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♪ 世に倣い TNKと呼んでみる みそひともじも変わるべらなり TNP27とダイハツが、MOVEの宣伝に使い始めた低燃費の呼称。言うまでもなくAKB48から来ているのでしょう。 あの政治家のものまね集団「ニュースペーパー」も、英語表記の頭文字(THE NEWSPAPER)をとってTNPと呼んでるようですが・・ 軽自動車に目が向いている時代のタイミングに合わせた宣伝効果は結構有った様で、どこも人が溢れているようです。 短歌も、1000年の時を経て連綿と受け継がれてきましたが、五七五七七のルールだけを守りさえすれば何でもありの様相を呈してきています。不易流行から言えば当然の変化ではありますが、呼称としては和歌から短歌に代わったぐらいです。 私も4年半続けてきましたが、短歌を詠むことそのもににマンネリ気味なのは否めません。ここらでちょっと気分転換で、今風に「TNK」と呼んでみたいと思います。変わるべきものといっても、流行をそのまま追った様なものは所詮長続きはしないものですが、私の個人的なものならいいでしょう。 今後、「TNK31」がどうなっていくのか、永い目で見てやってください。◆2011年1月2日からは「楽歌TNK31」と改題してスタートすることにしました。2006年5月8日よりスタートした「日歌」が千首を超えたのを機に、「游歌」とタイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートしました。★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選(2006年5月~2009年2月)
2011.01.03
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♪ 三日月と星のさやけし 薄明の空に 未知なる年のあけゆき 穏やかなお正月となりました。 元旦は心配された雪も降ることなく、明星が点景を添える未明の空に三日月が輝き、新年に相応しい朝を迎える事が出来ました。 新年4日は旧暦の2010年12月1日で、新月を迎えて無月の夜となります。この無月の日から新年が始まった昔の方が、自然と一体になって歳月の妙味を確実に実感できたことしょう。因みに、2月3日が旧暦の元旦となります。 今では何もかもが前倒しとなって早め早めにスタートするために、その実感が益々薄まってきています。幕開き前にチラチラと中を見せられたのでは、開幕の感激は半減するのは当然でしょう。 一年中季節感のない食材が並び、衣替えもせず、前倒しの花が店頭に並び、季節の変わり目のない生活が当たり前になっています。正月を迎えて、ただ永い間の数少ない慣習に従っているに過ぎない初詣でに行く。 神を信じてなんかいない癖に・・・。心の根底には有るのでしょうが、困った時の神頼み的な癖みたいなもんでしょうか。 「かます」に何杯とかいう神社の「おさい銭」をTVで見せられても、その有難味も何だか薄いものに感じてしまう。すべてが商売としての行事の印象が拭えない、金銭からみの事ばかりが残っている。 買って済ませるおせち料理、趣向を凝らした福袋、屋台に夜店に年末商戦。餅つきもしないし、正月らしい家庭の行事はほとんど無くなってしまった。年に一度の行事に一応は乗って見るものの、心ここに有らずな風情はなんだか寂しい。 高齢者の死亡が新生児の数を上回り、人口の減少が始まった。 千年何百年単位で続いてきたものが、ここ50年足らずの間に急速に変化してしまった。人の心を世の中の変化が追い越して、あたふたとその後を追いかけて行く。「便利という名のバイ菌」が人の体内に棲みついて、次つぎと新しく形を変えては耐性菌となって蝕んでいく。 未来は誰にも見えないとは言え、選択の余地は残されている。何をどう選択していくかが、全てにおいて最優先されなくてはいけないんじゃないか。 自分の意思で自分の未来の方向を決めて行きたい。そうするためには正しい判断能力を持たなくてはならない。 変えてはいけないものと、変わらなくてはいけないもの。「不易流行」は生き方にも通ずるんだね。「日歌」が千首を超えたのを機に、「游歌」とタイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートすることにしました。★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選
2011.01.02
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♪ 新しき(あらたしき)年の初めの 初春の今日(けふ)降る雪の いやしけ吉事(よごと) 大伴宿禰家持(おおとものすくねやかもち) 釈義 新しい年のはじめの それも、初春!しかも、雪が降っている! 今日降る雪のように・・・重なれ重なれ 良い事が----- 「万葉集」一番最後の歌。 新年に降る雪は良い兆し、吉兆である。だから、吉兆の雪が降ったこの年は良い年になって欲しいという願いが込められている。しかも、立春正月。良い兆しの雪よどんどん降ってくれ!!! 原文 新年乃始乃波都波流能 家布敷流由伎能伊夜之家余其騰 本年も、貴方にとって良い年でありますように。 本年も宜しくお願い致します。「日歌」が千首を超えたのを機に、「游歌」とタイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートすることにしました。★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選
2011.01.01
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♪ 飛ぶように三十日(みそか)重ねて 大晦日 ぜーんぶチャラには出来ぬもがもや ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 今日一日で諸々の良くない事など、み~んな忘れてしまいましょう。 ひとり静かに、除夜の鐘など聴きながら座禅など出来れば一番いいんでしょうが、なかなかそうもいきませんね。 昔の人のように、襟を正して新年を迎えるのも悪くない気もします。「日歌」が千首を超えたのを機に「游歌」とタイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートすることにしました。★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選
2010.12.31
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♪ 穴倉に籠りて 一人よこ歩き おろおろ生きし蟹の人生 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 今朝がたの夢に珍しく同級生が出て来た。 夢から覚めて、つらつらと自分の来し方を考えてみれば、東海の小島の磯の蟹のような人生だった。 仮住まいの様なつもりで買った古家に居座り、清貧を気どっては穴に潜り込み、偏屈のままの横歩きで、家族を養う術もないまま、ろくに脱皮ましないで生きて来た。 あっという間に過ぎ去った今年一年を思い返せば、記すべきものは何もなかったことが淡い筆致で過ぎって行く。 年末だというのに何だがちっともそんな気もしないが、一年を振り返ることでそれなりに歳の暮れを意識させてはくれる。「日歌」が千首を超えたのを機に「游歌」とタイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートすることにしました。★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選
2010.12.30
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♪ オリオンの 見下ろす宇宙(そら)に夢の無き 地球はさぞや寒々しかろう ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥どこもかも私利私欲でがんじがらめになっている感のある、昨今の人間社会。個人に限らず人間の関わるところは、すべからく我田引水的自己中心がまかり通る世の中になっている。国連はその機能を充分に発揮できずにいる。 ♪ 考える葦は私欲の泥の中 俺が俺がという声響くカネの正しい使い方が分からない政治家が党利党略私利私欲で、ぐちゃぐちゃにしてしまった国が地球上に溢れている。この国も歳入の倍の予算を組んで、またぞろ借金を積み重ねようとしている。揚げ句の果てに、取れるところから吸い上げる税のために、悪知恵を働かせようと企んでいる。カネが無いカネが無いと散々吹聴して、増税の機会をうかがっているお上は、ピンはねする「やくざ」と変わらない。お上には楯突かない国民性を利用するのだから性質が悪い。選挙で投票する政党が無くなってしまった今、個人はどこでどう民意を伝えたらいいのか。乱世のどさくさに紛れて、金もうけしようと企んでいるのはどこのどいつだ。「日歌」が千首を超えたのを機に、「游歌」とタイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートすることにしました。★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選
2010.12.29
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♪ 未だ書けぬ 賀状の束を眺めつつ思えば ろくな年じゃなかった ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ ♪ またしてもお騒がせする宇宙人 顔がい出らば目をつむりたし ♪ 中国の二つの顔の見え隠れおまえは一体どっちなんだい ♪ スポーツに救われ元気付けられて憂さを晴らした一年のゆく ♪ 職安に長蛇の列や暮もなを仕事を求む人の絶えざり ♪ 貧困は民には有らずこの国の中枢にこそ病巣のあり ♪ 機械さえ愛しきこころ「はやぶさ」に涙流せし飢えたる心 ♪ 粛々と地球は回る紛争の絶えざるままに生々流転「日歌」が千首を超えたのを機に「游歌」とタイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートすることにしました。★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選
2010.12.28
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♪ あらたまの年に向かいて また一つ 齢(よわい)の記録更新となる ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 1月15日生れの自分は、新年を迎えるとすぐにまた一つ歳を重ねることになる。 決して充実した年だったとは言い難い。万人がする自己記録更新という快挙。こんな事でしか果たせないのがちょっと寂しい。 昨夜の全日本フィギュアスケートはまれに見るハイレベルの戦いで、日本の水準の高さと層の厚さを見せていた。こんなに粒が揃ったのも珍しく、選手にとってはライバルが多いのが幸いなのか不幸なのか・・・。 優勝した安藤美姫はまだ23才にも拘らずベテランと呼ばれる。本人はそう呼ばれる事が不本意の様子。小学校の低学年ごろから始めて、14~15年のキャリアからすれば確かに永い間スケートに精進して来たベテランだ。 そんな彼らやアスリート達が自己ベストの結果を出す事の意味は、計り知れないほどの喜びに違いない。すべてを投げうって、一年をこの一つに賭け続けて来たことの意味は大きい。 今の自分にそれほどのものが有るかと言うと、この数年そういう境地から離れてしまっている事に後ろめたさを感じたりもする。70歳になってから新しい事を始める人もいる。60歳なんてまだまだ鼻たれ小僧だと思えば、まだまだやれる気も起って来る。「日歌」が千首を超えたのを機に「游歌」とタイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートすることにしました。★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選
2010.12.27
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♪ じいちゃんと呼ばれる人に ならぬまま おやじのままで年を越えらむ ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 我らの同級生は、孫を持つ歳になっても若い頃とちっとも変らない。 団塊の世代最後の我々は、年寄りになることをほとんど信じていない節がある。 若いものに道を譲るなんて発想がそもそも根本にない。 兄弟も多い事から新家を構えているということもあるし、昔のような隠居という概念がないし、世間体を気にすることなく自由な価値観で生きている。 着ているものも若い時とあまり変わらないし、じじ臭いものを避けてさえいる。 Tシャツやトレーナーは勿論、Gパンやスニーカーだって穿くし、息子のジャージのお下がりを着たりもする。 自分は晩婚だったので同年に比べれば子供が比較的若く、未だ結婚すらしていない。当然、孫なんていない。 もし孫が出来たとしても「おじいちゃん」なんて呼ばせないだろう。 私は、サラリーマンではないので定年もなければ退職金もないし、年金も微々たるもの。老後の生活を悠々自適に過ごすなんて、夢のまた夢の話だ。 ”老けこんでなんていられない”というのが厳しい現実でもあるのだ。 ウルマンは「青春とは人生のある時期ではなく、心の持ち方をいう。」と。 そう、好奇心と向上心をもって前だけ向いて生きて行くしかない。 サムエル・ウルマンは「青春の詩(うた)」を70代で書いたとされる。 人は信念と共に若く 疑惑と共に老ゆる 人は自信と共に若く 恐怖と共に老ゆる 希望ある限り若く 失望と共に老い朽ちる「日歌」が千首を超えたのを機に「游歌」とタイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートすることにしました。★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選
2010.12.26
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♪ 閉店の知らせに 巡る走馬灯 宿場の跡に木枯らし抜けゆく ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ お世話になっている雑貨や「クリエーターズこらぼ」が、来年の2月13日をもって閉店することになったとのメールが届いた。 2003年に絞り染め産地の有松で古民家を改装して始めた店は、多くの作家や手作り愛好家と交流し作品を紹介して来た。 扱うものは小物が中心で、古民家の中は様々な個性的な作品が所狭しと並んでいる。行くたびに新しい作品が登場し、楽しませてくれる。 様々な情報雑誌にも取り上げられ、斜陽の絞り産地に異色の存在として彩りを添えていた。 不況のあおりをもろに受け、時代の流れによる製品離れと重なって、本業の絞り製造・販売の方がおもわしくないという話は聞いていた。 こちらの業績が足かせとなり、小物販売で高い家賃と諸経費を賄って行くことは困難との事なのでしょう。 本当によく頑張っていただけに残念でならない。 二階には展示スペースも有って個展や企画展を展開していたし、手作り教室も幾つか開いて喜ばれていた。 世は、大資本による大型店の氾濫、大企業への優遇税制、円高による下請け泣かせの値引き・締め付け、工場の海外移転による空洞化などで、まともな状態ではなくなってしまった。 政治の貧困と無責任な政治家のために、この国は滅びようとしている。 龍馬のような風雲の志が現れることで、国家の根底から大転換しない事にはどうにもならない。「日歌」が千首を超えたのを機に「游歌」とタイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートすることにしました。★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選
2010.12.25
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♪ 東雲(しののめ)のほがらに夜の明けゆきて 支那へとなびく草木(そうもく) 栄枯‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 今や中国はあらゆるものを飲み込んで、益々熱くなったマグマを貯め込んでいます。 日本の大企業はこぞって現地法人を設け、生産・営業の拠点にしようとしています。 日系企業2010年11月現在の状況 中国発によると、ぜいたく消費は現在アメリカを抜いて2位なのが、3年後には日本を抜いて、1位になると予測。 今、急速にぜいたく品が中国市場に投入され、中国の消費者を意識した製品がうち出されるようになってきている。 フランスの高級皮革ブランド・エルメスは中国風の味付けをした中国向け新ブランドをうち出した。イタリアの高級車フェラーリは中国伝統の青花磁器をモチーフにしたスポーツカーを売り出した。 西側市場の低迷にともない、ぜいたく品ブランドの多くが中国に照準を合わせてきている。 ここ3年で中国はぜいたく品消費市場の成長が最も早い国となり、西側のぜいたく品生産は中国人の審美眼に焦点を当てて設計されるようになった。 今後5年間で、中国ぜいたく品消費市場はより急速な発展を遂げる見込みだという。 中国は優遇的な融資で自国企業を助けているほか、自らの意図だけで人民元レートを決定していて、とても公平な競争は出来ない。 そう言いつつも、中国を無視する事が出来ない以上中国に進出せざるを得ない状況は、今後も続くと思われる。 かつて華僑は世界中に出て行った。今は黙っていても世界中が中国に向かっている。「日歌」が千首を超えたのを機に「游歌」とタイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートすることにしました。★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選
2010.12.24
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♪ 教え子が還暦となりし老画家の 生(あ)れし昭和に わが家建ちけり ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 知人の画家は今年喜寿を迎えたそうだ。 大学を卒業してすぐに教職に就き、最初は小学校の先生をしていたらしい。担当した教え子が還暦となったと感慨深か気に話しかけて来た。 幾つの時に画家に転向したのかは聴きもらしていて、詳しい来し方は知らない。そここにガタがきていることを訥々と嘆いて、私の話しにも一々相槌を打って聞いてくれる。 私が還暦を過ぎた事を言えば、随分遠くなった教員時代を思い、体力が落ちるのもむべなるかなという話しになった。昭和のボンネットバス 考えてみれば、この知人の生れた昭和7年ごろにわが家は建てられたのだ。 昭和と共に同じ時代を生きて来たことを思うと、遠くなった昭和という時代が如何にも愛おしく懐かしい思いが湧いてくる。 あと何年この家に住む事になるのか分からないが、自分たち人間と同じぐらいの寿命を生き続けていくこの家に愛着がいや増すばかり。 親切な大工さんのお陰で、様々な材料を破格に提供して頂く事が出来た。そしてそれを基に、自分達の手があちこちに入っている事も愛着の増す由縁となっている。 家も、人間と同じようにちゃんとケアとメンテナンスをして、天災にさえ遭わなければまだまだ生き永らえる事ができるのだ。 今まで、幸いなことに災害には遭わずに来れたが、先の事は分からない。 昭和元年が1925年、それから85年経ったわけですね。 あと15年で100年だ。本当に目まぐるしく変わった昭和時代。 平成になって22年経った事が嘘のように、40歳までを過ごして来た昭和の記憶が生々しい。ボンネットバスの方向指示器 アポロ式と言うんだそうな「日歌」が千首を超えたのを機に「游歌」とタイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートすることにしました。★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選
2010.12.22
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♪ 猫好きの 身勝手許す寛大は すさぶ心の慰めなるや ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 映画「危険がいっぱい」の挿入曲に使われた「ザ・キャット」。 アラン・ドロンとジェーン・フォンダの密話のシーンで子猫が登場し、そのバックに使われた曲。 サスペンスの陰に猫あり。フランス映画には時々猫が登場する。微妙な心理状況の中で、猫の存在が意味深な雰囲気を醸し出す。 時には凶悪犯の束の間の心を癒す役目ともなる。 アルバム「THE CAT」は、私の大好きなジミー・スミスのハモンド・オルガンと、ブラス・アンサンブルの競演による最高に楽しいアルバムだ。最も脂の乗り切った’64年に録音された彼の代表作。 マイルス・デイビスに八番目の奇跡と言わしめたジミー・スミスの実力が如何なく発揮されている。そのファンキーでドライブ感のあるハモンドと、トランペット6、フレンチ・ホルン4、トロンボーン4、チューバ1というブラスと絶妙のコラボレーションがたまらない。 それまでのオリバー・ネルソンに代わり、ディジー・ガレスピー・コンポ出身のラロ・シフリンが編曲を担当し、スミスの実力を最大限に引き出した名盤になっている。 二曲入っている内の「危険がいっぱいのテーマ」も編曲者ラロ・シフリンの作曲によるもの。 ジミー・スミスは誰もが認めるジャズオルガンの開祖。今なを、ジミー・スミスのコピーを超えるジャズオルガン奏者は見当たらないと言われているほどです。 オルガンという楽器はパイプオルガンにしてもハモンドオルガンにしても、指で鍵盤を抑えている間中音が出ますが、指を離した瞬間に音が途切れてしまいます。そのため、いわゆるレガートで弾く必要があり、常に鍵盤を押さえ続けて弾かなければなりません。 これは指に相当の負担がかかり、やわな手指では腱鞘炎になり、この楽器を縦横に駆使することなど出来ないと言われています。 ピアノから転向したジミーは2年間、昼夜を分かたず血のにじむような猛特訓の末に、ペダルと鍵盤を駆使した彼独特の驚異的な奏法を身に付けました。 ’56年に初リーダー・アルバムを発表し、世間の度肝を抜いた。以来、オルガンの王座に君臨し多くのアルバムを残している。 ご存じない方は、一度YouTubeで聴いてみてください。サイコーにご機嫌になれますよ。「日歌」が千首を超えたのを機に「游歌」とタイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートすることにしました。★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選
2010.12.21
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♪ 今朝もまた どんぶり飯をかき込みぬ 支配者として指揮官として‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 「我は吾が魂の支配者であり、我は吾が魂の指揮官なのだ。」 ウィリアム・アーネスト・ヘンリーの詩「征服されざる者」 活かすも殺すも自分次第。 そして、その全責任を負って生きているのが大人というもの。その自覚が全くないような人間が増えている。 27歳の男がバスの中で包丁を振り回し、女子高校生ら14人にけがをさせるという事件が有ったばかり。「自分の人生を終わりにしたかった。不特定多数の人を包丁で刺したことに、間違いありません。殺すつもりはなかった」と馬鹿な事を言っている。 幼児のまま体だけが大人になった。 「現状に非常に不満を持っていて、もう(人生を)終わりにしてもいいんだけど、1人で寂しく死んでいくのも嫌だ」というわけだ。言語道断だ。 民主党にもその無自覚で幼稚な輩が、己を支配できず律することも出来ないまま、無責任な形だけの政治を取り繕って蠢いている。 マニュフェストをことごとく捨て去って国民を欺いている。 あれもこれも場当たり的な施策で、辺野古への米軍基地建設、法人税の減税、農家への個別保証、子供手当、企業献金、八ッ場ダム、小沢問題などなどまともと思えるものは一つもない。「日歌」が千首を超えたのを機に「游歌」とタイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートすることにしました。★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選
2010.12.18
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♪ 霧島に雪降るたより。 「あかつき」の惑星となりて、 銀河はめぐりぬ。 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 「霧島」に先日、初雪が降ったそうです。 鹿児島・宮崎両県にまたがる霧島連山。 「韓国岳」「高千穂峰」に代表される23座の火山群と、標高日本一の山頂火口湖「大浪池」を筆頭とする6つの山頂火口湖を擁し、世界でも珍しい名所としてその名を馳せている。 山紫水明、風光明媚、また温泉の地としても有名。スキー場もある。 また、高千穂峰は「天孫降臨」神話の地として知られ、日本書紀、古事記などの古書にも登場している。神話と融合するはるか太古からの歴史と大自然が、変わらぬままに現存している。 折しも7日、金星探査機「あかつき」の金星周回軌道への投入が失敗した。 あかつきは、逆噴射が短時間で終わったため十分な減速ができず、金星付近を通過して遠ざかったとみられる。 太陽を回る楕円軌道に入り、6年後の最接近時に再度挑戦するという。夢が先延ばしにされた感じ。 金星は、大きさや太陽からの距離が地球に近い惑星と考えられていて「地球の兄弟星」と言われてきた。しかし、実際には高温の二酸化炭素に包まれ、硫酸の雲が浮かぶ地球とはまったく異なる環境なんだそうです。 なぜそうなったのか原因がわかってくれば、地球の誕生や気候変動を解明する手がかりが得られる。つまり地球環境を理解する上で最も重要な探査対象というわけなんですね。2010年5月、金星に向かった「あかつき」が撮影した離れ行く地球の姿♪ とめどなく地球は巡り季も巡る。吾も巡りて星のきらめき。 太陽系は秒速220キロ(時速80万キロ)のスピードで、2億年かけて銀河系の中心を1周している。そして、銀河系自体も秒速600キロ(時速216万キロ)の速さで銀河団の周囲を獅子座の方向に動いているという。 すべてが留まることなく、少しずつ形を変えながら永遠に巡り続けている。 永遠に変わらないものと思っているものでも、知らず知らずのうちに移り変わっていくものなのですね。「日歌」が千首を超えたのを機に「游歌」とタイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートすることにしました。★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選
2010.12.11
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♪ 純白の哀しきまでに輝けば無垢なるものの悲しみの見ゆ ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 白鳥はなぜ純白の色を選んだのでしょうか。 時々、決して美しくはない水路で餌を漁るコサギを見かけるのですが、その白さが如何にも不似合いなのです。 この汚染にまみれた地球で、汚れることなく真っ白な姿を維持して生きていくのは大変なんじゃないか。そんな事を思ってしまう。 若山牧水 「白鳥はかなしからずや空の青海のあおにも染まずただよふ」 この歌は、それらの気分が全て歌い込まれている気がします。この歌を越えるのはなかなか難しい。さすが名を残した歌人の歌は奥が深いですね。 全ての色を反射する白から連想するのは「善」「純潔」「清廉」。進化の過程でこの色を選んだ理由が知りたいものです。 因みに余談ですが、紅白に別れて戦う時の紅白は、源氏・平家の対立を扱うときに源氏を「白」で表すのだそうです。これが紅白歌合戦や運動会などの対抗試合に受け継がれたとされるんだそうです。「日歌」が千首を超えたのを機に「游歌」とタイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートすることにしました。★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選
2010.12.03
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♪ 腰痛に微熱鼻水続く日の添い寝の猫は鼻炎抱えて ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 口の端が切れてちっとも治らないと思っていたら、首の中央寄りの小さなリンパ節が痛み出した。 その内、鼻水が出るようになり、今度はそれに腰痛まで加わった。 多分、風の症状なのだろうけど熱がガッと上がらないのは、体力が無いからなのか。熱がウィルスをやっつけてくれる訳だから、熱は出るべき時には出た方がいい。それが無いためにぐずぐずと何時までも治らず、色んな症状が出てくるようだ。 医者はあんまり好きじゃないので、これしきの事で医者にかかる気にもならず、スッキリしない日々を送ることになっている。 風邪は2~3日の潜伏期間の後、1週間ほどで治るのが普通。私の場合は3週間(いや2週間ちょっとかな)ほど続いていることになる。 鼻炎の酷い猫が布団にもぐりこんできて、布団の中で速射砲の様なクシャミを連発するのでたまらない。朝見てみると、飛び散った鼻がこびりついている事がある。 こいつにしても鼻は詰まるしくしゃみが酷いので、あんまり元気が無い。 アラカン・オッサンと猫の、まるで様(さま)にならない今日この頃です。「日歌」が千首を超えたのを機に「游歌」とタイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートすることにしました。★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選
2010.12.02
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♪ 小夜更けて冴えかえりゆく大宇宙(おおぞら)を 突き進みゆくホモ・サピエンス ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 昨夜はよく晴れて、周りが明るくて星なんかあまり見る事が出来ないこの田園都市でも、かなりの星が見えました。 今、モンゴルの大平原の夜は、満天の星が饒舌なまでにさんざめいていることでしょう。地平線から180度満天の星空。 怖いくらいに空一面に星が瞬いて、人間の存在なんて消し飛んでしまいそうな圧倒的な美しさ。そんな情景を、死ぬ前に一度は見てみたいと思う。 宇宙船地球号はこの宇宙を、時速=10万km/h 秒速=30km/sのスピードで突き進んでいます。秒速30万km/sの光には及びませんが物凄いスピードです。 「光より早いものは存在しない」とアインシュタインは言い、光の速度で移動できれば年を取らないという。♪ 冴え返る小夜の時空を突っ走る刹那刹那に過去を連ねつ しかし、実際の日々は矢のごとく過ぎていき、今日は早や11月も最後の日となりました。 12月に入ると途端に気ぜわしくなり、何だか忘れ物をしてるんじゃないかと、妙に落ち着かない気持ちになります。 気ぜわしくなる前のひと時、今日はのんびりその忘れ物を思い起こしてみましょうか。「日歌」が千首を超えたのを機に、「游歌」とタイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートすることにしました。★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選
2010.11.30
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♪ 短日(みじかび)の早や暮れゆきて やんわりとクラリネットのジャズを響かせ ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ クラリネットの音はどこか物悲しい。 ニューオリンズ・ジャズからスウィングにかけて花形だったクラリネットは、今や凋落の一途で演奏する人もいなくなってしまった。 モダンジャズの華やかな音の饗宴について行けず、ビバップ時代に辛うじて残っていた名手も、追従するものがなくなって、とうとうクラリネットの奏者は絶えてしまった。 日本人では鈴木章治の「すずかけの道」の大ヒットで、クラリネトのジャズと言えばこの人の名前が浮かぶ人も多いでしょう。 また、白髪で洒脱な語り口でも人気のあった北村英冶のクラリネット・ジャズも定評があり、TVにもよく出ていました。 私の好きなジャズ・クラリネット奏者は、隠れた名手といわれる「トニー・スコット」。久し振りに聴きたくなって、LPに針を落とした。 ベニーグッドマンなどの演奏とは一線を画し、クールな音色とフレージング追っていた他の奏者とは全く違う。チャーリー・パーカーの影響を受けたヴァイタルな演奏スタイルは、例外的な稀有な存在だ。 「私にとって、チャーリー・パーカーは神のような存在です。」「私は、どこへ行っても、演奏する前にチャーリー・パーカーのことを語り、そして彼に捧げるブルースを吹きます。」 ズバリ「TONY SCOTT QUARTET」というタイトルのアルバム。 ’53年の絶頂期の躍動感に溢れた演奏は、当時の最もエクサイティングなアドリブ・プレーヤーとしての真骨頂が収められている。 1921年、ニュージャージー州モリスタウン生まれ。2007年85歳で亡くなった。世界各地で活動し、日本でも多くの演奏家と共演、禅をテーマに日本の尺八演奏家、山本邦山氏と共演したレコードを出したりし、日本に住んでいた(1960年~65年)事もある。 春には聞きたいと思わないクラリネット・ジャズ。その音色は秋にこそ相応しい。「日歌」が千首を超えたのを機に「游歌」とタイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートすることにしました。★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選
2010.11.29
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♪ 千回はまさに畏怖なり万回となれば遥けきかすみとなりぬ ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 富士山に千回登ったという人がいる。 実川欣伸(じつかわよしのぶ)さん67歳。’85年の初登頂以来、毎年数回から数十回登って来たという。 静岡県側(富士宮口・須走口・御殿場口)と山梨県側(吉田口)の四つの登山道の五合目から頂上まで登るのを一回と数え、六十二歳の定年前までに約三百五十回の登頂を果たしたそうです。2007年に退職したのを機に「誰もやったことが無い事をやろう」と記録づくりを思い立ち、初登頂以来26年目の快挙。 1千回目の先月9日夕の登山には仲間6人も同行。「標高0mからの富士登山」を目指し、田子の浦港を出発して約21時間をかけて10日午後4時ごろに頂上に立ったのだそうです。 ’08年248回、’09年203回、今月21日現在205回を重ねる。1シーズン登頂200回を10年重ねて「富士山のイチロー」になるのが目標とか。 5合目から登り始め、山頂に立って戻ってくるまでに4~5時間。 標準的な人の倍のスピードで、いったん5合目に戻ってから再び登る「1日複数回登頂」も珍しくなく、4往復した事もあるという。 常人ではとてもまねが出来る事ではないですが、この方はやはりただの登山好きではなかった。世界7大陸最高峰を制覇する「セブン・サミッター」にチャレンジしており、残すはチョモランマのみとなっているという猛者でした。 「この山は一回きり」と思っていたのが、勤務先の会社に来る中国人研修生や同僚に先導役をせがまれ、いつしか年間五、六回は登る富士山の常連になっていて、回数を重ねるうちに、同僚から「記録を目指せ」とたき付けられて発奮したんだそうです。 それにしても1000回というのは凄い数字です。100回はわりと身近な数字の気がします。私も、縄跳びの「2重跳び連続100回」を一昨年達成しましたから100回という数字は実感として分かります。 それが千回となると、もう驚きと畏怖さえ感じる数字です。それも、そうは簡単には出来ないことを千回積み重ねるという凄さ。何かを成すときの限界に近い数字のように思います。 「千日回峰行」を二度も達成した天台宗の僧侶・酒井雄哉(さかい ゆうさい)さんも凄い。「それでも悟りなんか開けるもんじゃない」とおっしゃっていますが、そのモチベーションの凄さは想像を絶しますね。 毎日の積み重ねで1000回というのなら、元気でいられれば何とか続けられるものです。 2006年5月10日から続けている「短歌日記」も中断することなく未だに続けることが出来ています。 5年続けるつもりでいますのであと半年で達成というところですが、まあ、無事生きて来られた証程度の事でしょうか。 それが、「万」ともなると、もう手の届かない憧れの世界だ。もうただただ多いという概念の中に、個々のことは埋没してしまうような、人事を越えた世界に入ってしまう。金剛山に咲く花 特例がありました。37年間かけて金剛山(1125m)登頂を、2002年についに1万回目を達成された方がいました。藤井寺市のバス運転手、平野次男さん(当時64)。 結婚して家庭を持った四十四年ごろから、「健康になり、気軽に楽しめる趣味を持とう」と本格的な金剛山の登山に取り組んだ。休日や仕事の合間を縫って、朝四時に起床し、頂上まで片道二・八キロの道のりを往復一時間十分ほどかけて歩いた。 多い年で年間三百五十日は金剛山に登り、一日八往復したこともあったとか。2009年には12000回を達成されている。 この偉業は、このぐらいの山が身近に有るという事が絶対条件でしょうか。凄いと同時に羨ましい気もします。 「千」で多さ、長さ、大きさを、「万」で計り知れなさを表す言葉の数々。 千秋万歳(せんしゅうばんざい) 千辛万苦(せんしんばんく) 千波万波(せんぱばんぱ) 千変万化(せんぺんばんか) 千軍万馬(せんぐんまんば) 千客万来(せんきゃくばんらい) 千軍万馬(せんぐんばんば) 千姿万態(せんしばんたい) 千言万語(せんげんばんご) 千差万別(せんさばんべつ) 千山万水(せんざんばんすい) 千紫万紅(せんしばんこう) 千思万考(せんしばんこう) 遺憾千万(いかんせんばん) 笑止千万(しょうしせんばん) 千万無量(せんまんむりょう) 無念千万(むねんせんばん) 無法千万(むほうせんばん) 慮外千万(りょがいせんばん) 千、1000、という数は心を刺激してやみません。「日歌」が千首を超えたのを機に「游歌」とタイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートすることにしました。★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選
2010.11.28
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♪ 頂きは茫漠として霧深し立ちて我が身の無知なるを知り‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 民社党の力の無さ無能力さがつぎつぎと露呈して、菅総理はあたふたと取り繕う日々が続いています。 その場に立ってみて初めて知る責任の重さと、要求される物の大きさに押しつぶされそうになっている。 野党にいる時は気付かなかった、問題の多さ複雑さに辟易しているのではと、ニュースを見る度に思えてくる。 相変わらず軽口のつもりの、「失言」という名の「本音」を漏らす大臣がいる。大臣になった事で、政治家としての目的を果たしたような幼稚な人たち。 引退すると宣言した金持ちのボンボンが平気でそれを翻す。その厚顔無恥の神経は到底理解できない。それを誰も指摘し、撤回させる事が出来ない呉越同舟的集団。 首相は鳩山氏に政権運営への協力を求め、27日、都内の中国料理店で昼食を共にしながら約1時間半会談したという。 仙谷由人官房長官と馬淵澄夫国土交通相の問責決議が可決されるなど、菅政権を取り巻く環境は厳しさを増しており、どうしていいのか分からないらしい。 なんという体たらく。菅内閣の6月8日から10月30日までの推移 中国には足元を見透かされ、北朝鮮にも何にも言えない弱腰政権。支持率は23・6%と低落に歯止めがかからない。政権維持の「危険水域」とされる30%を大幅に下回った。 「共同通信」が今月の23、24両日に行った世論調査で、菅内閣の支持率は今月初旬の前回比で9・1ポイント低下し、自民党の支持率24・6%を下回った。 首相は「(支持率が)1%になっても辞めない」と言っているらしい。 野党になった自民党も、自分の座る場所を取られた駄々っ子のように、ただただ上げ足を取るばかり。長期政権で培ったノウハウを活かすような協調路線をとる素振りもない。 仙谷由人官房長官と馬淵澄夫国土交通相の問責決議が可決されても辞任しないつもりのようだが、野党は審議拒否に出るのは必至の状況だ。 建設的な方向で議論するという発想が無く、混迷のまま年が明けそうだ。 高給取りのプロなら、プロらしいちゃんとした仕事を見せて欲しいものです。「日歌」が千首を超えたのを機に「游歌」とタイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートすることにしました。★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選
2010.11.27
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♪ そこここの悲鳴をあげて如何にかを知らされている経年劣化 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 南の角にある古い「南天」の木が、そうでなくても狭い庭の日当たりを悪くしている。それで、この際思い切って抜いてしまうことにした。 「ナンテン」は名前から「難を転ずる」に通ずると縁起の良い木とされ、鬼門または裏鬼門に植えると良いなどといわれている。南の角にある必要もないし、もう一本別のところにあるので抜いてしまってもいいだろう。 ナンテンの根元にアオキとテイカカズラが絡み合っていて、そのどちらもそのままにしておきたいので、一気に掘り上げるというわけにもいかない。 幸い自然薯掘りの道具があるので、そいつで少しづつ削るようにして根を掘って行った。道具というのは偉いもので、アオキもテイカカズラも無傷でナンテンだけを取り除く事が出来た。 我が家には色んな道具が揃っていて、何をするにも重宝している。今回は、「スコップ」と「自然薯掘り」と「鉄の棒」を使った。 「鉄の棒」は直径2cmほどあり、その重さを利用してコンクリートなどを取り除く時に使うもの。先がとがっている方と平たくなっている方を使い分ける。硬くてスコップが入らないようなところを、先ずこいつでつっいてやると後が楽だ。 狭い場所で、普段あまり使わない筋肉を使っての作業は結構大変だ。 年経れば劣化するのは当たり前とはいえ、ちょっとした労働をするだけであちこちに筋肉痛が出るのはかなわない。 経年劣化は何も器械だけじゃない。あらゆるモノが年と共に古びていくのだからしょうがない。 それが電気製品の場合は深刻だ。 製造後30年以上たった扇風機で、古くなった部品がショートし、火災になるケースが多く見られると、調査機関が17日に発表した。公開された実験映像では、使用中の古い扇風機の羽根が突然停止し、胴体部分から煙が立ち上った後、火が上がり、下の座布団に燃え広がる様子が映されている。 実験を行ったnite(製品評価技術基盤機構)によると、過去5年間で扇風機の火災は105件あり、死者も出ている。事故原因の大半は、製造後30年を超えて、内部の部品が古くなってショートするといった経年劣化だという。 ”人間の身体も劣化する”といっても、使わないから衰える訳で、器械と違うのは「鍛えようがある」という事。 時々、普段やらない事をやると、身体を如何に使っていないか事が良く分る。気分転換にもなるし、たまにはそんな事をやってみるのも、色んな意味でいいことだとつくづく思う。「日歌」が千首を超えたのを機に「游歌」とタイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートすることにしました。★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選
2010.11.25
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♪ 失せモノが出てきたことの嬉しさを失くした訳が凌駕してゆき ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ いざ使おうと思ってバッグを開けたら、大切な一眼レフカメラが入っていない。 フィルム式なのでここの処あまり出番がない。確か使いかけのフィルムが入ったままになっているはずだ。使うつもりでカメラバッグから出して、そのままどこかへ雲隠れ。 どこを探しても見つからない。第一、そんな変な所に仕舞い込むはずもないので探すあてが無い。いつかの旅行に持って行って、どこかに置き忘れて来たんだろうか。宿の中で忘れたのなら連絡があるはずだしとか、誰かに貸したんだろうとか、様々な憶測をしてみても埒が明かない。 神隠しにでもあった様な心持だ。 小さなものでもないので、忘れたり無くしたらその時点で気付くはずなんだけど、そんな事があったという記憶もないのだ。 カミサンは”又か”とばかりに取り合ってくれない。 もう2~3年は使っていない気がするが、情けないことに最後に使ったのがいつだったかも全く思いだせない。健忘症は今に始まったことでもないが、この失せモノにはちょっと堪えた。 それが、「別のものを探していて見つかった」という、良くある話で一件落着。意外なところから出て来たのであ~ります。 まさか、こんな所に仕舞ってあるなんて、誰かのいたずらか、はたまた神の陰謀か。 そんなところから出てきたことの驚きと、そんな所へ仕舞ったはずがないという自分の記憶の無さが情けなく、喜び半分、自己嫌悪半分。♪ 晩秋と言うには少し暖かき日暮れの庭に菊花のかほり こういう探しもの騒動が日常茶飯事ともいえる吾が健忘症が、次男にも受け継がれていて、彼も大事なものを良く失くす。家のカギを失くすこと2度、自転車のカギや色んなものを失くしているらしく、先日はメガネを失くしたと言っていた。 こんな資質を受け継いでくれなくてもいいものを、と思うのですが・・・・・「日歌」が千首を超えたのを機に「游歌」とタイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートすることにしました。★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選
2010.11.24
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♪ バーチャルに和洋折衷グローカル サブカルチャーに日本が見える ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 第83回アカデミー賞長編アニメーション部門にエントリーされ長編アニメ「SW(サマーウォーズ)」を観た。昨年封切りされ、今年8月に金曜ロードショーでも放映されたらしいが、アニメにはあまり興味がないので気が付きもしなかった。 今回はアカデミー賞にノミネートされたということで、物は試しと思い早々にDVD借りて来た。これがなかなか面白かった。 観た人も多いでしょうから内容には触れませんが、「つながる」をテーマに大家族を舞台しながら、ネット上のバーチャル世界「OZ」を仲立ちとして世界中が繋がっていること、「諦めない事」をからめながら大いに楽しませてくれた。 筋立てやストーリーはありきたりだと言ってしまえばそれだけだけど、今の日本には薄くなった家族の絆や、威厳と滋味あふれる家長の存在の意味などのテーゼは共感を覚えた。 目に見えないバーチャルの世界をビジュアル化してみせる表現力。 日本のアニメをはじめとするサブカルチャーは、そのアイディアの「多様性と完成度の高さ」「ち密さと美しさ」は世界中で称賛されている。「SW」も日本人の感性や心情、美意識や価値観がストレートに表現されていることが、アカデミー賞でも評価されることになるのだろう。 デジタルな空想世界に着物姿の美女が立ち向かうという、日本アニメならではのビジュアル感覚。 外国を意識してそれを真似る時代はとうに過ぎ、日本的なものを堂々と自信を持って出していけば充分通用する時代になった。 アポロ11号の月面着陸の同時通訳をやった「鳥 飼 玖 美 子」さん曰く、日本人は英語に細かい事を言いすぎる。LとRの発音なんて気にすることはない。前後の文脈で分かるんだからと・・・・ 「もっと自信を持って、日本的英語で話せばいいのに」と言っています。♪ 豊穣の日出ずる国や四方の海ひかりあふれてありにけるかも 今必要なのは、「どれだけオリジナルで本物か」というこ、と元ソニーの社長の出井伸之氏は言う。 ローカルで閉鎖的な地域で醸造された独自の文化が、世界に躍り出た時、逆に普遍的価値が生まれる。ローカルに徹してこそグローバルに開かれるわけで、それを「グローカル」という言い方で表現する。 ここに日本の生きる道がある。日本の文化は層が厚く、奥が深い。争い事を好まない和の精神、伝統に裏付けされたクオリティーの高さ、繊細な美意識やきめの細かさ、礼節や礼儀を重んじる丁寧な暮らし。 これらの「良さ、悪さ」を点検し、再確認し再認識すべきであると。 全く同感です。 総合的に言って、世界中でこんな優れた文化を持った民族はいないと言っても過言ではないでしょう。 国内でも方言が見直され、大分県日田市出身の「コージー大内」という歌手は日田弁で「角打(かくち)ブルース」を歌う。ギターの上手さがそのスピリットの裏付けとなって、異例のヒットをしているらしい。オヤジブギ。 近いところから「日本人の良さ」を知って行くというのも良いんじゃないかな。「日歌」が千首を超えたのを機に「游歌」とタイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートすることにしました。★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選
2010.11.23
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♪ もう一つ何かいい事ありそうな名古屋YEARは残り四十日 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 今年は名古屋にとって盆と正月が一緒に来たような年だった。 野球では日本一を逃したものの「中日ドラゴンズ」がセ・リーグ優勝を果たした。「点を与えなければ負けない。投手力で勝つ」という落合流「守りの野球」は、今の日本を象徴しているような見事な采配だった。 Jリーグでは「名古屋グランパス」が18年目にして悲願の初優勝。ピクシー監督3年目の快挙だ。またとないW優勝の快挙に、名古屋は大いに沸き、デパート、量販店などでバーゲンセールの花が咲いた。 また、女子フィギュアスケートのグランプリ(GP)シリーズ第4戦のアメリカ大会では、今季からシニアに転向した名古屋出身の村上佳菜子(16)が初優勝。 シリーズ第5戦、モスクワ大会では、安藤美姫が第3戦の中国大会に続いて優勝。12月のGPファイナルの出場権を獲得。名古屋のスケートレベルの高さと層の厚さを証明して見せた。 名古屋で行われた、生物多様性条約第10回締約国会議(COP10)では、「名古屋議定書」の内容と2010年以降の多様性保全目標「愛知ターゲット」の内容に合意にこぎつけた。遺伝資源の利益配分ルールを定めた新たな国際協定で、難航の末にかろうじて合意に持ち込んだ。 環境保護に取り組む俳優のハリソン・フォードも参加して、「生物多様性は地球上のすべての生命の基盤。難しい交渉だが世界が力を合わせてほしい」と訴えた。世界193カ国・地域が加盟する生物多様性条約を米国が批准していないことに触れ、「参加すべきときにきている」と強い口調で述べた。 46万人余りの市議会リコール署名が、じわじわと議員を追い詰めている名古屋市議会。川村たかし市長の主張する10%恒久減税と議員報酬半減は実現するのかも大いに興味のあるところ。 今年も残り40日。もう一つぐらい何か「大きなハッピー」があるような気がしてりるのは、私だけではないでしょう。 「年末ジャンボ宝くじ」はもう買うっきゃないね。「日歌」が千首を超えたのを機に「游歌」とタイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートすることにしました。★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選
2010.11.22
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♪ 着流しのをんな歩める槇尾のなだりは秋のいろにみちをり ♪ 洛北の三尾めぐりて空海のみそぎたるらむ清滝の川 ♪ 栂尾の鳥獣戯画や鎌倉の往時をしのぶ幽すいの中‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 朝から良い天気に恵まれた昨日、紅葉を見に洛の北西にある三尾(高尾、槇尾、栂尾)を訪れた。 多分日本全国の紅葉の名所はどこもかも凄い人でにぎわった事でしょう。渋滞(往路)、渋滞(駐車場)、また渋滞(復路)。 その中には入りたくないので、時間を早め早めに設定したお陰で終始スムーズに行く事が出来た。ただ、東名阪の亀山JCはどうにもならず、11キロの渋滞に掛かってしまった。 その他はまったく問題なく、最高の紅葉を満喫して来た。今年は夏秋の高温が幸いしたのか、例年になく美しい紅葉となっているようですね。 あの真っ赤に色づくモミジは何と言う種類のモミジなんだろうか。葉っぱが小さくて品があり、結構な大木になるようだ。多分、イロハ紅葉(もみじ)じゃないかと思う。 楓(かえで)と紅葉(もみじ)は植物分類上は同じだが、 楓のなかで特に紅葉の美しい種類を「もみじ」と呼ぶ説がある。また、盆栽や造園業の世界では、葉の切れ込みの数、切れ込み具合によって両者を呼び分けているらしい。 ★かえで → 葉の切れ込み(谷)が浅い ★もみじ → 葉の切れ込み(谷)が深い 300種もの園芸品種が江戸時代から作り出されているらしい。 楓科の代表種は「イロハ紅葉(もみじ)」で、てのひら状に5~7裂する葉の先を「いろはにほへと」と数えたことから、その名が付いたんだとか。「日歌」が千首を超えたのを機に「游歌」とタイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートすることにしました。★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選
2010.11.21
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♪ 明星の昇り来りし朝まだき目覚めし吾を清めたまいぬ ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 昨日の朝、5時に起きて東の空を眺めると、煌々と輝く金星を見ることが出来ました。夜明け前の清澄な空に見る「明けの明星」は、メランコリックな夜を過ごしてきた頭をリフレッシュしてくれる。 18日がピークだった「しし座流星群(毎年11月14日~24日にかけて出現)」が東から南の方角へと昇ってくると知って、眺めてみたものの一つも見ることが出来なかった。 2001年の出現時には1時間に数千個の流星が観測されたのに比べて、今回は1時間に数個という予報だったことを思い出した。 それにして宇宙は面白い。 望遠鏡が進歩する度に新しい事実が判明して、宇宙の謎が次つぎに解明されつつある。いや、逆に謎がどんどん膨らんでいると言った方がいいのかもしれない。 私たちが住む銀河の中心を挟む形で、ガンマ線を強く出す巨大な「泡」状の構造があることが、NASAノフェルミ・ガンマ線宇宙望遠鏡の観察で分かったらしい。 この構造は、銀河系の核から上下に2万5000光年延びているという。 ガンマ線は電磁波の中で最もエネルギーが高い。宇宙では、超新星のようなすさまじい現象や、ブラックホール、中性子星など極限の天体から放たれる傾向があるらしい。 今回新たに発見された泡は、電荷を帯びた熱いガスから成る。このガスが放つエネルギーは、10万個の星が爆発したときのエネルギーに匹敵するらしい。ここで問題となるのが、「銀河系のどこからそれほどのエネルギーがやって来たか」ということだそうだ。 望遠鏡が手元にあったら、どんなにか楽しいだろうと思う。 今、木星も深夜3時ごろから昇ってきている。ガリレオのように土星の環をじっくり眺めてみたいと思ったりする。「日歌」が千首を超えたのを機に「游歌」とタイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートすることにしました。★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選
2010.11.20
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♪ 通じない息子(こ)のケイタイにふつふつと心配の芽が育つ一日 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 妻は、たった一日ケイタイが繋がらないと言っては、離れて暮らす二男の身を案じている。 大の心配性で、いつだって先へ先へと心配の種を播いて、それを自分で育ては憔悴している。何故、わざわざ未来を悪いイメージで迎えなくてはならないのか、どうしてもその感覚がわからない。 聞くと、悪い方へ考えていないと余計不安なのだという。逆に良いことばかりを考えていて、悪いことが起こった時のショックが嫌なのだと言う。 悲観論そのものじゃないか。 全てを悲観的に捉えることで精神の安定を図ろうとする。鍋の底にいて天井を眺めているような状態は、傷つくのを恐れ一歩も外へ出ようとしない手負いのアナグマみたいなものだ。それじゃあ美味しい獲物にはありつけない。 先日亡くなった作詞家の星野哲郎氏のうた「幸せは歩いてこない、だから歩いてゆくんだね。」「一日一歩三日で三歩、三歩進んで二歩下がる。」の様に、幸せを掴むために前向きで一歩一歩進んで行く。 楽観主義でなければ一歩も出ないし、幸せはやってこないんじゃないか? 何事も悪く捉えていては運だって逃げていく。 多少の不安があってもプラス思考で考えれば、マイナスもプラスとして捉えられるようになる。そうすればマイナスのイメージが頭に残る事もなく、さらに前へ進むことが出来る。 先のことなんか誰にも分からない。自分の手ではどうしようもないことを、あれこれ詮索してもしょうがない。成るようにしかならない。 しかし、どうなってもいい様にとの心構えだけは持っている必要があるだろうけど・・・。 仮に娘がいたとして、もしこの繋がらないケイタイが娘のだったら親父は心配せずにいられるか、と言われれば、多分無理だろう。母親と末っ子、父親と末娘。この関係はちょっとばかりややこしい。「日歌」が千首を超えたのを機に「游歌」とタイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートすることにしました。★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選
2010.11.19
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♪ バスタブに身を沈めれば絶え間なく地球に生きるものの音せり ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 夜10時過ぎは人々がまだ活動を止めない時間帯なのか、様々な音が聞こえてきます。近くから遠くから車の音がひっきりなしに聞こえていて、夜の世界全体を音の膜で包んでいるかのようです。 この田舎の田園都市でさえそうなんです。 眠る事を知らない都会に住んでいると、「しじま」とは全く縁のない騒音の中に24時間を過ごすことになる。 余ほどの田舎に行かないと味わえない「静かさ」というのは、もう贅沢の一つになりつつあるのでしょうか。 バスタブに浸かって黙然としながら音の無い音を聴き、その静謐の中から僅かに聞こえてくるものに耳をすませる。奥深い山の温泉にでも行った心持で毎夜を過ごすなんて、やはり最高の贅沢ですね。♪ 小夜更けてバスタブに身を横たわばいずくに聞こゆ口笛の音 夕べは車の騒音に交じって、何処からか口笛の音が聞こえてきました。誰が? 良くよく耳を澄ませて聞けば、どうやら読むべき本を読み終えて時間を持て余したカミサンが、変な時間に観ているTVからのものだったらしい。 どこもかも、いつもいつも文明とやらが、人間を自然から遠ざけている。 無音の闇がなつかしい。「日歌」が千首を超えたのを機に「游歌」とタイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートすることにしました。★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選
2010.11.18
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♪ 夕風に欅の枯れ葉せりせりと鳴りて落ち葉となりにけるかも ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 街路樹が色づいてきて、あたりが華やぐ季節を迎えています。 好きな欅の葉も色づきに初め、個体差を見せながら頼りない日差しの中にその端正な裸形を見せる時を待っています。個体差があって同じ場所に植わっているのに、未だ緑を残しているのがあるかと思うと大分色付いたのあったりして面白い。 真赤に紅葉するわけでもないが、小振りな葉が特徴の樹形は独特の風情があって美しい。♪ ほらほらと憂しきこころに歩めれば欅の枯れ葉さりさりと鳴り 歩道に植えてあるものはすでに枯れ葉を散らし、靴うらにまとわりながらカサコソとか弱い音を立てています。 欅はやはり、すべての葉を落として放射状の枝を空に広げている冬の姿が一番いいね。 トウカエデも朝日の当たる上面東側から色づき始め、真赤な葉と緑の葉のコントラストが美しい。その割合が日に日に近付き、やがて逆転して木全体が真っ赤になる。 そんな日が間もなくやってくる。「日歌」が千首を超えたのを機に「游歌」とタイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートすることにしました。★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選
2010.11.17
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♪ ウラノスもガイアも越えてこの星を語らんとして石転がれり ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 「河原の石一つにも宇宙の全過程が刻印されている」という言葉で始まる奥泉光 著の「石の来歴」。 散歩の途然に何気なく手にとる一個の石は、およそ五十億年前、後に太陽系と呼ばれるようになった場所で、虚空に浮遊するガスが凝固してこの惑星が生まれたときからはじまったドラマの一断面であり、物質の運動を刹那の形態に閉じ込めた、いわば宇宙の歴史の凝縮物なのだ。 石に心魅かれるわけが分かった。石には宇宙のロマンが凝縮されているのだ。 一般に岩石はでき方の違いにより、火成岩、堆積岩、変成岩に大別される。 ●火成岩 マグマからかたまってできる。 1) 岩石の組成と組織を基準にした分類 マグマの種類と冷え方で変わってくる 2) 岩石の成因を基準にした分類 安山岩溶岩、玄武岩岩脈 ●堆積岩 ふりつもったものがかたまってできる。 起源を持つ粒子で、ふつうの堆積岩は 粒子のサイズで分類される 生物起源の堆積岩は個別の分類がある * 礫岩 礫を主体とする岩石 * 砂岩 砂を主体とする岩石 * シルト岩 シルトを主体とする岩石 * 泥岩 シルトや粘土を主体とする岩石など 生物起源の堆積岩の例 * 石灰岩 石灰質の殻をもつ生物 (サンゴ・有孔虫など) * チャート 珪質の殻をもつ微生物 (放散虫・珪藻など) ●変成岩 強い熱や圧力をうけてできる 既にある石が新たに高い温度・圧力を 受けること(変成作用)によってつくられる *熱変成岩(または接触変成岩) 主に強い熱をうけてできたもの *広域変成岩 熱と圧力を同時に受けてできたもの *動力変成岩 断層活動に伴ってその周辺の岩石が 変形・破砕されてできたもの マグマの熱により変成したもの # ホルンフェルス 主に泥岩が熱を受けて緻密になった岩石 # 結晶質石灰岩(大理石) 石灰岩が再結晶して粗粒になった岩石 地下深部の熱と圧力により変成したもの # 千枚岩 主に泥岩が熱と圧力により剥離性を持つようになった岩石 # 結晶片岩 熱と高い圧力を受けて縞状の組織を持つようになった岩石 # 片麻岩 高い熱と圧力を受けて縞状の組織を持つようになった岩石 # 蛇紋岩 かんらん岩が熱と圧力を受けた岩石 (かんらん石・輝石が蛇紋石化してできる) 岩石は天然の生成物なので分類基準の規格に必ずあてはまるわけではなく、中間的な種類や例外が多数存在する。 成分や構成のしかたで様々なバリエーションが生まれ、色の違う種々の美しい宝石が誕生することにもなる。 ♪ 来し方を肌に刻みてもの言わず原始を知りし石と語らむ 河原で拾う石ころはどんなによそよそしく疎遠にみえようとも、君と無縁ではありえない。君自身を一部に含む地球の歴史の総体を君は眺めているのであり、いわば君は君の未来の姿をそこに発見するのである。同書 この文書を読んでいて、自分が石に梵字を書きたくなった訳がよく理解できた。 宇宙の歴史そのものである石と、古代の仏教を起源として存在している梵字とは密接なつながりがあるように感じたからだ。「日歌」が千首を超えたのを機に「游歌」とタイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートすることにしました。★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選
2010.11.16
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♪ ドライブに余暇つぎ込みて本州の四端極めてまだ飽き足らず ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 旧友に随分久しぶりに会う機会があった。トヨタ関連の企業に勤める彼は、ドライブが趣味らしい。本州の主だったところはほぼ走破したと言う。機会を作っては長距離ドライブしているようだ。 本州の最北端・大間崎(おおまざき)、最東端・?ヶ埼(とどがさき)、最南端・潮岬、最西端・毘沙の鼻、全てを攻略したと言う。山口の最西端には3回も行ったとのこと。「本州四端踏破ラリー」というのがあるらしい。 すべてを訪れた人に、本州四端踏破証明書を交付するとともに、記念品が贈呈されるらしい。 彼に、一日に最高どの位の距離を走ったことがあるかと聞くと、何と!”1300キロぐらい”だと平気な顔をしてのたまった。仕事が終わってその足で、愛知から竜飛岬まで一気に走ったというから驚く。 余ほどのドライブ好きでなければこんな事は出来ない。自分が経験したのはせいぜい2日間で1000キロ程度。それでもお尻が痛くなった事を思うと、これはもう苦行としか思えない。 以前、他の知人に同じ質問をして”1000キロ走った”と聞いて驚いたものだ。自分が一日どのぐらい走れるかを試してみたのだと言っていた。 しかし、1300キロには驚いた。完全に脱帽だ。 歩く事の楽しみを知ってしまった私は目的地まで車で行っても、そこで歩くことを目的にしてウォーキングコースの設定をする。山に登るのもその一環だし、ただ車に乗って往復するだけではつまらない。 彼は、奥さんと二人で「道の駅」を使って、車の中で寝ながらドライブするのだと言う。「道の駅」は各地に整備されていて、温泉があるところも少なくないので、それで十分快適な旅ができるんだとか。 車種を聞くのを忘れたが、後ろのシートを回転させるとフラットに出来るらしく、寝袋さえあれば快適だと余裕の表情だ。 日本には、余ほどの田舎でない限りコンビニがあるし、トイレや食料調達にはほとんど苦労しない。自分も10年ほど前に、当時乗っていた「ラルゴ」で北海道から愛知の自宅まで帰ったことがあるが、何と便利な国かと感心したものだ。 吾が二男も、待望の車(一年落ちのデモ車)を購入し、毎日快適な日々を過ごしている様子。大阪にいるので観光地も近く、休みの日はあちこちへドライブしているのだろう。清水寺のライトアップが、すごく綺麗だったと言っていた。 我が家には車を買い与えるような余裕はないので、全て自分の貯金で賄った。うちの子は二人とも偉い。親が”へ”なので子は自分だけが頼りだ (#^.^#)。 事故にだけは充分気を付けて欲しいね。「日歌」が千首を超えたのを機に「游歌」とタイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートすることにしました。★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選
2010.11.15
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♪ 外連(けれん)なく打って拾ってフルセット大和撫子刹那を舞いぬ ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 昨夜の対ブラジル戦は惜しかったですね。2セット先取からの逆転負け。 2セット取った段階で”もしや勝てるかも”と誰もが思ったでしょう。選手にもそんな思いが頭を過ぎったかも知れない。概ねこういう展開になる事が多いんだよね。 決して油断してはいないし、それを意識していっそう気持ちを引き締めたりするが、そこに微妙な硬さが出るんだろう。その点リードされている方は、気遅れさえなければ却って物凄い集中力を発揮することになる。 昨夜のブラジルは集中力が途切れる事もなく、世界ランキング1位の意地と絶対に勝つというモチベーションと体力が、日本を上回った。 私が応援している江畑幸子のスパイクも凄かったし、エースの木村沙織もさすがと思わせる大活躍。あの小柄な竹下がブロックポイントを挙げ、不利な体制からの正確なトスの数々。強烈なアタックをファインプレーの連続で拾いまくった佐野。ついでに、井上 香織も好きだなぁ。あの目がいいね。 第二セット、どちらも譲らずジュースへと突入して息をのむラリーの奪い合い。33-33までもつれ込んだのは大会新記録となった。取って取られてまた取って、どこまで続くかのこのシーソーゲーム。これは凄かった。 ここでの消耗戦が、体力的に有利なブラジル側へ有利に働いたのかも知れない。 先日の日本シリーズといい、昨夜の世界バレーといい、諦めない闘志と粘りの根性は日本中を感動の渦に巻き込んで、スポーツのだいご味を十二分に味わわせてくれた。 恥ずかしい話しだが、バックアタックの意味を今回初めて知った。 今まで何となく「ネットから離れて打つスパイク」ぐらいに思っていた。ところが、そうではなくて「後衛の選手はアタックラインを越えてはいけない」というルールがある事を知らなかったのだ。 また、後衛はブロックすることもできないんだねぇ。 我々の世代は9人制で教わったので、実際に6人制のバレーの試合をしたことがないせいだ。というか、バレーボールという球技があまり好きじゃなかったので、私にとっては関心が薄いスポーツだったのだ。 今日は、銅メダルを掛けてのアメリカとの対戦が17時から、ロシアとブラジルの決勝戦が19時半から行われる。≪速報!!!≫ やりました! 32年ぶりのメダル、銅メダル獲得です! 世界ランキング2位(北京五輪銀メダル)の米国に第1セットを先取され、第2セットを石田の強打などで奪い、第3セットを取られた後も木村、荒木の活躍で第4、第5セットを連取。悲願のメダル獲得です。 昨日の疲れもあって苦戦を強いられたが、粘りに粘っての勝利は今後の自信となる大金星と言っていいでしょう。 決勝ではロシアがブラジルを3-2で下し、2大会連続7度目の優勝を果たした。「日歌」が千首を超えたのを機に「游歌」とタイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートすることにしました。★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選
2010.11.14
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♪ そそくさと陽は去りゆきてゆうぞらに ジェットの軌跡細くひかりぬ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 夕暮の雲一つない西の空を、短い白線を引きながらジェット機が気持ち良さそうに飛んで行った。 まだ明かるさの残った空を、東に向かって伸びる細い軌跡は、描かれるとすぐに端から消えていく。そのカラッと晴れた夕空は翌日の天気を保証してくれている。 名古屋地方では、昨日今日と、この時期では5年振りの黄砂が降り注ぐ。東京ではこの時期としては初めてのことらしい。 黄砂は東アジアの砂漠など乾燥地域から、強風で舞い上がった黄砂粒子が上空の風で運ばれて降下する現象。風などの条件から日本では毎年春に観測されるが、ここ10年では2002年、05年、09年の秋にも西日本を中心に観測された。12日黄砂でかすむ福岡市内 12日は長崎、熊本、福岡、下関、松江で視程が4キロまで低下した。これは、10日ごろにゴビ砂漠で発生した低気圧が砂を巻き上げたのが原因らしい。 地球を循環している気流や水は、地球の血液でもあり体液でもある。「日歌」が千首を超えたのを機に「游歌」とタイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートすることにしました。★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選
2010.11.13
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♪ そこそこの健診結果そこそこの生活なりてこそこそとせず ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 一か月前に受けた住民健康診断の結果が届いた。 おおむね良好だが*印が幾つか付いているが大したことはない。この歳になれば当然何かには引っかかるもので、そんなこと気にしていたら生きていけない。 「かかりつけの医師に相談してください」のところにチェックが入っていても、治療を要するというわけではないのでうっちゃっておくことになる。 それでも、ちょっと気になる項目がない事もない。血糖値が200と高いのだ。 HbA1cは「5.2」と5内に留まっているのでまだ治療を要する糖尿病にはなっていないが、要注意というところ。 そんなに数値が上がるようなことに心当たりがなく、原因がよく分からない。血糖値は食事によって大きく左右されるのであまり神経質にならなくてもいいといわれるが、食後2時間経っての検査なので少しは気になる。 調べてみれば、食後3時間以上経ってからでないと正確なデータは採れないようで、その誤差の内だと言えない事もないので、まああんまり気にしない方が良い様だ。 最近、年をとったせいか喰い意地が張ってきて、甘いものでも何でもだべる。涼しくなって食欲もわいて、食べる量も増えた。「栗きんとんロール」 こんなものにも目が行ってしまうのだ (;一_一) 血糖値を上昇させるのは食物中の炭水化物(糖質)なので、炭水化物に注意する必要があるという。麺類好きにとっては一大事だ! 血糖値を上昇させるのはカロリーではないので、カロリー制限を守っていても血糖がコントロールできない場合があるとか。 アルコールは、焼酎をたしなむ程度なら却って血糖値を下げる効果があるらしい。 ウォーキングの回数も減っているので、咽・鼻の粘膜を鍛える事も兼ねて、今からその習慣をつるようにせねばと思う。 やることやって、喰いたいものを堂々と食う。それが分別のある大人というもの。 どうせすぐ忘れるだろうけど・・・「日歌」が千首を超えたのを機に「游歌」とタイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートすることにしました。★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選
2010.11.12
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♪ 跳躍し横っ跳びして回転す体操競技のようなる球技 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 2010女子バレーボール世界選手権で、連日、日本チームの活躍で大いに盛り上がっています。 会場の一つの名古屋の「ガイシホール」で、実際の試合を観たいと思って調べたら、日本選手が出るのは東京の代々木体育館の方だけらしく残念ながら観ることが出来ない。 バレーボールは見るからに激しいスポーツだ。跳んだり飛びついたり回転したりと、全身を使った反射神経と瞬発力を要求される。 バレーボールをこんな激しいダイナミックなスポーツにしたのは、東洋の魔女を育てた大松博文監督だ。 東京オリンピックでバレーボール全日本女子チームの監督として、それまでとは全く違う手法を編み出し、世界に衝撃を与えた。「鬼」のようなトレーニングで、日本女子バレーチームに奇跡の175連勝を成し遂げさせ、日本女子バレーチームは「東洋の魔女」と恐れられた。 この大松博文監督が体格差をカバーするために編み出した「回転レシーブ」や「時間差攻撃」は、今では当たり前のように世界中で使われるまでに普及している。 時間差・一人時間差攻撃、A~Dの4種類のクイック攻撃、移動攻撃(ブロード)、バックアタックなどなど様々な攻撃が生まれたことで、当初とは比べ物にならない激しい見ごたえのある球技に変わった。 ジャンピング・トスにジャンピング・スマッシュ、そしてフライング・レシーブでコートに這う。飛んで跳ねて飛びついて、直ぐに体勢を立て直しての応酬は、指先からつま先までをフル回転してのハードワークだ。 昨日、2次ラウンド最終戦が行われ、日本は、前回優勝のロシアに1―3で敗れ、5勝2敗のE組2位で準決勝に進むことになった。 あの2m以上の長身が、パワー全開で打ち込んでくるスパイクには手も足も出ない。平均身長で約17cmの差が「これまで戦ったことのない高さ」と監督も嘆く。28年ぶりのベスト4進出を喜ぶ選手たち パワーと高さに劣る日本が本当に良く頑張っているなぁと、感心と感動をもって応援している。 7戦全勝のロシアがE組1位、5勝2敗の日本が同組2位で準決勝に進出する。F組では北京五輪金メダルのブラジルが同五輪銀メダルの米国を破り、ブラジルが同組1位、米国が2位で準決勝進出を決めた。 13日の準決勝では、日本はブラジルと、ロシアは米国と対戦する。 それにしても、日本のアスリートは可愛い人が増えたねぇ。どの競技にもかわいい人気者が必ずいる。「日歌」が千首を超えたのを機に「游歌」とタイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートすることにしました。★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選
2010.11.11
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♪ 今年もやり残したこと多々ありて栗きんとんもその一つなり ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 有難いことに暖かい日が続いてきましたが、立冬に入り(11/7~11/21)、いよいよ本格的な冬の季節に入りました。今日はかなり寒い一日になりそうです。 寒くなってくると、未来よりも過去へ気持ちが動くのは何故なのでしょう。 ああ今年もやり残したことが一杯あるなぁと、妙にメランコリックな心持になりあれこれと思いめぐらすことになる。 色々やり残したことが有るのに、先ず思うのは食べそこなったモノが多いなぁということ。貧乏人のささやかな楽しみは、特別なものなんてかではなくごく普通の食材を「旬」に食べること。それが、年をとると時間の過ぎるのが早いせいか、うっかりしていると時期が過ぎてしまうんです。 葡萄も桃も今年は猛暑のおかげか大変に美味かったのですが、大好きな栗を食べそこなったのが一番悔しい。九州か四国産のものをたっぷり買って、「栗きんとん」を作りたかった。去年は少し水気が足りなくて失敗したので、今年こそはと思っていたのに・・・・。 もっとも、作る作業の大半は家内がやるのであまり偉そうなことは言えませんが、気持ちは共同作業なんです(笑)。 子供のころ、家の裏庭にあった栗が大変美味しい栗で、その味が忘れられない。4~5本あった栗の木はそこそこ大きく、そこに板など渡して木上の基地みたいなのを造って遊んでいたことを思い出す。 私にとって、栗は子供のころの思い出がいっぱい詰まった特別なものなのです。 中学1年まで過ごした自然しかない田舎の生活と、会う事もない幼馴染との思い出の数々が「郷愁」と言う形で、「栗」というあの独特の果物に詰まっているのです。 あの不思議な花の形、あの独特のにおい。 大きな栗毛虫が這いまわるノコギリ状になった葉。小さかった「いが」が徐々に大きくなり、緑の先が裂けて茶色の実が顔をのぞかせる。 そうして台風などの大風が吹いた後に辺り一面に散らばっている「いが栗」を、両足で踏んで実を取り出す時の楽しさ。 栗は私の原点そのものなのかもしれません。「日歌」が千首を超えたのを機に「游歌」とタイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートすることにしました。★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選
2010.11.09
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♪ 吾がさ庭に松を植えろと言いし父は五輪塔なる墓を残せり ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 我が家の狭い庭に”松を植えると良い”と何度も言っていたおやじも亡くなって早や24年が経ちます。明治40年生まれの硬物は、家相や墓相に凝っていて色々研究していたようです。 先祖代々の墓石を「五輪塔」型のものにしたのは、おやじの亡くなる前の指示だったようだ。かなり古くなった変哲のない墓石がどうしても気になっていて、自分が入る時には「五輪塔」型のものに替えたいと目論んでいたらしい。 先日その墓参りに入って来た。 亡くなる時に新しくなったその珍しい墓石は、青色の文字が彫り込んである。 この青い色の意味がよく分からず、周りを見回してもそんな色のものはなく残された身内のものは皆少々困惑している。 「五輪塔」は供養塔ともいい、古いお墓を整理しまとめて合祀(ごうし)墓にする場合に用いられ、石碑(墓石)と並べて建立される。浄土真宗では用いないらしい。参考写真 右側が「五輪塔」 ここの正面に書いてある梵字は「五大種字」と言って、宇宙を構成する五つの要素(物質)を表しています。 上 空(キャ) 団形または宝珠形・・・・・・・虚空の意 風 (カ) 半月形・・・・・・・・・・・・因の意 火 (ラ) 三角形・・・・・・・・・・・・塵染の意 水 (バ) 円形・・・・・・・・・・・・・語言の意 地 (ア) 正方形・・・・・・・・・・・・本不生の意 下 「五大種字」は胎蔵界の大日如来を五つの梵字で表わした「真言」でもあります。 宮本武蔵が書いた「五輪の書」は、この五大の要素の五字をそれぞれの章の表題にしています。 私の作品の中に、これをローケツ染めで作品に仕上げたものが有ります。「五大種字」麻100% サイズ30×100cm「日歌」が千首を超えたのを機に「游歌」とタイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートすることにしました。★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選
2010.11.08
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♪ リモコンを5バ1野6ス(ごばいやろす)とつぶやきて 繁く切り替う日曜の夜 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ スポーツの秋を満喫した昨日の夜。スポーツ番組がゴールデンアワーに打ち並んで視聴率争いを繰り広げた。 東海の当地では、5チャンネルの世界女子バレー、1チャンネルの日本シリーズ、6チャンネルの男女フィギュアスケートといずれも興味深いものばかり。 区切り区切りに切り替えては、あっちをチェックこっちをチェックして忙しいこと。どこもがCM中だったりすると損した気分になったりする。 バレーボールは、予想通りと言っては失礼だが、完敗してしまった。フィギュアスケートは男女アベック優勝とその実力をいかんなく発揮してくれた。 注目の日本シリーズは、後がない中日が踏ん張り、延長15回の5時間を超す死闘の末、規定により引き分けに持ち込んだ。持ち駒を使い果たす総力戦は見ごたえのある投手戦に終始し、目を離せないまま最後まで見ることとなった。 スポーツ好きにはたまらない夜でしたが、スポーツ嫌いにとっては厄日のようなゴールデンアワーでした。 今日は、夫婦で所用で出かけた先から自分だけ復路を歩いて帰る。約12キロの道のりは久し振りの足には少々堪えた。4時に出発して途中で日没を迎え、後半は真っ暗な中を歩く。1キロ10分のペースは時速6キロ、丁度2時間ほどで歩ききった。 少し休めば疲れは取れた。 ビールを飲んで快い疲労感のうちに、今日も絶対負けられない中日を応援するべく日本シリーズの始まったTVの前に陣取った。「日歌」が千首を超えたのを機に「游歌」とタイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートすることにしました。★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選
2010.11.07
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♪ 「お帰り」と返してくれる人のいる何てことない秋の夕暮れ ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 晩秋は、一人身にとってつとに寂しさを感じる季節でしょうか。 私の周りにも30代40代の独身男性が何人もいます。未だ親と同居しているためことさら一人身が淋しいとは言いませんが、一人でいる時にはそれを感じているかも知れません。 長い不景気での就職難で、まともな仕事に就けない状況にあって結婚さえも許されない、厳しい社会の現実に弄ばれています。また、結婚願望が希薄だというのも原因の一つにも挙げられています。 親がそこそこ裕福なため、大人になったにも拘らず抱え込んだままずるずると年を重ねているという姿も目に付きます。 ♪ 周りにはすべてあるのに何もない 夢と希望と仕事と妻と 高度経済発展のリバウンドと言ってもいい状況にあって、世の中全体に危機感の無さ、問題意識の欠如が目に余ります。安定志向で争いを好まず、甘くて刺激の少ない味覚を好む傾向がずーっと続いています。 酸味、苦味、渋味、という味に深みを与える要素を排除して、果物や野菜の味まで変えてしまった。 自立心、独立心の欠如は国の中枢にまで及んでいて、その危機感の無さを事あるごとに露呈しています。ぬるま湯にどっぷりつかって、今や「ゆでガエル」にでもなってしまいそうな体たらく。 何ですか、あの尖閣列島での中国漁船衝突事件のビデオ映像の流出は。呆れてものが言えません。 ♪ なんとなくあると思っていたものが ないと分かって秋更けゆきぬ 人間には計り知れない機能と能力が備わっています。 あらゆる内的・外的障害から身を守るための、細胞レベルで気の遠くなる様な繊細でち密な働きをしています。 あたかもそれを発揮する必要が無いような文明という玩具を発展させ、その高度な機能を壊しては逆にしっぺ返しを受けている様な有様です。 COP10で生物多様性を語るのもいいですが、人間回復も同時に進めていかないと今後の人類は恐ろしいことになる。「日歌」が千首を超えたのを機に「游歌」とタイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートすることにしました。★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選
2010.11.06
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♪ いそいそと早や大掃除始めたる 捨てる当て所(あてど)へねじ巻く君よ ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 掃除好きの家内が、異常気候のせいで遅れていた網戸の片づけをようやく終えた。 ついでに入ったのが大掃除のスイッチだ。暮れになってからでは間に合わないと、いま頃から順番に済ませて行くのが毎年の習いになっている。 そこまでは良い。問題はこちらにもその影響が及ぶことだ。 本人はやる気十分かもしれないが、こちとら掃除が好きな訳でもないしこんな時期から大掃除なんて意識は脳の隅にも塵ほどの欠片もない。 それが順番の都合かで、私の関係のものが入っている押入れの掃除をやることになった。 兎に角捨ててしまうのが家内の掃除のやり方だ。どうしてそこまで思いきってものが捨てられるのか、そのこだわりの無さと思い切りの良さには感心する。 男は、「モノ」に執着する癖が往々にして強いものだが、一般的に女の人にはそういうところが少ないようです。女性から見て、訳の分からないガラクタや様々なグッズやアイテムを嬉々として蒐集しているのはほとんどが男です。 どうして男は「モノ」に執着するのだろうか。何か空虚なものを心の中に抱えていて、その穴を埋めるために「モノ」に執着しているような気がします。 一方、生命を生み出すことが大前提にある女性にとって、もっとも大切なのは子の命でありそれ以外のものには執着している暇も余裕もない。 余分なものはない方が却って都合が良いのかも知れない。 男にはそういう根源的なものが無い。それ故に、その欠けた穴を埋めるための自分だけの何か、大事に出来る「モノ」が欲しくなるのではないか。 家の内部に執着するのも女性であって、男はあまり家には興味が無い。たとえ有ったとしても、構造物としての家あるいはステータスとしての家であって、間取りやディティールにはあまり興味がないものです。 こんなところも性差による違いが出ていて、面白いものだなと思う。 押入れの掃除は、しばらく温存していたが必要ないと思われるものを思い切り捨てたので大きな袋一杯のゴミがでた。そのたっぷりのゴミの量を見ただけで、もう充分に掃除人の心は満たされたのであります。「日歌」が千首を超えたのを機に「游歌」とタイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートすることにしました。★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選
2010.11.04
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♪ ホワイトの名を持つ餃子如何にかや はやの品切れ興の増しまし ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 話題の「ホワイト餃子」の店を見つけ一度食べてみようと思っていた。 近くへ行ったついでに「生」を買う予定で、開店11時を30分ほど過ぎたころに行くと既に売り切れだと言う。仕方が無いので、「焼き」餃子を買って帰った。 夜、店のスタッフが言う様にトースターで焼き直して食べてみたが、これがあんまり美味くない。バリバリの熱い皮につけてある甘みが、具の味に勝って肝心の餃子の味がしない。どうしてこんなものにああも人が押し寄せて買いまくっているのか分からない。 ボリュームがあるので一人10個も食べると結構腹に堪える。あんまりだった事もあって半分近く残したものを、翌日の朝、今度は電子レンジで温め直して食べてみることにした。 今度は、中までしっかり熱が通って本来の餃子らしくなり、もっちり感が戻った感じ。 しかし、確かに普通の餃子とは違うとは言うものの、いまいち納得できるものではなかった。これだったら小さいながら「百老亭」の餃子の方がよっぽど美味いし、家内が作るものだって遥かに勝っていると思った。 やはり本来の焼きたてのものを食べないとその実力は分からないのかもしれないと思いつつも、大量に「生」を買って帰るほど美味いものかと言えば、どうしてもそうは思えなかった。 話題が口コミで広がり、TVでも取り上げられるようになって、そのブームに便乗する日本人気質が「世間の評価」を妄信しているとしか思えない。 また、あんまり普段美味しいものを食べていないんじゃないかと思ってしまう。それは高級なもの、高価なものという意味ではなく、本来の味を備えたちゃんとした作り方をした本物という意味です。 日本人の味覚は世界一であることは、「うま味」という味覚成分を発見したことからも充分うかがえるし、料理のダシの使い方などにも充分発揮されている。 そんな日本人が、昔からの日本食が如何に素晴らしいものかを知らないでいる人が多いのも事実。 今、日本食が見直されつつあることはいいことですが、自分の舌で判断できるまでに味覚を鍛えるには、子供のころからの食生活に掛かっていると思う。 手抜きをしないで、ちゃんとダシを取って下ごしらえをして、旬の食材を使った料理は値段なんか関係なしに美味しいものです。勿論、味付けのセンスが無ければ料理にはなりませんから、ちゃんとした”いいもの”を一杯食べてセンスを鍛え上げるしかない。 一般的に言っても、「あの店の・・・は美味しい」と聞いて、行ってみても美味しいと思ったことがない、と、ほとんどの人が言うぐらい味覚には個人差がある。 皆がみんな美味しいと言っている「ホワイト餃子」の実力のほどはどうなのか、未だ結論は出ていません。 ブームになると競ってそれを手に入れようとし、あっという間に忘れ去って行く。本当においしいものは競争して手に入れるものでもなく、自分の好みの味を食べたい時に食べてはじめて満足するというものでしょう。 飽食の時代と言われている今、何を食べても感激するという事が少なくなっているのも確か。 美味しいものは、たまに食べるから美味しいのである。”空腹に勝る味付けはない”とも言うし・・・・「日歌」が千首を超えたのを機に「游歌」とタイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートすることにしました。★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選
2010.11.02
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♪ どどどどっと真夜に響(とよめ)くいかづちの 光(かげ)やり過ごし猫帰り来ぬ ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 夜来の雨が強くなった夜の真ん中あたりで、やにわに雷鳴が響き渡り、レム睡眠中の瞼の裏に閃光の影を感じていた。 その光と音が遠ざかったと思っていると、昼間に出たまま帰らなかった猫の「アンリ」Boyが帰って来た。窓の外で悲しげな小さな声を上げている。開けてやると雷の余韻を漂わせるように、サッと飛び込んできた。 濡れた身体で布団の上に載って来るので慌ててティッシュの箱を引き寄せる。 やっと帰れた安堵の後は、腹ぺこを訴えるいつもの態度。ゴロゴロゴロと声震わせて、冷えた身体を摺り寄せて来る。真夜中に起こされるこっちの気持ちも察して欲しい。 階下に降りて餌をやって早々に布団にもぐり込むと、間もなく夜食を終えた「奴」が布団の中に入ってきた。ぐるぐるぐると咽を鳴らしながらの毛づくろい。 それも終えて眠ることになれば、凭れて眠る甘えん坊。寝返りの度にどんどん真ん中へ寄って来る。 途中で暑くなったのか布団から出て、真ん中辺りに乗っかってきた。こっちは漸くうつらうつらしかけたところなのに。可愛いさ余って憎さ千倍、迷惑至極。 まともな姿勢も取れないまま朝までず~っと窮屈な状態で寝る。 目覚ましの音も憎らしい朝になれば、猫はもういなくなっていて、雨は完全に上がっていた。何だか夢でも見ていたのかと思うような今朝の心持。寝ざめの悪い身体をゆっくりと起こした。「日歌」が千首を超えたのを機に「游歌」とタイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートすることにしました。★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選
2010.11.01
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♪ かずらにも秋の来にけり赴任地の 色をはこびて息子(こ)の帰りきぬ ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 所用があって赴任地の大阪から帰省した息子に触発されてか、家内の言動が大阪ナイズされているのが面白い。 決して息子が大阪弁をしゃべる訳ではないないのに、家内の会話が何となくいつもよりテンションが高くなっている。二男が帰って来た嬉しさも手伝っている事も事実でしょうが、大阪という土地柄がもたらす目に見えない影響が、冗談が通じない家内にも微妙な作用をしているようです。 私は、僅か3か月でしたが大阪で生活した経験があり、大阪の魅力に取りつかれている一人です。 会話に笑いの精神が沁みついていて、話しのやり取りに遊びがあるという感じ。これは京都とも違う大阪特有のもので、名古屋なんかには無い独特の言葉の文化だ。 関西人と話しているとこちらも知らないうちの関西弁になっている事に気付く。何というか言葉そのものが耐性菌のような感染力をもっていて、脳の言語中枢に入り込んでくる感じ。 第143回芥川賞の候補作6作品のうち3作が会話文に関西弁を使っているという。関西弁だけは他の方言と一線を画していて、ごく自然に日常に溢れている。 日本の文化そのものが近畿地方中心に発達して来たことと大いに関係が有りそうで、標準語の歴史から言ってもその伝統の違いははっきりしている。 日本の伝統文化といわれるもののほとんどが江戸時代のものです。しかし、首都が東京になったことで全国から集まる人々の言葉を統一するために標準語を普及させる事で、地方の方言と共に江戸弁を捨ててしまった。 関西弁は東京の様な全国の寄り合い所帯と違って、生粋の血が色濃く残っているためその商人魂と共に特有の言葉も残って来たのだろうと思う。 東京は江戸弁を捨てた事によって「よそいき」の言葉を使い、関西では未だに堂々と自分達のアイデンティーを守り続けていると言える。 誰にもどこにも邪魔されずに発達し使われ続けてきた関西弁に”力”が有るのは当然と言えるかもしれない。 二男は大阪に赴任して半年ちょっとでまだ関西弁を使わないが、早晩使う様になるだろうと思う。その耐性菌の様な感染力の中に身を置いていて、感染から逃れられるはずがない・・・・。テイカカズラ 今年は庭の「テイカカズラ」が殊のほか美しく紅葉しました。こんなに赤くなったのは初めてです。 名前のは鎌倉時代の歌人藤原定家の墓所に生えていたことに由来するという。 日本の山野(本州の秋田より南、四国、九州)に自生するつる性の植物で、茎はつる状で細長く伸びそのままでは直立することができません。茎のところどころから「気根」という根を出し、それを他の木の幹や岩、フェンスなどにくっつけてはい登る。 大きくなると10m近くの高さまではい登り、茎の太さも直径3~4cmにもなるそうです。初夏になると、直径2cmほどの白やピンク色の花を咲かせるらしいですが、我が家のはまだ一度も咲いたことが有りません。 「ハツユキカズラ」はこれの園芸品種で、庭先でよく見かけられますがかなり丈夫な植物で、幾らでも伸びていきます。「日歌」が千首を超えたのを機に、「游歌」とタイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートすることにしました。★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選
2010.10.30
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♪ 明けなずむ朝におりおり見る夢は道に迷いしものばかりなり ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ なんなんでしょう。最近観る夢が道に迷って困っているようなものばかりなのは・・・。 車で、徒歩で、あるいはバスにも乗って、自分が今何処にいるのかよく分からず、目的地に着けないでウロウロしている。民家もない様な人里から離れた山の中だったりする。 内容はいつも違うが、そのような夢が出てくると夢の終わりに、”またか”という思いが湧いてくる。 私は、極たまにしか「楽しい夢」というのを見ない。空を飛んだ事もないし、暴漢をやっつけたというようなこともない。宝くじに当たった事もないし、何かで表彰された事もない。 レム睡眠の浅い眠りの時に夢を見るわけですが、フロイトの夢判断はあまり正しくなかった、というのが最近の定説の様です。 夢は脳の情報の整理をしていると認識していましたが、色んな仮説が有るようです。1、「夢は本能的衝動を放散させるために生起する」 Fisher仮説:1966年 レム睡眠は外界の緊急事態に備えて、あらゆる生存戦略を活性化させる準備状態であり、夢はその機能的興奮を発散させるように働いている。2、「夢は行動プログラムの作成と模擬演習の内容を反映して起こる」 Jouvet仮説:1978年 脳はレム睡眠中に、遺伝子に蓄えられた情報を読み出して神経回路を機能的に整備し、生存戦略に必要な行動のプログラムを作る。さらに、出来たプログラムが実際に実行可能なものか、脳内でシミュレーション(模擬演習)が行われる。3、「夢は記憶の再生と再処理過程で生起する」 Winson仮説:1985年 覚醒中に脳が処理した情報のうち、重要なものがレム睡眠中に再生され、改めて編集処理され洗練化された情報が記憶として固定される過程が、夢となって現れるとしている。4、「我々は忘れるために夢を見る」 Crick-Mitchison仮説:1983年、1986年 脳は不要な記憶を取り除いて負担を軽くする。夢は記憶から消去された情報が素材となって現れたものである。生理学的な知見に欠けており、実証性に乏しいとされている。5、「活性化ー合成化仮説」 Hobson-McCarley仮説:1977年 健常者の夢の80%以上が視覚心像を伴なっていて、連想や記憶の過程が関与することにより、夢の内容は深層心理学的な意義があるとしている。6、「感覚映像-自由連想仮説」 大熊仮説:1988年 自己意識のコントロール下に置かれており、自由連想の展開をたどれば、夢内容がその時その時の人の精神内界を良く反映することが説明できる。 ヒト睡眠の基礎(堀 忠雄)より「10.夢の理論」から引用しました。 未だに良く分かっていないのが「夢」の正体のようです。 私の夢はどれにも当てはまらない気がします。 学者たちは脳の研究の中で夢を考察しているわけですが、自分でも夢を観るだろうに、自説を納得させるだけのものを掴んでいるのだろうかと疑問に思ってしまう。 会った事もない人、行ったこともない場所、見た事もない景色などが出現する夢って、いったい何なんでしょうね。「日歌」が千首を超えたのを機に、「游歌」とタイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートすることにしました。★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選
2010.10.30
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♪ さらけ出し開き直って峠道 鈴鹿の山に雲流れ見ゆ ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 思えば、この短歌ブログもいっそ自分をさらけ出しちまえ、という思いから始めたものでした。 取るに足りない自分を隠し立てしたところで何にもならない。そのことで自分を小さな檻の中に閉じ込めておくのは良くないし、さらけ出して失うものなんか何もないと思った。 見栄を捨て、心を開いて接していれば相手も心を開いてくれる。初対面の人であっても臆することなく、気楽に何でも話すことが出来るし、物凄く気が楽だ。 対人恐怖症に近い状態にあった中学生の頃の自分は、自分であって自分ではなかった。そんな自分がずっと嫌でしょうがなかった。 そんな思いがず~とあって、自分を変えたいという気持ちは人一倍強かったかもしれない。 今までやって来たことは、全部そこに集約されると言っても過言ではないかもしれない。それほど自分の性格が嫌だった。 全ての行動は心にある願望が反映しているに違いなく、年月と経験の積み重ねが人を変えることに繋がっていく。 先日の新聞取材はそんな思いをいっぱい抱えて応じたもので、1時間があっという間に過ぎ去った。今の私は、初めて会う人でも初めてあったような気がしないのが不思議だ。 見栄と虚勢を脱ぎ去って身軽になった事で自分の中にあった、ブラインドの隙間から覗くような用心深さがなくなったのだろう。 今なら、どんな人とでも”専門的な話と歴史に関する事”以外ならそこそこ話が出来るだろうと思っている。真心をもってすれば見栄も虚勢も必要もないし、聞く耳を持って接すれば話は盛り上がるものです。 ”何を話そうか”なんて身構えることなく、出たとこ勝負の行き当たりばったり。下手な下準備なんてあんまり役には立たない。 そんなこんなで、ようやく新聞に記事が掲載されました。 地方版の限られたエリアだけでしたが、写真入りで載せていただけた事に感謝しています。10月27日中日新聞 知多版 さすが18年のベテラン記者だけに、要約だけを繋いで上手くまとめてありますね。残り一週間もないので少し残念ですが・・・・「日歌」が千首を超えたのを機に、「游歌」とタイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートすることにしました。★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選
2010.10.28
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♪ はじけずに落ちし柘榴の実ひとつ音なき路地をくろ猫のゆく ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 都会と言っても開発されていない地域は、狭い道路に新しい家と古い家が混在している。 そんな中には空き家も幾つか混じっていて、主を無くしたそれらの家はそのまま長い間放置さたままだ。戸は締め切られ庭は草に埋もれて、そこだけ時間が止まった様に静まり返っている。人通りもほとんどない路地には物音ひとつ聞こえてこない。 新しい家と家との間にある古い空き家は、都会にも過疎というものが”点”として存在することを思わせる。 戦争で焼け残ったエリアは、街中だけに家と家が犇めき合っていて余分な空間というものがない。下町情緒があるようなところでもなく、犇めき合っていながらひっそりと過ごしている。 そんな息が詰まるような場所から、脱出したいと思う気持ちは痛いほど分かる。 空き家の主は何処へ行ったのだろう。「日歌」が千首を超えたのを機に、「游歌」とタイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートすることにしました。★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選
2010.10.27
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♪ デジタルに細切れていく人と世の波間に浮かぶ沖の白石 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 今のジャズ界の現状はかなりお寒い状況にあるようです。 ジャズの講座も開設しているカルチャー&音楽喫茶「ミュージック・サルーン アーデン」のオーナーの最近のジャズ・ライブ事情によると。 最近,JAZZを聞く若者がめっきり減り、たとえ聞いていてもそのほとんどがスタンダードジャズ志向ではなく、ラップ系やビート系の音楽とのコラボレーションがほとんど。ネットから好きな音源のみをダウンロードして聞くというスタイルでCDを買うこと自体も稀になった。 LIVEを見るにしてもジャズではなく、クラブ系の店か大きなコンサート会場ばかり。ライブハウスでジャズを聴く若者がいないという現実。 それで、永年ジャズを聞いてきた人たちは何処に行くのか?40代後半以上の人たちは仕事の関係でライブに行けないので、どうせ行くならビッグアーチストの出るライブチャージが¥7000以上もするBLUENOTEなどに行くことになる。 ここでもライブハウスから離れて行ってしまっている。 そんな状況の中で、楽器を演奏したいという人は増えてきているという。そんな人たちのために、最近のライブハウスでは『セッションデー』なるアマチュアミュージシャンのための演奏場所を提供する事が増えてきている。 もう一つ、ライブハウスを悩ませているのがJASRACによる著作権料請求の件。当店でもその例外ではなく、経営を圧迫しています。元々ライブチャージが低い店ではとても著作権料が払えず、渋々ライブを休止せざるをえない店が増えてきました。 ライブでは当然、スタンダードを演奏できないためオリジナル曲が中心になります。また、ライブハウスが無ければ音楽教室の講師活動くらいしか生活していく術は無く、ミュージシャンはたとえ低料金でもライブをさせてもらえる店で演奏をするという状況になってきた。 当然底上げは難しいし、演奏活動そのものが成り立たないのでは話にならないということ。 この話を聞いて、とても悲しくなりました。沖の白石 世の中全体が軽くなって、どの世界でも内容の薄っぺらさに辟易します。映画にしても小説にしても、政治にしても、TVにしても、表面的で中身がなく形ばかりの世界です。 この軽さは何なんでしょう。 虚無的ならいっそ、退廃の極まで行って一度全部チャラにしてしまった方が良いんじゃないか、なんて暇なオッサンは考えてしまいます。 何にもないところから這い上がるような状況でないと、新しいものが生まれるエネルギーも気運も芽生えない。何となく文明という掴みどころのない海に浸かって、ぬるま湯の様な文化に全身を浸りきって、何もかもを自縄自縛しているような状況。 そんな中では、誰かが声高に叫んでみてもスライムのような壁に吸収されて、何にも返ってくるものが無い。 何でもある様で何にもないような、偽りの充足の中の虚無感。 COP10でも分かるように、今、最も勢いのあるのは発展途上国です。彼らは零からのスタートで目指すものが目の前にあり、何とか現状を打破したいと考えている。 彼らを支援するNPOなど民間の供与する技術やノウハウが、上手く浸透していけばそのモチベーションからして物凄い力を発揮するでしょう。 要するに、今の日本、否、日本に限らず先進国全てがテンパイの手詰まり状態で、ジャズのような音楽の入り込む隙間が無いということでしょう。 誰をも責めることが出来ず、誰にも変えられない。 日本に限って言えば、問題は右へならえの日本人気質だ。周りと同じことをやっていれば安心というこの民族は、何時だって流行に流される。 そんな儚い魂しか持っていないのか、龍馬人気は何なんだ。無い物ねだりで、その気分だけ味わってガス抜きしてる。 「不易流行」の精神をもう一度考え直さないといけないね。 ★沖の白石・・・・琵琶湖に浮かぶ小さな島。心もとない自分を例えています。「日歌」が千首を超えたのを機に、「游歌」とタイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートすることにしました。★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選
2010.10.26
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♪ たぎりきて猫は人目をはばからず街は色づく季節となりぬ ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ この季節になって、都会の野良猫に何か隠微な印象を持ってしまうのは、都会の持つ非開放的な閉鎖性によるものなのだろうか。 喧嘩をしている猫がいると思って近寄って行くと、大きいほうがやにわに首根っこを噛んで背中に乗っかった。そこから先は想像にお任せしますが、傍に人がいることなどお構いなしでその事一点に集中している。そのストレートな姿にこっちが気押されてしまいます。 人間と違って年に二回しかない大事な季節行事ですから、本能にまかせて遮二無二突っ走るというところでしょう。 相手が猫と言えどもそれをじっと見るというのはさすがに憚られて、邪魔をしないように素知らぬふりして通り過ぎた。 ああ、そろそろ街も色づく季節なんだなあ。 そう言えば南沙織(1954年7月2日生れ)の歌に「色づく街」というのがあったっけ。 作詞 有馬美恵子 作曲 筒美京平 いまもあなたが好き まぶしいおもいでなの あの日別れた駅にたたずみ あああおい枯葉かんでみたの 街は色づくのに 会いたい人はこない 母に甘えて打ち明けるには ああ少し大人過ぎるみたい 愛のかけら抱きしめながら 誰もみんな女になる気がするの さよならはその日のしるしね 返還前の’71年6月、沖縄から颯爽と風の様にデビューした南沙織。 デビュー時の南沙織のインパクトについて、写真家・篠山紀信が「彼女の登場は、返還を目前とした沖縄のイメージ・アップのための国策歌手かと思ったくらい良かった」と述懐している。 私自身も放浪の旅から帰り心機一転の新生活に入った頃だったので、その健康的な爽やかな新人のデビューに心躍らせたものでした。デビュー曲の「17才」 デビュー曲「17才」がいきなり大ヒットとなり、その年の第13回日本レコード大賞で新人賞を受賞し、紅白歌合戦にも出場している。’73年の「色づく街」を始め多くのヒット曲を世に出した。沖縄返還(1972年5月15日)の開放的な気分と、色黒でエキゾチックな顔が相まって、一躍国民的アイドルに。 1978年上智大学に入学し、学業に専念するため10月のコンサートを最後に引退。淋しい思いをしていたところ、翌年、恋という風に乗せて、写真家の篠山紀信(1940年12月3日生れ)がかっさらっていった。 相当(14歳)年が離れている海千山千のカメラマンに、かすめ取られた感じで、当時はかなりショックだった。 学業に専念するんじゃなかったのか? すぐに捨てられるぞ、なんて思っていたけどそんなことはなかった。 秋は、冬という終章に向かう前の一年の最後を飾るフィナーレのとき。 太陽を味方に引き込んで、セロトニン・ニューロンを大いに活性化させ、メランコリック気分を吹き飛ばして、楽しい秋にしていきたいですね。 「日歌」が千首を超えたのを機に、「游歌」とタイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートすることにしました。★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選
2010.10.25
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♪ 子に残すことあたわざる棲みかにて幸せ思う柿実りたり ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 築80年近い家に住んでいる。車も入れない路地の故、家を建て直すことは非常に困難だ。 しかし、立地条件が良くて便利なことこの上ない。 特急電車の停まる駅まで徒歩5分。乗れば30分で名古屋に行ける。自動車専用道路のインターまで2~3分。市役所、運動公園(テニスコート・多目的グランド・野球場・陸上競技場)、体育館、文化会館に隣接している。 市民病院と図書館は少し離れているが、せいぜい3キロ程度で歩いてでも行ける距離だ。 田園都市ゆえに少し行けば、里山があり田んぼの風情も楽しませてくれる。有名な梅林もある。 鬱の時はこの自然の中を毎日10キロほどは歩いていた。短歌の素材ハンティングにも欠かせない。この自然のなかでは沢山の発見もあった。自然の見せてくれる四季折々の変化が、どんなにか生活を豊かにしてくれる。それらは歩く事でしか得られないものも多い事を知った。隣家の柿 都会は便利ということは否定できない。しかしそれは条件の揃った特別な場合にのみ言える事でしょう。 道路が家の真ん前を通り、騒音と排気ガスに悩まされ、夏にはヒートアイランドとなって過酷な生活を余儀なくされる。 静寂と暗闇というものを忘れさせる非現実的な日常空間。都市は人が住む場所とはどうしても思えない。 子供の遊ぶ場所や空間もなく、キャッチボールさえできない。緑と言えば箱庭の盆栽の様なもので満足するしか仕方がない家も多い。近くにバス停や地下鉄があるとは限らず、アスファルトの道を緑の姿も見ずに歩かされることはあまりにも非人間的な気がしてならない。 歳をとったら都会で済むのが一番楽だという意見もある。駅に近いマンションに住み、デパ地下で食材を買い、地下鉄で移動するという傘一本もいらない生活。 確かに過疎の村に比べたら雲泥の差でしょうが、貧乏人にはそんな優雅な生活は望めない。 便利をとるか自然をとるかと問えば、二派に分かれるところでしょうが、理想はその中間にあるのだろうと思います。 通勤圏内の田園都市こそ生活エリアとしての条件が最も揃っている処と言えそうです。 昨日、お隣さんが庭の柿をもいで持ってきてくれた。 都会ではこんなことは望めない。「日歌」が千首を超えたのを機に、「游歌」とタイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートすることにしました。★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選
2010.10.24
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