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2019.06.29
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《余は如何にして屠殺人になりしか》​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​ ​​ 佐川光晴「牛を屠る」(双葉文庫)

​​ 北大法学部を出て、出版社に勤め、上司とやりあってやめてしまった男が、どうして屠殺場に来たのか。​​
​​​​​「この学歴であれば、営業でも総務でもいいので、事務所の方で働いてもらえませんか。」​​
​​​​ そういわれた面接の帰り道、同僚となるに違いない大男に、一喝された。​​
「ここは、おめえみたいなヤツの来るところじゃねえ」​
​​ 凄みのある大声が響きわたり、私は震えあがった。​​
​​ その日から 佐川光晴 「屠殺人」 修業が始まった。​
​​​ところで、ドキュメンタリー作家 内澤旬子 を御存知だろうか。彼女に 「世界屠畜紀行」(解放出版社・角川文庫) という著書がある。​​​   ​
「屠殺」 という言葉の、差別的響きにこだわってのことか、 内澤 は、冷たくなった雉やカモの解体の体験からこう書いている。​
​​ ​ ​殺すのはほんの一瞬だ。しかし殺した死体と一対一で向き合って、食える肉にするまでの時間は、はるかに長くて、しんどいものだったのだ。やはり 屠殺 じゃなく 屠畜 という言葉がぴったりくる。 ​「世界屠畜紀行」 ​​​ ​​
​​​  佐川光晴 は、修行の体験を記す中で、 内澤 「世界屠畜紀行」 を引用し 「屠殺は屠殺である。」 と喝破し、生きた牛や豚を叩き、血を抜き、皮を剥ぎ、内臓を出し、食用の肉にするという 「屠殺」 の現場の誇りをかけてこう記している。​​
 屠殺されてゆく牛と豚は、生きているときの温かさとは桁違いの熱さを放出する。
 喉を裂いたときに流れ出る血液は火傷をするのではないかと思わせるほど熱い。真冬でも、十頭も牛を吊るせば、放出される熱で作業場も暖まってくる。
​   切り取られ、床放り投げられたオッパイからは、いつまでたっても温かい乳がにじみ出る。冷たい死体を解体するのが屠畜なら、われわれがしていたのは屠畜ではない。​
 たしかに「屠」の一字があれば、簡潔に用は足りている。しかし、今にして思うのは、われわれには「屠」だけでは足りなかったのだ。差別偏見を助長しかねない「殺」の字を重ねなければ、われわれは自らが触れている「熱さ」に拮抗できないと考えていたのではないだろうか。
​​  「世界屠畜紀行」 は、この「案内」で紹介するつもりだった本だ。​世界の屠畜の現場を歩いて回ったリアリティと 妹尾河童 風イラストをセットにした、類著がないということもあるが、好著だと思う。
​​ しかし、ホルスタインの大きな乳房を切り落とし、全身の皮を剥ぎ、食肉に仕分ける。文字通り血まみれ、汗まみれの現場で修業を重ねた 佐川光晴 の描写を読んだ今では、残念ながら、 内澤 のルポは傍観者の意識と目でしかないことが一目瞭然なのだ。​​
​​ 実際、佐川の修業は同僚の目の厳しさに耐えながらの、肉体の酷使と使ったこともない「ナイフ」との格闘だった。目の前には、いつも、あの日、 佐川 を罵倒した 新井さん が立っている。​​
「佐川、指を動かしてみろ。」と新井さんに言われた。黙って頷いてから指が曲がるまでのあいだは恐ろしかった。「よし、腱は切れてないな。今縛ってやるから医者に行って来い。こんだけのケガだと一人じゃきついから、総務に車をださせっからよ。急かして悪かったな。」
​​​  新井さん が新入りの 佐川光晴 を仲間として認めた瞬間だった。いたわりの言葉が、読み手の心をつかむ。ちぎれて落ちそうな指と滴り落ちる血の現場に、仲間を本気でを気遣う言葉がある。​​​そして、 佐川光晴 は、とうとう、極意をつかむ。​​
 ところがそのときはよほど急いでいたのか、私は刃先にはまったくあそびをつくらず、いきなりナイフに力を込めた。その途端、ナイフが腕ごと前に伸びた。足元に向かって下りるはずのナイフは、私の意思を置き去りにして、これまでにない大きさで前方の空間を切り開いた。
​​ まさかこんなことが起きるとは思わず、私は呆気に取られていた。朧げに感じていたのは、これは道具がした動きなのだということだった。青龍刀のように反身になった皮剥き用の変形ナイフは、今私がした動きをするように形づくられているのだ。その形は幾百幾千もの職人たちの仕事の積み重ねによって生み出されたものであり、誰もが同じ軌跡を描くために努力を重ねてきたのだ。​​

​ つかんだ極意は、牛の皮を剥ぐ、このナイフこそが屠殺という仕事の歴史そのもであることを知ることだった。
 ナイフのままにナイフを使う境地とでもいうのだろうか。 中島敦 の「名人伝」にでも出てきそうなシーンだった。
「屠殺人」 と恥じることも、衒うこともなく、自ら名乗ることが出来る場所にたどり着いた。​
​​ ​​  《斯くして彼は屠殺人となりき!》
​  佐川光晴 が屠殺の職人になった瞬間だった。  ​ ​​(写真は屠殺の行程を描いたイラストです。)
追記2022・05・02
​​​ 最近、 郡司芽久 という人の​ 「キリン解剖記」(ナツメ社) ​という本を読みました。研究者によってキリンが解体、解剖される現場が描かれている面白い本でしたが、読みながら 佐川光晴 のこの本を思い出しました。
 目的は全く違いますが解体する​生き物に向かう雰囲気が似てると思いました。で、その共通したところに、両方の本を読み応えのあるものにしている所以が隠されていると思いました。お暇でしたらお試しください(笑)
追記2023・03・15
オタール・イオセリアーニ という監督の​​​ 「トスカーナの小さな修道院」 というドキュメンタリー(?)を観ていて、佐川光春のこの本を思い出しました。映画には豚の 屠殺 解体が、かなり丁寧に映されていて、なぜだかわからないのですが、胸を打ちました。生き物を家畜と呼んで育て、殺して食べる事というのは、やはりすごいことですね。​ ​​

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最終更新日  2023.03.15 10:01:30
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