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2024.01.18
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カテゴリ: カテゴリ未分類
山本健造先生の弟子の会の人達の、天孫降臨の地を訪ねたYoutubeを何回か見ていると、はからずも阿波(四国)高天原説のものが沢山表示されるようになった。飛騨高天原説よりは阿波高天原説のほうが断然人気がある。本当か嘘かもわからない古代史になんか興味はなかったが、失われたアークについて興味があったのでーなにしろ私はモーゼの十戒が好きなのでー剣山の話は結構読んだし、ついでに死国の本も手に入るものは全部読んだ。

結果。四国高天原説は少しは考慮すべし。ただ全体としては否定。まー心がそういう。
阿波では天皇即位時にあらたえ)を用意する。私はずっと稲穂だと思っていたが、古代史関心ない頃に流れていたテレビで聞いたようなそうではないような感じだから「あらたえ」との記憶違いなんだろう。その頃に阿波は天皇家に何らかの意味ある場所との認識を持った次第。
謎解き出来たような思い。まー忌部氏でしょうね。

私自身はその以前にも以後にも阿波には結構ご縁があり、何年か前にはわざわざ立岩神社?天岩戸にも行ったし、大粟神社にも行った。大粟ではいやいや魂抜き取られそうでしたが。庭では神主さん?が銀杏のお掃除されていて、これをあげましょうとラッパになった銀杏の葉っぱをくださった。お財布に入れておきなさい。お金持ちになれますよ、と。
私の性格ではお金持ちにはなれそうもないけれど、その銀杏は今も私の財布に思い出として入っている。
話脱線。


が、阿波と飛騨だけでどちらか聞かれると、それはやはり飛騨高天原説である。
手書きの駒ケ根風土記のほうをぜひ読んでみたい気もするが、先生が口伝を授けたとされる老人は乗鞍神社近くに住んでおられた方と、もう一人は登山道で迷った先生の行く手を遮っていた濃霧をパっと晴らして下さった仙人さんでしょう。
私は先生のお人柄を研究所に通っていない人達よりはよく知っている。先生は決して嘘偽りを言う方ではないし、漫談を聞いているように面白い話をされる方ではあったけれども、事を誇張して言われたり、ありもしないことをあったように言われる方ではなかったから、先生の書き留められた口伝は、そのお二方が言われた、そのままののものだと思う。そうして先生は弟子の方達とずっと実地検証された。
それをまた今、お弟子さんたちが歩いておられるというわけだ。
しかしだから先生を支持するというのではない。あくまで二つのうちどちらかと問われればである。
私は混沌を楽しむ人間だから、心の赴くものは何でも読む。となんとなく自分の中で茫洋としたものが現れだす。今の所はそれが私の古代建国史。
結局のところ、未だ私の高天原古代史は臓腑にストンと落ちないってわけだ。
建国史で私が大いに疑問に思うことに腑に落ちるような説を言って下さる方あれば、なんなく私はその説をとるかもしれない。

奈良を人々の都には今の時代だったら分かる。
しかし2000年以上(先生は古事記・日本書紀は200年くらいサバをよんでおるなと仰っていたが)もの昔に、誰がどこにいてどういう情報が入って?どうやって国土を調べて?奈良がいいと?
その昔は奈良は中央が湖だったというが、単純に四方が山ではない。枚方は今でもくらわんかの名が残るし、司馬さんは近江までは大阪からでも奈良からでも舟ですぐだったというし、岡山でも高梁まで日本海からは舟だったし、龍田大社も広瀬神社も舟で三輪まで行った名残である。

なぜに奈良だったか?
私は神武は好きだけれども、何故に海だった日下から生駒越えを選ぶのかそこはもっとも分からない所だ。古代は舟ならもっと簡単に奈良に入れる所はあった。そもそもの話が橿原に入ろうと思ったのかどうか。矢田丘陵あたりを高天原?かに比定している人達もいるが、どちらの奈良に行こうとしていたのかも大いに考えるところである。





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最終更新日  2024.01.18 00:00:14


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