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今、横浜市金沢区の古代を研究していて、鎌倉や金沢区には鉄の製造に関する地名が多いので、色々と考えていてふと気がついた。前にも鹿島神宮の神霊刀を見て、鹿島神宮の御祭神が古事記や日本書紀に出てくる武甕槌大神であり、何故この神を祀る神社が茨城に有り、同様にこの神と一緒に神譲りや神武東征に関わるイベントに出てくる経津主神(フツヌシ)が香取神宮に祭神として祀られているのかを考えると、この両神が実は関東に居て、神武天皇の属するヤマト王権を助けたのが神話化したのであり、両神がともに鉄剣に関わることから、関東の伊豆から茨城では砂鉄が採れ、それを元に製鉄の文化が発達していたのだろうと考えた。ちなみに鹿島神宮の神霊刀はこんな感じ。鹿島神宮の神霊刀鹿島神宮の刀作りに関しては常陸国風土記にも載っており、すぐそばで鉄製造の遺跡も見つかっている。比屋久内遺跡同様に金沢区や鎌倉に近い、と言うか金沢区の裏側の栄区にでも製鉄遺跡が見つかっている。上郷深田遺跡まぁ横浜市は建設業に深くつながる議員が多いので開発優先になるのは仕方ないけれど、ちゃんと調べてから破壊して欲しいなと思うんだけれども、ここで書かれた製鉄に使われた砂鉄を産出する円海山は金沢動物園のすぐ上で、後世には畠山重忠が秩父の金沢村から鉄鍛冶達を連れて来て、ここの製鉄は本格化している。そのせいで釜利谷と言う地名ができているが、実は釜利谷以外にも付近には製鉄に関わる地名は多い。まず上郷深田遺跡傍には鍛冶ヶ谷が有る。もうストレートに「鍛冶」。また金沢文庫側には赤井温泉。黒湯で有名。黒湯自体は鉄分のせいではなく、お湯に含まれる「フミン酸」によるもの。フミン酸は、土壌の中の動植物が長い時間をかけて分解・発酵された泥炭(モール)状の地層に含まれる物質なので鉄には直接関係は無いが、赤井と言う地名は井戸水などが含まれる鉄分により赤みがかっていたからだろうと思う。鎌倉と言う地名も、通説では三方を囲まれた鎌倉の地形が元だと言うことになっているが、別の説に藤原鎌足(かまたり)が、神宮にお参りする途中、由井里(今の由比ガ浜)に泊まったところ、不思議な夢をみて、いつも持っていた鎌(鎌槍(かまやり)のこと)を、大蔵の松ヶ岡に埋めました。 そこから「鎌倉」になったといわれている説が有り、これはまさかの伝説なので信じがたいが、この辺で鎌鑓が作られていたからと言うのならば、ちょっと信じられる。鎌倉の海岸沿いでは、(品質は悪く刀作りには向かないけれど)砂鉄が採れたのである。つまり関東の南側は各地で鉄が採れて、製鉄が盛んだったんではないかと思う。そこで冒頭の神武東征の中の経津主神(フツヌシ)を尾張の高倉下が見つけた時の話である。ここの部分は神武天皇がナガスネヒコに負けて兄の五瀬命を失い、太陽に向かって進軍しているからだめなので、攻め入る方角を変えようと、ぐるーっと和歌山を廻って熊野の方に上陸したが、その土地の神の毒気にあたってみんな気を失った時の話である。古事記にはこう書いている。なお、原文と意訳はネットよりお借りした。<原文>故神倭伊波礼毘古命其地従り廻り熊野村に幸到之時大熊の髪出入り即ち失せき爾神倭伊波礼毘古命條忽に遠延為御軍及皆遠延して而伏しき此時熊野之高倉下(たかくらじ)一横刀を齎ち於天神御子到之地伏して而献之時天神御子即ち寤め起ち詔はく長寝乎故其横刀受け取らせし之時其の熊野の山之荒ぶる神自ら皆切仆為爾其の惑ひ伏しし御軍悉く寤め起ちぬ之故天神御子其の横刀を獲りし之所由を高倉下に問はし答へ日さく己夢に云さく天照大神高木神二柱の神之命以ち建御雷神を召したまひて而詔はく葦原中国者伊多玖佐夜藝帝阿理那理我御子等不平坐良志其の葦原中国者専汝が言向之所国故汝建御雷神が可降爾答へ日さく僕 雖不降専其の国を平げし之横刀有り是の刀を可降(この刀の名佐士布都神と言い別名は甕布都神と云ひまたの名は布都御魂と言う。此の刀者石上の神宮に坐す也)此の刀を降らしむ状者高倉下之倉頂を穿ち其自り墮とし入れむ故阿佐米余玖汝取り持ち天神御子に献れ故夢の教へに如ひて而旦己が倉を見れ者信横刀有りし故是の横刀を以て而献る耳於是亦高木大神之命を以覚に白さく之天神御子此自り於奥の方莫使入幸そ荒ふる神甚多し今天 自り八咫鳥遣はす故其の八咫鳥の引道に従ひ其の立たし後従り応え幸行せ<意訳>そして神倭伊波礼毘古命は、その地から回って熊野の村に到着された時、大熊が一瞬出入りし、すぐに姿を消しました。すると神倭伊波礼毘古命は見るみる体調を崩し嘔吐し、その軍も皆嘔吐して倒れました。この時、熊野の高倉下は一本の太刀を持ち天神御子のところに参り、伏して献上した時、天つ神の御子は間もなく目覚め起き上がり、「こんなに長く寝ていたのか」とおっしゃりました。そしてその太刀を受け取られた時、その熊野の山の荒ぶる神を自ら皆切り倒し、よってその前後不覚で倒れていた御軍は悉く目覚め起き上がりました。そこで天神御子はその太刀を獲たいきさつを高倉下にお尋ねになり、お答え申し上げました。「私の夢にお告げがありました。天照大御神と高木神、二柱の神の命をもち建御雷神を呼び出されてこう仰いました。『葦原中国はひどく騒がしく我らの御子たちは平定できない様子であります。その葦原中国はお前に交渉を任せた国なので、お前こと建御雷神が降りるべきです。とおっしゃりました。しかし、それに対し建御雷神はこうお答えしました。「私めが降りずとも、十分にその国を平定できる太刀がございます。この太刀を降ろせばよろしいのです。」(この太刀の名は佐士布都神、別名は甕布都神、布都御魂と申します。この太刀は石上神宮に鎮座します。)この太刀の降ろし方は、高倉下の倉の天井を突き抜け落とし入れるので、朝に目覚めたらお前が仲立ちをし、天神御子に献れと夢で言われました。そこで、夢の教えに従って朝に自分の倉を見たところ、実際に太刀がありましたので、この太刀をお持ちし献りに上がりました。」そしてまた、高木大神のお告げにより覚えていたことを申し上げました。天神御子は、ここから奥の方へはまだお出かけになってはなりません。荒ぶる神が大変多くいます。直ちに天より八咫鳥を遣わしますから、その八咫鳥の導きに従い、それが飛んでいった後についてお出かけください。」ここでは大事なポイントがいくつかあります。一つはナガスネヒコに負けて太陽に背を向けて進軍すべく寄った熊野の地で、地元の大熊(恐らくは地元の豪族)に攻められて、ほぼ全滅状態に近い状態になったと言う事次にその時に高倉下(尾張の遠祖)が味方になり、この高倉下が天照大御神の命を受けた建御雷神から布都御魂(ふつのみたま)と言う剣をもらい、神武天皇に献上したところ、神武天皇軍は復活し、八咫烏も味方になって再度進軍を始めたと言うことです。まず何で剣を手に入れただけで、負け続けていた神武天皇軍が復活したか?恐らくは神武天皇軍は、それまでは銅剣を使っていたのだと思います。当時鉄は貴重な資源で、それから作られた鉄剣はなかなか手に入りませんでした。国内では鉄は(出雲以外では)手に入らず、北部九州勢力は朝鮮半島から鉄鋌(てつてい)とよぶ短冊形の板に規格化された鉄素材を輸入し、出雲勢力は奥出雲のたたら製鉄からできる玉鋼を利用し、鉄剣を作っていました。それ以外の勢力は、この2勢力に鉄を独占されて手に入れることができませんでした。なので、ニギハヤヒから出雲の鉄剣を受け取っていたナガスネヒコに勝てなかったのです。非科学的な「お日様の方向」なんて関係ありません。ところが尾張は関東の鉄づくり集団と交易がありました。いやもしかすると関東の国々は尾張の勢力の一部だったかもしれません。これは僕の想像でしかありませんが、関東南部の遺跡からは伊勢系の土器がよく出土します。例えば平塚市田村の田村館跡からは、平安時代ではありますが伊勢系鍋が出土しています。そもそも伊勢原と言う地名自体が伊勢との関係を暗示しています。伊勢原市のホームページでは江戸時代に伊勢の人達が移り住んだからと書いていますが、過去の歴史本を読むと鎌倉時代にはすでに伊勢神宮の人達がいたようです。そう、源頼朝のお父さんである源義朝の大庭御厨襲撃事件です。大庭御厨は伊勢神宮の所領で、源義朝は伊勢神宮の神官達を蹴散らしています。縁もゆかりも無い伊勢神宮の御厨が寄進されたとは言えここに有るのは理由が有り、1104年に鎌倉景正が開発した土地を伊勢恒吉の仲介により伊勢神宮に寄進したらしい。伊勢恒吉って誰?名前が伊勢だけど伊勢神宮に関係ある人?そもそも源頼朝のお母さんが熱田神宮の宮司の娘さんである。絶対に南関東と尾張は関係が深いのだと思う。横須賀と言う地名もそうである。通説では「横に長く広がる須賀(砂州)」だから横須賀と名付けられたのがゆらいだが、あの程度の長さの砂州ならば日本中にあるので、いまいち信じがたい。いや長く横に広がる砂州=横須賀でも良いんだけれども、そう言う表現を使う人達がそこに住んだから横須賀と言うようになったのではないだろうか?愛知県東海市にも「横須賀」が有る。もともとそこに居た人達がここに移住し、自分達の故郷の名前を連れて来たのではないだろうか?なので、神武天皇に茨城にいた建御雷神が、俺はちょっと助けには行けないけれど、鉄剣(布都御魂)を送ってやるよ。それで頑張れ!と鉄剣を送ってくれたので神武天皇はそれ以降連戦連勝し、ついにヤマト王権を打ち立てたのだろう。そしてその尾張と茨城や千葉、鎌倉や横須賀と金沢区の関係の元になったのが、僕は神話に出てくるヤマトタケルノミコトの東征だと思う。ヤマトタケルノミコトは関東に来る際に、お妃さまの宮簀媛(みやずひめ)のお兄さんを連れてきている。当然その家来も居ただろう。でも、その後のエピソードを見ると大軍を連れてきたようには見えない。焼津では地元の豪族にだまされて火攻めにあっている。大軍ならば火攻めは無理だろう。火攻めは周囲を囲むから意味が有る。横一直線では防衛ラインにはなっても、ヤマトタケルノミコトを殺すことはできない。また横須賀の走水から千葉に渡るにしても、大軍ならばたかだか東京湾の水流なので、収まるまで待てばよいのを、弟橘姫が入水する騒ぎになっている。大軍じゃなかったので小さな舟だったのだろう。じゃぁ大軍じゃないと言うことは戦争をしに来たんじゃないのか?僕は戦争ではなく、ヤマト王権の為に武器=鉄剣を作ってくれるように同盟をしに来たんだと思う。そう、神武天皇が高倉下を頼りに関東から鉄剣を得たように、ヤマトタケルノミコトも尾張のお姫様宮簀媛を(政略結婚だが)お妃にして、誰か関東に顔が効く人が必要なので、彼女のお兄さんを連れて交渉に行ったのだろう。その際に、古事記で有名な草薙の剣を伊勢神宮の倭姫命から預かっている。神話が好きな学者先生は「焼津で命を救う為に草薙の剣を預かった」と言うだろうけれども、出発時点では焼津で火攻めに会うことは知らないはず。と言うか、そもそも知っていたら罠にかかるはずが無い。罠にかかる前に相手を殺せばいい。罠にかかってから反撃するよりも簡単。では何故草薙の剣を持って行ったか?恐らくは見本だと思う。こんな長さでこのくらい丈夫なカッコいい鉄剣を作ってくれと頼む為の見本である。その結果、交渉は上手くいき、ヤマトタケルノミコトは尾張に帰って姫と結婚する。だから草薙の剣は宮簀媛の作った熱田神宮に祀られて、本来、誰でも考えるように宮中や伊勢神宮に有るはずなのにそこにはなく、熱田神宮に納められているのだと思う。
January 21, 2025
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邪馬台国論争の中で、学者先生はよく魏志倭人伝は不彌國までは実際に行った記録で、投馬國や邪馬台国には中国の使者は行っていないと言っている。僕も確かにそうだと思う。何故なら帯方郡から不彌國までの文法構文と、投馬國及び邪馬台国の部分の文法構文が違うからである。高校の英語の授業では、多くの高校では文法を独立して習う。その際に、SVO構文だとかSVOC構文だとかを教わる。S=主語V=動詞O=目的語C=補語(修飾語)である。日本語はS+C+Vの順に書かれることが多い。例えば、彼女は(S)学校に(C)行く(V)の形である。ところが英語では順序が変わる。She(S) goes(V) to school(C)の順序になる。これをSV構文と言い、後ろに目的語が加わった場合をSVO構文と言う。中国語は日本後よりも英語に近い。なので、魏志倭人伝は帯方郡から不彌國までは、(主語は略して)動詞(行動の方法)+距離+目的地の順に書かれている。例えば末蘆国から伊都国へ至る部分はこう書かれている。東南陸行(動詞) 五百里(距離) 到伊都國(目的地)これは行動形式つまり実際に行動した記録である。ところが投馬國と邪馬台国に関する部分は文法構文が全然違っている。目的地+動詞+距離・日数の順になっているのである。例えば投馬國に至る部分はこうなっている。南至投馬國(目的地) 水行(動詞) 二十日(距離・日数)これは伝聞形式つまり人に聞いた形である。つまり帯方郡から不彌國までは実際に行った記録で、投馬國と邪馬台国に関わる部分は実際には行っておらず、だれかしらの言ったことを記録したものだろうと言うことである。これは僕も学者先生の説は正しいと思う。その上で、両者が連続しているか、別々の話であるかが議論されており、連続していると解釈する連続説と別々の話だと解釈する分散説があるのである。これが両派に分かれて延々と議論されているのだが、今日はその話ではなく、帯方郡から不彌國まではどのようにして(何に基づいて)書かれたかを考えてみた。帯方郡から不彌國までの記述は異常に細かいのに気づく。そもそも何で「水行=恐らく岸沿いに行く」と「渡=大きな海を行く」を分けるのか?どちらも船で行くのだから、「船で行けば」でいいじゃん!そこで考えた。もしかすると使う船の種類が違うから?「水行」は小さい舟(例えば準構造船)で「渡」は大きい船だから?でもそれだと韓国部分は水行なので、中国の使者の乗る船にふさわしくない。立派な服を着て家来を連れた中国の使者が丸木舟に毛の生えたような準構造船には乗らない。では何故か?陳寿(三国志=魏志倭人伝の編集者)は単に船を乗り換えたことを書きたかったのでは?つまり帯方郡を出発した船が狗邪韓国経由で末蘆国まで行くのではなく、帯方郡から狗邪韓国まで乗った船と対馬海峡を渡る船は別の船だったのでは?実は現代でも似たようなことをやっている。東京湾内である。東京湾内は航行する船の数が多く、地形や水路が複雑な為に「水先区」と言うのが有り、その部分では船の航行は水先案内人が指導し、船はその指示により安全に航行する。水先法と言う法律まで有って、勝手には水先案内人はできない。古代の対馬海峡も同じだったのでは?あそこは一定の流れで流れているのではなく、時間や季節及び天気により流れの方向や速さが変わる。ひどい場所では逆転する。なので、帯方郡から狗邪韓国まで来る船では対馬海峡は渡れなかったのだろう。話はそれたが、そう言う細かな現地の事情まで陳寿が書くことができたのは何故か?恐らく陳寿はこの部分を現代で言えば中国の使者の書いた「復命書」と「旅費計算書」により、詳しく知ることができたのだろうと思う。だから異常に詳しいのだ。復命書と旅費計算書の例を載せる。まずは復命書の例。陳寿は各国の王や官及び副官の名前まで書いている。これはまさに復命書を参考にしたからだろう。出張に行く場合、その目的とカウンターパート(対応する相手)は、出張の成果や評価に大きな影響を与える。そりゃそうだと思う。例えば客先に営業に行って、担当者にしか会えないのと社長に会えたのでは評価が違う。なので、復命書を書く場合はカウンターパートは重要な記載事項である。また、記載(報告)内容も大きく響く。観光に行くわけではないから、よく調べて詳しく報告することが望まれる。なので魏志倭人伝では国の規模(戸数)や風俗は相当に詳しく書いている。現地人(倭人)が刺青をしていようがアワビを食べていようが、魏の皇帝にはどうでも良いこと。でも、そこまで詳しく調べたと言うのは評価が違うのである。次に旅費計算書の例を載せる。見づらいけれど、画像を右クリックして出るメニューから「新しいタブで画像を開く」を選ぶと、別のタブで大きな画像が開くので参考に。中国の使者も仙人ではないのだから、出張に行けば旅費はかかるし報酬が必要。1週間行くのと1年行くのでは宿泊費や日当は当然違うのである。また、先に書いた船の乗り換えの話も、韓国内を進む船と対馬海峡を渡る船では料金が違う。その支払いの為の根拠が必要だっただろうと思う。よく魏志倭人伝を読んで、狗邪韓国から対馬までの千里と壱岐から末蘆国までの千里が同じなのは変だと言う人がいるが、料金が同じだったのならば支払われる交通費は同じなので、同じ千里で使者にとっては同じことなのである。だから地図の上での距離が多少違っても、(正確な地図が無かった当時としては)気にならなかったのだろうと思う。この復命書と旅費計算書を見ると、魏志倭人伝の書き方(と言うか書かれた事)の意味がよく分かると思う。例を書いてみる。伊都国に関わる部分である。東南陸行 五百里 到伊都國(どのようにして行くか、どのくらいの距離かが分かる。)官日爾支 副日泄謨觚柄渠觚(誰に会ったかが分かる)有千餘戸(国の規模が分かる)丗有王 皆 統屬女王國(会った人と何故王には会わなかったかが分かる)郡使往來常所駐(魏と倭国の関係と使者の所在が分かる)こうしてみると、この部分は想像によって書かれた物ではなく、ちゃんと復命書や旅費計算書を元に実際のこととして書かれていることが分かる。やっぱり帯方郡から不彌國までは中国の使者も実際に行っていたんだなぁ。
January 19, 2025
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お正月も開けたので、久々にジャンクパソコンを修理した。NEC LaVie Direct PC-GN164ZEDG(PC-GN164ZE-G)である。新品で買うと20万円を超える。でもジャンクパソコンとしてヤフオクで買うと1000円。写真を見ると明らかに液晶が割れており、動作するかどうかも分からないので、入札参加者は僕一人。1000円で落札してしまった。届いたらすぐに確認すると、最初は当然動かないのだが、「ちちんぷいぷい」するとあら不思議、動き始めた。調べるとメモリーはオンボード(だから売り手の人も取るのをあきらめている)で8GB。SSDはビットロッカー(プロテクト。なので売り手の人も諦めている)がかかった256GB。なるほど売り手の人はプロテクトはかかっているし取る物も無いし液晶は割れているので、「ジャンク」として売り出したのだろう。でも実は「ちちんぷいぷい」するとSSDは初期化が可能。元の持ち主のLisa0098さんのデータは消した。個人情報はややこしいので、すぐに消す。SSDを初期化すると、パソコンは新たにWindows11のインストールが可能になる。さっそくインストールすると、このパソコン結構性能が高い。CPUは2019年ころの物なので5年前の物だが、4コア8スレッドなのでそこそこ。メモリーが8GBあればそこそこ。SSDが256GBあればそこそこ。画像を外部出力すれば使えるようになった。あとは液晶画面の修理。でも新品は高い。えー!パソコンの14倍?これを買うと子亀の背中に親亀を乗せる感じになる。無理。そこで中古を探すが、やはり4000円以上する。送料を加えると5000円強。僕のお小遣いの制限を超えるので奥さんに怒られる。新品よりは安いが1000円のパソコンを5000円かけて修理する?仕方ないので、使えないジャンクパソコンを探して液晶を取り、二個一を考える。狙い目はパスワードがかかったジャンクや起動不能、電源が入らないパソコン。但し、1000円のパソコンを分解して分かったのだが、これは特殊な液晶なので注意が必要。額縁が細いので、普通の液晶パネルは使えないのである。デザイン性を重視して軽量にした結果だろう。ヤフオクのNECを探しても無い。そして上に書いた中古の液晶パネルを見ると、額縁の広い使えない液晶だった。うーんどうしよう。こういう時は過去の経験がものを言う。NECのパソコンて実際に作っているのはLENOVOでは?(最近はNECは自分で作っていない)LENOVOの13.3インチタイプを探せばいいかも?探すと有った。うーん。何となく水没品みたいだな。あるいはコーヒーをこぼした?基板が水かコーヒーで汚染して動かなくなっているのだろう。液晶は大丈夫か?一般論だけれども、水没品は液晶もダメな場合が多いが、コーヒーは液晶は大丈夫。さっそく入札してみたら、1000円で入札参加者はまた僕一人。ちょっと不安だったけれども、届いたパソコンはやっぱり動かなかった。でも、液晶はNECの物と同様に額縁が細い。これが動作するなら大成功。で分解して接続してみたら、動いた!あとは液晶をどうやって外して、NECのに乗せ換えるかだけれども、軽量化とデザイン性の為にネジは使わないで、ほぼ全て両面テープで留めてある。この両面テープが曲者で強力なので、力いっぱい引っ張らないといけないが、力を入れすぎると液晶が割れる。慎重に作業を進めていると、裏ブタは外れたが、枠部分は外れない。じーっと観察すると、枠部分はNECとLENOVOで同じ形状のような気がする。なので液晶+枠で交換することにしたら、上手くいった。NECのパソコンに「LENOVO]って書いてあるのは変だけれども、面白いのでOK。それにしても写真の頃の中森明菜ちゃんは可愛かったなぁ。まだ少女の体つきでぷにぷにして微笑ましい。最後に気になる人(NECがまだ自分でパソコンを作っていると信じている人)の為に、分解した中身を並べてみたので、見ると面白いと思います。両者の違いは、NECとLENOVOの違いと言うよりは、NECの方のCPUはintelで、LENOVOの方のCPUはAMDなので、CPUの違いによる基板構成の違いだと考える方が正しいと思うのだが、それでもそっくりだと思う。同じLENOVOの製造だから当たり前か。もしLENOVOでもX390ならCPUはintelなので、全く同じなのかもしれない?まぁ二個一が上手くいって良かった。
January 15, 2025
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2025年は正月から晴れ渡り、初日の出を見に行った。横浜ベイサイドアリーナからの初日の出。雲一つ無い気持ちの良い初日の出。2025年最初のわの会のイベントは鎌倉の建長寺の見学。建長寺は誰でも知っている、横浜市民なら1回は行ったことがある有名なお寺。臨済宗建長寺派の大本山で、正式には巨福山建長興国禅寺(こふくさんけんちょうこうこくぜんじ)と号する。鎌倉五山の第一位で、境内は「建長寺境内」として国の史跡に指定されている。吾妻鏡によれば建長3年(1251年)から造営が始められ、同5年(1253年)に落慶供養が行われた。鎌倉幕府第5代執権・北条時頼により創建された禅宗寺院で、開山(初代住職)は南宋からの渡来僧・蘭渓道隆(大覚禅師)である。この地は、元は「地獄ヶ谷」と呼ばれる処刑場で、地蔵菩薩を本尊とする伽羅陀山心平寺という寺が建っていた。建長寺の本尊が禅宗寺院の本尊として一般的な釈迦如来ではなく地蔵菩薩であるのは、こうした因縁によるものである。また、心平寺の旧本尊と伝える地蔵菩薩像は今も建長寺に伝来しており、仏殿には、本尊の地蔵菩薩坐像(室町時代の作、像高2.4メートル)、もとこの地にあった心平寺の旧本尊地蔵菩薩坐像、千体地蔵菩薩立像、千手観音坐像、伽藍神像などを安置している。内部の配置は下図の通り。今回はわの会のK嬢が「正統院」の案内・説明をしてくれるのがメインで、一番最初に正統院に行く。下図左上のピンクの場所。かなり奥。まずは総門から入場。建長寺の特徴の一つが境内の中の主要な建物の配置。上図を見ても分かるように、創建当時の建物は失われたとはいえ、総門・山門・仏殿・法堂(はっとう)・方丈が一直線に並ぶ伽藍配置は、創建当時の面影を残すものとされる。なお、地形の関係で総門 - 山門間の参道は斜めになっている。総門の次は三門三門の手前には「さざれ石」が有る。東京の日枝神社にも有るけれども、国家「君が代」に歌われる石である。「さざれ石の巌となりて」と言うように長い年月を表す際に使われるたとえの石。何で仏教寺院の境内に神道の象徴ともいえるこの石が有るのかが不思議だけれども、考えてみれば建長寺には半僧坊と言う奥の院が有り、本来は神社的な性格が有ったのかも?三門に着く。三門をくぐると仏殿と法堂があるが、まずは今日のメインである正統院に行く。正統院はわの会のK嬢の案内で、写真を撮ってはいけないと言われたので写真は無い。正統院(しょうとういん)は、第十四世高峰顕日(こうほうけんにち)の塔所。高峰顕日は後嵯峨天皇の皇子といわれ、鎌倉では第二世兀菴普寧(ごったんふねい)に学び、無学祖元の法を嗣ぎ法衣と法語を授かったといわれている。ちょっと不思議なのは、本尊の文殊菩薩よりも大きい木造高峰顕日坐像(重要文化財)。しかも本尊をさしおいて中央に座り、本尊は脇に控える形になっている。ちょっと罰当たり?まぁ、後嵯峨天皇の皇子ならば、文殊菩薩よりも偉いのかもしれない。だって文殊菩薩は日本人じゃないから。他所の国の神様だから仕方ない。冗談はさておいて、次は半僧坊。但し、入口まで。上まで上ると、僕ら年寄りはくたばってしまうし、時間的に無理。と言うことで、入口。鳥居が有る。狛犬もいる。え?あれって狛犬じゃなくカエル?いかにも相模の国らしい。三浦半島を始めとして、相模の国は仏教と神道が入り混じっている。狛犬の居るお寺や、注連縄(しめなわ)の有るお寺、本来は神社のものである本坪鈴(ほんつぼすず=拝殿の鈴)が有るお寺があちこちにある。この半僧坊権現は1890年つまり明治の初めに静岡県浜松市の方広寺から勧請したものらしい。ここで気がつくのは1890年と言う年号。江戸時代までは優勢だった仏教が、明治維新によって一気に不利になる。慶応4年(1868年)政府によって「神仏分離令」「神仏判然令」が出される。その結果、長年仏教に圧迫されてきた神職者により全国に廃仏毀釈運動が広まる。全国で仏具や仏像が壊される事態になって政府はあわてて、「神仏分離が廃仏毀釈を意味するものではない」との注意を改めて喚起したが、その際に、お寺側も生き延びる為に、色々と考えたのだろう。この半僧坊も知恵者の坊さんの生き延びる策だったのだろうと思う。<後日追記>半僧坊のカエルで思い出したけれども、ここには虫塚と言うのが有る。虫好きな解剖学者養老孟司さんの提唱で作られた「虫塚」。奥には有名な建築家隈研吾氏の設計になる虫塚があるが、養老孟司氏の別荘から運ばれたゾウムシのオブジェを取囲むように金網の虫かごが並んでいる。さすがに建築家だなぁと思う。僕らには意味が分からない。設計の主旨に「生命の大切さ」とあるならば、虫をいれる虫かごは無いだろうと思う。人間に捕らえられ自由を失った虫たちが哀れだと思う。自然の中で(人生で無く)虫生を終わらせてやれよなと思う。まぁそれはそれとして、カエルの話から思いついたのは、この虫塚だけではなく、仏堂の中に隠された「フクロウ」。こんなのが有るお寺って珍しいぞ。建長寺の教えの中に「命の大切さ」なんてのが有るのだろうか?いつか研究してみたい。後日追記終わり。まぁ、それはそれとして、半僧坊に登るのはあきらめて引き返す。本当は方丈に入りたかったのだけれども、ダメだったみたいで通過。ネットを見ると方丈の庭園の写真がたくさん有るので、日にちによっては入れるのかも?ここの庭は夢窓疎石の作らしい。いつか見に来よう。方丈の入口は唐門。建長寺の他の建物と同様に、関東大震災やその他の火災によりみんな焼けて残っておらず、現在の建物は他から移築したものばかりなんだけれども、これは芝の徳川秀忠夫人崇源院霊屋から移築したもの。中の方丈は総門と同じく、京都の般舟三昧院から移築したものだそうだ。なお、唐門は金色に輝いているが、これは2011年に本来の姿に再現されたもの。唐門を後にして法堂と仏殿に向かう。ちなみに法堂は「はっとう」と読む。法堂は禅宗以外の寺院の「講堂」に相当する建物。入母屋造、方三間、裳階(もこし)付き、銅板葺き。文化11年(1814年)の上棟、文政8年(1825年)の竣工である。棟梁は建長寺大工の河内久右衛門。内部には身舎・裳階の境に柱が立つのみで間仕切りはない。床は瓦の四半敷きとする。歩くとからからとなって割れそうで怖い。堂内中央奥に高さ2メートルを超える法座を設け、その奥に本尊千手観音坐像を安置する。お釈迦様はこんなに髭が伸びるまでの長い期間断食をされて、痩せこけてしまったんだな。聖者ってキリストも磔にされたけれども、苦行をしなければいけないんだ。やっぱり僕は聖者には絶対になれないな。なお、天井の雲龍図は鏡天井に直接描かれたものではなく別に制作された絵を掲げたものである。鎌倉最大級の木造建築で2005年に重要文化財に指定された。うん?龍の足の指が5本?実は龍の足の指は、その龍の位によって決まるらしい。中国では皇帝の龍は5本、王子や位の高い貴族は4本、それ以下は3本に決まっているらしい。日本ではほとんどの龍の足の指は3本に決まっている。小泉さんは中国流に描いたんだなぁ。仏殿の本尊は前述の通り、本尊の地蔵菩薩坐像がおられる。頭が大きい。仏殿脇にはビャクシンが有る。ビャクシンはこれだけではなく、全部で7本有るらしい。三浦半島を始めとした相模の国にはビャクシンが多い。瀬戸神社にも(枯れて倒れているけれど)有る。仏殿手前には触る模型が有る。神奈川県葉山市の大下利栄子さんが代表を務めるユニバーサル絵本ライブラリーの提唱で、視覚障がい者も手で触って歴史的建造物を感じることで、共に旅の感動を分かち合えるようにすることをコンセプトに企画されたもので、クラウドファンディングにより造られたものだそうだ。とても良いことだと思う。僕も耳が聞こえないので、健常者の方には分からないと思う辛さがちょっとだけ分かる。だってカッコいい建物を目が悪い人だって知りたいよなと思う。建長寺の最後は梵鐘。藁葺きの屋根って良いなと思う。ハニワみたい。ここで見学は終わり解散したのだけれども、僕はせっかくなので、お正月だから?鶴岡八幡宮へお参りした。その帰り、面白い物を見つけた。段葛の上で。え?蛭子さんってあの蛭子さん?面白いなぁ。歩いていると色々と見つかるよ。
January 13, 2025
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久しぶりに愛天堂に行った。ちょうど初売りで「2025お楽しみ福BOX」を売っていたので買った。ARつまりオーディオ&ラジオタイプ。ちょっと高かったけれども、中身を見るとたくさん入っているので結構お得だった。DSPラジオK-444A、6石トランジスターラジオAKIT-164、DSPラジオモジュールM4926V1、M6952V2、ミニアンプキットAKIT-M386VR、ヘッドホンアンプキットK-47、315MHz送信モジュールRF315-9902R、受信モジュールRX315-LXD9A、RX315-R19A音反応LEDキットK-5615、ハート形LEDキットK-5630、トランジスタマイクアンプキットK-5620その他多数もう盛沢山である。全部使うと7000円分くらい?ものすごくお得である。半年は遊べそう。でも全部は使わないからちょいお得かな?中に6石ラジオが有った。[AKIT-164]である。[AKIT-164]これってネットを見ても成功する人と失敗する人が半々で、微妙なんだけれども、成功すると結構お得なキットである。失敗する場合の症状は、まぁ普通に半田付けミスによる不動作。あるいは運悪く不良部品が入っていて不動作。ネット上にあふれているのが異常発振。やまさんはこの異常発振で苦労しているみたいである。やまさんが教えてくれたネット上の異常発振の解決した例では、異常発振の原因を「低周波発振」とみて低周波増幅部をIC化して対応し、一応成功していた。でも本当かなぁ?僕も一回異常発振で悩んだことが有るけれど、また僕自身も、これは低周波部分の発振だなと感じたんだけれども、後で冷静になって考えたら、低周波発振だけじゃないなと思った。何故か?低周波発振ならば、低周波なのでバリコンがどの位置に有っても発振するはずなのに、決まって放送局やその他電波を受信したそばが多かった。つまり発振する時にバリコンの位置が関係している。高周波も関係しているじゃん。でも高周波部分をいじくりまわしてもぜんぜん回復しない。むしろ低周波部分をいじくった時の方が変化する(解決はしないけれど)そこで今回は色々と調べてみた。作った最初は問題なく動作したが、有る時に突然鳴らなくなった。何をやっても動かない?いやイヤホンを回すと時々鳴る。うん?調べてみるとイヤホンの角度によって、イヤホン出力とアースがショートしている。どうも中の端子がイヤホンを強く差し込んだ時に曲がってしまって壊れたらしい。やまさんも半田付けする際に足(端子)が曲がって使えなくなったと怒っていたが、どうもこのイヤホンジャックは素材が悪く、壊れやすいようだ。恐らくリン青銅(バネ性の有る銅)の合金時の成分に不良があって弱いみたい。仕方ないので、僕の家はマンションでどちらにしてもスピーカーは使えないので、イヤホンを直付けした。みっともないけれど仕方ない。ちなみに半田付けだけでも良いのだけれども、銅線が細いので弱いのでボンドでも固定している。これで一応鳴っている。異常発振は出なかった。でももしかしたらと言う状態には一時なった。でもそれはトラッキング調整をしていたら消えた。うん?トラッキング調整をしたら消える?そう言えば高周波部分と低周波部分はチェックしたけれど、中間周波数部分はチェックしていないなぁ。やまさんはAGC回路部分の抵抗を変えると変化すると言ってたし。回路図をチェックしてみた。あれー?この回路面白いぞ。AGC用の電圧はVT3のコレクターから取っている。(赤線を書いた時に配線が少し消えてます。ごめんなさい)ここの電圧をR3経由でVT2とVT3のベースに戻しているのか。でもこの回路トランジスター検波だけれども、トランジスター検波ってベース-エミッタ-間の非線形部分を使うから、コレクター部分はまだ高周波成分が残っているのでは?そうするとAGC回路は、高周波成分まで戻しているのでは?通常の6石スーパーは検波後の電圧を使うので高周波成分は無いが、この回路では状況によっては低周波に幾分か高周波が残っているのでますいのでは?通常の6石スーパーの回路を載せる。愛天堂の物と比べると、トランジスター検波ではなくダイオードで検波しているので、ほぼ直流成分のみ返している。愛天堂の回路は2つのトランジスターに返しているが、この回路は前段だけ返しているので、単純だし安定している。愛天堂の回路って、中間周波数トランス(IFT)のT4の巻き方によっては、2個のトランジスターVT2とVT3のうちのVT2には正帰還がかかっているのでは?(図に赤い位相を示した半波を記入しています。参考に。)正帰還がかかっていると言うことは発振するのが当たり前では?まぁでもこれはT4の1次側と2次側が同相の場合の話で、普通はちゃんと正しく(逆相に)作っているはず。いや、でも例えば初回ロットでは正しい巻き方だったものが、10代目くらいから(間違えて)同相のIFTになってしまっているのでは?通常売っているのは同相なので、何も考えない担当者なら危ない?間違って買っているかも?でもまぁこれは疑惑であって、確認していないので冤罪かもしれない。でも成功する人と失敗する人がいるのなら、ロットによっては間違った部品があるのかも?(ちなみに今回作ったこのラジオはDSPラジオでは聞こえないTBSラジオでさえ聞こえる。 異常に感度が高い。)また、AGC回路にはC4と言う223のセラミックコンデンサーが入っているので、通常はAGC回路に紛れ込む電圧の中の高周波分はC4を通してアースに落ちるはずである。(C3の電解コンデンサーは高周波的にはコイルと同じ扱いなので役に立っていない)でも大きな高周波成分ならば落としきれないかも?またIFTのT4の巻き方が正常でも高周波成分を返すのは危険である。基板の銅箔の状況によっては電波が漏れてしまって、それがVT2やVT3に戻るからである。だから本当はちゃんとダイオードで検波してきれいな直流成分だけ返した方が良いのだと思う。この仮説は今起こっている現象によく合う。正帰還による発振なので、発振の元になるタネが無ければ発振しない。これが単純な低周波発振との違いで、(単純な低周波発振ならバリコンに関係なく発信する)バリコンを回してラジオ局やその他の電波を受信した時に発信する理喩である。ではこの6石スーパーの設計者は何故こんな回路にしたのか?それは再生方式ラジオ同様に高周波成分を戻して感度を上げたかったのかも知れない。再生方式ラジオの概念図を載せる。自分で図を描くのが大変だったので、ネット上の図を借用した。この図を見ると分かるように高周波増幅回路の出力の一部をバーアンテナに戻し、それをまた増幅するという繰り返しにより感度を上げるものである。なので、発振する一歩手前が一番感度が高くなる。帰還量調整ボリュームにより感度が上げ下げする。発想は良いと思う。もしこの6石スーパーラジオの設計者がそう言うつもりで設計したのなら、調整さえうまくいけば、通常の6石スーパーよりも感度は高くなる。ただ上の回路のように広いバンド幅の場合はコイルは周波数によりインピーダンスが変わるので、周波数により常にボリュームで帰還量を調整しなければいけないから大変である。ところがこれを4中間周波数部分でやるのならば、周波数が455kHz一定なのでボリュームではなく固定抵抗で良い。最大感度の時の抵抗を付けておけば常に最高感度である。なので、理論的には正しいかなと思う。でも現実的には素人向けのキットでは無理だと思う。だってただでさえ鳴らすのが精いっぱいなんだから。僕がトラッキングを調整したら発振が止まったのはIFT部分でこのボリュームを調整するのと同じことをやったのだろうと思う。ちゃんとした発振器と測定器で調整しないといけないので無理が有ると思う。T4の巻き方が間違った部品が入っていたのかな?それとも、元々中間周波数部分で再生方式をやっているのかな?どっちか分からないけれども、この辺に異常発振の原因がありそうだな。<後日追記>僕の性格上、真実を追求するのが3度の飯よりも好きなので、どうしても真実を明らかにしたかったので、もう1台買ってIFTを調べてみた。T4の1次側の分解写真カメラが接写用じゃないのでボケててすみません。左側のピンが巻き初めで右回りに巻いています。左側のピンが巻き初めなのは交差部分が左側から来た電線が下になっているので分かります。次に2次側の分解写真これも左側が巻き初めみたいです。そして右回り。つまりIFTのT4は1次側の巻線方向と2次側の巻線方向が同じ。同相じゃん!発振するのが当たり前じゃん。これで真実が分かりました。元々、VT3のコレクターから取ったAGC用の電圧が、VT3には逆相として入力されるので負帰還つまり正常。VT2には正相として入力されるので正帰還つまり、よほどうまく調整しないと発振する。恐らく発振するのは、IFTの調整で感度を上げ過ぎると発振するのだと思います。そして発信しない人は、IFTの調整をしないであるいは最高になる手前でやめた人。(正帰還なので、再生方式の回路なので、感度は発振する一歩手前が最高になる)きっとそうなんだと思います。でも真実は分かったけれども、部品を手配した人が間違えて同相のIFTを買ったのか、元々設計上感度を上げる為にT4を同相にしたのかと言う疑問は、どちらも有り得るので分からないな。つまり真実は解決したけれど疑惑は解決しない。まぁこれは仕方ないかな?<後日追記>IFTが同相ならば発振するのが当たり前と言ったけれども、僕もいい加減年寄りなので、目が悪いせいでコイルの巻き方を間違えて見ているのかもと思い、ちゃんと発振器から出力を入れて、オシロスコープで1次側と2次側が同位相なのを確認してみた。僕はAMラジオのトラッキング調整用に、455KHzと520kHzと1620kHzの3周波数の発振回路を1枚の基板上に作った物を準備している。それを使ってIFT(T4=黒)の1次側と2次側をオシロスコープで調べてみた。ところが古い作品なので、455KHz部分が壊れていたので、520KHz部分のコアを回して455KHzにして使ってみた。オシロのCH1(発振器出力)とCH2(IFTからの出力)の接続は右の回路図の場所だが、見事に1次側と2次側の波長は一致している。つまり同相。だから(設計者の意図=再生検波による感度UP)か(販売者の誤り=IFT種別を間違えた)のどちらなのかは分からないが、トラッキング調整が上手い人は発振一歩手前で止めて最高感度を得ているのだろうし、そうではない人は発振するのだと思う。だって位相が反転するはずの2つのトランジスターVT2とVT3のベースに、同じ信号が入力されるんだもの。IFTが同相では無くて逆相ならVT2とVT3のベースには反転した信号が入力されるのだけれどもIFTがこれでは発振するのは仕方ないと思う。いつか何らかの方法を考えてみよう。気<さらに後日追記>「何らかの方法」を考える為に回路図を見ていてふと気がついた。VT3のコレクターからVT2のベースに正帰還がかかっていることばかり気にしていたら、実はVT2コレクターからIFT(T4)経由でVT2のベースに負帰還がかかっているみたい。と言うことはVT2のベースには正帰還と負帰還両方がかかっているのか。でも、正帰還の方がVT3の増幅度分だけ大きく効くと思うので正帰還だと言えると思う。と言うことは、VT2がからむと相当に難しくなるな。だとすると通常の6石スーパーのように高周波は戻さないように直流だけ戻す方が正解かな。
January 4, 2025
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