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2週間ほど前、母が救急搬送されて入院した。毎日病室を訪れると、日々微妙に病室の雰囲気が異なっていることに気付く。母の病室は4人の大部屋だが、その4人の雰囲気が異なるのだ。その原因を探っていくとひとつの結論にたどり着く。それは看護師さんたちの仕事ぶりだ。病室の雰囲気はだいたいは和やかなのだが、4日~5日に一度ほど明らかにそうでない日がある。
2019.01.31
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本来問われるべき能力や実力以外のところでしか自らの立ち位置を維持できない人間がやりだすことの相場も決まっている。能力・実力を有する者への迫害・いやがらせ・いじめ。立場を利用した恫喝。ヒエラルキーの中で自分より上位に立つ者への腰巾着化。そのグループ・組織自体への裏切り行為。まあ挙げだすとこれもきりがない!それらにしがみついている連中に言っておく。お前ら…もうええで!
2019.01.28
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学力は努力で向上させることが可能だ。努力によっては立場の逆転が可能だ。しかし体格、腕力またはそれに準ずる付属要素、外見容姿は努力ではどうしようもない。こうなっては立場は終止変わることがない。ヒエラルキーを構成しようとする連中はその階級の入れ替えや逆転を許さない。いや恐れる。だから努力ではどうにもならないくだらない要素でそのピラミッドを構成する。その上部に入り込む能力が、プラス・アルファの能力として我々の前にときとして立ちはだかる。それが無いために疎外され迫害された人々が、あるいは登校拒否になり、あるいは心身を壊して会社を辞め、あるいはその世界から姿を消さなければならなくなる。しかしながら幸いなことにここ最近日本でも、このプラス・アルファの能力を求められることに疑問符を投げかける風潮が徐々にではあるが生まれてきている。実に喜ばしいことだ。
2019.01.27
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その原因は最近で言うヒエラルキーの中にある。その場所は、その集団は、何のために存在し、そこにいる人々は何を本分としているのか?これをないがしろにすることからはじまる。たとえば学校。学校は勉強するためにある。児童・生徒・学生は学力を向上させるためにそこに集う。しかしその活動の中心単位であるクラスでは成績に関係ない要素でヒエラルキーが構成される。初期段階は身体が大きい、あるいは腕力のありそうな者、またはそれに準じた付属的要素のある者がその上位を占める。そしてやがてそれに加えて、外見容姿の目立つ者も上位に割り込んでくる。だいたいこの2つの要素を持っている者の多くはヤンキーまたはチンピラの部類に自らをカテゴライズし始める。そして自分さえ目立てばいい、自分の意見さえ通ればいい、といったクズになる。クズほどヒエラルキーの頂点にいることも少なくはない。しかし本来であれば、成績上位者から発言権を持つのが筋である。なぜなら前述したように学校には勉強をするために通うからだ!でもそんなことをすれば「勉強が苦手な児童・生徒・学生がかわいそうだ。」という偽善この上ない意見を口にする連中が必ず現れる。そんな連中に「ならば勉強と全く関係のない要素でヒエラルキーの下層部に追いやられる児童・生徒・学生はかわいそうではないのか!」と私は反論してきたが、明確にその反論を論破した人間は1人もいない。
2019.01.26
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サッカーならばサッカーの技術、野球なら野球の技術、それで評価され、それである意味のし上がるべきなのにそれ以外の何かで人を押しのけて自分が優位な立場になる。そんな姑息な連中もそろそろ白日の下に晒す時期がきている。たとえば政治家だ。国民・住民のために政治をする能力で勝負するべき世界なのに、処世術に長けた者、口先だけでその場限り上手い事を言える者、巧みに有権者を騙せる者がその多くを占めている。たとえば学校の先生だ。授業を中心として生徒に対する指導力・あるいは影響力で勝負するべき世界なのに、処世術に長けた者、誰かに仕事を押し付けることが上手い者、生徒と真剣に対峙せずに楽にいい加減に接している者、親戚・縁者に教員がいる者がその多くを占めている。こんなたとえは言い出せばキリがない。ではその根源はどこにあるのか?ここに目を向けずしてこの問題を語ることは不可能だろう。
2019.01.25
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このSがサッカー部を辞めて、サッカー自体も辞める結果となった理由。それがプラス・アルファだ。プラス・アルファの欠如だとも言える。それは実力主義であるべきスポーツの世界で自分がフリーキックを蹴るという立場を守りたいだけでそれがたとえチームのためにならなくても自分さえ気分良ければいいという先輩Mの思考性であり、たとえ実力が劣っていても先輩を立てるという配慮がSに欠如していたことでもある。我々は、特に日本人は、このプラス・アルファに現在に至るまで翻弄され続けてきた。そしてその結果本来であれば様々な世界で活躍できたであろう数多の人材を無駄に死地に追いやり続けてきた。実際そのマンガでサッカー部に残ったOは2年生で高校サッカー日本代表に選ばれたことがさらに別の1コマで描かれている。SはOと同等の実力があったとこから、サッカー界においてその損失は計り知れない。これはマンガの中での出来事だ!では済まされない。なぜなら現実社会においてもこれに類似した事象があまりにも繰り返されているではないか!
2019.01.24
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もっと詳細にいうと、その2年生のMは超不良のNに有望1年生のSかOのどちらかにサッカー部を辞めさせるように迫らせた。Mはフリーキックを蹴ったSではなく、SとOのどちらかを排除しようとしたのだ。その意図は、もう勝手にフリーキックを蹴ったSへの報復ではない!自分のレギュラーとしての立場を守ることが目的だ。つまりそれは裏を返すと1年生のSとOのサッカーの実力は2年生のMをはるかに凌駕しているなによりの証拠なのだ。しかも2年生のMが蹴るべきだとチームの誰もが思っていたのなら、わざわざ不良の恫喝に頼らなくてもチーム内で対処できたはずだ。それができなかったということは、1年生のSとOの登場でフリーキックを必ず蹴るのはMという暗黙の決まりに疑問符が投げかけられ始めていたことを確実に意味している。
2019.01.23
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最近読んだあるマンガにもそれがほんの少しサラッと描かれていた。それをサラッと流すところに作者の意図を感じる。2人の男子高校生が主人公だ。そのひとりのSは元サッカー部。入学当時は彼と同学年のOのサッカー技術が抜きん出ていて、この2人の新入部員を軸にチームを作れば全国制覇も決して夢ではないと言われていた。しかし、練習試合でSがフリーキックを蹴ったことで問題が起こる。フリーキックを蹴るのは2年生の先輩のMと決まっていたのだが、1年生のSが蹴った。「上手い方が蹴って何の問題があるんですか?」これがSの意見だった。そしてこのMが同学年の超不良のNに言ってSをサッカー部を辞めるように脅迫した。この流れがたった3コマで描かれる。
2019.01.22
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我々の人生には…いや私の人生だけかも知れないが、何事にもプラス・アルファが存在してきた。能力や才能とは関係なくそれらに翻弄されることが多かった。40歳を過ぎたころだろうか。それらに翻弄されることが少なくなってきたような気がする。いや、厳密に言うとその無意味さに完全に気付いて影響を受けることなく人生を歩む術を身につけることができたような気がする。
2019.01.21
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そのマイクロ・プラスチックの原因にやり玉に挙げられたのがストローだ。で、対策として紙製や木製のストローが開発され、それを採用する企業まで出てきている。原因はプラスチックのストローだけなのだろうか?そこにも疑問があるが、割り箸否定論者たちがここに噛みつかないのが不思議だ!紙の原料は木だ。木製ストローなんてモロ木製だ。「エコ違うやん!プラスチック製のマイ・ストローを持参しよう!」となぜ呼びかけない?あるいはそこは許せるのか?どう考えてもやはり「マイ箸派」の行動や思考は理解に苦しむ。しかも海のマイクロ・プラスチック問題も、そもそも悪いのはプラスチックか?そうではない!悪いのはそれを捨てる人間だ。まずはそいつらを撲滅することが先決なはずだ。・・・人間は地球上でもっとも優れた生物だと言われている。というか人間が勝手に言っている。他の生物がそう思っているわけでは無く、自分で言っているだけだ。人間以外の生物は「エコ」なんて言わないし考えない。思考力がないから?いやいや、もともと自然環境に逆らわずに生きているからだ。人間は地球の自然環境を壊しながら、的外れなエコを提唱している。うすうすは気づいていたのだが、、、地球上で一番愚かな生物は我々人間ではないだろうか?
2019.01.10
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一度ほかのお客さんがいないときに、私がよくいくお店のご主人に聞いてみた。そこも2種類の箸を用意して、割り箸の入れ物に「エコにご協力下さい。」と書かれていた。するとご主人は割り箸の方がエコであることを御存知だった。ただ「割り箸はいけない」と意見するお客さんが多く、仕方なくそうしているとのことだった。つまりはバカなお客対策だ。本当の寿司職人はにおいのキツイものはネタにしない。しかし回転寿司屋が納豆巻を開発すると一挙にそれがメジャーになる。すると昔気質の寿司職人の店でもお客が「納豆巻がなんでないの?」なんて言ってくるので、中には説明するのが時間の無駄だと仕方なく納豆巻を置き出したのと同じ原理だ。世の中バカが多くなりだすと、そいつら中心に世の中を回さなければならなくなるので情けない。何も知らずにただいい加減な情報に踊らされている連中は、そのうち割り箸を嫌うあまり「マイ箸」と称してプラスチック製の箸を道歩き出す。もう好きにしなはれ…だ。でも私は木材の無駄を無くし、第一次産業を守るために割り箸を使う!割り箸が有り続ける限り使う!割り箸がエコでないと言う人達は、一生涯自然物の恩恵を受けずに生きていけばいいのだ。可能ならやってみればいい。それがエコなんだから貫けばいいのだ!そうこう思っていいたら、今度は海に蔓延する『マイクロ・プラスチック』が問題になってきた。
2019.01.09
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食堂なんかでよく見かけるようになって久しい光景がある。割り箸とプラスチック製の箸の2種類が用意されていて、割り箸の方に『エコにご協力をお願いします。』なんて書いてある光景だ。私はそのような光景に遭遇したとき、必ずエコに協力して迷わず割り箸を使う。私は奈良県出身だ。奈良県出身の同世代の人間なら、小学校3年か4年のときに桜井市にある輪業の会社に見学に行っている。そこで我々は、割り箸は木を無駄なく全て使い切れるように、木材を切り出したときに余った部分の木を使っていることを学ぶ。同時に、もちろん割り箸は使い捨てだが、自然物なので燃やしてもその木が木材になるまでの長い年月に光合成で作り出してきた酸素の量を上回る二酸化炭素を出すこともなく、地面に捨てたとしても時間はかかるが最終的には自然に返ることも学ぶ。だから割り箸はエコなのだ。それが私がエコに協力して割り箸を使う理由だ!
2019.01.08
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昨年晩秋の頃、約20年ぶりに東京に行く用事があった。さっさと用事を済ませて上野から新幹線に乗り更に北上した土地に独りで住んでいる高校時代に苦楽を共にした親友に会いにいった。関東に住んでいる彼と会うのも、やはり前回上京したとき以来だった。約束の場所に向かうと、100m以上も遠くから彼の姿が分かった。20年前と、、、いや高校時代とほとんど変わらないその姿を人ゴミの中で見つけるのは容易だった。手を振りながら近づく私の姿に彼は少し驚いたような顔をした。距離が縮まる毎に彼の目線が私の白髪頭に向けられていることが分かった。距離がゼロになり私が「久しぶり、元気やった?」と言った。彼は「遠い所まで会いに来てくれてありがとう。」と言ってくれてお互い握手をした。その直後再び彼の目線が私の白髪頭に向けられた。そして彼は両手で私の頭を撫でながら「お前この20年間いっぱい苦労してきたんやな。ほんまによう頑張ったな。お疲れさん、お疲れさん。」と言った。この20年間、彼の方が苦労をしてきたのは明らかだ。私はそんな彼を激励しにはるばる遠方まで足を運んだつもりだった。そんな彼は反対に私を激励してくれた。それも出合いがしらいきなりにだ。いや、そんな彼だからそれができたのだろう。我々は高校の3年間苦楽を共にした。言葉では「苦楽を共に」というが、その比率をいうと「苦」が99,9%で「楽」は0.1くらいだった。我々は若くして苦労が報われるのは一瞬であることを幸いにも知ることができた。しかしその0.1%報われる経験があるかないかでその人の人生が決まるといっても過言でないことも知ることができた。冷静に考えれば50歳を過ぎた親父が50歳を過ぎた親父の白髪頭を両手で撫でている光景はこの上なく気持ち悪い!でも私は不覚にもその瞬間目頭を潤ませてしまった。
2019.01.07
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私の場合、そういった情けない連中は間違いなく白髪頭を標的にしてくる。しかも長い!しかし久しぶりの再会ではあるので、まずは笑って受け流し、話題を変えてみる。でも情けない連中はどこを切っても情けない。情けなさの桃太郎飴だ。せっかくチャンスを与えて話題を変えてやっているのに、すぐさま話題を戻して「お前は歳をとった。でも俺は若い」アピールをしてくる。そうなったら私は必ずそいつの老いた部分と、それを全力で隠しているが隠しきれていないが善意でだれもそれに気づいていないふりをしているだけであることを、全て余すところ無く羅列して思い知らせてやる!そのときの連中の落ち込んだ顔は心底笑える!そして本当に笑い転げてやる。そして二度とそいつには会わないし連絡も遮断する。このように、私の白髪頭はこれからつき合っていくべき友人とそうでない連中を識別する機会を与えてくれる。
2019.01.06
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25歳を過ぎた頃から、それまでの友達と会う機会が極端に少なくなっていった。それぞれ就職や結婚などで生活環境が一変し、交友関係がガラリと変わってしまうのだ。ところがそれから20年も経つと、仕事に余裕が出たり、子育てがひと段落したり、あるいは昔が懐かしくなって、若い頃の知り合いに会う機会が徐々に増えてくる。そのとき、その20年ほどの時間にその人間がどのようになったのかが、または当時は近くにい過ぎて分からなかったその人間に本質が見えてくる。10代や20代前半の知り合いに40歳を過ぎて20年以上ぶりに会うのだ!正常な想像力があれば、お互い年相応の姿になっていることはある程度想像している。そして実際に会うとはやり多くの場合若い頃との外見的相違点はすぐに目につく。しかしそんなことは二の次で、まずは元気で再会できたことを喜び合う。それが嬉しい瞬間なのだ。でも中にはそうでない連中も出てくる。「お前太ったな。」「おまえ髪の毛寂しくなったな。」その話を力を入れてくる連中だ!その連中の言いたいことはこうだ。「おまえは太った。お前はハゲた。でも俺は若々しい。」それをアピールしたいのだ。そんな連中に限って200%年相応に老けているくせに必至てそれを隠しているのだ。実に見苦しい!もしくは、周りの人間におべんちゃらや社交辞令で発せられる「え~、その歳には見えませんよ~。」という言葉を真に受けているのだ。実に情けない!
2019.01.05
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男子からのからかいとそれを聞いた女子の爆笑を受け流して数日過ぎた頃、言葉を交わしたことのない女子の1人が背後から声をかけてきた。「ゴマ君一本白髪がある。」今度は白髪からかいが始まるのかと思ったとき次の言葉が耳に入った。「一本だけ白髪がある人は賢い人なんやで!」そういって彼女は私の頭を2回撫でた。振り返ると彼女の満面の笑みがそこにあった。それをきっかけに言葉を交わすようになった我々は52歳になった今でも親友同士だ。男女間に友情なんてありえないと言う連中がいるが、てめえらが下心を持ってしか異性と接することができないだけのクソ野郎共で、全ての人間が自分たちと同類であると思い込んでいるアホある。このように私の白髪は私に人間の本質を教えてくれることがしばしばあったが、40歳代半ばを過ぎてからはその機会が多々訪れるようになった。
2019.01.04
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ここ数年自分でもびっくりするくらい白髪が増えた。写真や鏡で見ても特に側頭部の白さはスゴイし、散髪してもらったときの床に落ちている自分の髪の毛の白髪の割合には目を疑う。私が白髪を見つけたのは中1のときだ。正確には見つけてもらった。野球部に入り丸坊主にしたときだった。それまで普通の髪型だった私が何気なく「明日丸坊主にしてくる。」とクラスメイトたちに言った次の日、みんなは私の頭を見て大爆笑した。「ハゲ」「はげ」としばらくはバカにされる日々が続いた。・・・私はこの変わった名字から、しばしばイジメの対象にされた。特にクラス替えの直後には必ずあった。小学校1年のときはひどかった。小学校3年のときもひどかった。しかしながら私は小1のときにその対処法を身につけていた。3日ほど様子を見た後、その中心になっている人物を特定する。そして朝クラスの全員がいるところでその人物を無言でボコボコにしばく!ほぼもれなくそいつはクラスの番長気取りのバカかので、そいつをしばいておくとその他のザコどもは沈黙するのだ。小1のときの失敗は、それを全員の前でやったものだから、女子が職員室に駆け込んで先生にいいつけにいってしまい、しこたま叱られたことだ。小3のときは学習済みだったので、陰で中心者をしばいた。先生にもバレないし、その方がうわさが尾びれ背びれをつけて結構な速度で泳ぎ回るので好都合だった。・・・しかし中学でそれをするのも大人げないと思い、バカ連中が飽きるまで「ハゲ」のからかいを受けることにした。
2019.01.03
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