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2021.03.09
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カテゴリ: アート
図書館で『いくつもの週末』という本を手にしたのです。
甘く、ビターなエッセイ集てか・・・老いのエッセイがしっくりするのだが。
著者みずからの「結婚生活」をつづっているそうであるが・・・大使の新婚時代なんて半世紀ほど昔なので記憶のかなたでおます。





江國香織著、世界文化社、1997年刊

<「BOOK」データベース>より
「いつも週末だったら、私たちはまちがいなく木端微塵だ。南の島で木端微塵。ちょっと憧れないこともないけれど」いくつもの週末を一緒にすごし、サラリーマンの彼と結婚した著者。今、夫と過ごす週末は、南の島のバカンスのように甘美で、危険だ。嵐のようなけんか、なぜか襲う途方もない淋しさ…。日々の想い、生活の風景、男と女のリアリズム。恋愛小説の名手がみずからの「結婚生活」をつづった、甘く、ビターなエッセイ集。

【目次】(「BOOK」データベースより)
公園/雨/よその女/月曜日/ごはん/色/風景/歌/桜ドライヴとお正月/一人の時間/自動販売機の缶スープ/放浪者だったころ/猫/甘やかされることについて/キープレフト/RELISH

<読む前の大使寸評>
甘く、ビターなエッセイ集てか・・・老いのエッセイがしっくりするのだが。
著者みずからの「結婚生活」をつづっているそうであるが・・・大使の新婚時代なんて半世紀ほど昔なので記憶のかなたでおます。

rakuten いくつもの週末


夫婦の風景としての「ごはん」を、見てみましょう。

<ごはん>
 しばらく一人旅をしていない。  
 そう思ったら、とても旅にでたくなった。
 私は、こういうときだけ行動がはやい。手帖をひらき、仕事のスケジュールを考えて、旅行は9月ということに決めた。パスポートが切れていたので、その日、散歩のとちゅうで写真をとり、区役所から書類をもらってきて、翌日には申請した。

 夜、会社から帰ってきた夫にまっさきに告げた。
「9月に旅行にいってくる」 
 背広やネクタイ、ワイシャツヤズボンや靴下をそこらじゅうに脱ぎ捨てていた夫は、服を脱ぐ手をとめ、ぽかんとした顔で私をみてこう言った。
「じゃあ、ごはんは?」 
 今度は私が、ぽかんとする番だった。

 ごはん?
 何秒かのあいだ、どちらも黙っていたと思う。それからようやく私は言った。
「ごはん? 最初の言葉がそれなの?」 

 きょうこれからでかけるというのならともかく、何ヶ月も先の旅行の予定をきいてでてくる言葉が、どこにいくの、でもなく、何日くらいいくの、でもなく、ごはんは、だなんて。

 私は、自分の存在の第一義がごはんであると言われたような気がしてかなしくなった。 このてのことはしょっちゅうおこる。
 ごはん

 これはくせものだ。結婚してニ、三ヶ月たつと、いやでもそのことに気がつく。会社から帰ってごはんを食べて眠る、という一連の行動にあまりにも無駄のない夫をみていると、あの、書くも陳腐な新妻の疑問(このひとは、ごはんのためだけに私と結婚したんじゃないかしら)を心のなかから追い払うのは至難の業だ。

 それで、ある日ごはんをつくらずにおいてみた。会社から帰ってきた夫は、空っぽのテーブルや整然とした台所をみて不思議そうな顔をして、ごはんは? と訊いた。背広やネクタイ、ワイシャツヤズボンや靴下を脱ぎ散らかしながら。

「ないの」
 私はこたえた。
「どうして?」
「つくらなかったから」

 私は夫の背広やズボンを拾いあつめながらこたえる。夫はしばらく黙ってから、妙に真剣な様子で、どうして、と、もう一度訊いた。
「つくりたくなかったから」
 私はこたえ、おそばでもとりましょう、と提案した。
「おそば!?」
 夫は変な声をだした。

「そば屋なんてもうやってないよ」
 十時半くらいだったと思う。結局、私たちはその日、夫の車でデニーズにいって夜ごはんを食べたのだった。

 そして、そのことが逆効果になってしまった。毎日ごはんがあるとは限らない、
と知った夫は、あの忌まわしいセリフ、「ごはんは?」を、しばしば玄関で発するようになったのだ。不安に駆られるのだろう。ドアをあけるやいなや、ごはんは?と。

 いうまでもなく、これは私をほんとうに悲しくさせた。これを読んだ人の多くは夫に同情するのかもしれないが、ドアを開け、ひとの顔をみて最初に言う言葉が「ごはんは?」だなんて、途方もなく失礼な話だと私は思う。

 もし私が、もう一生涯ごはんをつくらないと言ったら、あなた私と離婚する?
 一度そう訊いてみたことがある。お風呂のなかで新聞を読んでいた夫は、しないよ、とこたえる程度には私の質問に対する「傾向と対策」を学習していたが、その返事を鵜呑みにしない程度には、私も彼というひとを学習してしまっている。
(中略)

「9月の旅行、私の我慢なのは知っているわ」
 数日後に私は言った。ごく一般的にいって、結婚したら、みんなそうそう気軽に一人旅になどいかないものであるらしいことも知っていた。

「でも私はその我慢をなおすわけにはいかないの」
 ほかに言い様がなかった。
「そのこと、ほんとうはわかっているんでしょう?」
 夫はしぶしぶうなづいてそれを認めた。

「やっぱりね」
 私の声は、自分の耳にさえ嬉しそうに響く。





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Last updated  2021.03.09 01:04:28
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