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・・・と、ここまではある意味簡単に話が進んだわけであるが、ここからは少し違う。こまったちゃんの代表例として登校拒否の問題を挙げさせてもらったのだが、それ以外にもたくさんある。それら全ての親・大人・権力者(ここでは『国の方針』とした方がいいかもしれない)に従わない児童・生徒たちの言動に心底心を痛めている人たちのケアも我々は忘れてはいけないのだ。そう、保護者のみなさんだ。もちろん家族のみなさんもそうだ。好ましくない表現かも知れないが、語弊を恐れず言わせてもらうと・・・たとえば自分の子供が登校拒否になって喜ぶ親や家族はおそらく皆無だ。私の知る限りでも今までに1人しかお目にかからなかった。そのお父さんは娘さんが中1のゴールデンウイーク明けから学校に行かなくなったとき喜んだ。「わしも学校なんか大嫌いやってん!さすが我が娘や!」と(もちろん一人で)祝杯をあげたと聞いた。これは稀有なケースなのだ。ほとんどの場合、保護者のみなさんは心を痛めるのだ。
2024.02.27
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ところが最近はといえば、登校拒否の児童・生徒の数が年々増えてきている。学校の先生の力量不足だという声もいまだに上がっているようだが、それは多くの場合違う。私に言わせれば世論が学校をそうさせたのだ。しかしそれは目線を変えれば、世の中が学校に行きたくない児童・生徒たちの声に耳を傾けるようになってきた証拠でもある。こまったちゃんをこまったちゃんとして扱うのではなく、一個の人格として認める社会になってきたのだ。
2024.02.26
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しかしここ30年ほどで、これらの動きに従わない子供たちも多く出現してした。もっと正確にいうと、それらの子供たちを受け入れる体制がこの国に根付いてきたと言える。そのひとつが登校拒否だ。皆さんはどう思われるだろうか?私が子どもの頃は学校に行かないなんてありえないことだった。理由もなく学校を休む、しかもそれが何日も続くなんて・・・もうそれはこまったちゃん中のこまったちゃんであった。
2024.02.25
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第二次世界大戦で最後まで世界を相手に戦って敗戦した日本は大きく変化した。大日本帝国から日本国になり、帝国主義・軍国主義から民主主義になった。その前の大きな変革といえば、江戸幕府から明治政府に移行したときだ。しかしどちらも根本は変化していない。国は、いかに従順な国民を育成するかに心血を注いできた。お上(かみ)の方針に文句を言わずに従う国民をだ。それを幼児期から植え付けようとするのだからやり方が汚い!それを義務教育の学校でも植え付けようとするのだから手に負えない!大人・親・先生たちは、その片棒を担がされているのに気付くこともない!ある意味、うまいことなっとりますわ・・・
2024.02.24
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これまで大きく世の中を変えてきた人たちの中の多くの者が「異端者」「変わり者」などど呼ばれてきた。我々の良く知る中では、織田信長もイエス・キリストも釈迦も間違いなくそうだった。しかし「異端者」「変わり者」は誰の目線で見たときの発想かを考えると納得いくと思う。権力者目線や社会常識目線だ。あるいは社会常識は権力者のためにあることだって往々にしてある。その目線と異なる方向の目線を持った者たちが「異端者」「変わり者」とさげすまれていながら、大きく世の中を変えてきたのだ。
2024.02.22
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かく言う私も勿論にこちゃんの刷り込みに束縛されている年代だ。少なくともその自覚は持って生きていきたいと思っている。「自分だけは違う!」なんて言っている人間に限って何も違いはないことを十分に見聞きしてきた世代でもあるからだ。しかし!私はにこちゃんを知らない世代の人たちに大いに期待をしている。にこちゃんに全く必要性がないとは言わない。なぜならこの秩序ある平和な世の中を構築してきたもが彼ら彼女らであることも事実だからだ。その範疇を超えないギリギリのラインを知る偉大なこまったちゃんたちの出現に大いに期待をしている。
2024.02.21
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幼少の頃にこのような認識を刷り込まれた子供たちは大人になってもその本質は変わらない。「上」の人の言うことをしっかり聞くいて、もちろん逆らわない。「お返事はい!元気にはい!」である。そこには個性どころか思考力も存在しない。で、「上」の人のいうことはその場その場の都合で千変万化だ。それに対応するために、「上」の人の顔色を伺い、「上」の人に気に入られる自分を常に構築しようと不断の努力と労力を惜しまない忖度人間になる。さらにこの状態の一番厄介な点は、それらを自分の意思で行っていると本人たちは思い込んでいることだ。幼少期の刷り込みに束縛されて生きていることにすら気付かないのだ。
2024.02.20
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極論ではあると思うが、結局のところ「にこちゃん」と「こまったちゃん」が幼い日本の子供たちに植え付けたのは、「大人の言うことをなんでもはいはいと聞く子」=「良い子」で「大人の言うことを聞かない子」=「悪い子」というイメージなのだ。私も幼き日はその通りだと思っていたが、学校やその他の場所で様々な大人と接する経験を経るごとに違和感が増してきた。つまり、幼いっときは「大人の言うこと」=「正しいこと」と思ったいたのだが、ときにはそうでないことだってあることを認識しはじめたのだ。少なからず「大人の言うこと」=「その場の大人の都合でどうにでもなること」の場合があるのだ。
2024.02.19
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『セサミストリート』には存在していなくて『ロンパールーム』には存在したキャラクターの方向性がある。「にこちゃん・こまったちゃん」だ。どちらもハチの姿をしたキャラクターで、歌もあった。♪にこ、にこ、にこちゃん、♪いつもよい子!♪お返事「はい」、元気に「はい」・・・といった感じの歌詞が続く。もちろん、こまったちゃんはその反対の性格で「ダメな子」のステレオタイプだ。私も含めて当時の子供たちの中には、大きくなるにつれてこの2つのキャラクターに違和感を感じるようになる者も少なくなかったと思う。
2024.02.18
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日本でも主に就学前の児童を対象にした教育を目的としたテレビ番組があった。アメリカの『セサミストリート』が1969年にはじまる6年も前に、日本テレビ系列で放送されていた『ロンパールーム』だ。ちなみに、またその『ロンパールーム』がはじまった2年後の1965年からは同系列局で『おはよう!こどもショー』も始まっている。その『おはよう!こどもショー』のターゲットは『ロンパールーム』を見ている児童より少し年長の子供たちを意識した内容となっていた。さて、話を元に戻す。この『セサミストリート』と『ロンパールーム』の方向性が大きく異なっている点が非常に興味深い。
2024.02.17
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大人となった当時の子供たちがエルモの呼びかけに本音を語ったことの意味は大きい!なぜならそのキャラクターたちにはれっきとした一個の人格が備わっていたからだ。キャラクターに人格・・・あたりまえのようであるが、ときには全くそうでないこともある。
2024.02.14
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つい2週間ほど前にエルモがX(旧Twitter)で「みんな元気?」と呼びかけた。これに対して数千人もの人たちから悲しみや苦しみそして絶望を訴える返事があったそうだ。この反響のあまりもの多さにエルモ自身も励ましの言葉を送ったが、クッキーモンスターもバートも反応し「いつでも話を聞くよ」「いつもそばにいるよ」と多くの人たちを支えようとした。そう、エルモもクッキーモンスターもバートもアメリカの子供番組『セサミストリート』に登場するキャラクターである。この番組は、子供たちに良質な教育を続けようとセサミワークショップという非営利団体が1969年からスタートさせた。まだ黒人への差別が色濃く残るアメリカ社会において、差別という概念を子供たちに植え付けないようにと、白(白人)でも黒(黒人)でもないキャラクターを数多く生み出した。就学前の子供たちをターゲットにした番組内容が功を奏し、子供たちは多くの知識をこの番組から楽しく学び取った。
2024.02.12
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本当に急いでいるとき、時間のないときに針が無くなる。補充する時間をも惜しまれる状況でだ!その都度ホッチキスの針のせいにしてきた。しかし・・・よくよく考えて目線を変えてみると、急いでいないとき・時間に余裕があるときが今の私には皆無なのだ。仕事を2つかけもち、家事を全てこなしながら母の介護・・・これを独りで毎日こなしているのだ。時間の余裕なんてあるはずもないのだ。なのに八つ当たりをしていた自分に気付いたとき、思わず言ってしまった。「すまん、ホッチキスの針・・・」これからは彼らに対する言葉に気をつけようと思う。
2024.02.11
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私は仕事柄よくホッチキスを使う!入試前のこの時期はなおさらだ。しかも使うのは2種類!20枚以内の用紙に使うものと、50枚までとめられるものだ。生徒のみなさんにお土産として渡すプリントを印刷し、しっかりホッチキスでひとまとめにする。するとやがてもちろんのことではあるが、針が無くなる。そしてその度に補充する。その補充のときにいつも口にしてしまう言葉がある。「お前は急いでいるときに限って針が無くなるなぁ~」これである。
2024.02.10
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また久しぶりに報道されていた。飲食店で迷惑行為をして、それをわざわざSNSにあげるバカのことが・・・最初はこの報道を耳に入れただけであったが、そらく間違いなしにその姿は目に浮かんでいた。で、テレビでその映像を確認すると案の定だ!!茶髪にピアス!!やはり間違いなかったで。でもこれはちゃうで!偏見やないで!単なる事実やからね。そう思っている私にではなく、そう思わせてきた連中のほうに非があるで。
2024.02.09
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もう助からない・・・と言われた父であったが、奇跡的に手術は成功した。しかし脳挫傷の後遺症は重くこれから数年の間父は記憶喪失となり、一家は大変な日々を送ることになった。・・・「一家は」というか厳密には「母と私は」と言った方が正しい・・・・・・2人の兄は「遠い」ことを理由にほぼノータッチだった・・・まあ大きく挙げればこの通りだが、2月5日は私にとって良きにつけ悪しきにつけ何かが起こる日なのだ。毎年この日が楽しみったり、少し恐ろしかったりする。この話題に触れている最中に、今年も2月5日がやってきた。今年の2月5日について述べるのは、また別の機会にさせていただく。長くなりそうなので、、、。
2024.02.08
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2月4日の夕方から父は飲み歩いていたのだが、夜8時頃から雪が降りはじめて深夜には3cmほど積もった。いつものように泥酔して雑居ビル3階にあった店から出た父は、階段から落ちて頭からアスファルトの地面に落下したようだ。偶然通りかかった通行人が発見したときには父は頭から大量の地を流して意識がなかった。その人はすぐ目の前にあった消防署に駆け込んで救急車を手配してくれたとのことであった。
2024.02.07
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それから9年経った2月5日になって1時間も経たないとき、自宅の電話がけたたましく鳴った。その頃の私は四国でひとり暮らしをしていた。電話の向こうには夫婦で奈良に住んでいた母だった。泣きそうな声で、父の命が危ないと言い出した。健康に生活していた父に何があったのかと驚いた。
2024.02.04
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この電車内で私は90歳代の男性とお話をさせてもらった。最初はその男性から話しかけていただいた。「これからどちらへ行かれるのかな?」私は大学受験のために上京するとお伝えした。すると、「もう私は東京にいくことはないだろう。」とおっしゃたあと、私を短い言葉ではあったが温かく励ましてくださった。そして終点駅に到着すると、「これからの若者と握手をさせてほしい」とステッキで身体を支えながら私に手を差しのべてくださった。あのときの大きく温かい手の感触を私は今の忘れていない。そして、あの男性に恥じない人生を歩みたいと今でも思っている。
2024.02.03
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その年の受験での結果は惨敗で進学を決められなかった。もう一度文字通り一からやり直そうと決めて、次の1年は勉強もある程度した。そして2回目の上京・・・偶然2月5日だった。ちょうど1年経ったのかとしみじみ思いながらまた最終の新幹線に乗った。しかし2回目の挑戦も思うような結果が得られなかったので、さらにもう一年勉強することにした。今度は中途半端な「ながら勉強」でなく、しっかり勉強だけをする環境を作った。偶然この年、両親が父の仕事の都合で四国に越すことになったので、その家で一年浪人させてもらえるように父母に頭を下げた。そして3度目の挑戦・・・このときは意図的に上京を2月5日にした。その日の朝、母は私を港まで見送るといって一緒に電車に乗ってくれた。
2024.02.02
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幼少期の頃の私には2月5日はただの1年の中の1日に過ぎなかった。が、19歳の2月5日はちょっとした冒険の日となった。高校を卒業して働いていた私は密かに大学進学を企てていた。職場のだれにもバレないようにと、受験会場を東京にした。夜の勤務を終えて帰宅するふりをしてそのまま京都駅に向かって最終の新幹線で東京に向かった。
2024.02.01
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