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2019.09.17
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​​ 石牟礼道子「苦海浄土」(講談社文庫)

​​ 自分の生活する世界の外側や遠くの他者に対して関心を持つ時、自分のことを 「こうだ」 と思い込んでいた自己認識のあやうやさと出遇うことがある。この年齢になっても職場や近所づきあいで経験的には全く初めてのタイプの人と出会ったりする事は相変わらずあって、やっぱりうろたえる。
 ドキドキしながら、一度自分の中にもどってみる。べつにどんな人とでも常に 「存在」を賭けて 真摯に付き合うことが身上というわけではない。しかし、自分の中にも、ほかの人から見れば、こういう変なタイプがいるのではないか、そんな風に考えると心当たりがある事もある。モチロンいつもという訳ではない。全く予想もつかないような人物もいる。心当たりがあるからといって必ずしも理解できたというわけでもない。かならず仲良く出来る訳でもない。
 ただ、まぁそういうふうになってしまう事はありうるよな、というふうに相手に対しての、ちょっとした納得が生まれる程度のことだ。とりあえず嫌いとか好きといわなくてもよい。 鶴見俊輔 という哲学者が 『同情』 という言葉を使って考えているコトの入り口くらいかもしれない。
​鶴見 の言う 『同情』 というのは英語では sympathy ​だろう。​ パトスが共振=シンクロナイズ= synchronize することという意味かなと思う。 『共感』 を持って他者と出遇うこと。 孟子 が言う 『惻隠の情』 というのはこれと近い事かもしれない。

。鶴見 の言う 『同情』 孟子 『惻隠の情』 を徹底させると結構すごいコトになるということを話題にしたいのだ。​​

​​  石牟礼道子 『苦海浄土』 が文庫新装版で講談社から新しく出たそうだ。これまでにも講談社文庫版で読むことは出来たし、国語の教科書にも取り上げられてきた。 ​​

​​  「ほーい、ほい、きょうもまた来たぞい」と魚を呼ぶのである。しんからの漁師というものはよくそんなふうにいうものであったが、天草女の彼女のいいぶりにはひとしお、ほがらかな情がこもっていた。海とゆきは一緒になって舟をあやし、茂平やんは不思議なおさな心になるのである。
​  ​いかなる死といえども、ものいわぬ死者、あるいはその死体はすでに没個性的な資料である、と私は想おうとしていた。死の瞬間からオブジェに、自然に、土にかえるために、急速な営みを始めているはずであった。病理解剖は、さらに死者にとって、その死が意思的に行うひときわ苛烈な解体である。その解体に立ち会うことは、わたくしにとって水俣病の死者達との対話を試みるための儀式であり、死者達の通路に一歩たちいることにほかならないのである。​​
​​  ゴムの手袋をしたひとりの先生が、片手に彼女の心臓を抱え、メスを入れるところだった。私は一部始終をじっとみていた。彼女の心臓はその心室を切りひらかれるとき、つつましく最後の吐血をとげ、わたしにどっと、なにかなつかしい悲傷のおもいがつきあげてきた。死とはなんと、かつて生きていた彼女の、全生活の量に対して、つつましい営為であることか。 ​​
​​ ​ 人間な死ねばまた人間に生まれてくっとじゃろか。うちゃやっぱり、ほかのもんに生まれ替わらず、人間に生まれ替わってきたがよか。うちゃもういっぺん、じいちゃんと舟で海にゆこうごたる。うちがワキ櫓ば漕いで、じいちゃんがトモ櫓ば漕いで二丁櫓で。漁師の嫁御になって天草から渡ってきたんじゃもん。うちゃぼんのうの深かけんもう一ぺんきっと人間に生まれ替わってくる。​ 「苦海浄土 第 3 章 ゆき女きき書き」​

​​  水俣病で亡くなった 坂上ゆき とういう女性をめぐって書かれた、 「ゆき女きき書き」 の一節。読み手の胸倉をつかんではなさない文章だと感じた。
​  「共感」 するということが、すでに死んでしまった 「ゆき女」 の病理解剖の現場にまで立ち合い、その切り裂かれた心臓の最後の一滴のしたたりまで見ることを止めない 石牟礼道子 の冷静な目と筆致を支えているように感じる。​
​​​​  「同情」 ということが一緒に涙を流したり、抱き合ったりすることにとどまることではないことを彼女は描いている。 「見て書く」 という行為に自分という存在をかけて表現しているといえないだろうか。そこにみなぎる気迫、それこそが、 「同情」 が行為であり、行動であって「こころのありさま」だけのことではないことが文章にくっきりとあらわれている。そこが 石牟礼道子 の強烈さだといっていいと思う。 1968 に出版されて 30 年以上の歳月がたっている。僕が初めてこの本に出会ったのも 30 年も昔のコトになる。
​​​​​​
​ 今年、彼女の全集が 藤原書店 というところから出始めている。出来ればどこの学校の図書館にも置いてもらって、ひそかに彼女に 「共感」 し、自分のなかに 「同情」 を育てる人が一人でも生まれてくれば一寸凄いのではないだろうか。​
2004 10 15 。水俣病患者に対する国家=行政の責任を認定した判決が最高裁から下された。被害発生から 50 年以上も経ってやっと、である。いったい何人の人が、世の中から 「見捨てられた」 S 2004 10 ・14

追記2019・09・16
石牟礼道子さん はいなくなった。 鶴見俊輔さん もいなくなって久しい。この 「案内」 を教室で配布したときから15年も経ってしまったことを実感しながらも、少し驚いている。
 福島の原発事故の被災者に対して 「管轄外」 と言い放つ復興庁の長官や、汚染水の 「海」 への廃棄を最後っ屁のように言い放つ大臣。とどのつまりは、​​公共事業の犠牲者に 「ボランティア精神」 を説く大臣迄出てきた。 石牟礼さん 鶴見さん が生きていたらなんというだろう。
 古い記事だが、捨てないで投稿しようと思った。​​​​

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最終更新日  2022.11.18 09:14:06
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