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先の東京オリンピックの開催前…テレビも新聞も一貫したネガティブ・キャンペーンを大々的に進めた!予算がどうこう、試合会場の環境問題がどうこう、選手村の建設が間に合わないだの、メイン会場に至っては、それら全てをミックスしたような報道…競技会場に行きたいと思っている日本人の割合が少ないだの…前売り券が余って仕方がないだの…毎日聞き飽きて見飽きるほどだった!
2024.05.31
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ところがどうだろう?我々日本人の多くは自分は世の中の情報をほぼ正しく知っているし、知らされている・・・と心の中のどこかで思っている。68位なのにだ!多くの人はこの順位を知らなかったと思う。なぜか?理由は簡単!この国がそれを隠しているからだ。あるいはこの国に影響を与える力を持っている何かまたは誰かがそのように働きかけているのだ。そしてその何かまたは誰かが望む方向に操作された情報にいとも簡単に踊らされている。もちろん踊らされていることにも気付かないし、踊らされたことをも次の踊りを強要されるがあまりに忘れてしまっているのだ。たとえば最近よく耳にして目の当たりにする機会が増えた『ネガティブ・キャンペーン』だ。最近で一番ひどかったのは、東京オリンピックだった。開催前の多くの報道を皆さんは覚えているだろうか?
2024.05.30
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この『報道の自由度ランキング』は毎年発表されている。対象国は180ヵ国だ。ランキング最下位のツートップはもう皆さんも想像することは容易であろうと思う。179位 中国180位 北朝鮮この2国の順位は不動だ。「やっぱりな」・・・なんて笑ってはいられない。この2国は我々日本の隣国なのだ。地続きでないにしても目と鼻の先の距離であることを忘れてはならない。でだ!この日本は何位にランキングされていると皆さんは思うであろうか?ちなみに2022年度より2023年度はランキングが上がったと喜んでいる著名人の方もおられたが・・・68位だ!日本の『報道の自由度ランキング』は上がって68位だ。上位3分の1の中にも入ってないのだ。
2024.05.29
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みなさんは『報道の自由度ランキング』というのがあることをご存じであろうか?世界各国の報道機関の独立性や透明性についてそれらをスコア化して順位をつけるというものだ。もっと平たく言うと、その国がどれだけ物事を正確に包み隠さず国民に知らせているのか・・・の順位なのだ。
2024.05.28
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特に若い世代の諸君には今一度しっかり考えてほしい!学校等で聞く「情報リテラシー」の定義って何だと理解してるだろうか?だいたいは「情報を正しく読み解いて活用できる能力のこと」・・・なんて感じで教わっていることと思う。「情報を正しく読み解く」という意味の中にはもちろん正しい情報とそうでない情報を見抜く能力が含まれている。で!だ。ここで我々が今一度考えなおしたいのは、正しいと思っている情報が本当に正しいのかどうかなのだ。例えばそこに思い込みや刷り込みが入っていないかどうか・・・といった点だ!同じく、この国が我々に与えている情報が本当に正しいのかどうか・・・だ!
2024.05.27
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『福田村事件』の話から入った今回の話題の題名を私は「情報リテラシー」とした!「情報リテラシー」の概念があれば『福田村事件』起こらなかった・・・なんて上辺だけのことを言いたいのではない。今一度この「情報リテラシー」という言葉の意味さえももう一度根底から考え直さねばならないことを訴えたかったのが真意だ。
2024.05.26
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何度も何度も言うようですが、『経済』とは正確には『経世斉民』!意味は「世の中(または国)をおさめて、民を救う』だ。民を救う手段が『経済』なのだ。なのに誰もその本来の意味を知ることもなく伝えることもなく、ただ私利私欲を満たす道具としてしか経済を用いることしかしていない。我々人類はどこで道を踏み間違えのだろうか、、、
2024.05.24
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いまだに続いているウクライナ戦争だってウクライナとロシアのキリスト教観の相違が原因であるし、パレスチナのガザ地区で続いている戦争だってイスラム教の一派ハマスとユダヤ教国家イスラエルの戦闘だ。このブログで何度も言っているが、どの宗教も人々の幸福と平和を求めている。しかしそこに経済が入り込み、経済的不公平や野心から戦争の道具や口実に用いられてしまうのだ。では、では、だ。『経済』っていったい何なんだ?・・・という疑問に立ち向かわないといけなくなってくる。そこを公教育でちゃんと教えないことに私は大きく憤っているし、大きな疑問符をなげかけてしまう。
2024.05.23
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このように宗教と経済が結びついてしまうと、宗教はもうその本来の目的を失ってしまうのだ。で、この『宗教改革』は成功したのかといわれると、残念であるが答えはNoだ!全ての宗教はもはや金儲けの口実に成り下がっている言わざるをえない。もしそうでないなら、ローマ法皇の一言でウクライナ戦争を止めることができるし、ガザ地区で起きているユダヤ教とイスラム教の殺し合いを宗教的観点から止めることができるはずなのだ。いや、宗教が経済の奴隷と化していないなら、そもそも戦争や内戦なんて起きるはずもない。我々人類は常に大きく道を踏み外してきたと言わざるをえないのが今現在の実情なのだ。
2024.05.22
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たとえ殺人を犯してもお金さえあれば免罪符を買って罪に問われない。金持ちは犯罪し放題。一方教会側はお金が欲しいから金持ちにより重い罪を犯させる。この循環が完全に出来上がってしまう。そしてこの循環は一周ごとにその大きさが増大する。犠牲になるのは大勢の庶民だ。ルターとカルバンが反旗を翻すもの当然だ。そしてルターは「もう一度、聖書の教えに立ち返ろう!」と呼びかける。これが『宗教改革』につながっていく。『改革』でなく『原点回帰』ではないのか・・・という疑問を抱く人も少なくないだろう。私もその一人だ。
2024.05.21
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そのヒントになる知識とは、歴史の教科書に出てくる『宗教改革』だ。ヨーロッパに広く流布されたキリスト教は中世になって東側と西側のグループに分かれた。ひとつは『正教会』、もうひとつは『カトリック教会』。『正教会』内部でも様々なことが起こるか、教科書が触れているのは『カトリック教会』のことだ。『カトリック教会』は[免罪符]を販売する。それは罪を許されるチケットのようなものだ。罪が重ければ重いほど値段が高くなる。言い換えれば、大金持ちは殺人をしてもそれを購入できる資金があるから罪に問われないのだ。人々が罪を犯せば犯すほど教会が儲かる仕組みが構築された・・・まさに、宗教と経済が結びついたという訳だ。こうなってしまってはもう宗教の本質は失われてしまう。それを指摘して反旗を翻したのが、カトリック教会に所属していた《ルター》と《カルバン》だった。
2024.05.20
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「経済とは何か?」これを問い直すことを阻むもの!それはこの世界を覆いつくす風潮だと私は思う。そしてその風潮をつくり出している者はだれなのかも我々はよく考えなければならない。この世界に経済を本格的に導入しようとした国・・・それはイギリスだった!正確にはイギリスを中心としたヨーロッパ諸国だった。もちろんこれらの国々はキリスト教の社会だ。政治と宗教も完全に結びついていた。(ちなみに日本は「政教分離」の国だが、これは世界的には珍しい方で、多くの国が政教一致で国政がおこなわれている)経済体制を導入するにあたって問題視されたのは、政治と経済、宗教と経済が結びつくことだった。政治と宗教が結びついていても基本的に問題はないのだが、それらと経済が結びつくのは問題アリ・・・と、当時の人々は知っていたのだ。ことろが、この歴史的史実の問題を論じることがタブーとされている。そう、それを論じると「経済とは何か?」の答えに直結してしまうからだ。しかし、我が国の公教育の中でこのヒントになる知識が1つだけ残されている。誰かが意図的に残したのか、または偶然残ったのかは分からないが・・・
2024.05.19
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経済がそれなのだ!でもここもよく考えてほしい。経済がついて回るのは国家だけではない。宗教にもついて回る。今現在の地球上で我々人間が何らかの行動をとろうとすると経済はついて回る。人種差別だってそうだ。貧困層の人間がその不満のはけ口として、なんらかの理由をつけておこなうのが差別なのだ。つまり差別だってその根底には経済が隠れている。殺し合いの連鎖を止めるには、今一度「経済とは何か?」と問い直すべきなのだ。しかしまたそれをできなくしているモノがあり者がいるのだ。
2024.05.14
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そしてもちろん国家がどうこうでの殺し合い・・・ちょっと冷静に考えてみる時期がもうとうの昔にきているのではないかと思う。国家って・・・要ります?もっと厳密に言うと国家間での殺し合いって必要なのか・・・ってことです。人々の安寧な生活を維持するうえでの国家は必要ですよ。ただ、他国の人たちの命を奪ったり、そのために自国の人たちの命を犠牲にするのって・・・どうなん?この観点からもう一回国家の意味を我々人類は考えな直すことはできないのだろうか・・・それを考えるときに大きな障害になるものがある。そこから改めるべきなのかのしれない!
2024.05.13
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次は人種が違うだのなんだの・・・肌の色、目の色、言語、ルーツ等々・・・それが違うからといって、命を奪う理由にはならない。そんなものの違いなんてほんのほんの微々たるものだ!例えば人間とチンパンジーの遺伝子は何%異なっているのか知っているだろうか?1%未満なのだ。つまりは99%以上は同じなのだ!ちなみに人間とバナナの遺伝子に至っては、50%同じなのだ。つまり地球上に存在しているというだけで、これほど我々生物は共通点が多いのだ。人種の違いなんて、遺伝子レベルでいったら全くないのだ。だから、殺し合う理由になんてならない。
2024.05.12
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それは、その人の命を奪うに至る理由として適切なのか?または、命を代償とするのに同等またはそれ以上の罪なのか?これを冷静に判断する力を我々人間はおそらく個人単位では持ち合わせることが可能であるか、集団になると多くの場合不可能であったと言わざるを得ない。一番馬鹿々々しいのが宗教を原因とする殺人だ!どの宗教の開祖も私の知る限りでは殺人を肯定していない。なのにどうだ!?今現在パレスチナのガザ地区で起きているハマスとイスラエルの戦争を、ムハンマドやアブラハムが見たらどう言うだろうか?間違っても彼らは「よくやった」とは言わない。おそらく彼れは命をかけてでも止める!!
2024.05.11
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この「決めつけ」を無くすにはどうすればよいのか?・・・『福田村事件』はその重要性を我々に投げかけている。おそらくその手段は1つしかない。目や耳に入ってくる情報が正しいのかどうかを検証する冷静さだ!!これをしないが故に我々人類は有史以来数多の命を奪ってきた!!それを訴えかけている文学作品・小説・ドラマ・映画・アニメも数多ある!!しかし・・・我々人間は心のどこかで「自分は大丈夫」と思い込む弱さを排除しきれないでいる。まず疑うべきはそこからではないのだろうか?自分の目線、感覚、常識、知識・・・ここをまず疑う勇気が必要だ。特に、直接的であれ間接的であれ、だれかの命を左右する判断を迫られるときにこそ必要だ。
2024.05.09
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到着した隣村の自警団は「どこに朝鮮人はいるのだ!」という言葉を発し、それがまた行商団が日本人でないという決めつけを加速させる。結果、15人の行商団のうち9人を集団で殺害するに至る。・・・といえば、きれいに聞こえるかもしれないが、実際はリンチだった。中には彼ら行商団の素性なんかどうでもよく、殺害自体を楽しむ者もいたという証言すらある。殺害されたのは女性と女性2名子供2名を含む9名というのが正式発表であるが、うち1名の女性は身ごもっていたので、お腹の子供を入れれば10名が殺害されているのだ。
2024.05.08
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「10円五十銭」・・・全員が言えた。言えたから日本人だ! とはならず、次の質問に移る。「天皇陛下万歳!言ってみろ」・・・全員が言う。言えたから日本人だ! とはならず、「声が小さい」「何だその目は」と些細な言いがかりをつけて、「やはり朝鮮人だ」「朝鮮人に決まってる」となる。こんな問答が続く。これが決めつけの典型だとも言えるだろう。単純に考えて、日本人か朝鮮人かを判断するのであれば、両者に該当する確率は50%ずつなければもうそれは決めつけだ。そして残念なことにこの問答が続く最中、隣の村からも自警団が到着する。
2024.05.07
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駐在が現場を離れた後も、行商団一行に様々な質問が投げかけられた。映画の中でもこの状況は事実に近い形で再現されている。例えば、村人が、「十五円五十銭と言ってみろ!朝鮮人は、だ・じ・づ・で・ど の発音ができない」と言う。行商団一行が1にずつちゃんと発音する。ちゃんと発音したにも関わらず、次の質問に移る。つまりは、彼れが日本人であることを確かめたいのではなく、朝鮮人である疑いをかけることが目的の質問攻めなのだ。これこそ「~に決まっている」という決めつけの成せる業なのだ。
2024.05.06
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ちなみに、そんな差別を受けるような立場の人たちに香川県が行商の許可証をなぜ発行したのか・・・と疑問を持つ人もいうるかも知れれないので説明させていただく。これは当時の香川県の方針であった。被差別部落の人たちの経済的自立を促すこと! これが表向きの目的。そして裏側にある目的は、被差別対象者を県外に出せば問題は少なくなる! というものであった。さて、この許可証を見て村の駐在警官が本物であることを皆に告げる。村の数名の青年も日本人だというのだが、ほとんどの村人が「そんなことはない、朝鮮人に決まってる」と騒ぎ立てた。そこで駐在は最寄りの警察署に行ってこの許可証が本物かどうかを確認してくると言った。そして「私が戻ってくるまではこの人たちへの手出しは許さない」と付け加えてその場を離れた。そして約1時間後に駐在が現場に戻ってくる間に15名中9名が殺害されるのだ。
2024.05.04
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元々素性がばれてはいけないと口数を少なくしていた彼らが「しゃべり方がおかしい」と疑念を抱かれれば、さらに何も言えなくなっていくことも自然な流れといえるだろう。事実この行商団で生き残った人の証言によると、村人の言われるがままになっていてほぼ反論できなかったそうだ。そしてほぼ反論できなかった理由が他にもあった。それは『決めつけ』だ。『朝鮮人に決まっている。』・・・これだ。何の証拠もないのに・・・だ!この行商団は香川県知事が発行した行商許可証を携行していた。それは香川県民であることを証明すると共に、日本に国籍があることを証明する書類でもあった。
2024.05.02
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映画『福田村事件』登場人物の台詞によると、西日本では身なりや言葉遣いで「えった」であることを悟られる。なのでわざわざ関東へ赴く。しかし関東でも悟られる可能性があるので、言動には十分注意をする必要がある・・・ということだ。調べてみたら、その台詞は当時としては真実であるようだ。そりゃそうだろう。私が小学生だった1970年代にも残っていた差別だ。1923年の日本であればなおさらひどかっただろうことは容易に想像できる。
2024.05.01
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