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買ったのは一昨日だけど、昨日に引き続き秋葉原で買ったKitを作ってみた。奥さんには秘密だけど、ボーナスをもらったので、ついつい買ってしまった。千石通商で買ったのはこれ。いわゆるシグナルジェネレーターである。ただ詳しい説明や回路図等は製造元(と言うか、メーカーはCNET.LIMITED)のマイコンキットドットコムの方にある。取扱説明書は詳しいし、何よりも抵抗のカラーコードや半田付けの仕方を書いた電子工作便利シートがうれしい。文部科学省さん、こういう会社に補助金を出して欲しいと思う。そうすれば日本の子供達が知的好奇心を持つKitが充実するのに。まぁ、それは例によって偉い人にお任せするとして、作ってみた。それほど難しくは無いのですぐにできる。出来上がったのでオシロスコープをつないでみた。最初は適当な周波数。値段的に仕方ないけど、周波数表示機能があれば便利なのにと思う。0.2mS/divなので、1波形が0.4mS。だいたい2.5kHz位だと思う。振幅は約0.2V/divなので、±0.3Vつまり0.6Vp-pである。左下の出力端子の上がGND、真ん中が出力電圧固定の出力、下が出力電圧可変の出力である。出力電圧を変化させたい場合は上の方にある青いボリュームを回すと出力電圧が変えられる。左側のボリュームを回すと出力周波数が変わる。最高周波数は10kHzらしいのでやってみた。あまり綺麗ではないが、概ね正弦波で確かに10kHzMAXである。ここで右側の2つのスイッチのうち右側を上にすると三角波になる。おぉー!調子良いじゃん。次はこの状態で右から2つ目のスイッチを上にあげると方形波になる。ちょっとなまっているかな。波形が台形になっている。実は方形波の場合、立ち上がりや立下りは発振可能な周波数の数倍以上の応答速度がないと、こんな感じでなまってしまう。でも値段からするとこんな感じかな?これはラジオを中心に活動しているアマチュアの人には経験が少ないと思うけど、パソコンを自作している人には切実な問題で、例えばよくパソコン自作派の人は「オーバークロック」と言って、公証規格を上回る周波数でパソコンを動かす場合には「かつ入れ」と言って電圧をあげる。すると上の写真の場合、周波数はそのままで高さが高くなる(電圧が上がる)ので、見かけ上の立ち上がりと立下りは鋭くなる。なので、この立ち上がりや立下りが遅くてタイミングが合わず動作しないメモリー等は、「かつ」が入って動くようになる。オーバークロックで電圧をあげるのはそのせいである。で、今回はパソコンの話では無いので、その位にして、次は下限周波数を見てみる。概ね100~110Hzくらいかなと思う。これを三角波にすると、次に方形波にすると、波形が変。これは低い周波数で発振させる場合、この発振器の発振周波数は抵抗とコンデンサーで周波数が決まるのだが、コンデンサーからの充放電スピードが遅いので出力電圧波形上限部分が保ててないのだと思う。コンデンサーが大きいのである。あるいは電源の供給能力を超えているのかもしれない。と言うことは、もしかすると出力電圧可変の方の出力端子ならば改善されるのかな?今回は実はこのブログを書く前に実験をやめてしまったので試していないけど、いつか気が向いたら、出力電圧可変の出力端子で試してみよう。<後日追記>ミニ基板の波形発生用ICのAD9833を調べてみたら、CRによる発振ではなく、28bitの周波数レジスターとDACがブロック図に有るので、普通に高い周波数で発振した出力を量子化により波形に変換しているようです。勝手に早とちりしてすみません。で、最後に気になる高調波の状況を見てみた。まずは10kHz。このオシロは優れモノで、オシロスコープ機能だけでなく、周波数カウンターやFFTの機能まである。FFTなんて僕が若い頃は100万円以上したのに。(写真を見ると分かるようにDSO 068と言うオシロスコープで、秋月電子で8,240円と安い。 Kitなので半田付けが苦手な人には向かないが3MHzまで使えて、 データをメモリーしてパソコンに保存できる。 何よりも安い周波数カウンターは入力電圧が低いと測定できない物が結構有るが、 これは前段にプリアンプ回路がついているので低い入力電圧でも測定できる。これが良い。)みると周波数は2.5kHz/divで4目盛なので10kHzだけど、少なくとも2倍波(20kHz:8目盛付近)は(心配するほど)出ていない。安心。では低い方はどうか?主波は100Hz/divで1目盛ちょっとなので約110Hz強。えー!330Hz(3.3目盛付近)や550Hz(5.5目盛付近)になんか出ている。電力会社の電気の供給ラインに乗る高調波が3倍波と5倍波が多いと言うのが分かるなぁ。波形を見ると変だったけど、やっぱり歪んでいるんだな。その歪みのせいで高調波が出ているのか。やっぱり値段相応なのか。あるいは出力電圧可変の出力端子ならば改善されるのかな?いつか気が向いたらやってみよう。<後日追記>出力電圧可変の出力端子を使ってみて分かりました。僕の勘違いです。方形波は可変できませんでした。ちゃんとマニュアルを読まなくちゃダメですね。マニュアルの2/5ページの3.の振幅の調整に書いていました。ここのグラフを見ると、(周波数は1kHzくらいみたい)正弦波は3.76V-2.16V-1.04Vと振幅が変わっていますが、方形波は3.92V-3.92V-4.26Vとほとんど変わりません。(字が小さいので少し端数は違うかも)基板にFixと書いてある出力電圧固定の端子は、正弦波と三角波は0.6Vp-pの固定出力で、方形波は4Vp-pの出力であり、でも、出力波形はVR大(正弦波なら4V)の方よりもVR小(正弦波なら1V)の方が綺麗だな。基板にAMPLIFIEDと書かれた出力可変の出力端子は、正弦波と三角波は可変できますが、方形波は可変できないようです。ちゃんと基板のラインを追えれば分かるのですが、なんせ裏表にラインが有り、部品の下を通っている場所が有るので、完成してしまった今となってはよく分かりません。なのでマニュアルに記載された説明に頼るしかないのですが、波形発生用のICであるAD9833(ミニ基板)からの出力は0.6Vp-pで、これがPIC(PIC16F1705)のRC5に入力されて、同時に青いVR経由でRC0にも入力されます。RC0に入力された信号はOIC内部のRC0、RC1、RC2で最大4Vp-pまで増幅されます。これが出力電圧可変の出力端子に出てくるわけです。出力電圧固定の出力端子はRC5の入力をバッファーするだけでRC3から出力され、前述のように正弦波・三角波0.6Vp-pと方形波4Vp-pが出てくるのだそうです。いやーマニュアルは読まなくっちゃダメだな。
December 24, 2021
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久しぶりに秋葉原に行ったので秋月電子をのぞいて来ました。特段の用事は無かったのですが、ふと見るとJYTECHの静電容量計のキットが安かったので衝動買いをしてしまいました。普段ならば節約するのですが、ボーナスが出たばかりなので仕方ありません。こんな製品です。JYE TECHと言う中国の会社のKitなんだけど、中華恐るべしと思った。もう日本人の子供たち向けのKitは、日本人の子供達の知的好奇心が薄くなって、売れないので秋葉原の各電気屋さんはみんな中国から買っているが、中国の子供達はまだ知的好奇心に燃えているようでKitを作る会社が有る様だ。日本の将来は大丈夫なのだろうか?教育こそが国をつくると言う基本を日本の文部科学省は忘れていないだろうか?もっとこのようなKitを作ろうと言う会社を助けてあげるべきなのではないだろうか?まぁそれは偉い人にお任せするとして、早速作ってみた。まぁ、特段難しい所も無いのですぐにできる。ただ、完成品はちょっと悲しい。何故か。LEDが4個しかなく、そのせいで100pとか24μとしか表示されず、単位としての「F」が抜けているので不満なのである。ネットで見ていると、先輩方の中には強者が居て、無理やりLEDを追加している人もいる。いや、「F」を表示させるだけなので、電源が入ったら必要なセグメントに電流を流すだけなので、LEDと5~10kΩくらいの抵抗が1本あればできるのだが、取り付けたい位置に電源入力ソケットとダイオードが有るので物理的に難しい。完成品の写真(ホームページから借用)をのせる。先輩はソケットを外して電源入力ラインを直接半田付けしたらしいが、大変。むしろ厚紙に「F」と書いてソケットに張り付けた方が良いような気もするが、とりあえずこのままにして諦めた。で、組み立てた際に、みんな疑問に思うみたいでホームページに質問が載っているのに、秋月電子がちゃんと答えずに、さらーっと流しているので僕が答えを書こうと思う点が3つ。1.部品が余ります。 僕のもそうだったけど、 左側のSW1のタクトスイッチは写真の物以外に緑色のカバー付きの物が有る。 これは多分お客さんに満足してもらおうとカバー付きの物を加えたのだろうと思う。 僕は緑色のカバー付きにした。その方が見栄えが良い。2.そのSW1を押すと8秒くらい「C0」の表示になる。これは何か? 秋月電子は単に8秒くらい0表示になるが、その後に使えるとしか答えていないが、 本当は大事なスイッチ。 基盤に「ZERO」と書いてあるので分かりそうなものだがオフセット入力スイッチである。 僕の場合、使い易いようにワニ口を取り付けたが、 ワニ口のような物を取り付けると、それ自体が静電容量を持つのでオフセットが必要。 僕の場合、それが1.5pF程度表示されたが、このスイッチを押すと、 プログラムがその分を差し引いて、その容量を無いものとして容量を表示する。 体重計で、来ている下着の重さを引いて0表示に合わせるのと同じである。 多分秋月電子は自信が無いので回答に書かなかったものと思う。3.抵抗やジャックが基盤には表示されているのに実装されていない。 主に調整用や改造時に必要となるジャックや抵抗なので、 製作者が迷わないように、あえてつけていない。 例えば下の方に有るJ4はPIC(下の方のLSI(IC))のプログラムを書き換える際に使う。 普通の人はプログラムを書き換える必要は無いので実装していないし、 プログラムを書き換えようとするようなレベルの人は「分かる」のであえて説明しない。この程度の説明は、たいした話では無いので、答えれば良いのだと思うのだけど、何かあった場合に責任はとれないので、何も書いていないのだと思う。で、早速使ってみた。まずは手持ちのセラミックコンデンサー「104」つまり0.1μFを計ってみた。えー!83.0nFだって?100nFつまり0.1μFのはずじゃん。測定精度が悪いのか?この時点ではものすごく気落ちがして、買って失敗したと残念な気持ちになってしまった。仕方ないので、もう一つ計ってみた。えー!92.8nFだって?測定精度だけでなく安定度も悪いのか?さらに気落ちしてしまった。でも諦めないのが僕の良い所。今度は同じ「104」でもタンタルコンデンサーを計ってみた。おぉー!104nFつまり0.104μFじゃん。誤差5%未満だ。もう一つ計ってみよう。おぉー!103nFだ。0.103μFだ。大丈夫じゃん。もしかすると、この測定器が悪かったのではなく、セラミックコンデンサーがダメなのか?試しに今度は24μFのタンタルコンデンサーを計ってみた。やったー!24.6μFだ。もう一つ計ってみよう。22.5μFです。ちょっと容量が低めかな?でもまぁ誤差は6%程度。抵抗じゃなくコンデンサーならこんなものかも?安心しました。測定器の測定精度と安定度は大丈夫です。手持ちのセラミックコンデンサーが粗悪品でダメだったみたいです。もしかするとセラミックコンデンサーは古くなると水分のせいでダメになるらしいので、古くなったせいかもしれない。あるいは安物だったのかも?この秋月電子の静電容量計は、値段の割に良い測定器だと思います。一家に一台有って良いかも?
December 22, 2021
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たまたま渋谷に行ったので久しぶりにTSUTAYAをのぞいてみたら、明日12月15日発売の乃木坂46の新アルバム「Time Flies」のイベントをやっていた。メンバーの写真や卒業する生田絵梨花の写真展なんかもやっていた。入ってすぐの写真は、秋元真夏、生田絵梨花及び齋藤飛鳥の写真。真夏ちゃんは写真によってイメージが全然違う。この写真は可愛い。生田は最初の頃は自分の立ち位置が分からずとんちんかんな子だったけど、(Ievan Polkkaを必死で歌っている頃は無理してるなぁと心配だった)今は貫禄も出たし、才能が生かされて立派になったなぁ。飛鳥はガキンチョからずいぶん大人になって、空気が読めるようになってきた。やっぱり今のトップはこの3人だな。次はちょっと前は賀喜遥香ちゃんが好きだったんだけど、「君に叱られた」のお化粧がケバく、そのせいで最近は遠藤さくらちゃんが良い。与田ちゃんは同郷なので(本当はmilktankが大きいので)好き。田村真佑ちゃんは4期の中では一番お姉さんなので好き。この写真は良く写っている。あやめちゃんはかっての薬師丸ひろ子みたいで可愛い。清宮レイちゃんはいつも笑顔なのが大好き。久保ちゃんは最初はちょっとへちゃむくれだったけど、最近美人になっちゃった。たまちゃんは賢そうなのが良い。掛橋は何となく昔の彼女みたいで好き。樋口は職場のお姉さんみたいで安心感があるので好き。星野は最近大失敗をして消えてしまいそうだけど、やっぱり妹キャラは良いなぁ。北野は前にちょっとおかしくなって、しばらくお休みしてたけどやっぱり可愛い。新内はBBAとか言われるけど本当は美人だな。鈴木は正統派美人だと思うのだけど、この写真は写りが悪い。まあやは独特だな。悠理ちゃんは最初は宇宙人かと思うくらい変わり者だったけどさすがは有名大学生。最近は山崎怜奈ちゃんと同様にバラエティで活躍できるようになっちゃった。矢久保は名古屋人らしいと思う。フワちゃんのものまねなんかして頑張りすぎ。普通にしていてもファンはいると思うよ。葉月ちゃんはいつも将棋の番組で頑張ってます。マジメだから合うと思う。山下はこの写真は別人みたい。岩本はお姉さんになったなぁ。最初は中学生で困ったちゃんだったけど、もう大丈夫。山崎怜奈ちゃんは賢いから、僕の「邪馬台国はどこにあったか」のブログをネタにして、本にしてくれないかなぁ。全面的に協力しますから。よろしく!会場にはみんなのサインも有った。左上に田村真佑ちゃん、真ん中上に山崎怜奈ちゃんのサインがある。反対側にもサインが有った。上の方に賀喜遥香ちゃんのサイン、右側の方に「顔」のデザインの葉月のサインが有る。ちょっと好きなメンバーのサインを集めてみた。みんな別に名前を書いてくれてるから分かるけど、無いと読めない。会場の奥には、卒業する生田絵梨花の歴代の写真が飾ってあった。左上は多分「ぐるぐるカーテン」の頃だな。可愛い。こうしてみると10年は女の子から大人になるには十分な時間だと思う。卒業しても頑張って欲しいな。
December 14, 2021
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6月にさきたま古墳群に行って来たんだけど、面倒くさいのでほったらかしにしてたんだけど、さすがに越年はまずいので書く。さきたま古墳群は、地元の人のこだわりもあって「さいたま」ではなく「さきたま」。でも、この「さきたま」が現在のさいたまの由来になっている。場所は埼玉県行田市。田舎だけど良い所である。東京は江戸時代に徳川家康が来る前までは湿地帯で、人が住めるような土地では無かった。その昔、更級日記の作者菅原孝標の女は、「まつさとの渡りの津にとまりて、夜ひとよ、舟にてかつがつ物など渡す。」などと書いているので、陸路ではいけないような不便な土地だったのである。それを徳川家康に命じられて治水工事をした、伊奈忠次が利根川が最大の元凶であると気づき、当時は江戸湊に注いでいた利根川を、東の茨城と千葉の境を通る筋に変えたのだ。これにより水の流れは変わり、家康はさらに当時有った「神田山」を崩して日比谷入り江を埋立てた。有楽町には跡が残っているが皇居手前までは海だったのだ。その結果、新しく作られた運河や多くの掘割により交通の便は増し、江戸は世界一の都市に変わったのだ。何故こんな話からスタートするかと言えば、よく古代の都市が発展する条件として広い平地が必要だと考えて、現代の地図からそれを検討する人が多いが、それではここに大きな古墳が有る理由が分からないからである。魏志倭人伝に書かれた邪馬台国の戸数が7万戸だからと大きい平野を現代の地図から求めるが、それは見当違いなことも多い。縄文海進の影響が残った当時の海岸線は今とはかなり違っており、また現代のような灌漑技術の無い時代の稲作は、単に広い平野と言う条件ではなく、満潮時の潮(塩分)の影響を受けない海岸から離れた川沿いの湿地帯である必要が有ったのである。その点この行田付近は東京とは違い、内陸で利根川と荒川に挟まれた湿地帯で条件が良く、それ故に村落が発展して、古墳を造れるほど豊かな地域であった。まぁそれはそれとして、行田を探検する場合はJRで行き、駅前の観光案内所で1日1000円(確かそうだった)の電動自転車を借りると便利でよい。車で行ける人はその方が良いけど、JR+バスは便利が良くない。僕は電動自転車を借りて、最初にスーパーでお昼御飯(時間の節約の為にパン)を買って、食べながら最初は忍城に行った。アンパンが口の中に残っているくらい、あっという間。忍城のお堀の脇に「足袋」の看板が有る。そう、行田は日本一の足袋の産地であり、(今は足袋そのものが使われないが)昭和13年頃には全国の生産量の8割を占めていた。また、足袋蔵と言う足袋の商品倉庫が市内のあちこちに有る。この看板はテレビドラマ「陸王」により行田の足袋がクローズアップされた為にここに有る。僕は「陸王」は見ていないのだがTBSの日曜劇場のドラマとして行田市も力をいれたらしい。忍城は小さな城であるが、秀吉と言うか石田三成の水攻めで有名。古い地図を見ても周囲は水路で囲まれており、大軍でも容易には攻められなかったと思う。まぁ僕が石田三成ならば、無理はせずに端から徐々に埋立てる戦略を取りますね。そうじゃないと水に阻まれて攻めようがない。その周囲の水路や池が、今は公園になっている。水城公園。奇麗で水鳥が遊んでいた。忍城付属の展示館には、行田の歴史や古墳の出土物が飾ってある。特に目を引いたのは馬の埴輪。特に蛇行状鉄器。よく時代劇で旗をなびかせながら走る騎馬を見るけれど、武者が背負うのではなく、このような物で馬に取り付けていたのですね。そりゃそうだよね。そうじゃなければ邪魔になって戦えないもの。初めて見た。忍城そして水城公園を後にして「さきたま古墳群」へ向かう。途中にもさきたま古墳群とは別にいくつか古墳が有る。大日塚古墳。一歩間違えれば、ただの草山。でも傍に面白い物が有る。大日種子板石塔婆である。関東では中世の頃に、死者の追善供養として石の板碑を作ることが多く、石塔婆と言う。この辺では秩父の緑泥片岩で作られており、行田市内に400基くらいもあるそうで、この石塔婆は元は上の写真の大日塚古墳の頂上に建てられていたらしい。古墳の主と石塔婆の主は関係があるのだろうか?それとも塚が有ったので利用しただけ?いよいよ「さきたま古墳群」に入る。最初に分かりやすいように、さきたま古墳公園のMapをのせる。結構広い。画像を右クリックして出てくるメニューから「新しいタブで画像を開く」を選ぶと、別のタブで大きな画像を見ることができます。便利。まずは奥の山古墳から。6世紀中頃から後半に造られたらしい。出土した須恵器等から比較的正確に分かっている。その時代の古墳なので形式も典型的な前方後円墳で、くびれも大きく造出しが有り2段構成で、周囲には2重の周濠がある。次は中の山古墳。6世紀末から7世紀の物で、ここの前方後円墳の中では一番新しいらしい。次は鉄砲山古墳。6世紀後半に造られたらしく、鉄砲山の名前は忍藩が鉄砲の練習場として使っていたから。次は二子山古墳。この古墳の周濠も2重で造出しが有る。6世紀初めの古墳。全長138mとここだけでなく「武蔵国」つまり東京神奈川を含めて最大の古墳である。次は丸墓山古墳。直径が105mも有り日本最大の円墳。高さが19mもあり上記の二子山古墳よりも高い。そのせいで、石田三成が忍城を水攻めにした時にはこの頂上に陣がはられた。6世紀前半に造られたらしいが、何故他の古墳と違って円墳なのかは不明。もしかすると、首領の息子たちの中の反逆者で前方後円墳を造るのを拒否されたのかもしれない。次は国宝の金錯銘鉄剣で有名な稲荷山古墳。このさきたま古墳群の中で最初に造られた古墳で5世紀後半に造られた。粘土槨及び礫槨の2つの埋葬施設が有ったらしい。粘土槨は盗掘により壊されていたが、礫槨は奇跡的に良く保存されており、1978年に有名な金錯銘鉄剣が発見されて、115文字の銘文が見いだされ、その銘文が雄略天皇の実在を証明するものであったことから1983年に国宝に指定された。礫槨の構造が分かる施設が頂上に造られている。うーん。皇族のお墓ではないけれど、大和王権に従う首領なのでか三種の神器と同じ物がある。なお発見された際の状況も再現されている。この状況を見ると、近畿の黒塚古墳で発見された三角縁神獣鏡が卑弥呼の鏡では無いと分かる。何故なら、やはり大事な鏡は枕元に置かれているから。近畿の黒塚古墳では「画文帯神獣鏡1面」が枕元に置かれており、これが大事な鏡であり、三角縁神獣鏡は辺り一面に33枚ばらまかれていたらしいので単なる呪い返しの鏡だと分かるから。三角縁神獣鏡を「たくさん発見されるから卑弥呼の鏡」だと主張する学者はバカなんだと思う。卑弥呼の鏡は「権威の象徴」として他の王達に渡すことにより、卑弥呼を助ける為の鏡であり、現代の日本人が中国の商品を「コピー」とバカにするように、大国魏の皇帝が自分が卑弥呼に授けた鏡のコピーの存在を許すはずが無い。下の写真のように黒塚古墳の三角縁神獣鏡は無造作にばらまかれている。貴重な鏡の扱いではない。いや、じゃぁ景初3年と言う年号が入っていることはどうなるんだと言う向きもあるだろうが、それは「景初3年に作られた」と言う事実を示すだけで、卑弥呼の鏡の証明にはならない。例えばここに昭和39年と書かれた100円玉があるが、これは東京オリンピックが開かれた年の100円玉だからオリンピック記念硬貨だと言えるのか?いや、オリンピック記念硬貨の100円玉はちゃんと別にあり、昭和39年と書かれていることはオリンピック記念硬貨の100円玉であることの証明にならない。それと同じである。「証明」の仕方が間違っている。まぁ、それはそれとして金錯銘鉄剣は博物館に有る。(レプリカらしい)鉄製なので錆びてボロボロなのだが、よくぞ貴重なこの剣が残っていたものだと思う。115文字の銘文は、色々な人が解析をしているが、以下の通り。 辛亥(かのとゐ)年(とし)七月(ふみづき)中(なかば)に記す。 乎獲居臣(をわけおみ)、 上祖(かみつおや)名は意富比垝(おほひこ)、 其の児(こ)、多加利足尼(たかりすくね)、 其の児の名は弖巳加利獲居(てみかりわけ)、 其の児の名は多加披次獲居(たかひしわけ)、 其の児の名は多沙鬼獲居(たさきわけ)、 其の児の名は半弖比(はてひ)、 其の児の名は加差余(かさよ)、 其の児の名は乎獲居臣(をわけおみ)、 世々(よよ)、杖刀人(たちたつるひと)の首(おびと)と為りて事(つか)へ奉り来 今に至り獲加多支鹵(わかたきる)大王(おほきみ)の寺(つかさ)斯鬼宮(しきのみや)に在りし時、 吾天下(あめのした)治めたまふを左(たす)けまつり、 此の百練利刀(ももねりのときたち)を作ら令(し)めて、 吾(わが)事(つか)へ奉りし根源を記す。日付と系図が分かるのが大事。この中で重要なのが獲加多支鹵大王、雄略天皇である。この剣の持主は天皇が斯鬼宮に居られる時に天下つまり日本を治めたのをたすけたと書いている。辛亥(かのとゐ)年は一般には471年であるが、531年とする説もある。獲加多支鹵大王を雄略天皇とするのは、471年とした場合日本書紀の記載と一致するからである。斯鬼宮(しきのみや)は雄略天皇のおられた泊瀬朝倉宮(はつせのあさくらのみや)とは違うが、泊瀬朝倉宮は当時の磯城(しき)郡に有り、固有名詞ではなく普通名詞だと考えれば整合する。さらに重要なのは意富比垝(おおひこ)の字である。日本書紀では雄略天皇は四道将軍を派遣しており、この辺に派遣されたのは大彦命である。もし意富比垝=大彦(おおひこ)ならば、日本書紀の記述は史実であり、この墓はその7代目の子孫だと言うことである。大変なことなんだと思う。稲荷山古墳を後にして、次に行ったのは将軍山古墳。ここは付属する博物館が面白い。発掘に伴って発見されて再現された埋葬状況が必見である。おぉー!と思う。感激である。すごいよ。馬具なんかも有るし、よく有る古代人より現代的。さらに馬に乗った墓の主も飾られている。旗はちゃんと蛇行状鉄器に刺さっているよ。頭を見るともうこの頃は「みずら」じゃないし、兜をかぶっていたんだ。馬具は金で装飾してあるし、鐙もあるよ。もう中世の侍に近いよ。上の石室内部の再現とこの馬上の主の再現だけでも見に来て良かったと思った。さきたま古墳群を後にして、今日の2番目の目的地の八幡山古墳へと向かう。でも、途中に白姫山神社が有ったので寄り道した。行田にはさきたま古墳群だけではなく、他にもたくさん古墳群が有り、この白姫山神社の中にある白山第1号墳を主とする白山古墳群もその一つ。住宅地の中に小さな古墳がたくさんある。神社の奥の祠が、宮崎や横浜の古墳群でもそうだったけど、神社は仏教におけるお寺と同様に、古来から地元の祖先神を祀る古墳の傍に造られて、それを守っているんだなと思った。さて最後は八幡山古墳。今日の最後の目的地。もう古い説明板なので読めないが、この古墳は周辺にある若小玉古墳群の一つで、7世紀前半に造られた約80mほどあったと推定される円墳の石室。昭和9年に付近の小針沼を埋め立てる為に円墳は崩されて失われている。逆に円墳が失われているので近畿の石舞台古墳となぞらえて「関東の石舞台古墳」と呼ばれる。石室は前・中・後の3室あり、奥行きは16.7mもある。入れる時もあるらしいのだが僕が行った時はカギがかかっていて格子越しに写真をとった。墓の主は、非常に立派なことから、「聖徳太子歴伝」に記される「武蔵国造物部連兄麿」と推測されている。木棺は最高級の漆塗木棺が発掘されており、それ以外に銅鋺等の遺物も発見されている。今日は有名な稲荷山古墳や将軍塚古墳だけではなく八幡山古墳も見られたし、良かった。
December 11, 2021
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12月2日にわの会で鎌倉に行って来ました。集合は鎌倉駅西口です。ここにはラングドン記念碑と時計台が有ります。ラングドンと言うとすぐに映画ダヴィンチ・コードの主人公を思い出しますが、この記念碑のラングドンは日本の古い街と建物を守ろうとしてくれた立派な人です。銅のレリーフの下に「文化は戦争に優先する」と書かれていますが、彼は鎌倉や京都の古い日本の建物や街並みをこよなく愛し、アメリカ軍の無差別爆撃から守った人です。戦時中ですから軍の人間に意見するのは非常に難しいのですが、彼のお陰で鎌倉や京都は守られました。どうせならば爆撃そのものをやめてくれれば一番良いのですが難しいでしょう。もしかすると古い建物や街並みを理由に、少しでも爆撃範囲を減らすのが目的だったのかも?そのすぐそばに鎌倉駅を象徴する時計台が有ります。通称「とんがり帽子の時計台」です。旧鎌倉駅は大正5年に建てられましたが、この時計台はその頃からのもので、とんがり帽子に時計がついたちょっとおとぎ話風のしゃれた時計台なのでこの名前で有名です。新しい駅に改築する際に壊されそうだったのを残そうと、青年会議所が募金をしたりして市民運動が盛り上がり、残されたものだそうです。さて鎌倉見学のスタートです。鎌倉駅を出て、鶴岡八幡宮へは大きな若宮大路があり中央が参道になっています。説明板の写真を参道の写真に合成していますが、参道は若宮大路の中央で両側の車道より一段高くなっており、この二の鳥居から鶴岡八幡宮までを「段葛(だんかずら)」と言います。昔はもっと長くて一の鳥居から有ったらしいのですが、横須賀線開通時に削られて今のようになっています。(説明板には明治初年に短くなったと書いてあるけれど僕には真相が不明)なお、若宮大路は1182年(養和2年)源頼朝が妻政子が長男であるの頼家の誕生の際に、鶴岡八幡宮で安産祈願のために造られたと言われています。800年以上前から有る道です。ここからの今日の見学ルートですが、こんな感じです。結構歩くなぁ。まずは鶴岡八幡宮です。昔から八幡宮の「八」の字は何であんな変な形をしているんだろうと思っていたが、良く見ると「目」がある。そう向かい合ったハトなんである。ハトは平家が壇の浦で入水したことを知らせてくれたと言う伝説が有り、この事から源氏の守り神である鶴岡八幡宮の「八」の字はハトなんだそうだ。今回調べてみて初めて知りました。鳩サブレの由来の元ですね。すぐ右側の脇には若宮神社が有り八幡宮の祭神である応神天皇の子の仁徳天皇を祀っている。そうかぁ、だから「若宮」神社なんだと今日初めて知った。勉強になるなぁ。鶴岡八幡宮の境内と言えば、実朝が公暁に暗殺された場所として有名だが、公暁が隠れていたと言う伝説の有るイチョウの木は2010年3月10日に強風で倒れてしまい、現在はその子の2代目が同じ場所に植えられている。倒れる前の銀杏の木を見たいなと思い、ネットで探してみた。倒れた時に樹齢を調べようとしたらしいのだけど上の写真の通り断面が悪く無理だったみたい。ガイドさんが「伝説では銀杏の木ですが当時はまだイチョウは日本には無かった」と説明され、気になった僕は早速調べてみた。ガイドさんの仰る通り、中国原産のイチョウが日本に伝わるのは13~14世紀みたいであり、また愚管抄や吾妻鏡の記載にもイチョウと言う言葉は無いので、公暁の隠れていたイチョウの伝説は江戸時代の創作のようである。なお、字が小さくて見にくいけど、右クリックをして「新しいタブで画像を開く」で開き、右上の歯車アイコンで設定を開けば拡大して見やすくできる。若宮大路や鶴岡八幡宮の古い家の玄関には面白い飾りが下がっている。僕は最初に三重県の松阪市の注連縄を思い出した。あそこは一年中注連縄を飾る。でも、ここのは「おはらひさん」と言い、6月30日と大晦日に行われる「大祓式(おおはらえしき)」で配られる注連縄で、無事に大祓式で清められた印なのだそうである。僕は初めて見たけれど、ガイドさんによればどこにでもあるものなのらしい。鶴岡八幡宮を後にして、次は宝戒寺であるが、ここは素通りした。宝戒寺は元弘3年(1333年)に後醍醐天皇の命により足利持氏が、滅亡した北条氏を弔う為に建てた寺で、戒壇院が置かれ人材育成の場であったらしい。ここには北条義時により建てられた小町亭と言う屋敷が有り歴代北条氏得宗家の屋敷だった。諸行無常の夢の址ですね。ここを北に行くと源頼朝の法華堂と墓が有ります。その下には源氏の白幡に由来する白幡神社が有ります。当日はお年寄りが多く階段は危険だったので頼朝の墓には登らずこの神社で説明されました。でも僕はせっかく来たので、解散後一人で頼朝の墓まで登りました。上の写真が頼朝の墓で、下の写真はすぐ脇にある法華堂の址です。説明板を読むと法華堂は17世紀初頭位まで堂舎が残っていたが無くなり、石造の墓塔が建てられ、安永8年(1779年)薩摩藩主島津重豪が周辺とも整備しました。その次は北条義時の法華堂址です。ここは最近(平成17年)判明し、現在調査中で縄張りをしていました。上の写真でたくさんの杭が打ってあるのがそうです。吾妻鏡によれば北条義時の墓は前出の源頼朝の墓(法華堂)の東の山上を墳墓の地とし、そこに新法華堂(義時の法華堂)を建てたとあり、ここがそうだと言われています。なので上の写真で源頼朝墓・北条義時墓と有るのは前出の源頼朝墓と併せての説明です。写真上の鳥居を登ると頼朝を助けて幕府の土台を築いた大江弘元とその四男毛利季光、及び頼朝に縁のある島津氏の祖島津忠久の墓(墓塔ではなくやぐら)が有ります。島津忠久の母は源頼朝の側室、比企能員の妹の丹後局であると言う伝説が有り、頼朝の御落胤ではないかと言われていますが定かではありません。3つのお墓のうち、島津忠久のものとされるお墓の写真をのせます。幕末から明治維新に活躍した薩摩と長州(毛利は少し違うかな?)の祖先の墓が並ぶのは、何か意味が有りそうで面白いです。ガイドさんは何も言いませんでしたがこの法華堂の左手に不思議なやぐらが有ります。実はこれは三浦泰村一族のお墓だそうです。三浦泰村は武勇に優れ、北条氏に太刀打ちするほどの勢力を誇ったが、北条時頼と安達景盛の策略にはまり宝治合戦で敗れて鎌倉の法華堂の脇で死んだと、吾妻鏡に書かれており、ここ(法華堂奥)がそれを祀ったやぐらだとされております。最後は覚園寺に行きました。ただ、ここは写真撮影が禁止されており、残念ながら写真は有りません。覚園寺奥には古い薬師堂があり、大きな薬師様が飾られています。両脇には訪問者の干支による12神将も飾られており、お参りに来られた方はそれぞれ自分の縁の神将にお参りしていました。色々と勉強になりましたが「おはらひさん」は初めて由来を知ったので良かったです。
December 4, 2021
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