテレスは自ら思考する学術を「第一哲学」と呼称したのですが、其の遺稿を最終的に編集し公刊したリュケイオンの学院の10代目の学頭であったアンドロニコスがアリストテレスは「論理学」があらゆる学問成果を手に入れるための「道具」(オルガノン)とすることを前提としたことにより、メタ・タ・フュジカ(自然学の後に)と名付けられた語、後世に転用されてメタフィジカ(自然学の後に)と名付けられた語、和名「形而上学」とはアリストテレスの口を借りれば、全てに「学問」と称されるものは何らかの存在を研究していると云えるが、其の存在は存在の部分々を取り上げ、存在そのものの本体ではなく属性を究めようとしているに過ぎないと述べます。例えば幾何学は線とか面及び立体を存在として究めんとしており、自然学は自然の存在そのことのみを研究しています。アリストテレスが自ら思考する学術を「第一哲学」と呼称した「形而上学」とは、ソクラテス云うところの「知」の領域の範囲の広範に亘り、「存在としての存在」、つまり、存在を存在たらしめる究極の根本原理に関する学問があらねばならぬとする存在一般に関する思考を究めんとするものです。其処には当然に不滅の霊魂を在らしめる「絶対者」の存在が見え隠れしています。
2015年09月14日
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「思考と直覚」人間の霊魂を思考/アリストテレス-24(二百二十八) アリストテレスの「霊魂観」の思考を観相すれば、彼は人間の精神を形成せしめるのは魂(霊魂)であり、其の魂はモナ・リザ(Monna Lisa)を描くところのレオナルド・ダ・ヴィンチ(Leonardo da Vinci)の如く、人間の肉体を形成を付与する形相だとします。それ故に、霊魂は人間の肉体をして、一つの有機体としての人間たらしめるための本質を付与するものなのだと説きます。ところが、其の霊魂も実相は世界を在らしめる理法から観れば下層となり、彼の規定する語意としての存在世界は形相を含まぬ第一質料を最下層とし、質料を含まぬ純粋形相を頂点とする、ピラミッド型の階層秩序をなしている絶対秩序、言い換えれば「世界理法」である質料を含まぬ純粋形相を頂点とした存在、後世におけるスピノザの「エチカ」にみられる「神」を示唆します。いわば、世界はピラミッド型の階層秩序をなし、その頂点に位置するのは所謂「個体神」ではなく「絶対意思」の存在を「神」と呼称します。此の思考方法は後世には、万物は可能態から現実態への生成のうちにあり、質料をもたない純粋形相として最高の現実性を備えたものは、「神」(不動の動者即ち絶対意思)と呼ばれる。イブン・スィーナーら中世のイスラム哲学者及び神学者のトマス・アクィナス等の中世のキリスト教神学者は、この「神」概念に影響を受け、キリスト・イスラムの神であるヤハウェ及びアッラーフと同一視することに根拠を与えます。
2015年09月13日
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「思考と直覚」人間の霊魂を思考/アリストテレス-23(二百二十七) アリストテレスの形而上的に思考する、ものの根本的概念としての「本質」とは、それを除外しては物事が当の物事でなくなるようなもの、それを除外しては物事が其の当の物事でなくなる質量と形相の関係の「形相」こそがものの「本質」だと述べます。石像の材料としての岩石「質量」は石像に限らず何ものにも成り得る可能性を秘めていますが、現実には何でもないものである。それを何者かに生成させるのが形相であると説きます。故に形相こそが個別的存在をそのものとしてあらしめる本質なのであるアリストテレスは思考・推論します。我々現代人は「ものの本質」及び「ものの形相」を逆に受け止めますが、アリストテレスの形而上的言語の語意は対岸にあります。注意すべきはアリストテレスの「何者にもなりうる可能性を備えたものは、可能態(デュナミス)であるとされる。質料に形相が付与されてある特定のものが生成したとき、それは現実態(エネルゲイアあるいはエンテレケイア)の状態にあるとされる。このように物事の生成とは、デュナミスからエネルゲイアへの移行ととらえられる。」とする思考です。「質料と形相とは互いに相容れないものではない。特定の質料と特定の形相とが結びついてあるものが出来上がるとしても、そのあるものがまた別のあるものの素材となることもある。この場合には、はじめのものの形相が、次のものにとっては質料となる。このように、形相は、下位のものから上位のものにむかっての階層をなしてもいる。しかして純粋な形相は質料を持たぬ本質、つまり純粋概念だということになる。」としますが、通常一般的には材料を本質と捉え形相を仮想と捉える唯物観から見れば異様な程に想え違和感があるかもしれません。此処にアリストテレスの「霊魂観」が頭を擡げます。其れは「魂と人間の肉体の関係」に、一際、強調されています。
2015年09月12日
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「思考と直覚」人間の霊魂を思考/アリストテレス-22(二百二十六) アリストテレスの形而上学の主要な思想を基礎だてているのに、前記で掲げた「普遍と実体との関係」と並びアリストテレスの形而上の思想に重要な位置を占めているのが「質量と形相の関係」です。彼は其の関係によって具体的存在者の本質をめぐる論議に各々独立した個別の実体、後世の「エチカ」で知られるスピノザの実体の定義とは正反対の語彙に、「質量と形相の関係」の概念を持ち込むことにより、存在の本質をめぐる係争を持ち込むことに成功します。「質量と形相の関係」の概念を例えれば、石像は岩石から切り出された其の像の質量であり、その岩石から切り出された塊に彫刻家は自らの思考から形相を付与します。其れ迄は、単なる石塊に過ぎない質量そのものが石像としての形相を得るわけです。だがその像は質料としての石を離れては存在し得ないから個別の実体の中に「アリストテレスが定義する普遍」が厳然として在ることになります。此のことを、人間の身体と霊魂に当て嵌めると、人間の素材は有機体であり、其の肉体は、或るものの意思を以って造物されたものであり、其の形相に現出しているのは造物主の意図が反映されているとも捉えられます。
2015年09月11日
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「思考と直覚」人間の霊魂を思考/アリストテレス-21(二百二十五) アリストテレスは、「如何なる普遍的名詞も、実体の名称であることは不可能だと思われる」と述べていま。さすれば、宗教上における多神教と唯一絶対の一神教は、前者が実体の名称であることは不可能であり、後者の唯一絶対の一神教における「絶対存在」は其れ独つのものであり、他のいかなるものにも属さない故に、其れ自体で完結された「実体」ということになります。このことから、多神教における神々とは普遍的名詞を持ち、其の与えられた普遍的名詞「神」は実体を持たないことになります。更に、アリストテレスは普遍とは公用的で公共的語意を持つ言葉である。何故なら、一つ以上のものに属するものが「普遍」と呼ばれるからであると「普遍」の御熬を語彙を変型せしめて定義し「普遍」つまり「イデア」の実体性を否定し、それを論理的な言明の中に移し変えてしまいます。アリストテレスは思考方法の経過において、普遍は論理的な思考の一環として位置付けされ、論理学という同じ平面の中で、個別的存在と関連付けられさせるに至ります。此のことからも、アリストテレスの形而上学は、論理学という思考方法により成り立っていることが明解です。
2015年09月10日
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「思考と直覚」人間の霊魂を思考/アリストテレス-20(二百二十四) アリストテレスは、師プラトンはソクラテスに倣って、先ずは世界事象や人間における個別的な事象から出発し、其の思考を推し進め、其の個々の背後に通常では隠されている普遍的概念を「イデア」と名付け実体としての存在性を付与し、現象界は仮象とし、其れに対立する真の存在を設けることによって、その間に越えることのできない溝を創ってしまい「二元論」の袋小路であるディレンマに陥ったと批判します。アリストテレスにとって其の解決策は、個別的事象と普遍的存在とを、同一平面上で相互に結びつけ統合型思考を確立することでした。個別的な事象と普遍的な存在の語彙は殊更アリストテレスにとって重要で、普遍という名詞によって意味されるものは、多くの主語の述語となるようなものであり、個別としての個体とはそのようには述語とならないものと規定します。固有名詞によって意味付けされるものが「実体」であり、其の反対に普遍とは「のようなもの」である類(たぐい)によって意味付けされるものであり、普遍は現実の「此のものとして在る」のではなく、実体とすることは出来得ない。普遍名詞の意味するものは、只管、固有名詞の意味するものに依存しており、その逆ではないと説きます。此のことから導き出されるのは神的観念に対する思考でしょう。仮に神に実体があれば個体として存在することになり普遍性が失われます。逆に類(たぐい)によって意味付けされる「のようなもの」とすると「神的観念に対する」冒涜ともとれる思考が浮かび上がります。
2015年09月09日
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「思考と直覚」人間の霊魂を思考/アリストテレス-19(二百二十三) 存在を研究する学問には、数学・科学的見地からの自然、将又、人間の外感覚的精神が捉える自然、生命とりわけ人間精神の生い立ち、人間社会における社会的動物たる人間等々、其々に其の存在を探求する学問がありますが、アリストテレスはそれらの学問を超えた万物、存在を存在たらしめる究極の根本原理に関する学問があらねばならいと思考し、其の思考を彼自身はそれを「第一哲学」と呼称したのですが、後世の思想家は、それに「形而上学」の言葉を与え現代にまで普及しています。哲学の在り方は正覚であると思える師に対しても絶えず批判的精神と態度を持って接し、自らの内精神の思考によって認識・確信出来たものを「真」とします。此の特徴が、「正覚者」或いは「預言者」の言葉の真相を研究する仏教哲学や神学との相違するところでしょう。アリストテレスの存在論は、其の師プラトンのイデア論との対決を通じて、普遍的な存在と個別的実体との新たな相互関係の中で、イデア的なものを位置付直すところに本質的な意義を見出し自己の確信する世界を説いています。其処には不滅の霊魂を「神の領域」に置くか、「世界の理」に置くかが問われています。
2015年09月08日
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思考と直覚」人間の霊魂を思考/アリストテレス-18(二百二十二) アリストテレスの著作、彼自身は第一哲学と呼称した「形而上学」は、前1世紀頃のギリシアの、ペリパトス学派の人(逍遥学派ともいう),プラトンが遊歩しながら講義した習慣に由来する呼称で、本来アカデメイア出身のアリストテレスらを指すものでしたが、アリストテレス創立のリュケイオン以後は専らリュケイオンの学院の人々を総称する呼名となったペリパトス学派の人、中でも、アリストテレスを除いて10代目の学頭であったアンドロニコスが、アリストテレスの著作を文献学的に整理し、且つ、多くの注釈を加え,後世の研究にとって大きな業績を残し、更には、特に論理学を重視し、これを哲学のオルガノンと考えたアンドロニコスによって分類整理されたメタ・タ・フュジカ(自然学の後に)と名付けられた語が、後世に転用されてメタフィジカとなり、この書物の中で展開されている思想を表す言葉となったのです。此の「形而上学」の学域とするところはソクラテス云うところの「知」の領域の範囲の広範に亘りますが、最も重要な部分は、「存在としての存在」、つまり、存在を存在たらしめる究極の根本原理に関する学問があらねばならぬとするところにアリストテレスの思考があります。
2015年09月07日
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「思考と直覚」人間の霊魂を思考/アリストテレス-17(二百二十一) 思想としての哲学は何についての学問なのかは実は曖昧であり、人によっては見解が其々に意味するところの語彙は分かれています。極論すれば人間が何か素晴らしい思考をすれば「哲学」とさえ言える程、其の学問的範囲は曖昧模糊であり、哲学の「哲」は,ものごとの道理に明るく賢明である位の意味合いの中国漢字であり、哲学者と称する人間の数だけ哲学はあるとも言えます。哲学は扱う対象が人によっても百花繚乱のものを分類確定させたのがアリストテレスです。理論学の中に「数学」と「アリストテレスが第一哲学と呼称した「形而上学」及び「自然学(第二哲学と呼称)」を持ち込んだことが、一定の「哲学体型」を築き上げた筈にもかかわらず、其の第一哲学と呼称した「形而上学」即ち有形的ではなく感性的経験では知り得ないもの、有形の現象の世界の奥にある究極的で無形なものを「第一哲学」と呼称したのですが、その解釈は現象的世界を超越した本体的なものや絶対的な存在を、思弁的思惟や知的直観によって考究しようとする学問です。ところが、主要な対象を神から授かった魂的世界を象徴すると西洋思想の長い歴史の中でさまざまな衣を被せられ、実に曖昧な意味に覆われてしまいました。然し乍ら、もともとこの言葉の元になったアリストテレスの著作は名称を持たなかったし、アリストテレスの著作を整理して名称を付した者にとっても、形式的な意味しか持たなかったのものです。
2015年09月06日
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「思考と直覚」人間の霊魂を思考/アリストテレス-16(二百二十) アリストテレスは「論理学」があらゆる学問成果を手に入れるための「道具」(オルガノン)とすることを前提とした上で、自己の学問体系を「理論(テオリア)」と「実践(プラクシス)」と「制作(ポイエーシス)」に三分し、理論学の中に「数学」と「アリストテレスが第一哲学と呼称した「形而上学」及び「自然学(第二哲学と呼称)」を、実践学を「政治学」と倫理学」、制作学を「詩学」に分類します。何故か哲学的には非常に重要な要素「数学に関してはアリストテレスは著作の中には俎上させていません。此れ等のうちでアリストテレスの思想において最も重要視されるのはアリストテレスが第一哲学と呼称した形而上学でしょう。此の「形而上学」という分野は当然にギリシァに其の源を発するのですが、後世にアリストテレスの講義ノートが整理編集された際の「第一哲学」に関するノート群に,その配列の位置から「自然学(フュシカ)のあと(メタ)」に配置されたことから付された名称です。それが史上古代末期にキリスト教の教義体系が組織されるときの下敷即ち教則に使われた際に、自然として人間が捉えるフュシス(本来あるがままの姿、真実あるがまま)を超えた(メタ)ことから,超自然的なもの、イコール、形而上的なことがらを扱う学問という意味に読み替えられラテン語のMetaphysicaの語が充てがわれ、今日の日本では日本語における「哲学」の語源の初出の西周の場合と同様に、「易経」の言葉を借用しているために現代的には意味不明で誤謬に陥りやすく適正な和名での解決が急がれます。哲学とはいずれにしても世界の表層の本質並びに通常感覚的に生活しているる隠された人間精神とを問わず真相を露わにする思考方法です。
2015年09月05日
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「思考と直覚」人間の霊魂を思考/アリストテレス-15(二百十九) アリストテレスといえば、其の思考の基本は演繹法とされていますが、「より先のもの(アプリオリ)を原因・根拠であるという意味で,より先なる事象に基づいて,結果にあたる事象を導出する論証の性格を二種に区別して「其れ自体の存在が、より先なるもの」と「人間の経験則にとっての、より先なるもの」を説きます。前者は人間の感性、外感覚や物質上からの影響とは縁が薄いものではあるが、其の存在概念は人間の理性即ち内精神の直覚から捉えれば認識はより身近いものとなり、後者は自己の外世界の物質及び感覚から受動するもので身に近くは想えるが、其の根拠となるのは、より遠いものがより近くの「直覚」であり、より身近なものだと考慮されるのが人間の経験則であるとします。アリストテレスはより身近なものだと考慮されるのが人間の経験則から出発して、真実理性的にはより直感的で其れ自体において在るものへのものよりも、感覚的なものを遮断して瞑想によって直感を得る人間は別にして、一般的には人間は、経験上明らかなるものから出発して、モノ自体の在るべき存在の真相である世界の理へと進むのがアリストテレスの思考法です。此の面で捉えればアリストテレスは其の思考方法は演繹法よりは帰納法に傾いています。
2015年09月04日
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「思考と直覚」人間の霊魂を思考/アリストテレス-14(二百十八) アリストテレスの発想による、先ず前提に普遍的なものを掲げて、其処から導き出されるものが、個別的なものであり、特殊的なものを導き出す「三段論法」は、数学によく取り上げられる「演繹法」です。中世期の欧州においての思想は、専ら此のアリストテレスの「三段論法」を良しとしたため、其の反対方向の思考法「帰納法」は、アリストテレスの思考にはなく、16から17世紀のイギリスの哲学者並びに神学者、法学者でもあったフランシス・ベーコン(Francis Bacon そしてBaron/1561年-1626年)(注:アイルランドの画家で抽象絵画が全盛となった第二次世界大戦後の美術界において、具象絵画にこだわり続けた20世紀最も重要な画家の一人フランシス・ベーコンとはじ人名を持つ人物は別人)によって初めて発想されたと多くの人が思い込んでいますが其れは間違いであり、「帰納法」の発想はアリストテレスの著書「トピカ」に「論法には三段論法である演繹法と帰納法がある。(以下中略)帰納法と云うのは、個別的なもの個々のもの或いは特殊的なものから、世界の理の全般である普遍的なものに到る通路である。(以下中略)帰納法は三段論法に比してより多くの説得力を持ち多くの人間を承服させる力を持ち、演繹法に比べてもっと明瞭であり、もっと感覚的によく知られており一般大衆には通じ易い」と述べ、思考法は持っていたにしても帰納法を演繹法に劣ると考えていたにしてもイギリスの哲学者フランシス・ベーコンによって初めて発想されたものでないことは史実が示しています。
2015年09月03日
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「思考と直覚」人間の霊魂を思考/アリストテレス-13(二百十七) アリストテレスが何人(なにびと)にも否定し得ない思考経過を模範とする形態としての論法「三段論法」を採用したのは、研究分野として、論理学・自然学・生物学・動物学・形而上学・倫理学・政治学・修辞学・詩・演劇と多肢に亘っての博識と経験から導き出されたものであり、取り分け、論理学上に数学的見地が重要な地位を占め導入されます。此の三段論法、二つの前提から一つの結論を導き出す間接推理を著述したものが「分析論」であり、彼は其れを自らのノート「トピカ」において「三段論法は何かが前提に与えられていて、此れ等に措定(そてい)されたものどもと異に成り得るものを提供解釈して、必然的に出てくる論法である」と述べています。例えば「すべての人間は死す。ソクラテスは人間である。ゆえにソクラテスは死す。」でも概容は掴めますが、数学的見地からの集合論的には複雑です。アリストテレスによって定式化され,中世を通じて洗練された伝統的論理学の主要部門は言葉の多義性に注目した分析の精密さにあります。彼は名辞・述語・命題などの根本概念を確定したうえで史上初めて三段論法の定式化を成し遂げ,その後の論理学の基礎を築き上げたのです。彼アリストテレスは自身の説を展開する際に彼以前の哲学者の説を紹介するも批判することが多々ありますが,彼の創始した此れ等の多数の用語及び概念は,人間の霊魂を思考その直覚を得んとする場合にも場合にも威力を発揮します。
2015年09月02日
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「思考と直覚」人間の霊魂を思考/アリストテレス-12(二百十六) 此処で現代に生きる人間が注意を向けなければいけないのは、ソクラテス・プラトン・アリストテレスと続く哲学の在り方・定義を現代の其れと混同することです。マルクス主観を含めての外感覚的で物質的な人間の捉え方、其処では人間の精神は感覚的で物質的な要素に隷従しています。古史哲学におけるソクラテス・プラトン・アリストテレスと続く思想は宗教の柵を離れたところでの思考論理に真骨頂があり、其の観念こそが真の絶対世界を構築していることを説くことに特徴があります。所謂、日本で言われるところの自己の救済を他力本願とはせずに自力で世界の実相を追求する姿勢です。其処には信仰の要素は拒絶はしない迄も不必要であると主張していると凡人に受け取られ、特権階級に属するプラトンはともかくも、ソクラテスやアリストテレスは身に危害を加えられる危険性があり、事実、自己の確信する主張を曲げないソクラテスは、社会的巧緻のみに長けた愚者の奸計によるをもって死刑に処せられています。それ故にアリストテレスは何人(なにびと)にも否定し得ない思考経過の論法である三段論法を発想します。此の思考方法は哲学の分野だけではなく広く応用できる思考法であり、当然に、人間霊魂の不滅にも答えを与える可能性を秘めています。
2015年09月01日
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