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もっとテクニカルなボケで勝負したいなら、「そら親子で大統領に就任しても、どっちの名前もジョージ・ブッシュやから同一人物やと勘違いされるっちゅうねん!」・・・などと言えればさらにいい感じでしょう。ちなみに、第41代大統領は、ジョージ・ハーバード・ウォーカー・ブッシュ。第43代大統領は、ジョージ・ウォーカー・ブッシュ。通常はミドルネームは省略されるので、親子2人ともジョージ・ブッシュ大統領と呼ばれるのです。
2024.09.30
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まずは、「この漢字の部首は?」と聞かれたときに使うべき勉強ボケの基本は・・・「あぁ~、アメリカの大統領ね!」というのがあります。そしてこのボケに対するツッコミの基本は・・・「そらブッシュ大統領や!」というのが使えますね。これはボケに対して「そら〇〇や!」というツッコミの基本テンプレートを用いたパターンです。ここで終わってもいいのですが、さらに上級者を目指すのであれば、「そら〇〇するっちゅうねん!!」を付け加えて補足説明ができればいいでしょう。ここではブッシュ大統領の補足説明をすればいいので・・・「そら親子で大統領に就任するっちゅうねん!」なんで言えるといいでしょう。ブッシュ大統領は父が代41代で息子が43代大統領なので、補足説明としては適切でしょう。
2024.09.28
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まあ大人になってから何が恥ずかしいかといって、漢字が分からないほど恥ずかしいものはない!・・・と、よく言われますが!漢字の部首の話題はボケるチャンスの宝庫です。ここは迷わずしっかりボケよう。そしてボケられたらツッコむのが礼儀です。ツッコミにはその人の技量とセンスが問われます。ただご心配なく。初心者のみなさんは、まずツッコミのテンプレートをマスターすればいいですよ。それを身につけた上で慣れて来たらバリーションを増やばいいだけですからね。もちろんボケにも技量とセンスが必要です。今回は、勉強の知識で行いますから学力も必要不可欠です。では参ります!勉強ボケ・ツッコミ漢字の部首編です。
2024.09.26
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本日2024(令和6)年9月25日・・・東京都の墨田区・港区の一部地域で水道水から異臭が発生!原因不明により都は水道水を飲むことを控えるように呼び掛けた。『異臭問題・・・ 異臭の issue [イシュー] やなぁ~ 』 と高校生諸君は明日学校でつぶやくと良いでしょう。クスっとでも笑ってくれた人は「友(とも)」です。『まあダジャレとしては分かるけど、ここは厳密に言えば [probrem] やけどな』的なことを言ってくれた人は「強敵」と書いて「とも」と呼びましょう!無反応な人は・・・そっとしておいてあげましょう!それが優しさってもんです。
2024.09.25
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しかしそれは言い換えれば生死に執着してない・・・ともいえる。執着していないということは・・・もちろん執着を捨てている・・・といえる。つまりそれは釈迦のいうところの仏界なのだ。我々人間のことを「地球上で一番高等な生物」なんていう人もいるが・・・実は一番精神的に未熟な生き物なのかもしれない。なまじ思考力や知恵をもってしまったがゆえに・・・人間が智慧をもってしまったがゆえに・・・の記述は実は聖書にもある!が、これを語ればまた長くなってしまうのでまたの機会にさせていただく。ともかく!私はカメ吉の境涯に少しでも近づくべく、今日も彼に食事を与え、水槽の掃除をしようではないか!!
2024.09.23
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哺乳類以外の動物はというと・・・哺乳類ほど感情を表にする機会は少ないにせよ、争いはある。食べ物の取り合いだったり、雌の取り合いだったり・・・しかし穏やかな時間は哺乳類よりも多いような気がする。そのあたりのことを考えると、やはり私の身の回りで一番『仏界』に近いのはカメ吉だと思う。確かに私が定期的に食べ物を与えているので『餓鬼界』に陥ることはないだろうが、もし私が突然倒れてしまったらどうなるだろうか?おそらく彼はただ飢餓状態を受け入れて、だれに文句をいうこともなく、あの水槽の中でその生涯を閉じるだろう。死を恐れずに受け入れる。生きることにさえ執着しない。その境地が釈迦のいう仏界なのだ。ただ、生死を認識する思考力がない状態を仏界と言っていいのか?・・・との疑問が残るのも確かだ。
2024.09.19
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個体差も大いにあるが、犬や猫からは仏界を感じない場面が多々ある。約23年間我が家に通ってくれた通いネコのシマちゃんは日ごろは穏やかだが、こと縄張り争いになると修羅界中の修羅界となった。昼夜を問わず戦いに明け暮れていた。昨年他界した近所の犬はいつも飼い主にほったらかしにされて1日中寂しそうに鳴いていた。近所迷惑も甚だしかったが彼にしては愛情に飢えていたのだ。悲しい餓鬼界の一生であったといえる。比較的、哺乳類は仏界とは遠い境涯で生きているのかもしれない。
2024.09.17
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カメ吉だ!!あのノープランな生き方!全く執着のないその場その場に身を任せきった生き方!あれが釈迦のいう仏界に近いような気がする。動物の全てにそれを感じるわけでは無い。しかしカメ吉にはそれをどうしても感じてしまう。確かに多少の疑問点が残るのも事実ではあるが、少なくとも我々人間よりは遥かに仏界に近いように思う。
2024.09.16
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さて・・・ここで考えたい!自分の基本的な生命状態は何界なのかを。私は高校時代に、この話を知っているある人に言われたことがある。「君は修羅界やね!」と。その人が今の私を見たら、いったい何界と思うのかが知りたいところだ。しかし自分で分かるのは、よくて人界・・・たま~に天界、後は三悪道&四悪趣を行ったり来たりしてまさに『六道輪廻』から抜け出すことは確実にできていないことだけは分かる。そこで最近たまに考える・・・私の身の回りで仏界に達している者はいるのだろうか?・・・と。それがいるのだ!!!
2024.09.15
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また『仏界』のすごいところはここからだ!「慈悲と知恵が備わった最高の生命状態または生き方」「物事の道理を正確に判断して対処していく姿勢」が普遍だというのだ・・・。普遍って・・・!?いついかなる状況でも変わらない・・・ってことなのだ。つまりは、いかなる外的要因に直面しても少しも精神が揺さぶられることがないというのだ。そんな人間っているだろうか・・・と私は思てしまうが・・・その境地を目指すのが「仏道」であり、そのための教えが記されてるのが「仏教」なのだ。本当にそのような最高境地にたどり着ける人間がいるのだろうか・・・?
2024.09.14
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鎌倉時代のある人物が書物に記した!知識は学べば身につく。しかしそれで満足してはよくて【二乗】のままだ。その知識を実際の生活の中で人として正しい生きかたができるように活かせるように考えて行動できるかどうかは知識を智慧に発展させることができているか否かにかかっている・・・と。知識と知恵の違い・・・なかなか奥が深い。たとえば今の政治をみればよく分かる!政治家は知識は確かに豊富かもしれない。しかし智慧がない。だから何十年も経済が好転しない。いまだにパワハラ・セクハラ当たり前で、ご丁寧に裏金まで用意する。知識が豊富な者が賢い・・・なんて考え方はもう捨て去る時期にきているのだ。
2024.09.13
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そして最後、すなわち人間の生命状態の一番最高位にあるのが『仏界』だ。辞書によれば「仏の住む世界」なんて記述があるが、、、ここで大切なのは、仏とは何ぞや? ということだ。「仏道」とか「仏道修行」なんて言葉を古文を学習している学生諸君は見聞きしたこともあると思う。それらは「仏の境地を目指すための道のり」だったり「そのための修行」を意味する。ではなおさら 仏って何? という疑問にぶつかる。私も私なりに様々文献を紐解いてみた時期があったが、一番端的に説明する言葉が「慈悲と智慧が備わった最高の精神状態(あるいは生き方)」となるようだ。まず「慈悲」とな何か?辞書には、情けやあわれみ・・・なんて記述されているが、仏教では「自分以外の多くの命に楽を与え、苦をとり除くこと」と考えられている。次に「知恵・智慧」は、「物事の道理を正確に判断して対処していくこと」とされている。
2024.09.12
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さあ、【二乗】のひとつ上・・・人間の生命状態状態の9番目は『菩薩界』だ。『菩薩(ぼさつ)』という言葉は日常生活でも耳にしたことがあるだろう。よく女性に対して用いる表現として有名ではあるが、実際は女性だけのことを意味する言葉ではない。【二乗】が、自分は『仏』であると勘違いをしたり、あるいは自分は『仏』になれないと諦めたり、ときには『仏』を尊敬しすぎて自分ごときではその境地に至れないと思ったりして、『仏』の境地を目指さない人たちであるのに対して、『菩薩』は『仏』の境地に達することを諦めない人たちを意味する。人々に優しく、ときにはできる限りの施しをする人を『菩薩』のような人と表現することがあるが、それらも『仏』を目指すための修行のひとつだと考えられる。
2024.09.11
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さてここで厄介な話になる・・・この『声聞界』『縁覚界』を総称して【二乗】ということもある。【二乗作仏(にじょうさぶつ)】【二乗成仏】といって、この二乗に達した者が仏になれる・・・といわれる。しかし反面、二乗は仏に成ることができない・・・と言われることもある。調べてみた結果をざっくり説明すると、二乗に達した者はそこである意味満足したり、あるいは仏の境地に達したと勘違いをして、さらなる精神の成長を促さなくなることが非常に多い・・・ということを示唆しているようなのだ。これも難しい話ではあるが、もっと簡単に考えると「成長する努力をやめた者は成長しない」ということではないか・・・とも私は思う。そう考えれば「なるほどな!」と納得することは可能だ。
2024.09.10
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そして『天界』の2つ上、生命状態10段階の8番目の境涯を『縁覚界』という。『声聞界』が仏の言葉によってその境地に近づくのに対して、『縁覚界』は実際の日常生活の中で触れ合う様々な物や人を通して・・・自然の摂理を知り、人生の無常も知ったうえで意義ある生き方を模索し、世の中の悪しき習慣や考えにとらわれないように日々の努力を惜しまない人のことを意味する。なんだか小学校の道徳の時間に聞いたようなことだが、その通りだ。これは簡単なことのように思えて、意外とそうではない!あらゆる自分の感情をコントロールしないと、こうはいかない。お釈迦さんよ・・・なかなか簡単なようで難解な、知ってはいるし分かってはいるが実行し難いところを突いてくるではないか。
2024.09.09
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『仏』とはその人の生命状態の1つなので、言い換えれば人間誰もが『仏』になる要素を持っている。「成仏(じょうぶつ)する」や「仏(ほとけ)になる」という慣用句を我々は亡くなった人にたいして使うが、釈迦は「死後に仏になる」とは言っていない。つまり生きた状態で仏になるのだ!本当はこれを「成仏」という。さらには「草木成仏(そうもくじょうぶつ)」という仏教用語もある。意味はそのまま・・・草も木も、人間以外のものも成仏できるというのだ。私はこれには心底「なるほどな!」と思う。話を戻すと、『声聞界』とは仏の教えを聞く者を意味するが、仏の教えを直接聞く仏の教えを間接的に聞く自身の生命に備わった仏の声を聞くという3つの意味があるのだ。「自分の中の仏」?と言われても私はピンとこないが・・・。
2024.09.08
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『四聖』の一番目。『天界』のひとつ上の境涯を『声聞界』という。これは読んで字の如く『声を聞く境涯』のことだ。ではだれの声か?それは仏だ。仏の声を聞いて部分的な悟りを得る段階が『声聞界』なのだ。ただ・・・ここでいう『仏』とは誰のことをいうのかとの疑問が出てくる。時代的に直接釈迦の言葉を聞いたのならいいが、釈迦の死後であればどうなるのか?まずは釈迦の言葉を伝え聞いてもいいし、文章で読んでもいい。これは納得だと思うが、さらに大事なことがもうひとつある。仏とは釈迦ひとりのことを意味するのではないのだ!つまり必ずしも[仏=釈迦]の方程式が成り立つのではない。
2024.09.07
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ここまででも十分にすごいのだが、釈迦のすごさはこの上にまだ4つの生命状態があることを示したことだろう。この上にある4つの境涯を『四聖(しせい)』と釈迦は呼んだ。この4つもまた深い示唆を含んでいる。
2024.09.05
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ちなみにこれらの『地獄』『餓鬼』『畜生』『修羅』『人』『天』の6つの境涯を我々人間は常に行ったり来たりしていると釈迦は言っている。この6つの境涯を『六道(「ろくどう」または「りくどう」)』と言い、その6つの境涯の行き来をくり返すことを『六道輪廻(ろくどうりんね)』と表現する。いわれてみれば確かにその通りだと思うのは私だけではないはずだ。
2024.09.04
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『人界』の上、6段階目の境涯を『天界』という!「天にものぼる気分だ」なんていうがまさにそれである。『天界』に関しては類似する語が他の宗教にもあるので、ここは釈迦の仏教の範疇で語らせてもらう。仏教でいう『天界』とは、「努力の結果で欲望が満たされた状態」「外的要因で気持ちが十分に満たされた状態」で、その結果として「喜びに浸っている境地」とされている。しかし興味深いのはここからで、この状態は一時的なもので、時間と共に消えていったり別の外的要因で失われたりする・・・というのだ。例えば、恋人ができて嬉しく心が満たされた状態が『天界』だ。しかしその恋が終わって、一挙に苦しみばかりの『地獄界』に落ちたり・・・やけ酒を飲んだり、ひたすら何かを食べたりする『餓鬼界』に落ちたり・・・恋愛がうまくいっている人を妬んだり、恋愛をしたことのない人を見下す『畜生界』に落ちたり・・・自分をふった相手を恨んで『修羅界』に落ちたり・・・イヤになった相手をふったことで平穏な生活に戻って『人界』になったり・・・するわけだ!!釈迦のいうことは的を得ていると思わないか?
2024.09.03
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これら「三悪道」「四悪趣」のすぐ上にある、人間の生命状態を10段階に分けた5番目の境涯は『人界(にんかい)』だ。そう『人』は『人間』を意味する。ここで釈迦がいう『人間』または『人間の生命状態』の定義は、「穏やかで平穏な状態」「因果の道理を知り、理性の力が明確に備わっている状態」「善悪の分別ができて、自分をコントロールできる状態」「自分に打ち勝てる状態」等々といわれる。今日一日、みなさんはそれぞれ『人間』だっただろうか?自分に問いかけてほしい!また『修羅界』と『人間界』が紙一重であることも示唆深い。人間が戦争を切り離せない原因も、釈迦にいわせればここにある・・・つまり人の生命状態にある・・・となるのかもしれない。
2024.09.02
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これらの『地獄界』『餓鬼界』『畜生界』『修羅界』の生命状態を総称して【四悪趣】という。【悪趣】とは悪事の報いとして受けなければならない苦しみを伴う報いのこととされている。またこの中の『地獄界』『餓鬼界』『畜生界』を【三悪道】と言い、悪行を重ねた人間が趣(おもむ)くといわれる生命状態だ。ちなみに「おもむく」は漢字で「赴く」と「趣く」があり、ある場所や方向に向かっていくときは「赴く」用い、考えや気持ちがその方向に向かう場合に「趣く」を用いる!!「趣き深い」・・・なんていうのはそれが所以だ。
2024.09.01
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