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おそらく私だけではないと思います。いきなりT先生に個人的にガツンといかれた生徒は、、、、。T先生は事あるごとに『人の生きる道』というか『人として取るべき態度』について熱く我々に説いてくれました。ときには『男のあり方』『女のあり方』についても話してくれました。しかも私が今更ながらに注目するのは、その語り口です。「どっからその話が出てくるねん」と思ってしまう、うんざりするような語り口で持論を展開する人間のなんと多いことでしょう!そんな語り口を用いる大人の言う事を聞く子供なんていません。それはただ単なる『おしつけ』以外の何物でもないからです。しかしT先生は授業の随所で『人として、、、』の話を織り込んでくるのです。それが授業の内容にリンクしていて、自然な流れでその話を入れてくるのです。子供ながらにみんな聞き入ります。先生の指し示す『人として』の方向性と違う言動をとる生徒が出てきると、少しもそれを見逃すことなく、烈火のような言葉が飛んでくるのです。ときには無言で平手打ちなんてこともしばしばありました。逆に先生の言う『人として』の方向性に即した言動があると、少しもそれも見逃すことなく、最大の賛辞で褒めてくれるのです。我々はT先生の、いつ繰り出されるかわからない『人として、、』の話がいつ出てくるのかを無意識のうちに楽しみにしていたように思います。【生徒の人格は授業中に育てる】【授業とは「教科を教える」のではなく「教科で教える」】という今の私の授業スタイルは、T先生の影響を大きく受けていることは言うまでもありません!
2011.01.31
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そうこうしながら5年生になっていきなりだらけた生活を一ヶ月ほどしてた私でしたが、算数のノートの一件以降、何とか自分なりに勉強を進める生活を徐々に確立していくことができました。この経験は現在の私の授業方針に大きな影響を与えています。例えば学習塾業界です。『教育を提供する』のが目的のはずが、最近は『サービスをする』ことが目的になっている教室が多いような気がします。しかし後者の方が、集客を目的にするには適した手段であることも分かっています。ただ、教室経営・教室存続を目的にするあまり、生徒の人間としての成長を犠牲にするパターンをあまりにも目の当たりにしてきました。、、、それではイカンのですがね、、、、話を本題に戻します。このようにして私の小学校生活の最後の2年間がはじまりました。学校でも家庭でも『自分なり』で『できる範囲』ではありますが勉強をしながら、鼓笛クラブの練習にも参加し、巨体を揺らしながら少年野球チームも辞めずに小学校卒業まで続けました。その根底には宿題をするために生活習慣を見直したあの経験があったからできたことだと思います。【基本的生活習慣を確立する】ことこそ、成績を上げる一番の近道だという私の持論はここから生れています。だから私は我が教室への入塾希望者には必ず「朝は自分で起きていますか?」「朝ごはんは食べますか?」と質問します。この2つが基本的生活習慣のリズムが確立されているかどうかを知るバロメーターなのです。なぜその2つなのか、、、、それはまたの機会に紹介いたしましょう!
2011.01.30
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算数のノートの一件以来、私は『分からないなりの勉強』を続けるようになりました。「自分は分かってないねんから!」との開き直りはそのままありました。もちろん家で自分で勉強したからといって、何から何まで理解できることなんてありません。ときには余計頭の中でこんがらがって理解不足が加速したことも少なくはありません。しかしそれでも何日かに1回ほど「あ!なるほど!」と思うことがありました。「先生が授業で言うてたんはこのことか、、、」と思える場面も出てきました。その感動というか気持ちよさは、言葉で表しようがありません。勿論、だからといって飛躍的に成績が上がったわけではありません。しかし確実に家庭学習の習慣が確率されていきました。家庭学習の中で疑問もたくさんでてきました。そんなときは算数が得意な友達に聞いて教えてもらったりもしました。今思えば、このときに私は『勉強する』という習慣を身につけたような気がします。それもこれも、あのときのT先生の私のいい加減なノートの内容に対するある意味キツイしかも鋭い言葉から始まったのでした。
2011.01.29
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そして前回と同様にT先生は私のノートの内容についての質問を矢継ぎ早に次々と投げかけてきました。その全てに対して私なりに「こう考えました」「こうかなと思いました」「ここまで自分で考えましたがこの次にどうしていいか分からなくなって、計算が途中で終わってしまいました」等々、答えました。その1つ1つに先生は難しい顔をしながら、「う~ん、、、」と声を出すだけでした。自分なりに考えてやってきて、尚且つ分からないところは分からないと開き直っていたところもありましたし、やはりもう叱られるのは覚悟の上でした。しかし先生の総評は私の予想を完全に裏切るものでした。「うん、おしいところまで考えられているところもあるな!」「続きをまた考えてもう一回提出しなさい。」「こういう間違いは、いい間違いだ!覚えておきなさい。」その言葉を聞いて私は「いい間違いって何やねん」と思いながらも、自分なりの努力を認めてもらえた嬉しさも感じていました。その日は家に帰るまで待てずに、帰宅途中のバス停のベンチでノートを開いて自分なりに計算式を進めていったことを鮮明に覚えています。
2011.01.28
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算数のノートの内容を叱られたことは私にとってかなりのショックでした。しかも教室で皆が聞いているところでヤラれたものですから、最高にバツが悪いと言うか面目丸つぶれというか、、、、。とにかくもう二度と同じ思いはしたくないと、自分なりにしっかり宿題をすることにしました。さらにしっかり宿題をするには、しっかり授業を聞いていなければならない。授業をしっかり聞くには、授業中に眠たくなってはいけない。そのためにはしっかり睡眠時間を確保しなければならない。ということは、今までのようにダラダラと夜更かしもできない、、、、。といった調子で、『宿題をする』という一点に集中するためには、結局しっかりした生活リズムを自ら作り出さなければならないとこに徐々に気付き始めました。それはそのまま日頃母が私に言っていたことをそのまま実行するだけのことだとも気付きました。「やっぱり親の言う事は聞いとくもんやな、、、」としみじみ実感し、大人に反発することがカッコイイと思い込んでいたことを猛反省したことも今だに覚えています。そうこうしていたある日、私はまたT先生に呼ばれました。その机の上には私の算数の宿題ノートが広げてありました。先生は腕を組んで非常に険しい表情でそのノートを睨んでいます。もちろん大の苦手な算数です。完璧にできていて全問正解なんてありえません。しかもその日は何問かが最後まで解けていない未完成の状態で提出していた記憶があります。とにかくまた先生に叱られる覚悟だけはしておきました。
2011.01.27
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まず思い知らされたのは、当時の私がもっとも苦手とする算数の宿題ノートでした。それまでは、適当に書いて提出してもハンコを押して返ってきていたので「先生はちゃんと見てないな」と思い込み、例えば計算問題であればちゃんと計算せずにそれらしい答えを書いて出すといったことを繰り返していました。家庭訪問の一件の直後、私はT先生に呼ばれてそのいい加減なノートの内容を1つ1つ問いただされたのでした。「なんでこんな式が出てきたんだ!」「この計算はなんでこの答えになるんだ!」「なんでノートに書いてある問題数が少ないんだ!」そのうち何も答えられなくなって、「なまけていました」としか言いようの無い状況になってきました。しかし全ての質問が始まる前にT先生は「お前、最近なまけているようなことはないだろうな!」と私に問いかけていて、愚かにも私は「はい」と答えてしまっていたのでした。しかも今さら「やっぱりなまけていました」なんて言おうものなら、どれほど怒られるか分からないような雰囲気があったので、先生の質問1つ1つが私を大いに苦しめました。しかも、その原因は自分自身が作ったものなので、言い訳の余地も逃げ場もないのです。そのうち質問(ある意味追求)に答えられなくなって黙り込んでしまった私に、T先生は「もいういい!」と言ってノートを渡しました。ヤル気の感じられないダレた文字で『算数』と書いてある自分のノートが、本当に情けないものに感じられました。そのノートを受け取って自分の席に帰ろうとする私に「これからどうするべきか自分でよく考えろ。そんなノートならもう二度と提出しなくていい!!」と先生の言葉が飛んできました。
2011.01.26
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今思えば、私には小学校4年の終わり頃からなんだか「まじめにしないのが大人」「大人の言う事を聞かないのがかっこいい」といったような感覚がありました。その感覚から基本的生活習慣のリズムが乱れてしまい、私の場合は例えば食生活の不摂生から際限なく太ったり、例えばさらに勉強から遠ざかったりしていたことは確かだと思います。だから5年になってT先生に抱いていた「雑用ばかりしている先生」「勉強・勉強と言わない先生」とというイメージから、なめてかかってしまった結果として家庭訪問の道案内のときに思いっきりタメ口で物を言ってしまっていたのでした。私以外の生徒達の中にも同じような態度で接してしまった者もいたのだとは思いますが、とにかく家庭訪問終了後の先生の一言は私にとって衝撃的でした。家庭訪問が始まるころは、既に新しい学級になって3週間ほど過ぎており、その間のだらけた生活の『ツケ』を痛いほど実感しならが払う生活がその後しばらく続くのでした、、、。
2011.01.25
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そんな甘い考えをおこしてなおかつT先生を少しなめてかかっていた私が、最初にガツーンとやられたのは家庭訪問のときでした。T先生は必ず次の級友の家まで、その前に訪問した家庭の生徒に案内させるのでした。最初から先生がみんなに学校で「その方が先生が楽だから、、」といったニュアンスでお願いしていたのでした。もちろん次の家に行くまでは先生と生徒が2人きりになるわけで、先生との会話があるのです。そして全家庭訪問が終わった翌日、T先生はその移動中の会話について次のような事を言うのでした!「先生と話をしたときに、ちゃんと敬語で話せたのはYさんだけだった! 他の皆は一体何だ!! 君たちは先生に対する礼儀も知らない子供なのか! もっと物事をよく考えて生活をしかければ人間としての価値はないぞ!!」、、、この言葉に当時の私はかなり衝撃を受けました。
2011.01.24
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T先生への私の印象は、『白髪混じりの頭で背が高くスリムで筋肉質なおじさん』でした。ちなみに私はと言えば、小4あたりから太りだして小5になるときはもう見るも無残な姿でした。野球なんかできる身体ではなく、勉強も鳴かず飛ばずで唯一なぜか練習が厳しいことで有名な鼓笛クラブだけは何とか続いているといった生徒でした。T先生は最初の授業で自らの教育方針についてクラスに話をされました。その中で私が今でも覚えているのは、「私は勉強勉強と言いません。勉強をするもしないも皆の自由。だから成績が上がればその人の努力の結果!成績が下がればその人がさぼったせいどちらにしても自分のことは自分で責任を持ちなさい。」という内容です。なぜかこれだけが強烈な印象で、今でも忘れないのです。もちろん当時の私は「これは楽かも」と甘い考えをおこしてしまい、苦手な勉強からさらに距離をおくようになりました。
2011.01.23
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N先生とのお別れを体験して短い春休みを過ごした私は小学5年生になりました。新しいクラスで新しい先生との出発の時期です。私は5年1組となりました。それはそのまま6年も1組になることと、そのクラスで小学校を卒業することを意味していました。そして私は新しい担任の先生を見てびっくりしました。「この人、、、先生なん?、、、先生やったん?」と思いました。その新しい担任の先生・T先生は、前々からよく学校内で見かけたことのある人でした。いつも校内の花壇のお世話をしていたり、掃除の時間でもないのに校内のいたるところを掃除していたり、ときには脚立に登って木の枝を切ったりしている『おじさん』でした。私はてっきり用務員のおじさんだと思い込んでいたのです。実は当時の私は用務員のおじさん達とプライベートで仲良しでした。私が水棲生物獲得に通っていた池の一つに日曜日になると用務員のFさんが釣りに来ていて仲良くなっていたのです。皆に内緒で用務員室でおせんべいをもらったりしていて、他の用務員のおじさん達とも仲良くさせていただいていたのですが、そういえばあの『おじさん』は用務員室にいたことがないとは思っていまいた、、、、が、まさか先生だったとは知りませんでした。
2011.01.22
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野球・トランペット・水棲生物の獲得に情熱を燃やしながら、いつの間にか小学5年生になろうとした私に悲しい出来事がありました。1年2年と担任をしてくださったN先生が退職されることとなったのです。以前にも紹介したように、当時のクラスのメンバーは学年やクラスが変わっても成績表をもらう度にN先生に見てもらいにいってました。私も3年生・4年生の2年間は皆と同じように毎回成績表をみてもらいにいってました。どんどん下がっていく成績にも関わらずN先生はいつも笑顔で激励してくださっていました。子供ながらにその笑顔が嬉しかったり申し訳なかったり、、、、複雑な心境であったことを今でも覚えています。N先生が学校を去られる日に廊下を歩いていると偶然先生が反対側から歩いてこられました。そのとき先生はやはり優しい笑顔で私をぎゅっと抱きしめてくださり「あんたは自分のやりたいことに一生懸命になったらええ。それも立派な勉強や!」と言ってくださいました。今年45歳になる私はときどき知り合いに「やりたいことやって生活をしているのが羨ましい」といった言葉をかけられることがあります。それは私にとって嬉しい言葉です。それと同時に今でもあの日のN先生の笑顔を思い出させてくれる言葉でもあるのです。
2011.01.21
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そんな訳で、周りの偉大な大人達に助けられ私は小学3年4年と学校や先生に何の不信感も持たずに過ごすことができました。しかし明らかにこの2年間で確実に勉強が苦手になっていました。特に算数が全く話しにならない状態に陥っていました。まあこればかりは全面的にY先生の授業のせいにすることはできないような気もします。確かに私自身怠け癖がついていたもの事実ですから、、、、この頃の私は、学校が終わって帰宅すると網とバケツをもって川や池をウロウロしてやれザリガニだやれ亀だと水棲生物の獲得に奔走するか、あるいは父に買ってもらったグローブを持って草野球にいくことに情熱を燃やしていました。また以前にも紹介した『鼓笛クラブ』の入部希望者練習会にも参加し、トランペットを始めたもの小学校3年生のときでした。トランペットは他の楽器と違って、まず音を出せるかどうかが問題になります。まずはマウスピースだけで音を出す練習が何日も何日も続きます。なかなか音が出ずに次々とリタイヤしていく友達たちを横目に黙々と練習を続けました。「もう俺もアカンのとちゃうか、、、」と思うことも度々ありましたが、それでも諦めないで練習を積み、音を自在に出せるようになっていくときの驚きや感動は今でも忘れません。確かに勉強には前向きではなかったですが、私の小学3年4年の2年間は色々な意味で充実していました。それは、やはり周りの大人達がそうさせてくれていたことは間違いないのです。周りの大人達が『偉大な教師』であれば、子供は本当に幸せであるという典型的な例だったと言えるでしょう!!
2011.01.20
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「子供の教育や成長にマイナスになることは、子供の耳に入れない!そんなん親の常識や!」と母は言います。また、当時の私の周りにいた大人達が、子供の耳にいれないでおこうとの打ち合わせのようなものがあったのかと聞くと「そんなアホな事に使う時間なんかなかったわ。こっちは子育てで忙しいのに」との返事が返ってきました。大人がよってたかって子供のために良い環境を作る!当時はそんなことが普通におこなわれていたのです。子供の周りにいる大人が、『偉大な教師』だったのです。別の機会の会話で母がこんなことも言ってくれたことがあります。「親も人間やから完璧や無い。先生やって同じやろ!だから大人がみんなで子供がええ方向に成長できる環境を作らなアカンのや。大人が上げ足の取り合いしてて子供にええことなんて無いわ!」奇しくも今日ニュースで、40歳代の教諭がある保護者を相手に500万円(だったと思う)の損害賠償請求をしたと報じていました。なんでも、子供のトラブルの仲裁に入った教諭がある生徒に謝るように言ったところ、その生徒の親がそれに抗議し、事ある毎に「教師失格」とか「辞めろ」といった内容でその教諭を攻撃した続けたとのことです。結果その教諭は精神的に追い込まれて、その精神的苦痛に対して損害培養請求をおこしたらしいのです。我々が子供のときは例外なく、先生に叱られた場合その原因は子供にあって悪いのは子供でした。一見それは子供がかわいそうに思えるかも知れませんが、長い目で見た場合には子供にとって大きなプラスになることも多いのです。「学校で先生に叱られた」なんて言おうものなら、親にも叱られるので言わないでいたことだってあります。後で黙っていたことがバレて更に親に叱られることさえありました。しかし最近はそうでない場合があまりにも多いような気がします。なにもむやみに子供に厳しくすることが大切だと言っている訳ではありません。叱るにしても、褒めるにしても、その子供の将来を考えての行為でないといけないのです。大人にそういった『大人としての判断力』『大人としての思考力』が無いことは子供にとって大きな不幸だと言わざるを得ません。『全ての大人よ!偉大な教師たれ!!』と声を大にして叫びたいです。
2011.01.19
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もちろん母もその話は知っていたのです!当時の保護者の間でも周知の事実だったらしいです。そして、、、私の「なんで俺ら子供に話さへんかったん?」との問いに対して、母は「子供に言うて分かる話とちゃうやろ!」との返事。そして更に「先生の信頼を無くすような噂を親の我々が子供に流してどうすんの?先生がプライベートでどんなことしてようが関係ない!我々親がすることは、子供を育てるのにええ環境を作ることや。」といった内容の答えが返ってきました。その言葉を聞いた当時高校生だった私は、分かったような分からないような中途半端な気持ちでしたが、、、、しかし今はその言葉の意味が分かるような気がします。そしてあらためてすごいと思うのは、当時の我々の身近にいた大人達が同じ思いで、子供達にプラスにならない話を一切耳に入れなかったということです。
2011.01.18
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保護者の皆さん!もしあなたの学校の先生が、あるいはあなたのお子さんの担任が、、、、ご主人をなくされた保護者のお母さん宅に毎日のように入り浸っていたとしたらどうされますか?しかも男女の関係を迫っているという噂を耳にしたらどうされますか?私の場合はまだ小学生っだたので、何も深く考えることはありませんでした。おそらく周りのクラスメイト達もそうだったと思います。「Y先生はよう○○君の家に行っての知ってる?」「知ってる!」くらいで会話が終わっていましたし、そんな会話は年に1回出てくるかこないかの低頻度でした。そんな私が高校生になってある知人から真相を聞かされて知ったのですが、実はほとんどの保護者の皆さんが当時その真相を知っていたというのです!!そこで私の頭に浮かんだのは「なんで大人はほとんど知っていて、我々子供は知らなかったんやろ?」という疑問でした。そこで一番身近な当時の保護者である自分の母に聞いてみました。
2011.01.17
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もうほとんどの方が予想されていると思いますが、その通りです。Y先生は未亡人となった保護者に言い寄って男女の関係を作ろうとしていたのです。その行為に対して友人のお母さんがどう対処したかは分かりません。しかし、Y先生がその家に何度も何度も通い詰めていた事は周知の事実なのです。その後Y先生は急に教育委員会勤務になったと聞いています。ここからは私の予想なのですが、未亡人に言い寄ることがあまりに知られてしまい、その対処に困った市あるいは県教委が、とにかく現場から離そうとしてそうなったのでしょう。こんなことはどこでもよくある話過ぎて、私も含めて「またか」で済んでしまうレベルだと思います。そのことも含めて、教育委員会の存在は一体何のためで誰のためなのかが問われるべきだと思います。というか、教育委員会なんて撲滅してしまいたいです。税金の無駄使いの見本のような組織です!!話を本題に戻します!では、このY先生の話を通して『偉大な教師』という話題に果たしてつながっていくのでしょうか?、、、それがつながるのです。子供たちにとって『教師』とは、何も学校の先生だけではないのです!!
2011.01.16
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それがどれくらい続いたのかははっきり覚えていません。でも、当時の私の中では「Y先生が彼の家に毎日のようにいくのは普通」という感覚があったことは確かです。小学校3年4年とY先生のクラスにいた私が5年になって違う先生のクラスになったときでした。3年4年のY先生クラスにいた別の友達のお父さんがやはり不慮の事故で亡くなられました。するとやはりY先生はその友達の家に通うようになったのです。長い間さしてそのことを気にしていなかった私ですが、高校2年の頃にそのY先生の話をある人物から聞きました。そのときやっとY先生が彼らの家に通い続けた理由が分かったのです。
2011.01.15
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Y先生の今冷静に考えれば呆れたエピソードはまだあるのですが、早く次に移りたいので一番の本題に入ります。Y先生のクラスだったとき、当時よく遊んでいたクラスメイトのお父さんが不慮の事故で亡くなられました。しばらく学校を休んでいた彼がやっと登校を再開して、私はそれまでのようにまた彼の家に遊びにいくようになりました。子供ながらに、友人である彼を元気にしようと密かに思っていたことも覚えています。すると驚いたことに彼の家にY先生が来るのです。ほぼ毎日遊びにいっていた私は、ほぼ毎日Y先生が彼の家に入っていくのを目撃しました。彼の話によれば、土曜日の午後もY先生は家にくるらしいのです。当時まだ小学生だった私には、あまり気にすることなく過ごしていました。
2011.01.14
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Y先生の授業で楽ができるのが、道徳の時間でした。なにせ道徳のテレビを見るだけでしたから、、、、。しかし、2年間で1度だけ道徳のテレビを見た後ちゃんと授業をしたことがあります。テレビの登場人物の心の動きや変化を説明しながら板書をして、まとめていきました。なかなか手際がよく、私も子供ながらに「この先生もちゃんとできるんやな。できるんやけど何か(目的)があってわざとしてないんやな」と思ったことを覚えています。でも今はあの道徳の授業の正体は分かります。教員用の教科書に載っている授業の指導案をそのまま実行したに過ぎないのです!絶対に間違いないと確信しています。例えばその授業のときだけ標準語だったりしたのです。指導案に書いてある文章をそのまま読んでいたに違いありません。しかもなぜ一回だけその授業をする必要があったのか?『授業をした事実』が必要だっただけでしょう!簡単に言えば『先生側の理由』です。学校側か教育委員会に提出しなければならない書類があって、それに『授業をした事実』が必要だったのです。残念ながらY先生の話題はまだもうちょっと続きます。もう少しお付き合いください。
2011.01.13
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そんなY先生の授業の中でも忘れ難いのは、算数の割り算の筆算です。もちろん『できないのはお前たちが悪い』と言われることはわかっているので、誰も分かったようなふりをして授業を終えました。放課後にほとんどの生徒が教室に残って「ここはなんでこうなるんやろ?」「この答えはなんでこうなん?」「たぶんこうとちゃうかな、、、あ、やっぱりちゃうわ」と言いながら、皆で考えました。で、ほとんどの生徒がなんとなく分かったような分からなかったような、消化不良の状態で帰宅しました。次の日の朝はもちろん話題は算数のことでした。お父さんやお母さん、またはお兄さんやお姉さんに教えてもらった解き方を皆で紹介し合いました。それはそれでいろんな意味で勉強になったし、自分で考えることの大事さも知った気がします。しかし、Y先生の授業は完全に失敗したものであると言いざるを得ません。完全に『ヘタな授業をうった』訳です!そのうち割り算の筆算ができる生徒がチラホラ現れたときに先生が言った一言も今だに忘れません。「見てみい!わしの言うとおりにやったらできるんや!!できん連中はどうなっとるんや!!しっかりせい。」【教える立場】になった私には、この上ない最低な言葉にしか思えません。
2011.01.12
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中3生しか教えない塾を経営している私は常々小4までにどれだけしっかり勉強しているかが、その子供の将来さえ左右してしまう事があると痛感します。とにかくY先生の授業は分かり難い!でも相手は子供なので、Y先生に言いくるめられるのでした。「なんでこれが分かれへんのや!」「みんなしっかりしろ!」、、、そう言われれば小3の子供達は『自分たちの頭が悪い』と思ってしまいます。しかし、そんな中でも数名の生徒は問題を解けるのです!するとY先生は「MとBは解けてるやないか!他のみんなは何してるのや!!しっかりせんか!!」と言うのです。でも後からよくよく考えれば、M君はお父さんが、B君はお母さんが、家でしっかり勉強を教えていることで有名でした。ということは、彼らはY先生の授業で問題が解けていたのではなく、お父さんやお母さんのおかげで解けていたのです。生徒が少しでも理解できれば「先生のおかげ」!生徒が少しでも理解できなければ「生徒のせい」!『教える立場の人間』が絶対に用いてはならない論理です。にも関わらず、Y先生のクラスにはこの考えが根付いていました。
2011.01.11
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私が小学校3年と4年の担任はY先生でした。色黒のおじさんという感じの方でした。今、私が『教える立場』になってつくづく分かるのですが、私の学校生活で唯一《ハズレ》の担任と言わざるを得ません。しかし、その先生がなぜ【偉大な教師達】のトピックスで登場するのでしょうか?最後までこのY先生の話に付き合っていただければ分かると思います。まずこのY先生!三つ揃えの背広をピシッと着込んで、メガネをかけて、背が高くてスリム体系。見た目は紳士的な感じはありましたが、、、、いろいろやってくれていました。例えば授業です。我々学習塾業界では『ヘタな授業を1回うってしまえば、次の日から生徒は来なくなる』という言葉があります。私自身、学校の先生から塾の先生になったときにこの厳しい現実を体験しました。また、これが原因で閉鎖してしまった塾を目の当たりにしたことも少なくありません。その『ヘタな授業』の見本を、Y先生が私に体験させてくれていたのでした。
2011.01.10
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私の小学校1年2年の担任・N先生の話題が続きましたが、今回はこれまでにしたいと思います。ともかく、私に「大人はすごい」というか「大人はごまかせない」「大人の言う事は聞いておくべき」との思いを明確に残してくださった大きな存在でした。小学3年のクラス替えのときに、私はN年生の学級を離れることになりました。N先生はまた1年生の担任になられたのでした。当時は「なんで3年も担任をしおてくれないんやろう」と思いましたが、今となっては学校側の判断が正しかったのではないかと思います。適材適所ってことだったのでしょう。しかし3年生になっても、学期の終わりに通信簿をもらうと例え成績がよくなくても当時のクラスのほとんどの生徒がN先生に自分の通信簿を見てもらいにいったものでした。N先生は一人一人の成績を見ては、いつものようにそれぞれの生徒を違う言葉で褒めてくれるのでした。私もみんなと同じく「次はN先生にもっと褒めてもらおう」と心に思うのですが、担任が変わるとクラスが学校生活が大きく変化します。3年生4年生になった私には、今思えば過酷な生活が待っていたのでした。
2011.01.07
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2回目に指名された生徒の中には、前の感想と違う感想を発表する者もいました。そしてだいたいの生徒が2回目の指名を受けたあたりで、N先生はみんなに「意見が変わらなかった人は、しっかり自分の意見を持ってる人ですね。でも、意見が変わった人はどうしてかな?」と聞いて、それをみんなに考えさせるのでした。とはいえそこはまだ小学1年生。だれも的確な答えや意見を発表できませんでした。すると先生は「本は何回も読み返すと、前に読んだときに分からなかったことが分かったり、前に思わなかったことを思ったりします。だからみんなも時間があれば同じ本を何回も読んでみるといいですよ。」といって授業を終えたのでした。なぜかその話の印象が強烈に心に残った私は、今だに本のみならず、いいと思った映画も何回も観なおしたりします。勿論、先生の言われた通り、新しい発見や新しい感じ方をするのです!、、、たまには「あれ?これ違うやろ!」っていうツッコミ所を発見することもありますが、、、ともあれ、私はこの経験も授業に取り入れて国語の成績を上げているのです。
2011.01.03
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