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♪ 形象に穿つ言葉はレクイエム文字もて描くいのちの賛歌 中日新聞「この人」欄にこんな人が紹介されていました。文字だけで絵を描くということで注目を集めているらしい。それでちょっと興味があって、ネットで調べてみた。 今までの作品の一部がオフィシャルサイトに紹介されているのであらましのことは分かりました。このオフィシャルサイトの作品を見ると、愛犬の名前とか動物名とか線を表す記号のようなもので描かれている。文字によるメッセージ性がないのが不満に思えた。愛犬のミニチュアダックスフンド キリンの親子。拡大します。 ディティールを見るとほぼ一種類の言葉で描かれているのがわかる。 24歳でアメリカに2回目の留学時、ロスの短大でアートを専攻していてアルファベットを使って絵を描くという課題があった。それで、神戸町で家族と暮らしている大好きなワンちゃんが頭に浮かび、その名前でワンちゃんの似顔絵を描いた。一番上のミニチュアダックスフンドのチョコがそれらしい。 そして、卒業制作のテーマを愛犬のレオにして描いたものが先生に評価され、「こうしたアートがないからやってみたら?」の言葉が制作する切っ掛けとなっているんだとか。 子どもを育てている期間を経て本格的に取り組むようになり、SDGsへの想いをアートにしてわかりやすく描いていこうと思うように。ゾウの親子は「LOVE」「tenderness」とか「PEACE」とかで描かれている。 ウミガメや白くまの画像を拡大してみると、アウトラインが日本語のメッセージで書いてあるのが分かる。 これは「プラスチック問題」だし、こっちは「地球温暖化問題」だと、テーマは広がっていく。 ウミガメは「プラスチックを減らしてください」、シロクマは「氷が必要です」という言葉で描いている。 最初に見た時は、アートというよりもクラフト的な手の込んだ絵画という印象で、グラフィックデザインの一種かなと思えた。様々な方面から依頼を受けるようになって「ことば」そのもののウェートが高くなっていて、メッセージ性がますます強くなっている。 この犬やキリンの親子のようなカラフルなものが好きだ(拡大します)。 これらの絵は、私には亡くなっていく命への鎮魂の絵に見えてくる。ことばで形象を表してそのものの外側にあるものへのオマージュ。声高に叫ぶのではなく絵に言葉を着せて慰撫するような、慈しむような感覚。痛々しさも感じられて切なくなってくる。 他には無い手法という意味では価値があるが、真似して出来ないことはないとも思う。イラ10とか便利な画像ソフトを使って、レイヤー機能などを駆使すればそんなに難しくはないだろう。 しかし、ちゃんとしたデッサンと描写力がなければオリジナルなものは表現できない。透徹した目と洞察力がなければ所詮は大したものにはなりえない。 その点で彼女の描写力は確かだし、今後ますます感性を磨いていけば世界に通用する領域に達することが出来るかもしれない。文字ベースアートで環境問題や平和を訴えるメッセージを送る浦上愛子さん2022年6月10日(朝日新聞)「愛を送ろうプロジェクト」と題し、訪れた人からの寄せ書きが添えられている。ウクライナの女性が子どもを連れて避難する映像を目にし、「文字と絵の力でウクライナの人たちの希望になれれば」とプロジェクトを企画。絵をカメラで撮影し、戦火を逃れるウクライナ人を支援するNPOなどに送って現地に届けることに。☆ 切り絵にしろ超細密えんぴつ絵にしろ、どこまで徹底的にやるかという修行僧のような、ストイックで執着的な性格でないと人を感動させることなど出来はしない。 持って生まれた才能の上に、もう一つ別な才能を開花させ磨き上げてこその世界。ジャンルは違うが牧野富太郎もそういう人だったのだろう。世間の眼とか慣習、常識とか言う枠を意に介さず、自分の道を突き進んでいく。 常人ではない何かが憑依しているような超人の世界を見せられると、凡人はもう平伏すしかないね。
2023.10.10
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♪ 蟻んこをひねもす見てる変人の分からないのがまた分からない 「分からない」と「知らない」は、まったく意味が違う。知識として知っているつもりでも、本当のことが分かっているとは限らない。新聞の見出しを読んでああそうかと分かったつもりになる。表面的なことに終始してしまえば、本当のことが分からないまま置き去りにされてしまう。 他人に話すときにちゃんと理解していないと話が出来ない。いざ話し始めて途中からしどろもどろになる。最初からそれが分かって話すのを止めてしまうこともある。 自分も何度もそういう経験をしている。そのたびに “分かってないなあ” と自分に嫌気がさし、自己嫌悪になったりもした。 知ったかぶりをしていると、結局は自分を窮屈にして忌憚のない意見など言えなくなっていく。分からないものは分からないといってしまった方が、先が開けていくように思う。「分からない」のは悪い事じゃないといっているわけだ。誰だって何だって最初はわかないところからスタートしている。分からないものに出会ったら、 “最初なのだからしょうがない” と思えれば気が楽というもの。 私は何でもやりたがりなのに教えを乞うことをしない。何をやるにしても分からない状態で始めるので、そういう風に思うことには慣れている。「新しい空気を吸えるまでの潜水」とは良い表現だ。知識とは厄介なもので、「物識りですねぇ」なんて言われるのが曲者。ついその気になって知ったかぶりをしてしまう。 いつも初心者の気持ちでいれば、知ったかぶりもないだろう。 知識欲と探求心はまず疑問あって、分からないから調べてみる。「見晴らしのいい場所」を探しに行くわけだ。「JSEC(ジェイセック)2022(第20回高校生・高専生科学技術チャレンジ)」で「ソニー賞」を受賞した箕浦祐璃さん、光吉音葉さん(文京学院大女子高2年、東京)。 江戸時代の人々を魅了した化粧術「笹紅(ささべに)」に興味を持った。笹紅は赤い紅を塗り重ねたはずの唇に、つややかな緑の光沢が宿る技法だ。でも高価な紅は高嶺(たかね)の花。当時の庶民が身近な物を使って、笹紅の緑をまねていた「裏技」を復元し、幻想的な謎を解き明かすことに成功。 墨と紅で再現した緑色は、実際とは違う色を認識してしまう「錯視」の効果で、人間の目には機械で判別できない緑の光沢が見えると結論付けた。箕浦祐璃さん、光吉音葉さん(朝日新聞) 世界の高校生らが科学技術の自由研究の成果を競う「リジェネロン国際学生科学技術フェア(ISEF)2023」64の国・地域から1638人が参加し、日本からは11組18人が参加。日本代表の3組4人が各研究部門の優秀賞(2~4等)を受賞し、その1組(材料科学部門4等)に選ばれている。「ああでもないこうでもないと思い迷う権利」を行使し、果敢に挑んだ結果、「見晴らしのいい場所」にたどり着いた。素晴らしいことです。おまけに賞金500ドル獲得だ。
2023.05.22
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♪ やわらかなくもまにさせるレモン色の光がつつむえにしさやけし Eテレの「言葉に出来ない、そんな夜」(金曜夜10~10:30)が面白い。心にある思いを言葉で端的に表すとしたらどう表現するかという問いに、出演者が答えるそのセンスがいい。 ▼夕べの最初のお題は「恋をして世界が見違えるほど浮かれているとき」の気持ち。恋をして世界が見違えるほど輝いている時の気持を、水野良樹は「水あかの付いた鏡」と言う。 ▼ドリカムの「恋をして浮かれている時」を取りあげて、その歌詞についてのやり取り。永井荷風の「歓楽」を取り上げて伏字を想像する。 ▼恋をして浮かれている気分を、ラブコメを得意とする脚本家・金子茂樹の、「映画がつまらなくたって。/シーソーで重みがばれたって。/突然の雨に降られたって。/このまま地球が滅亡したとしても。」という詩を紹介し・・。 ▼桐山照史が、恋をした時の気持ちを、「恋をしたら50mが1秒早くなる」と、言ってみんなを感心させたりする。 ▼ゲストがその場で発表するお題は「親と一緒に見ていたテレビでラブシーンが始まったとき」の気持ち。 橋本愛:そうやって生まれてきたのになんで恥ずかしいのかわからない 桐山照史:玉手箱。 金原ひとみ:みんな化けの皮を被って性欲も愛情もないような顔をしているからいけないんだ。 水野良樹:オレは男ではない息子だ。 小沢一敬:一家団乱 結局、気にしているのは男性で、女性はあまり気にしていないという結論になる。 ▼最後のお題は「好きな人にメッセージを送り待つ」気持ち。身体に変化が起きるほどの強い感情表現とは? 水野良樹(いきものがかり)が書き下ろす。 世界で最も平等なのは“時間”です。 ・・・というのは嘘だ。 どこぞの誰かがカップ麺が湯だつのを待つ3分と、 私があなたの返信を待つ3分とが、 同じなはずがない。 ここに揃ったゲストの、ことばのセンスの良さに感心して観ていた。短歌を詠む上でも全く同じセンスが要求されるので、こいうやり取りはいい刺激にもなる。この番組はやはりNHKならではと思う。 それにしても「橋本愛」はかなりの才人とみえる。先日は田中泯と対談していて、彼の踊りに対する見方感じ方に非凡なものを感じたし、こぼす言葉に詩的センスを感じる。 ☆NHKプラスで配信中。期限 :4/22(金) 午後10:30 まで * ウクライナ応援の思いを込めて、背景を国旗の色にしています。
2022.04.16
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♪ 日照雨(そばえ)ふる坂道ゆけば法師蝉 背中に時を押し付けて来る‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ このコロナ禍で大変な思いをしている人々に「自分の身は自分で守れ」という一言で突き放し、ムチ打つような事が平然と行われている。真面目で自制的、そして協調性を重んじる日本人であるが故に、どうしても被害者意識が先行しがちです。 他人に合わせていくのも重要かも知れませんが、一本の鉛筆のように先を尖らせて屹立し、踏ん張っていくことが求められています。 茨木のり子さんのことは、2020年10月26日のブログに詳しく書きましたが、この「折々のことば」を見て、また改めてこの詩を振り返っています。平時の自分の生き方に対し、自分で自分を叱責している詩ですが、この非常に困難な状況を生き抜いていくために “お前の足元をしっかりさせろ” と言われている気がしてきます。自分の感受性くらい詩集「自分の感受性くらい」(1977刊)所収「現代詩文庫」思潮社にも収録
2021.08.22
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♪ 幼子は「わえお」「はへを」を習いおりことばを遊ぶ「ぱんつくったよ」‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 日本は元々、災害の多い国で何度も何度も自然災害に遭ってその都度、家族を亡くし、家を失い、田畑を失ってきた。相手が自然現象だけに、ただただその苦難を受け入れて耐えるしかなかった。このITの時代になってもそれは変らない。ことごとく手を入れて人工物化して来たけれど、地球という大きな営みの中では些細なことでしかない。 忍耐強く生きてきたけれど民族紛争や宗教戦争など、別の世界からの迫害には無縁で、小さな田畑にしがみついて目先の不都合と戦っていれば何とかなった。村意識を糧に謙虚に生き延びて来たので、中東やアフリカなどの難民の苦難からは程遠く、それらを心底理解するための物差しを持っていない。 多民族、多言語、様々な宗教など価値観、習慣の違うもの同士の間にはいつも諍いが絶えない。それをなんとか折り合いを付けながら共存するには、議論し合って理解し合うことが不可欠になる。いつだって議論する。ダメなら戦うしかない。 そんな凄まじい世界に生きて、多くの苦難を抱えたまま生き延びようとしている人々の気高さと凄さ。それを目の当りにしたら、私なんか尻込みをしてしまうに違いない。その悲しみの深さと凄まじさに耐えられず、逃げ出してしまうだろう。 現代の日本人は議論をしようとしない。議論をする意味さえ理解していないかも知れない。こんな災害の多い国に住んで忍耐を強いられてはいるが、自然が相手では抗いようがない。その上、外敵がいないケージの中にいるようなもので、ずっと戦争がない状態が続いて平和ボケしているのも確か。 議論を交わして理解し合おうとするより、内心を読み探り合うことで乗り切ろうとする。それは外交にも表れる。とことん議論して交渉する前に、相手に斟酌してもらえると勝手に思い込んでしまう。 私はどちらかと言えばいろんな話がしたい方だ。何かの話題を振って話の糸口を掴もうとしても、相手は乗ってこようとはしない。差し障りのない世間話にすり替えてしまうので、それ以上の話に発展しない。議論どころか突っ込んだ話を嫌うのは、意見が分かれて言い争うのが嫌なだけで、自分の意見を持っていないわけではない。そういう事に慣れていないだけだ。家庭も学校も職場も、どこもみんな同じような空気が流れている。 良い国なのに、これじゃあ世界に通用する人材は生まれにくい。 アメリカやインドのように、多民族の多様な価値観の中で育った人間の優秀さは、世界のトップで活躍するインド系の多いことでも分かる。 ほんと、勿体ないことだね。★孫が借りてきた言葉遊びの本。読む時に区切る場所を変えると意味が変わってしまう文が沢山載っている。
2021.07.07
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♪ 引っ越し魔に憧れたりはせぬ吾は部屋を移ればこころ安けし‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ あの「魔女の宅急便」の創作エピソードが面白いので取り上げてみました。「魔女って何なのかだろう?」という疑問から調べていって、「母親」に行きつく・・・ 魔法は何でもかなえてくれるものじゃない。自分の願いを「発見」し、その願いを育てる「努力」を続ける。そこには苦しさもあるけど、「喜び」があって、そういうものから魔法は生まれると思った。「だから魔法は誰にでもある」 長年『魔女の宅急便』を書いてきて、あるとき「これがテーマだったんだな」と思った。 作家はこういう事をよく言いますね。「自分って、こんなことを思っていたんだ!」と、思いもよらないものが内側から出て来て驚くことがあるって。これこそ作家冥利に尽きる事じゃないでしょうか。彫刻家は「素材の中に眠っているものを彫り出していく作業だ」と言うし、音楽家は「降ってきた音を音符に書く作業をしているだけ」とか言う。 「無から有を生み出す」というのは、こういう事を意味しているのでしょう。天啓とか啓示とかにも似て、目に見えない何かがそうさせる。そういう境地とかゾーンに到達するには何が必要なのか、あるいは何が無い方が良いのか。スピリチュアルな世界に入ること事と関係があるのでしょうか。 「創造する」ことは「想像する」こととつながっていて、すべては「想像する」ことが出来るか否かに掛っている。思慮深くして森羅万象にこころを向けることこそ、「創造する」ことなのでしょう。★ 二日前にPC机を隣の部屋に移して以来、すごく落ち着いた気分でいる。外の景色も変わったけれど、部屋そのものが落ち着いた雰囲気なのです。すぐ右の壁には大きな鏡があって、時どき自分の姿をみては、「俺っていつもこんな顔をしてるんだ」と再認識したりしている。 葛飾北斎やベートーベン、江戸川乱歩や志賀直哉、ゴッホもよく引っ越しをしたらしい。確かに気分は変るだろうけど、実際に引っ越しをするとなると結構めんどうだ。考えただけで気が萎えてしまう。「引っ越し貧乏」なんて言葉もある。 部屋を変えるだけでこんなに効果があるなら、たまにはした方が良いのかな。そういえば吾がカミさんは、部屋の模様替えが好きでいつも「どうしようかなぁ」と考えているなぁ。TVの位置が今まで何度変わったか。その度に配線のやり直しをする羽目になる。確かに気分は変るし、より良い方へと変えるわけだからそれなりの効果はあるわけだ。
2021.05.28
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♪ 温暖化を愁ふ後ろに氷河期を憂う声あり過去という未来‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 朝日新聞文化欄に「語る ─人生の贈り物─ 」に、児童文学作家の「角野栄子(かどのえいこ)」が登場。絵本作家、ノンフィクション作家、エッセイストで、日本福祉大学の客員教授でもある大ベテラン作家。記者との対談が、全14回にわたって連載されます。 86歳になり、作家デビューから50周年を迎えたらしい。「魔女の宅急便」の作者としてご存知の方も多いかも知れないで。私はこういう本を読んだことがないので、この記事を読むまで全く知らなかった。 作品を書くスタイルがとてもユニークで、なんだか面白くて親近感があってとても気に入った。 それは、先ず白い紙にボールペンで自分にしか分からないような文字でざーっと書いていく。行き詰まったら、いたずらがきなんかをするらしい。それをパソコンに入力して、印刷しては直し、声に出して読む、を繰り返すんだとか。 そしてそのスタイルの最も気にいったのが、「結末は決めずに書く」というところ。「あらかじめ」っていう言葉が嫌いで、あらかじめ考えておいてその通りにならなかったら気分が悪いし、「あらかじめは先細りする」からなんだって。その感覚よ~くわかる。 決めたことに向かってやっていこうとすると、いろんな可能性を排除してしまうことになるからなんだね。アイデアを取り込みながら書いていけば面白くなるし、ページをめくるたびに「何が飛び出すか」という期待が、書いている自分も読む方も楽しいはずだって。 こういうのは私生活にも反映しているだろうと思う。あらかじめ予定を決めずに買い物や食事に行く。旅行なんか最たるもので、一切予約をせずに「行き当たりばったりの出たとこ勝負」というのを理想としてるんじゃないでしょうか。ただ、条件が許さずそれが出来ないことも多いでしょうから、制約の中で折り合いを付けていくしかないのが現実かも知れません。「前後際断」という「過ぎ去った過去に囚われ、見えない未来に縋ることの無意味さを言い表す言葉」が、角野栄子さんの頭に常にあって、今も精力的に執筆を続け、オンライン会議システム「Zoom」も使いこなし、カラフルな装いや、写真投稿アプリ「インスタグラム」への投稿も続けているんだろうなと思います。「前後際断」田川悟郎 道元禅師は「正法眼蔵 ─ 現成公案」巻で、『たき木、はいとなる、さらにかへりてたき木となるべきにあらず。しかあるを、灰はのち、薪はさきと見取すべからず。しるべし、薪は薪の法位に住して、さきあり、のちあり。前後ありといへども、前後際断せり。灰は灰の法位にありて、のちあり、さきあり。かのたき木、はいとなりぬるのち、さらにたき木とならざるがごとく、人のしぬるのち、さらに生とならず。しかあるを、生の死になるといはざるは、仏法のさだまれるならひなり、このゆえに不生といふ。死の生にならざる、法輪のさだまれる仏転なり、このゆえに不滅といふ。生も一時のくらいなり、死も一時のくらいなり。たとへば冬と春とのごとし。冬の春となるとおもはず、春の夏となるといはぬなり。』と記している。 つまり、木は「過去」、炭は「今」、灰は「未来」を例えていて、決して元には戻らない。前際 ─ 中際 ─ 後際、つまり「過去・現在・未来の時間軸」その際を断ち切れということなんだね。 臨済宗の沢庵宗彭も、「前後際断と申す事の候、前の心をすてず、また今の心を跡へ残すが悪敷候なり。前と今との間をば、きってのけよと云ふ心なり、是を前後の際を切て放せと云ふ義なり、心をとどめぬ義なり」と『不動智神妙録』第十二節 前後際断に記している。 文豪・夏目漱石は、イギリス留学中の模様を書いた「倫敦消息」(ロンドン留学中の漱石が友人の正岡子規と高浜虚子に宛てた手紙)の中に、「前後を切断せよ、 みだりに過去に執着するなかれ、いたずらに将来に望を属するなかれ、 満身の力をこめて現在に働け」と書き送ったことが記されているとか。 阪神に移籍してすぐの頃の下柳投手は、自身のグローブに「前後際断」と刺繍して、どんな状況に陥ってもマウンドでその言葉を常に見ながら、目の前の一球に全力を尽くすことを心掛けたそうです。その結果、不振から脱却し、3年後の37歳のときには最年長での最多勝利賞を獲得しているんだね。白石豊(メンタルトレーナー)を参照 また、中村元監修の『原始仏典〈第7巻〉中部経典4』(春秋社)にはこうあるらしい。「過去を振り返るな、未来を追い求めるな。 過去となったものはすでに捨て去られたもの、一方、未来にあるものはいまだ到達しないもの。 そこで、いまあるものをそれぞれについて観察し、左右されずに、動揺せずに、それを認知して、増大させよ」と。 先の事なんか分からないから生きていられる。気休めのために占いに縋ったりするけれど、世に溢れている曖昧な情報を取り込んで支配されてしまっては、却って害になるだけでしょう。また、過去の実績や地位に縋って生きている人の多いこと。是非そんな人にこの「前後際断」の言葉を贈りたいものです。 今という瞬間瞬間の積み重ねで生きている動物には、取り越し苦労も無駄な憂慮もない。それらを専門にしている人ほどそのことが良く分かっているかと言えば、そうとも言えないのが人間の愚かなところでしょうか。 角野栄子さんは多分、楽観主義者で、今を楽しむ達人なのだろうと思います。
2021.04.27
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♪ 真ん中に直球の来て見逃せり真実なんて真に受けられず‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ランキングに参加してみました この世は虚構で出来ていると言ってもいいのでしょう。映画も小説もウソで出来ているし短歌や俳句、エッセイまでにもウソの要素が不可欠らしい。真実をそのまま語っても却って嘘っぽく聞こえてしまうのはどうしてだろう。 真面目なだけの人にはあまり魅力を感じないし、その真面目さを疑ったりもする。 “人が演芸場に通うのも、きっとその「うそ」に騙されるため” 虚構の世界にこそ真実があると思っている証しだろう。 ”それに人が笑い涙するのは、<私>という存在もまたそれぞれが自分で自分に語る物語でしかないからだろう” 自分という訳の分からない存在を他に照らし合わせ、演じながら生きるしかないことをそこに見ている。 真実に感動は無く虚構の世界にはそれがある。嘘と分かっていても感動し、同じ場面で涙する。騙されている自分に酔い、束の間の “嘘の真実” に幸福を感じる。人間とは何と面倒くさい生き物だこと。 「影武者」に抜擢された勝新太郎が黒澤明と衝突して途中降板してしまったのは、その映画的嘘の方法論に違いがあったのだろう。リアルに嘘を演じるのか、浄瑠璃のように嘘丸出しで迫真の演技をするのか、意地と自信と矜持がお互いの妥協を許さなかったのだろう。 役者は嘘を演じるプロでありながら自身は、自分が何者なのかを分からずにいる。それを客観的に見ながら指揮する監督もまた自分を演じている。 勝新太郎も監督業をしていたため、同じ目線のもとに自分を置くからややこしくなる。 タレントスカウトに騙される。善意を装った詐欺に引っ掛かる。うわさ話に直ぐ乗ってしまう。フェイクニュースに引っ掛かる。自分に欠けているものを補おうとして取り込んでしまうそれらは、文楽に涙するそれと根は同じだろう。お帰りの際にポチっと クリックお願いします
2020.07.23
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♪ 朝鳥の声聞き分ける 白秋はほろんちょちょちょと静けさの中‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ランキングに参加してみました 孫に英単語を教える時ちょっと気が引けたりする。親が英語教室の先生ということもあって、「r」の発音なんかをしっかりやってるのを聞かされると、カタカナ英語を教えるのはまずいなあと思うわけ。 普段の生活の中では、語尾が無声音の単語をそのままでは伝えられないし表記も出来ないので、英単語を日本語として口にしている。 「ナスは英語で何ていうのか、知ってる?」「エッグプラントだよ」ってなっちゃう。英語というより日本語として教えているわけで、孫はそのことを薄々理解している様なので、「まあいいか」と・・。ナスの実は「エッグアップル」って言うのが面白いし、キューカンバーなんてのよりずっと覚えやすい。それで、教えてやりたくなるわけ。 日本に来て生活している外国人は、カタカナ英語に戸惑うらしいが慣れてくるとちゃんと使い分けているから偉い。 DMM英会話のTVCM「ポテト編」なんかその辺のことをうまく取り入れて、日本人の心をくすぐってくる。2020年5月前期「作品別CM好感度調査」で1 位を獲得したらしい。 英語と日本語の最も大きな違いは「無声音」というものの存在だろう。他の言語を知らないので他とは比較は出来ないが、母音の中で生きている様な日本人からすると、何じゃそれって感じ。私なんか、まともに無声音で発音した記憶がない(つまり英語が話せない)くらいの、遠い遠い存在だ。 英語の無声音はこれだけある。 「 c f h k p q s t x 」 プ・フ・ク・ツ・ス なんていう覚え方があったっけ。 面白半分で、無声音のつく単語を使った文を作ってみた。早口言葉みたいで面白い。 Burn shrunk shrimp to heat with hot pork fat. 海老を豚肉の熱い脂肪と一緒に熱して焼きます That top is quiet, quick and silent. あのトップは静かで、音もなく素早い The fox struck the cat's teeth with a soft bat. 狐が猫の歯を柔らかいバットで打った Pick up the pink fat in the box and cut it thick with a sharp knife. 箱の中のピンクの脂身を摘まみ上げて鋭利なナイフで厚く切る ★「Google翻訳」が流暢に(最初は普通に、2度目はゆっくり目)読み上げてくれます。コピペして、ヒヤリングの参考にどうぞ。 北原白秋の歌 ♪ 下り尽くす一夜の霜やこの暁をほろんちょちょちょと澄む鳥のこゑお帰りの際にポチっと クリックお願いしますにほんブログ村
2020.07.02
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♪ 若き日を懐かしむのは今少しこころに余裕があるということ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 私は若い頃、「反応の鈍い、リアクションの出来ない男だった」と、つくづく思う。何でなのか分からないまま、友達や知人が言うことに対して無反応な態度で接していた。 多分、自分というものが肯定できないのに他人のいう事になどリアクションできないという暗黙の足枷があって、自分の中に閉じこもっていたのだろう。自己中心的なクソ面白くもないヤツだった。 若い時と違って40代の最も活動的だった時期は、「あなたは顔が広い人ですねえ」とよく言われていたが、その頃にこの鶴見太郎のような態度で接して居れば、もっと違った世界が開けていたかもしれない。 「魔法の言葉」、相槌の「そ段活用」というのがある。いいイメージの相槌を打って会話の潤滑油として話を引き出すことば。これは探偵でもあるコンサルタント「谷口敏夫」さんの提唱しているコミュニケーションスキルの一つで、彼が実践しているもの。何千社、何万人とのカウンセリングの中から体得した、相手の話を聞く時の究極の秘術。相槌の「そ段活用」 シンクロ(共鳴)し、共感し、オウム返しし、話を要約してあげて本音を吐き出させる。話に弾みがついてつぎつぎと言葉が湧いてくる。大きなアクションで、「そ段活用」「魔法の言葉」でつなぎ、内容を確認してあげることで、聴いてもらった方は、大いに満足するというもの。「魔法の言葉」これを手帳に挟んで持ち歩く しっかりと相手の話を聞いてあげて100%かそれ以上のものを引き出してやる。そうされた相手は十二分に心が晴れ、悩みも雲散霧消し、よく聞いてくれたとばかりに感謝されるという。感涙されることも多いとか。 この「折々のことば」の切り抜きが出て来て、この忘れていた「そ段活用」「魔法の言葉」を思い出した。今は、出歩いて人と会うことも少ないし、コミュニケーションをとること自体があまり無い生活ではある。 しかし、最近少し気分が変わって来ていて、昔のようにはいかないまでももう少し前へ出て行こうかという気になっている。このコミュニケーションスキルを頭に入れて置くのも悪くないと・・・。 谷口敏夫氏は「ハートフル おとなの学校」を主宰していて、実践型心理学を全国に広めています。
2020.01.30
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♪ 時を止め留められたるときに入る十年前のブログ日記の‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥今朝の空 事情があって過去のブログの画像が表示できなくなっている。このところ、それを修正する作業に勤しんでいる。古いものにもアクセスがあるので、画像が表示されていないのはちとまずいので。画面デザインも途中で何度も変えているので、画面のバランスが崩れているのを直す意味もある。 今は2010年のところをやっていて、11年前にこんなことを書いていたのかと、すっかり忘れている文章に自分で感心したりしている。 2月16日の日記にはこんな事が書いてあった。 ソニーミュージックレコーズの社長・村松俊亮氏の大切にしている五つの言葉の頭文字「あいうえお」。それは「愛・命・運・縁・恩」。 また、中東で事業を興し、現地人を使いながら事を進めるある人は、4つの「あ」のつく言葉を。「慌てず、焦らず、諦めず、当てにせず」。 何時の時代になっても通用する、重要な意味を含んだ言葉ですね。「愛・命・運・縁・恩」など大切さは分かっていても、案外蔑ろにしていることを気づかされる。 短歌をまとめるため、すべての歌を書き出す作業も並行してやっているものの、こんな余分なことをしながらなので遅々として進まない。昔のことが思い出されて、ついつい立ち止まったりするのがまた楽しいのです。 しかしまあ、よくも毎日毎日書くことがあるものだと自分ながら感心したりもしている。その面倒で楽しい作業はもう少し続きます。
2020.01.16
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♪ やじろべえのごとくに立ちてやり過ごすどうせ宇宙の芥にすぎぬ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 自分の事で精いっぱい、その自分さえ持て余している人も多い。生き甲斐だの自分探しだのと言っていられるのは、ある意味で贅沢なことに違いない。 本来は生きる事そのものが困難で、艱難辛苦なくしてはあり得ないものなのだろう。人間以外の生きものを見ていると、つくづく人間は恵まれた生き物だなぁと思う。突然変異を重ねて進化してきただけの生物が、万物の霊長などといってふんぞり返っているのは、大いなる勘違いなんじゃなかろうか。拡大します 「神は心に宿る」ということを思わずにはいられない。92年の平坦ではない日々の中で培った精神の奥深さ。絶望を越えたところに見出した絶対的な何か。諦観と達観そしてその絶対への迷いのない奉仕。憎み合い奪い合うこと、欲望という名の生き甲斐、排他することでしか成り立たない自己、それら言わずもがなの現状を見つめる冷徹で聡明な魂。 原稿が必要なはずもなく、愚かな己を如何に改めるべきかを普遍的な言葉で語るだけの事。 陰陽相俟って成り立っていることの理を心胆奥深くに据えながら、色即是空に身を任していく覚悟・・。
2019.07.18
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♪ 「アッサラーム・アレイコム」って言ってみる米朝首脳に 神の平和を アッサラーム・アレイコムは、イスラム教徒間の「こんにちは」の挨拶。言葉の意味そのものは「神の平和」。でも気楽に「サラーム」と言うのが普通らしい。‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 世界中が吃驚した突然のトランプ大統領の、金正恩朝鮮労働党委員長訪問。SNSで呼びかけて、それがすんなり受け入れられてのことだというから尚更だった。実際はそんなに単純な話ではないだろが・・・ しかし、これにどれほどの意味があるかと言えば、多くの人々が眉唾の目で見ていたに違いない。双方が、自国民に対するパフォーマンス的な自己宣伝だというのは明白だからだ。拡大します いつも喧嘩している「お山のガキ大将」同士が、「俺様は偉いんだぞ~」「あの凄いやつと気楽に会って、お前らのために話も出来るんだぜぇッ」と、子分たちに見栄を切っている。なんと漫画チックなことか。大騒ぎするほどの事でもないだろうに・・ 大統領選挙が終わってしまえばケロッと忘れて、またチキンレース的ディールが始まるだろう。 ごあいさつ 詩 谷川俊太郎 どうもどうもいやどうも いつぞやいろいろこのたびはまた まあまあひとつまあひとつ そんなわけでなにぶんよろしく なにのほうはいずれなにして そのせつゆっくりいやどうも Side A 01 ごあいさつ 02 失業手当 03 年輪・歯車 04 鮪に鰯 05 結婚 06 アイスクリーム 07 自転車にのって 08 ブルース 09 おなじみの短い手紙 Side B 10 コーヒーブルース 11 値上げ 12 夕焼け 13 銭がなけりゃ 14 日曜日 15 しらみの旅 16 生活の柄高田渡(vocals/guitar/mandolin)大滝詠一(guitar)鈴木茂(guitar)細野晴臣(bass/piano)松本隆一(drums)池田光夫(bandoneon)石田順二(fiddle)中川イサト(guitar)木田高介(piano)岩井宏(chorus/banjo)加川良(chorus)遠藤賢司(chorus) なんとこのCD、オリジナルレコーディングのリマスターで、40分25秒もある。谷川俊太郎の詩のものは、この「ごあいさつ」だけ。70年安保闘争が挫折し、学生運動はセクト主義、過激化へと向かっていった71年に出た。 ’70年は大阪万博があり、私が蟹族として日本中をほっつき歩いていた時期と重なる。三島由紀夫が、世間をあっと驚かせて自決したのはこの年の11月だ。 この谷川俊太郎の詩をそのまま読んだだけの、たった27秒の曲をレコードのタイトルにしてしまったのは、2012年レーベルのプロデューサーだった三浦光紀氏。全40タイトルのリイシュー敢行した。純粋な自作の詩は A-7、B-1、B-4、B-5の4曲のみだ。 このCD評に、こんなのがあった。 「高田渡は過大評価されすぎです。他人の詩に向こうの曲をつける事など多い渡ですが、自分であまり歌を作りません。また渡自作の歌はあるにはあるのですが酷い出来で、他人の詩や曲を使用したいぐらいです(笑)。 歌が上手いわけでもなく、ギターはまあまあなのですが、それだけの人です。仙人風の風貌、何か凄そうな雰囲気、何か過去がありそうな佇まい・・・しかしそれらはただの周りの思い込みであり、素の高田渡はただのアルコール中毒患者です。この「ごあいさつ」も完全な自作の歌は少なく、はっきり言って他人の褌で相撲を取るアル中です。 いい加減、過大評価はやめましょう。高田渡はシンガーとしてはお話にならず、またほぼソングライターでもありません。じゃあ高田渡とは何なのか??それは、ただのアルコール中毒患者です。」 私自身は自己改革に必死だった時期でもあり、こんな歌は「クソクラエ」と歯牙にもかけなかった方だ。今聞き返してみてもどうってこと無い。なので、何ともこの批評が心地いいのですが、ファンには怒られそうだ。 このアルバムについては、「Flying skynyrdのブログ」に詳しく書いてあるので、興味のある方はそちらをどうぞ。高田渡 自衛隊に入ろう(クリックでYouTubeへ)
2019.07.03
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♪ ピピちゃんと共通語なく虹の橋通じ合えないおとことおんな‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 自動翻訳機の出した訳を鵜呑みにするのは危険だという話。大阪メトロが「堺筋線」を自動翻訳機を使って「サカイ・マッスル・ライン」と訳し、そのまま公式サイトに載せて問題になったとか、「香港が中国になるのはとても悲しい」という英語を中国語に訳すと「とてもうれしい」という怪しげな現象を引いていて、興味を持った。拡大します。 私もたまに英語の単語や文章をGoogle翻訳やExciteで訳すことがあるが、確かに日本語に訳すことはかなりハードルが高い様で、妙な文章になっている。その反対に日本語を英訳した場合、どこまで正確なのかは知る由もない。自分のHPにサイト全体を英訳するボタンを設置していたこともあるが、今はそれも外してある。 1973年、長崎県生まれ。専門は、言語学、自然言語処理。著書に、『白と黒のとびら-オートマトンと形式言語をめぐる冒険』、『精霊の箱-チューリングマシンをめぐる冒険(上・下)』(共に東京大学出版会)がある。 川添愛さんは、もともと日本語を専門とする言語学者で、私たちが「母国語をなぜ話せるようになるのか」を分析する研究していた。その後、「自然言語処理」というコンピューターで言語を扱う分野に移って約10年。言葉を理解する機械を研究・開発する現場に携わってきた人らしい。 「言語学の目的は、言葉に関係ある現象を科学的に説明することですが、自然言語処理はコンピューターを使って言語を分析する先に、何か役に立つものを作ろうという意識があります。検索エンジンや、IBMのワトソンのように質問したら答えてくれるコンピューターなど、実生活に応用されています」 「人工知能に対する見方にもかかわるんです。人間のやっていることをたいしたことないと思うなら、人工知能もすぐ人間並みになると認識するでしょう。でも、実はかなり高度なことを人間はやっている。開発はまだまだ発展途上です。この本が、人工知能に対して言語学の側から活発な議論が生まれるきっかけになればうれしいですね」顔と声とが一致しない感じ。おちゃめなところも有るようで、好感が持てる。(クリックでYouTubeへ) 友人が気楽な感じでインタビューしている。part1で本を出版するに至った経緯とかエピソードを、part2で「働きたくないイタチと言葉が分かるロボット」の内容について語っている。藤子不二雄の漫画の話が出て来たりしておもしろい。 この本はなかなか面白そうだということが分かって来て、まんまと引っ掛かって読んでみたくなったぞー。 「Ai kawazoe」の名でTwitterをやっていて、そこのプロフィール画像がこのイタチのイラスト。そのイタチを使うようになった経緯がpart3で語られている。本のネタバレになる話もあるらしく、全部は聞かない方がいいようなので、私も途中で消した。
2019.06.28
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♪ 猫のいて遠出のできぬわが妻の予約の本がつぎつぎと来る‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ ヨーロッパでは水と塩だけでパンが練られるのが普通で、日本の食パンの生地は、牛乳や脱脂粉乳で練られ、バターなどの油脂が添加されているものが多い。それで、日本の食パンの多くはヨーロッパでは菓子パンの扱いになるらしい。 トースターで焼くと、砂糖が多いものはすぐに焦げ目がついて、あっという間に焼き上がる。その焼き上がる様子で加えられている砂糖の量が凡そ見当がつく。時どきパンの種類を変えるので、その度に焼き加減が変わる。 ちょっと甘すぎるものが多い。デニッシュ・パンなんか、あっという間に焦げてしまう。 乳製品、卵、油脂を使わず、ほんの少しの砂糖(米粉も加えてある)で作られているナブレ社製(愛知生協が扱ってる)の「自然派styleパン・ド・ミ」が好きで時どき食べる。当然、焼く時間が長く、焦げ目も付きにくい。♪ 焼き上がる焦げ目で分かるパンの味パン・ド・ミはまだトースターの中 「パン・ド・ミ」とは、フランス語で「pain de mie」、「中身のパン」という意味で、基本的にフランス人はバゲットのように皮を好んで食べる。「中身を食べるパン」という意味でこの名がついているらしい。 その説明からするとこの生協のパン・ド・ミは、皮も中身もサクサクの一体感があり「中身を食べるパン」という感じではない。どちらかというと米粉のパンに似ている。 どうも、フランスパンの中身が好きな人のために作られる「ハード・トースト」という食パンがあってそれに近い感じだ。小麦粉とイースト、塩、水だけでフランスパンと同じ材料構成の生地を、食パン型に入れて焼いたものだ。生地を食パンのようにぐっと立ち上がらせるために、小麦粉はフランスパンよりさらにグルテンの多い最強力粉を使うらしい。 この「ハード・トースト」に米粉を混ぜてオリジナル性を出したのが「自然派styleパン・ド・ミ」らしい。国産原材料にこだわり、添加物に頼らない商品作りからこの名称を使っているようだ。人気の食パン「パンドミ」!あなたはパンドミの正体を知っていますか? 「食パン」は、日本の造語で、定義も「食パン型に入れて焼いたもの」ということ以外、内容については特に決まりはないというから、こんなややこしいことになる。 「ドンク」では「食パン」を「パン・ド・ミ」の名前で売っていて、こちらの方が本来のパン・ド・ミに近いのかも知れない。
2019.05.02
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♪ 花韮の天色(あまいろ)にぬれてひかりおりいつか記憶のふちに消えらん‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ カズオ・イシグロは記憶をテーマに小説を書いている。記憶はいくらでも脚色できるので、このテーマを見つけ出した創作者は手を打って喜んだかもしれない。 サルバドール・ダリにも記憶をテーマにした有名な絵がある。「柔らかい時計」や「溶ける時計」と呼ばれることもある絵で、「硬いもの」と「柔らかいもの」という両極に対する執着がひとつの画面に圧縮された作品と言われている。「記憶の固執」(1931年) キッチンでガラが食べていたカマンベールチーズが溶けていく状態を見てインスピレーションを得たという「溶けている時計」。ダリは「進行する時間」と「溶けていくカマンベールチーズ」が同じように見えていたという。画面の3つの時計の時間は異なっている。つまり、絵の中の世界は、現在の記憶と過去の記憶が入り乱れる夢の時間の状態、無時間を表現しているという。「脳の動き」を再現したアートイスタンブールのPilevneli Galleryに展示された(クリックで「TABI RABO」のサイトへ 人間が記憶を呼び覚ますときの「脳の動き」を表現した、インスタレーション「Melting Memories」。刻々と変化してゆく様に、ただ見とれるばかり。 これも脳のコンピュータ画像を基にはしてイメージを立体的に膨らませて創作した世界だ。これをダリのようなアーティストが扱えば全く違うものになるのだろう。 憎たらし悪行をした人でも死ぬと、それら諸々がそぎ落とされて、良いところだけが美化される。記憶される内容が人によって違うし、その記憶のイメージにも格差が有るだろう。記憶から厭なものを排除して、人は皆、善人になりたいのかも知れない。★午後に西日の方を向いている。 庭に咲くハナニラは春に花を咲かせて、花が終わるといつの間にか葉を枯らして消えてしまう。貝母と似て奥ゆかしいというか遠慮深いというか。そのくせ繁殖力が強いのは、その省エネ的生態のおかげなのかな。管理不要の手間いらず。 ハナニラは光に反応する性質で、夜や曇り、雨の日は花を閉じてしまう。太陽に向かって花を咲かせるので朝は東を向いて、午後は真上、夜は西を向くという動きのある花なんだね。
2019.04.05
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♪ ケセラセラあなた任せの風まかせ天変地異と地頭には勝てず‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 結婚25年記念は銀婚式で、50年記念が金婚式。その間にあるのが40年記念のルビー婚式だとか。わが夫婦は、今年の4月1日がそれにあたっていた。だからといって別に何もせず、焼き肉を食べにいたぐらいなもんです。 19世紀のイギリスでは、結婚5年・15年・25年・50年・60年の記念日を祝う習慣が定着していたといいますが、貴族の間のもので一般庶民がやっていたなんてことは想像できないけど、どうなんだろう。その習慣がアメリカに伝わって、結婚1年目から15年目までは毎年、15年目から75年目までは5年ごとにそれぞれの記念日が作り出されたというのも、何か作意が感じられますね。貴金属を扱う業者が考え出したものじゃないのかな。ルビーカカオ豆。約10年かけて開発。(クリックで記事へ) クリスチャンでもないのにクリスマスが定着しているのは、舶来の文化に憧れていた明治の気質が影響しているのだろうし、西洋かぶれの島国根性としか思えない。日本人はそういうハレの祝い事や縁起を担ぐのが好きなので、「した方が良い」と言われると直ぐに反応し、祭りごとにして楽しむことが上手い。バレンタインのチョコやハロウィンにしても、そのイベント性に乗っかって楽しんでるだけだ。文化的意味や民族性なんて興味が無いし、楽しむことには関係ないと思っている。その事に何の疑問も持たないでいられるのもオメデタイことだ。 そんな気質だから、外のものをどんどん取り入れて自分流にアレンジし咀嚼していく。同調意識が強く国内で競争する様にして乗っかっていく。その習性が、内需拡大を伴って経済発展につながって行ったというわけだ。 それに浮かれている間に新興国が勃興して、かつての日本と同じように発展してきている。それに気づいた時すでに遅しで、足元をすくわれて喘いでいる。成長点の細胞が老化して成長が止まった老木みたいなものだ。ひこばえを伸ばしたところで根幹を成すことは出来ない。 突然変異のような何かが起こって、全く新しい芽が伸びて来るような事がない限り、遅れを取り戻すことは出来ない。石原のぶてるのマスコミ語録で紹介(クリックで記事へ) イノベーションだのリノベーションだのとやたらに横文字を使って誤魔化している。古い体質の頭の硬い老人が政財界を牛耳っている(老害)内は、この国の新しい芽は育って行かない。これら傷口を覆っている「瘡蓋」のようなものが、ポロっと取れて新しい皮膚が見えてくるまで、あと10数年は待たなければならない。 日本が本当に再生するための萌芽は、戦後の焼け野原のような状況下でしか実現できないのかも知れない。それはまた、日本だけの話でもなさそうで欧米の先進諸国が抱えている問題でもある。 災害がこの国を育てて来た。方丈記でもひもといて、諸行無常の摂理を腹に据えておくこと。その覚悟がなければ、われわれは決して幸せになれない。どろどろに溶けたマントルの上に乗り、浮かんで揺られている地表は荒海に翻弄されている小舟みたいなものだ。
2019.04.03
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♪ ツラにあるイヤなものとは失礼なエクボのできる女優や愛(かな)し‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ エクボが出来る女優やその他の有名人は、そのエクボによって独特の雰囲気を持っている。私の好きな有名人にもそんな人が沢山いる。エクボ・フェチという訳でもないが、多分、エクボのある顔が好きなのだろう。単なる偶然なんて事はないはずだから・・。 大まかに好きな順に列挙すると、多部未華子、相武紗季、吉高由里子、伊達公子、川口春奈、三浦理恵子、白石美帆、相田翔子、百田夏奈子、大島優子、ミランダ・カー・・。この他にもエクボのある人は沢山いるようだが、名前を知らなかったりするので書き出せない。 靨(えくぼ、ヨウ) 厭は、壓(オウ)=おす、おさえる の略字。 笑う時に顔面に指でおさえたあとの様にあらわれるくぼみを意味する。えくぼ(笑窪)、笑輔、頬輔、壓面。 つまり、この字は嫌なものが顔にあるという意味では無さそうだ。自面だけでは本当のところが分からないという典型の文字だ。 しかし、考えてみれば、往年の女優でエクボのあるような人はいなかったように思う。靨の文字のイメージそのままの価値観が通用していたのだろう。特に片エクボなんかは確かに、均整を保つべき顔の形を崩すわけだから、美しいわけがないと思われていたのも頷ける。 エクボが受け入れられているのは最近の特徴なのだ。一種の欠点が、今ではチャームポイントに変わったということになる。 幼さや未熟さを嫌う時代には認められなかったものが、すべてが低年齢化している今の時代にマッチして大衆化したという訳か。 エクボのある顔が好きな私は、そんな未熟で未完成なものに親近感を覚えている幼稚なオッサンなのかも知れない。
2019.02.28
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♪ 北風に吹かれし後の身の温みおさなは林檎のほほに見せおり‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 年を取ると、分かってくることがある。 他人の過ちだけでなく、自分の過ちも許せるようになる。 辛かったことも ー彼女の言うようにー いい思い出になっていく。 それらは、人を成長させるために与えられたエクササイズだったとも思えて来る。 年月が傷ついた部分を修復して、ガラスが銀化する様に美しいものへと変えてくれる。 それを否定することは、生きて来たことそのものを否定することになる。 だから、その傷痕を悲しんではいけない。
2019.02.12
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♪ 砂浜にきらりきらりと光る粒上になったり下になったり‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ パラドックス的な論にも見えるけれども、私にはとてもよく分かる。「目から鱗」と納得した人も多いんじゃないでしょうか。 仲間に入って孤独を癒そうとしても孤独を感じてしまう。その孤独から逃れるために、時に他に攻撃を加えたり排除したりする。そのことで結束を図り一体感を得ているわけだ。同じ目的・方向性を持つことでその仲間にいることの正当性を図ろうとするというわけだ。 必死で孤独とたたかっているとも言える。 逆に孤独に罪悪感を感じている人が集団に入れば、個を消して集団に埋没することで一体になろうとする。孤独感は薄れても、個を消しているために自己を維持することは出来ない。烏合の集団は、やっぱり孤独が溶け込んだ泥水みたいなもの。何もしなければ底に沈殿していくばかり。 「愛の反対は憎しみではなく無関心です」マザー・テレサも言っている通り、「無視される事が最も悲しいこと」。存在を完全に否定されている状態が本当の孤独なのでしょう。 独居老人とか孤独死とかいう言葉を安易に使うのはどうかという意見がある。この言葉の背景にあるのは、独りは淋しいということではなく、周囲からも国や自治体からもその存在を忘れられ、或いは無視されている状態に有るという意味が含まれている。 「独りでいることは孤独である」と決めつけてしまっては、この哲学者が言うように知性的な発想は生まれ得ない。十人十色である以上、全てが「個であり孤である」わけで、それを無視して生きることなど出来ない。 人は本来孤独なのだ。異常でも、悲しむべきことでもない。 教育者たるものは、この哲学者の言う「孤独は感情よりも知性である」という命題をもって教育に当たってもらいたいと思う。 理想的な社会とは、美しい青い色に輝いているみずうみの様なものでしょうか。 鉱物の粒子がコロイド化して水に溶け込み、固着することなく個々に存在してそれぞれが光を反射させながら、安定したバランスを保っている。 美瑛・青い池
2018.11.18
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♪ 松籟に耳を澄ませば聞こえ来る 汝(な)のことづてに こころ開きぬ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 「風の声」 静かに流れる風に耳を澄ますと 何かが聞こえてきます。 透明な光りの中を流れる風には 神霊の無言の詩(うた)が託されています。 澄んだ風の声は 静かに心の中を通り過ぎて 何かを残していきます。 私は、そんな風の声を いつも聴いていたい。 -- kyu -- 風は多くのものを運んできます。風が動けば気も移り変わる。 また、我々は風によって様々な恩恵と影響を受けています。 日本語にはそれが如実に表れていて、風の字を使って精神的な事柄までも表わそうとしています。風は心の風景でもあります。 風土、風流、風光、風物 風味、風俗、風紀、風采、風趣、風雅、風格、風習、風情、風韻 風貌、風刺、風評、風潮、風説、風聞、風体、 ラテン語の 「spiritus」 は神の吸気のことであり、文字どおり英語の吸気 「inspiration」 に当たる。また、風と霊の双方を表す 「anima」 という語源から、魂を表す 「animus」 、息を吹き込むという意味の 「animare」 などの語が生まれ、それが英語の 「animal」 まで来ている。 「息をする spirare 」という語源からは「霊魂 spirit 」「熱望する aspire 」、さらには「霊感、鼓舞 inspiration 」という語が派生している。 ギリシャ人は風と精神をともに 「pneuma」 と呼んだ。 ヘブライ語とアラビア語でも 「ruh」 は息と風の両方を意味する。 「風に真っ向から吹かれると賢くなる」と、ある詩人は行った。 人間にとって、風は「精神」と密接な関係にある事が良く分かりますね。「日歌」が千首を超えたのを機に「游歌」とタイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートすることにしました。★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選
2010.12.19
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♪ 待ち伏せを喰らったように 玄関でまくしたてられ 吾は煮凝り ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ しゃべる相手がやっと帰って来たとばかりに、「ただいま」と玄関に入るや否や用件をまくしたてられる。 おいおい、もう少し待ってもいいんじゃないか? 一刻を争うような事かい? 昼飯も食べずに腹ペコで帰って来て、特別に急ぎでもない用件を靴を履いたままの状態で言われても聞く気にもなれない。返す言葉も見つからずただ固まって、「煮凝り」のように”ぷるっ”とするぐらいが精いっぱいだ。 「話を聞かない男、地図が読めない女」によると、女は一日に二万語しゃべらないといけないように出来ているらしい。家にいて消化できなかった残りの言葉を、堰が切れたようにまくしたてるのはごく自然なこと?なのかも知れない。 女の二万語に対して男はたったの七千語でOKだ。 その大部分を外で使い果たして帰って来て、妻の消化話に付き合わされるというわけだ。 何を言っても「うん」とかしか言わない男に、もうしゃべる言葉が残っていないのです。そうでなくてもロクでもない(失礼)話題が多いんだから、男にとっては災難に遭っているようなものだ。 おしゃべりな男も無口な女も世の中には沢山いて、例外と言うのはどこにでも転がっている。 男でも女脳的なのが12%、女では10%が男脳的であるらしい。「明石家さんま」はその例外中の例外だ。 たいがいのお笑いタレントは家に帰ると無口になるのが多いと聞くが、「さんま」だけは違うらしい。四六時中しゃべっているらしく、回遊魚のようにしゃべり続けていないと酸素が取り込めないのかもしれない(笑)。 もしかして、寝ているあいだも口を動かしているんじゃないのかな。 他人の笑いをとれるというのは確かに得なことで、事あるごとに人を笑わせてる話術に長けた人が職場に一人や二人いるもんですね。 私なんか、そんな人にただただ憧れてしまう。 笑いを取って、その場を明るい雰囲気に換える才能のある人って得ですよ。「日歌」が千首を超えたのを機に「游歌」とタイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートすることにしました。★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選
2010.12.08
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♪ 草原に遠く光ていかづちの老騏はいまだ走りつづけむ 精神年齢はたいがい実際の年より5つぐらい若いものですが、その反対を言う先輩がいて意外な感がありました。その70過ぎの先輩は「心に齢が追いついて来ない」という表現をしました。よく聞くと、理想とする自分に実際の自分がなかなか追いついて来ないという事らしい。面白い言い方だと思いました。「老騏櫪(れき)に伏すとも志千里にあり」という言葉があります。駿馬は年老いて馬屋の櫪(横木)につながれても、なお千里を走ることを思う。英雄は年老いてもなお偉大な志を失わない。という意味。肉体よりも心が先を走っているという人は、やはり精神が若いということでしょうか。ただ若いというだけではなく、理想と自覚を持って日々を送っているということの証しでしょう。単に気が若いというだけでは侘しい。 お願い「日歌」が千首になった記念に「ベスト百」を皆さんに選んで頂いています。貴方もお好きな短歌を選んでくださいませんか?下記の中から、気に入ったものがありましたら投票をお願いします。(何首でも結構です)番号をメールでお送りいただくか、コメント欄に書き込んで下さい。ご協力いただいた方に、「石に描いた梵字+言葉入りハガキ」のお好きなものを「2枚」差し上げます。終了しました。
2009.05.10
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♪ 大座布にかしこまりたる8歳の 喫茶去(きっさこ)の声に笑みてのぞめり 年貢寄せといって、お寺に借りている土地代を支払に行く日があります。少しばかりの土地を借りているので、先日すぐ近くにあるお寺に行ってきました。 土地柄から必ずお抹茶を振舞ってくれます。 私のすぐ後にきた母子連れにも当然お抹茶が出されました。母親の方へ出されたのですが、母親はそれを横に座っている息子の方へ譲ってしまいました。 聞くと、8歳のその子は抹茶が大好きで、今日はそれが目的に付いてきたのだ言う。 美味そうに和菓子を食べ、美味そうにお茶をすすっていた男の子。 安物ではあるが抹茶を立てる道具を与えてあり、家でも拙い仕草で抹茶を立てているのだそです。お寺という場所にも違和感なく溶け込んでいて、落ち着いた様子は大人たちの会話にも入って来そうな気さえしました。 将来この子はどんな大人になっていくのだろうかと、見ず知らずの母子でしたが少しばかりの興味を覚えた。 喫茶去(きっさこ)とは禅語で「よう来られた、まあお茶でもどうぞ」という意味。 元々は「お茶でも飲んで出直して来い」というのが本来の意味で、相手を叱咤する語であったのが、後にお茶でも召し上がれ、の意に解されるようになったものらしい。
2009.02.11
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