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だいたい休みの日に何をしているのかと聞かれて返答に困る。何にもしていない。趣味と呼べるようなことは何もない。たいていゴロゴロして本を読んでいるが、本を読むことを趣味だと思ったことはない。ある種の中毒のようなものだろう。
ほかに何をしているかというとヘッド・ホンで音楽を聴いている。ジャンルは問わない。タダ、最近のポピュラー音楽はあまり聴かない。うるさいと感じてしまうからだ。
年のせいか、単なる好みかわからないが 「あゆ」 に
も 「モー・ムス」
にもついていけない。紅白とかミュージックナンチャラとかもダメ。もっとも、 「モンゴル何とか」
とか 「ガガガ」
とかはついていけるから、年ではなくて好みだろう。
今は EL&P=エマーソン、レイク&パーマー
の 「展覧会の絵」
を聞きながらワープロを打っている。原曲はロシアの十九世紀の作曲家 ムソルグスキー
のピアノ組曲。 チヤイコフスキー
と同じ時代のクラシックの名曲だが、この演奏はイギリスのロック・バンドによるもので、結構有名な作品。
クラシックとかロックとか、ジャズとか歌謡曲とかジャンルを分けてそれぞれ別の音楽のことのようにいうが、ぼくには何が違っているのか、本当はよくわからない。結局同じなんじゃないかと思うこともある。別に音楽を訊きながら昼寝するたびに悩んでいるわけじゃないが、「それって、よく分からないよな。」的にずっと気になっていたことだ。
ためしに 岡田暁生「西洋音楽史」 ( 中公新書 ) を読んでみると、これが意外に面白かった。
西洋芸術音楽は1000年以上の歴史を持つが、私たちが普段慣れ親しんでいるクラシックは、十八世紀 ( バロック後期 ) から二〇世紀初頭までのたかだか二〇〇年の音楽にすぎない。 こういう まえがき で始まるのだが、たとえば、誰でも知っている モーツアルト が登場するのは230ページ余りある本書の100ページを越えてからだ。そこまではどっちかというとヨーロッパ史における音楽の役割の講義という意味で面白いのがこの本の特徴だ。
西洋音楽の歴史を川の流れに喩えるなら、クラシック音楽はせいぜいその河口付近にすぎない。確かにクラシックの二〇〇年は、西洋音楽史という川が最も美しく壮大な風景を繰り広げてくれた時代、川幅がもっとも大きくなり、最も威容に満ちた時代ではある。だがこの川はいったいどこからやってきたのか。そしてどこへ流れていくのか。―中略―
しかし今日、西洋音楽はもはや川ではない。私たちが今いるのは「現代」という混沌とした海だ。そこでは、全く異なる地域的・社会的・歴史的な出自を持つ世界中のありとあらゆる音楽が、互いに混ざり合ってさまざまな海流をなし、これらの海流はめまぐるしくその方向と力学関係を変化させつつ、今に至っている。この『世界音楽』という海に大量の水を供給してきたのが、西洋音楽という大河であることはまちがいないにしろ、川としての西洋音楽の輪郭は、かつてのような明瞭な形ではもはや見定め難くなっている…。
ポピュラー音楽の多くもまた、見かけほど現代的ではないと私には思える。 アドルノ はポピュラー音楽を皮肉を込めて『常緑樹 ( エヴァーグリーン ) 』と呼んだが ( 常に新しく見えるが、常に同じものだという意味だろう ) 、実際それは今なお『ドミソ』といった伝統的和声で伴奏され、ドレミの音階で作られた旋律を、心を込めてエスプレシーヴォ ( 表情豊かに ) で歌い、人々の感動を消費し尽くそうとしている。ポピュラー音楽こそ『感動させる音楽』としてロマン派の二十世紀における忠実な継承者である。 くわえて、現代を 「神なき時代の宗教的カタルシスの代用品としての音楽の洪水」 の時代だと喝破することで本書を終えている。
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