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「春」
てふてふが一匹 韃靼海峡を渡って行った
「嫌いなものは授業ではやらない」
「あの人はこの詩のことをこんなふうに言っていたな。」
「ああ、それもあるか。」
「落ちこぼれ」 茨木のり子
落ちこぼれ
和菓子の名につけたいようなやさしさ
落ちこぼれ
いまは自嘲や出来そこないの謂い
落ちこぼれないための
ばかばかしくも切ない修業
落ちこぼれにこそ
魅力も風合いも薫るのに
落ちこぼれの実
いっぱい包容できるのが豊かな大地
それならお前が落ちこぼれろ
はい 女としてはとっくに落ちこぼれ
落ちこぼれずに旨げに成って
むざむざ食われてなるものか
落ちこぼれ
結果ではなく
落ちこぼれ
華々しい意志であれ
詩の書き出しには唸らされた。
落ちこぼれ 和菓子の名につけたいようなやさしさ
塾教師を生業とする身としては「落ちこぼれ」と聴けば、ただちに、学校の授業についていけない生徒のことを思ってしまう。和菓子を連想するなんて思いもよらない。
虚を突かれて、しかし、和菓子が好きなわたしにはこんなイメージが思い浮かぶ。色は緑か黄がいいと思うが、淡い色調の小ぶりの菓子箱のまん中やや上方に、白い和紙がはりつけられ、それに墨で書かれた「落ちこぼれ」の五文字が乗っている。そんなイメージだ。
落ちこぼれだからといって、肩身の狭い思いをする必要のないイメージであることはたしかだ。詩人は落ちこぼれの味わいの深さをいい、自分を落ちこぼれの一人だと明言し、最終二行では、
落ちこぼれ 華々しい意志であれ
とまでいう。そこまでの潔さはないが、わが身を振り返って、落ちこぼれと縁の深い人生だったとは思う。
全共闘運動の後、大学教師への道をみずから断って塾教師をはじめたときには、まちがいなく落ちこぼれの意識があったし、さらにいえば、落ちこぼれを楽しみたい思いがあった。
三十年以上も続く塾稼業で、生徒を「有名」中学や「一流」高校に送りこむことには関心がなく、生徒がOBになっても関係が続くような、つきあいの親しさを大切にしてきたのも、落ちこぼれの塾経営といえそうだ。落ちこぼれである以上やむをえないが、経済的にめぐまれたことは一度もなかった。
落ちこぼれの塾には落ちこぼれた生徒が何人も通ってくる。大抵は落ちこぼれであることに傷ついているから、普通の子以上に丁寧なつきあいが必要だ。
授業についていけない子がついていけるようになれば、落ちこぼれは解消する。それが一番まっとうな落ちこぼれ解決法だ。が、学校の授業は生徒一人一人の能力に合わせて設定されているわけではないから、ついて行こう、ついて行かせようとして、思い通りにならないことが少なくない。
そこでどうするか。ついて行けないのは仕方がないとして、ついて行けないことでその子が苦しい思いや辛い思いをしているようなら、その苦しさや辛さを軽くしてやりたい。
そう思う私は、その子のついていける内容の教材を用意し、その子のついて行けるテンポでいっしょにとりくむ。ほかの子にテンポが合わないなら、無理に合わせようとしないで別々に進む。一対一で教えることもめずらしくない。
その子とのあいだに一定の信頼感が生まれてくると、ゆっくりしたテンポで前に進むこと自体が楽しく思えてくる。算数の問題を解くときでも、かわり番に朗読するときでも、生徒は安心してやるべきことに身を入れ、こちらも安心してそれを見まもることができる。劣等感から開放された軽やかな気分が、こちらにも伝わってくる。時間が静に流れ、教室に、深まりゆく秋の気配、とでもいいたくなるものが漂う。この穏やかさは落ちこぼれが恵んでくれたものだと思うと、目の前の子に感謝したくなる。
「自分の感受性くらい」 茨木のり子
ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて
気難しくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか
苛立つのを
近親のせいにはするな
なにもかも下手だったのはわたくし
初心消えかかるのを
暮しのせいにはするな
そもそもが ひよわな志にすぎなかった
駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄
自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ
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