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というもの、日本創生・・・いわゆる『国生み』でも2人の神が天から海をかき混ぜて国土を作ったとされている。このみっつは偶然似たような話になってしまったのか、あるいは元になった話はひとつだったのかは分からない。しかし『海に異変が起こる』という共通点があるのは事実である。人類が知性や文明を持ち始めた頃に一体何があったのか。あるいは人類がなぜ知性や文明を持つことができたのか。それを探る我々人類の旅はまだはじまったばかりなのかもしれない。そしてここで問題なのは、その度はだれがいつ始めるのか!だ。
2021.01.31
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共通点といえばまだある!海だ。ユダヤ教がイスラエルで成立してとされる紀元前13世紀の[モーゼの十戒]はあまりに有名だ。エジプト人奴隷を逃がすために神と契約したモーゼは大海を割ってみせて、そこを通って奴隷を逃がしたという話だ。ちなみに紀元前3世紀頃にインドで成立したとされるヒンドゥー今日にも大海に関連する話がある。[乳海攪拌(にゅうかいかくはん)]と呼ばれるもので、天の神の指示で地上の神と悪魔が協力して膿をかき混ぜるという内容だ。でも[モーゼの十戒]と[乳海攪拌]は1000年もズレているから関係性は薄い・・・とは言い切れない。なぜならヒンドゥー教はバラモン教から派生していて、バラモン教の成立が紀元前10世紀と、ユダヤ教のそれと200年ほどしか変わらないのだ。もちろん[モーゼの十戒]は説話の域を脱しないだろう。なぜなら科学的に立証されないからだ。しかし紀元前13年頃に実際に何かが海で起こったのかもしれない。その事実が200年ほど口承され続けた結果、少し内容に変化が生じて[乳海攪拌]に至ったと考えることもできるのではないかと私は考える。そしてその後その話はユダヤ教の1つの氏族によって日本に伝えられた・・・とは考えられないとは言い切れない。
2021.01.30
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ツッコミメールが数件きた。この文章を読む限りでは『古事記』も『日本書記』も太安万侶が編纂したようになってしまう・・・という内容・・・大変申し訳ない。太安万侶が編纂したのは『古事記』!そしてその情報源は[稗田阿礼]の記憶が元になっているのだ。学生諸君がよく読んでくれていて嬉しい限りである。その他にもいろいろ調べてくれているのはさらに喜ばしいことだ。そうでなくてはね。学生たる者かくあるべきですね。
2021.01.29
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それを裏付けるかのように、神事的なことから一般生活様式や言語、そして勤勉で真面目という国民性まで共通点がかなり多いことも事実である。その中でも注目すべきは言語かも知れない。たとえば『パピルス(papyrus)』という単語がかる。起源は古代エジプトで使用された文字のことだが、やがてそれは文字を書き記す媒体である『紙』を意味する単語『ペーパー(paper)』となる.ここで聖書[ヨハネの福音書]が思い出される。「はじめに言葉ありき。言葉は神である。」と記されている。つまり『ペーパー(paper)/紙』=『パピルス(papyrus)言語』=『神』と意味がつながる。もうお分かりですね!日本語で『紙』も『神』も同じ発音という共通点がある。ちょっとこじつけが強いなぁ~なんて思う人もいるかもしれないが、言語の共通点というものは我々の想像をはるかに超える重要な意味を内包していることが多いのだ。
2021.01.26
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2681年前に日本で何が起こっていたのかを現在正しく知る手段はないが、太安万侶がそこを日本の起源としたのには何らかの根拠があったと思われる。そしてその頃の日本の起源は淡路島だったとされている。日本は淡路島から発生したのだ。ちなみに日本を代表するSF作家のひとりである小松左京氏がその代表作『日本沈没』で、日本が淡路島から沈んでいく設定にしたのにはここに理由がある。そして興味深いのは、その頃の淡路島に欧州からある一族がたどり着いていたとされる遺跡が発見される。あるいは、その頃の淡路島に異文化と異なる考えを持った異国人の一団がやってきて、日本人に多くの影響を与えた・・・そこで大きな文化や思想の変革が起こったことを太安万侶が日本の起源とした・・・と考えてもそう無理はない流れかと思う。
2021.01.25
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皆さんは『皇紀』という言葉をご存じだろうか。西暦に660年を足せば皇紀となる。つまり今年は皇紀2681だ。皇紀とは初代天皇の神武天皇が現在の奈良の樫原に到着して日本という国を建国した年から数えた年数だといわれる。これについては古事記や日本書紀に記されている。古事記は712年、日本書紀は西暦720年に成立している。共に奈良時代だ。奈良時代の前には飛鳥時代があり、その前は古墳時代や弥生時代までさかのぼる。3世紀(西暦201年~300年)頃に大和政権が始まっているのだが、奈良に都を遷都し終えた元明天皇の命を受け太安万侶が編纂する。ちなみに学校で『古事記』『日本書記』の名前は出てくるがその内容が出て来ないのは、戦後GHQが日本の起源を日本人に忘れさせようとする策略がその要因だ。太安万侶は日本の正しい史実を調べ上げたが、ある時期からはそれが「伝説」「説話」の域に足を踏み入れる。それはどこかの国のように、自国の利益のみを考えた虚偽を羅列するのが目的ではなく、日本人というものがどのような精神を持ちつつける人たちであって、そしてあるべきかを後世に伝えゆくためだった。
2021.01.24
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この世の全てのものは神が創造したものであり、その中のひとつである地球は万物の中心なので天体は地球を中心に回っている・・という地動説を覆されると神の威厳に傷がつくわけだ。だから封殺する。ピタゴラスの頭脳をその命と共に消し去ることで、その後コペルニクスが出現するまでの約2000年間にわたりキリスト教は世界に広まった・・・というのもひとつの正しい考え方かもしれない。しかし最近はその考えから私の中でもうひとつの疑問が湧いて出てきている。ただ宗教を広めたいがためだけに数学や科学を封じてきたのだろうか。・・・というと話が飛躍しているように感じる人もいるだろうがそうではない。数学は科学の入り口であり、理科も同様なのだ。また封じられてきたのは数学と科学だけではなく、考古学や生物学も同様であることはここで少し述べておく。・・・さて話を本題に戻す。ここで歴史を紐解くと、あながち我々日本人には縁遠い話だとは言えなくなる。やはり約2500年前というのがひとつのキーワードとなる。
2021.01.23
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ピタゴラスがこの世を去ったのは今から約2500年前。キリストが生まれたのが、西暦から単純に考えると約2020年前。ここに何か因果関係を感じる!キリストはユダヤ教徒であった。彼はユダヤ教の矛盾点を指摘した故に異端児として扱われ、最後には処刑される。しかし彼の出現より前に多くの教徒たちが同じく矛盾点に気付いていた。その矛盾点は多岐に及んでいた。宗教には説話がつきものだ。説話とはその教義等を説明するためのたとえ話だ。もちろん事実からうまれた説話もあるし、元ネタに脚色が加わったものもある。しかしその大半はいわば作り話だ。ギリシャ神話がまさにそれであり、日本の古文でも説話物語というジャンルがありおとぎ話のほとんんどがそれを出典としている。当時のユダヤ教の失敗は、その説話を事実として流布しようとしたところにあるような気がする。それと対峙したキリストの思想からうまれたキリスト教がまた同じ轍を踏むことになるのは本当に残念なことである。その大きな矛盾のひとつが科学の発達と発展であった。
2021.01.22
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私にそう思わせる原因はもうひとつある。それはピタゴラスは地球が球形であることを計算から割り出していたことだ。また金星の微妙な形の変化から、太陽系の惑星の動きについての解明を進めていたようだ。人類は4世紀からコペルニクスが登場する16世紀初めまで天動説を信じてきた。その遥か前の紀元前500年前後にピタゴラスは地動説を証明する真理のひとつにたどり着こうとしていたのだ。それを証明されてはまずい人たちに殺害されたと考えることも可能ではないだろうか。だって、、、無理数が存在したからといって、人を殺しますか?、、、って話ですわ!宇宙と数学の話をリンクさせながら歴史的事実を掘り下げると、このように不思議なことが多々顔を出してくる。
2021.01.21
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三平方の定理は中学3年生以上なら周知のことだが、直角三角形の三辺の長さを示すものだ。直角を作る2辺を a , b として残りの斜辺を c とすると、必ず a² +b² = c² の関係となる。二乗=平方数を用いるということは、自ずから平方根を用いる機会が訪れる。なぜなら整数のすべてが平方数ではないからだ。ということは・・・『全ては整数で割り切れる』という説が成り立たなくなってしまったのだ。ピタゴラスの人生を短く紹介する書籍では、これが原因で彼は殺害された・・・とある。もちろんそれは間違いではないのだが、厳密にはそれは原因のひとつであり、全てではないようだ。彼は『宇宙は数字でできている』とも断言している。おそらく彼はそれよりかなり以前に無理数の存在に気づいていたのかもしれない。つまるところ、彼は宇宙の神秘に完全に人類が触れてしまうことを回避するために無理数の存在を封殺しようとしたのではないか・・・という考えに私を誘導してしまう。
2021.01.20
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ピタゴラスはあらゆる現象を数学で解析してみせた。それは当時の人々を驚かせるのに十二分なインパクトだった。やがて彼は「数字には神が宿っている!」といったので、そこから彼自身が宗教の創始者のような立場になっていく。彼の周りに集まった人たちは、数学を極めながら彼への崇拝も忘れなかった。そして彼は「この世の全てのものは整数で割り切れる。」「この世の全ての者は整数で成り立っている。」と断言した。もちろん彼も円周率に関しては、現時点で割り切れていないがいつかは割り切れると言って皆を納得さえてたが、、、問題が起こる!そう、三平方の定理の発見だ。
2021.01.19
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このように我々人類はこの無理数に対して、何とか帳尻を合わせるかそれらを許容できる誤差の範囲内におさめることでことで対処してきた。では、我々人類はいつ頃からこの無理数と対峙してきたのだろう。それを紐解けば時代はピタゴラスの時代にさかのぼる。ピタゴラスは古代ギリシャの哲学者であり数学者で、今から約2600年前に生まれている。彼は『サモスの賢人』とも呼ばれていて、中学数学の最後に学習する[三平方の定理]を発見した人物としても有名だ。多くの教科書では[三平方の定理]と紹介されているが、中には[ピタゴラスの定理]とも呼ばれる所以がここにある。ただなぜあまり[ピタゴラスの定理]と呼ばれないのかというと、あの定理はピタゴラス本人が発見したしたのではなく、彼のクループが発見したからだそうだ。そしてさらにあまり知られていないが、彼はこの定理の発見が原因で命を落としたという説がかなり有力のようだ。
2021.01.18
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2020年時点で円周率は小数点以下約50兆桁まで計算されているらしいが、もちろんまだ割り切れてはいない。その割り切れていないものを割り切って使っている我々人類はすごいのではないだろうか?おそらく使えるようになるまで何度も失敗や間違いに気づいて、その都度訂正・改良そして対処方の模索を続けてきた賜物であろう。例えば地球は太陽の周りを公転している。もちろん一周するのに360°移動するわけだ。一周すれば一年経過する。学校の理科では1日1°移動すると考えるが、ではなぜ一年は360日ではないのだろう?365日にしてしまうと5日多いことになる。そして実際1年(365日)後に地球は元の位置に戻っているのかというとそうでないのだ。まる一周するのに1年では少し足りない。その足らずの分を4年に一回の閏年で1日多くして帳尻を合わせている。この帳尻を合わせないといけないことから、太古の人類は地球は太陽の周りを完全な円形ではなく若干の楕円形を描いて公転していることを理解していたらしい。
2021.01.17
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とはいえ超文系脳の私には不思議で仕方ないことがある。無理数の存在だ!無理数とは整数で割り切れない数のことである。数学でいうと、円周率のΠや√の中に入る数字のことだ。円周率って、、、みなさん納得できてはります?小学校では3.14をしてそれ以下の数値は考慮に入れない。中学以上ではπを用いて計算する。そこまでは私にも納得はできる。しかし円周率はいつかは割り切れるが、現時点ではまだ割り切れていない・・・らしい。そんなことを言われたら、ともかく私は心の中で割り切れない!「どないやねん!」である。しかし我々人類は、その割り切れていない円周率を使いこなしているではないか!!しかも太古の昔から使いこなしているのだ。「どないなっとんねん!」である。これがすごいことなのかすごくないことなのかすら分からない。
2021.01.16
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第一話から話が徐々に地球から離れていく。その都度太陽系の仕組みを自然に理解していった。そして太陽系そ出れば銀河があり、銀河を出れば銀河系に到達することも知った。その知識と照らし合わせながら理科で太陽系からはじまって宇宙の単元を勉強をすると、不思議なことに気づく。それは宇宙の規則性だ!これが自然に構築されたとはにわかには信じがたい。たとえば太陽系では太陽を中心に9個の惑星(当時)が公転している。それらが平面上に並んでいるというのが驚きだ。この太陽系のような惑星の集団が100億個集まったものを銀河と言い、銀河が100億個集まったものを銀河系という・・・なんて言われると、もうなんとなくは理解できるが、頭がおかしくなりようになる。そしてまた驚かされるのは、これらに存在する天体の自転・公転周期や軌道は計算で割り出すことが可能であることだ。また内惑星である水星と金星以外には衛星が存在して、それらの自転・公転周期や軌道も計算で割り出すことができる。ということは・・・考えようによっては宇宙は数学でできていると言えるのではないだろうか・・・なんて考えてしまう。
2021.01.15
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毎年この時期になると我が教室では、理科では宇宙、数学では三平方の定理の学習に熱が入る!一見このふたつの単元には何の関係性もないように思える・・・が、毎年触れれば触れるほど、何やら深い関係性があるように思えてくる。まずは宇宙の単元だ。最初は太陽系の話から入る。もちろん教科書もここからはじまっている。もちろんこれは我々が住んでいる地球が最も身近に存在する場所だから、ここを知ることが宇宙の入り口だ。勉強が苦手だった私がこの単元にちょっとだけ強いのは、子供の頃に熱中して見たアニメや漫画のおかげだ。たとえば『宇宙戦艦ヤマト』!放射能に汚染されつくし、滅亡まであと1年と迫った地球を救うべく、14万8千光年彼方の惑星・イスカンダルへ放射能除去装置コスモクリーナーDをもらい受けにいく物語だ。
2021.01.14
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ビンゴやんけ!Jニーズ事務所を退所して急遽アメリカに行った山Pよ。ファンも目を覚ませ。百歩譲って「ファンのことを一番に考えている。」ってのが真実だったとしても、それは当然のこと。普通のこと。ならば急に事務所を退所して渡米するのもファンのことを一番に考えてのことか?あの事務所を退所する芸能人は最近多くいるけど、他のみんなはちゃんと経緯の説明をして、ちゃんとお別れのけじめをつけてるぞ。もうそろそろ我々人類は外見から勝手に生みだす妄想を断ち切らないといけない時期にきている。妄想が悪いとは言わない。それが希望になって活力に成り得ることだってある。しかし、、、それでも妄想とは別に現実を冷静に見極める目を残しておくべきだ。
2021.01.13
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そんな違和感を引きずりつつ過ごすこと約一か月後の年末にあるテレビを見ていた。久しぶりにその世界では有名な裏社会ジャーナリストが暴露番組に出演していた。話題が違法薬物に移行したとき、共演者のひとりが彼に「やはりこの人はやっているな!ってだいたい分かるのですか?」と聞いた。返事は即答で「はい。ほぼわかります。」だった。次の質問は「今の芸能界でもそんなひとはいますか?」で、返事は「はい。」だった。最後の質問は「よろしければ何かヒントをもらえないですか。」ときた。彼は答えた。「急に事務所を退所した場合はかなりクサイですね。最近の芸能事務所は厳しくなってきたから、そのあたりの身辺調査があるんです。それを避けるために急きょ退所するんですね。」共演者たちはしばらく沈黙した。それを破って彼は続けた。「急きょ退所してすぐ海外に行くと言い出せば間違いないです。」
2021.01.12
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画面に流されたインタビューを受けた女性のコメントは似通っていた。「彼はいつもファンのことを一番に考えるから、ファンのための退所であり渡米の決断のはずです。」私が疑問に思うのは、その論拠だ。ファンのことを一番に思うのであれば、まず事前にファンに告知をするべきだ。もちろん退所理由も渡米理由も明確にする。そしてちゃんとファンの皆さんにお別れをする区切り的な何かを開催するのだ。実際年末にその流れを実施したグループがある。突然の退所と渡米・・・どう考えても自分の都合、自分の事しか考えていない。なのにファンはなぜ妄想を抱くのか!答えは簡単。男前だからだ。見た目が良ければ中身も良いと思い込んでいる。もちろん見た目と中身がいろんな意味で一致する人間もいる。しかしそうでない人間だっている。それを見極められない人間がこんなにたくさんすることには実に違和感を感じる。
2021.01.11
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おそらく番組に送られるメールの中にも私と同じ感想を持ったものも少なくないはずだ。それほどのトーク力だった。あるいはルックスしか褒める点のないメールしか紹介されない時点で本人や事務所も気づくべきところだが、思考力の盲目とは何と恐ろしいことだろう。・・・そんなことを少し忘れかけていた昨年の11月中頃のある朝、私は仕事に向かう準備をしながらテレビのニュースに耳を傾けていた。寝る前に耳にしたあるニュースを詳しく知りたかったからだ。しかし、なぜかどのニュースもある男性芸能人が急遽事務所との契約を解除してアメリカへ活動拠点を移す話ばかりを報道していた。そんな話どうでもいいのだが、それしか報道されない異常事態だ!そしてさっさと内容だけ紹介したら次のニュースに移ればいいのに、ご丁寧に街ゆく人たちへのインタビューまで聞かされる始末だ!彼が退所する事務所は、あの番組で語彙力の乏しすぎるトークを公共の電波に垂れ流していたあのアイドルと同じ事務所だ。
2021.01.10
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もちろんトーク力のある人間であれば外見がよくてもそうでなくても公共の電波に乗せて言葉を発すればいい。ただそのときは単純にトーク力で勝負するべきだ。今もやっているのだろうか・・・昨年、母を定期的にある病院に連れていっていた。病院とは診察してもらいに行く所ではなく、待たされに行く所だ。待合所で仕方なくテレビを見ていた。ああいった場所ではチャンネルは固定されている。そのせいで私は平日の午前中から毎日のように同じ番組を見ることを強いられた。その番組のあるコーナーで、タレントが街に出て食材を買い求めて、最後にそれをスタジオで料理するというのがあった。ある曜日は男性の芸人さんだった。ともかくトークが面白い。買い物の最中も料理中も、その料理を自ら食するときも、全く見る者を飽きさせない。しかしその翌日はアイドルの男性が担当するのだが、全くトークが面白くない。そんなトークなら普通の人でもできる・・・という内容だ。ただ、そのコーナーでは視聴者のメールがリアルタイムで画面隅に流れる。メールの送信者はみんな女性だ。そしてルックスのことしか褒めない。もう1回見ただけでウンザリだった。
2021.01.09
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なので履歴書の証明写真欄は必要だと思う。ただ、人を外見で判断しないという考えには賛成だ。まだまだ我々人類には、、、あるいは日本人にはこれができない。情けない限りだがこれが現実だ。どんなに歌唱力があっても外見が良くなければ売れない。「そんなことはない!」と言う人は調べてみればいい。歌唱力だけで勝負している歌手のほとんどが最初はテレビ画面に顔を出さない。歌だけで勝負をかけている。俳優・女優の世界もそうだ。ただ稀に演技でのし上がってきている人もいるにはいるが、生残率は限りなく0%に近いらしい。ともかく、どの業界も単純にその能力で評価されるべきである。もちろん外見で勝負する業界もある。その中で成功している者はそれでいいが、たとえばトーク力がないなら黙っておくべきだ。
2021.01.08
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特に資格試験や受験のときは本人確認が必要である。もちろん[なりすまし受験]または[替え玉受験]の対抗措置である。私が小学生の頃、娘の受験の替え玉になんと父親が女装して受験したという事件があった。その後は20人ほどの受験生が同じ大学の入試で替え玉受験をしたし、その後も様々な手口での替え玉受験やなりすまし受験が発覚してきた。しかしこれらの不正は氷山の一角に過ぎない。発覚して事件となっているのはごく一部だ。たとえばよくある話で、大病院の医院長の子供か親戚縁者で同じくその病院で医師をしているのだが、ほとんど治療をしないし、しても見当違いの診察をしたり、患者からの評判が最悪という人物がいる。大病院あるあるだ!職員室にお茶を飲みに来ているような教諭もまさにそれだ。そいつの親戚縁者に力のある校長先生がいたり、教育委員会にいたりする。この場合の不正の多くは教員採用試験時におこなわれているのだ。こんな現状の中、証明写真が無くなれば、さらに不正受験は横行するだろう。これはなかり危惧すべき問題だ。
2021.01.07
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そしてこの問題に関して我々人間は更なる熟考を求められることになるだろう。性別を、胎児のときに浴びた物質の量で科学的に決定するのか、あるいは本人の自己申告に任せるのか、あるいは従来通り肉体的機能で分類するのか、、、あるいはそれ以外の方法を模索するのか、、、なかなか難しい問題に感じてしまう。ということは、今後は今まで以上に性別で職業が限られることは無くなっていくのだろう。ということは、やはり今後は履歴書の性別欄の存在意義は薄れていくのだろう。・・・これはそれで納得できる面が私には多いのだが、履歴書の写真欄が無くなるのは少し納得いかない点がある。報道によればその理由を『外見で判断されないため』と言っていたが、そこに疑問が残る。今の現実としてある程度の外見が求められる職業は確実に存在する。その場合の履歴書の写真は大いに審査基準に含まれると思う。しかしながら多くの場合の目的は『本人確認』のはずだ。それを完全になくすというのは、如何なものか・・・と感じる。
2021.01.06
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最近発売された履歴書がちょっと話題になっている。性別欄と証明写真を貼るスペースがないらしい。性別欄がないのは皆さんのご想像通りだ。男性の身体で生まれたが心は女性だったり、女性の体で生まれたが心は男性だったりする人たちへの配慮からだ。驚くべきことに近年これらの問題が科学的に証明され始めた。なんと我々人間は母体の中でその身体が形成される前に、ある物質を浴びる量によって性別が決定しているらしいことが解明されつつある。その中で一定の割合で浴びた物質の量と与えられた身体の性別が一致しない人が産まれてくるというのだ。つまり我々の中には必ず心と身体の性別が一致しない人が一定の割合で必ず存在するのだ。憲法で全ての人に基本的人権を唱っている国ならば、その人たちへの配慮もされて当然といえるだろう。
2021.01.05
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昨年2020年度の仕事納めは12月30日の夜の授業だった。本年の仕事初めは1月3日の夜の授業だった。年末年始の休みが3日しかない・・・という人もいるが、3日あれば私は文句ない。なぜなら仕事が苦になっていないからであり、仕事をしたいからだ。学校の先生時代も、雇われ塾講師時代もこんな感覚はなかった。休みはあればあるほどよかったし、休み明けは程度の差はあれ憂鬱だったものだ。休みがなくても苦ではないのは、自分のしたい仕事を自分が納得いくかたちで行える環境を作りだせたことがその要因であることは疑う余地はない。ただ・・・そんな環境を作れたのは、納得いかない仕事をさせられてきた経験があったからこそなのだ。つまり!人生に無駄はない。無駄と思われる時間や経験を活かすことができるか否かは、ひとえにその人にかかっている。『若いころの苦労は買ってでもしろ!』というが、まさにその通りだと思う。
2021.01.04
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