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去年古い知り合いから何年かぶりに連絡がきた。彼女は小学校の先生をしている。もうベテラン教師の年齢になっている。彼女が担任をしている4年生のクラスでひとりの女子児童がクラスメイトにかなりの暴言を吐いた。私でもここでこの言葉をそのまま掲載するのがはばかられるレベルだ。その場にいた彼女はもちろん注意をした。「そんな言葉を使うものではありません。二度と言わないように!」と。するとその日、その女子児童の親から抗議の電話が学校に入った。「他の児童もいる場所でうちの娘が恥をかかされた!!」とかなりのけんまくだったようだ。
2025.09.30
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その理由を簡単に説明すると、バイクの特性に話は至る。バイク(あるいは人がバランスを取らないと成立しない乗り物)は、運転者の見ている方向に進む性質がある。ゆっくり走らせたいときに下の方ばかり見ていると、バイクがどの方向に進んでいいか分からなくなる。下を見てもバイクは地面に潜っていけないのでバランスを失うのだ。みなさんは学生の頃、運動場に白線を引いたことがあるだろうか?石灰の粉が入った縦長の手押し車をカラカラと押しながら・・・あのときも地面を見ていてはまっすぐなラインは引けない。ラインの始点にライン引きの車をセットしたら、もう目線は終着点を見る!そして終着点が近づけば、さらにその延長上に目線を置くのだ。目線を遠くに置く!!これはバイクやライン引きのときだけではなく、人生の様々な場面で重要となることが多い。
2025.09.29
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「目線は遠くに」バイクの実技指導をしているときによく言うセリフだ。基本的にバイクは人間が運転しないと自立できない。自立できなければ転倒してしまう。転倒しないためにはある程度のスピードが必要になる。だからゆっくり&まっすぐバイクを扱うことが難しくなる。このときのポイントが大きく2点ある。ひとつは正しいフォーム!そしてもうひとつは目線だ!!目線を遠くに置くことでバイクをゆっくり&まっすぐ走らせることが可能になる。
2025.09.27
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買物でも特に食材の買い出しのときだ。買うものを決めているときは問題ないのだが、ときどきあるイレギュラーな場面でそれは往々にして起こる。たとえばいいジャガイモがあったとする!品質も良いし価格もお手頃だ。「買おうかな?」と思った瞬間頭によぎる思い・・・それが、「あれ?家にジャガイモあったかいな?」だ。「無かったんちゃうかな?」と思って買った場合、かなりの高確率で家にある!「あったんちゃうかな?」と思って買わなかった場合、やはりかなりの高確率で家にない!こなとき私はいつも冷蔵庫の前で文字通り挫折する。「無かったんちゃうかな?」と思ったときはあるから買わないで帰る場合は、無い!「あったんちゃうかな?」と思ったときは無いから買って帰る場合は、ある!このように裏をかいたつもりでも、やはり外す!!この戦いは今後も続くだろうし、さらに激化しそうだ。それでもめげずに買い物に笑顔で向かうのも大人力だと信じたい。
2025.09.25
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自分の衰えを明確に自覚することができる大人でありたい・・・母親の介護に伴って炊事をするようになってそろそろ6年になる。ひとり暮らし時代から自炊はしていたし、若かりしころは数々の飲食店でバイトもしていたのでまあまあできる方だったのであまり苦ではなかった。しかし最近自らのポンコツ化に伴い少々問題が発生してきている。それは・・・買物のときだ!!
2025.09.24
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それでもまだ『チビラくん』に登場した【ゴルバ】と『うる星やつら』に登場した【宇宙をさすらう正義のセールスマン】のフルネームは間違えることなく言える自分は健在だ!!・・・という事実は報告させていただく!!これぞ《大人力》!!
2025.09.23
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いかに自分が衰えてきているか・・・これを正しく知ること、そしてその事実から逃げずに正面から受け止めて自覚をすること!これぞ大人力と思ってはいる。しかしそれがかなり残酷なときもある。そう!得意分野のことをいつの間にか勘違いしてしまっていて、さらにそれに気づかないときがまさにそうだ。私は幼少の頃、かなりのテレビっ子だった。とくにアニメは大好きだった。でもいつの間にかその大好きだったものについての知識を勘違いしてしまっている自分に気づかされるときがある・・・たとえば!『アパッチ野球軍』の大根と花子を間違えていたり・・・(ファンの皆様のお叱りはごもっともですm(_ _)m)『キャプテン・フューチャー』と『レンズマン』を勘違いしていたり・・・(オットー様に申し訳が立たないm(_ _)m)『ひみつのアッコちゃん』の主人公・加賀美あつ子の飼っているネコの名前をど忘れしたり・・・(自分の記憶自体をラミパス ラミパス ルルルルル~したいm(_ _)m)ただこればっかりは「歳やからしゃぁばいわ~」とあきらめるわけにはいかない。今後しっかり復習をしていきたい!!
2025.09.22
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しかしながら、このアイドルを含めた芸能人の顔を覚えられないことについては少々反論がある!私の子供の頃の大人は・・・ピンクレディーやキャンディーズのメンバーの顔を覚えられないと言っていた。ピンクレディーは2人だし、キャンディーズは3人だ!しかし!!!今はどうだ?5人や6人のグループなんで当たり前で、中には48人が1グループを結成している場合だってあるのだ。歳を喰って多少覚えられないからといって、そんなに責められなければならないもんか?と声を大にして言いたい。とはいえ、こんなことを本当に声を大にして言ってしまえばそれこそ『聞くに堪えない年寄りの戯言(たわごと)』と一蹴されてしまうとこは重々承知しているので・・・・実際には黙っている。「これぞ大人力ぅ~~~」と自分に言い聞かせながら・・・。
2025.09.21
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自分の衰えを自覚する!これができることも立派な大人力だと常々思ってきた。「俺はまだまだ大丈夫や!」「私はまだまだお前たちに負けるわけがない!」若いころに散々聞かされてきた言葉だ。私が歳をとったら、そんなことを言葉にしなければならない時点でもう大丈夫ではないことやもう負けていることを自覚できる年寄りになりたいと思ってきた。そしていつの間にか還暦まで1年を切った年齢になっていた。・・・歳をとると異性の顔が覚えられなくなる・・・と聞いたことがあった。それはもう男性であれば生物としての「雄」の部分が衰えだした証拠だとも聞いてきた。子供の頃、アイドル歌手なんかの顔を名前が一致しないなんて言ってる年配者を見るたびに「ほんまかいな?」と驚いたものである。しかし、ここ数年私もそうなってきた。
2025.09.19
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該当しない人もいるだろうが、私を含めた多くの場合の原因は多忙だ。しなければならないことが有りすぎるのだ。たとえば朝食の用意と仕事で出かける準備を同時進行しながら家にいる母の昼食のことを考えているとする。目の前に迫っている朝食のための牛乳を取りに冷蔵庫の前に移動している途中で母の昼食を何にしようかを思考を巡らせているとき・・・冷蔵庫を開けた瞬間に「あれ?自分は今何をしていたんかな?」となるのだ。私はそれを防ぐために歌うことにしている。声に出すか出さないかは別として、適当なリズムをつけて「ぎゅ~にゅう!ぎゅ~にゅう!」なんて言うのだ。それはかなり効果的だ!それでも自分のポンコツさを思い知らせられるときもある・・・・先日のことだ・・・トイレの戸を開けて・・・「あれ?何しにきたんやろ?」・・・となってしまったのだ。「トイレですることはひとつやろうがい!!」と自分にツッコんでしまった。
2025.09.18
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自分かどれほど衰えているか・・・これをちゃんと認識できる人間でありたいと思う。しかしそれを認識するということは少々残酷なことでもる・・・なので面白がるというかある意味楽しむことも大人力ではないかとも思う。・・・ある程度の年齢を重ねた人にはあるあるネタのひとつが「あれ?何をしに来たんやろ?」と思うシーンに出合うことだ。ある部屋に入って「あれ?何をしに来たんやろ?」冷蔵庫を開けて「あれ?何を取りに来たんやろ?」話をしていて「あれ?何の話の途中やったんやろ?」といった具合だ。実は私はこの現象に至る理由を知っている。結構簡単なことだ。
2025.09.17
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店内に入ってすばやく買いたかった品物を手に取りレジへ向かう!ここまではかなり無駄なく動けている。「俺もまだまだイケてるな!」と思っていると自分のレジの番になる。ここで・・・まずスマホ内のどこにこの店のアプリがあるかが分からなくなる・・・焦りながらもなんとかアプリを見つけて開く・・・開いたはいいが、店によってアプリの使い方が異なるので「このアプリはどうやって使うんやったかっけ」・・・と軽くパニックになる・・・それでも何とか店員さんにアプリのバーコードを提示したとき・・・「これ、、、他店のアプリですねぇ~、、、」と言われた瞬間・・・自分のポンコツさを痛感させられる!!
2025.09.16
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自分がいかにポンコツかを知る機会は日常生活上にいくらでもある!それにちゃんと気づいてロートルであることを自覚する大人力を身に着けたい。・・・私はよくホームセンターに行く。仕事で使うコピー用紙や生活用品を買うのは当然だが、結構目的もなくウロウロするのもすきだ。しかし最近はウロウロできる時間はなく、さっさと買物を済ませることばかりだ。最近といえば、各ホームセンターで専用のアプリがあり、それをスマホにインストールしておけば何かと便利に買い物ができる。私も生意気にこのアプリを複数スマホに入れている!
2025.09.15
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自分がいかにポンコツになってきたか・・・これに正面から向き合うことも大人というか老人のたしなみではないかと最近思うことが多い。「自分は歳の割にはまだまだ大丈夫」と思ってきたがどうやらそうではないみたいだ。・・・今日買物をした。よせばいいのにセルフレジを利用した。商品のバーコードをレジのスキャナにかざすのだが・・・手にした商品のバーコードが見当たらない・・・「横か? いや裏か?」と商品をくるくる回していると機械から「ピッ」と音がした。どうやら機械は私より先にバーコードを見つけたようだ。もちろんその時点に至っても私はバーコードを見つけられていなかった・・・。「ああ、、、俺ももうロートルやな、、、」とつくづく痛感させれらた・・・。
2025.09.14
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私は子供の頃に大人たちによく言われた。「お天道様は見てるよ!」「それで堂々とお天道様の下を歩けるのか?」と。この「お天道様」とは太陽のことだ。私のようなバカ児童に正面から接してくださった小学校の教頭先生にこのことを質問したことがある。先生はこう教えてくださった。・・・それはな! 心の中に太陽を持てっていうことや。 太陽は明るいやろ?ものすごく明るいやろ?その明るさで心の中の闇の部分を自分で照らすんや。だいたい闇の部分にはその人の悪い気持ちが隠れてるからな!そんな悪い気持ちがある人間は、平気で誰かを傷つけたり、モノを粗末にしたりする。そのうち誰かを粗末にあつかいはじめる。そやからそんなことにならんように、自分で自分の心を照らすんや。・・・教頭先生の言葉が道徳の神髄に迫っていたことに私が気づいたのは、それから何十年も経ってからだった。私はそのような人間でありたいと還暦近いこの歳になっても強く思っている。
2025.09.13
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このような人間にならないために、『利己的』『近視眼的』にならないために、道徳がある。そして人のあるべき姿や考え方を説いたものは、何も道徳だけではない。様々な学問や文学もそうだし、宗教なんてその最たるものだ。ところが今の現実はどうだ!学問はただただ試験でより良い点数を取るだけの道具に成り下がり・・・文学も軽視され排斥され、たとえ読まれたとしても「ああいい話だった!!」とただの他人事として受け流され・・・宗教に至っては権力を誇示するための道具・金集めの口実・戦争を起こすための大義名分にまで陥れられている有り様だ。この宗教の没落に至っては、すでに2600年も前にすでに釈迦が予見していた。お釈迦様はたいしたものだ・・・というべきかその予見を覆せない我々人間の愚かさを嘆くべきなのかは私には分からない。
2025.09.12
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『利己的』=『近視眼的』=『自分の姿さえ見えていない』のだ。もちろん周りの状況なんで見えていない。だから感謝の気持ちなんてないのだ。おまけだけを取って食べ物を捨てる行為がまさにそうだ。おそらくいい大人が資金力にものを言わせて大量に食べ物のセットを購入して、その付属品であるおまけだけを取るのだ・・・同じくおまけが欲しい子供たちの気持ちが見えていない。その子供たちがおまけを手にして喜びながら親と一緒にそのお店で食事をする楽しい時間を奪っていることが見えない。人手不足・低賃金の中で懸命に働いてその食べ物を作って提供している店側のスタッフの気持ちが見えないから、平気で食べ物を大量に破棄できる。その食べ物の原料となる食材を苦労して作った生産者たちの苦労が見えないから気持ちも分からない。同じく動物であれ植物であれ、食材は『命』なのだ。生き物の命をいただいている事実が見えないから命を粗末にできる。これほど最低の人間たちが他にいるだろうか?
2025.09.10
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『近視眼的』になり過ぎて目の前の損得しか見えていない!今この時点で自分だけが得をすればいい。今この時点で自分だけが損をしなければいい。もう何を指しおいても「自分、自分」だ。本当に見苦しいというよりは醜い姿だ。しかし自分の目の前の損得しか見えていない人間には自分の姿なんか微塵も見えない。そして暇さえあれば言葉で自分を飾って言葉で自己弁護をする。それはそのまま言葉で他人を陥れて言葉で他人を責めることと同意であるのだ。
2025.09.08
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「利己的」な人間にはその根源に共通の特徴がある。まず感謝がないことだ。身の回りのありとあらゆるものに感謝がない。たとえ言葉で感謝を伝えることがあっても、それは偽りなのだ。そう! 日ごろの行動がそれを物語る。『ありがとう』の言葉の意味を知らないからそうなる。『ありがとう』=『ありがたい』を漢字で表記すると『有難い』だ。『有ることが難しい』・・・つまり通常は無くて当たり前なのだ。たとえば誰かが自分のことを心配してくれる・・・それが『有難い』=『普通はだれもしてくれないで当然』であるのだ。普通はだれもしてくれないで当然のことをしてくれるから『有難い』のだ。ちなみに『有難い』の対義語は『当たり前』だ。そこには感謝なんて微塵もない。たとえ言葉で「ありがとう」と言っていてもその人間の行動をみれば判断できる。もうひとつは発想が近視眼的であること。
2025.09.07
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その違いは、その人間の日ごろの行動に如実に表れている。「利他的」か「利己的」かである。言葉ではない。あくまで行動だ。「利己的」な人間ほど日ごろはいいことを言う。自分が道徳心のかたまりかのような・・・自分が人間社会における善の象徴であるかのような・・・私は基本的にそのような連中は信用しないようにしている。そして結果的にそれで正解だったことしか無かった。
2025.09.06
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極論になるかも知れないが、我々人類全員が揺らぎない道徳心を持ち合わせたとするならば、それはもうすでに『道徳心』とは呼ばれずに普通のこととして認識されるのだろう。いや認識さえされない可能性もある。道徳心を持つ人たちがいれば、不道徳な人間もいる!悲しいかなこれが我々人間の社会なのだ。なので我々は常に選択に迫られる!道徳的な言動をするか、不道徳を選ぶか・・・・前者になるか後者になるかの分岐点は明確に存在すると私は常々感じている。
2025.09.04
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特に日本人は道徳心が強いとされてきた。私が思うにそれは古くは古事記から、そして仏教思想の伝来によってさらに強化されてきたのではないかと思う。道徳心が強化されればされるほど、ある程度の割合でその思想から逸脱する人間も出てくる。これは道徳が逸脱者をうむという順番になる。中には逸脱者が多いからこそ道徳が必要になってくるという説もある。こうなると逸脱者がいるからこそ道徳が必要となると言えてくる。ということは・・・道徳と逸脱者(以下、不道徳者)は共生関係にあるのではないか・・・とも思えてくるのだ。
2025.09.02
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当時、大人で仮面ライダースナックを買いあさっていた人はそんなにいなかった・・・というか私の知る限りでは皆無だ。だからおそらく廃棄したのは子供の可能性の方がかなり高いと思う。少なくとも私の身の回りで起こった廃棄事件の犯人は子供だ。つまり・・・おまけ目的で購入した食品を廃棄するのは全てが外国人だと言い切るのはどうかと思う。もちろん明らかに外国人の仕業であると言い切れる案件もある。そこで大切になるのは、国籍や年齢の枠を超えた道徳心の有無だ。
2025.09.01
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