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〇岡田嘉夫画伯と橋本治氏の文辞『女賊』(集英社)なる書。岡田さんの図案は個性的で、わたしの愛読書田辺聖子著『小倉百人一首』(角川文庫)も全く斬新で印象的な構図であり、現代の浮世絵と称せるでしょう。 + + 原作者はエドガ・アラン・ポーをもじった江戸川乱歩その人で、作品名は「黒蜥蜴」。彼は明治27年~昭和40年(1965)、つまり大正・昭和を代表する推理作家・探偵小説家でした。 + +「屋根裏の散歩者」や「人間椅子」「パノラマ島奇談」の気味悪さに惹かれて読破していました。勿論ヒット作品は「怪人二十面相」で子供用にテレビでも放映。戯曲化された「黒蜥蜴」は、現代では三輪明弘さんの主演が圧倒的人気を得ているようですが、舞台の初演は1962年、初代水谷八重子、明智役は芥川比呂志。映画では京マチ子、大木実。丸山明弘に対抗する明智役では天地茂、名高達男、榎本孝明、高嶋政宏といった俳優たち。社交界の華という仮面の裏は、「美しいもの」特に宝石や、若い男女(殺害し剥製にする)を蒐集する女賊で、一旦狙いを定めた獲物は逃がさない特異な女性と探偵:明智小五郎との勝負を描いています。
2018.10.31
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〇寸暇の隙に借り出した五冊の図書。1)『古代ローマ人の24時間』アルベルト・アンジェ ラ著、関口英子訳(河出書房新社) 古代ローマ人の日常生活を知ることができるとは。2)『阿刀田高集』中島河太郎監修(リブリオ出版) 大活字の本で、無邪気な女、運のいい男、干魚と漏電 旅の終り、花の器。すべてミステリー。3)『日本史と世界史、同時比較年表』関真興監修 (新人物往来社) BC5百万年~1600、中世近世は百年単位に 5節にわけて上段が日本史、下段が世界史を表記。4)『日本人の底力』渡部昇一著(海竜社) 日本の象徴、宗教観、武士道、民力、一つの文明5)『はにわ読本』末永雅雄著(雄山閣) はにわの入門から詳細まで網羅された良書。
2018.10.30
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(画像はネットの借り物)〇物置を整理していたら、数10冊のアルバム。或る一冊は京都のミッションスクールの生徒たちと父との旅行スナップ、そして父が退職時に頂戴した寄せ書きの色紙、背中には親父の似顔絵とコメント、表にもぎっしり書き込まれたティシャツ、そして手紙の一部を発見しました。+<先生が退職なさると聞いて、とても残念です。先生に3年間、教えていただきたかったのに、たった1年間でした。とても残念です。・・・先生の授業は教科書どおりだけではなく、いろんな知識を教えて下さり、大変熱意のこもった授業で、それがわたし達生徒にも、ひしひし伝わって来ました。>或いは<・・・初めて先生を見た時は、”すごくおじいさん”の先生だなぁなんて思ってたんです。ところが先生は他の先生にはないいろんな方法でわたし達に教えて下さいました。先生がいくら定年でも、70才でも、そういう意欲のる人はやめなくてもいいと思うのに・・・・>また或る生徒は<「先生は何て優しい怒り方をしはるんやろう」ということです。先生はほんとうに優しい方なのですね。・・・先生が、現在までの自分のことをお話して下さったことに、私は深く感動しました。そして人間、いくつになっても、可能性は秘められているんだなぁと感じました。・・・70才の先生がどんどん可能性に挑戦して居られるのだから、16才の私も自信をもって頑張って・・・>+こういった類の手紙が、アルバムにいくつか挟んでありました。 10数年経った今、倅の私は俳句結社の編集や理事、観光ガイドの両輪で忙しい日々を過ごさせています。
2018.10.29
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〇某年10月、中京区の或る団体21名のガイド記を再 掲載致します。 駅前の西田書店さんを紹介がてら(当時は営業)、大山 崎商工会が売り出している「蘭花譜」のぬりえ本(10 50円)をPRしました。 離宮八幡から関戸明神へと引率して来ましたら、折り良 く、酒解神社の御神輿蔵が開放してあって、私も初めて 由緒ある御神輿を目の当たりに見る機会を得ました。 + 自玉手祭来酒解神社(たまてよりまつりきたるさかどけ じんじゃ)というのが正式名の酒解神社は 天王山の中腹、旗立の松や十七烈士の墓近くにあるお社 で、 本来あるべき3基の神輿の内の一つが、山城(京都)と 摂津(大阪)の国境にある関戸神社の蔵に安置されてい る訳です。 宝積寺小槌の宮、本堂、閻魔堂の5尊体の説明や、山荘 美術館よこの竹林の細道を経て、観音寺・聖天さんにお 連れしました。 最高齢は77歳のご婦人だったと思いますが、宝寺まで の急坂も、観音寺さんの坂や石段もしっかり登って下さ いました。 足が丈夫であれば、心体の健康も保つことができるとい う生き証人です。 JR駅前の小料理屋さん迄のお別れの予定が、昼食まで 振舞って戴き、本日の団体さんも、私たちガイドも一体 となって愉しい時間を過すことができました。
2018.10.28
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〇明治28年(1895)4月26日付の報知新聞によれば、今とは雲泥の差のスピードでの旅の大変さが解ります。<東京と京都間、汽車で馳すれば1日ほどなり。汽車の賃金は下等にて3円29銭、中等はこれに倍す。上等はこれに3倍す。朝6時20分に新橋停車場を発すれば午後10時47分には京都七条の停車場に着くを得べし。さても便利の世の中とやいわん。さりながら便利はとかく無風流、一日中に直行しては音に名高き東海道の名所旧蹟も電光石火と過ぎ行きて、五十三次の走馬灯を見る如し。殊に直行列車は上等に乗りても退屈でたまらず、中等にては腰が痛み、下等にてはまことに一日の辛抱とや申すべし。京都に着きてホッとひと息するほどならば、旅行の楽しみにあらで苦しみなり。急ぐ人は詮方なし。急がぬ人は京都直行の目的にても、名古屋あたりに1泊するをよしとす。泊らば翌日も途上の風景を眺めつつ行かるべし。泊らずして夜に入れば呎尺(シセキ)も千里、近江八景を闇夜に通る無風流となるべし。1泊の利やかくの如し。>(以下略) 東海道線の新橋ー神戸までの全線が開通したのは6年前の明治22年7月1日。当初は1日1往復の運行で、片道20時間を要した。明治29年から上下各3本に増やし、その翌年から急行列車が走った。所要時間は、17時間22分、明治39年4月からは13時間40分に短縮された。(参考図書は「新聞と写真にみる京都百年」岡満男著)
2018.10.27
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〇「洋酒天国」某号の付録のこぼれ話に「百歳まで生きるには」とあって、アメリカの某紙が世界中の百歳以上の老人に長寿の秘訣を聞いた記事が載っています。108歳(米・男)・・・毎日マキ割りをせよ101歳(英・女)・・・毎朝の紅茶にスプーン2杯の ウイスキーを入れる104歳(米・女)・・・決して怠けないこと103歳(米・男)・・・朝、山の神とケンカするな103歳(米・男)・・・美人の露骨すぎない写真を肌 身離さず持っておけえとせとら♪
2018.10.26
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〇志村有弘著『陰陽師列伝』第1章の列伝には、吉備真備から始まり、7番目に安倍晴明など13名の陰陽師。カラー口絵には妖狐調伏の題があって、時は久寿元年(1154)の頃、或る魔物に憑から給うた鳥羽院の話。事の次第は以下のとおり。+ 御所に現れた美女は知恵学問に優れ、弁舌にも長け、忽ち院の寵愛を受け「玉藻前」と称されました。しかし院の健康が優れず、諸山の高僧の祈祷も効果なく、死期を悟られた院は玉藻前とも今生のお別れの辞。+ 安倍安成は病気の根源を玉藻前と卦をたて、「泰山府君祭」を行い、もろこしからやってきた老狐を追い払いました。しかし止めを刺す必要があるので弓矢の名人、上総介・三浦介の両名に那須野にて射止めさせました。+ 後年、玉藻前の霊の棲みつく殺生石を源翁和尚の読経で漸く石が砕け、玉藻前の霊も成仏するという話で、12の絵巻になっています。
2018.10.25
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〇日増しに秋色が濃くなって来ています。近所には永らく放置された恰好の売地があって、いつの間にやらいろんな雑草が蔓延っているのですが、中でも犬蓼、赤まんまが目につきます。+ 植物に詳しい或る方の記述に拠ると、「犬」がつくものには食用にならない、の意味をもつものが多く、+ 犬胡麻、犬芥子、犬薺、犬稗、犬蕨などが挙げられます。俗に、蓼食う虫も好き好きという諺もあります。+ 幼い頃、原っぱから取ってきた”赤まんま”の粒つぶでままごとに耽られた方も多いことでしょう。犬蓼の大型品種で虫刺されの毒消しされる大毛蓼もあって、花野は幼ナへの郷愁そのもの。 買手無き百坪ほどが赤まんま 星子
2018.10.24
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〇或る人がベルギー勤務になっていた時、同僚の若いベルギー人たちが、この冬に家が完成するだの来年には新築するとか話し合っているのを聞きながら、三十にも満たない若造なのに持家とは・・・とお国柄の違いを感じたようです。 彼の課では急ぎの仕事が入ったので残業を部下に頼んだのですが、きっぱり断られました。その理由は、「家を建てている最中だから」というのです。+ 家に限らずベルギー人は一部のエリートを除いて、一般のサラリーマンやOLは残業をしないで、退社時間になると、さっさと帰り、家庭や友人との生活を大事にするのだそうです。+ 日曜日になって郊外の住宅街を歩いていると、ある一角の空き地でセメントを練ったり、煉瓦を積んでいる親子を見かけましたが、それが当の部下。ベルギー人は自分の家を自ら建てるのです。+ <男の子はお腹の中に煉瓦を持って生まれて来る>ようで、彼の奥さんが「うちの男の子のお腹にも、きっといっぱい詰まっていますわ。父親の仕事ぶりを覚え、大人になったらお腹の煉瓦を取り出して、自分で建てるようになるんです。」だって。
2018.10.23
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〇年末になると必ずと言って良いほど上演される演目に「仮名手本忠臣蔵」がありますが、「仮名手本」と言うのは、いろは四十七文字の事で、赤穂四十七士をを暗示しています。又、人生の手本、人の鑑を指していて、「忠臣蔵」とは、忠臣の詰まっている蔵と言う意味です。+歌舞伎・浄瑠璃の外題は、五字か七字で表し、読み方も七・五音或いは五・七音で読ませる工夫がされています。漢字が偶数になりそうな場合には、二十を廿とか、神を神明と記して逆に増やして調整しているのです。 では読みを考えて下さい。1)道行思案余 2)色増栬夕映3)助六曲輪菊 4)伽羅先代萩5)隅田川続俤 6)籠釣瓶花街酔醒+ 7)お染久松色読販 8)色彩間苅豆9)深山桜及兼樹振 10)江戸生艶気樺焼11)稗史億説年代記 12)莫切自根金生木<解答> 1)みちゆき しあんのほか2)いろまさる もみじのゆうばえ3)すけろく くるわのももよぐさ4)めいぼく せんだいはぎ5)すみだがわ ごにちのおもかげ6)かごつるべ さとのよいざめ7)おそめひさまつ うきなのよみうり8)いろもよう ちょっとかりまめ9)みやまざくら とどかぬえだぶり10)えどうまれ うわきのかばやき11)くさぞうし こじつけねんだいき12)きるなのねから かねのなるき <注・これだけは廻文になっています>参考「日本故事物語」池田弥三郎)
2018.10.22
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〇起床時の少雨には驚きましたが、間もなく回復、お客様の表情も晴れやかになりました。私の受け持った13名様は神戸市からの4名、高槻・尼崎両市の各2名のほか、守山、伊丹、京田辺市、茨木市などからお越しで、男女の比が9対4。60才代が7名、50・70才代が各2名、30代が1名、80代の男性も元気に歩かれました。お申込みいただいた往復はがきの返信には、台風21号の被害が甚大ゆえ登山コースは中止の旨お知らせしていました。山崎聖天・観音寺前に見えたものは、倒木が朱色の稲荷社の屋根に根こ削ぎ倒れ込んでいる光景。自然の破壊力の凄まじさに一同息を呑んだのでした。止む無く登山中止に至った事情は容易にご理解いただけたのでした。 隣り街、長岡京市のわが家の出窓から始終眺めていた酒解神社前に聳えるクリスマス・ツリーそのものに見えていた樅の大樹。それがまるで羽抜け鶏のような哀れな姿に変貌していたので、道すがら仰ぐ天王山の頂きの何れの大木が樅の樹なのか判別しかねる状態でした。ほたる公園の手前では、数段に及ぶ大送電線がぷっつりと見えなくなり、地中からやがて中腹の送電塔につながる訳ですが、塔そのものは山麓と同じ緑色に塗られている町の心遣いをガイドしました。そしてサントリービール工場見学後の生ビールの美味にお客様とご一緒に癒されたのでした。
2018.10.21
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〇大阪は船場でリース会社に勤務していた頃、隣りのドトールでモーニング珈琲を飲む習慣になっていました。オープン当初の女店員さんは、心から、この店を大切にしていて、働き者でした。全体を見ながら細かい所にも気配りの出来る人でした。 彼女は後輩を育て、やがて転勤か退職なのか定かでなかったけれど見なくなってしまいました。後輩の女性の中で、只一人或る受付嬢が彼女の教えを忠実に守り、そして自分の個性も織り込んで、実に明るく振舞っていました。その娘さんは全てのお客さんに身体ごと体当たりする感じで接し、笑顔と優しさ、臨機応変な対応をしていました。 僅かな金で珈琲一杯を戴くショップですが、ともすれば食器返還の棚に珈琲カップなどが所狭しと置かれていて、もう置き場の無いような状態の時があります。+各お客様が最後まで快い気持ちで店を出て行って欲しいと願うあまり、自分が返還する時には乱雑に置かれた棚の食器類をちょこっと整理していました。+これは本来、客である私のすべきことではありません。従業員さんがいつ気付いてくれるかなと淡い期待を持ちながら態度で示していたのです。通勤電車ではドアの近辺はギュウーギュー状態ですが、奥に詰めればそれほど満杯状態でないケースが多いのです。ちょうど食器返還の棚の上は、そんな状態になっていたのです。食器返還の場所には皿洗い担当の従業員が居られるのですが、他の用事を優先にするのでしょうか、直ぐに返還棚にカップ類が溢れる状態になるのです。+客のモラルにも問題がありますが、やはり気持ちよく帰っていただくのが客商売の基本ですから、ついつい、私が余計なことをしていたのです。それを知っていた二代目の明るい彼女から、或る朝、お早ようございますの挨拶を交わして下さったのでした。
2018.10.20
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〇凡そ10年ほど前、宮島へ旅した折のこと。何軒も並ぶ土産店の中には、或いは裏通りには木工屋さんも多く、とある店に入り年配の店主に尋ねてみました。「木を削る道具は兵庫県の小野町のものですか?」すると意外な答えが返ってきました。「いやぁ~、こういう仕事は、道具類はみんな自分で拵えます」つまり鞴(フイゴ)を使って刃物を自ら作ることから始めるのだそうです。UCカードマガジンの「てんとう虫」(08’11月号)には特集”木工の技”が組まれていて、いろんな道具類、大小さまざまなカンナ、鑿の写真や針葉樹(檜、杉、一位、松)の柾目・板目の紹介、広葉樹(欅、桐、桑、黒柿、櫻、栃)のこと、+”削る”では長野県木曾大桑村の風呂桶などの桶類を、”組む”では箪笥や手鏡など、東京台東区の江戸指物を、+”彫る”では大阪は南堀江の大阪欄間の陰翳技術を、”曲げる”では秋田大館の「曲げわっぱ」つまりお櫃や弁当箱など、”寄せる”では箱根の寄木細工、見た目の美しい、こころ癒される作品などが掲載されています。わが家の長男など、職人肌気質だから、こういう職業を選んで欲しいと思うのですが・・・。
2018.10.19
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〇俳句という代物はできる時には次々生まれ出ますが、一旦留まると、凝り始めると自分に酔ってしまい、駄句と気づかなくなるときも。 秋虹の何と大きなイアリング 水溶きの色鉛筆や秋の虹 整然と千手千体杉さやか 白萩や昔語りの風の沙汰 颱風来日本武尊(やまとたける)のやうに来る 澄む秋や枕を高く寝たきもの こほろぎのソロに耳貸す仕舞ひ風呂
2018.10.18
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〇当月14日の日曜はいずみホールまで、関大グリークラブOB会「千里エコー」の第11回演奏会でした。思えば・・・関大入学後の各クラブのオリエンテーションの中、ESSや軽音楽に心が傾いていた折、特別講堂で聴いたグリーのハーモニーの美しさに、迷うことなくグリーに入部。当初は上級生と分けての練習、学舎内外の軽いマラソン、体操、そして腹筋運動・・・。法政大学アリオンコールとの東西でのジョイント演奏会には一年も参加できたので、階段教室にて上級生と一緒に練習できた時の嬉しさは格別。夏季合宿からは新入部員の肩書が外され、大切な戦力の一端を担うのですが、まだまだヒヨコ。当時、桜井吉明先生のドイツ唱法の発声と、ベースパートを基底としたハーモニーの組立。ここに関西大学の個性が織りこめられていました。私たち17期生がクラブ運営を任された時、関西合唱の重鎮・木川田誠先生を招聘し、メロディライン重視、かつオーストリア唱法の発声に百八十度変換。和服に袴姿の日常から洋装へと切り替わったご維新当時の日本人の心境もかくありなん。・・・・・千里エコーの演奏を聴きながら、すっかり軽く、明るく澄んだハーモニーに変わっていたことに、感慨一入でした。
2018.10.17
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〇阪急梅田駅京都線の特急のホームで見た車両の話を一つご披露。京都方面からの乗客がこの終点で降り、ドアが閉まったのにも拘らず、4人対向座席に眠り耽っている男が一人残っていました。阪急のこのシートは終点では座席方向が、車掌のワンタッチで全車両変るように出来ていますので、スイッチが入った瞬間、この男は前のめりになって背凭れ化した座席に顎や額を打ちつけ、且つ背凭れ同志に挟まれるのでは?と案じ、目を皿のようにして固唾を呑んでいましたら、どっこい、その二人掛け四人分の座席ブロックは何も変化せず、その男を護ったのでした。ワンタッチで座席方向を組み替えるソフトには、万が一に備え怪我人の出ないような深慮がなされていました。この優しさと気配りに、大人の社会はよく工夫されているなぁと感心したのでした。
2018.10.16
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〇喫茶店で使うストローを紙製にしようと試みる運動が 始められていますが、 加工食品を容れるプラスチック容器や包装紙代わりのビ ニール袋など、石油製品の多さに愕然とします。 このまま地球の資源を派手に使ってしまって良いのでし ょうか? エジプトやシルクロードに見られる砂漠地帯。昔は緑に 包まれた素敵な環境だったろうに・・・・。 + 子供の頃の包装用具は先ず一番に新聞紙、どんなもので も包める風呂敷の至便性、 そして笛を鳴らして練り歩く豆腐屋さんには鍋や丼を予 め用意していました。 今は剥き出しの商品は少なく、ほとんど全てがプラスチ ック製品などでくるまれています。 風呂敷は幾通りもの包み方があって日本人の智恵に感服 します。 それにもっと資源を大切にしないと、無味乾燥な砂漠を 子孫に残す愚かを犯すかも知れませんね。
2018.10.15
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〇1973年季刊銀花第13号には日本のかるたに関する特集のほか、民芸運動の一人、陶工家:河井寛次郎の作品も紹介されています。「私は木の中にゐる石の中にゐる、鉄や真鍮の中にもゐる、人の中にもゐる。一度も見た事のない私が沢山ゐる。始終こんな私を出してくれとせがむ。私はそれを掘り出し度い。出してやりたい・・・」+ アサヒビール大山崎山荘には民芸運動に賛同した初代社長:山本為三郎氏の贈呈した河井寛次郎や浜田省司、バーナード・リーチらの作品が毎月入れ替え展示されています。冷酒の好きな寛次郎は徳利やぐい呑み茶碗、猪口も沢山残しています。光線を浴びると一段と輝き、当りの柔らかさまで伝わってくる作品ばかりです。昭和10年ごろは陶硯ばかり作製していたようで、陶硯百種展覧会が開かれたこともあったようです。人間が大好きだった寛次郎宅には客の絶えることがなく、そのふところの深さと優しさが、彼の作品に表れているように思えるのです。
2018.10.14
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〇今から10数年前の地元の「たかんな句会」の兼題は 菩提の実と稲雀でした。 菩提子をひろひ晩節まろやかに 素朋 菩提樹は釈迦がこの木の下で生まれ、成長し、没したと される植物で寺院に多く植えられています。 シナノキ科の落葉高木で、その実は直径7~8ミリの球形 で細毛が密生しています。 通常の葉とは別に、帽子に挿す赤い羽根のような葉が1 枚、2、3個の実の手前に生まれ、 それがプロペラとなってきりきり舞いして遠くへ実を運 ぶ知恵がついています。上の句、”まろやかに”の下5が見 事です。 菩提子や石屋に売れぬ石座る 貴勢 左京区「黒谷さん」の愛称で親しまれる金戒光明寺近辺 の石屋をモデルに詠まれたそうな。 細毛にくるまれた、それで居て弾けるほど固い菩提の実 と、どっしり座った石との取り合わせの妙味に趣きがあ ります。 菩提子のみな羽もちて釈迦のもと 幸子 この句もやさしさに満ち溢れていますね。 白昼の押し込みにそろ稲雀 星子 秋、稲穂が稔る頃、雀は小躍りするかに徒党を組んで稲 田に出没します。 そのイメージは姦しく、また悪童っぽく、帰雁の哀しさ とは異なった、やや陽性の光景です。 ”押し込みにそろ”とは押し込み強盗に候うとの意味です。
2018.10.13
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〇今は放映されていないようですが、NHKの「世界ふ れあい街歩き」という番組は、 カメラのブレの無いこと、観光地そのものを紹介するの ではなく、 午前8時頃から日没までそこに住む人々の日常生活の様 をつぶさに映じていました。 旅をすることは、その風土、習慣、人の営みや価値観 などを学び、楽しむことにあると思います。 その点、この番組は世界の人々の表情を生き生きと伝え ています。 何某夜はメキシコの街でしたが、父親を尊敬し、父に近 付こうとする子供たち、 それはごく当たり前のこと、同じ道をその父親も辿って きているのでした。 祖父の時代からの写真を店内に飾り、その時代を含めて 自分たちの街を守ろうとする姿や、 写真を見れば亡くなった祖父母、父母に逢える・・・こ れはどの国も同じこと。 東北大震災の津波によって身内を失い、家や写真まで悉 く失ってしまわれた被災者の胸の内を思うとき、 何でもない平凡な日常生活の大切さをひしひしと感じる のでした。
2018.10.12
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〇大山崎町に在る古い琺瑯製の火災信号板は真っ赤に塗りこめられた鉄板に、火災を知らせる鐘やサイレンの符合を白抜きで記した一覧表で、所どころに錆が付着しています。1番上の段には火災信号という枠、山林火災信号枠、火災警報信号枠、演習召集信号枠の4つが並んでいます。+ 2番目の段は種類を表す欄で、3段目が打鐘信号の図柄、4段目がサイレン信号の図表です。例えば火災信号の部の近火信号(消防屯所から800m以内)なら、都をどりの串団子模様そっくり、鐘は連打を示し、サイレンは高音5秒低音2秒。出場信号なら3連打ごと、応援信号は2連打で、サイレンなら高音5秒に低音6秒、間を置いて繰り返す。+報知信号は1点ごと切り離して打ち、鎮火信号なら1点と2点の斑(マダラ)打ち。山林火災信号の部では3点と2点の斑ら打ちなら出場命令・応援命令を表し、サイレンは上10秒下2秒の繰返し。火災警報では1点と4点との斑ら打ち、サイレンは高音30秒低音6秒、その解除信号は2点と2点との斑ら打ち、サイレンは上10秒下3秒更に高音1分と長く鳴らすようです。
2018.10.11
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〇日記の材料に困った時は、手ごろな本から話題を誘い出します。本日は西敏、塩谷桓両氏の「漢字のクイズ」から 1)田児之浦従打出而見者真白 不尽能高嶺尓雪波零家留2)青丹吉寧楽乃京師者咲花乃 薫如今盛有3)東野炎立所見而 反見為者月西渡 4)憶良等者今者将罷子将哭 其彼母毛吾乎将待曽5)石激垂見之上乃左和良妣乃 毛要出春尓成来鴨ヒント)おくららはいまはまからむこなくらむ そのかのははもわをまつらむそあおによしならのみやこはさくはなの にほふがごとくいまさかりなりたごのうらにうちいでてみればましろにぞ ふじのたかねにゆきはふりけるひむがしののにかぎろひのたつみえて かえりみすればつきかたぶきぬいはばしるたるみのうへのさわらびも もえいづるはるになりにけるかも 日本の和歌の原点がここにありますね。
2018.10.10
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〇東側のお宅に隣接する辺りの酔芙蓉、高さは背丈の2倍、横幅も3メートルほどで、凡そ30個ぐらいの花が、まるで薄紙で作ったポンポンのような柔さで咲いています。1日花と言い切った人は誰なんだろう。朝に開いた白花が夕方にはほろ酔い色に染まり、やがて萎むと思っておられる御仁も多いことでしょうが、実はそうではなく、夕方近くに咲き始める蕾もあるので、寿命は2日間ぐらいなので、紅白濃淡いろんな色合いの花が黄みどりに映えて美しい。高橋治監督の「風の盆(恋歌)」の映画やtubuの画像を見ると、映画よりも小説の方が美しく、tubuよりも父の遺した句の方が記憶に残るのです。「風の盆恋歌」は女性よりも男の方がロマンチックを詰めた生き物であるという証と言う物語なのかも。余談ながら石川さゆりの「風の盆恋歌」はわたしの十八番(おはこ)。
2018.10.09
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〇駄洒落と頓智の巻物・ビックリハウス版国語辞典「大語海」の”さ”の部から摘んでみました。 菜食健美=菜食は美容と健康に良いということ。 再三妻子=何回も離婚と結婚を繰返して妻子を次々と代 えてゆくこと。 妻三妻四=俗に言う浮気者。 三三九度=三回体温を計っても三十九度熱があること、 確実に病気である。 三時制限=痩せるための必須科目。 三権分立=ジャンケンのこと。 雑句場乱=このビックリハウスのこと。 産婦人可=四十男の花嫁募集広告文の一例。 三者宅一=両親と子供一人の家庭、核家族。 左右対象=乞食の場合。 菜涙弾=タマネギ。 サボタージュ=手を抜いて作ったスープ。 更科日記=そば屋の日記。 座盗一=イス取りゲーム。 サルマネラ菌=他人のギャク等をすぐに真似したがり、 シラケた空気をつくる人間。 サロンパス=盛り場を自由に出入りできること。 如何でしたか?
2018.10.08
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〇某新聞の<私の会ったひと>シリーズNo8には舟橋聖一さんの玉章があって、里見惇が贔屓にしていた地唄の名手・玉葉さんが、昭和31年5月29日の夜、祇園の一力を出たまま奔流の疎水に入水。5日後、黒染の丹下ダムにて発見された由。洋服での入水はみな剥げ落ち、まる裸というケースが多い中、着物は水を吸うから帯が締り、帯締め1つほどけずにキチンとした身じまいで彼女は浮いていたそうな。+ 宮崎春昇さんの新しい作曲でレコーディングしたもの誤って家人が割った無礼を苦にしたから、或いは或る種の秘密を一身に背負いこんでの死とも推測されたものの、永遠の謎となっているそうな。+ 京の有力者S氏が発起人となって玉葉の追善供養を嵯峨の某寺にて行われ、参拝者の出で立ちは、一力女将おきみさんはねずみ色のひら絽無地の着物に、うす紫の紗の帯。おれん姐さんはすすき模様のひら絽古代紫。桔梗模様のかわらけ茶の帯。美与吉さんは茄子紺いろの紗無地の着物に、立湧模様の浅黄の絽の帯。子桃はんは美与吉と同じ茄子紺の紗に、なでしこ模様の黄色紗の帯。鶴子はんはすい紗の紺無地に、黄のつづれ帯。お三智はんは茄子紺のポーラ無地の着物に、派手な桔梗模様の紗の帯。竹葉はんは臙脂色無地の紗のレース織に、水いろの絽の帯。子花はんは竹葉より明るめの臙脂色レース織に、ピンク色絽の帯。孝江はんは故人と同じ家の妓だから、白無地ひら絽に、帯は黒。屋寿枝姐さんはグリーンの無地に、金茶のつづれ帯。うす明るい本堂に集まった着物の競艶に舟橋聖一さんは、思わずメモをとられたようです。焼香順は、S氏に始まり、万亭の女将、屋寿枝、おれんと続き、きれいどこの焼香が済んだのち、舟橋氏。 そのあと、嵐山の吉兆にてS氏主催のしんみりした小宴が開かれました。<夏の日が落ち、芳醇な酒が回るうち、みんなで玉葉の思い出を、われもわれもと語り出すと、いつまでも友情はつきないようで、これなら自決した玉葉の霊も浮かばれようと思うほど、くさぐさの話が出た。>この記事の挿絵は「青春の門」でお馴染みの風間完さん。この切抜きは焼けて黄ばんでいます。
2018.10.07
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〇一年の中で一番過し易いのが麗かな秋の季節でしょうね。高校三年の夏に当地に越して来ましたが、阪急電車の車窓から見たこの辺一帯は竹薮の多い、実に田舎田舎した所でした。住宅ブームの魁、昭和三十六年にこの新興住宅地の第三期工事が完了し、当時数百万円で購入したものと思われます。どのお家も粘土質の庭土には芝生を植え、則面には石組を積み、植木で囲っただけの生まれ立てほやほやの住宅街でした。わが家の庭には鶴石、亀石、蓬莱山をもじった石組を配置させたのはいかにも父らしい主張でした。各戸の庭木はメタセコイヤ、桜、槙など種類は均一で、どれもが背の低い状態でした。 亡父の愛したわが家の庭は、椿で囲まれた垣根、松や梅、その他椿を中心に楓、酔芙蓉などいろんな植木が四十数年の時の流れのままに繁茂してるのが今の姿です。 秋うららの数日をムクドリの夫婦が何度も訪れ声高らかに歌います。鵙やほかの野鳥の休憩地点として、わが家の庭、ご近所の庭に小鳥が集まって来ています。
2018.10.06
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〇今は懐かしい話題を。前田武彦と芳村真理が司会する人気番組「夜のヒットスタジオ」は、「夜のヒットスタジオ」でのハプニング♪わが四人姉妹がまだ独身の多感な年代でしたので、楽しく見ていました。或るとき、プロデューサーの企画なんでしょう、ヒット・チャートにランクインされた人気歌手がコンピューターによって「相性の良い恋愛相手」を導き出すというシリーズが始まり、+<幸せが住むという幻の湖・・・>で始まるヒット・ソング「虹色の湖」でデビューした、ちょっと唇のめくれた中村晃子の相手が、ちょっぴり憧れていた前田武彦だったので大泣きしたシーンを思い出します。当時は生番組が主流で、この番組も生でしたので、事の成り行きに唖然としました。演技でもなく中村晃子嬢の真のこころから出た美しい涙でした。当時の歌手やタレントは”世間ズレ”していなかったのでしょうね。尚、前田武彦で検索して御覧なさい。彼はあだ名作りの名人で「ナマズのおばさん」(芳村真理) 「金太郎」(小川知子)「ピノキオ」(布施明)「海坊主」(都はるみ) 「びっくり人形」(ちあきなおみ) 「3日前のハンバーグ」(菅原洋一) 「チョコレート・モンキー」(南沙織)など、その特徴をぴったり捉えていました。
2018.10.05
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〇某年某日、大山崎町の「大念寺」の阿弥陀如来立像を拝観させて貰いました。明治維新後の廃仏毀釈の折、西観音寺の閻魔堂を此処に移築し、閻魔王など5体は宝積寺に引き取られましたが、十王像(小閻魔さん:一説に小野篁の作)はこの大念寺に祀られることになったようです。本殿に向って左側の棚に閻魔王像ほか5体、右側の棚に4体安置されていました。+ 延暦寺の三世座主:慈覚大師円仁さんゆかりの自仏:阿弥陀如来さんは信長によって堂ごと焼失しましたが、その模作(2代目)が真如堂の阿弥陀さん。そして真如堂の2代目を模刻した3代目の像が乙訓西山地区、御詠歌札所善峰寺近くの三鈷寺を経たのち、この大念寺に来られた阿弥陀如来さんなのだそうです。+おやさしいお顔の立像で光背辺りの空気は清浄感に充ちるような気がしました。住職さんの懇切丁寧なガイドの節々には、仏教上の教えが加味されていて、江戸時代や昭和初期ぐらいまでは、臨終のお年寄りの床(布団)のそばに「阿弥陀如来来迎図」の屏風を立て、家族、縁者がこぞって、今まさに死出の旅につく老人の極楽往生を祈念したようです。病院で鼻や口にチューブをいっぱい詰め込まれて、脈を診た医者からご臨終ですと宣告される現代とは雲泥の差ですね。 各家庭のお仏壇の奥で金ピカに輝く阿弥陀如来佛は、その家の守り本尊であるばかりでなく、死の旅に就く時の「お迎えの阿弥陀如来」さんなのであって、死の恐怖から逃れ、極楽への往生を信じ、安堵するための仏さんであることを、わたし達は知って置くべきでしょうね。
2018.10.04
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〇女子中学生・高校生の魅力の一つに、制服があります ね。 父方の祖母も通っていた明治8年(1875)1月創立 の平安女学院が 袴での通学から洋式制服を大正9年(1920)年に導 入。福岡女学校&平安女学院♪ ウエストにベルトがついた紺色のワンピースで、胸から 開いた大きな襟と胸元のリボンが愛らしいものです。 + ユニフォーム博物館をもつ岡山県の制服メーカー「トン ボ」が大 正時代に女子制服を導入していた15校ほどの学校を調 査した結果、 これまで大正10年に導入していた福岡女学校よりも1 年早く平安が採り入れていた事実が判明したようです。 + 平安女学院では1977年に中高校生の制服をブレザー に一新していましたが、 2006年には中学校に限って再びセーラー服を復活さ せているようです。簡単に洗濯取替えできる白襟が便利 ですね。
2018.10.03
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〇NHK紅白歌合戦について古い資料を繙けば、第1回目は今から67年前の昭和26年で、東海林太郎の「国境の町」や暁テル子の「ミネソタの卵売り」14名の歌手が出場しています。第10回では雪村いづみ・江利チエミ・美空ひばりの三人娘、新派女優の水谷良重、そして第1回レコード大賞水原弘の「黒い花びら」がニュースでした。第14~23回まで連続で美空ひばりが女性陣のトリを務めました。真摯な歌いっぷりで女心を掴んだ森進一の衝撃デビュー曲「年上の女」がヒットした年の選曲は「花と蝶」。翌年から3回連続でトリを務めました。その2年後に森昌子の「せんせい」。永遠の憧れ山口百恵は49年の25回目に「ひと夏の経験」を歌い、「夏ひらく青春」「横須賀ストーリー」「イミテーション・ゴールド」と続き、52年ピンクレッディーの「ウオンテッド」は一度限りの出演でした。山口百恵は53年トリで「プレイバックPART2」54年「しなやかに歌って」で紅白歌合戦の出場が最後になりました。女性のトリは島倉千代子、都はるみ、八代亜紀が常連さん。男性は五木ひろし、北島三郎、森進一らの激しい争いでした。また24回目ころからジュリーこと沢田研二が毎年見せ場を作ってくれました。千昌夫は3年連続して「北国の春」を選曲していました。美川憲一は19回(43年)の「釧路の夜」から連続、「はしゃぎすぎたのね」の25回以来長いブランクに入りました。一流芸能人というのは必ずしもトップでなくてもいい、嫌われていてもよい、ずう~っとテレビ画面や舞台で活躍している人たちが本当の実力者だという見方もあります。人気商売は世渡り上手、いやはや大変な仕事ですねぇ~。
2018.10.02
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〇クレハ・ホームソングの中に下記の歌がありました。 木犀匂う村はずれ 栗毛の馬と少年は いつも仲良く並んで通る 馬はたてがみ靡(ナビ)かせて 口笛ふいて 口笛吹いて 朝の風ざっとこんな歌詞だったようで、亡父もよく歌っていました。そんな木犀の匂う季節。 ロマンティックなので四季の中、一番秋が好きという人が多いように思いますが、冬への橋渡し、日増しに日暮れが早くなるばかり、寒さへの重い序曲のような季節だという理由で、私は秋になると焦ってしまいます。狼に襲われる前の<赤頭巾ちゃん>の心境みたいな感じです。とは言うものの、白雲が僅かに浮かぶ、澄んだ青い空を見上げていると地球からわが身が飛び出しているような錯覚に陥ります。蛸のような吸盤で地面に固定し、傾きながらも地表から突き出ている自分の姿を思い浮かべるのです。
2018.10.01
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