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お店によってはもう大晦日からおやすみになっているところも少なくなかった。だが大きな店舗は大晦日まで営業していた。とはいえどもお正月三が日はやはりおやすみだ!・・・ということで、大晦日の閉店前は特に食料品は大安売りのたたき売り状態になる。我が家の母は強者なのでその時間帯を狙って買い物に行ったものだ。もちろん私も同行する。そして結構な食材が結構な格安価格で手に入れる。我々はその戦利品を手にして意気揚々と帰宅して新年を迎えたものだ。しかし最近はといえば・・・もう元旦から営業している店なんて珍しくもないから、当然大晦日の大安売りなんかないのだ。つくづくあの頃の日本は楽しかった!!
2025.12.31
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その原因のひとつはやはり社会の変化だろう。私が子供の頃は少なくともお正月三が日はほとんどのお店が閉まっているのが普通だった。正月に営業をしているのは、電車・バス・タクシーなどの交通機関お寺や神社とそのまわりに出る屋台のお店とお土産屋さんお正月映画を上映している映画館とそのまわりの飲食店そしてあとは自動販売機、、、ぐらいだった。なので町中は信じられないくらいの静けさがあり、それがお正月らしさを更に演出していた。そしてその前にある大晦日も一年に一度しかない特別感満載の一日だった。
2025.12.30
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2025年、令和7年もあと残すところ2日となった。街に出れば冬休みに入った子供たちの姿を見かける。ここ数年そんな子供たちの姿を見てふと思うことがある。彼らが感じるお正月感と我々が子供のころに感じていたそれとに大きな差があるのではないか?・・・と少々不安になる。あと2日すれば私には59回目のお正月だ!まだ10回もお正月を経験してない子供たちに比べれば慣れのようなものもあるから仕方がないのかもしれない。しかし明らかに我々が子供の頃のお正月と違うこともたくさんある。そこに正月感を薄れさせている原因があるようにも思うのだ。
2025.12.29
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そんな想像を超えるような金額の1兆円だが、特に政治の世界では頻繁に用いられます。たとえば2025年度の日本の国家予算は一般会計で過去最大の117兆円!そして特別会計(これは国会で審議されることなく国が使っていいお金)は429.5兆円!!!これはものすごい金額です。これらがホンマに我々国民のために全額使われているかどうか・・・ってのは個人的に甚だ疑問を持つところであります。ともかく!!!我々は政治や経済を語るとき、この1兆円の重みを感じながら言葉をつかうべきなのですわ。もう一回言いますよ。キリスト様が生まれてから毎日100万円ずつ使ったとしても2025年の現在まだ1兆円を使い切れていないのですよ。それどころかまだ750年も毎日100万円ずつ使えるだけ残ってますんやで!!!そこんとこよろしく~~~。
2025.12.28
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1兆円を毎日100万円ずつ使った場合、、、、約2740年で使い切ることができます。厳密には2739年と265日だったと思います。まあ考えやすいように2740年をして言わせてもらうと、キリスト様が生まれてから毎日100万円すつ渡したとしてもまで1兆円使い切っていないことになります。今年のクリスマスで2025年目ですから715年間も毎日100万円ずつ渡すことができるのです。1兆円ってそれくらいすごい金額なんですよ!!
2025.12.27
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ってことを言ってるうちに本日は12月25日!クリスマスとなりかした!ってことは・・・キリスト様がご存命ならば2025歳となられたわけです!・・・ここで話を変えて!政治の話題、特に国政のときに~兆円とかいうことばを耳にします。たとえば本年令和7年度の一般会計概算要求の額は117兆6059億円とされていて、過去最大規模となっています。ここで考えてみたいのですが!たとえばの話ですよ、あくまでね。たとえば、1兆円あったとして・・・2025年前に馬小屋でキリスト様が生まれてから毎日お小遣いとして毎日100万円ずつ渡したとします。毎日100万円ですよ!毎日ね。1兆円を使い切るとき、キリスト様はだいたい何歳になっていると思いますか?
2025.12.25
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2025年のクリスマス・イヴ、皆さんいかがお過ごしでしょうか?さて!クリスマスとは何の日でしょう?そう、ざっくりと答えると「イエス・キリスト様のお誕生日」でいいです。まぁ厳密に言うと違うのですが今回はそこには触れません。明日がクリスマスでキリスト様のお誕生日とすれば、ご存命であれば2025歳とあいなられるわけです。2025年といは言いますが、ちゃんと言えば西暦2025年ですね。西暦とは「西欧の暦(こよみ)」です。つまりこの暦を用いることで、キリスト様生誕何年目かがすぐわかる仕組みになっているんですねぇ~。
2025.12.24
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なんでもかんでもハラスメントだと言い出す時代だ!そのうち自分が座っていた椅子や座布団に私のようなオヤジが座ることすらハラスメントと言い出す連中が出てくる。こっちも座りたくてお前らのケツ体温の残る椅子や座布団に座っとるわけちゃうんじゃ!!と言いたい。とにかくそんな事態になる前に、一刻も早く「椅子ごと移動」または「座布団ごと移動」を制度化してもらいたい。何なら回転ずしのように流れるレーン的な待合席を開発してもらっても構わない。「ケツ体温問題」!!1月から始まる通常国会で審理されることを願う。あるいは高市内閣で閣議決定されることを祈る。・・・・そんなことある訳ないとはシリつつも・・・(^_^;)
2025.12.23
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またこのケツ体温は座布団がなくても、椅子から直に伝わることだってもちろんある!で、ここで提案なのだが・・・椅子に座って順番待ちをするときは、椅子ごと移動するというシステムを導入してはどうだろうか?椅子を持ち上げて移動すればこの問題は解決だ。またはコマのついた椅子であればもっとスムーズに移動が可能になるだろう。もちろん座布団の場合は座布団ごと移動をすればいいのだ。このシステムさえ導入すれば・・・見知らぬおっさんのケツ体温が伝わってくることはない。自分が今まで座っていた席の自分のケツ体温を次に座ったおっさんが感じているだろうな・・・なんて思う気持ちの悪い時間も無くなる。また自分の前の順番の人が女性だった場合もそうだ。
2025.12.22
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私が気になるのは・・・座布団の温かさだ!その温かさの正体は、私の前に座っていた人のお尻の体温・・・つまりケツ体温だ!それをもろに喰らわされる。これがどうにも苦手だ。あの生暖かさを何とかすることはでいないのだろうか?私がよくいく散髪屋さんは男性客が多い。特に私がいく時間帯はおっさんが多い。散髪前のおっさん同士のケツ体温リレーはもう勘弁してほしいのだ。
2025.12.21
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常々「なんとかならへんかなぁ~」と思うことがある。みなさんにも少なからずあると思う。私の場合その一つが順番待ちの椅子だ。ここ数年よく通っている散髪屋さんでだいたい毎回思い知らされる。みなさんは順番待ちの椅子・・・と言われて・・・何か「なんとかならへんかなぁ~」と思うことは無いだろうか?
2025.12.20
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だからだ!日常をしっかりと生きるのだ。日ごろの生活をきっちりを送るのだ。だらだらとした生活がある意味許される時期もある。未成年のときにそれは多い。あるいは学生のときだ。最近いただろう?自分が母校の大学を卒業したかどうかが分からない人が!彼女は言ったぞ。「学生時代は自由奔放な生活をしていたので卒業時の記憶が定かでない」と。自由奔放なんてきれいな言い方をしてはいたが、要はダラダラと学生時代を過ごしていたのだ。市長選挙に当選してからそのツケが回ってきた。そのツケを誰が支払った?まずは彼女を支援した有権者だ。彼らは人としての信頼を失った。次は市長失職による選挙の費用を市民が税金で支払った。こんな例を挙げればキリがないのがこの世の中でもある。だから諸君よ!そんな世の中を変えるために、、、日常をしっかり生きようぜ!!!
2025.12.18
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再三再四言ってきているが、『自由』とは「自(みず)らを由(よし)とする」ことだ。つまりその言動は自分の意志で発したものであって、その責任はすべて自分にあることを意味する。それが『自由』なのだ。日常をダラダラと過ごして判断力を喪失した挙句、第三者に迷惑をかける。それに対して責任をどうとるというのだ!!例えば判断力の欠如から簡単に闇バイトに手を染めて、高齢者が人生をかけてコツコツ貯めた老後の資金を奪い取る。中には命まで奪った連中もいた。どう責任をとる?捕まって裁判で有罪になって懲役を喰らって終わりと思うな!!その高齢者の余生にどうやって責任をとるというのだ?奪った命のどうやって責任をとるというのだ?とれる訳がない!!!!これを『取り返しのつかないことをしてしまった』というのだ!!!!
2025.12.17
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スポーツなら、結果を出せなかったり、試合に負けたり、あるいは試合自体に出られなかったりで済む。しかし日常をのんべんだらりといい加減に過ごしている人間は、ときとしてそのツケを人生をかけて支払わなければならない。それでそいつだけの人生が終わってしまうのは自業自得なので知ったことでなない。でもそのツケを第三者に回してしまう可能性が大いにあることを自覚しなければならない。その自覚もなしに日常をだらだら過ごしている人間を私は許せない。そういう連中に意見をしてもほぼ返ってくる言葉は決まっている。「俺の自由や!」・・・これだ。自由という言葉の意味も知らないで「自由、自由」という人間を私は心底軽蔑する。
2025.12.16
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「俺はやるときはやるねん」といった台詞を私に吐いた人間は今までに数多いる。ただしその中で、やるときにやった人間はいない。「俺はイザとなったら本気出すねん」と言った人間も数多いる。やはりその中でイザというときに本気を出せた人間はいない。そらそうや!スポーツでいえば日ごろ全く練習も訓練もしないで、試合本番で結果を出せる訳がない。いや、そんな人間がまずは試合に出られる訳がないのだ。
2025.12.15
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そして近年この『日常』における[判断力][決断力]を鈍らせているモノがある!ゲームにスマホやタブレットだ。PCを含んでもいい。これらの使用時間が多い人は自分で[決断]をしていない。ただただダラダラダラダラとそれらに流されて時間を浪費していることがほとんどだ。もちろん[決断]をしない生き方をしているのだから[判断]もできない。ここに学歴なんて関係ない。だから簡単に闇バイトに引っかかる。あんなのは常識的に考えればひっかかるはずがない。なのにひっかかる![判断力]の欠如に他ならない。
2025.12.14
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一方現代を生きる我々にもこの考え方は十分に該当するとつくづく思わさせることが多い。『日常』をのんべんだらりと生きている者は、いざという時の判断を簡単に間違えるのだ。厳密に言えば、いざという時の分岐点に立たされても熟慮することなくだらだらと何かに流されてしまう。老若男女問わず、日常をだらだら過ごしている者は何かをやらかす・・・たとえば・・・簡単に借金をする、簡単に犯罪に手を染める、簡単に友人や恩人を裏切る、簡単に親や家族を見捨てる、皆さんには心当たりがないだろうか?ただ、一見日常をだらだら過ごしているように見える人でもこれらの事態に陥らない人もいる。また反対に一見日常をきっちりと過ごしているように見える人でもこれらの状況に陥る人もいる。では日常の何がそれらの両者を分けるのか・・・それは日常の[判断]または[決断]を自分でしているかどうかなのだ。
2025.12.11
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さらに彼らはその感情の量もコントロールしていた。簡単に言うと、自分に対するプラスの感情は抑制して、反対に自分に対するマイナスの感情は多めに表現していた。自分で自分を褒めることは恥ずかしいこと!そして自分の欠点はしっかり表現する!反対に他人の欠点は指摘したりせず、他人の良いところはしっかり褒めるのだ。その最たるものが、真剣勝負で負けたとき・・・地面に倒れこむ前に相手に対して「お見事!」と言葉を残す行為であるとも言えるだろう。自らの死を目前にしてもこの姿勢を保つのだ。なんという精神力だろう・・・。
2025.12.10
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その方法は簡単と言えば簡単!喜怒哀楽の感情を隠さずしっかり表情や態度そして言葉に出すことだ。嬉しいことは嬉しさを、怒りを感じるときには怒りを、哀しいときには悲しみを、楽しい時には楽しさを・・・意図的に表現する。そこからもっと感情を細分化させて、なおかつ自分自身ではなく第三者に対して思いやりの心をもって・・・美しいものには「美しい」と、美味しいものには「美味しい」と、違和感があるものには「違和感がある」と、いけないものには「いけない」と、辛いときには「辛いだろう」と、悲しいときには「悲しいだろう」と、やはり意図的に表現する。それはそのまま自分の感情をコントロールする訓練になるのだ。
2025.12.09
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もちろん剣技や肉体の鍛錬は言うまでもないが、『日常』における精神面の鍛錬も武士たちは怠らなかった。真剣を構えて敵と対峙するときに起こる心の乱れを彼らは嫌った。「殺されるかも知れない」または「相手の方が強い」などと感じてしまったら、動きに隙ができたり動作が遅れたりするのだ。それはすなわち死を意味する。だから心の動きを制御するため、意図的に自らの心を意図的に動かすことを日常生活の中に求めた。そう!何かに心を動かされるのではなく、自分で心を動かすのだ。
2025.12.08
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60歳を手前にしてつくづく実感することがある。それは『日常』の重要性だ。人間というもの日頃の行動が本当に重要だ。その昔・・・命のやり取りをする場面がある武士たちはこの『日常』を重要視していた。相手と真剣を構え合う前にすでに勝敗は決していると考えていた。
2025.12.08
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あまりに冷え切ったので、目的地に到着するとすぐにお手洗いに向かった。ただでさえ頻尿傾向のお年頃の私にこの寒さは心底こたえた。いざ、用を足そうとしたとき・・・下半身の異常な冷え方の原因が判明した!ズボンのチャックがおもいっきり全開ではないか・・・この状態でこの気温が低い日に50分弱もバイクで走れば・・・そらそやわ(-_-;)
2025.12.06
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本日は今年一番の冷え込みだった!そんな寒さ厳しい日にオートマチックのスクーターで家を出る。スポーツタイプのバイクであれば、信号待ちで恥を忍んで上半身をタンクに近づけた姿勢でグローブを付けたままエンジンを触る。エンジンの熱が手に伝わってきて気持ちいいのだ。しかし今日はスクーターなのでそのハンドウォーマーが使えない。覚悟して冷気の中を走行する。もちろんいつもの通り全身を寒さが襲うのだが、今日は特別にお腹あたりが寒い!こんなことははじめてだった。そのうち足までがくがくと震えだす始末だ!!40年以上バイクに乗っているがこんなことは今までに無かった。もっと寒い雪の降る日にツーリングをしたこともあるが、こんなに寒さを感じたことは無かった。しかも下半身にだ。
2025.12.04
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少年時代の物語を最後まで観ることができたのは、自分が作品中の寅次郎より年上だったからかも知れないと思う。来年60歳になる私は映画シリーズの寅さんより年上になっている。来年60歳になったとき、もう一度、50年ぶりに『望郷編』を観てみようかと思っている。最後まで観られるのかどうか、、、観られたとすれば、どのような目線で観ていたのか、、、あのラストシーンを観て自分自身が何を思うのか、、、なんとなくワクワクすると当時にどことなく怖かったりもする。ともかく!60歳を迎えたときにもう一度「男はつらいよ」と向き合おう。そして今一度10歳の頃の自分とも向き合おうとも思う。
2025.12.01
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