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2023.02.27
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カテゴリ: 気になる本
図書館に予約していた『李良枝セレクション』という本を、待つこと3ヶ月ほどでゲットしたのです。
 本の表紙に著者・李良枝、解説者・温又柔という名前が見られるが・・・韓国と台湾にルーツを持つお二人に、大使のツボが疼くわけです。





温又柔×李良枝著、白水社、2022年刊

<出版社>より
日本と韓国ー二つの「母国」の間で揺れ惑う個人の苦悩と葛藤を文学に昇華した作家が未来に託した小説とエッセイ。巻末に年譜を収録。

<読む前の大使寸評>
本の表紙に著者・李良枝、解説者・温又柔という名前が見られるが・・・韓国、台湾にルーツを持つお二人に、大使のツボが疼くわけです。

<図書館予約:(12/01予約、副本1、予約1)>

rakuten 李良枝セレクション


小説「由熙」の冒頭の語り口を少しだけ、見てみましょう
p7~11
<由熙>
 由熙の電話を切った時から、私は落ち着きを失くした。
 机の上には処理しなければならない伝票や書類がたまっていた。しかし、仕事に全く身が入らなくなってしまった。
 そのうちに、腕時計が四時をさした。
 見上げると、会社の時計も同じ時刻をさしていた。
 しばらくしてやり残していた仕事を始め、六時少し前にその日の仕事を終えるとすぐ身支度をした。六時ちょうどに会社を出た。

 走り寄ってきた空車のタクシーを呼び止め、乗りこんだ。タクシーが家の方向に向かって走り出すと、思い出したようにまた落ち着きを失くした。電話での由熙の声がまるで今話しているような鮮やかさで迫ってきた。タクシーが信号の前で急ブレーキをかけるごとに、瞬いた瞼の内側に由熙が現れ、走り出すとともに遠のいた。

 タクシーを使って家に帰ることなど滅多にないことだった。一分でも早く帰りたかった。しかし、家までの道のりは、いつもより長く、バスに乗って帰る時よりも車が揺れ、止まる信号の数も多く感じられた。

 会社を出てくる時、社長と同僚に挨拶をしてきただろうか、私はそんなことを考え始めた。ついさっきまでのことがよく思い出せない。時間からすれば数分前の、タクシーに乗りこむまでの時分のことがはっきりとしなかった。

 寒かった。風も強かった。ソウルは春の日が短く、朝晩はまだ冬のように日中との温度差が激しい。ブレーキの音が前からもうしろからも聞こえ、からだがぶらつくたびに、バッグを抱え、背中を丸めた。

 家の前でタクシーを降りた。
 来た道の角の方に戻っていくタクシーを、私は降り立った同じ場所に立ちつくしながら見つめた。ごくわずかに傾斜しながら下った坂道の左側の角の向こうに、タクシーが消えていった。
 家の前の道に人の姿はなく、道の角からも人や車が現れ出てくる気配はなかった。今し方消えたタクシーの轟音もすでに聞こえなくなった。

 記憶の中の由熙の声が、私の背中を突ついた。声そのものに滲みこんでいる視線の動きも立ち現れた。声と、その視線に誘われ、私は振り返った。由熙が横に立っていた。坂道の上方を見上げているその横顔がはっきりと思い出された。6ヵ月前のある日と同じ様に、私は由熙と並んで立ち、うしろにある岩山の連なりを見上げた。坂道は右にくねり、道に沿って続く人家が見上げる私の視界の下方で鎮まり返っていた。その上方に岩山がそそり立っていた。
(中略)
 視線は、過去のある日と同じように一番高いところに位置する岩の表面に引きつけられた。
・・・パウイ(岩)
 由熙の声を思い出し、その発音を真似るようにして私は呟いた。ウィの音を強調し、ことさら正確に発音しようとしていた由熙の、かえってぎこちなく聞こえたその声が蘇った。

 風は冷たく、険しさを感じるほど、刺々しく強かった。手を交差させ、両腕を抱いて慄えている自分の姿も、6ヵ月前の、冬に近づいていた日の自分を思い出させた。あの日、この坂道の少し下で、厚手のカーディガンを羽織り、その端を引っ張りながらカディガンをからだに巻きつけるようにして私は立っていた。風もやはり冷たく、刺々しかった。
 向き直り、また人気のない坂道の角の方を見た。いつまで立っていても誰もそこからは現れてきそうになかった。

 由熙は、この国にはもういないのだ。
 そしてこの家にもいず、この道に現れることもない。
 風の中に立ち、道の角を見つめているうちに、自分がようやく落ち着きを取り戻していることに気づいていた。

 低い石の段を上り、鉄扉の横にあるチャイムを押した。
・・・ヌグセヨ?(誰ですか)
 インターフォンから叔母の声が聞こえた。
・・・チョエヨ(私です)
 叔母の、小さな機械の中で響きを変えた声に向かって私は答えた。

 家の中にあるインターフォンのボタンが押されると自動的に鉄扉の鍵を開く。金属を叩くような音がして鍵が開き、鉄扉を押すと小さな庭が現れた。私は中に入り、鉄扉を閉めた。余韻を聞き取り、道の方にやはり人が歩いてくる気配がないことを確かめるようにして、まだ少し経ったままでいた。
(中略)
 外とは違う匂いが、小さな庭に入った時から辺りにたちこめていた。その匂いで、自分が住んでいる家に帰ってきたことを今更のように想い、匂いに敏感になっている自分に気づいて戸惑いもした。
 肩のうしろ辺りから、イイニオイ、と遠い日に呟いた由熙の日本語の声が聞こえてくるような気がした。


『李良枝セレクション』1 :編・解説者でもある温又柔さんが李良枝を語る。





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Last updated  2023.02.27 00:04:02
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