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ゲーテは、30年戦争後百年後に生まれたが、当時のドイツはまだ憐れな田舎にすぎなかった。新教と旧教の争いの場が、ドイツが中心だったために絶滅した村落も多く。人口は半減した。しかもドイツは絶対君主制の小国が分立して、統一国家を実現していたイギリス、フランス、スペインなどに比べてすべての点で遅れていた。ラテン語で書き、フランス語で喋るのが文化人だった。ゲーテは、そのドイツを世界の檜舞台に押し上げた。83歳の生涯だった。ゲーテの文学を読む為にドイツ語を学ぶ人が増えた。ゲーテは、偉大な俗物だろうか。ある意味で、ゲーテの「ファウスト」は、人間は何であるかをいう問題に挑んでいった作品であるともいえる。命がけで革命に身を捧げていたレーニンが「ファウスト」を身辺から離さなかったといわれている。イデオロギーがなんであろうと、それ以前に、一個の豊かな人間でなければ、それこそ何の魅力もないのではないか。ゲーテは、いまなお私たちに語りかけている所以であろう。
2023.04.30
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絶滅危惧種のクロツラヘラサギ。よく中国外交部のプロパガンダでは、他国との関係を「ウインウイン」の関係であるといっているが、一帯一路にしろ自国の戦略の押し付けでしかない。他国の弱みに付け込んではいないだろうか。債務の罠もある。ロシアの論理と変わりはしないのではないのだろうか。何のための軍備拡大であるだろうか。国民の人権を無視した政治が行われてはいないだろうか。社会的正義は必ず真実を明らかにしていくだろう。これだけ濃密な長い歴史のある日中や、日韓関係も相互理解のむずかしさを感じないわけにはいかない。個人の関係も同じだ。夫婦や親子で傍で暮していても何かあれば衝突もする。何もわかっていないといえば言えるのだろう。この人は何を言いたいのだろうか。簡単なようで簡単ではない。夜空を見て星が見えるが、遠い過去の姿だという。この瞬間では、もう光だけが届いてその星は過去のものかもしれない。いまの瞬間も1億分の1秒では、すでに過去でしかない。 ・信じようとしているだけで、信じられるものはないのだ。このブログも明日はないかもしれない。楽天もいつまでもあるわけではないだろうし、PCだって故障するかもしれない。私の気が変わるかもしれないだろう。去年の5.11の日照時間は、5;20~19;08 だった。6.7が、一番早い日の出の時間で、5;07で13日間続いている。 ・へ2・・・知識さえあればこの世はダイナミックで魅力に満ちた世界に違いない。乾燥した世界に見えるとしたら、自分の脳が乾燥しているのだ。工夫次第で、どれだけでもしたいことを考えるべきだろう。
2023.04.30
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Robert Bly 著・荒木文江訳「未熟なオトナと不遜なコドモ」から、・今や評判は地に堕ちた父権社会から、衝動が幅を利かせる社会へと移行する時代にあって、人びとはあえてオトナになろうとはしない。・アレクサンダー・ミッチーリヒは「責任を伴わない仕事を求める大衆社会は、競争相手となる膨大なきょうだいを生み出す。」・オトナは若者へと退行しーそれを見てー若者は、オトナになりたいとは思わない。その実体は、「だまされやすく、指導者に従い、喜んで群れの一員なる・・・」・成熟するには暇が必要である。急いでいる人間は、成長することも衰えることも出来ない。彼らは、永遠の幼年状態に留まる。・Sibling Society では、何が本当か判断することが難しい。われわれは、ますます宣伝ばかりの「実体のない出来事」にかかわるからだ。・「実体のない出来事」とは、主催者が精神的あるいは政治的に重要なイベントを約束しておきながら、人びとをだまして、ほんのわずかしか関連のない内容を提供するときに起きる。それは、何百万人もの人びとが、それをみる「TVショー」等だ。・ますます創り上げられる若過ぎるサクセスストーリーが強要され、芸術や文化が荒廃している。・アメリカ社会のオトナたちは、愛されたいという飛び抜けて強い欲望を持っているが、しかし、だからといって、彼らは、愛情を返えす必要を感じてはいないのではないか。寧ろ、愛情の対象となるだけが望みなのだ。愛して貰うためには、子どものいいなりになるのが一番ではないか・・?
2023.04.30
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この社会は自分の都合のいいようにはできていない。実際、誰もが住み心地がいい社会というのはこの世界のどこにもないだろう。誰かが何かに不満を持っているに相違ない。如何にそれを調整するかでしかない。不満の多い社会もあれば、ほどほどもあるということだろうか。「我慢しなさい」が殆どの社会のルールであり、宗教も同じだろう。好き勝手にやりなさいはない。 ・食事も運動も自己管理できないはずはない。要は遣る気だろう。元々セルフ・コントロールをしているではないか。できないというからしなくていいだろうと思うのだろう。そうしなければならない理由が理解できないのかも知れない。確り教育をしないからだ。理屈が理解できないからだろう。或いは周囲の環境が悪すぎるのだ。目の前にご馳走をならべて、「さあ食べなさい」と勧められたら誰だって誘惑されるだろう。それに打ち勝つには、それを拒絶するだけの理由があり、決意があるかでもある。周囲に負けない力を持っているかでもある。それには日頃のスキルがいるだろう。 ・へ2・・・できない、と思うからできないのであって、知識と真剣さの問題ではないだろうか。それが当然だという周囲の協力も必要だ。周囲の無理解が邪魔をしているだろう。誰も好きなものを食べ、好きなことができるわけではない。それを普通にしているではないか。我慢して生きてもいる。我慢のできないものは少ないだろう。自分を甘やかしているのは、自分だろうし、社会でもあるだろう。それは「この社会に逆らうな」という暗示でもあるだろう。何かを目標にすれば、自分を甘やかしては何もできはしない。勝者の世界だろうか。その他大勢は、そうもいかない。
2023.04.30
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アオサギ。人が活きるにはそうしなければならない理由もある。それをどれだけ伝えられるのだろうか。天才でも難しい。ことばでは伝わらなくても、写真でよりよく伝えられるものがあるだろうし、他の方法もある。他人にはできて自分にはできないものは沢山ある。良質の睡眠を目指しているが、分眠になっている。夜ぐっすり眠って朝起きるのが理想だが、睡眠時間が2,3時間だろう。夜目が覚めて、無理に寝ていたのは仕事があったからで、それでも眠りは浅かった。 ・色々遣って見たが、2,3時に起きて、食事を5時ころして、季節によって少しずれるが、ウオーキングをしてひと休みする代わりに1,2時間眠る。これも貴重な睡眠の裡だ。午後も昼寝をする、一時間から二時間。これでどうやら私の睡眠時間になる。トータルで6,7時間だろう。その日によって足りないと思う時は、調整もする。免疫力の低下が齎す影響は小さくはない。細胞分裂のエラーも起きてくる。これだけの遺伝子を抱えて活きているのだから、どこかで変異もある。 ・へ2・・・守ってばかりでは、生命の防御には為らない。泥の中で上澄みを吸うように生きねばならない。アメリカは天使ではない。広島や長崎に原爆を投下したし、焼夷弾を民家に落としたのだ。人間の所業はそうしたものだ。悪行をすれば悪人であり、善行をなせば善人になる。人はいくつも顔がある。歩きながら学び、書きながら学ぶ。暮らしの中から自分の人生を見出さねばならない。天は自分という存在を与えたのだから遣ることはある。
2023.04.30
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ホーリー・トリニティ教会。安楽な暮らしがしたくても。世の中中々そうはいかない。成功者の話は参考にはなっても、実現は難しい。文豪シェークスピアだって例外ではない。地味な人生を生きたのだ。「憂鬱」というコンセプトが文学の中で棲みついているようだ。愉しくない社会であったのだろう。気楽には生きていけなかったのだから仕方がないのだろう。言論の自由もなく、学問の自由もあったとはいえない。そういう中で思想も哲学も文化も閉塞した。人間は環境に影響される。太陽の光を浴びて育つ草木のようにでもある。童話で継子いじめがあるが、グリム童話にもある。聖書の中にも男女の三角関係がある。 ・「上を向いて歩こう」という歌があるが、人間は空ばかり見ていられない。長く上を向いていたらボーっとしてくる。脳の構造は上を向くようにできていない。目は前か下を向いて考えるようにできている。狭い道で歩きながら上を向くのは危険でもある。寝転んで仰向けにでもならないと空は長くは視ていられない。 ・へ2・・・何故「憂鬱」なのだろうか。そういう社会環境に住んでいるからだ。皆が愉快に生きていけなかった。それだけ貧しかったからだ。エネルギーを発散できずにいた。元気な人間は海を渡るしかなかっただろうし、外国で適応できた人も少なかった。多くの人たちが鬱になって、国家を支えていたのかも知れない。そうしなければならなかったからだ。結果には必ず原因や理由がある。だから、日本には「憂鬱」の文学史がある。
2023.04.30
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昼夜逆転した日々を過ごすようになったのは、良質な睡眠がとれなくなったからだ。もうどれくらい経過したのだろうか。はっきりしない。或いは、このブログを調べればわかるかもしれないが。過去を悔やんでも仕方がない。ハイリスクの病気になり、いつレッドカードが出るかわからなかった。横浜市大病院に検査入院した時、若い女医さんからちゃんと治療を受ければ、10年間は保証しますといわれたのは20年前のことだ。 ・それから真面目に通院している。合併症とか、いくつかステージが進んでいるが、どうにか生きているのだから文句はない。講座とかウオーキングとか、ツアーもできた。ほかにもすることはあったのだろうが、リタイヤして仕事もしていない。世の中は、70歳まで仕事をせよといっているが、それができない人間たちがいることを忘れては困る。弱者が威張ることではないが、蔑ろにしてはならないのだ。 ・へ2・・・60歳から65歳まで、結構長く感じたものだ。家庭の事情もある。肩身の狭い思いをして暮らしている人も多いだろう。自己責任もあるが、社会がそれだけ成熟したシステムがあるかでもある。貧乏でも最低限度の文化的生活が、憲法で保障されている。姥捨て山ではならないのだ。政府は、無駄遣いをしてはいないだろうか。
2023.04.30
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同じ太陽なのに、外国で見る太陽は違うように思える。何一つ変わらない営みがされているのに、自分とは違うということを思わずにはいられない。ことばの力はそれだけ大きいのだろう。今朝も、お湯を沸かして、一番に父母の位牌にお茶を上げている。父母が生きている間親孝行だったわけではないし、法事もろくにしていないがあまり罪悪感もない。それでいいと言ってくれていると思うからだろう。 ・儀礼的な最低限度のことはしようと思うが、それ以上する気はない。死んで灰になるのは、怖いとは思わない。誰から言われたのではなく、信仰がどうのでもない。深いか浅いかさえ分からないが、祖母や両親もなにも宗教や死生観を話さなかった。当然のようにふるまいそして何も語らず死んだ。哲学者でもないが、何かを思い続けた人たちでもあったのだろう。それは私がそうだから解る気がする。 ・へ2・・・つまらないことばかりして暮らしているが、いつも父母がそばにいる気がしている。別にお墓参りをしようとしまいとどうでもいいと。自分のことを考えろといつも言っていた。守護霊も糸瓜もない。自分のしたいことをするのが一番だ。二番や三番もあるだけだろう。できるだけ商品価値のないことをしたい。それでブログも続けている。
2023.04.30
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「蒼き狼」は、近代世界の出現を促がした大原動力になったいう論説を読むうち日本人がこれまで抱いたチンギス・ハンやフビライ・ハンやモンゴル帝国のイメージは相当視点が違うようだ。これまで日本人が世界史として理解してきたものは、中国や西欧を通じてのそれでしかない。日本とモンゴルついていえば、最近になって交流が盛んになりつつあるが、そのレベルは中学の日本史に出てくる「元寇」程度の幼稚で、古く遠い歴史でしかない。 鎌倉武士が、闘った相手は「元寇」といっても正規のモンゴル軍ではなかった。モンゴル軍に編入された、高麗兵や中国兵であったということだ。ヨーロッパ人が味わったようなモンゴル軍の強さでも恐怖でもないということだ。東欧が徹底的に蹂躙され、ヨーロッパの最強といわれたチュートン騎士団とハンガリーの騎士軍団をあっさり壊滅させたパワーだったのだ。 現代の日本人はそれこそ本当の戦争の怖さを知らないのではないだろうか。絶望の淵から這い上がったことの経験がない国民ではないか。確かに敗戦を味わったが敵に陵辱され、その奴隷にされ蔑まされて生きねばならない仕打ちを受けた民族であっただろうか。まさにそのことが、いま平和への渇望にゆるい所以ではないだろうか。 モンゴル軍といえども他の軍隊と同じく、あやまりをおかし、運不運に泣かされもする。アイン・ジャールートの戦いはまた、世界制覇を目指すモンゴル軍の一貫した遠征行動の終焉をもたらしたのだ。マムルーク軍は、遂に、クトゥズのモンゴル軍を壊滅させた。
2023.04.29
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モンサンミッシェル。ヴェルナー・シーボルト著「シーボルト、波瀾と生涯」は。遠い親戚で著名なドイツ人の作家が書いている。自然保護のパイオニア的存在と略歴にはある。シーボルト家といってもフィリップ・フランツ・フォン・シーボルトはヴェルツブルク系らしい。 欧州の人に紹介している本で、日本人から見れば、どうも何を目的にしているのかよく判らないところがある。当時の出島から江戸への旅が描かれている。謂わば旅行記のようなものだ。しかも本人ではなく作家が想像しながら書いているのだろう。シーボルトと教養ある日本人たちの間におけるお互いを信頼する雰囲気を描きたかったのだろうか。 シーボルトは、オランダ領インド政庁の商館医なのだ。当時の日本人には日記という概念に対する捉え方が偏っており、現象や思想を整理することが出来ないでいるように思える。シーボルトは、自分の仕事を心得ており、日本人の生活様式を記そうとしたのだろう。これはある意味でスパイである。日本に布教に来た宣教師たちも、謂わば同じ役割を担ってもいただろう。彼らは物見遊山に来たのではない。 どれだけの国力をもつ国家であるかを知ろうとしただろう。どんなシステムで動いているのか知ろうとしたのだ。書かれていることは日本が頑固で頑迷な国であり、且つ底なしの無防備な組織だということだろう。多くの日本人は貧しく、おしなべてみすぼらしいという印象をもったことだろう。それはアジアに対する共通するヨーロッパ人の認識でもあっただろう。 遠来のオランダ人に、参勤交代と同じようなことをさせる幕府も幕府だろうが。それは、まるで動物園だが、オリにはいっていたのはどちらだろうか?5ヶ月間の江戸への江戸参府の旅だった。シーボルトの日本研究は、門人たちや江戸の学者たちの協力で進んだといえる。そして動物標本や民俗学的な収集がされた。そして、有名なシーボルト事件が起きる。
2023.04.29
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ミイラ取りがミイラになる。意志を貫くことは簡単ではない。その志が高いほど障害がある。そうさせまいとするものができる。だからやりたいのでもある。結果でなくそのプロセスが問題だというが、そうだろうか。足りないことを予定してはないか。必死になることは、自分の眼前に死があってこそだ。中々本気になれない。死ぬ気でやらないからだ。 ・口だけ何でも言えるが、やってみると手強いことばかりある。ことを成し遂げることは簡単にはできない。だから価値も生まれる。いつも中途半端である。ゴールは。その場限りでは意味もないのだ。どうしたいのだろうか。それがわからなければ前にも進められない。一枚の写真を思い出して、その写真を見たくなって探したが見つからない。 ・へ2・・・それが見つかるまで探し続けなければならない。人生はそういうものでもある。いつも何かを探している。それがどんなにつまらないものでも。自分の思いがそこにある。何のために自分はいるのだろうか。ふわふわと思い続けている自分がいる。
2023.04.29
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ノイシュヴァンシュタイン城その血の伝説に浸り、ワーグナー音楽のパトロンで、名城造りに没頭し、最期をシュタルンベルク湖で悲劇的な死を遂げたバイエルン王ルートヴィヒ2世(1845~1886)。あのノイシュヴァンシュタイン城は、優美な姿をいまも夢の世界に誘う。他にも、リンダーホーフ城、ヘレンキームゼー城がある。ルートヴィヒは、恵まれた生い立ちの比べて、最期は余りにも切ない。ノイシュヴァンシュタインの城館建造の累積赤字が厖大な額となり、建造中止させられ、精神科医に「精神錯乱」と診断され禁治産者となる。そして謎の溺死を遂げる。 「美と狂気の王 ルートヴィヒ2世」(マルタ・シャート著、西川賢一訳)。ルートヴィヒ2世の生涯。母マリーの18歳でバイエルン王家に嫁いだ頃の肖像(ヨーゼフ・シュティーラー画、1843年)を見ると、プロイセン公女マリーの美しさに誰しも魅かれるだろう。彼は2人の乳母に育てられる。最初の乳母が8ヶ月過ぎた頃脳膜炎にかかったらしく高熱を発して死んでいる。 1841年皇太子マクシミリアン(30歳)は、16歳になったばかりの公女マリーにプロポーズした。ベルリンで婚約披露の前に彼女は<はしか>にかかって延期されている。皇太子妃マリーはベルリンからミュンヘンへ向かう道すがら、歓呼の声に迎えられた。ミュンヘン王宮に着いた時、それは感動的だった。花嫁は馬車からとびおりると花婿にかけより、宮廷儀式もなんのその、しっかと抱きついた。彼女の肖像画から浮かぶイメージからもその初々しさが想像されるだろう。父の跡を継いで皇太子ルートヴィヒは、1864年に即位した。18歳でいきなり内政・外交上の難題に取組まなければならなかった。王権神授説の時代で、歴代のバイエルン国王として、ルートヴィヒ2世は国の政策全体を決定した。最終裁判権、軍の統帥権、大臣の任免権をもっていた。君主のところへ直接出入りできるのは宮廷官房長だけだ。 ルートヴィヒ2世は最晩年までの在位22年間で王のサインがある書類は、10万通にのぼる。当時プロイセンでは、1862年から1890年までオット・フォン・ビスマルクが権力を掌握していた。彼らの眼には、ルートヴィヒ2世は「臆病で本心のさだまらぬ<道化役>」と見なされた。にも拘らず、あくまでも政治の表舞台での話で、裏の姿はマイペースだったようだ。挙句は、同性愛の愛人と伝説めいたスイス旅行までしている。 ルートヴィヒ2世は、「すいぶんと気紛れ」で、自分の従僕たちに、「びんた」などを止めなかったという。ルートヴィヒ二世は、始終歯痛に悩まされた。でも虫歯を抜いて入れ歯にするなど、断じて厭だったため、つね日ごろ強い鎮痛剤を使用した。そのほか睡眠障害にも悩まされており、睡眠薬を飲んでいたが、阿片もあえて辞さなかった。そのため晩年は薬物依存症、アルコール依存症となっていたといわれる。 ルートヴィヒ二世の現実離れした言動や、多額の借金など、国王への非難が高まった。そのうえ弟のオットーが精神病であること、精神錯乱を理由付けるものになったようだ。科学的な診断がされた訳ではない。 処で、リンダーホーフ城でのルートヴィヒの日常は、夜と昼が逆転した生活だった。起きるのがたいがい夕方5時ごろ、世間の夕食が彼の朝食だ。あとぶらりと庭園の噴水をながめ、テラスを歩きマリー・アントワネットの胸像があるところまで行き、さらにヴィーナス像のある円堂を訪れる。宮廷官房長の上奏を受けつけるのは、午後8時から10時までと限られていた。それから深夜のディナーである。寝るのは午前5時か6時だった。 富の象徴であるバイエルンのルートヴィヒ二世は、自然を愛し、音楽を賛美して、優美な城を残したが、豊かな人生だっただろうか。国家が戦争の最中でも山の中に逃げて静かな時間を一人で過ごしていたという。国民から非難されながらも彼は、その為に追放されたのではない。弟のオットーは戦場で病んだかは判らないが、精神病者になっている。彼は自ら戦場に立つことはなかったのだ。ルートヴィヒ二世は、ワーグナーを支え、あの夢のようなノイシュヴァンシュタイン城だけが残った。 東京デイズニーランドのシンデレラのお城のモデルでもあるという。おとぎ話のような王子さまとは余りにも違う。
2023.04.29
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立山・黒部アルペンルート。広い識見と,深い洞察力をもって社会正義に燃えた理想的な政治家が、首相ではなく大統領になったらどんな政治をするだろうか,と考えてみたが、それは夢想でしかないと思えてきて、眠れないので起きてきた。議院内閣制であり、大統領制ではない。まず憲法改正しなければならない。国民の支持を得られるには何十年かかるだろうか。 ・国民大衆のために政治をするような政治家がいないのに、民主的な社会になりようがあるまい。欧米やアメリカで勉強してきた人が、エリートだといわれている。白人社会を肯定する教育を受けてきた人たちが、反対勢力のイデオロギーを持つはずはない。資本主義社会の教育を受けたのだから当然といえば当然だろう。 ・へ2・・・理想と現実は違うという。首相もそうして安定多数の自民党から選出された総理大臣でもある。なんと総理大臣なのだ。その人がどんな政治をするだろうか。個人だけの資質だけの問題ではない。この巷の長い政治家としての経歴から選ばれた人でもある。恐らく政治の泥沼を潜ってきたのだろう。財界と政治家の癒着だの言っても始まらないのだろう。社会的ステータスが,その人の意識を決定するといわれるまさに、そのままでしかないのだろう。それでも日々は屈辱のシャワーを浴びて生きていかねばならないのだ。
2023.04.29
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屋久島。ほんの切り取った部分に過ぎないものを、それに広がりを見せるのは作家の腕だろう。それには多く比喩が使われている。芥川の作品はその手法が多い。神社で幼い子が鳩と戯れていたといえば、日本人にはそのひとなりのイメージが湧くだろう。必ずしも作家のそれと同じではない。だが共通モノがあるのはそれは、神社・幼子・鳩のイメージの心象風景がある。私などは、晴れた空と、よちよち歩きの子と、広場と、クックッと鳴く鳩の声と、それを笑顔で眺めている周りの眼がある。すぐ初めて歩いた我が子を連想してしまう。 中世のキリスト教の宗教画も型に嵌ったシンボルが描かれている。それを見えるだけで聖書のことばが浮かんでくるのだろう。描かれているものを真実と思ってもいただろう。東方には、人肉をたべるモンゴル人が描かれた。欧州人も自分たちの民族が一番偉いのだとどこの国でも信じていたのだ。 どれだけ、それが全体の一部で、すべてではないと分かっていても、目の前のことしか信じようとしないのだろう。それは視覚を中心にした脳のシステムが出来上がって進化して来たことでもあるだろう。所謂、幼い頃からの刷り込みがされてもいる。 だからどんなに高度の知識を得たとしても正しい所業をするとは限らない。寧ろ読み書きも出来ない人間が、まともな人生を暮らしているひとはどれだけでもいる。周囲から疎まれもせず善良な人間として尊敬されてもいるだろう。それは幼い頃から宗教という道徳を叩き込まれるからでもあろうか。 私たちは、日本人はどうの、というが、それは概念化したものでしかない、一部のことでしかない場合が多いだろう。シーボルトがみた日本人も全体の中のほんの一部でしかない。併し、嘘ともいえない。彼は併し、風景ではないにしても日本人たちを、自分たちと同じ人類と遇しようと努力したとしても、ヨーロッパ人の眼を捨てている訳ではない。蘭学を目指した日本人も彼から学んだの医学だろう。 ドイツ医学を日本人が学ぼうとしたのは歴史的事実だが、いまやUSから多くを学んでいる。してみると、その時の世界の一流から学ぼうとする学徒の習性でもあるだろう。併し、それは一部であって全体ではない。常に流動する現実を見損じては真実を見誤ることにもなる。 何故なら、かって日本では優秀な人材が多く集ったのは軍人にだった。戦後は官僚であり、銀行だった。今は何だろうか。多分それは、新しい創造的な日本人だろうか。
2023.04.29
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自然主義に近かずいている。比喩の文学というのは、意外と外国でも多いのですね。翻訳作家のエッセイを読んでいると、その苦労話が書いてあります。 ・伯母さん→ 男色家。フランス人は顔を剃らないので、ひげがある。 ・牡牛→ 巡査 ・娘→ 酒瓶 ・31の服装をしている→ 正装 そこの国の風習や習俗にどっぷり浸からないとわからないものも多い。当然それこそ幼児体験がなければわからないことばや比喩があるとすれば、本当のネイチャーではない。そういう意味では、日本人も、日本人でしかわからないところがあるに違いない。それを捨てたがるというのは勘違いも甚だしいだろう。 犬猫を可愛がるのはヨーロッパ人だけではない。日本人も犬猫を可愛がるひとも多いだろう。それと天気を気にするのは、まあ太古からつづいている遺伝子の所為だろうか。 漱石を読んでいて、これが本当に明治元年の一年前に生まれた人かと驚く。明治の底力というか、それこそごろごろいたような人ではないだろうが、爪の垢を煎じて飲みたい。
2023.04.29
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<作品>「夢十夜」、「文鳥」・11回目の講座。・鈴木三重吉「鳥」「文鳥」の抜粋のリーフレット。・明治39、40,41年メモ。Dream に構想メモ。・手拭いが、蛇になる。「第4夜」。・「漱石先生の暗示」タイトルの本が出版された。・「永日小品」と「夢十夜」、「夢十夜」が理解できないと「永日小品」は分からない。・蛇は、「こころ」のこと。泥棒三態。「こころ」に繋がっている。「カネとこころ」の関係。・猜疑心の強い男。・・・「こころ」の先生。・漱石は、マルクスを知っていた。「労働価値」の考え方が違う。・カネで平等にはならないと漱石は考える。肉体労働と精神労働を色分けしている。・漱石には差別観がある。 「文鳥」・鈴木三重吉・・・「鳥」「文鳥」を読んでいる。漱石の教え子。・この作品は、女の話。・「昔し美しい女を知っていた」。・・・「文鳥」のこと。・文鳥の死と女の死、が重なっている。・明治41.6.2 「日根野れん」が死んでいる。漱石は同居(同棲ではない)したことがある。・お茶の水高女出身。漱石の好きだった女性だという説がある。・文鳥・・・「れん」のこと。面影がある・・・「永日小品」「こころ」「草枕」・女とのエピソードを文中にいつまでも引っ張っている。・「永日小品」「こころ」にもつながっている。・「文鳥」の死。・・・女の死を予感させる。 青梅や 空しき籠に 雨の糸・6月20日のこと。・「道草」 お縫・・・日根野れん、のこと。漱石の想い女性か?・結婚して不幸になっていく女。 ・自分の世界と文鳥の世界の間にある障子のような存在。障子で隔てられている。仕切りがあることを襖・障子という表現でしている。・漱石の作品は、大胆に踏み込んで読まないと分からない。・「文鳥」はある女のことを描いた作品といえる。 「夢十夜」・1夜.2夜,3夜,4夜,5夜・10夜,9夜,8夜,7夜,6夜・2分割して、話が対になって描かれている。・5-6、7-4、8-3、9-2、 10-1 が「遊び」の要素がある。・漱石流のジョーク。・「1夜」疑うから・・・百合が出てきた。 欺かれたから。・百年待てなかった男。疑ったから夢はかなえられない。・星が霊、百合が肉。・「1夜」「10夜」セックス・ドリーム。漱石にも関心があった。夢である必要がある。・違う世界にする必要があった。・「10夜」豚になめられる男。・「9夜」「2夜」・・・対になっている。・お百度・・・裏切られて夫に対する恨みを晴らすためにお百度を踏んでいるという解釈もできる。他力本願。・自分ではどうにもならない。・「3夜」の内の鏡と「8夜」外の鏡。の世界。対になっている。・鏡の中の動くものは卑しい。・水鏡。自分の心を見ようとしない。・金魚売の存在。・「7夜」「4夜」海と川の対。・似たような話を「対」にしている。・「5夜」・シ・ラー「人質」 「走れメロス」・あまのじゃく・男が疑う。・「3夜」「文弥殺し」・ハーン「日本海に沿って」・7月下旬~怪談の季節。・「永日小品」・人間にはどうすることもできないこと。
2023.04.29
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もっと近道を歩こうとして、よけいなこともしてしまう。好きだったことも嫌いにしてしまう。昨夜、テレビで見た目の綺麗さだけのために整形している若い女を、寄ってたかってさらし者にしていたが、まともに説得できないコメンテーターたちの愚かさが可笑しかった。議論の余地がないものを相手にするからでしかない。視聴者は何か得られるものがあっただろうか。くだらないことが話題される。 ・大事な時間が失われてしまう。そんな空白の時間が続いている。誰が悪いのだろうか。みんながそれを望んでいようといまいと、それがリアルの世界でもある。美しさがすべてだというが、本当だろうか。それは仮想ではないのか。愚かな少女さえ説得できない。それが正しいと思う人たちが、社会を掻き乱しもする。自衛隊を防衛軍にしたところで国は守れない。 ・へ2・・・戦争に勝っても負けても国は亡ぶだろう。人が死んでしまうからだ。そんな国家は国家ではない。死ななかったからよかったのでもない。喪われた時間は帰らないのだ。他人を殺せば自分も死ぬ。生きる資格がない。それさえわからない愚かな人間がいる。
2023.04.29
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敬虔なクリスチャンで神を畏れないものはいない。併し、「あなたは他人を蔑んでいるでしょう」といわれて、正直に誰も「ハイ、そうです」とはいわない。神だけが知っている自分の卑しい感情があるのは否定できないのではないか。許されるものと、そうでない蔑みがある。それは社会規範が決める。それは道徳や宗教の問題ではない。権利という観念を肯定するなら、権利に対する社会的制約を認めなければならない。 どうしようもない差別意識などない。それは他人の所為にしたがるが、自分のもつ観念でしかない。キリスト教の世界観では、ひとがこの世界の中心にいて、動物はひとを支えているものでしかない。日本人はすこし違うかも知れない。だが、どちらが動物を大事に扱っているだろうか。共に生きている生物をどう考えるかよりもどう扱っているか接しているかでもある。 本当のことをいえば、まだ人間の世界は野獣の世界でしかないだろう。自己愛に捉われているのは、決して理性的な動物ではないことの証明でもある。残酷なことをするのはいつも恵まれている人たちであり、蔑みを受けている人たちではない。美しい顔をしたひとが、こころもそうだとは限らない。そんなことは厭というほど見てきた誰でも知っているが、やはりシンメトリーに偏るのは、それがそう刷り込まれてもいるからだろう。 ひとが皆同じ顔をしていたらどうなるだろうか。同じ考えをもっていたらどうか。人類は、種としてのヒトである。地球に棲んでいる生物数千万種の一種に過ぎない。宇宙から見れば取るに足りないもので、いずれ絶滅してしまうだろう。私たちは胡桃の中の住人でしかない。 謂わば、それこそ、ヒトとはそんな蔑みの中で一生を終わるものなのかも知れない。
2023.04.28
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バランスのとれた知性が、健全な判断力を持つことになり、それが本当の教養人なのでしょう。そういう人が次の社会の担い手になって貰うためにはそれだけの装置を準備しなければならない。それは多分「教育」でしょう。おとなたちは、いま自信を失くしてしまっている。自分のことで精一杯だと思っている。時代の進化に、自分が付いていけないのではないか。と困惑している。それは或る意味で事実でしょう。自分たちが学んで来たものが役に立たない状況がある。これまでの私たちの生きてきた環境には偏りがあり、健全な判断ができなくなっている。バランスが欠けてしまった人間には、余程のことがないともとに戻ることができない。どうしたら、それを修正することができるだろうか。わからない。アンバランスな社会は、様々の問題を抱えており、何が真実かが見えにくくなっている。こどもを道連れにする母親が、まだいるのは哀しい現実でしょう。本末転倒した政治家や、トップがまだ現実に仕事をしています。 そろそろ外出の準備をしなければならない。段々と出不精になっているようだ。できれば診察の後に花見でもしてきたいところですが。
2023.04.28
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カワセミ。・人間はどこからきて、どこにいこうとしているのか。・マクロに見た人類史の総括。・自然の中の人間の位置づけ。・エコロジーとエコノミー。・ポリス的動物としての人間の歴史。・人類社会の破綻要因の諸相。・終末論の可能性とブレークスルーの可能性。・テクノロジーの限界。・現代知識社会の変貌と危機。・パラダイムの転換。(規範)・自然はどこまで経営可能か。・生き方の問題。・倫理学の再構築。・大学は何を学ぶべきか。これだけではないが、これでもかなりのボリュームだ。問題の所在を見つけて、自分なりに取り組む必要がある。他人に訊こうとせず、自分の頭で考えることだろう。それもこれは、正しい提案かどうかもわからないのだ。土台これくらいで驚いていてはいけない。威しに屈するようでは、先に進めない。他人の出した課題には、応えることはできるはずだ。権威は、脅しである。威しに立ち向うことから学問は始まるのだ。難しければ難しいほど、長く生きる意味も出てくると思えばいい。
2023.04.28
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プラハ。日ごろ不信心だから感謝するなどという心がなくて生きているが、考えてみると自分は勝手に生きている訳ではない。多くは他人の力で生きているようなもので自分でできるものは殆どなくて、食べさせて貰っているし、生活させて貰っていると言ってよく、そういう意味では生かされているし、感謝すべきなのだろう。広辞苑で「生く」は、(生物が)生命を保つ。生存する。生計をたてる。生活をいとなむ。よみがえる。そのものの存在が活用される。価値が出る。生気があふれる。生きようとする。という意味。宗教を信じるひとたちは、自分たちが神に生かされているという。神の力で人間は生きているというのだ。非科学的だが、それの思想で平穏に生きていき他人を害さなければそれはそれで宗教の意義があるだろう。だが、反面他の宗派を排除する考えは棄てられないでいる。そして、或る意味のカースト制を棄てられないでいる。日本に来た宣教師も自分たちの信じる布教のために生命を賭している。誰かに支えられているのは確かだが、それが誰かとなると難しい。それが、天皇制だったり、神だったりする。それが国家だとしても、これまで政府は、それだけの権威をもってはいない。であれば、世界だし、人類全体であろうか。個人主義は、神という存在があるから普遍性をもてるが、そうでなければ糸の切れた凧のようかも知れない。誰に感謝していいか判らないが、ひとりで生きているのではないのは確かだろう。
2023.04.28
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加齢とともにリスクも高まるのであり、いつも何があるかわからないと思いながら、定期検診を受けているが、専門医も自分の領域でしか責任の範囲ではないと思っているのかもしれない。指摘はあるが、何を優先すべきかは自分で決めるしかないのだろう。少し気心が分かりコミュニケーションが取れるようになると担当医が変わるのがある。 ・国立病院であり、数年ごとに異動があるのが普通なので、メデイカルステージを、たった10分余りで質問できる筈もない。半分あきらめているが、定期検診しているが肝心のところは悪くなってしまうのだろう。それこそ、手術で成功して患者は死んだというのが頭にある。 ・へ2・・・お変わりはありませんか、それを的確に言える人はあまりいないだろう。別に隠しているわけではないが、問題の所在が分からなければ意味がないことでもある。だからこそ、同じ病院に通っているつもりだが、担当医が、たびたび交代するのではあまり意味がないようだ。どうも悩ましい。
2023.04.28
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「逢うは別離の初めとか・・・」。4月から、それぞれはスタートを切る人たちがいる。と思えば、近所のひとは単身赴任をしていたが、やっと数年ぶりに帰って来られたようだ。夜明々と室内に電灯がついていたと、外に出た妻がいっていた。大学を卒業したばかりの娘さんが一人でいたので、心配していた。夜も遅くなることが多くて、いつも電灯が消えていたこともある。私は未だ顔をあわせてはいないが、荷物が届いたらしく、挨拶もされたらしい。 ・家族が離れ離れで暮らすのはいいことではない。転勤を拒否すればくびがとぶというのも現実のことであろう。それほど厳しい現実がある。表向きは体裁のいい処理をされるから、世間には中々わからないのだ。定年退職も依願退職を書かされている。会社の都合でどうにでもなる。それに逆らえない現実を無視するわけにはいかないだろう。景気がいいと言いながら、ついに、まともなベースアップがないまま、また不況になりそうな雲行きである。国際競争力をつけるからと、また労働者は騙されたのだろうか。労働組合長が、辞めたら、横滑りで管理職になるところはどこにでもあるのだろう。 ・へ2・・・白けた空気が漂い、もはや労働組合ではない。中国も変わった。形振り構わない経済成長を目指している。イデオロギーさえ変質してしまうようになっている。時とともに変わっていくのだろうが、それが必ずしも好い方向に行っているとは限らないだろう。若者たちが現実から逃げようとはしていないだろうか。この緊張のない雰囲気をつくったのはおとなたちに責任があるだろう。子供は親の背中をみている。
2023.04.28
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中欧ヨーロッパ。冬は青空になることは少ないということだった。厚い雲がかかっていた。コロナによるパンデミックが始まる前である。強権国家が、周辺諸国に進攻しようとしているが、それは表面化するかしないかでしかない。帝国主義も同じ事だ。絶対者を信じているからだ。少数のテロリストたちに動揺する暇はない。もっと先に難敵がいるし巨悪もいる。歴史を学ばないものにコンパスはない。今日的状況は、中東の産油国、シンガポール、そして中国のSWFの勢力拡大がなにをもたらすかであろう。ここ数十年間のドル一極体制が揺らいでいる。強いドルのイメージは色褪せ続けてサブプライムローンがアメリカの衰退にとどめをさすだろうか。しかし、多くの課題を抱え過ぎている中国がこのままニッチを得るだろうか。それにも疑問がある。またもや世界は国連を破滅させていく道を選ぶのだろうか? ・日本国民はアメリカへの追随だけでは生き残れない時代であることにいつ覚醒するだろうか。政府の蒙昧に導かれるようにして奈落の底に足を踏み外そうとしてはいないか。そして「高齢化」の問題がある。日本は、すでに1990年以降「人口配分」ではなくなっている。老人たちを切り捨てようとする政策にエンジンがかかり唸りを上げ始めている。その音が聞こえないほどに国民は、神経を麻痺されているのだろうか。やがて自分たちがその捨てられる立場になるというのに・・・。その企みに加担した連中がテレビで大きな顔をしている。 ・へ2・・・私たちはこれから淘汰の修羅場に立ち会うことになるだろうか。ただ束の間の陽だまりであったのだろうか。次々に企業戦士たちが病に倒れ、身を焦がしながら散っていき、私たちは生き残ってきたが、何ができて、何ができなかったのか、その収支決算をみないままである。それを翻訳できるだけの力がない。それは、内向きでしかなかったことの証拠でもあるだろう。やがて、3年後には九州新幹線が博多から鹿児島までつながるが、長崎や他県のアクセスが終わったわけではなく、さらに九州も狭くなるだろう。しかし、ひとそのものが変わるわけではない。そこに住む人の意識が変わらなければ、人として成熟などしないのだ。
2023.04.28
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志賀島周辺。標記のフレーズは、ある人の言葉であるが、中学の時からいつも考えていた。自己否定は簡単ではない。自分が正しいと思いたいからだ。普遍的妥当性があるか、常に考えてもらいたい政治家たちが多い。自分がとても悧巧とは思えないが、人の真意を汲み取れない人間もいる。皮相的なことをいつも拘り続けている。それは人の人格形成の中で、あるプロセスの中でもあるからだろう。一々取り合ってはおれない。そんな時間はない。自分では、何かをしているつもりでも、それは自分の思考の準拠枠のエリアでしかないのだろう。昨日は朔日ということもあって、今年8回目の宗像神社にお参りしたら、錦の御旗があったので写真を撮った。昨日ブログで載せた。 ・ことばが足りなければ誤解もされる。そう思われても仕方がないのだろう。ことばは誤解を招き易い。解釈は、その人の見識でもある。鳥渡何かをすれば、それに執着しているようにも思われるのだろう。実はそうではない。悧巧そうに見えるものがそうではないことはいくらもある。いつも遣りながらその反対のことを考えている。 ・へ2・・・自分の世界は、他人には理解できない。人格完成も目の前にあるのではない。人は生きている間はプロセスの中だ。 どこにいても、なにをしても、それは、結果的に見れば、ほとんどの場合愚かでしかない。
2023.04.28
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娘が、私の愛用のコーヒーカップを落とし割れてしまった。スターバーのマグカップでそう簡単に割れるものではないが、落ちた場所が悪かったようだ。もう10年近く使っていて薄汚れてきていたが、磨くと綺麗になったものだ。思い出があって、単身赴任から福岡へ帰ってきたとき、娘から誘われて博多駅前のスタバに立ち寄ったが、何かの抽選の懸賞品であった。 ・横浜で4年くらい過ごしたが、スタバのはしごをして楽しんでもいた。みなとみらいにあるスタバを一めぐりするのが、休日の習慣になっていた。スタバの白色の陶器にマークの入った定番のカップだった。紙コップの時もあったが、これが一番好きだった。それを博多に帰って手に入れることができたので愛用していた。勿論市販もしているものだ。 ・へ2・・・毎日、ドリップコーヒーで飲んでいるが、少し薄いが、たっぷり湯を注いでカップ一杯の量にして、口をつけた時鼻の中にどっとはいってきて、なんともいえない香りがして、口の中が熱いコーピーでみたされていくと、至福の時間がやってくる感じがする。コーヒーカップの手頃な重さとかサイズとか、今喪って分かるものがある。流石にプロの作品なのだろう。
2023.04.28
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バイブリー。ツアーで思うことはどこにもおいしいものがあり、美しい風景があるということ。そこに住んでみたくなるところはたくさんある。でもことばとか風俗習慣とか、簡単にはいかない。適応するということの難しさは時間をかけなければできないだろう。成人して外国に住まなければならない人たちの苦労は並大抵ではない。生まれた時にはあった神経ネットワークである脳細胞はないからだ。ことばを知らなければ生きてはいけないのが人間社会でもある。 ・住み慣れた社会環境に住んでいるから、なに不自由なく暮らして居れる。他国ではそうはいかない。どんなに好きでも暮らしていけない。一日2万歩をウオーキングしているが、いつまで続けられるだろうか。余り自信はない。やれるまでやるつもりだけだ。あと14日で、まる4年間になる。毎日歩数をPC管理している。食品管理票も入力していた。毎日三食何を食べたか?これをやって初めて10kgの減量もできたし、HbA1c 6%~6.5% キープしている。人はやる気だ。
2023.04.27
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ストラットフォード・アポン・エイボン。”As you like it"より。よく色々批判をするが、作家の優れた文章の美しさに感嘆していない訳ではない。洗練されたことばや文章には、感動もする。そして、それが過ぎるといやになったりもする。美しいだけのフレーズでは、さほど長続きがしないのは、恋愛と同じだろうか。何時も「好き」だと言われ続けて嬉しい訳はない。ひとには喜怒哀楽があり、怒りや、悲しみや、苦しい時もあるからだ。愛情を懸けても応えてくれないものもある。だから無償の愛もある。「アガぺ」もそうだ。 ・堀辰雄の「風景」「ルウベンスの偽画」美しい文章で惹き込まれるものがある。堀辰雄の業績をサイトでみていて、またかと。勿論全く知らない作家ではないから、知っていたが、UTの出身である。繊細であることが才能なのだろうか。確かに頭は好いのだろうが、大地に根付いて野草のような強かな強さを感じない。漱石でさえ、どうして稲からコメが出来たのか想像できないと云ったそうだ。文章でしか描けなかった自由で満足しなければならなかった時代の話だろうか。 ・へ2・・・文法がどうあろうと、美文でなかろうと、何度も同じことを繰り返し使う拙劣なものであろうと、自分勝手でよいと思う。美しいだけではないのが、現実の社会であり、スマートだけでは務まらないのだ。軽薄なものに憧れて焦がれ死んでいった若ものたちを嗤うことはしないが、哀れでならない。「ヘイフリックの限界」から逃走しようとしても出来はしないのだ。
2023.04.27
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シェイクスピアの遺言。ジェイムズC・デイヴィス著「人間ものがたり」(布施由紀子訳)。少し分厚いが、「人類の誕生」というタイトルをこれまで何度目にしたことだろうか。それでもやはり魅かれてしまう。さまざまな進化を遂げたが、アフリカに住むものが、背が高く痩せているのは体表面が広いのが熱を溜めずに冷すことができるからで、黒い肌は熱帯の太陽の紫外線を防ぎ、縮れた髪は高温から頭を守る役目を果たしたとか。ヨーロッパやアジアに住んだ人びとは、長く暗い冬を乗り切る為に太陽の光を浴びてビタミンDの産出のためで、黒い肌では日光を遮断しすぎるので、彼らの肌は色素の少ない薄いピンクか黄色になったというのは、結果から見た、こじ付けのような気もしないではない。どうもそういう説明をしたがるのだろう。 ・「人間のものがたり」、それは、宗教を持たないものの宿命であろうか。ある部分は信じられるが、必ずしも全部が信じられものはない。なるほどとは思うけれど、違う見方もあるかもしれないと思う。日本人の歴史と、中国人の歴史では、見方は相当違っている。まして西欧と東洋とではまた大いに違う。まだ数百年間の交流でしかないからだろう。 ・へ2・・・世界はひとつは、実現できるのだろうか。それは過大な希望でしかないだろうか。世界史から見れば、余りにも悲惨過ぎる過去の歴史がある。人間たちはお互いを誤解したまま生きねばならない運命で終わるだろうか。このままでは人間は、噛み合わないまましんでいくようにおもえてならない。
2023.04.27
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1871年11月横浜港を出帆したアメリカ号には5人の女子留学生が乗っていた。梅子9歳。繁子10歳。捨松11歳。悌子・亮子16歳。「捨松」は、娘を捨てたつもりで帰りを待つという意味をこめて親族がつけた新しい名である。外国人と結婚しないこと。キリスト教への入信を禁じている。だが、津田梅子は、渡米中にクリスチャンになっている。アメリカで少女たちの後見人を務めた教育家ノースロップは、少女たちのホームステイ先の家庭を慎重に選んだり、進学コースを考えたこと、また夏休みごとに自ら少女たちを連れてアメリカ国内やカナダのモントリオール、ケベックまで旅行して見聞をひろめさせている。彼女たちのその後の活躍は、留学の効果を如実に示している。如何に、国内で俊英を束にしてもこれだけの活躍はできはしない。見聞をひろめることは、殊に若者には必要なことであろう。梅子は書いている「わたしがアメリカへ来たのは2年前でした。わたしは去年火事になったアメリカ号に乗って、太平洋を横断しました。そのころは、英語は一言もしゃべれませんでした。」70日の船旅で、梅子は、7日7晩船酔いに苦しんだという。多くの人は、そういう機会にめぐり合うこともなく一生を終わるだろう。併し、そういうチャンスが来ないとも限らないのだ。その時どれだけの力が出せるかでその人間の価値が問われるだろう。山川捨松は、病気のために1年未満で帰国した悌子と亮子に代わってまとめ役をした。三人結束を守りよくそのミッションを遣り終えて帰国し、帰国後も大きな働きをしたことは、誰でも知っていることである。ひとが見聞を広めることの大切さが、少女たちの幼い決意と太平洋への旅立ちの中にある気がしてならない。
2023.04.27
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何かを遣ろうとすれば、何かが犠牲になる。そうしたくなくてもそうなる時はある。同時進行を自分で納得できるように遣るのも容易なことではない。自分は能力が無いと落ち込むこともある。妥協し、忍耐もする。挫折は付き纏う人生の勲章のようなものだ。多くの挫折を知り成長しなければならない。それを怠れば、その報いを何処かで受けるだろう。順調に思える時ほど油断も多いのだ。心と体のバランスもどだい上手く行くはずがないのかもしれない。 ・この時代の変化にも簡単には付いていけないものを感じる。自分の卑近な現実の暮らしをとっても、10年前とでは全く違う活き方をしているし、社会環境もがらりと変化した。今の自分も、恐らく10年前の自分ではない。意識も変わっている。社会的ステータスが変われば意識も変わる。まさか3.11東日本大震災が、あると誰が予想しただろうか。然し起きたし、震災前と震災後では劇的な社会現象が変化している。 ・へ2・・・愈々悪化していく暮らしがあるのだろう。3万人近い人たちが巨大津波に呑みこまれた。40万人近い人たちが、家や職場を流され壊滅的な被害を受けた。ゼロからではなく、これから1万人以上といわれる遺体の収容から始めなければならない。それは個人では到底できない。自衛隊や米軍や他国の協力を得ながら進めていかなければならない。主義主張のことなど行ってはおれない状況でもある。原発も早く目途を立てなければならないが、政府の対応は遅い。こんな時に限って、・・・。
2023.04.27
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奥入瀬渓谷。「利己的な遺伝子」のド―キンスの本を読んでいると、如何に偏見との闘いがあるかを想起させる。一緒に読みはじめたブラックモア「ミーム・マシーンとしての私」の序文にも彼が長い文章を書いているが、自分の措かれた謝意的環境をよく観察している事が解かる。ダーウイン以前と以後があることが解かる。3.11の東日本大震災も、或る意味で転換点だろう。 ・何度痛い目に遭っても解らない人間もいる。死んでも判らないのかもしれないが、油断すると自分もそうなる。他人の偏見は解かっても自分のこととなると見逃がし易い。ミームという言葉に出会ってから、相当立つが、それでもまだあまり知られていないようだ。進化論も、世界の常識になっているとは限らないだろう。宗教の勢いは止みそうにない。科学が通用しない世界もある。 ・へ2・・・東日本大震災で日本の科学者の低レベルを知った気がした。なるほど、社会が凋落して来たのは経済ばかりではない。偉大な科学者も生まれそうにはない。雄大な大地があり、人間も大きく育つのだろう。環境がなければその可能性もない。偏見のある社会では、公正な社会になることはできないのだろう。絶望してはいないが、まだ先は長い。忍耐を続けなければならないのだろう。
2023.04.27
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ヨーハン・P・へーベルが、素晴らしい物語を紹介している。「スウェーデンのファルンに住む婚約中の男女。男の方は結婚式の当日の朝早くもう一度ちょっとと言って炭鉱に入って行ったまま、帰って来ない。花嫁は待つ、50年間待つ。「その間に、ポルトガルのリスボンの町は全壊し、七年戦争は終結し、・・・ポーランドが分割され、・・・アメリカが独立し、ナポレオンがプロイセンを征服し・・・イギリスがコペンハーゲンを砲撃し、農民は種を蒔き、刈り取っていた・・・」とへーベルは続ける。こんな出来事が起こっている間、花嫁は待った。そしてついに、50年後に炭鉱が陥没した跡にできたヴィトゥリオール池で花婿の遺体が見つかる。奇跡的に腐敗しないままで。この話を素晴らしいと思うか思わないか、それはその人次第でもある。永遠の愛もそうした人の想いの深さでもあるのだろう。人は幻想を描いているのかもしれないが、自分のしたいことをすれば、その人の人生になるに違いない。
2023.04.27
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まあ、世の中は想定外のことがよく起きるから、何でもありでもある。どんな会社も潰れるときは潰れる、破綻する会社も一見、突然来るように見えるが予兆がないわけでもない。私も、金融機関で不動産融資から不良債権の回収までやったから、破産の放漫経営もよく見てきた。浮き沈みも知っているが、長期計画のできないところは、短命である。見通しが甘いからでもある。やれやれドンドンが怪しい。ホリエモンもそうではなかったか、何が世界一だろうか。あとで茶番と判ったのではない。初めからわかっていたことだ。テレビでCMを派手にしていた会社が世間を騙していたことはこれまでもいくつもあったではないか。つまり、短編は誰にでも書けるが、長編は難しいということだろう。ぼろが出易いからだろうか。そういえば日本の文学も長編といえるもので、世界レベルは少ないのではないだろうか。それだけ、集中力が続かないのだろう。このメンテにしても銀行の夜間金庫ではないが「受付」だけでもできないのだろうか。手立てはあるのではないだろうか、と思う。朝タイプもいるのだから・・・。
2023.04.27
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ヒヨドリ。多くの日本人は他人や社会から何らかの援助や保障を当てにするあまり、自助努力をを軽視していると思われている。謂わば「ぬるま湯」に浸ることで現実を直視する力を失っていると言われる。いまや「個人の時代」を選択したのだから、すべての人に求められているのは、「セルフヘルプ」(自助)である。この基準こそ、「自ら助けるものを助けるという精神」でもある。 ・この西欧型の精神なしには国際競争に勝ち抜くことはできず、豊かな人生を築くことはできないのだ。このことは、何を意味するかといえば、日本人は日本語よりも英語を学ばねばならなくなるということだ。真水に慣れた日本人が、海水でも生きてゆく知恵を学ばねばならない。それこそ、日本沈没だろう。私たちは、生存をかけてこの選択を選ぼうとしている。或いは、選んでしまって後戻りはできないのかも知れない。 ・へ2・・・そのキーワードは、「セルフヘルプ」だろう。個人が自由奔放に生きることを意味しない。強いものが常に勝ち、弱いものは切り捨てられる過酷な世界であることを知らねばならない。
2023.04.26
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太宰の「グッド・バイ」は、未完である。太宰も未完のまま自殺した。何とも妙はストーリーである。唐詩選「人生足別離」(「サヨナラ」だけが人生だ)を<作者の言葉>として冒頭に載せている。世の中に好そうもない男が出てくるが、あれは太宰の投影だろうか。なで斬りにされたような太宰がいる、と思う。 ・誰に「さよなら」するかだろう。作品の中に美容師の女性が出てきたが、一緒に心中した山崎富栄ではないかと、どきりとした。戦争未亡人というところといい、太宰の神経は、複雑で病的なのではないだろうか。人間は、最期の「グッバイ」は、自分にするのではないだろうか。永年、使い古した自分の肉体と自意識の主体たる脳細胞のとの永遠の別離ではないだろうか。他人とも別離は、それは形式的なものでしかないのではないだろうか。係わりがあったとしても、物理的なものが殆んどではないだろうか。 ・へ2・・・最期の別離のために小さな別離を繰り返してもいる。それこそ、小さな別離も本気で別離をしないものは、最後の「グッバイ」も、太宰の未完「グッド・バイ」になるだろう。
2023.04.26
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レモンとスズメ。尋常ではいられなかった、と太宰や芥川は言えるだろうか。また見直したら違うのだろうか。二人の遺書を読んでいるのだろうか。芥川の全作品と太宰の全作品を文学部教授の公開講座で読んできた。太宰は最後の「人間失格」と数作品を残してあと1回講座が残っている。ざっと読んできただけだし、小説もそれ程、理解できているとも思ってはいないが、あんまりであり、酷過ぎるのではないだろうか。彼らは読者を救っただろうか?生きる上で何かの示唆になりえただろうか? ・彼らの時代が、特別厳しい社会であっただろうか。彼らは誰と闘ったか。読みもしないで言うことはできないし、偏頗な理解でも彼らの意図を解することはできない。そして、一つの作品で表象されるものだけでもないだろう。真意はどこにあるかを問わねばならない。たとえ切り捨てるべきがあったとしても、それが何かを知らなければ、少なくとも、私たちのルーツを消し去ることにならないか。彼らも何かを私たちに託しているものがあるに違いないからだ。 ・へ2・・・人間は一面に於いて身勝手である。相手の心情を注意深く汲み取ることを為し得ているとは言えないだろう。ことに男尊女卑であった時代の男たちの芸術家たちは、極めて狭い視野でしかない。女を買いながら、恋愛を説くということさえ、平気で小説にして恥じない輩たちでもあった。軽蔑されるべきは、自らの偏見についてさえ無自覚でもあったことだろう。枯れ木に花が咲く筈はない。いまなお、「源氏物語」を日本文学の始めという、それこを纏足の世界を肯定するような教養があるのではなかろうか。
2023.04.26
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古いものとの闘いを描いても、未来を描くことができなかった。もし太宰に明日が見えたとしたら自殺はしなかったのではないだろうか。どうしなければならないかを知ろうとしたに違いない。明日が見えないというのは、それは誰にでもある。自己撞着は、ある意味、その自覚症状でもあるだろう。二人ボッチの生き方しかできないカップルの破綻も、未来がみえないからでもあるのだろう。 ・明日を見つけることは、何でもないように見えるがそうだろうか。理不尽に殺されない限り、自分の生き方を決めるのは自分だろう。ただ生きることであれば、それは身体が環境に適応していけば、自分の細胞分裂のヘイフリックの限界までは生きることができるだろう。だがそれだけではない。ひとは絶望しても死ぬのだ。明日を見失うからでもある。
2023.04.26
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シジュウカラ。「自己責任の原則」という声が高くなりつつある。「他力本願」も影が薄くなった。家族で援け合ってということばも霞んできた。国家機関は、あてにしないでください。自分のことは自分でして、快適な暮らしがしたいなら、成果は本人の努力次第だという。どうも社会のルールが変化してきている。これまでの常識が非常識になることもある。老人になっても、手塩にかけたわが子も親の面倒を見てくれない。それが当前になりつつある。病院もカネのない人の治療をしなくなるかも知れない。社会の役に立たないものは、疎外されてくる。 ・これは悲観的なのではない。事実でしかない。利益の配分が変化している。これが経済の格差を拡大させている。しかし、それをしているのは日本政府の政策でもあることだ。それを国民は支持しているというだろう。形の上で、政府は違法行為をやっているわけではない。寧ろ国民の支持の証明としての選挙で選出されて合法な行為だと自民党は言うだろう。国民の皆んなの代表をしている政治活動は、現代の民主主義の所以だというかも知れない。 ・へ2・・・間違ってはいないが、中身はどうだろうか。私たちは、個人として、厳しい時代を覚悟しなければならない。政府は国民に近づくような政策をそれこそ血みどろの努力をすべきなのだろう。それができないような政府は認められない。そういう政府を目指さねばならない、と思う。った年俸が20億円という人がいて、かたや生活がやっとで、自分の家さえ持てない人たちがいる。東電のトップは、原発事故の責任も取らないのだ。自分に責任はないという。会社の利益のためにしているのだというのだろう。どれだけに人たちが、迷惑を受けただろうか。80兆円の負担は誰がするのだろうか。企業の利益のためだけで済む問題ではない。戦後78年間余り、日本国内では、戦争という呪縛から解放されていたが、これは、明治維新以来、初めてのことであろう。勿論日本政府が一人がんばったからではない。米軍に占領されて、すべての兵器を取り上げられ、軍国主義はドラスチックにやり玉に挙がったからだ。そして、朝鮮戦争が起きて日本の周辺が変化していく。核の傘がまことしやかに語られてきた。核戦争になったら、どこまで条約が守られるだろうか。五大国の一つのロシアでさえ、国連憲章を守らないのだ。
2023.04.26
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日本のバブルが崩壊するまで、それを予測していた人がいたのは言うまでもない。然し多くの人は、右肩上がりの「土地神話」に浮かされていたことは事実だろう。それは金融資本主義下のそのメインである金融機関が挙って片棒を担いでいたのだ。それを政府も黙認していた。国民も、豊かなモノのの社会を、当然のように考えて、その虹を渡ろうとしていた。ところがバブルが崩壊して、虹の橋は消えてしまった。崖から落ちるものが大量に出た。国民は奈落の底に落ちた犠牲者の悲惨な話を毎日のように聴くことになった。 ・国民は、崩壊を目にした時、それぞれに描いていた個人の夢が破れたと感じていただろうか。「空白の10年間」は、そのために必要な時間だっただろうか。どうもそうではない。どうも甘い夢から、現実に目覚めた人もいれば、まだぼんやりして目の覚めない人もいるようだ。バブル崩壊は、一体誰の責任なのだろうか、バブルは外資に仕組まれたものではなかったか。それに易々と乗った政府や、金融機関ではなかっただろうか。それだけ無防備なシステムでしかなかったことを物語っているのだ。 ・へ2・・・日本社会はこぞってバブルに酔わされ、自分の将来に対して甘い夢を抱いてしまったのではないだろうか。その夢が破れたことを誰もメールで知らせてくれるものはいない。手の裏を返されたように、国民は、悉く明日への橋が壊されてきている。或いは、もう自分の渡るべき橋はないかも知れない。そして、今度は自己責任で生きろと言われている。
2023.04.26
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元寇の謎というのは、「神風」だろうか。何れにしろ、日本軍を散々に蹂躙した元軍は二度も暴風雨の為に壊滅した。考えてみると、 成吉思汗の「人の快楽は裏切りたるものを従え、敵に勝って、これをほろぼし、・・・」 の思想が受け継がれているとしたら、元軍は、高麗を滅ぼし、南宋を滅ぼした兵たちが主力であって、戦意はそれ程高いものではなかったのではないか。おまけに船の建造は見かけばかりで骨組みに板を張り合わせただけの急造船でしかなかったといわれる。 文永の役(1274.11)では、900艘に4万のうち13千人。 弘安の役(1281.8)では、4400艘に14万人のうち11万人。 が溺死した。元寇の兵たちが、元南宋兵や高麗兵が主力であったとすれば、その歴史の悲惨さが余計に思い遣られてくる。元寇に破れたとすれば、或いは外の力の大きさや恐怖を知り、日本人も他国の侵略の意味を悟り、震え上がったことであろう。 思えば、博多の街もその時、歴史の舞台に名を残したまま、永い眠りに付いている。
2023.04.26
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「魚の心は、水の底にすんでみなければわからない。鳥の心も樹上の巣に生涯を託してみなければわからない。閑居の気持ちも全く同様、一切を放下し、方丈の庵にあけくれ起居してみなければわかるものではない」と太宰の「右大臣実朝」の記述の中にある。鴨長明に言わせている。本当にその人の立場になって考えなければそのこころはわからない。 ・物欲を忘れることは難しくはないが、名誉を求める心を棄てるのは容易ではないともいっている。金を欲しがる心よりも、さらに醜く奇怪にして、まことにやりきらないともいう。東洋思想の深遠さでもあるが、「解脱」は現代人にも理解することが難しくなった。 ・私たちは愈々我執から逃れられなくなっている。死ぬことを怖れて、臆病になってしまった。死から遠く離れて生きているつもりでいるが、実は、安全だと信じているコンクリートの床の下も暗闇の死でしかない。どこにも安全な場所はないのだ。ヘイフリックの限界は、誰もが持つ静かに忍び寄る背後の殺し屋である。 ・へ2・・・閑居の気持ちはなってみないとわからない。嫌がられ、蔑まれる。現代の「姥捨て山」があるだろう。名誉欲の段ではないだろう。ことばにはうそがある。衒いだろうか。だが独りでいることは、これだけ地上にあふれた人間を思うと、まだ豊かなのだろう。
2023.04.26
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太宰治「新郎」より、「一日一日を、たっぷりと生きて行くより他はない。明日のことを思ひ煩ふな。明日は明日みづから思ひ煩はん。けふ一日を、よろこび、努め、人には優しくして暮らしたい。青空もこのごろは、ばかに綺麗だ。舟を浮かべてみたいくらい綺麗だ。山茶花の花びらは、桜貝。音を立てて散っている。こんなに見事な花びらだったかと、ことし始めて驚いている。・・・」。 ・太宰も意外なことを書いている。これも太宰の一面なのだろう。しかし彼には風景はものでしかなく見えるのは人間ばかりだった。もともと関心がないのだろう。綺麗か、そうでないかしか、「風景」はない。西洋人の美の原点はシンメトリーである。おそらく太宰もそうだったのだろう。・へ2・・・私が読んで感じるものと、文学部教授の講義が相当違うのが面白い。専門家に感心することが多いが、何でそんな風に思うのだろうというところもある。どちらがどうのでもないだろうが・・・。自己撞着した男がなぜそんなに自分を書くのだろうか。自家中毒してみせて快感なのだろうか。よくわからない。「死」が美学だと思っているとしたら、それは幼い。太宰も、すべてを捨てて、世界一周でもすれば良かったのではないか。そういえば世界一周などする必要のない人たちが行っているのではないだろうか。むしろ、文学賞の賞品が「数ヶ月間の船旅世界一周」でもしたらどうだろうか。世の中は皮肉なことばかりでは面白くないし富裕層だけのツアーではあるまい。
2023.04.26
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どう商品化するかで、多くのプロは苦悩し、凌ぎを削っている。それで食っているが、殺されてもいる。それがうまくいったとしても、それが終わりではない。大半は、すぐ数か月もすると熱が冷めるからだ。キャッチフレーズがそうだろう。「関係ない」という裸の男の一発芸も長く続く筈がない。漫才師の「受け」もすぐに色褪せるだろう。あとか、あんなチャチなことで、何故笑ったのだろうと自嘲の種にされる。 ・商品化しなければ企業は儲からないから、儲かる企画を追い求めているのだろう。人間性の欠片さえないものもあるし、人の恋愛さえネタにされる。受ければ何でもやるのだろう。ブログも受けたいと思うから、アクセス数を気にするのだろうか。みんなが、視聴率気にしている。高ければ成功というだろう。だから、受けないことはしなくなるし、「商品化」できなければ無視されもする。時には子供まで引っ張り出されて利用される。商品化されないものは売れないし、価値がないと同じ意味である、とされる。 ・へ2・・・どこからでも、引っ張り出されてくるが、それで壊される物も多いのではないだろうか。若い才能が、そんな商業主義のために中途で崩壊してしまってはいないか。大事に育てねばならないものもある。もう二度とできないものもある。そして、その判断をしている者たちが信用できないとしたら、この社会は狂いつづけるだろう。原種の価値を知るものたちだろうか。私はそれを憂鬱な思いがする。それだけ慎重に扱っているだろうか。ひとは商品化することで、環境を破壊しているのではないだろうか。
2023.04.26
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一葉「塵中につ記」より、「・・・かひなき女子の、何事を思ひ立ちたりとも及ぶまじきをしれど、われは一日の安きをむさぼりて、百世の憂を念とせざるものならず。かすか也といへども、人の一心を備へたるものが、我身一代の諸欲を残りなくこれになげ入れて、死生いとはず、天地の法にしたがひて働かんとする時、大丈夫も愚人も、男も女も、何のけじめか有るべき。笑ふものは笑へ、そしるものはそしれ、わが心はすでに天地とひとつに成ぬ。わがこころざしは、国家の大本にあり。わがかばねは野外にすてられて、やせ犬のえじきに成らんを期す。・・・。」碌に教育を受けていない一葉が、明治の世で、女流小説家になろうと決意したのは、数えで20歳の時である。過酷な環境と貧困と偏見が渦巻く時代にここだけが陽光が射したように輝いている。やがて金子みすずも生まれている。どこかでみた詩を思い出す。・・・ではさやうなら仏さま地獄は一定わたしたちのすみかださうでございますから思えば、わたしたちの目は何ものも見えていない節穴だろうか。見ようとしないだけなのだろう。我ことの悩みや哀しみの涙で溺れようとしているだけなのだろう。どこが痛いとか、苦しいとか、メランコリーだとか、何だとか、いう前にすることをして、ひとりの人間として、立ち上がりたい。
2023.04.26
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スリランカ。旨くやっている人の話をどれだけ聴いても仕方がない。ひとには個性があり、世界観も価値観も違う。同じであるはずがない。サクセス本の限界は、小さくて、然も狭い。真似をしても何もできはしない。「おバカ」なテレビを見続けても悧巧になる訳ではない。他人のギャグをみていて「・・・やがて悲しき鵜飼だろう」。この社会の不可解はつづいている。小沢代表の資金ポジションが奈辺にあるかは想像できていたから、驚くことではない。麻生政権が酷過ぎるから目立った存在だけだったのだろう。そのメッキも剥がれようとしている。 ・それにしても政治家はどうして、往生際は悪いのだろうか。まだ何とかなると思うのだろう。破綻会社の主な原因は放漫経営だ。見通しの甘さである。他人を顎で使っているとそうこう破目になる。日本の政治家は仕事をしないからそういうことになる。使用人を使うからだ。小さな派閥で威張っているからだ。 ・へ2・・・社会システムが古くなり、使い物にならなくなっている。其れを、何とか誤魔化して使っている。そろそろ限界だろう。民主党も限界だろうか。自民党の崩壊前に潰れるかも知れない。どうせモザイク集団である。どうでもなるし、どうでもいい。政党政治と言いながらイデオロギーの確たるものに乏しいのではないか。それで世界をリードできるとも思えない。書きながら吐気がしてきた。寝た方がマシかも知れない。それにしても暖かい。今、福岡は、8℃だ。
2023.04.26
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ベトナム戦争は、1960年から15年間泥沼の戦闘が続いた。代理戦争だった。南北ベトナム人の200万人が犠牲となり、米軍が介入し米兵が54千人戦死し、米国は、1500億ドルの戦費が注ぎ込まれたが小国に敗れた。何故か?不条理な戦争を仕掛けたからだ。以前「エノラゲイ」の特集があり、アメリカの少女が「原爆投下」を正しかったと主張していた。どうやらいまでもアメリカの一般的世論らしい。原爆投下は終戦を早め、将兵を救ったというのが彼等の主張だが、わざわざエノラゲイの乗組員が今年も「われわれの遣ったことは正しかった」との声明を毎年繰り返していた。200万人と5万4千人とでは比較にもならない。 原爆投下は、たとえどれだけの論理を積み上げようと、それは人類への反逆であり、 すべての人道主義に対する否定であろう。それを許すのであれば人類は、何も未来を語る資格さえないだろう。原爆の廃絶、そう決意しなければ、人類の生き残るべき余地はないだろう。「偏見」が悪なのは、それが平和に最も遠いからであり、人類を崖の淵に追い込むものだからだ。ベトナムは、200万人の犠牲の上に建設された共和国であり、圧倒的な敵と不屈の精神をもって闘ったひとびとの誇り貴き子孫だ。歴史が証明した、「正義は勝つ」ことを。
2023.04.25
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こうしてブログを続けているのも憂さ晴らしの一つなのだろう。それは自分でも否定できない。ブログをしなければ、何かをしていただろうが、それが大したことでもないに違いない。そんなに面白いことが、どこにも転がっているのでもない。「友だち100人できたかな?」という童謡があるが、それくらいできればどんなにか楽しいだろうか。毎日、いい気分で暮らせるかも知れない。先日講座の時、同席したひとと大学の事務のひともいたので、OCWのこととか、大学の話題を話をしたとき、自分が饒舌になっているのに、自分でも驚かされた。 ・勤めていた時、嘱託の人たちに中に、目立って饒舌な人物がいた。どうやら奥さんを亡くされて、横須賀で独り暮らしをしている人だった。それで家では誰も話し相手がいないので、職場で、饒舌になるのではないかということだったのを、思い出した。今の私には妻子はいるが、話し相手になるわけでもない。ブログはするが、お喋りとは違う。そこで、つい外でお喋りになるのかも知れないと苦笑した。書いて憂さ晴らしにもならないのかも知れない。 ・へ2・・・何かをすると、そのリアクションがある。その反応が、いつも愉快ではない。不快もある。寧ろ不快の方が多くなっている。それは、世の中が見えてもきているのだろう。女性の、お喋りは、喋って憂さ晴らしができるから大したものだ。そこに行くと男は、相手を見てしまうので喋れなくもなってしまう。そうして、やがて目が悪くなり、どうでもよくなってくると、<KYだ>といわれるのだろう。
2023.04.25
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まだ未来が輝いていた昭和30年代に、戦争をくぐりぬけた教科書の編者たちが、自分たちの感情や思想を伝える言葉として、多くの詩や、文章を紹介していたのではないだろうか。そんな気がしてならない。いまはどうなのだろうか。どんな編者たちが教科書をつくっているのだろうか。それは甘い夢かもしれないが、確かに未来は輝いて見えていた。 ・今の子供たちは、そういう夢を見ているのだろうか。平和への喜びを感じている人の手でつくられた教科書で育てられた子供たちが、「刑務所に入りたくて、誰でもいいから殺した」という発想が生まれるだろうか。それは信じられない。教師が、教科書が、友人たちが生徒たちの心の琴線に響いているのだろうか。「山のあなた」「からたちの花」私たちの世代はみなこの歌を知っているし、一緒に歌ったものだ。 ・へ2・・・みなが同じ心を持っていた。それは、贅沢な喜びではなかったが、それは豊かないこころが溢れていた。何も読む本はなかったが、教科書はみんなの宝だった。 教科書には、夢があったからだ。
2023.04.25
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ウインザー城。自分のない人に自分を守る資格がないということは言えない。幼児もいれば病人もあれば、介護を必要とする老人もいる。弱者を守ることは人としての大切な役目でもある。それは、そうすることによって、与えるものもあれば、得られるものもあるからだ。それを勘違いしてはならない。ギブアンドテイクというが、それは取引のことでしかない。現実の社会はそれだけではない。これは、宗教がなければならない理由にはならない。それが成熟した社会かどうかであるしかないだろう。・自分を守るということが、エゴイズムのそれではない。エゴイズムは自己愛に過ぎないのであって、ただそれだけでしかない。社会的人間の存在として、[天動説]でいきているだけのことだろう。彼は自分だけしかないだけであり、自分の存在から旅立つことのできない人間でしかない。他人を嘲笑するが、自分が嘲笑されているに気付こうとしないだけだ。自分を守ることを、ただ社会との間に高い壁を作って守るだけの人たちや時代があった。そのために高くついた他人の犠牲を厭わなかった。それは、遺物としての「万里の長城」があるが、 多くは恐怖感がさせたのだろう。外に出ないことによって得られる喜びがどれだけ素晴らしいものであるのか、知らないで人生を終わるのではないだろうか。・へ2・・・どれだけ完璧な防御壁を造ったところで、内から沸き立つ老化を止めることはできない。不幸は前からだけ来るのではないかもしれない。背後にもあるかも知れない。それを文学者たちは表現しようとしたが、それは自分を守るということの意味が、非科学的な表現を通じたものでしかなかったのではないだろうか。「ヘイフリックの限界」は、細胞分裂によってヒトが生きていることを前提にしている。そして、いずれ細胞分裂に限界が来るのだ。それがヒトの死の意味でもある。朝となり、日が昇り、生命あるものたちには、新たな一日が始まる。それはなんと豊かだろうか。しかし、何れ、日が落ち、闇に帰っていくのだ。それは哀しいことではない。それは、これから生きていく人のためにあるのだから・・・。
2023.04.25
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