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常々思うが言葉とは不思議なものである。私がそう感じる要因のひとつがそれらの発生だ。どこかで誰かが「我々の言語はこれでいこう!」なんて言って、文字・単語を創り出し・文法等を完全に理論体系化して始まったものではないのだ。言語というものは自然発生的に生まれてきていることがほとんどだ。そして初期のそれらは口承で伝えられた。我々人類=ホモ・サピエンスはそれに成功したので、現在の地球上に良い意味でも悪い意味でも君臨することができている。
2025.05.31
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ともかく!今年は蛙の声より蝉の声よりも先に夏の匂いがやってきた。5月20日の正午頃のことだ。こんなことは初めてだ。地球の何かが大きく変わろうとしている前兆のような気がする。それが地球の異常化だろうが正常化だろうが関係ない。我々人間にとっては厳しい時代の到来を意味している。昨今「平成の米騒動」なんて言われているが、日本の平均気温が1℃上がるだけでもう国内での日本米の生産はできなくなると聞いている。10年ほど前の話だ。もう我々に残された時間がほんの少しなのかもしれない・・・
2025.05.30
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地球が生まれてから今までを1年とする・・・ということは356日×24時間=8760時間と考えるということだ。そして我々人類はその最後の23分しか地球上で生きていないことになる。しかも我々人類が明確に持っている地球環境のデーターはだいたいここ150年くらいのものだと言われている。上記の考えに換算するとそれは1秒にも満たない一瞬の時間だ。それを思うと、今現在地球温暖化が問題となっているが、それは地球が異常事態に陥ってきているのかあるいは正常化していっているのかはわからないのだ。
2025.05.29
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そしていつも最後にやってくるのが夏の匂いだ。玄関を開けたとき、車から降りたとき、そしてヘルメットをとったときなんかに鼻をくすぐってくる。少し湿気を含んでじめっとした中に何かが焼けたような匂いが混じっている。あの空気を吸い込むと夏がやってくる。そんな匂いだ。今までにはなかったことだが・・・今年は蛙の声よりも蝉の声よりも先に、この夏の匂いがやってきた。5月19日の昼下がりだった。こうやって四季の感覚が年々狂ってくる。これが地球の温暖化だとは理解できる。ただ分からないのは、それが地球の異変なのか正常化なのかだ。地球の誕生が約46億年前といわれている。我々人類のルーツとなる猿人が誕生したのは約700万年前。これを1年に換算すると、我々人類が地球上に現れたのは12月31日23時37分となるらしい。
2025.05.26
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以前はミンミンゼミとアブラゼミの羽化のタイミングが早く7月中旬で、クマゼミが8月初旬と言われていた。それぞれの羽化の最適温度の違いが原因だ。クマゼミの方が高い温度を必要としていた。ところがどうだろう?ここ数年、私はクマゼミの声を7月初旬に聞いている。そしてミンミンゼミとアブラゼミの声に関しては、ほぼ聞かない。急激に温度が上昇するあまり羽化できていないのでは・・・と思うほどだ。ちなみに数年前は最初の蝉の声をゴールデンウィークの後半に耳にして驚いたことがある。ミンミンゼミの声だった。地球の温度は確実に変化していってしまっている。
2025.05.25
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次は蝉の声だ!私は子供の頃は「ミ~ンミンミン」と「ジー、ジー」が主流だった。ミンミンゼミとアブラゼミだ。ところが最近はどうだ。「ワシワシワシ」または「シャッシャッシャ」と聞こえるクマゼミが主流だ。これは完全に気温に関係がある。
2025.05.24
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まずは蛙の声だ!私が子供の頃に比べて音量がかなり小さい。これは蛙たちの数が減っているのが原因だ。ではなぜ蛙たちの数が減るのか?それは田んぼが減っている何よりの証拠だ。日本は減反政策とか言ってコメの生産量を減らしてきた。これは実に1971年から2018年まで続いていた。そして米農家の減少だ。皆さんの住んでいる場所はどうだろうか?私の住んでいるところは年々田んぼが無くなって、家が建ったり駐車場ができたりしている。で、今年に入ってからの米不足・・・そら蛙たちも姿を消すのも当然やっゆううねん。
2025.05.22
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夏の匂いが訪れる前にやってくるのが、蝉の声だ!またその前にやってくるのが、蛙の声だ!毎年梅雨の前に蛙の声、その後に蝉の声、そして夏の匂い!この順番で夏がやってくる…のだか、ここ数年何がおかしい…
2025.05.21
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私は夏が苦手だ!小学校時代までは好きだったが、中学で苦手というか嫌いになった。約40日間続く野球部地獄を未だに引きずっているのかも知れない。苦手な分、夏の訪れに敏感なところもある。体感的なら暑さでなはく、私は匂いだ!
2025.05.20
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しかしもうこの30年間ほどは「子供は叱ってはいけない」なんて教育現場を知らない連中が言い出した考えが蔓延し、その中で育った子供たちが親になっているのだからもう子供たちは自由気ままだ。もちろん子供全員がそうだとはいわない。ほんの少数の子供たちが自由気まま状態であろうとは思うが、それでもそのパーセンテージと自由気まま度の数値はうなぎのぼりであることも事実だろう。だから今後はしっかりたて分けて報道するべきだ。飲酒や居眠りやわき見運転の車両が起こした事故なのか!あるいは自由気ままに走り回っていた子供が車に突っ込んだ事故なのかを!!子供に人権はある。しかし一人前の人間として扱うために叱らないのなら、一人前の人間としての責任も負わせるべきなのだ。これもいつも言うことだが、交通事故で負傷した者や命を落とした者に過失がある場合はそれをしっかり責める世の中でないと話にならない。
2025.05.19
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店内を走る子供に注意できない親の責任も考えられるが、それが全てとも言えないと思う!皆さんはどう思うだろうか?親が注意しても叱っても走る子供は走る。またもともと走らない子供は走らない。生物学的にいうと子供の個体差かもしれない。ただ昔・・・私が子供のときは、当然今より子供の数が多いにも関わらず、店内を走る子供は少なかったと思う。理由は簡単で、店内や駅など公の場で走ってはいけないことを知っていたのだ。またその理由も単純明快で、世の中がそういう世の中だったといえる。例えば店内を走り回ろうものなら見ず知らずの大人に叱られた。私だけでなく、当時の子供にとって見ず知らずの大人って結構こわい存在だった。子供は叱られたくないから走らない。そういう世の中だったのだ。
2025.05.14
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今日もだ。夕方に近所のスーパーに買い物に出かけた。店内にいた小学生は2名。兄と妹。妹は会話の中で「私ももう1年生やから・・・」なんて言っていたので間違いなく1年生だろう。ちなみに聞き耳を立てていたのではなく、遠くにいても聞こえるくらいの大声だったので耳に入ってきたのだ。おそらく兄は2年生か3年生と思われる。2人ともきっちり店内を走っていた。親はというと知らん顔。それがさも当然の権利かのように何も言わない。しかしよく考えてみると、小学校低学年くらいの子供の全員が店内で走っているとは限らない。走る子供と走らない子供・・・その相違点は何だろうか・・・とふと考えてみた。
2025.05.13
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特に大型スーパーの食料品売り場に多いと感じる・・・走る子供だ!もうあんな場所で走ること自体が危険極まりない。ああいったバカガキたちが店内で起こしている事故もゼロではないとは思うが、幸い今のところその報告は入っていない。大人はそんなバカガキに近づかないし回避もする。バカガキたちも人を回避するくらいのことはバカなりにできる。しかしそこはバカガキだ。一般公道でも同じことだと高をくくっているのだろう。車の速度、その運動エネルギーの大きさなんかが分からない。だから事故を起こすのだ。
2025.05.12
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この原因として、保護者や大人の目を離れて一人で登下校をするようになった危機回避能力の低さが挙げられたり、あるいは幼年期の子供たちの視野の狭さなども指摘されている!・・・が、果たして本当にそれらが原因なのだろうか?もちろん原因のひとつではあるだろうが、もっと大きな要因があるように思えてならない。皆さんはどう思うだろうか?この連休中に公の場に身を置いた人は思い出してほしい。また、土日祝日や学校が長期休暇に入っている期間の公の場を思い出してほしい。
2025.05.11
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小学1年生の児童が一番歩行中の交通事故に遭いやすいという事実からいわれるようになった言葉が『魔の七歳』だ!実際2020年から2024年の5年間で、歩行中の交通事故で死亡に至った人数も小学校1年生の七歳が最も多い。その数は実に3436人!単純計算で年間約687人。1日で2人弱ということになる。
2025.05.10
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皆さんは『魔の七歳』という言葉をご存知だろうか?ここ数年で広く知られつつある言葉だ!
2025.05.07
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本日は今年のゴールデン・ウィークの最終日だった。ニュースで何回か駅や空港でインタビューを受ける人たちの声を聞いた。子供たちはこの連休中の楽しかったことを嬉々として話す。いい光景だ!一方大人たちはというと明日から仕事だ、とか・・・もう1日休日が欲しい、とか・・・そんなことをいう大人たちは自らの幸せを自覚してそう言っているのかと少し気がかりになる。私は独り身で親の介護をしている。介護に休日なし!!1年365日、1日24時間無休だ!!また介護に味方なし!!すべて自分一人でこなさなければならない。いわゆる完全ワンオペだ。休日がある者たちよ、その幸せを感じているか?連休があったとこがこの上ない幸せなんや。連休後に仕事があることがこの上ない幸せなんや。それを分かってものを言ってくれていることを願う私だ!!
2025.05.06
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私がゴールデン・ウィークを楽しいと感じていたのは小学校のときまでだったような気がする。中学校、高校は部活地獄。高校卒業後の就職先では仕事の繁忙期。でも大学の最初の3年は少しゆっくりできた記憶がある。大学卒業後は仕事の日々で、現在はそれに介護が加わっている。先日旧友の一人から何十年ぶりかで連絡があった。共通の知人の不幸を知らせるものであったが、そのあとは昔話に数分だけではあるが花を咲かせた。彼は高校卒業後の就職先を勤め上げたが、病のために来年の還暦を機に早期退職をするらしい。子供たちも手を離れた彼曰く「再来年からのゴールデン・ウィークは人生ではじめてゆっくり過ごす日々を送れそう」・・・。彼もゆっくりとゴールデン・ウィークを過ごせない人生を歩んできたようだ。「ゆっくり過ごすゴールデン・ウィークを実現するには長生きせなアカンな!」という私への彼の返事はこうだった・・・「なぁに、棺桶に入ったら入ったで、そこからは人生のゴールデン・ウィークに入れるから楽しみやわ。」改めて彼の懐の深さを知った58回目のゴールデン・ウィークもあと1日で終わる。
2025.05.05
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今年もやってきたゴールデン・ウィーク・・・何やら今日で折り返し地点だとか何とか世間では言っているようだが・・・ここ何年も私にとってゴールデン・ウィークは、正直言って少々苦痛だ。皆さんはいかかがだろうか?楽しんでいるだろうか?
2025.05.04
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「因数分解なんて学習しても意味がない!」と言い放つ人は、野菜・牛乳・たまごが必要になったときそれぞれを一回ずつ買い出しにいくのだろう。それはそれでいい!否定はしない。「お好きにしなはれや」であり「がんばんなはれや」だ。ただ!因数分解の知識を利用してまとめる行為をする我々に、まとめない行為を強要するな。「語るに落ちる」または「お里が知れる」という言葉を知りなさい。
2025.05.03
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もちろん野菜・牛乳・たまごを別々に買いに行ってもいいのだが、よっぽどの理由がない限りは普通はそんなことはせず、まとめて買い出しに行くはずだ。この「まとめる」という作業が因数分解なのだ!買いに行く行為だけを式にすると・・・式1:お店に行く+野菜を買う+お店に行く+牛乳を買う+お店に行く+たまごを買う ・・・となる。これを共通因数でくくり出すと・・・式2:お店に行く(野菜を買う+牛乳を買う+たまごを買う) ・・・となる。どうだろうか? 立派な因数分解でなないだろうか?式2を分配法則で展開すると式1になるのもその証拠だ。皆さんはどうだろうか?よく考えてみてほしい。実生活上で「まとめる」作業をしていないだろうか?それがすでに因数分解なのだ。ではなぜ「まとめる」ことが必要なのか?それは時間を効率的に使うためなのだ。因数分解の目的もまさにそこにある。
2025.05.01
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