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娘のことは何回か書いたが、9月から中1になった息子についてはまだ書いていなかった。単純で、楽観的で、感情が豊かで染まりやすい娘と比べ、複雑で、悲観主義で、ロジカルで、批判精神に満ちあふれた息子。そんな息子は時の運と周囲の環境に恵まれたなんともラッキーな子だ。まず、気の長い父と母の元に生まれたラッキー。・・・まぁそれは置いておいて、小学校入学。うちの近所には、いくつかの小学校があるが、息子が幼稚園の頃はまだ学校間格差が激しく、有名校には優秀な教師やリソースが集中しているという状況で、越境入学がごく普通に行われていた。その学校の実力者につながるコネクションを見つけ、越境費という名のワイロを支払い、少しでも良い学校に子供を入れるということが7~8年前の北京ではごく普通に行われていた。近所で一番良いと言われる小学校は、50万元(約750万円)積んでも入れるかどうかわからないというママ友の噂で、そこまで出すのは無理だけど、まぁ数万元でも積んで少しましと言われる小学校に行かせるかと思っていたところ、息子が小学校に上がる1年ほど前に突然、大規模な教育改革が行われた。コンピューター登録制が導入され、親がコネカネ積んで子供の学校を選択できる余地がぐっと少なくなった。また、有名校が無名校を吸収合併したり、無名小学校から有名中学校にストレートで上がれるように組み合わせたりといった教育資源の平均化措置が取られ、お金を積んでまで越境する理由がなくなった。息子も結局、近所の学区の小学校へ。かつて地方戸籍の出稼ぎ子弟ばかりが通う近所では一番よくないと言われる小学校だったが、区重点中学校に全員持ち上がりで行けることになった。字を書くのが苦手な息子は、中学受験なんてあったら全く太刀打ちできなかったと思うので、本当にラッキーだった。(中国では、公立校でも点数により中学校が決まる仕組みがある。)小学校ではやさしく理解ある先生に恵まれ、連絡帳が書けなくても宿題ができなくても多めに見てもらい、期末テストには息子だけ別室で親の付き添いが許され、なんとか無事、小学校を卒業できた。でも、中学校になったらどうなるのだろう。小学校ですら、夫が横でつきっきりでフォローして頑張っても、出た宿題の半分ぐらいしかできないことも多かったのに、中学校でこれ以上宿題が増えたら、もう無理ではないか。・・・と思っていたら、息子が中学に上がる直前の7月24日、《关于进一步减轻义务教育阶段学生作业负担和校外培训负担的意见》という通知が突然発表された。この通知の中で、学生の宿題負担と学外の塾学習の負担を減らす「双減」が謳われている。この政策には賛成反対含め、様々な意見があるようだが、うちの息子にとっては、まさに救世主。夫は「もういっそ、息子の正規学生の身分を放棄する(仮の学生という身分にして宿題を免除してもらう)」とまで思いつめていたのだが、息子が入学した中学校でも、以前と比べ宿題がだいぶん減ったようで、息子は夫の助けを借りながらなんとか宿題をこなせている。まぁ、宿題をこなすことだけが大切なわけではないが、宿題ができなくて、中学校でこっぴどく叱られたり、逃げ場がない責められ方をしたりすれば不登校になる可能性もあると思っていたので、この「双減」政策には救われた。中学校は思いのほか柔軟で、息子だけ別に呼んで、3回書くところを1回でよいと言ってくれたり、数学やプログラミングが好きな息子を放課後の数学オリンピッククラスに推薦してくれたりして、息子は割とご機嫌で中学校に通っている。なんでも突然発表され、即日施行される中国の政策発表に文句を言いたくなることも多いが、今回だけは、「中国よ、突然の発表をありがとう!!!」と感謝で胸いっぱいのつばめ夫婦なのだった。
2021/09/30
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今日は朝から快晴。青空が広がる中、中秋節三連休最終日の今日、子供を連れて大きな公園の芝生広場へ行きました。今日は、2才から14歳まで、日本人の母と中国人の父を持つキッズ23人が集まり、秋のミニ運動会を開催しました。日本語のほうが得意な子、中国語のほうが得意な子、いろいろですが、みんな大切な仲間です。夜、家に帰ると、夫と義父が餃子を作って待っていてくれました。家族で餃子を食べながら、みんなで中秋節特別歌番組を見ていると、「明月幾時有?」という曲が流れてきました。水調歌頭明月幾時有? 把酒問青天。不知天上宮闕,今夕是何年。我欲乗風帰去,又恐(王京)楼玉宇,高処不勝寒。起舞弄清影,何似在人間。転朱閣,低綺戸,照無眠。不応有恨,何事長向別時円?人有悲歓離合,月有陰晴円缺,此事古難全。但愿人長久,千里共嬋娟。夫によると、「これは中国の古典で、君は100年経っても理解できない」のだそうですが、参考までにわたしのつたない理解はこんな感じ↓水調歌頭明月は何時お出ましになるのですか。酒を手に空に問う。天上の宮殿の暦は、今何年になるのだろう。私も風に乗って天上に帰りたい。でも玉の御殿のような高いところは、寒くて耐えられないだろう。月光のもと、舞いを舞って地に映る影を遊ぶ、なんて人間界らしいのだろう。月光は朱色の楼閣をめぐり、虹色の窓をくぐり、私を照らして眠れない。恨みがあるわけでもあるまいに、あなたはどうしていつも別離の時に丸いのか。人には喜びと悲しみ、出会いと別れがあり、月にはさやけき時と曇るとき、丸い日もあれば欠けている日もある。古来より完全というのは難きものだ。ただ、人は久しく千里のかなたより月光をめでることを望む。含蓄に富んだ詞の調べが人間界と月の世界、宋代と現代、はるかな時を隔ててなお、わたしたちの胸で音楽を奏でる。今晩は明るい月夜。まあるい月が私たち人間をただ静かに照らしている。中秋節快楽。遠くから、あなたのことを思っています。
2021/09/21
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9.18といえば、知らない中国人はいないと言っていいほど特別な日だ。わたしにとっても、はじめてこのブログが大炎上した記念日。16年間ブログを書いてきて、炎上したのは、後にも先にもこれ1回だけだ。2012年は尖閣諸島にまつわるあれこれがあって、日中関係は非常に緊迫しており、わたしは北京でふたりの幼子を抱え、外で日本語を話すのも身の危険を感じるようなピリピリした空気の中で暮らしていた。そんななか迎えた9月18日。夜、「何事もなくてよかった」とほっとした気持ちになった後、ふと、わたしは一日、まるで被害者のような意識で過ごし、おそらく多くの日本人も今(2012年)、被害者意識でいっぱいだが、日本人としてせめて9.18が何の日だったかぐらい思い出してもよいのではないか、というようなことを書いた。書いた内容がまずかったのか、言葉遣いが悪かったのか、記事には90件もの否定的コメントがつき、荒れに荒れた。大量コメントがついてから国慶節までの2週間、何度もわたしがブログに書いた意図を説明したが、何を書いてもさらに否定的なコメントで埋め尽くされ、「言葉を尽くしても人と人って分かりあえないことがあるんだな」と悲しく思ったのを覚えている。それ以来、今日まで9年間、9.18についてブログで触れたことはない。でも。人と人はわかりあえないことがたくさんあるけれども、同じ人間という共通の部分にチューニングすると、響き合う一点がある。相手と心を通わせ、笑顔を交わし合う瞬間がある。わたしはそれを信じたい。「人と人はわかりあえる」その気持ちを伝えるために、わたしはブログを書いている。今、わたしはただ、こう問いを発したい。「9.18が何の日だったかを思い出す日本人は どのぐらいいると思いますか? そして、9.18が何の日か思い出す中国人は どのぐらいいると思いますか?」と。
2021/09/18
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晩ご飯の時、突然娘がこう言った。「ママ、もし1回だけ国籍を変えられるとしたら、どうする?」どうするって・・・?「えー?別にそんなこと考えたことないけど? お母さんは、日本と中国以外の国は知らないし、 中国のこともよく分からないし中国語もあんまりやから、 やっぱり日本人のままでええわ。」と言うと、娘、やや失望した様子。「じゃあ、あなたは中国国籍と日本国籍選べるとしたら、 どっちを選びたいの?」と聞くと、「ぜ~~~~~ったい中国!!!」と激しい答えが返ってきた。上の息子に比べ、娘のほうが中国への染まり度合いが高いと感じていたが、これほどまでに言い切るとは正直思わなかった。理由を聞いてみると、「中国はコロナをちゃんとコントロールできてるでしょ。すごいから」そこかぁ。でもそこまで激しい言い方をするのはほかに何か理由があるんじゃないかと思ったら、やっぱりあった。小学校(中国現地校です)の道徳の時間で、中日間の歴史について「日本はちょっと借りる、みたいな言い方で中国に入ってきてそのまま約束を反故にして居座った」みたいなことを習ったらしい。「日本は・・・、日本は・・・、 かわいくてずるがしこいキツネみたい」と娘。「かわいくて」とつけたところは、母への配慮なのか、自分自身の心の揺れなのか。「そしたら、そういう話を習うときは、 クラスで居心地が悪いんじゃない?」「うん、悪い」「お友達に何か言われたりしないの?」「それはない。わたしうまくやれてるから。」「ちょっと言われたこともあったけど、やり返した」思わず「それは誰?」「何言われたの?」と聞くと、娘は「ママには言いたくない」と口を閉ざした。中国人の父と、日本人の母を持つ娘。中国で生まれ育ち、日本は時々行く国。その昔、シルバニアファミリーのミニブックの森の奥にある素敵な国のお話を聞いて、「おかしいよ、日本が一番素敵な国でしょ?」なんて言っていたのに、今はそう思わなくなったのかと聞くと、「わたし成長して色々分かるようになったから!」との答え。もっと成長したら、もっと色んなことが分かるようになってまた考えが変わるかもね!?成長過程ってこういうことをいうんだな。言うことがコロコロ変わるのだが、娘にしたらいつも真剣そのもの。親はつい親の考えを押し付けたくなるし、日本を悪く言われると、つい日本をかばいたくなったり、中国だって悪いとこいっぱいあるじゃん!とか言いたくなったりするのだが、日中ミックスの娘の前で、中国を悪くいうのは控えるようにしている。それにしても、国籍のことなんて考えるようになったんだな。事実上二重国籍の娘は、大人になったらどちらかの国籍を選択することになる。親としては色々な思いはあるが、娘が成長し、より広い視野を持ち、自分なりの考えを持って社会でしっかりと生きて行ってくれればそれでよし、と思うことにしている。
2021/09/17
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中国では、中秋節はとても大切な祝日で、今週の土曜日は振替出勤となり、日、月、火と3連休になります(中秋節は21日(火)。家族団らんでご馳走や月餅、秋の果物を食べたり、まぁるい満月を愛でたりします。中国では現在、お中元を贈る習慣はないようですが、中秋節前には、あちこちで月餅セットや果物などの贈答品が行き交います。・・・ということで、夫が毎年どこかからもらってくるスタバの月餅引換券。今年はこんなのでした。ヒスイ色の2段引き出し箱に月餅が上段に4つ、下段に4つ。上の段には、薄い半透明の説明が入っていて、その説明がすごかった。1.星式金沙流心奶黄月饼 (星と金の沙のとろけるクリームカスタード月餅) なめらかとろーり塩漬け黄身クリームが、 ニュージーランド産バターをまとい、 濃厚なミルク感を醸し出します。 甘さとしょっぱさが舌の上で交錯する絶妙のハーモニー。2.海盐焦糖意式咖啡风味月饼 (塩キャラメルとエスプレッソ風味香る月餅) スターバックスのエスプレッソと月餅との出会い。 ヘーゼルナッツ粒入り塩キャラメルクリームを包み込んだ やわらかい食感が一瞬で口の中に広がります。3.日式柚柚月饼 (ジャパニーズ柚子月餅) ルビーレッドグレープフルーツと日本の柚子、 ダブルのフルーツ感がはじける。 甘酸っぱさがお口いっぱいに広がり、 幸福感に満たされます。4.比利时黑巧碧根果月饼 (ベルギーブラックチョコ&ペカンナッツ月餅) カカオ含量70%の輸入ブラックチョコに ペカンナッツ粒入りブラックチョコクリームの組み合わせ。 重なり合って深まるおいしさが楽しめます。これは、一体どれだけすごいのか・・・!・・・と口に入れてみたら、お味は普通でした。夫にも4種類切り分けて、「ほら、この説明すごいやろー!!! これ読みながら食べるんやで!」(←中国語デス)と言ったのに、夫は「そんなもん、いちいち見てられへん」(←中国語デス)とそのままパクッ。そのまま食べたらなんの変哲もない月餅でしょー!この説明書見ながら、イメージふくらませて食べることに、意味があるのに。・・・と、なんとか説明書を読ませようと試みましたが、無駄でした。夫にスタバ月餅は全く意味ないですね。21日は中秋節。ご家族や友人と、満月を仰いでみてはいかがでしょうか。
2021/09/17
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昨日書いた記事のタイトルを眺めていて、ふと、(中国人)と(日本人)の「人」を取って国どうしの関係として考えてみても同じなんじゃないかと気がついた。「パパとママはなぜ喧嘩しないのか。」という娘の問いに対するわたしの答えは、「忍耐」と「感謝」だ。「忍耐」というのは、相手が失敗した時に怒ったり責めたりしないこと。失敗するごとに怒っていたら、一日中大喧嘩なのだ。とても平和な日々は送れない。相手を追い詰めるような言動は特によくない。自分が相手に一言言いたくなった時、これもちょっと「忍耐」だ。相手がアドバイスを欲している時、それを伝えてあげるのはありだと思うが、実際はそうではないことのほうが多い。相手の言動が自分の中の基準に合わないという理由で一言文句言いたいという場合は、これはだいたい言わないほうがよい。そういう一言は、平和と逆の方向に働く。そして最後は、相手の忍耐に対する「感謝」だ。自分と違うことに対する寛容な態度は尊敬と感謝に値する。わが家の場合、夫のほうが「ボクのほうが強い」と思っている(たぶん)。そして、強いほうがより多く忍耐して当然だと思っている(たぶん)。弱いほうが怒ったり泣いたり失敗したり大騒ぎしても、それを許してぐっと我慢する、それが強い者の態度だ、と夫は考えているのだ(たぶん)。かくして、わが家の「忍耐」パーセンテージは、夫95%、わたし5%となっている。【まとめ】「中国と日本が喧嘩しないための視点」は、1.忍耐(失敗を怒らない、責めない、一言言わない)2.感謝(相手の忍耐に感謝する)※強いほうがより多く忍耐し、弱いほうはより多く感謝する。そして、もし3を付け加えるとすれば、「ほめる」。「ほめる」というのは、よい関係を維持するために結構大切なことだ。わたしの場合、「忍耐への感謝」から「ほめる」に発展するので、2に入れてもよいかなと思うが、3つのほうが覚えやすいので一応別にしておく。1.忍耐 2.感謝 3.ほめる夫とわたしの関係が、そのまま国と国との関係に当てはまるわけがないとは思うが、国だって人が集まってできているのだから、ちょっとは共通する部分もあるかもしれない。わたし自身もなかなかこの通りにはできていないけれど、「パパとママは喧嘩なんてしたことない仲良し夫婦」と夢を抱いている日中ミックスの娘のためにも、時々は1、2、3を意識して努力していきたいと思う。そして中国と日本も、時々は1、2、3を意識してみたら、意外と素敵な関係が生まれてくるかもしれない・・・、わたし自身はそうあってほしいと願っている。
2021/09/15
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週末、我が家は手抜きの羊肉火鍋。羊のスライス肉やら適当な野菜やら麺やらを長ネギや生姜スライスを入れたお湯にしゃぶしゃぶするだけ。鍋を囲みながら、娘、「パパとママはなんで喧嘩しないの? お友達のパパとママは、 ちょっとしたことですぐ大喧嘩するって」という。小学校も高学年になると、クラスメイト同士で自分たちの親の話をしたりするようだ。「うちのパパとママは喧嘩なんてしたことないやん?」子供の目にはそう映っているんですね。確かに、子供の前で言い争うことはあまりないかもしれないけど、そんなに素晴らしい夫婦に映ってるとはちょっと意外。これは期待に応えて模範解答出さねば!?「それは、うちのパパがえらいねん。 パパは、ママがどんな失敗しても絶対怒らへんやろ。 もし失敗するごとに怒ってたら、一日中大喧嘩やんか」これはほんとにほんとうだ。夫は、私がどんな失敗をしでかしても怒ったことがない。その昔、夫の携帯を借りて街に出て、携帯をなくして帰った時も、夫は怒らなかった。(わたしだったら怒るけど!)なぜだか聞いたことはないけれど、母国に住み続けている自分に対して異国生活を余儀なくされている妻を追い詰めてはいけないという思いやりなのかもしれない。言いたいことを言い、やりたいことをやって暮らしているわたしを放任しているのは、いちいち怒っていたら、あっという間にジ・エンドだと思っているからかもしれない。「でもママも、パパに一言言いたいとき、 ちょっとだけ我慢してる時もある。 だからお互いさまやね。」と勝手に自己擁護。こんなときも夫は無言だ。無言というより、「无语(返す言葉もない)」という感じか。娘はふーん、と疑問に思うふうもない。だからパパとママってお互いさまで仲良しなんだ、と納得しているのだろうか。バランス的には、95%が夫の忍耐、5%がそんな夫の忍耐に対するわたしの感謝で我が家は回っているということを娘はまだ知らない。
2021/09/14
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親戚の子が持ってきた大量の手土産に文句言いまくりの義父にその理由を聞き、一応納得して義父宅のドアを出たのだが、ふともう一つの疑問が湧いてきた。中国では、相手が持ってきた手土産をその人の前で開けるということをあまりしないようだが、わたしが親戚の持ってきたシャインマスカットを食後に出したのは、もしかして良くなかった?閉めたドアをもう一度開けて義父に聞いてみると、それはまぁ、親戚だから、別に出しても特に問題ないが、通常であれば、接待する側で果物やナッツ類などを準備してすでにテーブルいっぱいに並べてあったりするので、わざわざ客が持ってきたものを出すということはあまりないとのこと。なるほど、そういうことだったのか。日本だと、訪問者が持ってきた手土産は開けてみんなで分けて食べたりするのが普通なので、もらった手土産をそのまま開けないほうが失礼な感じもするが、中国だと、持ってきてもらった手土産をわざわざ出すまでもなく、ホスト側で十分準備してあるよ、ということで、手土産に手をつけないほうが多いのかも。そういえば昔、日本で中国人の友人宅に遊びに行った時、手土産にイチゴ大福を持って行ったのだが、それは最後までみんなの前に出てくることはなかった。友人一人でイチゴ大福を10個も食べられないはずだけど、その友人には、手土産をみんなで分けて食べるという発想自体がなかったようだった。手土産を開けないということのほかに、中国では手土産を持ってきても、それを相手に手渡しせずに、その辺にポンと置いておくという場合も結構あって、なぜなのかと不思議に思っていたのですが、そもそも手土産を重視しない、どうでもいいという様子でいることが中国の礼儀にかなう部分もあるのかもしれない(時と場合によるとは思うが)。日本だと、「つまらないものですが」なんて言いながら丁重に手土産を差し出したりするところが、中国の場合、親戚の家に行ったりしても、手土産は本当につまらなさそうに、どうでもよさそうにその辺にどさっと置く。「手土産なんかより人情、会えたことが大事」ということなんだろうか。訪問者が持ってきた手土産に日本人から見ると相当強い調子で「不要」を伝えることにはじまり、手土産を開けるかどうか、手土産の渡し方、置き方ひとつをとっても表面的には真逆ともいえる行動の違いがあるが、義父の話から、その奥にある中国人の思考回路に触れ、とても興味深く感じた一件だった。
2021/09/13
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親戚(夫のいとこの子供)が手土産に山ほど持ってきたフルーツや牛乳に文句言いまくりの義父。親戚が帰った翌日、思い切ってわたしの疑問を義父に聞いてみた。日本では、訪問者が手土産などを持ってきた場合、(たとえ気に入らなくても)ありがたくいただくのが一般的だが、中国では、本人の前であそこまで強く不要だと伝えるものなのか。(こんな持ってきても腐るだけ、とか・・・!)聞いた瞬間、義父やや照れ笑い。さすがにちょっと言い過ぎた感はあったようだ。(義父は口が悪いので有名)しかし義父の話によると、自分からすると二世代下の、孫の世代にあたるような子がたくさん手土産を持ってきたような場合、それを何も言わないで受け取ると、(こんな場合、「ありがとう」なんて 水くさい言葉はもちろん言わない)義父がそれを受け取って当然と思っているというメッセージとして彼女に伝わり、彼女は次回もまた同じような手土産を持って来ないといけないと感じてしまうので、こういう場合はやはり、こんなことしてくれなくてよいという気持ちを表すのが思いやりとのこと。思いやりが、あそこまで激しい文句に変換されるとは中国人の思考回路は、わたしにとって相当謎だ。ともかく、あの手土産不要扱いは、義父の本心ではなく、思いやりだったらしい。だけどせっかく持ってきたものをあそこまで不要扱いされて、彼女は気分を害したのではないか、と聞いてみると、それはないはず、と自信ありげな義父。あそこまでボロクソに言われて?ほんとかな~?そのあたりが、日本人のわたしの感覚としては理解しにくいところ。わたしは彼女が泣きだすんじゃないかとハラハラしてフォローのつもりで「いいブドウ持ってきてくれて」と持ってきてくれたものをほめたのだが、中国では、こういう言い方も、時と場合によっては微妙な意味合いを醸し出しちゃうのかも。義父の説明を聞いた後、思い返してみると、確かに、「シャインマスカット、すごくおいしいわ~♪」なんて言われたら、彼女にしたら、次回もまたこういうのを持って来ないといけない、とプレッシャーだったかもしれない。中国人と日本人、似ているようでいて、いろいろ違う人づき合いの文化。特に、贈り物に関する感覚は大きく異なり、わたしは中国に嫁いで十数年も経つのに、いまだに感覚として理解し切っておらず、頭ではなんとなく分かっているつもりでも、いざ行動しようとするとうまく振る舞えないことの一つである。つづく。
2021/09/09
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週末、1階の義父宅に下りてみると、北京で就職したばかりの夫のいとこの子供が来ていた。この子には小さい頃に何度か会ったことがあるが、今回会うのは数年ぶり。すっかり大人の女性になっていてびっくり。そして床には、彼女が持ってきたたくさんの手土産が置かれていた。ブドウ(シャインマスカット)、モモ(大きなの6個)、メロンにバナナ、それにパック牛乳1ダース。中国人は伝統的に手土産として重くて、かさばるようなものをたくさん持っていくことを好むが、それにしても量が多い。彼女の実家は決して裕福ではなく、また本人も就職したばかりでお金もないはずなのに、えらく気を使って、張り込んであれこれ持ってきた。「あら~たくさん。ブドウ冷蔵庫で冷やしといて 食後に食べましょうか」とわたしが言うと、義父、「そんなブドウなんか食べないのに、 こんなにあれこれ持ってきて、余るばっかりなのに」と文句を連発。義父はもともと口が悪いが、いくら親戚で遠慮のない間柄とはいえ、せっかく持ってきてくれたのに、そこまで言わなくても。。。!?食後に持ってきてくれたブドウを出したら、「こんなのいらないのに。モモもうちにいっぱいあるのに」と彼女の前で、再び義父の小言が始まる。たまりかねて、「だけど、ブドウおいしそうですよ。 ほら、シャインマスカットなんて いいブドウ持ってきてくれて。ねぇ~」とフォローを入れつつ、彼女にも食べるように勧めた。つづく。
2021/09/08
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週末、家族でカルフールに買い物に行った帰り。夕方の車の多い時間帯、中国人の夫の車間距離が妙に短い。ちょっと、気を付けてよ~~~、と思っていたら、急ブレーキ。ひやっ!「だから、車間距離取ってって言ったじゃない!」思わず苦情モードになるわたし。「いや、前の車が急に車線変更して」と、ボクは悪くないモードの夫。「だから、前の車が急ブレーキ踏んだとしても止まれるよう、 車間距離開けとかなきゃでしょ。 前の車が急にどうなるかはこっちでコントロールできないんだから、 前の車がどうなっても、 ぶつからない距離取っとかないと危ないじゃん!」とすっかり説教モード。沈黙する夫を前に、言いたいことを言ったわたしは頭の中で考えを巡らせはじめる。しかしいや待て。わたしは怒っているけど、この車間距離は、中国では普通の範囲内かも?夫もやや急ブレーキをかけたが、別にぶつかったわけではない。(まぁ、一回ぶつかったら終わりだけど。)中国ではごく普通?の車間距離を取っていた夫に対し、正論ふりかざして文句言いまくりのわたしって、もしかしたら相当嫌なやつ!?だけど本当に怖いのだ。怖いから、つい言ってしまう。・・・が、もしかして中国人はこの距離感で怖くないのかも???そのように思ったのは、初めてのことだった。恐怖を感じると、冷静になんてなれず、つい反応的に叫んでしまう。中国人としてはどう感じているんだろうと考えてみたことは今までになかった。考えてみれば、車間距離というのも、ある種の習慣であり、その社会全体が共通して持つ文化であるともいえる。中国は日本と比べ、おしなべて車間距離が短い。慣れるまで、車に乗るたびハラハラドキドキ、本当に怖かった。中国に住んで17年、それなりに慣れたつもりではあるが、それでもやっぱり慣れ切らない。特にスピードが出ている時には、つい身体がこわばってしまう。異文化理解と口で言うのは簡単だが、実践するのは難しい。車間距離の短さに恐怖を感じる時、わたしが心の中で最後に行きつく場所、それは、「この車に乗ったかぎり、 死ぬ時はもうこの人と一緒に死ぬしかないな」ということ。そう思ってしまえば、もう怖くなくなる。逆にいえば、そう覚悟を決めることぐらいしか車間距離の短さに対するわたしの恐怖をなくす方法はない。中国にもっと長く住めば、異文化だった車間距離の短さが自然に自分の中の文化として取り込まれるのかもしれないが、死ぬまでにそうなるかどうかも不明である。自分と異なる文化を真に体得しようとすれば、死ぬまでに実現できるかどうかも分からないのだから、気の長い話である。相手の持つ文化を理解しようとしてもできない時、恐怖や怒りを感じてどうしようもない時、覚悟を決めれば、一瞬で世界は案外違って見えてくるものなのかもしれない。車間距離から、異文化、死の覚悟までつい行き過ぎるわたしの思考。つまり、異文化理解は一生かかってもできるかどうか分からないけど、愛は文化の差を一瞬で超える、という話でした(笑)。
2021/09/07
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週末、小5になった娘と買い物に。近所にフルーツや野菜が新鮮で安い市場があり、時々行ってまとめ買いするのですが、娘を連れていくのは久しぶりです。最初にブドウを購入。娘が持ちます。次に、リンゴを購入。また、娘が持つと言います。それから、ミカンを購入。手ぶらの母、さすがに両手に荷物を持った娘に3つ目の袋を娘に持たせるのは気が引けて、自分で持とうとしましたが、「わたしが持つから!!」と強い調子で袋を取り上げられました。「いい娘に育って良かった~♪ラクチンラクチン♪」と一瞬思いましたが、娘の言葉の強さが妙にひっかかり、「なんで全部あなたが持つの?」と聞いてみると、「ママ、前荷物なくしたやろ!私が持つから!」と言うのです。そうでした。春にも娘とこの市場に買い物に来て、イチゴやらパイナップルやらメロンやら、季節の果物数種類を両手に持ちきれないぐらい大量買いしました。最後の店でおばさんが親切に全部を大きな袋にまとめて入れてくれました。そして、家に戻ると、ない!一番値段が高かった大きなマンゴーがありません。最後の店に行くときには手に持っていたはずだから、あそこで入れ忘れたんだ。入れ忘れたのか、入れてくれなかったのか分からないけど、私はまたヤラレタかもしれないと思いました。中国で暮らしてもう17年にもなるのに、私は市場でつい油断してしまいます。とにかく、食いしん坊の娘は、楽しみにしていたマンゴーが食べられませんでした。「ママに荷物を持たせたらなくす!」と危機感を抱いた娘は、買い物袋は全部私が守る!とばかりに買ったものすべてを自分で持とうとしていたのでした。「よい娘に育ってよかった♪」と喜んでいたのが理由を知ってガックリ。つまり、娘に信用されていないということですね。理由はともあれ、母よりは自分のほうがしっかりしている、と自信たっぷりの娘に助けられ、うれしい反面、なんだか自分が急にお世話が必要な老人になったような気になった娘との買い物でした。
2021/09/06
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一昨日、突然スマホが壊れ、デパート内のAppleショップで修理予約をしたその後。20分ほど待ち時間があったので、いったんAppleショップを出てデパート内をぶらぶら。お土産に大判焼きを買うことにしました。スタンダードな小豆餡のと、中国チックな緑豆餡のを選び、さて会計。そうだった!いつも使っているのはアリペイ(支付宝)という決済アプリ。旧版スマホにはなぜかダウンロードしていませんでした。それなら微信(Wechat)ウォレットを使おうと思い、試してみましたが、銀行カードを登録しなければならず、ややこしいのであきらめて現金で。財布を持っておらず、スマホカバーの裏にひそませてあった100元札を出して支払い完了。中国では、道端でも物乞いをする乞食すらお金をめぐんでもらうためのQRコードをお賽銭入れ?に張り付けているぐらいスマホ決済があまねく普及していて、普段の生活で現金を触る機会が全くといっていいほどありません。よく覚えていませんが、わたしもたぶん、1年以上現金を触っていなかったのではないかと思います。もらったおつりを見たら、10元札が新しいお札に変わっていてびっくり。元は群青色っぽい暗めのトーンでしたが、青みがかった10元札は初めて見ました。ぴっかぴかの新札。昔は中国のお札って、ぼっろぼろで汚いのが多かったです。落書きされてたり、破れてたり、ニセ札もあったり。今はお店でも現金はよほどの時の備えでレジに入れてあるだけで店員さんもめったに触ることがないのではないでしょうか。お札も汚れる機会がありません。大判焼きはゲットしたけど、5時すぎには息子が学校から戻ってくるので一旦修理はあきらめて、家に戻りました。つづく。
2021/09/04
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昨日、突然スマホが壊れ、仕事で使っている問巻網というアンケートアプリにアクセスできずに困った話を書きました。幸いなことに、旧版スマホで微信(Wechat)登録できたため、なんとか仕事を終え、Appleのショップへと向かいました。・・・が、一難去ってまた一難。ショップが入っているデパート入り口でスマホ内の「北京健康宝(Health Kit)」というミニプログラムを開いて、デパート入り口に掲示されたORコードをスキャンすることを求められます。そうだった!北京では現在、オフィスビルはじめ、デパートやスーパー、コンビニ、市場、パン屋、ありとあらゆる建物の中に入るのにこの「北京健康宝」で建物の入り口に掲示されているQRコードをスキャンしないと中に入れません。「北京健康宝」が使われ始めてすでに1年以上経っており、北京で感染者ゼロが続いていた時期はチェックも緩くなっていましたが、7月末に感染者が出てから再び厳しくなりました。スマホでQRコードをスキャンすると、その人が新型コロナ感染者がいる地域などに出入りしていない場合、「緑」が表示され、建物の中に入れるのです。慌てて旧版スマホの微信(Wechat)のミニプログラムを開いてみると。。。ちゃんと「北京健康宝」もありました!クラウド管理なので、携帯端末を変えても、ミニプログラムもそのまま移動するんですね。旧版スマホ持ってきててよかった!こうして無事デパートに入れましたが、デパート内のAppleのショップに入る際にも再び「健康宝」で入り口に掲示されたQRコードをスキャン。デパート入口ですでに「緑」であることは確認済みのはずですが、ショップで再びスキャンするのは、客が「緑」かどうかを確認するというよりも、店側に訪問記録を残すためです。後で感染者が出た場合に、接触者追跡に使われるのかもしれません。Appleで修理予約をすると、20分待ち。順番が来たらスマホにショートメッセージに連絡がくるというので、旧版スマホに連絡をもらうことにして、一度ショップを出ました。つづく。
2021/09/03
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今日は水曜日。朝4時に起きて、一度スマホの電源を切って再度入れると、スマホが壊れました。Appleの白いリンゴマークが出たままになり、ボタンを押しても何の反応もありません。焦りました。スマホがなかったらものすごく困ります。今日は仕事の締め切り。「問巻網」というアンケートアプリを使って、中日翻訳講座の受講生の回答をEXCELに読み出さないといけないし、また、新しい課題をアップロードしてQRコードとリンクを配信しなければなりません。その「問巻網」アプリにアクセスするには、パソコンに表示される「問巻網アクセス用QRコード」をスマホの微信(Wechat:中国でLINEのように使われているアプリ)に付帯しているORコードリーダーで読み込む必要があります。スマホがないと微信(Wechat)が使えず、問巻網にもアクセスできない!焦りに焦って、急きょ以前使っていた旧版のスマホを取り出し、微信(Wrchat)登録。パスワードが思い出せずに、何度も失敗しましたが、ついに登録成功。ほっとしました。無事、問巻網にアクセスして仕事を済ませ、スマホの修理のために、Appleショップへと向かいました。つづく。
2021/09/02
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