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今日で断食もお終いです。昨日は何も食べない日でしたが爽やかです。何よりも、風邪気味か鼻水が時々出たのがピタリと止まり、職業的な腰痛も気にならなくなり万々歳です。来年からは、胃腸のリセットのために月に1回定期的にしようかと思っています。嵯峨野にも時々雪が舞い始め、自然も年も、心身もリセットの準備が整いました。この1年間ご愛読賜りありがとうございました。新しく3回目の「余命5年の命」を生きるに当たり、死ぬまでにしたい生き甲斐目標を立てました。1.「チョット真面目な大人の絵本」をコンセプトに次女とのコラボ本をシリーズ化する2.次の世代に種を蒔く人が翔くためのお手伝いをする3.時間をもてあまし気味の「元気なシルバーのためのデイケア」をコンセプトに何かを始めるまあ、あまりしゃかりきにならず、人生を楽しみつつゆったりと取り組みたいと思います。さて、来年1年は「あなたの心により沿う1日1言」をテーマにブログを書いていきますのでご期待下さい。私は、コンサルタントになった38歳の時から、記憶力が悪いので、自分の興味のある情報を様式を決めて書き残してきました。そんなコンテンツが大分類17項目、中分類85項目に分類され、1万件近くストックされています。それらが、コンサルティングのオリエンテーションやセミナー、講演で話すときだけでなく、本を書くときのネタとして役立ってきました。それとは別に、心に響いた短い言葉もメモしてきました。この度は、それらの短い言葉に、自分なりの解説をつけてみました。ツイッターのように短い文章の方が受ける現代では、本にしても案外いけるのではないかと思っています。忙しい方は、解説は読み飛ばすのも結構だし、短い文章の方が自分なりの想像力をかき立て、そこから自分なりの何かを感じてくれれば嬉しいかぎりです。掲載後は本にするつもりで書きますので、コメントも戴ければ嬉しく思います。では、良いお年をお迎え下さい。
2010.12.31
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断食2日目、爽やかな目覚めです。この頃では、プチ断食がアンチエイジングや花粉症にも効果があると言われているようですね。プチ断食を行って胃腸に休みを与えることで、胃や腸が本来の機能を発揮出来る状態に戻ります。それが免疫力も高め、アンチエイジングにも効果があるそうです。また、通常花粉症対策を考えるときは花粉を自分の回りから排除する方法や、花粉による被害を少なくすることを考えるが、腸を活性化させ免疫力を高めて花粉症対策をするのもいいようです。腸と言うのは人体の中の免疫器官でもあり、考え方としては腸を元気にしたりきれいにしたりすることで免疫力を高める事ができ、免疫力が高まると花粉症にもかかりにくくなる。その理由に、アレルギー性の鼻炎の場合を例に挙げてみます。鼻炎になると鼻水や痰がでるようになり、それを外に出さないでいると飲み込んでしまって体内に取り入れてしまいます。そうすると、鼻水の中に含まれている花粉が腸に入り込み、そこから体内に入ってくるということになります。この体内に入った花粉が、体内でアレルギー反応を起こし、腸にある粘膜を傷つけてしまい、花粉症となってしまうのです。ですから、このアレルギー反応の元となる菌を腸内に入れないようにする。つまり外に排出してしまえば花粉症の反応は出なくなると思います。そのためには、プチ断食をして腸内をきれいにし、腸内にある菌を外に排出させるようにすればいいという訳です。無理する必要はないし、効果には個人差があると思いますが、試しに実行してみてはいかがでしょうか?来春の花粉は酷いそうだから、私も試してみようと思います。 まあ、週末毎にやるのが効果的だそうですが、ヨーグルトとスポーツ飲料を採る方法でも良いそうですから、皆さんも挑戦してみませんか?ダノン・BIOヨーグルト(毎食1個)と野菜ジュースやスポーツ飲料を毎食採る
2010.12.30
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電車に乗ってもバスに乗っても、若い人達は携帯電話をいじっている人が多いこの頃です。思い起こせば、87年に携帯電話サービスが始まり、93年に保証金制度が廃止されてから急速に普及しました。私が仕事上の必要性から携帯電話を持ち始めたのが、保証金15万円?が必要なときでしたから90年前後だったと思います。その頃の携帯電話は大きくて重く、カバンに入れていました。もう、必要性もなく携帯を止めて10年近く経つが、今の携帯は機能といい隔世の感があります。この頃では、中学生までが携帯を持つ時代だが、本当に必要なのか疑問ですね。ある中学に通う女子生徒は、少ないときで50件、多いときは1日300件ほどのメールをやりとりする。受信したら直ぐに返信するように気を遣い、いつも1分以内、食事中でも5分ほどで送る。風呂やトイレでもケータイを手放さない。メールが来たら直ぐに返事をせずにいられない「即レス」症候群。相手から「無視した」などと思われるのを恐れ、片時もケータイを手放さない子供が増えています。一方、こちらからメールを送ってもなかなか返事が来ないと、「あー、こーへん。私のこと、嫌いなんや」と思ってしまう。兵庫県内の公立中学で教える社会科教師が、2年生160人にアンケートをとった。ケータイを持っている生徒が6割。そのうち3割超が、平日に携帯を触っている時間が「3時間以上」と答えた。1日のメール受信数が「100件以上」と回答した生徒が1割以上。メールを返信するまでの時間は、「15分未満」と答えた生徒が8割近くを占めた。寝屋川市の教員グループの調査では、「疲れている」「イライラする」などストレス症候を訴える子が、メール依存度の高い子は低い子の1・5倍にもなった。大阪大学大学院人間科学研究所の辻大介准教授は、「メールは人間関係のつながりを24時間化した。相手と適度な距離を保ちながら付き合っていかないと」と警告する。
2010.12.29
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今年は明日から断食をして、今年の酒っけを抜こうと思います。年末の一時、私が好きな落合信彦の小説を読んでいたら、次のような言葉があった。人間には色々なタイプがあります。他人に頼らなければ生きられない人間、組織の中でしか生きられない人間、パートナーを持って初めて力の出せる人間など。しかし、ごくわずかではあるが、人に頼らず組織に入らず、自分の力しか信じない人間もこの世の中にはいます・・・。これも、同じ小説の中での言葉です。経済的には力を付けたが、政治や文化は非常に貧しいのが日本の現状である。その最大の原因は、日本社会の閉塞性にあるんじゃないでしょうか。閉塞した社会にダイナリズムはありません。流れのない川のようなもので、濁りが溜まってついにはメタンガスが吹き出してしまう。例えば日本を代表する文化、華道、茶道、日舞、歌舞伎などどれをとっても家元性とか世襲制などといった制度に縛られている。このダイナリズムの無さは政界でも顕著で、二世議員の数は西側民主主義社会の中で最も多いという事実がそれを裏付けています。ダイナリズムの無い社会は老いていきます・・・。まさにその通りの日本の現状。ダイナリズムを取り返すことが急務です。
2010.12.28
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どんな情報も瞬時に世界をかけめぐる今日、それらの情報をどう生かすかが問われます。1.思考の足腰力を強化する玉石混交の様々な情報の中から有用なものを見つけ出して整理するためには、有用か否かを判断するフィルターを持ち合わせていなければならない。そのフィルターが原理原則である。その道のオーソドックスな原理原則に加え、自分なりのキーワードを持つ。2.思考の俯瞰力を強化する全体を見通すことができなければ、個別の情報を得てもそれは単純な情報に過ぎない。二軸で表現する、マトリクス化する、といった手法を身につけることで、真の情報として活かすことができる。3.思考の跳躍力を強化するいま得られる事実を組み立て、将来を想定する。そのときに、単に「いま」を延長するだけでなく、思考の跳躍が求められる。跳躍に欠かせないのがバネで、例えばシェアなら、26.1%の市場影響シェアから41.7%の安定的トップシェア、73.9%の独占的シェアへと目標値を掲げる。4.思考の現実化力を強化するトップからミドル、ミドルから一般社員へと現状への問題意識を共有化していき、変革へ向けて具体的な行動を起こさせる。5.思考を実現化させるノウハウを加える5W2H=いつまでに・どこで・誰が・何を・何故・いかにして・どれくらい実行するのか、さらにYTT=昨日・今日・明日にはどうあるべきかを報告させる。こうしたことが無意識にできるようになれば、必要な情報を選び出し、仕事に活かすための勘が自ずと養われる。人と話すとき、相手が本質的に何を考えているのかを感じ取る努力をすることが大事で、話すことよりもまず聞く力を付けることが大切である。そのためには、上に立つ人ほど話しかけやすい雰囲気を意識して創ることである。例えば、報告を受けるときは、どんなときでもまず笑顔で迎え、話しを最後まで聞いてやる。特に悪い情報ほどキチンと聞く姿勢を見せることが大切。そうしないと裸の王様になってしまう。
2010.12.27
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皆さんは物知りが賢い人と思っていませんか?「思考の整理学」の著者外山滋比古お茶の水女子大名誉教授は、「ありとあらゆる情報が手に入る時代には、たくさんのことを知っていることよりも、雑多な情報から重要のものとそうではないものをハッキリ整理し、区別することが重要だ。知識が沢山あると、新しいことを考えたり、緊急事態で重要な判断をするというときに、その知識が雑音となって考えることを邪魔する。知識は常識と言い換えてもよく、それが自分の価値判断を邪魔し、何が本当に大切かを見分けられなくする。だから物知りというのは、普段は偉そうに見えるが、肝心なときにはやくにたたない。昔から、先生と言われるほどバカじゃなしといわれる」という。知識を沢山持つと訳知りになり、「この場合はこう、これが常識ですよ」といって問題を機械的に処理してしまい、自分の頭で考えることが少なくなる。これは思考ではなくて、ごまかしのようなものです。些細なことなら良いが、重要な決定を下さなければならないとき、大事な問題と向き合うときとなると、さっぱり分からなくなる。先人を見ても、松下幸之助や本田宗一郎などのように、知識がなかったことで、逆に大きな成功を収めた人が大勢います。彼らのような大仕事をした人は、何事も自分の頭で考えて判断し、失敗したら、そこから学んで乗り越えていく。成功したら、それをさらに推し進めていく。そう言う試行錯誤ができるのは、下手な知識を頭に入れていないからです。知識があると、初めから正解が決まっているから、試行錯誤なんかしない。大切なのは、よく遊び、よく喧嘩し、よく仲良くすることです。頭が良くなりたい、判断力を鍛えたいと思うなら、頭を何時もハングリーな状態にしておくことです。不要なことをドンドン忘れて、それでも自分の頭の中に残っている知識だけが、判断を助けてくれ、いろいろな新しいものを考える原動力となります。だから、価値のあるものの考え方、判断力、創造力、そういうものをつくるには、まず頭の中に入っている有象無象の知識を忘れることから始まる。最新の知識をいくら頭に入れても、それこそ賞味期限が短くて、すぐ役に立たなくなってしまいます。
2010.12.26
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昨日は、横浜から息子夫婦の所にやってきた昭和9年生まれの兄夫婦と食事をしたが、昭和1ケタ生まれは元気だという話になった。私の周りにも元気な昭和1ケタ生まれの人が沢山いるが、みな明るくて元気な人が多い。長生きするには、食事や運動の他に、第3の要素として「ごきげん」という要素もある。100歳以上の方には、戦争や困難な戦後を経験しているにもかかわらず、明るく、前向きで、ごきげんに生きてこられた人が多い。あるご婦人は、朝起きたら「ありがとう」、世話してくれるお嫁さんにも「ありがとう」と、とにかく何にでも感謝し、とても朗らかで、いいお顔をしている。長生きだからごきげんなのではなく、ごきげんだから長生きするように思われます。では、人はどんな時に「ごきげん」で「幸せ」なのか?カーネマンの研究(06年 サイエンス誌)によれば、年収が5万ドル位までは、収入と幸福感に相関が見られるが、それ以上になるとあまり関係が無くなる。国際的な調査では、一人当たりの国内総生産が1万2千ドルまではGDPと幸福感の相関が見られるが、それ以上になるとGDPが伸びてもあまり幸福感は増えないという。また、社会学者のクリスタキスと政治学者のファウラーが08年に発表した論文では、幸せな人達は自然と集まって、つながっているという。(逆に、不機嫌な人も集まる)だから、「ごきげん」になるためには、不機嫌な人達をなるべく避けて、まず「ごきげん」な人の周りに率先して行くことです。また、人間は楽しいことが無くても、笑顔を作るだけで、脳が欺されて、本当に楽しくなってくることも分かっています。神経回路は一方通行で、ごきげんだから笑顔になるだけでなく、笑顔にしているとご機嫌になるという双方向通行だったのです。毎日、いろんなことが起きるが、どんな時でも笑顔を作っていれば、自分の力で「ごきげん」や「幸せ」を引き寄せることができるのです。また、同じ環境で暮らす教会の尼さんによる調査では、最もごきげんな尼さんは、最も不機嫌な尼さんよりも、9歳も長生きしていた。同じ環境であれば、「ごきげん」に生きる人の方が、不平不満を抱えながら生きる人よりも長生きする傾向があるという。国立ガンセンターの津金昌一郎先生の09年論文によれば、「あなたは生活を楽しんでいますか」という質問に「たくさん」「まあまあ」「ぜんぜん」と答えた人を12年間追跡した結果、生活を楽しんでいる人の方が心血管病をおこす確率が少なく、死ぬ確率も低かったという。生活を楽しむと言うことが、病気の予防や長生きに結びついていることが段々と証明されてきています。「ごきげん」に生きようではないですか!
2010.12.25
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大学の入学式や卒業式に大挙して親が来ることは珍しくなくなったが(入社式にも来る)、この頃では合同企業説明会に親が付き添ってくることも珍しくなくなったという。そんな親に、教育現場は悩まされているという。・大学の開く就職セミナーに親が出席していて担当者は驚いたという。アルバイトでこられなかった子供に代わって出席し、ICレコーダーに録音して聞かせるという。・朝一番、学長に親からせっぱ詰まった電話が掛かってきて、「卒業に必要な実習と企業面接が重なったので、実習の振替を」と訴えられた。・折角決まった内定を親の意見で断ってしまう学生、大企業の採用活動がほぼ終わる6月には家族会議で就職の先送りを決めてしまう学生も後を絶たない。(留年しても、現役学生と少ないパイを奪い合うだけ)就職活動の相談相手は、1位友人や知人85%、2位両親など保護者42%という結果が出た。両親の関わり方は、自己分析39%、エントリーシート25%、企業への問い合わせや会社説明下というのもある。こんな時代になって、親を対象にした有料(親子で13万円など)の支援サービスも好評とか。就職サービス会社では、大学の親向けサービスとして売り込む企業もある。「就活とは、人生で最大の絆を確かめる場である」と、支援サービス会社は訴える。何時までも、子離れ、親離れできない親子が増えています。過保護にならされた子は何時までも独り立ちできず、30代過ぎても同居の子供も増えています。◆親と同居(04年との比較) 20~24歳 男79.4%(76.5%) 女性83.4%(77.5%) 25~29歳 64.2%(64.0%) 60.3%(56.1%) 30~34歳 47.9%(45.4%) 36.5%(33.1%) 35~39歳 41.6%(33.4%) 24.3%(19.9%)◆京都府植物園 夜のイルミネーション
2010.12.24
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戦後の日本は、家電や自動車に代表される組み立てに強さを発揮し、外貨を稼いできました。ところが現在では、家電に代表されるように、部品さえ買ってくれば誰でもできる川中の単純組み立て型産業は人件費の安い中国をはじめとした東南アジアに移ってしまい、日本では空洞化が起きて就職難をも招いています。貿易収支(輸出額-輸入額)で日本製品の競争力を見てみると、鉄鋼に代表される素材産業、金属加工機械に代表される生産設備産業の健闘が目につきます。・鉄鋼 90年1.1兆円 00年1.2兆円 08年3.4兆円・金属加工機械 90年5724億円 00年7393億円 08年1兆1011億円・エアコン 90年1763億円 00年1064億円 08年△199億円・録画再生機 90年9143億円 00年1356億円 08年△900億円例えば、・安川電機は産業用ロボットの世界シェア20%で、70%は中国など海外に販売している。 ロボットに微妙な職人の腕の動きをさせるノウハウが丸秘で、総て北九州の工場で造っている。国内で生産することで、知識やノウハウが引き継がれ、蓄積される。ロボットはコピーできても、制御技術は真似できない。職人そのものを輸出しているようなものだと言う。・世界的に大ヒットしているiphoneやipadなどの人気を支えるタッチパネルのコーティング剤(快適な操作性のカギ)はダイキンが造っていて、ガラスを使うスマートフォンの70%に採用されて、生産能力を4倍にしてもフル生産だ。・携帯やノートパソコンに使われるリチウムイオン電池では、最終製品で世界シェアの50%、川上の原材料レベルでは70%にもなる。・富士フイルムの液晶パネル用保護フィルムは世界シェア80%をほこり、2165億円を稼ぐ。川上の基幹技術の開発には、過去に日本企業が積み重ねてきた試行錯誤の蓄積が大きく役立っています。ノウハウは「NO HAW」(いかにすると失敗するか)で、失敗も重要なデータです。短期的な成果を求めがちな中国や韓国に勝つには、このような産業分野の技術をさらに磨きを掛けることです。それには、将来の消費者ニーズを探る研究も大切です。まだまだ、隠れた消費者ニーズにフィットした製品を作れば、三洋電機のGOPAN(米粒から直接パンが焼ける)のように注文に応じられないほどのヒット商品も生まれる可能性があります。
2010.12.23
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TPP(関税撤廃で自由貿易圏を作る)に参加すると、日本の農業が壊滅すると農業関係者は反対する。でも、我が国農業の働き手は平均66歳。後継者不足で後10年もすれば自壊しかねません。農業就業人口は毎年十数万人ずつ減少し、平成20年では298万人、うち約140万人以上(約半分)が70歳以上、20年後を担う39歳以下は35万人(11.7%)しかいません。米価維持のために進めた減反政策で作付面積が減り、外国との価格競争力を奪ってきました。農業所得は20年前から半減し、創意工夫と大規模化で自立しようと努力する専業農家の足を引っ張ってきました。●農家1戸当たり耕地面積 日本1.6ha(北海道16.2):米176.1:英70.1:仏38.5:独30.3今年から農家への戸別補償が始まり、生産枠が多いほど補償も増えるので、枠拡大のために農協が安売りに走り、相場が下落して大規模専業農家は益々苦しくなってきた。退出するはずの零細農家も、補償を得ようとして貸していた農地の貸しはがしに走り出した。農地の集約を阻害し、細切れ化を促し、ますます大規模化によるコスト削減が難しくなってきた。●農家の内訳 主業農家20%:準主業農家24%:副業農家56%●1日1人当たり所得 65年当時は製造業1472円;農業1148円と差があまりなかったが、03年には製造業18557円;農業5118円と27.6%になってしまった。ウルグアイラウンド国内対策費として組まれた6兆100億円の予算にしても、農道空港を造ったりするなど浪費されています。基盤整備事業など、個人負担率を10%以下にしても申請者が出てこない県もある。岩手県のある農家は、補助金を申請しないで農地を拡大している。自分ですれば、10アールにつき20万から30万円ですむが、補助事業として業者に工事を任せると、三分の二は国や自治体が負担してくれるが、残り三分の一の個人負担額だけで40万円から50万円するからだそうだ。農家保護と称する補助金の大半はゼネコンや農協など、他の業者のために使われているそうです。日本人は俯瞰的に見る力がないと先日書いたが、農業問題でもこの弊害が出てきています。69億人の人口が、2050年には91億人まで増えると予測されています。今までも時々不作で高騰することがあったが、穀物不足が常態化することは明らかです。多くの先進国では、国内で消費できない分は輸出によって調整し、食糧不足に備えて穀物生産力を高めています。日本では逆に生産量そのものを減らし、半世紀前に80%近くあった自給率は40%に減ってしまいました。この減反政策のために、40年間で7兆円が投じられました。中国などの富裕層では、高くても日本の米や果物を買う人も増えています。いまこそ、日本の農業政策を根本から見直し、グローバルな目で競争力を付けないと、江戸時代までのように飢餓に植える人が出てくるかも知れませんよ。
2010.12.22
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中国における人材事情が変化してきています。大卒者630万人が競う新卒事情は深刻な就職難で、給料の良い北京でも初任給は3千元(4万円弱)だが、資格やキャリアを積んで転職すると5万元位にポンと上がる。MBAへの人気も高い。日本の企業は研修制度が充実しているので、キャリアを積んで外国企業に転出してしまう。すると倍額にはなる。金を掛けて、外国企業のために人材を育ててやっているようなものだ。東大に留学し、日本の独立行政法人に就職した33歳の研究者は、北京への転職活動を始めたが、日本のIT大手が示した給与は今の4分の1。ところが、中国の通信大手は今の給与水準を提示してきたという。中国に進出する各国企業が求める人材は、「安い工場労働者」だけでなく、特殊な中国市場の実情を理解し、人脈を持ち、販売戦略を立てられる「市場開拓への担い手」への需要が急激に増えてきています。それにつれて年俸もうなぎ上りで、5年前なら年俸100万元(約1300万円)でCEOを採用できたが、今では200万元から3000万元でないと採用できない。これは、日本企業が中国事業の責任者に払える額を超え、ここでも日本企業は置いて行かれつつあります。そんな一方で、就職難の日本から脱出して中国で働く日本の若者たちも増えています。企業側も、中国基準の月給でも日本人を採用できるようになり採用を増やしています。中国で、日本語を話せる中国人は高学歴で転職が多いが、日本人は昇給を求めることも少なく、現地での就職活動も難しいので定着率が高く、2千元程度多く払っても長期的には引き合うという。・イギリスの大学に留学していたAさんは、イギリスでも日本でも就職できず、日本の利用者からの電話応対をするコールセンターに務める。基本給は4500元(58500円)、能力に応じた諸手当を入れ7千~9千元とか。・東京都内のアパレル店で月給27万円もらっていた31歳の元店長、一部上場企業で年収600万円だった28歳の青年、派遣のプログラマーとして働いていて2度も派遣切りにあって36歳の派遣社員の女子。ポスドクではないが、就職難の日本。これから開ける中国。さあ、君たちはどうする。
2010.12.21
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年賀状の季節になったが、今年からは本来に戻って新年になってから書こうと決めました。年賀状の歴史が気になって調べてみました。ハガキが発行されたのが明治6年で、明治10年頃には上流階級が年賀のハガキを出し始め、20年頃には定着したようです。でも、年賀状が集中して、通常郵便も処理が遅れて遅配が出始めました。そこで、通常郵便とは別枠にしようということになりました。当時は、受付局と配達局で二つの消印を押していたが、早く出して年末の消印では興ざめなので、1月1日の消印を押すことにしました。明治32年に指定局だけで始まり、38年に全国で取り扱い始めました。当時は、付箋を付けて郵便局に持ち込む必要があったが、明治40年に今のような仕組みになったようです。ところで、60歳から「余命5年」と定めて5年計画を立ててきたが、この年末が更新期でもあり、こんな情報が気になりました。よく結婚適齢期などといわれるが、医者の間では死亡適齢期という言い回しがあるという。この頃では、結婚適齢期も遅くなっているが、平均寿命が延びて死亡適齢期も延びている。60代前半で亡くなったりすると「早死にですね」と言われたりするが、75歳から上になると「もう死亡適齢期ですからね」となる。平成18年の簡易生命表で見ると、男性の平均寿命は79歳、女性は85・81歳であるが(09年 男79・59歳,女86・44歳)、それが一つの目安だろうが、それから5歳ぐらいの幅をみて、男性75歳、女性80歳くらいが適齢期だろうか?でも、平均寿命と平均余命は別で、60歳の人の平均余命は男性22・4年、女性27・92年、70歳の人は男性14・69年、女性19・12年、75歳の人なら男性11・31年、女性15・04年と、余命が大分長くなる。誰にも100%確実に来るのが死だが、幾つで死ぬつもりか(なかなか思うとおりにはいかないが)、どんな死に方をしたいかをあまり深く考えている人はいないように思います。でも、それを明確に意識することが、日々を充実して生きることにつながると思います。それが、私の「余命5年」の生き方なのです。皆さんも真似してみませんか?
2010.12.20
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90歳を過ぎてから詩を作りだし、99歳で初詩集「くじけないで」を出した柴田トヨさんの詩は大らかでユーモアもあり泣かせもします。 「貯金」私ね 人から やさしさを貰ったら 心に貯金をしておくのさびしくなった時は それを引き出して 元気になるあなたも 今から 積んでおきなさい 年金より いいわよ 私ね 死にたいって 思ったことが 何度もあったのでも 詩を作り始めて 多くの人に励まされ今はもう 泣き言を言わない昨日、知り合いの句会の忘年会をのぞいたら、83歳の先生を筆頭に年配者たちが短歌を詠んでいました。2度もガン手術をした私と同い年の個人タクシー運転手は、仕事に復帰して今もハンドルを握っていると話してくれました。(チョット乗るのが怖い気もするが)いま、新「余命5年の命」のテーマとして、元気なシルバーのためのディケアも面白いかなと考えています。
2010.12.19
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寒々しい世相ゆえ、ほっこりした話を読みたいという投書があったと天声人語に載っていた。原則的にニュースというのは悪い話題を載せないと受けないようで、どうしても明るい話題は少ないものです。それは、お釈迦様の智慧でも書いたが、隣の蔵が焼けるほど嬉しいことはなく、隣に蔵が建つほど腹の立つことはないという人間の本能によるのでしょうね。明るく生きたいとか、ほっこりとした気持ちに浸りたいと思ったら、外に期待するのではなく、自分自身で明るい話題やほっこりする話題を創り出せばいいのです。それには、ほんの少し他人に対する思いやりをもち、人も自分も楽しくなることをやればいいのです。そうすれば、自分も他人も心が明るくなり、その気持ちが周りに伝播していけば、もっと住みよい社会になっていくと思います。それは、「席取ってくれた優しい少年」という投書にもあったように、何も特別なことでなくても良いのです。妊娠6ヶ月の女性がいつものように混んだ通勤電車で立っていると、隣に立つ小学生がお腹を見つめていた。大きな駅で大勢が降りた後、小学生は空いた席に走り、ランドセルを置いて席を取り戻ってきた。小学生に「こちらに座って下さい」とエスコートされるままに乗客の間をすり抜け、空席に座った。温かい気持ちで胸がいっぱいになり、咄嗟に言えたのは「ありがとう」の一言だけ。気恥ずかしいのか、その子は直ぐに離れていった。一方、「妊娠マーク」や「老人シート」を振りかざす女性や老人に苦言を呈する人ももいるが、毎日繰り返される車内の緊張やイライラ、それにどう対応するか人それぞれ。同じ1日を生きるなら、笑って明るく過ごしたいものです。それには、ちょっとした心の余裕と思いやりの心を持つことです。何かと心忙しい師走、あなたもちょっとした心の余裕を持って、人の心にポッと火を灯してみませんか?
2010.12.18
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いわゆるポスドクといわれる奥さん方はどんな気持ちでいるのでしょうか?夫は30歳後半のポスドクでバイオ系研究者です。大学の研究員として働いています。私も30歳後半です。最近、今の生活がいつまで続くのか不安になることが多く、こうして不安になってしまう自分を責めてしまってもいて、とても苦しいのです。贅沢をしなければ食・住には困らないし、私自身の仕事もあるので貯金もある程度はできます。だから、悲観的に考える必要はないことを分かっているのですが、一生、こうして夫の研究生活を支えなければならないのか、と思うとやりきれない気持ちになってしまいます。最近、夫への不安の気持ちを押さえられなくなっている自分がいて、夫にもついついキツクあたってしまうのです。赤ちゃんが欲しいけれど、こんな不安定な気持ちで健全な育児はできませんよね。仕事も辞められないし。あ~、この不安な気持ちを夫や両親にもわかって欲しい。うそでもいいから「心配しなくても大丈夫」の一言が欲しい。私は、今は専業主婦(子育て中)ですが、結婚前は研究職でした。うちの夫はバイオ系で、先行きとても不安です。結局任期制で、契約の綱渡り状態ですよね。うちの場合は子供もいるし、私は専業主婦で収入もないですから、夫の収入だけが頼りです。私の方が年上で、いざとなったら(自分の収入がなくなったら)私に働いてもらおうと思っているみたいです。実際に私が働けば、きっと夫よりも収入良いだろうなとは思います。きっとその安心感が夫が気張らずに仕事できてるんだろうなと思っています。私は就職する気はないんですけどねうちの場合は、結婚してから、日本と海外を1~2年単位で動いています。先行きが不安定なため、今まで何度か、「研究職以外も視野に入れて欲しい」との話し合った(文句かも)ことがありますが、その都度なんとか次の仕事が見つかっているため、現在に至っています。主人は研究が大好きなので、他の職種に就くつもりはあまりないようです。私は資格を持って働いていたので、いざ主人の仕事が途切れたら私が家庭を支えればよいと思い結婚を決めました。ただ、引越しの度に私が仕事をやめなければならない状況。現在は海外なので仕事ができず、自分自身のキャリアも積めずに憤りを感じることもあります。でも、夫と結婚したことで、海外での暮らしを体験でき、語学の勉強に打ち込めたので、それを前向きにとらえたいと思っています。
2010.12.17
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□博士にはなったものの、まともな仕事に就けない人達と話しをする機会が続きました。昨日も京大時代に面倒を見ていた女性がビザの書き換えで帰国し、ともに食事をしました。京大の研究室に寄ったら、以前いたときは汚らしい部屋だと思っていたが、向こうの方がもっと汚くて、綺麗に思えたと言っていました。でも、今後ともアメリカで研究生活を続けたいと言っています。そこで、日本で研究職の口がなく海外で働いた経験のある人に、日米の研究環境について聞いてみました。◆アメリカでは、これと思った分野には素早く高額の資金がつくが、日本では5年くらい遅れ、金額も10分の1くらいしかつかない。これでは、勝負ができない。◆日本人の発想の弱点は「俯瞰性に乏しい」ことである。つまり、物事を新しいシステムでとらえること、活用することが苦手である。この点、アメリカの俯瞰的発想力には、常に驚かされるものがある。その俯瞰性は、競争基盤そのものまで変えてしまうこともある。現在のグリーンニューデールを例に取れば、日本は太陽光パネルなど新しい分散型の発電電力の送配電システムにしか関心がないのに対して、米国は大規模太陽エネルギー発電所に対応する送配電システム(各家庭の太陽光パネルで電気自動車のバッテリーに充電――これらの電気自動車をネットワーク化し、各戸の充電、発電、使用量のデータをオンライン化――システム実現のためにGEとグーグルが提携し、全米規模で電力需要を調整する)によって、太陽光発電と電気自動車の普及を一挙に押し進めようとする。つまり、アメリカの発想は、個々の技術を結んで、目的を達成する新しいシステムを考えるという俯瞰性に優れている。その俯瞰性の特徴は、目的を達成するために、総合的な施策を考える縦割り排除、組織の壁を破る、専門の壁を超えるなどである。この俯瞰性の乏しさは、日本ではあらゆる場面で見られることです。全体を見るのではなく目先のことしかみないとか、総花主義で絞り込みができないということが、日本人の弱点だと思います。ノーベル化学賞受賞者座談会 https://aspara.asahi.com/blog/science/entry/svWd5GhoEq?mid=836qmLbf
2010.12.16
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交通事故の罰金が払えずに労務収監される信州の知人から、いよいよ収監されるとのメールが来ました。16日10時半入所、現在小雪とにかく寒い。入所祝いで、いささか呑みすぎ、少し休みたいところなれど・・・まさか、初日から道路の白線引きはないだろう。只今、入所前脱獄というか、正月後まで解き放ちを検察に掛け合い中。この頃では、罰金を払えない貧困層が増え、労役収監される人も順番待ちらしい。労役留置では【1日5千円×日数】で罰金を精算するらしいが、就職難のこの頃では3食・宿泊所付きで5千円を稼ぐのは難しく、昔のタコ部屋同様で不便ではあるが、刑務所に入った方が良いということだろう。また、この頃では認知症の老人も増え困っているようだ。彼には、「滅多にない良い機会だから刑務所を観察してこい。春杏の花の咲く頃には体験談を聞きに行く」と返事を送る。菅さん、仮免中だったなどと無責任なことを言っている場合じゃないですよ。茨木選挙でも散々だったが、相変わらず小沢さんのせいにして「政治と金の問題で」でなんてノー天気なこと言っているが、貴方の国政運営に愛想をつかしているんですよ。国会の皆さんも、いい加減にまともな政策論争をしてくれないと、日本は2流、3流国になりさがってしまいますよ。
2010.12.15
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今日で70歳だが、この頃では70歳はまだまだ洟垂れ小僧で、元気な先輩たちが一杯見えます。(70歳以上2017万人)70歳を古稀と呼ぶのは数え年だから、もう古稀は済んでいるわけですが、古稀の賀の風習は、杜甫の詩「曲江」の中にある「人生七十古来稀」に由来します。朝 囘 日 日 典 春 衣 (朝は回り日日春衣を典ず)毎 日 江 頭 盡 醉 歸 (江頭に到る毎酔尽して帰る)酒 債 尋 常 行 處 有 (酒債尋常行く処常に有り)人 生 七 十 古 來 稀 (人生七十古来稀なり)穿 花 ? 蝶 深 深 見 (花を穿つ?蝶は深深として見え)點 水 蜻 ? 款 款 飛 (水に点ずる蜻?は款款として飛ぶ)傳 語 風 光 共 流 轉 (伝語す 風光、共に流転して)暫 時 相 賞 莫 相 違 (暫時相賞して相違ふこと莫れと) 朝廷から戻ってくると、毎日のように春着を質に入れ、いつも、曲江のほとりで泥酔して帰るのである。酒代(さかだい)の借金は普通のことで行く先々にある。この人生、七十まで長生きすることは滅多にないのだから、今のうちにせいぜい楽しんでおきたいのだ。花の間を縫って飛びながら蜜を吸うアゲハチョウは、奥のほうに見え、水面に軽く尾を叩いているトンボは、ゆるやかに飛んでいる。私は自然に対して言づてしたい、「そなたも私とともに流れて行くのだから、ほんの暫くの間でもいいから、お互いに愛(め)で合って、そむくことのないようにしようではないか」と。全く私の生活そのもので(酒代の借金はありませんが)、私のために書かれた詩みたいですね。ところで、私は60歳から「後5年の命」と定めて生きてきました。それは、何時までも命あるものと思ってダラダラと生きることが嫌だったから、余命を5年と区切って、その5年間の目標を決めて命一杯に生きていきたいと思ったかです。それも、2回目の5年更新になります。今までは、自分で次の次代を担う人達の心に少しでも種を蒔きたいと願ってきたが、これからは種を蒔く人を育てたいと願っています。蒔いた種が、どんな芽を出すかが楽しみです。自分では蒔いたつもりでも芽のでないこともあるが、それはそれでいいと思っています。この秋は、自分なりに種を蒔いてきた若者たちから招待されることが続き嬉しいかぎりです。私の命が尽きるとも、誰かの心の中に「あんな人がいた」と記憶されるかぎり、私は生き続ける訳ですから。まあ、永遠に歴史に残る不老不死は無理だが、多少なりとも思い出してもらえるなら、それが本当の意味での長生きだと思っています。70歳になって、今月から敬老パスをもらい、市バス・地下鉄が乗り放題なのは嬉しいですね。籠もることなく、気楽に外に出て偶然の出会いを楽しみたいと思います。
2010.12.14
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「坂の上の雲」でも子規が亡くなりましたが、今日も死の話です。周りで亡くなる人も増え、私の70歳の誕生日が「赤穂浪士討ち入りの日」でもあり、自分なりに死を考える機会も多くなりました。核家族化と病院で死ぬケースが多くなってきて、死に対する意識が薄れてきているが、若かろうと歳を取っていようと、年末年始や誕生日、知人の死を機会に、自分の死について考えるのは大切なことだと思います。「そんな縁起でもないことを」と思われるかも知れないが、死は誰にも確実に来るのだから、死を考えることは、実は生きることと同じことだと思います。「どう死にたいか」を考えることは、「そのために、どう生きるか」につながります。不老不死を願う人もいるが、何時かは消える命だからこそ、人は生の証を様々な形で残そうと人は努力をします。また、今がどんなに苦しくみじめであっても、何時かは死ぬことで終わるからこそ耐えられるのだと思います。そして、生きる上で意味を持つのは、あらゆるものとの(特に他人との)出会いだけだと思います。移動しなければ(外に出なければ)人との出会いはありません。内にこもることなく外に出て、人との偶然を積極的に生かすことで、貴方の人生は形作られていきます。その前提として、出会った人と積極的に関わり合い、その人たちの幸せを思い、明るく接することだと思います。昨日、死の問題を書いたらこんなメールが届きました。私は、臓器移植、延命治療とも基本的に反対です。 どのように医療が発達しても死は必ず訪れる避けられない事実です。1時間でも1分でも生きていたいと言うのは死が悪いものであるということなのかな、と考えたりします。長く生きたいというのは人間の欲、執着なのでしょうか。輪廻転生の考え方(単純に生まれ変わるということでなく)は受け入れにくいのでしょうね。 3年前の春、父が無くなりました。72歳でしたが、桜が満開のころ、夜中に脳溢血で救急で運ばれました。 左脳の脳幹近くから出血し、レントゲンで見る限り左脳全体が真っ黒でした。当然、本人の意識はありませんし、このままにしておくといずれ自力呼吸は出来なくなるといわれ人工呼吸器をつけるかどうか判断を求められました。 私は弟が一人いますが、私自身は父は延命治療は望んでいないと思っていましたし、弟もそう思っていましたが、父の兄弟(兄2人、妹1人)が元気ですので、その意向も無視は出来ませんでした。長兄に当たる伯父が最後は「もうええやろ」と判断しました。ほっとしたのを覚えています。そのまま1週間になるか1か月になるかと思っていたところ翌日、会わないといけない身内の見舞いをすべて受けた後、夜中に母一人に見守られ、眠るように亡くなりました。母は自分が世話をしないといけないと思っていたので、あっという間の出来事でしばらくは機械を付けたら良かったのでは…というようなことを言いましたが、絶対に父の兄弟には言ってはいけないと…言いました。 それぞれの人が、思いも違い本当にむずかしい話です。 死刑制度の話も同じく聞くたびに考えてしまいます。私の理想の死に方で、羨ましいですね。長く生きることには意味が無く、どう生きるかだと思っています。そして、その生きた姿が残された人達の心の中で忘れ去られないかぎり、その人は生き続けていることになります。(命の尽きたときが一番目の死、忘れられたときが永遠の死)無意味な延命治療をするよりも、自分の心の中で生き続けさせる(忘れない)、そうやって長生きさせることが本来の姿だと思います。(別居していれば、実際の姿を見ることもないのだから同じですよね。)そして、本人にとっては、人の心の中で長く生き続けるような生き方をすることではないでしょうか? それが、「生きる」と言うことだと思います。拙著「快老力」に知人たちの最後のメールを転載したのも、一部の人からは非難めいた言葉も聞いたが、知人たちの生きた記憶を永遠に残すためでした。
2010.12.13
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今年も何枚かの喪中ハガキが来たが、この頃の死の事情について思いをはせた。昔は、心臓が止まれば死ぬわけで非常に簡単だった。だから、医学的な死の定義を法律で決める必要もなかった。脈が無くなったり、瞳孔が開いたりといった変化を見て、人間が死を判断していた。それが、医学の進歩につれて、人間の都合で死を判断するようになり、機械が科学的に判断するようになるとともに死の枠がすごく広くなった。死の時間の前倒しが、今話題になっている臓器移植の問題です。心臓や肝臓などを移植するためには、心臓死を待っていては遅く、「脳死」を死としなければならない。そのために、脳死は医学的には死と認める法律を作ることで、死ぬ時期を早めるが必要がおきた。逆に、死の時間軸を遅らせるのが延命治療です。でも、助かる見込みのない延命処置が、果たして治療なのでしょうか? 見ていても辛いだけです。医療の世界では、延命治療はドル箱といわれているそうです。例えば、肝硬変のために食道静脈瘤が破裂して入院し、15日後に亡くなった70歳の人のケースでは、治療費316万円の内訳は、手術費が14%、中心静脈注射が42%だが、治る見込みのない人に毎日数万円から10万円の注射に意味があるのでしょうか?肺に移転したガンの状態を調べるために、毎日、気管支ファイバースコープ検査をされた80代の人は、入院2週間後に亡くなられたから、このもの凄く苦しい検査をする意味など全く無意味だったわけです。最後の2週間ほどを、苦しい目にあったり、無意味な治療を受けたり、菅を付けて意識もなく生きることに何の意味があるのでしょうか?私は、絶対に延命治療などしてほしくないと思います。・病気の完治ではない延命治療を希望しない 本人の場合 81%・家族の場合 希望する 33% 希望しない 51%本人は大部分が延命治療を希望しないと思っているのに、家族の比率が高いのは悔いを残さないためとか、周りの人に悪く思われたくないという意識が働くからと思われます。奥さんを亡くされた方が、こんな話しをされていました。奥さんの姉弟妹たちが相談した結論だとして伝えられたことは、一致して延命治療を希望する、ということでした。私はびっくりして、祐子自身が「遺言書にかえて」の中で明言している希望を無視して、それと反対のことをしようというのか、と尋ねましたが、それに対する答えは、「実際に血を分けた肉親としては、1日でも1時間でも長く生きていてほしいと願うのは当然だ。それに、この文書は正規の遺言書ではなく、本当に祐子の意思を伝えているとは言えない」というものでした。実際には、その翌日には心電図の波が停止し、医師が駆けつけてすぐに彼女は死去し、延命治療などが行なわれる余裕もありませんでした。意識を回復できる望みがまったくなく、体のあちこちにいろいろなパイプや電線や機械をつながれた病院のベッドで、ただ呼吸をしているだけという植物人間の状態を、半年も、いや、1週間にせよ、続けさせることは、彼女の尊厳にもかかわることであり、耐え難いという思いだったのです。死去が速かったため、結果として、彼女の姉弟妹たちと私との間で、延命治療をめぐる争いが長く続くことはなかったものの、この問題はあとをひきました。彼女の死後、義妹と電話で会話を交わした際に「あなたは、祐子ちゃんの生存に必要な治療さえ拒否したような人なんですから」と言われて、愕然としました。もう、反論する気もなく、「ああ、そうですか。そんな風にお考えなんですか」とだけ言って電話を切りました。彼女の姉弟妹たちへの遺産相続も、法の規定どおりに行ない、配分も終わりましたので、もう、これ以上、お付き合いをすることはお断りしたい気持ちです。感情的なしこりは残ったままです。◆嵐山ライトアップ
2010.12.12
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ノーベル賞で中国の採った態度は、改めて一党独裁の怖さを世界に知らしめました。共産主義は、元々は人間の本性に基づいたエゴを抑え、富の公平な分配を約束する理想社会の追究にあったはずです。でも、それは名目であって、王家や資本家に変わって共産党の指導部だけが甘い汁を吸う仕組みに変わっただけのことで、一般民衆にとっては一層悲惨なものになったともいえます。中国も北朝鮮も見れば分かるように、言論や移動の自由もなく、ごく一部の指導層に富が偏在し、特権階級は世襲化され、一般民衆に自由も富もありません。つまり、ごく少数のエゴ(自愛と我欲)を満足させるための社会と言うことになります。指導者にとってはこれほど美味しい仕組みはないわけだが、一般民衆にとってはこれほど悲惨な仕組みはありません。人間の本性に基づいたエゴを抑え、富の公平な分配がされれば、ある意味では理想社会かもしれないが、それにはまず指導層が、釈迦のようにエゴを抑え慈悲の精神を持たなければなりません。でもそんなことは、釈迦の智慧で1年間書いてきたように、不可能に近いと思います。それは、北朝鮮を見れば明らかです。中国でも同じです。今回のノーベル賞問題、尖閣列島問題、レアメタルやリン鉱石の輸出規制、古くは天安門事件、みな自分さえ良ければのエゴの塊です。人間にとって最も大切なことは、何事にも(とくに精神的に)自由であることです。言いたいことも言えない、したいこともできない、行きたいところにも行けない、それが一般大衆が求める理想社会でしょうか?資本主義社会にもいろんな問題があるが、少なくとも法律を犯さないかぎりにおいて言動は自由であり、ある意味でのチャンスの平等はあります。エゴに基づいた煩悩がある故に、努力もし、競争もし、より前進しようという意欲も湧きます。持続する住みやすい地球を作るためには、そのエゴを適度に抑え、自利利他の精神を何処まで実践できるかにかかっていると思います。釈迦の智慧を終わるにあたり、こんな話題になるとは思いませんでしたが、これもまた巡り合わせですかね?明日からは何を書こうかと迷っていますが、14日には70歳の誕生日を迎えますので気ままにいくつもりです。まあ、お暇がございましたら、今まで通りお付き合い下さい。
2010.12.11
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人は「楽しい・認められる・成長する」という要素があれば、生き甲斐や働き甲斐も生まれてやる気になり、これらを刺激すれば説得も容易になります。楽しければ何も強制しなくても参加したくなるし、夜中に釣りに出かけたり真夏や真冬でもゴルフに熱中している人を見れば分かるように、自分が好きで楽しいことなら、普通なら苦になることも厭わずに楽しんでいます。認めて欲しいは最大のポイントで、「人間が生涯をかけて最も強く追い求め欲しがるものは、つまるところただ一筋、自分が世間から少しでも高く認められる評価である。人間は息を引き取るまで生涯をかけて、私を認めてくれ、私を認めてくれと、声なき声で叫び続ける可憐な生き物である」と谷沢永一さんは喝破しているが、子供たちが奇抜な体裁をするのも、大人が金を稼いでベンツや大きな家を手に入れようとするのも、女性たちがブランド物で着飾り何かと目立ちたがるのも、総ては「認めて欲しい」という意識の現れに過ぎません。「成長する」を巧くくすぐっているのが、お茶やお花、将棋や囲碁など段位のある趣味やスポーツの世界です。段が上がる毎に相当なお金がいるのに、みな喜んで出します。昔から、人間心理に通じた智恵者がいたものです。
2010.12.11
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お客様を購買行動に走らせる、他部門の人に協力してもらう、部下をやるきにさせる・・・、この世はすべて、人にどう行動させるかの勝負です。一般に人間は、「利益・恐怖・情」の三つで動きます。エゴは人間の本性であり、自らの利益につながるときは必死に行動します。中でも失うことへの恐怖は大きく、不利益を被らないようにと必死になります。北朝鮮の核廃絶・大分県教員試験・入札金額漏洩や談合・偽装工作の受入・贈収賄・・・、みな利益や恐怖(金や職・地位などを得たい失いたくない、トラブリたくない)からです。でも、利や恐怖で動く人は、より大きな利や恐怖を示されればそちらになびいてしまいます。利益と恐怖は行動の第一要因になるが、それに勢いをつけるのが情です。ギリギリの極限状態に追い込まれたときは、利益も恐怖も吹き飛んで情が優先するときがあります。親が、自分の命を捨てでも子供を助けるなどは良い例です。コミュニケーションとくに説得にも、合理性だけでなく好き嫌いなどの感情など話し手、受け手の情=人間心理が大きく影響します。説得が巧い人というのは、人格者である必要はなく心理スキルが身に付いている人だと言えます。
2010.12.10
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忘年会で懐石料理が続きます。「懐石」の語源は、文字通り自分の懐に石を入れることです。平安時代から戦国時代、江戸時代にかけて、我が国はしばしば飢饉に襲われました。そういうとき、寺ではよく「温石」(石を温めて布に包んだもの)を懐に入れて胃を温めました。胃の上に当ててじっとしていると胃が暖まり、一時的に空腹感がうすれるからです。切ない話しですね。懐石料理とは、このように胃の足しにもならない質素な、ほんの一時しのぎの料理のことを指しました。千利休の頃の茶席では、ほぼこのような簡単で質素な料理が出されたようです。ところが現代では、贅沢で高い料理の代名詞のようになってしまいました。ところによっては2、3万円もし、私には高嶺の花です。また、よく香がたかれているが、この香をたく風習も、平安時代に遡ります。源氏物語の世界でも、香の匂いが重要な役割を果たしたそうです。当時は髪が長いほど美女だという風潮があり、女性は競って髪を長く伸ばしました。この髪を洗うのがひと苦労で、1人ではとても洗えません。風呂に毎日はいる習慣もなく、どんな美女でも髪や身体を洗うのは、月に何度もあればいいほうでした。香は、そのための臭気をごまかすための必需品でした。(色気のないことで済みません)フランスで香水が発達したのも同じです。こう言ってしまうと、味も素っ気もないが、まあこの世の中のことはこんなものですね。
2010.12.09
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OECD国際学習到達度調査が発表されたが、読解力、科学的リテラシー、数学的リテラシー、何れの分野でも上海・韓国・香港・台湾・シンガポール・フィンランドが上位を占め、科目順に8,5,9位です。ところが、ノーベル賞受賞者の国別ランキングで飛び抜けた上位4カ国のアメリカ・イギリス・ドイツ(科学でかろうじて13位)・フランスはベスト15位にも入っていません。このことは、どういう事を意味するのか?ずいぶん前のことだが、あるアメリカの知識人が、日米の教育の違いについて、次のように語っていました。日本では、教育も丁度量産工場のように品質管理を厳重にし、定められた一定の規格に合格する人間を養成しているようだね。知識量と躾の度合いに予め一定の基準を定め、それを無理矢理に学生に押し付ける。そうやって養成された人が就職し、工場で働くからこそ品質管理が向上して生産性が上がる。だが、それでは経済復興はできても、器用で小粒で小賢しい人間ばかりが生まれ、世界に貢献するような大きな創造的な人材は育たない。一方、アメリカの教育が生むのは、いわば手作りの製品だよ。みんな一人ひとりにそれぞれ違った趣を持たせる。まあそう言っても、大部分はハンドメードというだけが売り物の土産物のようなものだがね。量産工場などではあまり真面目に働かないかもしれない。しかし、それでも手作りの甲斐があって、数は少ないが素晴らしい逸品もできるのだよ。そして、そういう人材がアメリカ社会の活力源になっている。確かに、日本人にはイチローのようにヒットをコツコツと打つ人材は少なくないが、ホームラン打者は少ないといえます。それでは、世界の舞台で主要な位置を占めることは難しいといえます。これからのグローバル化時代を生き抜いていくためには、世界をリードする専門能力でなくてはなりません。何をやらせても60点や80点はとるが(平均点の競争ではこの方が有利)、100点は取れないという一流半の人材は、ある意味では育ちやすく沢山います。そういう人材も必要だが、そういう人ばかりでは絶対に世界で一流の会社にはなれません。平均点は低くても、これなら100点満点、いや誰も想像もしていなかった視点を提示できる150点が取れという人材(ノーベル賞的な人材)がいなければ世界をリードすることはできません。そういう人材を作るのは、口で言うほど簡単ではありません。博士号を取っても研究する場がない日本、外国の頭脳をドンドン受け入れるアメリカ、その辺りにヒントがあるように思います。ある日本からの留学者は、次のように語っていました。これは自分の研究室の特徴かもしれないので一般化できるかはわからないけど、アメリカの方がディスカッションをし易い雰囲気がある。議論上手な人も多く、そのことで新しい発想のヒントになることも多い。特に、違った分野の人も議論に参加するので新しい視点を得られたりもする。日本でも議論をしないことは無いが、縦割りというか縄張り意識が強いというか、(少しずつ変わってはきているが)違う分野には口を出さないという意識が強い。一番大きく違うのは拘束時間。(これは、研究内容によっても違うとは思うんだけど)日本の研究室だと、とにかく拘束時間が長い。朝9時に朝礼をして点呼を取って、夜は終電まであまり研究室から出る事無く研究に没頭していたりする。研究室の人同士で教授も交えて飲み会なんかも多くて仲間意識が強い気がする。一方アメリカでは、朝の時間は一応決まってはいるけど締め付けが強くない。帰る時間も大体6時とかにはみんなそれぞれに帰っていく。成果さえ出していれば研究室に拘束されるってことは無い。ただビジネスライクな関係なのでちょっと寂しいと思う時もある。この対比は、外資系と日系の民間企業の違いにも近いものがあるかもしれないね。アメリカ人は本当に家族を大切にしている人が多い。この辺りのことは、今度一時帰国する娘からも聞いてみたいと思います。また、彼女の先輩に当たる私の甥(彼も、アメリカ・ドイツに留学して昨秋帰国したが研究の場はない)とも金曜日に食事をするので聞いてみたいと思います。
2010.12.08
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仕事の成果は、【対策×実行度×やる気】で決まります。現代のような厳しい競争環境の中では、いかにそれぞれの要素を100点満点に近づけるかの勝負です。特に大切なのが社員の「やる気」です。やる気は、マイナスからプラス無限大までであり、やる気があるから一生懸命に対策を考え、執念深く確実に実行しようという責任感が生まれます。とくに、サービス業ではやる気が大切で、やる気のない社員がお客様に満足を提供できるはずがありません。やる気のある社員だけが、つまり会社や仕事に満足した社員だけが、お客様にも満足を提供できるのです。そのためには、いかに社員のやる気を高めるかです。つまり、社員の煩悩を刺激することです。その場合、給料などの待遇は「やる気を下げる」要因にはなるが、「やる気を上げる」要因には必ずしもならないということを知っておく必要があります。大切なことは、まず「楽しい」ことです。それも、まず「会社へ来るのが楽しい」ことで、これがダメなら後は何をやってもダメです。その上で、仕事が楽しく、やった成果が認められ、仕事を通して成長するということが大切です。
2010.12.08
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昨日は、天然資源のない国日本は「知」だけが財産だと書きました。石油資源の枯渇は言われて久しいが、この頃ではレアメタルに続いて肥料原料となるリン鉱石の輸出制限を中国が強めています。尖閣列島の問題も、その根底には資源問題がからんでいます。リンについては、人口増や新興国の経済発展で、食料=肥料の需要が増えていることが背景にあります。それだけでなく、バイオエネルギー(サトウキビ、トウモロコシ、その他の作物かから作られるエタノールやバイオディーゼル)のための農業の大拡張も燐の消尽を加速させているようです。現在,30ヶ国以上が,リン鉱石を採掘しているが,上位15ヶ国だけで全世界リン鉱石採掘量の約95%近くを占め(アメリカ,中国,モロッコの上位3カ国のリン鉱石採掘量は全体の約2/3を占める),リン鉱石の埋蔵量には大きな偏りがあります。経済的に採掘できるリン鉱石の埋蔵量を単純に現在の採掘量で割ると,リン資源は130年で枯渇する計算になるそうです。CEEP(ヨーロッパ化学工学評議会とリン酸工業協会の主催する団体)の分析によると、過去のリン消費量の伸び率に従い,リン酸肥料の消費が年間3%ずつ増加すると仮定すると,2060年代には現在の約5倍の年間消費量2億トンを超えてしまい,経済的に採掘できるリン鉱石はすべて枯渇するともいう。しかし、この予想は以下の理由により現実的ではないともいう。1.先進国で行われる農業では,1ヘクタール当たり70kg のリンを供給していることになり,リン酸過多状態になる。リン酸過多状態では収穫農作物に取り込まれるリン酸量以上のリン酸を供給する必要はない。2.さらに先進国では,屎尿からの肥料のリサイクルが改善され,リン酸肥料添加の必要性が減少すると考えられる。3.土壌肥沃度の改善が必要な発展途上国では,おそらく30~50年の間に,農作物が必要とするリン酸量の30~50%増しのリン酸を供給する必要がある。その後は,肥沃度が改善された土壌状態を維持する必要性がある。4.土壌中のリン酸濃度を維持しなければならないその他の国々では,農作物に取り込まれるリン酸量の10~30%増しのリン酸を添加する必要がある。 これらの条件を加味して考えると,21世紀初頭(2010~15年)まで年間2.8%ずつ増加し,その後の伸び率はゆっくりとなるとするのが現実的と考えられています。これによると,60~70年以内には現在世界で経済的に利用されているリン資源の半分が消費されることになります。しかしこの時点でリン資源の半分が残ると言っても安心はできません。それはリン鉱石中のリン酸含有量が10年で約1%ずつ低下すると言われているからです。60~70年後には低下したリン含量とは裏腹にカドミウムや放射性化合物などの不純物の含量が上がり,その除去コストが増加します。また,副産物であるジプサムの処理コストもかさみます。いずれにしても、総ての天然資源は有限であり、後世の人達は大変です。そのうち、リサイクルで100%賄うか、地球外に求めるしかなくなるはずです。そのためにも、広い視野に立って智慧を磨いて欲しいと思います。
2010.12.08
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マクドナルドでは、お客が幾らだったら買うかを顧客満足度と言っているそうです。だいぶ前の調査では、210円のハンバーガーの顧客満足度は30%しかないが、130円にしてみたら80%になり、100円にすると100%に、さらに65円にすると120%の人が満足するという結果が出ました。もちろん、その値段で売りながら利益を確保する努力をしなければ経営としては意味がありません。それには、人と同じことをやっていたり、従来の流通機構に乗っかっていては不可能です。仕入れ一つにしても、どこに行ったら安い物があるかを自分で探さなければならないが、これだけ情報ネットワークが発達している今日では、方法はいくらでもあるはずです。だから、ありとあらゆる機会と手段を使って情報を集めないといけません。また、現代は安心コストを払う時代でもあるようです。新幹線の指定席が取れずに、立ち席覚悟で自由席に乗ったら意外と多くの空席が目立ったという経験はありませんか? 「立ったままで遠距離は大変」という心配があり、自由席との差510円を安心コストとして支払う人が増えているからという分析があります。
2010.12.08
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昨日はアメリカで研究生活を送っている女性の話を書いたが、アメリカに留学する日本人の減少が目立っています。アメリカの大学・大学院への留学者は、97~98年の世界1だった47,000人をピークに減り続け、2009~2010年には24,800人で前年より15.1%も減っています。一方、中国は127,600人で30%も増え、インドの104,900人を抜いてトップになりました。内訳は、日本の留学生は学部が52.6%;大学院が21.7%(その他25.7%)に対して、中国は学部が31.3%;大学院が52.4%と大学院の比率が高くなっています。そこで指摘されているのが、若者の「内こもり」の姿勢です。・今では日本の方が技術も設備も整っている・日本の過去の優位性がいつまでも続くと思っている・これからも困らない生活が続くと思っている・国際化とはいわれるが自分には関係ない・今で十分。そんながむしゃらになる必要はない・親の財産を食いつぶせばいい・・・といった、危機感のない考えが蔓延しているように思います。 他のアジア諸国を中心とした他国の学生たちは、日本の呑気な国民・学生をしり目に、借金をしてまで自らの成長に賭けて必死になって世界で勉学に励み、たゆまぬ努力をしています。そうした国々に対して、日本はいつまで優位性を保てるのでしょうか? 石油資源の枯渇は言われて久しいが、この頃ではレアメタルに続いて肥料原料となるリン鉱石の輸出制限を中国が強めています。資源を持たない日本は、「智慧」で勝負するしかないが、これでは将来が危ぶまれます。現在、そしてこれからの社会は、他国との技術連携、組織連携等を無くして成り立ちません。そんなとき、若い間に異質な文化や価値観、考え方などに触れたり、異質の集団とのコミュニケーション能力を付けることは欠かせないはずです。また、現在の切迫した就職難においても、日本企業は「外国人採用」を増やしています。この現実を、今の若者たちはどのように受け止めているのだろうか?
2010.12.07
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現在では安ければ良いと言う風潮があるが、正しい値段とは何でしょうか?身近なコーヒーを例にとって考えてみると、セルフ方式の1杯150円のコーヒーもあれば、1杯千円のホテルのコーヒーもあります。愛想のないアルバイトが作り置きのコーヒーをカウンター越しにポンと出し、それを持って機能本位のテーブルに座ったり立ち飲みするだけのコーヒーでも、「150円だから」と納得する客がいるから成り立っています。一方、地価の高い一等地に豪華な建物、調度品やカップにも凝って、若くて美しい女性がにこやかに応対してくれ、長居をしても気兼ねしなくてもいい豪華ホテルのコーヒーなら千円出しても惜しくないという人もいます。それは、コーヒーを飲む目的と求める付加価値(逆にいえば提供する価値)が違うからで、商売が成り立つだけのお客様がある限り、そのどちらも正しい値段といえます。結局、正しい値段であるか否かは、お客様が決めることです。従来の価格設定は【原価+希望利益=売価】というのが普通だったが、現在では、【顧客満足価格(市場価格)―希望利益=原価】で決まり、その原価でどう作るかが問われます。つまり、100円ショップの発想と同じです。
2010.12.07
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博士号は取ったものの仕事がない日本を離れて、アメリカで研究生活をしている5女扱いの娘がビザの書き換えで帰ってきます。彼女との食事会をしなければと、今から場所をあれこれと考えています。そんなこともあり、昔を思い起こせば、私が初めて海外に出たのが71年(31歳)で、台湾~香港~タイへの独り旅でした。英語も苦手な私が、良く独り旅をする気になったものだと思います。当時の統計を見てみると、渡航者数は96万人で総人口のたった0.9%で、個人旅行など珍しい時代でした。そういえば、日月潭で原住民の酋長に娘をやるから連れて行けと言われたり、花蓮から高雄への峠越えのバスに乗ったときは、10台くらい連なったバスの中で日本人は私一人で、隣の乗客から「なぜ、中国語を話さないのか」と言われたこともありました。タクシーに乗っても言葉が通じなくて、駅へ行くのに汽車の絵を描いた覚えがあります。懐かしいな。その間に、復帰前の沖縄には求人で(電機メーカーがコンベヤラインでモノ作りをしていた時代)何度も行っています。当時は、アメリカが統治していたので、緑色のパスポートが必要でした。米軍施設で初めてピザを食べ、洋風お好み焼きだと思ったものです。次に海外に行ったのは、74年のパリで、これも独り旅でした。パリの街を1人で歩き回り、疲れてカフェテラスに佇んでいたら、通りがかりの日本人に道を聞かれて往生したことを思い出しました。この年でも、233.6万人(2.1%)で、まだまだ海外旅行は一般的ではありませんでした。翌年は、業界団体の視察旅行に便乗して(業界紙の主催する勉強会の企業関係者として講師を務めた縁で)アメリカへ行きました。当時は、中小企業の社長連中がやっと海外旅行に出かけ始めた時代でした。まだ、日本のJCBカードが海外では使えず、渡航時にはアメックスのカードを臨時に発行してもらいました。日本ではカードが普及していなかったので、皆と食事をしたときには私のカードで支払い(高額紙幣よりもカードの方が信用された)、後で現金を徴収したこともありました。そんなのどかな時代でした。帰りに、ハワイで降りて1泊したのが、初めてのハワイ旅行でした。この年になると、246.6万人(2.2%)となり、1年間で10万人余増えています。それが80年には391万人(3.3%)、90年には1100万人(8.8%)、00年には1782万人(14%)と急激に増え、海外旅行も当たり前になってきました。ところが、若い人の留学者が減ってきているようですね。グローバル化の今日、若い間にもっと海外を見て刺激を受けてもらいたいものです。私と言えば、今では海外に全然興味が無く、国内の温泉の方が良いのですが。
2010.12.06
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お客様にとって新鮮であり続けるためには、絶えず変化し続ける必要があります。福島で薄皮饅頭を150年近く代々作っている柏屋の本間善兵衛さんは言う。先代はよく、「お客様の喜びだけを見ていろ」、と。お客さんの喜びを見ないで、同業他社ばかり見ていたら、結局は他のコピー商品になってしまうんですね。真似をしない、ということを頑なに守ってきました。また、「暖簾は革新だ」と教えられ、代々初代の心構えで受け継いできました。暖簾を守ろうとする企業は、10年、20年で潰れる。その時代、その時代で、常に最先端の提案をしていけるから暖簾が維持できるんだ。暖簾を守って暖簾にぶら下がっていたら、暖簾はその重さで千切れてしまう。例えば、お菓子は、昔は「甘くて美味しい」が、今では「甘くなくて美味しい」というように、味は絶えず変化している。それに合わせて変化させていくから、「いつも変わりませんね」と言われるのであって、反対に「変わったね」とお客様に言われたら努力を怠って以前と同じことをやっているということである・・・。企業も諸行無常、絶えずお客さまだけを見て、その変化に合わせてゆく大切さはどんな仕事も同じです。
2010.12.06
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昨日は、面倒を見ていた同志社の自主ゼミが後継者がいなくなり今年で解散さんとのことで、卒業生たちがわざわざ東京からやってきて、南禅寺前の料理屋で一席設けてくれました。卒業して4~5年になり、新婚ホヤホヤの若者を二組いて、幼児教育に詳しい先輩夫婦が胎教から2歳くらいまでの大切さを力説されていました。この時代に言葉が分からなくても、絶えず話しかけてやることで語彙が増え、いろんなことに関心を持つようになるとのことです。確かに、人は関心があることには沢山の言葉を寄せるようになります。例えば、昔は武士の俸禄が米の石高で示されのを見ても分かるように、米に関する関心が高かった。だから、「米」がは様々に名を変え、田に植えられている状態では「稲」、刈り取られると「籾」、脱穀されると「米」、食べるときには「飯」となりました。この頃では、赤ちゃんがなぜ泣いているのかが分からず、イライラして虐待に走ってしまう親も多いようだが、子供にとっては大人はもう一つの環境問題ともいえます。総てのそれぞれの子供にとって、総てのそれぞれの大人は、もう一つの環境問題だと、私は考える。どんな大人が身近にいるかで、その子の子供時代は大きく変わる。さらに、その子が大人になっても、子供の頃の体験は、人生の節目にこぼれ種子のように芽吹いてくるはずだ、と落合恵子さんも言ってみえます。話しは楽しくあっと言う間に時間が過ぎていったが、料理の味はもう一つで、以前よく使った頃と比べて味が格段に落ちたのを寂しく思いました。まあ、紅葉のシーズンで何処も満席で、努力しなくても喰っていけるからでしょうか?食事のあと、南禅寺~永観堂~哲学の路~法然院と紅葉を案内したが、もう散ってしまったところが多く、人ばかりが多いのが残念でした。
2010.12.05
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これからは、ハードだけを作っていても儲からない時代で、ソフト(心理的品質)をいかに作って売ることができるかがポイントになります。・お客様の感動を演出するノウハウ ・お客さまを気持ちよくさせるノウハウ・お客様に満足を提供するノウハウ ・お客さまにメリットを提供するノウハウ・儲かる商売の原理原則のノウハウ ・買いやすいシステム作りのノウハウ etc例えば、消音ピアノやトランペットがよく売れています。楽器を弾くことは、子供の情操教育に役立つだけでなく、一家団欒にもつながります。ところが、この頃では騒音が問題です。そこで消音楽器が売れるわけです。そして商品を売るためには、買いやすさを売ることも大切なポイントです。そこで、予約販売や月賦販売、中古販売、貸し付け販売などのシステムをうまく組み合わせて、買いやすいシステムを作っています。また、教室も開いています。このように、ハードの物理的品質だけでなく、心理的品質の付加が大切になります。
2010.12.05
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テキサス大学でマーケティングを教えているロバート・ピーターソン教授は、商品やサービスと満足度の関連性について100件以上の調査を行い、どのような場合に人が満足して常連客になるかを調べました。「品質が良い」「値段が安い」「サービスがいい」というだけでは本当に消費者を満足させることはできず(必要最低限の条件ではあるか)、決定的な要因は商品やサービスを提供している「企業や人との心情的な結びつき」でした。お客様の満足度は、どれだけ「自分にとって新鮮な価値を提供してもらえるか」にかかっています。その価値は、【(物理的品質+心理的品質)÷コスト】で決まります。物理的品質(商品やサービスそのものの品質)や価格で差がつけ難い現在、心理的品質の勝負になっていることを、この調査は裏付けています。心理的品質には、取引に伴う安心感、心地よさ、もたらせる付加価値、良いイメージやテイスト、感動などがあるが、いま感動が一番大切な気がします。いかにお客さまに感動を与えるか、それは社員の対応そのものにかかっています。
2010.12.04
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昨日は快晴で、清滝までお酒を持って出かけ、紅葉ならぬ登山用コンロで燗をして飲みながら落ち葉の舞い散る景色を楽しんできました。嵯峨野の紅葉も見頃を過ぎましたが、洛中は今週辺りが最後と思います。帰ったら、知人から交通事故を起こして罰金が払えず(会社を倒産させてお金無し)、刑務所へ収監されることになったとメールが届いていました。春に聞いていたのに、やっと12月中旬から収監され、道路の白線引きなどをさせられることになったらしい。随分とノンビリとしているなと思っていたら、この頃では罰金刑が確定したにもかかわらず、罰金が払えずに刑務所で労役を科される労役場留置処分となる人の割合が全国で増えているとのことです。<労役場留置とは> スピード違反や交通事故などの際の罰金や科料の未納者が郵便や電話などでの督促に応じない場合、地検は「収容状」を発布し、検察事務官が未納者宅に出向いて地検へ連行。それでも払わなければ、強制的に刑務所などに収監し、封筒ののりづけなど(派遣労働のようなこともあるらしい)の軽作業をさせる。その作業を日額5千円程度に換算し、例えば罰金額が10万円なら20日間程度の労役となる。1日の換算額は判決で指定される。専門家は「罰金を払えない貧困層が増えている」と指摘しています。検察統計年報によると、全国の罰金刑は交通事故や飲酒絡みの交通案件などが減って、02年度から7年連続で減少し、08年度が45万2947件で、100万件を超えていた98年度の半分以下になった。一方、労役場留置処分の件数はここ数年、高止まりが続き、98年度は3172件だったが、03年度以降は7千件を超え、08年度の7227件は98年度の2.3倍になった。労役場留置件数の高止まり傾向について、中央大法学部の藤本哲也教授は、判決から3年で時効を迎える罰金収納への対応が03年度から強化されたことを要因に挙げ、「督促しても払わなければ即留置の意識が強まった」とみる。高齢者の万引きの増加などを受け、窃盗罪などに50万円以下の罰金刑が06年5月から導入されたことも挙げる。立正大文学部の小宮信夫教授は、02年6月と07年9月の道交法改正で、酒気帯び運転では罰金額の上限(50万円)が従来の10倍になるなど高額化された点や、貧困層の拡大で罰金を払えない人の増加を指摘している。「生活が中断される懲役ではなく、罰金刑を最もふさわしいと選択した裁判所の判断がないがしろにされ、本来の姿からずれた状態。厳罰化が加速すれば、労役場留置の件数はさらに増えるだろう」と話している。◆ツワブキの陰から狸の置物が覗いていました
2010.12.03
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この世の中に成功の法則というものがあるとすれば、それは「当たり前のことを、ごく当たり前に、執念深く、確実に実践し続ける」ことしかありません。1.どんな仕事であろうと必ず相手(受益者=お客様)があり、お客様に対して、新鮮な価値を、絶えず提供し続けることにつきます。現在のような供給過剰社会では、「別に、君たちがいなくても困らないよ」というお客様が多く、お客様にとって新鮮な価値を絶えず提供し続けられなければ消え去るしかありません。このことは、経営や開発、販売だけでなく全ての業務に当てはまります。2.実行に当たっては、一つはエネルギーの法則【集×動】があります。エネルギーは【集めれば強くなる、散らせば弱くなる】、【動かせば強くなる、停止させれば弱くなる】という性質があります。何事もやるべきことの焦点を絞って、素早く、確実に執念深く実践し続けることです。3.もう一つは、成果は【対策×実行度×やる気】で決まるので、やるべきことの成果を確実に上げるためには、お客様にとって新鮮な価値ある対策を立て、それを確実に執念深く、成功するまで実践し続けることです。そして、やる気がなければ、対策を真剣に考え、確実に執念深く実践することもありません。
2010.12.03
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昨日、蕪の味噌田楽を作りながら、昔のことを思い出していました。そういえば、一昨日は、久しぶりに片栗粉を買い、幼い頃に湯でといて食べたことを思い出して作ってみました。ジャガイモのデンプンはサツマイモのデンプンより貴重で、ときたましか食べられませんでした。あの透明の色合い、なんとも言えませんね。煮物をしながら、昔のコンロや火鉢のある生活を思い出しました。もう、あの炭の匂いも忘れがちだが、冬の風物詩として記憶には残っています。よく、火鉢の上に乗って股火鉢をしておふくろに叱られたこともあるし、餅やおかきを焼いたものです。炭には、消し炭(竈や風呂で薪を焚いた後に残る柔らかい炭)と堅炭(カシ・ナラ・クリなどを炭焼きしたもので質が堅くて火力が強い炭)があり、私の家でも戦後のごく短い期間だが自家製の炭焼きをしていた記憶があります。(そういえば、戦後数年は、サトウキビから黒砂糖を作り、綿やお茶も作り、蚕も飼っていました。自給自足だったのですね。)堅炭は火がつきにくいので、消し炭を火種にして火を付けたものです。なお、京都では五山の送り火のときにできる消し炭を魔除け、厄除けとして軒先につるす習慣もあります。昔でも締め切った部屋では軽い一酸化中毒になりかけたこともあるが、今のマンションでは通気性が悪いので締め切っていると一発で一酸化中毒になります。数年前、後輩が「家で使ったら火災報知器が鳴るので」とコンロを置いていったが、マンションの我が飲み部屋でも風情を楽しんで練炭を使うとすぐに火災報知器が鳴ります。火災報知器を外し、窓を開け放って使うが、真冬では寒くて風情どころではありません。今も内外で炭焼きを教えている杉浦銀治さんが、「炭を通して、火の大切さ、森の大切さがみえてくるんじゃないかな」と書いていたが、薪や炭が使われなくなり、雑木林が消え、里山も荒れ放題になって、豊かに息づく日本の景色に変化が現れています。ナラ枯れもその一つで、京都では送り火の火の粉による延焼が心配され、薪の数を減らしているようです。蕪の味噌田楽も、残りの甘味噌で作った味噌汁も美味しく、嵐山を眺めながら飲む酒が進む夕暮れでした。
2010.12.02
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釈迦の教えとは直接関連しませんが、ついでに経営の基本の所だけ10日ばかり続けます。会社には二通りしかありません。・お客様から「御社が無くなってもらっては困る」と言われる会社です。・お客様から「御社が無くなっても別に困らないよ」と言われる会社です。事業やお店をやってみえる貴方、「自分の会社が今なくなったらお客様は困るだろうか」と考えてみたことがありますか? また、これから起業しようとしている貴方、「こんな会社を待っていたんだよ」とお客様から言われると思いますか?恐らく大部分の会社は、お客様から見れば貴方が思っているほど目新しい顧客価値も存在価値も認められず、「何処の商品もサービスも大同小異でこれといった特徴もないわね。それならその時々で安い所へ行くよ」が本音で、貴方の会社が無くなっても少しも痛痒を感じることもなく、直ぐに他社がその後を埋めることになるでしょう。競争の厳しいこれからは、ありふれた会社ではお客様から存在価値を認められず、「あなたの会社がなくなってもらっては困る」と言われる会社でない限り生き残っていくことは難しいと思われます。
2010.12.02
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あっと言う間に12月です。嵯峨野では、街路樹のイチョウの葉っぱも残り少なくなりました。窓から見える嵐山の紅葉もくすんできました。これからは忘年会の季節だが、今週は今日のスタートを含めて3件もあります。この歳になると、忘年会などしなくても自然と記憶が抜け落ちていくのですがね。さて、私は60歳からは「あと5年の命」と思い定めて生きてきました。ところが、今月は2回目の5年更新をすることになりました。忠臣蔵の討ち入りの日で70歳になるのを折りに、新しい5カ年計画を考えています。第1期は、若い人との交流のために1歳上の先輩と「夢起こし行動学」をやってきました。第2期は、キャリアアカデミーと称して、コンサルタント生活を通して身につけたコミュニケーションや問題解決技法、就活、起業などの講座を若者対象に開いてきました。今までは、どちらかと言えば自分自身が「種を蒔く人」を心掛けてきました。これからの第3期は、私自身はもう次の更新はしたくないので(我が家の家系は長生きで無理かな?)、次世代に「種を蒔く人」を育てるお手伝いができたらと考えています。そんなことを無理せず気軽にやりながら、これからの5年を楽しく生きられれば最高です。なお、これからはビジネス関連の話題からは身を引こうと思い、有料メルマガは先月末をもって廃刊にします。このブログも、釈迦関連の話しは今日を最後としたいと思います。これからは、テーマを決めずに、その日の気分でアットランダムな話題を取り上げるつもりですが、お暇があればご覧下さい。◆法然院
2010.12.01
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京都の老舗の一つ「半兵衛麩」社長玉置半兵衛氏の言葉は含蓄が深い。「言う」という言葉に「人」が付くと「信じる」という言葉になる。人が言うから信じる。「云う」という言葉に「人」が付くと「云うから伝わる」に意味が変わる。「人」が「止まる」と書くと「企業」の「企」になり、「信じる者」が集まると「儲かる」という文字になる。だから、初めから儲けることを考えて事業をすると失敗する。まず、「言う」ことを「信じて」もらう努力をしないといけない。信じてもらわないと何を言っても無駄になる。信じてもらうには信頼関係が必要だ・・・。信じるものが集まって、儲かる。「儲ける」と「儲かる」は、意味が異なる。結果的に儲かったは正しいが、初めから儲けるを考えてスタートすると、たいていは失敗する。(自愛ではダメで、ここでもエコーの法則が当てはまる)まずは、事業がスタートするときの「志し」が大事。結果的に儲かったのであって、当初から儲けが計算できるビジネスは少ない。いや、ほとんどが初年度は赤字かもしれない。初年度から利益が順調に出るほど、世の中は甘くない。当初から大きな利益がでれば、どこか、おかしいと考えるのが妥当なのだ。
2010.12.01
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