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わたしが北京で生まれた日中ミックスのわが子の日本語を育てるためにできるだけたくさん日本語で話しかけること以外に特に心を砕いたことといえば、「読み聞かせ」です。特別なことでもなんでもありませんが、中国語にどっぷりと浸ったわが家の環境で、母一人で子供の日本語を育てていくことを考えた時、これしかない!というぐらいわたしはこのことを大切だと思っていました。生後6か月ぐらいから、子供が関心を持ちそうな絵本をいろいろと揃え、子供が興味を持ったタイミングで読んであげるようにしました。最初は、「どうぶつ」「くだもの」など物の絵や写真が書いてあるだけの、物の名前を教えるような絵本や、ほとんど絵だけの本など。子供が手に取ったら一緒に本を楽しみ、飽きたら追いかけません。子供の様子をよく観察して、興味を持ったタイミングで、読んであげる。本に書いてある通りに読むというよりは、本をきっかけに日本語に触れられればよいので、勝手にお話を作ったり、書いてあることと違うこともいっぱいお話ししました。子供が喜べば長いこと集中するので、子供が楽しんでいることがなにより大切だと考えました。たとえば、子供が絵本の端っこをかじっていたとしても、「汚いでしょ!」と怒るかわりに、「あーら、〇〇ちゃん、絵本が好きなのね~ そこに描いてあるのはリンゴだよ。赤くておいしそうだねぇ~! ほら、り・ん・ご。こっちはみかんだよ。 このみかんは甘いかな?酸っぱいかな?」といった感じで、絵本の世界に入っていく。絵本にはりんごやみかんの写真があるだけなのですが、わたしは勝手にペラペラと話し続けます。子供が興味を持って続きを見たそうにすればそのまま読み続け、興味がなければ別の遊びをします。子供は本を読む、というよりは、本をめくる動作に夢中になっている時期もありました。それでもいいと思っていました。本を身近において、願ったこと―――本好きの子供になりますように。絵本は、中国語で書いてあるものでも大丈夫。子供はまだ文字を識別しないので、本の絵や文字をヒントに、勝手に日本語でお話しを作ってあげていました。逆に、義母は、わたしが準備した日本語の絵本を思いっきり中国語で読んであげていました。簡単な中国語で書かれた物の名前の本や、先輩ママから譲ってもらった日本語の絵本、あと、子供がとても好きだったのが進研ゼミが発行している絵本教材「こどもちゃれんじbaby」シリーズ。あれはとてもよくできた絵本ですね。6ヵ月児、7ヵ月児・・・、と子供の月齢に合わせた絵本が毎月1回郵送で届く形です。その後、こどもちゃれんじぷち(1~2歳)、ぽけっと(2~3歳)、ほっぷ(3~4歳)、すてっぷ(4~5歳)、じゃんぷ(5~6歳)と教材をずっと使い続けており、小学生以降は、「ちゃんれんじタッチ」というタッチパッド教材でオンラインで日本の学校で習う教科の勉強をしています。(あまり真面目にはやっていませんが・・・苦笑)つづく。
2021/10/31
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前回の記事「言葉は習慣-1人1言語の原則を実践したらどうなったか」で、「子供は中国語も現地の中国人の子どもたちと遜色なく、日本語も少なくとも就学前までは日本で育った子供とそう遜色なく、両方の言葉が同じぐらいできるようになりました」と書きましたが、これはあくまでわたしの感覚であって、なにか点数で証明できるとか、客観的な指標があるわけではありません。ただ、子供は日本に帰省した際には、日本のおじいちゃんおばあちゃんと日本語で普通に会話でき、日本帰省時には日本の幼稚園にも短期入園させましたが、日本語の面で特に問題はありませんでした。小学校入学前には、ひらがな・カタカナをほぼ読めるようになり、小学校低学年時には「かいけつゾロリ」シリーズの本を自分で読めるぐらいにはなっていました。幼児期までの状況を見れば、たとえ異国で現地語環境に浸っていても、日本語を話す親が一貫して日本語で話すことを含め、子供の日本語育成に対して強い意志と高い意識を持って関われば、子供は日本で育つ子供と全く同じとまではいきませんが、それほど変わりないところまで日本語を育てていける、という感覚をわたし個人は持っています。しかし、そこまでの道のりは決して簡単だとはいえません。(そして、その後の道のりも。。。)少し前の記事「中国で子供の日本語を育てる難しさについて」や、前々回の記事「北京で出産後、義母の説得に負けず、子供に日本語で話しかけ続ける」で、海外で子供の日本語を育てるためにわたしが心がけたこととして、「子供にできるだけ多く日本語で話しかける(通常の2倍も3倍も、という気持ちで)(日本語と中国語を混ぜて話さない)」といったことを書きましたが、明日はもうひとつ、実はこれが海外で、現地語環境に囲まれた中で子供の日本語を育んでいくために一番のポイントだったかな、と思うことについて書きたいと思います。
2021/10/31
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前回の記事「北京で出産後、義母の説得に負けず、 子供に日本語で話しかけ続ける」のつづき。子供が生まれて間もない頃は、家族全員が中国語で会話するなかで、わたし一人だけ他の家族が分からない日本語で子供に話しかけることになんとなく居心地の悪さがあったのですが、言葉って習慣なので、子供に日本語で話しかけることにいったん慣れると、それが習慣になり、何も考えなくてもそれが普通になります。現在では、夫婦の会話は中国語、夫と子供たちも中国語、わたしと子供たちは日本語で話していて、日本語がわからない夫は、わたしと子供たちの会話の部分だけチンプンカンなわけですが、夫も、私たちも、すっかりその状況に慣れ、なんとも思わなくなっています(笑)夫の推測能力も向上し、日本語部分だけ聞き取れなくても雰囲気で話の流れを読み取って、話を合わせてきます。さて、上の子が生まれたばかりの頃に話を元に戻します。義母は、母のわたしがそんなふうに日本語で話しかけ続けたら孫は中国語を覚えないのではないかと心配し、子供に一生懸命中国語で話しかけてくれました。わたしが日本語で一冊本を読んだら、すぐ横で義母が同じ本を中国語で読んでやり、わたしが日本語で子供と遊んでやったら、義母も中国語で子供の相手をしてくれる。環境的には大きく中国語に寄っていましたが、幸いわたしは母でしたので、子供と接する時間は一番長かった(笑)それで、わたしの日本語インプットと、周囲すべての中国語インプットのバランスが取れたのか、子供は中国語も現地の中国人の子どもたちと遜色なく、日本語も少なくとも就学前までは日本で育った子供とそう遜色なく、両方の言葉が同じぐらいできるようになりました。2歳になる頃には、わたしに向かって日本語でしゃべり、クルっと振り返ってパパや義父母に向かって中国語でしゃべるように。子供の中でごく自然に切り替えができる様子を見て、なるほどなぁ~、と感心。1人1言語の原則を実践する意味をこの頃になってやっと実感。どの人には何語で話したらいいのか、ということで子供の中で言葉の区分けができているようです。もし1人の人が2種類の言葉を混ぜて話したなら、子供の中で言葉を区分けすることはなかなか難しい(遅い?)かもしれませんね。どうも最初は、子供の中で母は日本語、それ以外の全ての人は中国語、という区分けができていた模様。2歳2か月で日本に帰省した時、日本のおじいちゃんおばあちゃんに思いっきり中国語でしゃべって困りました(笑)しかし通じないと分かった後は、すぐに日本語でしゃべるようになりました。区分けの修正は早かったです。これが、息子が、母だけでなく、日本にいる人はみんな日本語で話し、中国にいる人は中国語で話すのだと知った最初だったかもしれません。(人じゃなくて、場所によって言葉が違うのか!と発見)そんなこんなで、2歳頃まではどちらかといえば日本語優勢だった息子ですが、2歳からプレ幼稚園クラスに通い始め、また息子が2歳半の時にはわが家にふたり目が生まれ、上の子を義父母や夫が見ることが多くなり、徐々に中国語優勢に。2歳半ごろになると、母より自分のほうが中国語が上手だと気づき、「〇〇(中国語)って、日本語で××」と、自慢げに教えてくれるようになりました。中国語での言い方を先に覚えた後、「これは(日本語で)何ていうの?」と日本語での言い方を聞くことが多くなりましたが、中国語で先に概念ができていると、日本語もスッと入ることもあったようで、日本語のほうもそれほど問題なく伸びていきました。2か国語に接しながら育つ子供は、言葉が出るのが遅いことが多いと言われ、わたしも覚悟はしていましたが、うちの場合は、1歳台から中国語も日本語も口から出始めたので、特に遅れている感じはありませんでした。つづく。
2021/10/29
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ちょっと間があいてしまいましたが、少し前に書いた「中国で子供の日本語を育てる難しさについて」の続きを書きたいと思います。わたしのバイリンガル子育てについてです。さて、北京で生まれた日中ミックスのわが子を胸に抱き、「この子を取り巻く中国語の大環境の中で、 日本語環境を作ってあげられる人は唯一母のわたしだけ。 1人で人の3倍も5倍も話しかけるつもりで できるだけたくさん子供に日本語で話しかけ、 できるだけたくさん日本語で遊び相手になってやろう」と決意したわたしの前に立ちはだかったのは義母。「子供にふたつの言葉をいっぺんに話しかけたらかわいそう。 混乱して言葉を覚えられないのではないか。 先にあなたも中国語で話しかけるようにして、 子供がしっかり中国語をマスターしてから、 日本語を教えればよい」と言うのです。義父母宅と我が家は同じアパートの、同じ単元の1階と6階。わたしは産後1か月、ずっと1階の義父母の家で寝起きし、三食昼寝付きでお世話になっていただけに(中国語で産後ほとんどベッドから降りず、 外にも出ずに過ごすことを「座月子」といいます)、義母の言葉には逆らいにくい状況。しかし、わたしは一応(笑)有資格の日本語教師で、一般の人より、いくぶんかは言葉の習得に対して知識と関心がありました。「国際結婚で生まれた子供をバイリンガルに育てるためには、 両親がそれぞれの母語で話しかけること。 1人1言語を徹底すること(2つの言語を混ぜて使わないこと)」という、どこかで聞きかじった知識を持ちだして義母を説得し、わたし自身は、子供に日本語で話しかけ続けました。夫をはじめ、義母、義父、手伝いに来てくれた親戚などがこぞって子供を取り囲み、やれ、いないいないバーだの、高い高いだの、おおよしよし、だの、内容はもう忘れましたが、中国語でいっぱいあやしてくれて、そんな中、わたしひとりだけ誰にも通じない日本語で子供に話しかけるのはどうも変な感じで、ついつられて、みんながやっているように中国語で子供に話しかけそうになったり。そんな時もありましたが、そのたびに「そうだった、わたしが日本語で話さないと、 だれが日本語話すんだ」と思い直し、だれに分かろうが分かるまいが、子供に日本語で話しかけることを意識しました。つづく。
2021/10/28
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10月19日、また北京で新型コロナウイルスの市井感染者が出て、ちょっと緩くなっていた規制がまた厳しくなりました。北京市民は比較的普通の生活を送っているようにも見えますが、わたしの友人の住むアパートは感染者の居住区に近かったようで、現在封鎖隔離中。いつ自分もそんな状態になるかもしれないリスクはありますが、わたしも割と普通の生活を送っています。↓つづきはコチラ北京、また新型コロナの市井感染者が発生子どもたちも、「今度いつ日本に行けるのかなぁ~」と言っています。早く国境を自由に行き来できる日常が戻ってきてほしいです。
2021/10/27
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今日、わたしのブログを読んだ方が「ガツーンと頭を殴られたような感じがした」とのご感想をくださいました。わたしの書いたことのどこがそこまでショッキングだったのかと思いきや、「日中ハーフの息子や娘を持つ一人の父親として、無力で 子供達に真剣に向き合ってこなかったのではないかという自省」とのこと。なんて素敵なパパなんでしょう!うちの夫に見習わせたいぐらいです。その方の息子さん2人は日本で生まれ育ちましたが、日本で奥様の母語である中国語にはあまり触れずにきたそうで、上海に引っ越してきてから、息子さんたちに中国語を学ばせようとたくさんの時間を割いて埋め合わせをしようとしている、逆に、上海生まれ上海育ちの娘さんはすでに、日本語で話しかけても中国語で返してくるほど中国語が流暢になっているとのこと。その方はいろいろ反省されているようですが、わたしは、日中ミックスの子どもたちは、生まれた場所も環境もそれぞれ違って一概に比較できないものだし、ふたつ(以上)の言葉と文化に触れながら育った人は、その言葉と文化の習得具合やそのバランスもひとりひとり違っていて、「みんな違って、みんないい!」とわたしは思っています。北京でも日中ミックスの子供たちに接する機会がありますが、日本人学校に通ってて日本語は日本で育つ日本人並みに完璧だけど中国語はあまり、、という子、うちの子のように日本語も中国語もまあまぁかな、みたいな子(笑)、中国ローカル校で現地の子さながらにガンガン勉強してて、中国語は純中国人のお子さんにも負けないけど日本語はできない子など、言葉と文化のミックス具合のバランスは様々です。私たち親は日本人ですので、つい子供が日本語をどのぐらいできるか、というところばかりに目が行きますが、もうひとつの言語がどうか、ということもありますし、一概にこれが正解、不正解と言えるものではありません。ふたつの言葉と文化に触れながら育ったこと自体がその子の特徴だと思いますので、子供たちにはそのことを大事にしていってもらいたいな、と思っています。その方の息子さんたちが、日本で育ち、日本語がしっかりできることは素晴らしいと思いますし、中国で育つ娘さんが中国語がしっかりできることも素晴らしいと思います。私たち親は欲張りですので、どちらの言葉もよくできてほしいと思ったりするのですが、どちらも完璧に、というのは、「一般のお子さんの2倍のタイトなスケジュールで勉強させる!」ぐらいの覚悟がないかぎり、難しいと思っています。特に学校教育を受けないほうの言語をその言語で学校教育を受けた人並みにもっていくのは相当難しい(特に読み書き)。。。←うちは無理ですだからひとつの言葉がしっかりできる純粋なモノリンガルもよし、バイリンガルは1つ1つの言葉をモノリンガルと比較すると及びませんが、ふたつの言語と文化を知っていること自体がアドバンテージになりますので、それもまたよし、と考えることにしています。また、子育てには、言葉以外にもいろいろ大切なことがあると思いますので、言葉だけにこだわりすぎないことも大切かなと思っています。つづく。
2021/10/18
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先日、北京で2才の日中ミックスのお子さんを育てるママとお会いする機会がありました。会ってすぐ、お子さんに、「こんにちは~」と話しかけると、隣から「すみません、この子、まだこんにちはって言えないんです~」とママ。「あ、そっか。2才だったらまだそんなに話せないよね~」と返したのですが、その瞬間、ママが思わず涙ぐんだ気がして、「あ~~~、だいぶん悩んでるんだな。。。」と分かりました。日本在住のママだったら、たとえまだ歩かないような赤ちゃんにつばめが「こんにちは」と話しかけたとしても、「ほ~ら、〇〇ちゃん、こんにちは、は?こんにちは!」とママが赤ちゃんになりかわって楽しく会話を交わしたりすることもあるんじゃないかと思います。だけど、このママはそんな感じではなく、「この子はまだ言えないんです。。。」とおっしゃったので、お子さんが日本語を話せないことをだいぶん気にされてるんだな、と感じました。2才になったばかりだから、言葉なんてまだまだこれからだと思いますが、そういうことではない心配、この中国語の大環境に打ち勝って子供に日本語を身につけさせられそうにない、という押しつぶれそうな不安がこのママにはあるのでしょう。わたし自身も中国という環境のなかで、子供になんとか日本語を身に着けさせようと必死になってきたから、このママの気持ちがわかるのです。子供を持つ前は、日本人から生まれた子供はひとりでに日本語ができるようになるはずだと信じて疑わなかったのですが、とんでもない。中国に住み、夫婦の会話も中国語、日本語が分からない夫は子供に中国語で話しかけ、中国の義父母も中国語で子供に話しかけ、一歩外に出たらオール中国語といった環境で子供に日本語を身に着けさせるのがどれほど簡単ではないか。日本人の母のみが、子供が日本語で直にコミュニケーションをとるほぼ唯一の相手となりますので、母一人が、父と祖父、祖母、その他大勢の中国語インプットに負けない量と質の日本語で子供に接することができるかといえば、それがどれだけ簡単なことではないかが分かるでしょう。生後まもない我が子を前に、「無意識に接していると子供は必ず中国語優勢になる」と思った当時のわたしの最初の努力は、「子供にできるだけ多く日本語で話しかける」ということでした。1人で人の3倍も5倍も話しかけるつもりでなんでもないようなことまで言葉にしてできるだけたくさん子供に日本語で話しかけることを心がけ、できるだけたくさん日本語で遊び相手になってやろうと思いました。(※注:中国で生まれ、長期にわたって中国語環境の中で育つ子供が中国語優勢になるのは至極当然の流れであり、わたしはそれを否定するものではありません。ただ、当時のわたしは、どうしても我が子に自分の母語である日本語を身につけさせたかったのです。子供と日本語で会話し、笑い、毎日の生活を楽しみたかったのです。)つづく。
2021/10/14
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先日の記事「息子と中国の教育改革」で、「息子は時の運と周囲の環境に恵まれた なんともラッキーな子だ」と書いたが、娘もそれに負けず劣らず、時の運と周囲の環境に恵まれたラッキーな子だ。娘はとにかく、明るく楽観的に生まれついていて、兄がどれだけ機嫌を崩して騒ごうと切れようとどこ吹く風でいつもニコニコと機嫌よく、素直にすくすく育ってくれた。当時まだ一人っ子政策を実施していた中国・北京でわが家のふたり目として誕生した娘。北京の戸籍に入れるためには、数十万元(数百万円)の罰金を払う必要があった。わが家にとって数十万元は大金だったし、すでに北京戸籍がある息子がいたので、娘はとりあえず日本国籍でいいか、中国もいずれ一人っ子政策をやめる時が来るだろうから、その時を待とうと考えた。娘に北京戸籍がないと、息子と同じ中国の現地幼稚園や小学校に通えない可能性はあったが、息子の通う幼稚園、小学校と後を追いかけて関係のコネクションをたどっていけば、日本国籍の娘もなんとか兄と同じ教育を受けられるのではないかと考えた。まだ子供がいないときは、頭の中で息子が生まれたら中国人として中国の熾烈な競争を勝ち抜いていけるよう頑張らせ、娘が生まれたら日本人として日本人学校に通わせて日本人らしく育てるといったようなことを想像していたことがあったが、現実問題、息子と娘が違う学校に行ったら、送り迎えだけ考えても大変で、そこまでして子供2人を別々の学校に通わせることはわが家の状況には全くマッチしないことに、のちのち気づいた。中国人の夫には跡継ぎである息子の中国国籍を放棄する考えは全くなく、中国国籍の放棄が必要な日本人学校やインターナショナルスクールに息子を通わせることはあり得ない選択。そして、息子を中国現地校に通わせるなら、娘も同じ学校に行ってもらわないとややこしいという事情もあったが、娘が日本国籍でも、兄が先に通っている幼稚園や学校なら何とかなるだろうと考えた。そして娘が幼稚園に上がる年齢になった。キーマンとなる人に贈り物をして、5,000元(約75,000円)の賛助費を払えば日本国籍でも受け入れてあげると言われ、兄と同じ公立幼稚園へ無事入園。だけど小学校はどうなるのだろうと不安に思っていたら、2015年秋、娘が4歳の時に、突然一人っ子政策が終焉を迎えた。ただ、すでに生まれて数年も経っている子供が本当に罰金もおとがめもなく北京戸籍を登録できるのかどうか確信が持てず、半年ぐらい様子を見ていたのですが、そのうち夫の友人などから、生まれて数年経つ子供の戸籍登録を無事済ませた、罰金もおとがめもなし、というような話を聞くようになり、わたしたち夫婦も、おそるおそる派出所戸籍課に出向き、無事娘の北京戸籍を取得。こうして、思ったより早く、一人っ子政策に終止符が打たれ、娘は小学校入学1年前に北京戸籍を取得できたおかげで、兄と同じ家の裏の小学校へ入学できた。息子も小学校入学1年前に学校改革、中学入学前に双減政策が出てラッキーでしたが、娘のほうも、まるで小学校入学前に申し合わせたかのように一人っ子政策が終わりを告げ、スムーズに兄と同じ小学校に入れたのは誰かが仕組んだのかと思うほど。まぁ、これをラッキーととらえるかどうかは家庭によるのだろうが、もともと子供たちを中国現地校に通わせる方向で考えていたわが家にとってはラッキーだった。まるで神様に導かれるかのように、節目節目に教育改革や政策発表があり、子供たちが中国現地校に通うルートが切り開かれていったのは今考えても不思議である。この流れでどこまでいけるかはわからないが、いろいろありながらも、北京で生まれ、日本人の母を持つ子供たちが、いじめられたりひねくれたりせず、無事に中1、小5まで育ってくれたことは本当にありがたいことだなと思う。
2021/10/10
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最近、北京のあちこちの街角でエコカーを見かけるようになった。割とよく見かける車種は、テスラやBYDなど。ふと、「いったい北京では自動車全体のどのぐらいがエコカーになっているのだろう?」と思い、国慶節花壇を見に行ったついでに、陸橋の上からエコカー(EV、HV、PHV、FCV)の数を数えてみた。中国では、エコカーにはグリーンのナンバープレートがついており、一目でわかるようになっている。一般のガソリン車はブルーのナンバープレートだ。陸橋の上から、視界に入った信号待ちしている車を数えてみると、32台の中にエコカーは5台。2度目の信号待ちでは、31台のうち5台。合計63台のうち、エコカーは10台で、ざっと計算してみると、16%ぐらい?たくさん数えたわけではないので、おおよその数字だが、そう大きくは外れていないのではないかと思う。わたしが結婚して中国に来た17年前は、まだ車を持っている家庭自体が少なかった。わが家は結婚とほぼ同時期に車を購入したが、早いほうだったと思う。それが、あれよあれよという間に車の普及が進み、これ以上車が増えると道路が大渋滞で動かなくなるということで、くじ引きで当たらないと車の購入ができなくなったり、ナンバープレート末尾の番号で週1回運転できない日を作るなど、自動車に対する規制は続いているが、エコカーはそのような規制がゆるかったり、購入時に国の補助や税金減免などの優遇措置があったり。地域ごとにエコカーに対する施策には違いがあるようだが、いずれの省もエコカー普及を支援する方向であることに変わりはない。北京は少し前まで空気汚染のひどさで有名だったが、今は相当改善されて、青空が広がる日も少なくない。工場などの強制移転の影響が大きいのかもしれないが、ガソリン車に対する規制やエコカーの普及も多少は関係しているのかも?車を使わない生活はなかなか難しいが、少しでも環境への影響を減らす方向へと中国も日々変化しつつあるようだ。
2021/10/08
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国慶節前日の晩ご飯の前、なぜか息子と娘が喧嘩。娘はそのまま食事のテーブルに、息子は父親にベランダに連れていかれた。その後、息子は父親が何を言っても聞かずに食事のテーブルにもつかず。わたしがバトンタッチして息子を外に連れ出すと、息子、へそを曲げていたが、最後に、「なぜいつも妹ばかり許されて先にご飯食べて、 ボクだけベランダに連れていかれるのか」とポツリ。だいたい妹よりも、兄の方がちょっとしたことで怒って騒ぎ出すパターンが多いので、怒っている兄の方がベランダに連れ出されるのだが、それに不公平感を感じていたらしい。確かに。夕食後、息子と二人で夜のお散歩。さっき怒っていた理由はいろいろあるけど、妹がスマホで愛国の歌を聞いていたのが気に入らなかったことのひとつだったと息子。娘は中国の現地校で習ったことをそのまま受け入れて、中国に誇りを持ち、習った愛国歌を喜んで歌っているが、息子のほうは性格が複雑でひねくれているので、国慶節前に、学校であれこれ中国を褒めたたえるような話を聞いて、「ちょっと行きすぎやろ!」と心の中で思っていたらしい。「そんなん言うたらボコボコにされるから、 何も言わないんやけどねー」と息子。「そうやね、中国人だって日本人だって、 小さい頃は学校で習ったことを正しいと思って、 そのまま受け入れるほうが普通だし、 まだ他の視点を持ちようもないからね。 あなたの批判精神や、別の視点もある、 という考えを持てるところは素晴らしいところ。 同時に、妹はまた妹で、教えられたことを素直に受け入れて 順応していける能力があって、それは妹のいいところ。 だから、妹が愛国歌を何の疑いもなく歌っていても、 それを責めたりしないであげてね。」と言うと、息子もとりあえずは納得した様子。「そやけど、みんな同じ考えの中で、 違うことを言おうとすると、難しいな」と息子。「そうだよね、みんながそれを常識として信じている中で、 何か別のことを言おうとすると、 説得力のある知識や証拠などがないとなかなか難しいけど、 あなたはまだそれを持ってない状態だから、 これからいろいろ勉強しないとね」「だけど、勉強してから物を言おうとすると、 一生かかっても言えないかも」「そうだね、真実を知るって難しいよね。 何が真実かって一生かかっても分からないかもしれないしね。 みんなそれぞれ、自分が見知った範囲で物事を判断しているし、 わたしは自分の考え方が正しいと思っているけど、 相手も同じように自分の考えが正しいと思ってるわけだからねぇ~。。。」と、えらい哲学的な話に。普段息子とゆっくり話せる時間をあまり持てていないが、時々こういう話をすると、すぐ切れて怒る息子の幼さの裏に隠された意外に大人っぽく抽象的な考えを知り、びっくりすることがある。「たまには、こういう散歩もいいね」と息子。国慶節の連休。時間的に普段よりちょっとゆとりがあったおかげで、素敵な夜のお散歩タイムが持てた。昼の国慶節花壇もにぎやかだけど、夜の花壇もライトアップされて一段と輝いていました。
2021/10/06
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10月1日は中国の国慶節、いわゆる建国記念日です。1949年10月1日、中華人民共和国が建国されて72周年を迎えました。国慶節は10月1~7日まで7日間の大型連休となりますが、子供の学校からは、特別な事情がない限り、できるだけ北京を出ないようにとのお達しがあり、つばめ一家も旅行などの計画はありません。例年、この時期は河北省の田舎に帰省し、柿やら何やらをもらって帰ったりするのですが、北京を出るとややこしいので、今年は帰省もしません。北京内でも色々遊べるところはあるのかなと思いますが、どこも人でごった返すと思うと、どうも出かける気持ちになれません。(ただ怠惰なだけ!?)ということで、10月1日は近場で、長安街までテクテク歩いて花壇を見に行きました。長安街というのは、天安門の楼閣と広場の間を通る道で、建国門から復興門までの約7.5kmの間に10か所の花壇がお目見え。そのうちの4か所を見学。日本でいうと街角で菊祭りを見られる(菊じゃないけど季節柄!)といった感じでしょうか。大きな交差点の4つ角にそれぞれ花壇が設置されています。長安街を少し歩いて、今度は王府井の歩行者天国を北へ。人手は多め。マクドナルドも中に入り切らず、外まで人であふれていました。胡同などではスーツケースを押しながら歩く人たちも数多くみられ、旅行客も少なくないようです。あちこち込んでいるし、つばめたちは外食もせず、もっぱら家で過ごしています。
2021/10/04
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